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2016年3月28日 (月)

ダニエル・J・レヴィティン「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」白揚社 西田美緒子訳

 イーグルスの<ワン・オブ・ジーズ・ナイツ>(同名アルバムのタイトル曲*)は、ベースとギターがまるで一つの楽器のように演奏するパターンで始まる。ベースがひとつの音を出し、ギターがグリッサンドを付け加えているのだが、ゲシュタルトの原理によって連続性が保たれるので、知覚の上ではベースがスライドしているように聞こえる。
  ――3 幕の向うで 音楽とマインドマシン

音楽は、期待を体系的に裏切ることによって私たちの感情に語りかけてくる。
  ――6 デザートが済んでも、クリックはまだ四つ先の席にいた 音楽、感情、そして爬虫類脳

どの文化にも共通しており、赤ちゃんに話しかけるときはテンポが遅く、使うピッチの幅が広くなり、全体のピッチが上がる。
  ――8 私のお気に入り j好きな音楽を好きになる理由

考古学的記録には、人間がいる場所ではどこでも、どの時代にも、途切れることなく音楽が奏でられていた痕跡が残されている。
  ――9 音楽本能 進化のナンバーワン・ヒット

*:日本では「呪われた夜」の名で出ました(→Youtube)。
  この効果をがあるのはスタジオ版だけで、ライブじゃアレンジが違うので確認できません。

【どんな本?】

 激しいリズム、切ないメロディー、ふくよかな音色、甘い歌声。私たちの心を奮わせる音楽もあれば、単純すぎてつまらない曲もあるし、苦痛にしか感じない歌もある。巧くなくても楽しい歌声もあれば、きれいだけどそれだけの演奏もある。音楽の何が私たちに訴えかけるのか。なぜ気持ちを揺さぶる曲と、そうでない曲があるのか。

 MITで電気工学を、バークリー音楽大学で音楽を学んだ後、バントマンからレコード・プロデューサーやエンジニアとしてサンタナやグレイトフル・デッドを手がけ、再び大学に戻って認知心理学者・神経科学者となった異色の経歴を持つ著者が著す、科学的探究心と音楽への愛が溢れた一般向け科学・音楽解説書。

 なお、出てくる曲は童謡・クラシック・ジャズ・ロックと多岐にわたるが、ロックは60年代~70年代の曲が中心。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は This is Your Brain on Music, by Daniel J. Levitin, 2006。日本語版は2010年3月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約332頁。9ポイント45字×19行×332頁=約283,860字、400字詰め原稿用紙で約710枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくないが、先に書いたように、出てくる曲は60年代~70年代の作品が多いので、その辺に詳しいと更に楽しめる反面、頭の中で曲が鳴りだしてなかなか先に進めないかも。

【構成は?】

 「はじめに」と「1 音楽とは何か?」は、最初に読もう。この本の基礎になる部分だ。以降は比較的に独立しているので、拾い読みしてもいい。

 はじめに 音楽が好きで科学も好き
1 音楽とは何か? 音高から音質まで
2 足で拍子をとる 明敏なリズム、音の大きさ、ハーモニー
3 幕の向うで 音楽とマインドマシン
4 先を読む リスト(とリュダクリス)の音楽に期待するもの
5 名前を知っているなら電話番号は自分で調べて 音楽をどうカテゴリー化するのか
6 デザートが済んでも、クリックはまだ四つ先の席にいた 音楽、感情、そして爬虫類脳
7 何が音楽家を育てるか? 専門技術を分析する
8 私のお気に入り j好きな音楽を好きになる理由
9 音楽本能 進化のナンバーワン・ヒット
 謝辞
 補説A 音楽を聴く脳
 補説B 和音(コード)とハーモニー
 訳者あとがき/参考文献/人名索引/事項索引

【感想は?】

 著者の好みが私ととても似ていて、それが親しめるような読むのに邪魔なような。

 最初の引用の「呪われた夜」にしても、ベースのランディ・メイズナーの妙技やギターのドン・フェルダーの独特のクセ、多重録音を駆使した贅沢なアレンジと、それを見事に融合させたプロデューサーのビル・シムジクの職人芸とか、余計な事を書きたくてしょうがない。

 業界の中にいた人だけあって、ゴシップのネタもある。中でもジョニ・ミッチェルの話は絶品で、デヴィッド・クロスビーのおおらか過ぎるプロデュースには変に納得したし、ジャコ・パストリアスの話は「うん、ジャコだ」と笑ったり。確かにプレイ最高・人間最低と言われるジャコだけの事はあるw

