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2016年3月の14件の記事

2016年3月30日 (水)

藤井太洋「ビッグデータ・コネクト」文春文庫

「なんで間にいくつも挟んで発注してるねん」
「ピンハネしか能のないクズにカネを落とすためだよ」

「正直、わたしもこれがいい処理だなんて思ってないですよ。でもこれ、わたしの設計じゃないんです」

【どんな本?】

 「Gene Mapper」「オービタル・クラウド」とSFファンを狂喜させた作品を連発し、「アンダーグラウンド・マーケット」では変わりゆく日本経済を描いた新鋭SF作家藤井太洋が、コンピュータ・ウィルス,個人情報の漏洩,マイナンバー,監視カメラ,迷惑メール,サイバー犯罪など「いま、そこにあるIT社会」を生々しく描いた問題作。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」ベストSF2015国内篇11位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年4月10日第一刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約415頁。8.5ポイント42字×19行×415頁=約331,170字、400字詰め原稿用紙で約828枚。文庫本としてはやや厚め。

 警察物は堅い文章になりがちだが、この作品は思ったより読みやすい。

 コンピュータの技術関係は相当に突っ込んだ描写もあって業界人には嬉しい限りだが、分からなくても充分に楽しめる。というのも、技術描写も楽しいが、それ以上に業界人や組織体質が巧く描けており、また否応なしにITを使わざるを得ない普通の人々、つまり我々が今現在置かれている状況と抱えている問題を扱った作品だからだ。

 ただし、冒頭から多くの人物が次々と出てくるのが辛い。出来れば先頭に登場人物の一覧が欲しかった。

【どんな話?】

 コンピュータ・ウィルスを作ってバラまいた容疑で逮捕された男・武岱修(ぶだいおさむ)は、二年間も沈黙を貫いた末に釈放となる。

 その二年後、滋賀県の官民複合施設<コンポジスタ>のシステム設計・開発に携わる月岡冬威が誘拐され、電子メールで犯行声明が届いた。京都府警サイバー犯罪対策課の万田は、何の因果か、かつて何度も尋問した武岱の協力を仰ぐ羽目になり…

【感想は?】

 読み出したら止まらない面白さ。

 冒頭から一気に引き込まれる。明らかにパソコン遠隔操作事件(→Wikipedia)を思わせる経緯だし、京都府警とくれば Winny(→Wikipedia)の騒ぎを思い出す。以降に出てくる手口も、P2Pを使ってるっぽいし。

 次に出てくる迷惑メールによるフィッシング詐欺も、いかにもありそうだ。狙いどころもいい。「暇を持て余したお金持ちの奥さま」からのメールを野次馬根性で読んで、「このメールの文面を考えた奴は才能の使い道を間違ってるんじゃないのか」と思った事のある人も多かろう。

 続々と出てくる「あなたを狙うペテン師の手口」も、短いながら実に役に立つ。嘘メールと偽サイトを食い合わせた手口とかは、危険極まりない。メールにあるURLをクリックしただけでも、タチの悪いのにかかれば酷い目にあいかねない。

 なんてのは序の口で。

 業界人が目を離せなくなるのは、システム開発の現場に舞台が移ってから。これがまた、IT系の人なら何度も「そうだ、そうなんだよっ!」と叫びたくなるような生々しさに溢れている。

 今はオリンピックを控えた国立競技場のデザインが話題だが、こういう「延ばせない納期が決まっている」仕事は、最初にキッチリと「何を実現し何を諦めるか」をハッキリさせておかないと、とてもヤバい事になる。書類上じゃ巧くいくハズなのに、現場じゃ困った事になる事柄も、必ず出てくる。

 福島原発の後始末で騒がれているように、この国の仕事の流れの理不尽も嫌になるほど繰り返し強調しているのもいい。これは特にIT系で酷くて、下請け孫受けに派遣が加わり、現場は魑魅魍魎が徘徊するカオスワールドになってたり。

 建築なら現物を見れば素人でも「だいたい何がどうなっているか」はわかるもんだが、IT系はソレが見えない。素人にわかるのは画面のデザインだけなんで、慣れた人は最初に画面だけ作って進んでいるように見せかけ、中は後でデッチあげるなんて荒業を使う人も。ま、大抵、こういうセコい手口は、自分の首を絞める結果になるんだけど。

 やはりIT系の仕事には不思議な所があって。例えば家を作るなら、住む人が建築会社に「こんな家が欲しい」と注文を出す。使う者は「自分は何が欲しいか」を分かってるし、売る側も「自分が何を売っているか」を知っている。ところがIT系は、その辺をちゃんとわかってる使い手も営業も滅多にいないんで、こんな悲劇がよく起きる。

 これを防ぐには、使い手と作り手が直接に顔を合わせてじっくり話し合うのが一番なんだが、先に書いたように複雑怪奇な受注体制が話し合いを難しくしてブツブツ…。なんでこんな業界体質なのか、その原点を司馬遼太郎が「」で書いてると私は思ってるんだけど、あなた、どう思いますか。

 ってな社会的・組織的な問題も身に染みるが、技術者なら「ウンウン」と頷いてしまうテクニカルな問題点も次から次へと挙げてくれるのも嬉しい。携帯電話がズラリと並んだ場面では、ヒトゴトながら「うひゃあ」と叫びたくなったり。

 ってだけでなく、名前や住所を扱う際の鬱陶しい問題を鮮やかに切り出してくれるのも、「よく書いてくれた!」と転げまわって喜びましたよ、あたしゃ。こういうブログ程度なら、そりゃ今は UTF-8 で大概はカタがつくけどさあ。キーパーソンの名前がアレなのも、そういうメッセージを含んでいるのかも。

 こういう鬱陶しい問題は、たった今、一から作るんならなんとかする方法もあるんだけど、昔からあるシロモノを「その場しのぎ」のつぎはぎをくり返してきたシステムと統合しましょう、なんて話になると、途端に工数が一気に膨れ上がるんだよなあ。図書館とか、どうしてるんだろ? いや知りたくない、知りたくない。

 などと開発現場は悲惨な状況であるにも関わらず、お偉方は暢気なもんで。このお話に出てくる金額は一見凄いけど、これだけの金をキチンと投資すれば、現場のエンジニアが苦しんでいる問題の幾つかは綺麗に解決できると思うんだが、こういう「現場の人だからわかる問題」って、なかなか上の人に伝わらないんだよなあ。