 聞き手としてはポリスがお好きなようで、特にスティングのプレイについては何回か出てくる。スティーヴィー・ワンダーのスーパースティション(迷信)や、ローリング・ストーンズのホンキートンク・ウィメンの解説は、それだけで曲の印象が変わりそうなぐらいに新しい視点を与えてくれる。つか迷信、スティーヴィーがドラム叩いてたのか。全く知らなんだ。

 などの下世話な話ももちろん面白いが、当然ながら学問的な話もある。

 最初は音楽理論で、12音階・リズム・音色などの解説で始まる。元エンジニアのためか音色には拘る人らしく、楽器によって音色が違う理由とかは、とても面白い。

 楽器の構造でクラリネットは奇数倍の倍音が多く、トランペットは偶数も奇数も同じぐらいとか、多くの楽器でアタック(音の出始め)は整数でない倍音が多く、続く定常部では楽器らしい倍音構成になるとか、それぞれの楽器には色んなクセがあって、それがバラエティ豊かな音楽を生みだす隠し味になっているわけだ。

 ここでは同じ楽器でも音程によって音色が違う例としてスティングの裏声を挙げているが、日本人としては中森明菜を押したい。低音部でガサついた声が、高くなるに従い澄んでゆく変化は、天性の才だと思う。

 こういったレコーディング・エンジニアの経歴が活きたネタが多いのが本作の特徴で、ヘヴィメタルで重視される「音圧」の正体や、ダンス・ミュージックに大事な「グルーヴ」の話も楽しい。前に南アフリカの流行歌を漁ったとき、ヒップホップ系でもドラムは生ってのが多かったが、ちゃんと意味があったんだ。

 などに加えて、神経科学の話ももちろん多い。実はコッチの話は少し難しい。というのも、ヒトが音楽を認識するプロセス自体がとても複雑だからだ。

 MADなどで音声を編集した経験があればわかると思うが、音楽の記録形態そのものはとても単純だ。一定の間隔で、瞬間瞬間の音の値を記録しているだけ。ヒトも耳は少し違い、それぞれの周波数を捕らえる有毛細胞がセンサーとなる。

 スライド・ギターでスライドをネック側からボディ側へ動かせば、音は高くなってゆく。音程が変われば周波数も変わり、音を捕らえる有毛細胞も次々と変わってゆくはずなのに、ヒトは同じ楽器の音が続いていると認識する。落ち着いて考えるとこれは不思議な話で、バラバラのセンサーから入った信号を、一つの塊として認識できる。

 だけでなく、異なる楽器で同じ音程の音を出した時も、ヒトは「違う音だな」と分かったりする。どうもヒトの脳ミソは、音を認識するプロセスで、トップダウンとボトムアップを巧く組み合わせているらしい。この性質を巧く裏切ってみせたのが、イーグルスの「呪われた夜」なわけ。

 記憶についても、楽しい話が出てくる。コンピュータで画像を記録するには、大きく分けて二つの方法がある。ビットマップと、ベクトルだ。Photoshop や Paint で使うのはビットマップで、拡大するとジャギーが目立つ。対して Illustrator の EPS や HTML の SVG はベクトルで、拡大してもジャギーは出ない。

 ビットマップは絶対値を集めた形で、ベクトルはパターンを集めたもの、と言えるだろう。では、ヒトの記憶はどっちなんだろう?

 たいていの人は、絶対音感がない、つまり音のヘルツ数まではわからない。でも、歌のリズムやメロディは覚えている。だけでなく、歌手の歌い方のクセまで真似する人も多い。鼻歌を歌うと、元の曲のキーとは少し違ったキーで歌う。とすると、変化のパターンだけを憶えているように思える。

 が、ちゃんと調べると、元歌のキーに近いキーで歌うし、テンポも5%前後の誤差で再現できたりする。流石にドラマーはもっと精度が高いそうだが。つまり、パターンも絶対値も憶えているわけだ。

 にしても。最近は画像認識技術が進んできて、モノの輪郭を抽出するなんてのも出来るようになったが、昔は絶対値からパターンに変換するってのは、凄まじくマシンパワーを食う演算処理だった。ヒトってのは、これを一瞬のうちにやってしまうわけで、凄い機構を持ってるよなあ、と思ったり。

 その秘密は並列処理にあるんだけど、これのキーとなっているのが、爬虫類脳こと小脳と、哺乳類ならではの前頭葉が密接に協力してるっぽかったり、わかっているようでよくわからない。

 最後に、この著者ならではの楽しい宿題を。「ロックンロールについて知るのに大切なことすべてを含んだ六曲を選べ、ただしエルヴィス・プレスリーは別格なので除く」。

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