 こういった「今、そこにある」開発体制の問題に加え、今後確実に大きくなると思われる「ビッグデータ」の問題も、武岱を通してリアルに描き出して行くのが怖いところ。ローレンス・レッシグが「CODE Version 2.0」で指摘した問題が、まさしく現実となろうとしている。

 今まで大きなデータを扱うのには、相応のマシン・パワーが必要だったし、時間もやたらかかった。ところが、最近じゃUSBメモリですら256GBもある。昔のハードディスクなんて20MBだぞ、0.02GBだぞ。などと入れ物がデカくなった上に、それを多数組み合わせてクラスタにしたり、機械がどこにあるかわからんクラウドとか…

 に加えて、そういった大量データを扱う技術も、Google を初めとして進歩しつつある。そして肝心のデータは、監視カメラやクレジット・カードの使用履歴などで日々どんどんと溜まってゆく。プリクラはとっくの昔にネットワーク化されてるわけで、飲み物などの自販機がネットワークに繋がる日も遠くないだろう。

 これらの大きなデータが個々にあるだけなら、たいした事はできない。だが、「コネクト」、互いに関連づけられたら、どうなるか。

 普段、われわれが気にもせずに使っている携帯電話や会員カードも、れっきとしたIT機器であり、そこには現代のテクノロジーが抱えた問題が潜んでいる。もはや誰も他人事ではない未来を、ぐいぐいと読者を引っ張る吸引力で娯楽作品に仕立て上げた、この著者ならではの問題作。

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2016年3月29日 (火)

ロックンロールの全てを表す六曲

 

前の記事で、楽しい宿題が出た。「ロックンロールについて知るのに大切なことすべてを含んだ六曲を選べ、ただしエルヴィス・プレスリーは別格なので除く」。著者が選んだのは、次の六曲だ。なお、リンク先はすべて Youtube。

  1. Little Richard - Long Tall Sally
  2. Beatles - Roll over Beethoven
  3. Jimi Hendrix - All Along The Watchtower
  4. Eric Clapton - Wonderful Tonight
  5. Prince — Little Red Corvette
  6. Sex Pistols - Anarchy In The U.K

 こういうのを考えるのはとても楽しい。そこで真似をして、私も六曲を選んでみた。

Deep Purple - Burn
 ハードロック/ヘシーメタルの代表であり、またバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」を組み込むなどクラシックの美味しい所もチャッカリ拝借している。デヴィッド・カヴァデールの歌が入る時に、イアン・ペイスのドラムが暴れまわるアレンジは今も斬新。
Third World - Now That We Found Love
 ソウル・ミュージックの The O'Jays の曲を、レゲエ・バンドがアレンジしたもの。レゲエ独特の発声,タメの効いたパーカッション、後ノリのリズムとカリビアンな雰囲気満点ながら、切なさを感じさせるメロディーとコーラスのバランスがいい。
Eagles - Journey of the Sorcerer
 イーグルスはリュート族の楽器の使い方が巧みなバンドで、この曲ではバンジョー,アコースティック・ギター,スライド・ギターなどを贅沢に使いつつ、エレ クトリック・ギターも様々なエフェクトを加えて不思議な空間を創りあげ、プログレッシヴ・ロック的な味わいも持っている。
Free - Fire And Water
 ブルース・ロック代表。ソウルフルなポール・ロジャースの声、うねるようなアンディ・フレイザーのベース、タメの効いたサイモン・カークのドラム、そして噴出寸前にまで圧力が高まった情念を感じさせるポール・コゾフのギターと、どのプレイも絶品。
寺内タケシ&ブルージーンズ - 津軽じょんがら節
 一時期、ワールドミュージックとしてポール・サイモンやピーター・ガブリエルが各地の民族音楽を取り上げ、ポップ・ミュージックの幅を広げようと模索した頃があったが、そのずっと前から民族音楽=民謡を取り上げてたんだよなあ、この人。
Sex Pistols - Anarchy In The U.K
 様々な音楽を貪欲に取り込むのがロックだが、逆に「ロックの芯」を追求したのがパンクだろう。音もビジュアルも衝撃的だったが、実はマルコム・マクラレン がビジネスとして仕掛けた商業ロックでもあり、革命的なファッション・リーダーでもあり、またスキャンダルもふんだんに提供する所も、ロックの外せない一 面。

 とか挙げてきたが、ジャズ代表として Jeff Beck の Blue Wind が無いのは納得いかんし、テクノ代表としてYMO のライディーン も欲しいし、いやそれは Lipps Inc の Funkytown でファンクと一緒にとか、ニューヨーク・アンダーウラウンド代表として Television の Marquiee Moon も挙げたいし、豪快お馬鹿ロックンロールの標本 Georgia Satellites の I Dunno  は外せないし…

 とか考えると、絞り込むのはなかなか難しいくもあり、楽しくもあり。別の視点として男性シンガー・女性シンガー・ドラム・ベース・ギター・キーボードそれぞれの魅力を伝える曲を選ぶとか、切り口はいくらでもありそうだ。にしても、著者も私もピストルズを外せないあたり、やっぱり革命的だったんだなあ。

 なお、「この曲がないのはけしからん!」的な異論は喜んで受け付けます、はい。

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2016年3月28日 (月)

ダニエル・J・レヴィティン「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」白揚社 西田美緒子訳

 イーグルスの<ワン・オブ・ジーズ・ナイツ>(同名アルバムのタイトル曲*)は、ベースとギターがまるで一つの楽器のように演奏するパターンで始まる。ベースがひとつの音を出し、ギターがグリッサンドを付け加えているのだが、ゲシュタルトの原理によって連続性が保たれるので、知覚の上ではベースがスライドしているように聞こえる。
  ――3 幕の向うで 音楽とマインドマシン

音楽は、期待を体系的に裏切ることによって私たちの感情に語りかけてくる。
  ――6 デザートが済んでも、クリックはまだ四つ先の席にいた 音楽、感情、そして爬虫類脳

どの文化にも共通しており、赤ちゃんに話しかけるときはテンポが遅く、使うピッチの幅が広くなり、全体のピッチが上がる。
  ――8 私のお気に入り j好きな音楽を好きになる理由

考古学的記録には、人間がいる場所ではどこでも、どの時代にも、途切れることなく音楽が奏でられていた痕跡が残されている。
  ――9 音楽本能 進化のナンバーワン・ヒット

*:日本では「呪われた夜」の名で出ました(→Youtube)。
  この効果をがあるのはスタジオ版だけで、ライブじゃアレンジが違うので確認できません。

【どんな本?】

 激しいリズム、切ないメロディー、ふくよかな音色、甘い歌声。私たちの心を奮わせる音楽もあれば、単純すぎてつまらない曲もあるし、苦痛にしか感じない歌もある。巧くなくても楽しい歌声もあれば、きれいだけどそれだけの演奏もある。音楽の何が私たちに訴えかけるのか。なぜ気持ちを揺さぶる曲と、そうでない曲があるのか。

 MITで電気工学を、バークリー音楽大学で音楽を学んだ後、バントマンからレコード・プロデューサーやエンジニアとしてサンタナやグレイトフル・デッドを手がけ、再び大学に戻って認知心理学者・神経科学者となった異色の経歴を持つ著者が著す、科学的探究心と音楽への愛が溢れた一般向け科学・音楽解説書。

 なお、出てくる曲は童謡・クラシック・ジャズ・ロックと多岐にわたるが、ロックは60年代~70年代の曲が中心。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は This is Your Brain on Music, by Daniel J. Levitin, 2006。日本語版は2010年3月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約332頁。9ポイント45字×19行×332頁=約283,860字、400字詰め原稿用紙で約710枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくないが、先に書いたように、出てくる曲は60年代~70年代の作品が多いので、その辺に詳しいと更に楽しめる反面、頭の中で曲が鳴りだしてなかなか先に進めないかも。

【構成は?】

 「はじめに」と「1 音楽とは何か?」は、最初に読もう。この本の基礎になる部分だ。以降は比較的に独立しているので、拾い読みしてもいい。

 はじめに 音楽が好きで科学も好き
1 音楽とは何か? 音高から音質まで
2 足で拍子をとる 明敏なリズム、音の大きさ、ハーモニー
3 幕の向うで 音楽とマインドマシン
4 先を読む リスト(とリュダクリス)の音楽に期待するもの
5 名前を知っているなら電話番号は自分で調べて 音楽をどうカテゴリー化するのか
6 デザートが済んでも、クリックはまだ四つ先の席にいた 音楽、感情、そして爬虫類脳
7 何が音楽家を育てるか? 専門技術を分析する
8 私のお気に入り j好きな音楽を好きになる理由
9 音楽本能 進化のナンバーワン・ヒット
 謝辞
 補説A 音楽を聴く脳
 補説B 和音(コード)とハーモニー
 訳者あとがき/参考文献/人名索引/事項索引

【感想は?】

 著者の好みが私ととても似ていて、それが親しめるような読むのに邪魔なような。

 最初の引用の「呪われた夜」にしても、ベースのランディ・メイズナーの妙技やギターのドン・フェルダーの独特のクセ、多重録音を駆使した贅沢なアレンジと、それを見事に融合させたプロデューサーのビル・シムジクの職人芸とか、余計な事を書きたくてしょうがない。

 業界の中にいた人だけあって、ゴシップのネタもある。中でもジョニ・ミッチェルの話は絶品で、デヴィッド・クロスビーのおおらか過ぎるプロデュースには変に納得したし、ジャコ・パストリアスの話は「うん、ジャコだ」と笑ったり。確かにプレイ最高・人間最低と言われるジャコだけの事はあるw

 聞き手としてはポリスがお好きなようで、特にスティングのプレイについては何回か出てくる。スティーヴィー・ワンダーのスーパースティション(迷信)や、ローリング・ストーンズのホンキートンク・ウィメンの解説は、それだけで曲の印象が変わりそうなぐらいに新しい視点を与えてくれる。つか迷信、スティーヴィーがドラム叩いてたのか。全く知らなんだ。

 などの下世話な話ももちろん面白いが、当然ながら学問的な話もある。

 最初は音楽理論で、12音階・リズム・音色などの解説で始まる。元エンジニアのためか音色には拘る人らしく、楽器によって音色が違う理由とかは、とても面白い。

 楽器の構造でクラリネットは奇数倍の倍音が多く、トランペットは偶数も奇数も同じぐらいとか、多くの楽器でアタック(音の出始め)は整数でない倍音が多く、続く定常部では楽器らしい倍音構成になるとか、それぞれの楽器には色んなクセがあって、それがバラエティ豊かな音楽を生みだす隠し味になっているわけだ。

 ここでは同じ楽器でも音程によって音色が違う例としてスティングの裏声を挙げているが、日本人としては中森明菜を押したい。低音部でガサついた声が、高くなるに従い澄んでゆく変化は、天性の才だと思う。

 こういったレコーディング・エンジニアの経歴が活きたネタが多いのが本作の特徴で、ヘヴィメタルで重視される「音圧」の正体や、ダンス・ミュージックに大事な「グルーヴ」の話も楽しい。前に南アフリカの流行歌を漁ったとき、ヒップホップ系でもドラムは生ってのが多かったが、ちゃんと意味があったんだ。

 などに加えて、神経科学の話ももちろん多い。実はコッチの話は少し難しい。というのも、ヒトが音楽を認識するプロセス自体がとても複雑だからだ。

 MADなどで音声を編集した経験があればわかると思うが、音楽の記録形態そのものはとても単純だ。一定の間隔で、瞬間瞬間の音の値を記録しているだけ。ヒトも耳は少し違い、それぞれの周波数を捕らえる有毛細胞がセンサーとなる。

 スライド・ギターでスライドをネック側からボディ側へ動かせば、音は高くなってゆく。音程が変われば周波数も変わり、音を捕らえる有毛細胞も次々と変わってゆくはずなのに、ヒトは同じ楽器の音が続いていると認識する。落ち着いて考えるとこれは不思議な話で、バラバラのセンサーから入った信号を、一つの塊として認識できる。

 だけでなく、異なる楽器で同じ音程の音を出した時も、ヒトは「違う音だな」と分かったりする。どうもヒトの脳ミソは、音を認識するプロセスで、トップダウンとボトムアップを巧く組み合わせているらしい。この性質を巧く裏切ってみせたのが、イーグルスの「呪われた夜」なわけ。

 記憶についても、楽しい話が出てくる。コンピュータで画像を記録するには、大きく分けて二つの方法がある。ビットマップと、ベクトルだ。Photoshop や Paint で使うのはビットマップで、拡大するとジャギーが目立つ。対して Illustrator の EPS や HTML の SVG はベクトルで、拡大してもジャギーは出ない。

 ビットマップは絶対値を集めた形で、ベクトルはパターンを集めたもの、と言えるだろう。では、ヒトの記憶はどっちなんだろう?

 たいていの人は、絶対音感がない、つまり音のヘルツ数まではわからない。でも、歌のリズムやメロディは覚えている。だけでなく、歌手の歌い方のクセまで真似する人も多い。鼻歌を歌うと、元の曲のキーとは少し違ったキーで歌う。とすると、変化のパターンだけを憶えているように思える。

 が、ちゃんと調べると、元歌のキーに近いキーで歌うし、テンポも5%前後の誤差で再現できたりする。流石にドラマーはもっと精度が高いそうだが。つまり、パターンも絶対値も憶えているわけだ。

 にしても。最近は画像認識技術が進んできて、モノの輪郭を抽出するなんてのも出来るようになったが、昔は絶対値からパターンに変換するってのは、凄まじくマシンパワーを食う演算処理だった。ヒトってのは、これを一瞬のうちにやってしまうわけで、凄い機構を持ってるよなあ、と思ったり。

 その秘密は並列処理にあるんだけど、これのキーとなっているのが、爬虫類脳こと小脳と、哺乳類ならではの前頭葉が密接に協力してるっぽかったり、わかっているようでよくわからない。

 最後に、この著者ならではの楽しい宿題を。「ロックンロールについて知るのに大切なことすべてを含んだ六曲を選べ、ただしエルヴィス・プレスリーは別格なので除く」。

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2016年3月27日 (日)

ニック・ハーカウェイ「エンジェルメイカー」ハヤカワポケットミステリ 黒原敏行訳

その原理は、たとえ知っている人でも理解できず、理解できる人は知ることが許されない。

「いつも数が問題なの。わたしたちは数に対する特別な能力を持って生まれる。視力を持って生まれるようの。わかる? わたしたちは魔法使いの種族なのよ」

「おれには分別があった。その結果こんなことになった。だからもうおれは分別を捨てた」

【どんな本?】

 イギリスの新鋭作家、ニック・ハーカウェイの長編第二作。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」ベストSF2015海外篇14位。

 手作りの古い機械の修理や、ちょっとした調整を請け負って暮らすジョーことジョシュア・ジョゼフ・スポーク。彼の父マシューは大物ギャングで、祖父ダニエルは時計職人だった。父の影を避け祖父のように地道に生きるつもりだったジョーだが、友人のビリーが持ち込んだ奇妙な機械がきっかけで、世界規模の陰謀に巻き込まれ…

 アクション・ロマンス・ピカレスク・SFなどの要素を混ぜ込んで炊き上げた、長編娯楽冒険小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ANGELMAKER, by Nick Harkaway, 2012。日本語版は2015年6月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約709頁に加え、杉江松恋の解説6頁。9ポイント24字×17行×2段×709頁=約578,544字、400字詰め原稿用紙で約1,447枚。文庫本なら三冊分の大ボリューム。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。一応SFっぽい理屈とガジェットも出てくるが、ハッキリ言ってテキトーなハッタリなので、真面目に考え込まないように。暗号解読関連など色々と細かいネタも出てくるが、たいていは本文中に訳注がついているので全く心配ない。

 敢えて言えば、舞台の多くがロンドンなので、ロンドンに詳しいとより楽しめるかも。それと、終盤の重要なアイテムがトミーガン(トンプソン短機関銃、→Wikipedia)。拳銃弾をバラ撒く銃で、近距離の敵をなぎ倒すのに向く反面、命中精度はお察し。ギャングご用達で有名。

 ちなみに、表紙の虫は蝿じゃなくて蜜蜂です。

【どんな話?】

 ロンドンで古い機械の修理などで暮らすジョー。ギャングだった父マシューのコネで、時おり怪しげな仕事も舞い込むが、日ごろは静かで孤独な生活をしている。

 その日、奇妙な二人組みが現れた。デブのカマーバンドと、チビのティットホイッスル。聞きおぼえのない博物館が、機会職人だった祖父ダニエルの遺品を預かりたい、と。続けて、宗教者らしき黒い衣を被った男が現れ、『ハコーテの書』を探している、という。そんな物に心当たりはないんだが。

 ところが、友人のビリー・フレンドが持ち込んだブツが…

【感想は?】

 雰囲気はテレビスペシャルのルパン三世。

 作品名にもなっているガジェットのエンジェルメイカーを巡る、陰謀と冒険とアクションの娯楽物語だ。肝心のエンジェルメイカーがSFと言えばSFだが、その理屈はルパン三世なみなので、深く考えてはいけない。

 なんたって、第二次世界大戦の遺物だし。いや正確には少し違うんだが。「鉄人28号かよ」と突っ込みながら、そういうテイストを楽しもう。

 とはいえ、こういった昔のシロモノはソレナリに味があるもので。なんたって、得体の知れないなんぞを使っていない所がいい。全部、歯車やカムやゼンマイなどのアナログなメカなのだ。だから、中身を見れば動作原理がだいたいわかる…わかる人には。もっとも、歯車がアナログかと言われると、ちと難しいけど。

 イギリスで第二次世界大戦で機械とくれば、当然ながら出てきますブレッチリー・パーク。しかもエイダ・ラヴレイスなんて名前もヒョッコリ登場し、好きな人ならニヤリとする所。

 このラブレイスが、これまた無茶な、でも厨二心をそそる仕掛けで。目的を落ち着いて考えると明らかに向かない環境なんだけど、秘密基地ってだけでもワクワクする上に、それが轟然と移動していくんだからたまらない。一体、何を考えてるんだw

 イギリスの冒険小説とくれば、やっぱり出てきますスパイ大作戦。ところが出てくるのは007みたいな色男じゃなく…いやある意味色男なんだがw このお方が演じる、宿命のライバルとの死闘が、これまた実に懐かしい味で。

 そして、懐かしの冒険物語に欠かせない、もう一つの大技も、ちゃんと出てくる。像の軍団を率いるインドの王様だ。この王様のキャラが、これまたインド人もビックリな性格付けで。いやホント、インド人が読んだらどう思うんだろう。まあ、アレだ、現実のインドの事はスッパリ忘れて、子供の頃に心に描いた「インドの王様」をイメージして読もう。

 やはり007に欠かせないのが、天才科学者と奇妙な発明品。肝心のエンジェルメイカー自体も天才科学者の作品だが、この科学者のキャラも楽しい。なんというか、作り始めたら止まらないというか、テーマが面白ければ目的はどうでもいいみたいな、技術屋の困った性質をタップリ持ち合わせていて。やっぱりマッド・サイエンティストはこうでなきゃw

 とは言うものの、エンジニアの魂に触れる台詞もチョコチョコあったり。ラスキン主義者の言う「優れた工芸品こそが人間の内なる神聖さと関係している」とかも、心に染みるでしょ、技術で食ってる人なら。「優れたコードこそが人間の内なる神聖さと関係している」と思いませんか、そこのプログラマ。「いやコードよりデータ構造だよね」? うん、それも真実。

 風景としては先の王様のインドも楽しいが、この物語の舞台はロンドン。となれば、やはり出てきます地下社会。なんたって古い都市だけに、何がどうなってるのか誰も知らない。ところが蛇の道は蛇で。これについては色んな作家が色んな風景を描いてるけど、この人のは微妙に華やかだったり。ああいうのは、暗いほうが似合うよなあ。

 イギリス流の饒舌なのか、序盤から奇妙な逸話もてんこもり。最初の靴下の話もいいが、私は葬儀屋の適正試験の話が好きだなあ。ええ、当然、ブラックな風味が満点です。なんちゅう事をするんだw

 長い物語だけに、登場人物は多い。それぞれに背景と物語を背負った人物たちが、終盤で次第に集ってくるあたり、まさしく娯楽物語の王道でグングンと盛り上がってくる。それまで典型的な巻き込まれ型主人公だったジョーが、追いつめられて開き直ったのも加え、「いけいけゴーゴー」な気分に←古いな

 そう、全般的にガジェットや雰囲気が古いというか、レトロなのだ。お色気場面もあるんで少年向きとはいい難いが、感触はマイティジャックとかサンダーバードとか、昔の子供向け特撮アクションTV番組に近い。ノスタルジックな空気を漂わせた、英国流の荒唐無稽な娯楽冒険物語。難しく考えず、気楽に読もう。

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2016年3月22日 (火)

ドミニク・ラピエール「歓喜の街カルカッタ 上・下」河出文庫 長谷泰訳 2

「三十年も石のカーリーばかりを拝んできたが、こんど拝むのは、骨も肉もあるカーリーだ」

「娘はわたしのものじゃない。結婚の日までは、神からの借り物で、あとは将来の夫になる男性のもんだよ」

「わたしの鈴だ、とってくれ」と、彼はいって、最後に一度だけ、鈴をかじ棒にぶつけて鳴らした。「厄除けのお守りだよ」

【どんな本?】

 ドミニク・ラピエール「歓喜の街カルカッタ 上・下」河出文庫 長谷泰訳 1 から続く。

 インド屈指の大都市であり、ベンガル地方の州都でもあるカルカッタ(現コルカタ)には、インドのあらゆる地域から人が集う。その一画に、スラム街アーナンド・ナガル(歓喜の街)がある。

 歓喜の街に居をすえたフランス人の若きカトリック司祭ポール・ランベールの目を通し、出稼ぎのリクシャーワラ,チャイ屋の主人,ハンセン氏病患者,去勢者,「森の人」,建築作業員,工場で働く児童,マフィアのボスとその手先,辛抱強く働く女性たちなど、スラムの人々の暮らしと、インドの隠された社会と仕組みを描く、衝撃のノンフィクション。

【フランス人司祭ポール・ランベール】

 ハザリ・パルはベンガルの農民であり、彼の視点描くのは「普通のインド人が見た大都会カルカッタ」だ。それに対し、西洋人の視点で見たインドを描くのが、フランス人の若き司祭ポール・ランベールのパート。

 キリスト教は、時々びっくりするほど奉仕の心に溢れた人を生みだす。マザー・テレサが有名だが、この本のもう一人の主人公ポール・ランベールも、異常とすら思える奉仕精神の塊だ。

 なにせ、「最も貧しい者と起居を共にする」ために、よりによってカルカッタ最悪の土地に居を据える。便所は共同で二時間まち。多少なりともインドを知っている人ならお馴染みだが、大きい方でも紙なんか使わない。部屋の前には下水溝があるんだが、屎尿汲取人のストライキで…

 部屋の中でも安心はできない。歓迎しかねる客が次々とやってくる。蚊やゴキブリなんざ可愛いもので、百足・蠍・蜥蜴・ネズミ・南京虫などがひっきりなしにやってくる。

 それでも敢えて踏みとどまるポール君、「起居だけでなく食事も住民と同じものを」などと殊勝な事を考えたのが運のつき。このくだりは、インドを貧乏旅行した事のある人なら「無茶しやがって」とニンマリする所。こういう「あるある」ネタは煙草の吸い方やホテルのしこいボーイなど随所にあって、それだけでも飽きない。

 どんな国や地域でも、その土地の人と仲良くなるには、言葉を覚えなきゃ話にならない。ロクに辞書もない環境で、古文書解読のような苦労をしてヒンディー語とベンガル語を覚えた彼は、ちょっとした医療行為で英雄に祭り上げられ、組織立った奉仕活動へと歩み始める。そこでアンケートを取った結果…

まっ先にあがった要求は、夜間学校をつくることだった。一日じゅう地区の工場や商店やティー・ショップで働く子供たちが、読み書きを学べる学校である。

 そう、スラムじゃ子供も働いている。まずは物乞いだが、これは体の一部が欠けているなどハッキリした障害がある方が有利だ。ゴミ集積場を漁る仕事は、競争が激しい。そこでゴミ収集車の運転手と組み、自分たちの縄張りに近いところにゴミを落としてもらう。蒸気機関車の運転手に賄賂を渡し、石炭を分けてもらう事もある。

 こういった「仕事」を描く部分では、一見混沌に見えるインドの社会が、実は極めてシステマチックにネットワーク化されている事がわかる。といっても、ネットワークを流れるのは情報と賄賂なんだが。

【宗教】

 ポール君の宗教は、もちろんカトリックだ。壁にキリストの肖像を張り、朝晩に拝む。宗教熱心なのはインド人も負けちゃ居ない。向かいのチャイ屋はヒンディーで、「オーム」と祈りの声を上げる。これにポール君が影響されていくあたりが楽しい。郷に入っては郷に従えだ。クリスチャンでも柔軟な人はいるのだ。彼を受け入れるヒンドゥー側も大らかなもんで。

その神大系のなかにイエス・キリストも、ブッダやマハーヴィーラやマホメットと同じ資格でいるものと考えている。こういう預言者たちもことごとく、いっさいを超越する偉大な神の権化なのである。

 と、ある意味、八百万の神を祀る日本人に感覚は近い。ただしインドの方が遥かに熱心だが。

 仏教徒も出てくるが、どうやらチベット人らしい。日本人の感覚だと「いやチベット仏教は別物だし」と思うのだが、これはチベット仏教側から見たら「日本の仏教こそ別物」なんだろうなあ。

【別格】

 細かくカーストが分かれているので有名なインドだが、そこからすらはみ出る者もいて、こういった人々の暮らしは余程インドに詳しくないとわからない。この本では、ハンセン氏病患者・去勢者・「森の人」などが出てくる。

 かつて日本でもハンセン氏病患者を隔離したように、インドでも激しい差別がある。罹患した者はカーストを追われ、家を叩き出される。既に治療法が確立しているのだが、長く定着してしまったしきたちはなかなか消えない。著者は後もインドのハンセン氏病患者のため尽力するのだが、それは別の話。

 はじきだされた者も、彼らなりに集団を作って互いに助け合う。その一人アヌアルの縁談のエピソードは、めでたいようなちがうような。

 やはりインドで独特の地位にあるのが、ヒジラこと去勢者。元男性だが、去勢して第三の性となった人々。彼?らも集団をなして暮らしている。単に集まっているだけでなく、国中に彼らなりのネットワークが張られ、互いに助け合う体制が出来ているのも驚きだ。差別される者どおし、昔から助け合ってきたんだろうか。

 厳しいカースト制度の中で差別される彼らだが、彼らを必要とする状況もあって。こういった部分を読むと、カースト制度にもそれなりに利点があるのかな、などと危険な考えを抱いてしまう。

 「森の人」、アーディーヴァーシー。一万年~二万年前、最初にインドに住み着いた人の末裔。ジャングルに住み、その中で畑を耕し、森の恵みを活用して生きてきた。だが地主に追われ、小屋に火をかけられ、流れ流れてアーナンド・ナガルにたどり着く。こういった、近代化・産業化に追われる人が、この本には何度も出てくる。

 国家として産業化を推し進めるのはいいが、それによって職ばかりか家まで失う人が大量に出てしまう。明治日本の近代化は、そういった人々を工場で吸収したのはいいが、労働環境は劣悪だった。発展途上国では、相変わらず似たような事が起きている。

 産業化による成功は歴史に残るが、その影で使い潰された人は滅多に歴史に残らない。目立つ物ばかりに注目してしまうヒトの性を、いい加減自覚して歴史を書いてもいいんじゃなかろか。

【児童労働】

 児童労働の場面も多々あるが、微笑ましい場面もある。その一つが、定食屋マクシムを営む回教徒のナーセル親父。従業員10人中、5人は13歳に満たないスラムの子供で、月給10ルピー(約250円)に賄いつきで、朝の7時から真夜中までコキ使う。と書くと酷い因業親父のようだが…

 うち三人は精神薄弱者で、道路で乞食をしていたのを親父が拾い、店に住み込ませた。他の二人は「目の見えない者と片目の者」だ。

 厚遇とは言えないが、ちゃんと一人前の労働者として扱っているのだ。たいした旦那である。おまけにマルクス主義的共産党の地区細胞責任者というから、ワケがわからない。イスラム教の共産党って、アリなのか? 

【儀式】

 ヒンドゥー教でもイスラム教でも、インドじゃお祭りは派手に祝う。その中で「ラーマーヤナ」(→Wikipedia)の舞台が演じられる場面は、かなりワクワクする。スラムの者が総出で舞台を演じるのだ。「たいていの者は本文をひと通り暗記している」にも関わらず、何度も見た場面で泣き、笑う。

 こういう国民的な叙事詩があるってのは、ちと羨ましい。日本だと…桃太郎は尺が短すぎるし、源氏物語は子供向きじゃないし、平家物語は暗い。何かいいのないかなあ。

 などの集団的な儀式もあれば、個人的な儀式もある。出産祝い、結婚式、葬式だ。出産祝いは比較的に控えめだが、葬式と結婚式は大変だ。それでも葬式は突然やってくるためか、インドにしちゃ大人しい方だが、結婚式は人生を賭けた大勝負となる。いやホント、マジで。

 上巻の最初から重いボディブローを打たれるようなカルチャー・ショックが溢れるこの本で、いい加減こっちも慣れたと思った終盤にきて、主人公ハザリが大勝負に出る場面じゃ完全にノックアウトされてしまう。なんというか、命の意味が全く違うのだ、私とハザリじゃ。

 因習と言えばそれまでだが、一人の男の生き様として、ここまで突き詰めた者は、やっぱり尊敬に値するし、それはそれで幸福なのかもしれない。これはもう、小ざかしい理屈でどうにかなるモンじゃない。

 などとモヤモヤした後に来る大騒ぎのエンディングでは、ひたすら唖然とするばかり。やはりインドは理解しがたい。

【最後に】

 貧しさ・無知・搾取・争いなど醜い部分もあれば、食うや食わずの者たちが互いに気遣いあい助け合う場面も多々出てくる。混沌に見えて実は合理的なシステムもあれば、隅々まで腐敗にやられ麻痺した制度もある。インドの底知れなさが分かるだけでなく、そこに生きる人のナマの人間性を剥きだしにし、衝撃が連続する迫真の傑作ノンフィクションだ。

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2016年3月21日 (月)

ドミニク・ラピエール「歓喜の街カルカッタ 上・下」河出文庫 長谷泰訳 1

今日では、およそ七万人以上の住人がサッカー競技場のほぼ三倍の広さの場所に密集し、およそ一万世帯が宗教別、地区別にわかれて暮らしている。

「あなたがた西洋の方は、気まぐれでそうなさっても、ずっと尊敬をうけておれます。皮膚の色が白いのですから」

あくる朝目をさますと、腕や、脚や、背中や、背筋がそりゃもう痛くて、起きあがるのもひと苦労なんだ。まえに友達のラーム・チャンダーもいってはいたが、どれほどたくましい農民の血をひいていようと、ひとは一朝一夕、馬同然の人間になれるもんじゃない。

【どんな本?】

 ラリー・コリンズとコンビを組み、第二次世界大戦中のパリ解放を描いた「パリは燃えているか?」・第一次中東戦争のエルサレム包囲を再現した「おおエルサレム!」,そしてインド独立を扱った「今夜、自由を」と傑作ドキュメントを連発したジャーナリストであるドミニク・ラピエールが、コンビを解消し単独で発表した世紀の傑作ノンフィクション。後に「シティ・オブ・ジョイ」の名で映画にもなった。

 インドの東部にある大都会カルカッタ(現コルカタ)に、それはあった。スラム街、アーナンド・ナガル(歓喜の街)。電気・ガスはもちろん水道もない狭苦しい場所に、ヒンドゥー教徒・スィク教徒・回教徒・ジャイナ教徒・キリスト教徒・仏教徒など七万人の貧民が暮らす街。

 フランス人の若き司祭ポール・ランベールは、己の使命として貧しき者と共に生きるため、ここにやってきた。西ベンガルの農民ハザリ・パルは、続く不作で飢えた家族を養うため、出稼ぎでカルカッタに向かい、ここにたどり着く。そしてアメリカ人の富豪の息子で医師のマックス・レーブは、ポール・ランベールに誘われて歓喜の街へと向かう。

 この世の極限の貧しさと最悪の搾取、その中で時には助け合い時には争って必死に生き抜く人々。混沌の大都会カルカッタだから成立する奇想天外のビジネスの数々。八百万の神々への深い信仰に彩られたインド人の暮らし。細かいカースト制度に隠された不思議な階層の人々。そして押し寄せる産業化で激動する彼らの生活基盤。

 混沌の国インドの中でも、最も多種多様な人々が集う極貧の街アーナンド・ナガルを舞台に、そこで逞しく生きる人々の姿を怒涛の迫力で描いた、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La Cité de la joie / The City of Joy, Dominique Larierre, 1985。日本語版は1987年に河出書房新社より単行本で発行。私が読んだのは1992年5月7日に初版発行の河出文庫版。ただ残念な事に、今は手に入れるのが難しい。古本屋で探してもいいが、当時はそれなりに売れた本なので、図書館で借りる方が簡単だと思う。

 文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約261頁+271頁=約532頁に加え、訳者あとがき11頁。8ポイント43字×20行×(261頁+271頁)=約457,520字、400字詰め原稿用紙で約1,144枚。文庫本の上下巻としては標準的な分量。

 文書は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、なにせ舞台がインド、それも混沌の大都会カルカッタだ。この物語のヒーローであるハザリが駆るリクシャにしても、現代日本の観光地にある綺麗で清潔でお洒落な人力車とはワケが違う(Google画像検索)。多少なりとも生のインドを知っていると、迫力が数段増す。

【構成は?】

 時系列順に物語形式で進むので、素直に頭から読もう。

  上巻
 作者ノート
Ⅰ 彼らこそ、世の光
Ⅱ 馬のような人間と火の車
  下巻
Ⅱ 馬のような人間と火の車(つづき)
Ⅲ わが愛しのカルカッタ
 エピローグ
 訳者あとがき

【感想は?】

 世の中に数あるインド物の中でも、これは文句なしに最高傑作。

 日本で有名なインド物といえば、藤原新也の「インド放浪」,蔵前仁一の「ゴーゴー・インド」,石井光太の「物乞う仏陀」などがあるが、所詮は旅人の旅行記だ。だが、これは違う。そこに暮らす人の視点で描く、インドの縮図なのだ。

 主人公は、西ベンガルの貧しい農民、ハザリ・パル。相次ぐ不作と重なる借金で暮らしが成り立たず、妻と三人の子を連れて大都会カルカッタに出稼ぎに出る。と書けば簡単だが、彼が旅立ちを決意するまでの経緯が、分かる人には「おお、いかにもインド」なエピソードに満ちている。

 一つの小屋に老いた両親と妻と三人の子、そして二人の弟夫婦の合わせて17人が暮らす。今の日本の大家族でも、流石に17人は滅多におるまい。家の壁にはカラフルなポスターがいっぱい。ったって、映画スターじゃない。伝説の英雄ラーマとその妻シーター,繁栄の女神ラクシュミー,幸運の神ガネーシャ…。そう、神話の神々だ。いやあ、インドだなあ。

 信仰深い人々なだけに、あらゆる所作に細かい規約がある。食事は清浄な右手で取り、排便の後は不浄な左手で洗う。排便にも作法があって、決まった時間に決まった場所で行なわねばならない。それも男と女で異なり…

 彼らが追いつめられる過程も、学者風に言えば「富農が地主になり小農が小作になるありがちな現象」なんだが、いちいちエピソードを具体的に描くので、実感として肌に迫ってくる。少ない土地で多くの口を養わにゃならんのに、天候は不規則なので、不作が何年か続けばたちまち食い詰める。

 そこを借金で食いつなぐのだが、「年利六割」なんて暴利だ。いかにグラミン銀行(→Wikipedia)が画期的か、よくわかる。しかも高利貸しは土地を担保に取る。加えて、農機具の鋤や水を汲むポンプもレンタル料を取られ、肥料や殺虫剤も買わにゃならん。

 それだけの出費をしても、雨が降らなきゃ全部がパーだし、降りすぎて洪水になってもオジャンだ。暖かいベンガルなので収穫は年に二回あるが、半年間も無収入で食いつなげる者は少なかろう。そんなわけで、農業ってのは生きていくだけでギャンブルであり、余裕のない者から先に落ちぶれていく。農業社会ってのは、ほっとけば階層化しちまうのだ。

 じゃ都市生活はというと、これがまたインドは過酷な競争社会であると共に、既得利権を掴んだ者が怪しげな商売を営む百鬼夜行の魔窟だったり。

 次々と出てくる職業を挙げるだけでも、インドの複雑さがよく分かる。不自由な身体で稼ぐ物乞い。ゴミ捨て場でお宝を漁る子供たちも、複雑なルールに従っている。蒸気機関車の石炭をくすねる者。地を売る者。チャイ屋。占い師。楽師。安煙草ビーリーを巻く者。デモ要員。

 加えて、あらゆる職業に救巣くう仲介屋、賄賂を取る警官と役人と看護師、ミカジメ料を吸い上げるマフィア。表の職業は長くインドに留まっていれば自然とわかるが、こういった裏の面は相当にインドに食い込まないとわからない。後に出ハザリはリクシャワラ(人力車夫)となるが、彼らの業界構造も剥きだしの資本主義と搾取構造で成り立っている。

 そう、タテマエじゃインドは社会主義だが、その実情は情け容赦のない弱肉強食の競争社会だったり。

 にも関わらず、底抜けにお人よしな人もいたりするのが、こういう土地の不思議なところ。ハザリも、親切な人に何度も助けられてリクシャワラの職に就き、路上生活からアーナンド・ナガルへと辿り着く。そう、インドじゃる上生活も珍しくないのだ。リクシャワラの中にはリクシャで寝起きする者だっている。

 そんなリクシャワラの暮らしも過酷だ。リクシャは借り物で、持ち主に借り賃を払わにゃならん。道路じゃバスや自動車に邪魔者扱いされ、警官には難癖つけられ袖の下を巻き上げられる。

 裸足で走るので、うっかり割れたビンを踏んだら商売道具の足が駄目になる。夏は気温が40℃を超えるカルカッタでは溶けたアスファルトが素足を痛めつける。多くのリクシャワラは若かくして骨と皮ばかりの白髪となり、血を吐いて命が擦り切れてしまう。洪水ともなれば自動車は動かず稼ぎ時だが、ひとつ間違うと…

 そんなインドのスラムなんだから、さぞかし物騒なデンジャーゾーンなのかと思えば、まあ危険といえば確かに危険だが、危険の種類がいささか違う。そこの敵は、フランス人の若き司祭ポール・ランベールの目を通して描かれるのだが、これまた泣いていいのか笑っていいのか。ヒトてのは、悲惨さも限度を越えると笑いに変わるらしい。

 と、その辺は、次の記事で。どうも私はドミニク・ラピエールの作品を扱うと我を忘れてしまう。それだけ興奮に満ちた作品なんだと思ってください。

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2016年3月17日 (木)

小川哲「ユートロニカのこちら側」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「俺たちはより優れた選手になるために、ラジコンになることを自分で選んだんだ。単なるラジコンは、自分がラジコンになることを選べるか?」
  ――第一章 リップ・ヴァン・ウィンクル

変化はその顔が見えないまま、そっと忍びこんできている。
  ――第五章 ブリンカー

【どんな本?】

 2015年の第3回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作を、加筆修正したもの。

 舞台は近未来のアメリカ、サンフランシスコにできた特別提携地区、アガスティアリゾート。マイン社が開発したこの街は、多くの話題を呼ぶ。そこに移り住んだ者は、全ての視覚データ・聴覚データをマイン社に提供する代償として、充分な収入を得る。この壮大な実験は、リゾートの住民に限らず、その周囲に住む者や、社会全体へと影響を及ぼし…

 一人ひとりの人間の目を通してユートピアを描き、ヒトの本性へと迫るSF連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年11月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約311頁に加え、第三回ハヤカワSFコンテスト選評7頁。9ポイント43字×17行×311頁=約227,341字、400字詰め原稿用紙で約569枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。SFとしての仕掛けは、アガスティアリゾートぐらいだ。

 ここに住む者は、視覚データ・聴覚データを、全てマイン社に提供する。つまりプライバシーがなくなり、生活の全てがマイン社に筒抜けになる。このデータを元にマイン社は様々な情報ビジネスを展開すると共に、アガスティアリゾートの住み心地をよくするのにも使う。一種の監視社会だ。

【どんな話?】

 シカゴに住むジェシカは、アガスティアリゾートに憧れている。33年も住んでいた街だし、シカゴにはまずまず満足しているが、リゾートについて調べれば調べるほど想いは募ってゆく。こんなに夢中になったのは、学生時代に夫のジョンに恋をした時以来だ。厳しい倍率を潜り抜け、夫婦は移住資格を得て…

【感想は?】

 一種のユートピア物。テーマは「自由」かな?

 これを読んで思い浮かべたのは、SFよりノンフィクション作品だ。一つはローレンス・レッシグの「CODE Version 2.0」、もう一つはB・F・スキナーの「自由と尊厳を超えて」。いずれも訳が山形浩生なんだが、たぶん偶然じゃない。

 というのも。この作品は連作短編の形を取っていて、その間に短い断章を挟む。最後の断章は「本のあとがき」の形を取っていて、これが山形浩生の「訳者あとがき」のスタイルそのままなのだ、思わず笑ってしまうほど。扱っているテーマも、「CODE Version 2.0」と「自由と尊厳を超えて」にとても近い。

 「CODE Version 2.0」は、監視社会の到来を憂える本だ。かつてコンピュータとインターネットは市民の自由を広げると思われていたが、逆に政府が市民を監視しやすくなっちゃった、ヤバくね? と警告する。

 警察に追われる犯人の立場で考えよう。現金はアシがつかないが、クレジット・カードはアシがつく。携帯電話を使えばGPSで居所がバレる。街角には監視カメラが置かれている。便利で安全になっているけど、同時に当局による監視も厳しくなった。

 この小説のアガスティアリゾートは、何を見て何を聞いたかまで筒抜けだ。究極の監視社会に近い、。それだけに犯罪も少ないし、人々は安心して暮らせる。なんたって、働かなくてもいいってのが←をい。 ただ、その住民となるには、よく分からない条件があって…

 「自由と尊厳を超えて」は、行動心理学者のB・F・スキナーが、自分の思想を書いた本だ。ヒトは環境に応じて行動を変える。なら、「よい行い」をするように環境を作ろう、そうすれば世の中は良くなる。倫理や道徳を説くより、よっぽど手軽で効果があるよ、そんな主張だ。

 実際、道に街燈をつけて明るくすれば犯罪は減るわけで、確かに効果はある。が、ホンマにそれでいいんかいな、みたいな割り切れない気分も残る。だいたい、環境に応じて行動が決まるなんて、まるで動物じゃないか。俺達はパブロフの犬じゃねえ、ヒトには自由意志ってモンがあってだなあ…

 先走りすぎた。道に街燈をつけるぐらいなら、多くの人が歓迎するだろう。だが、この小説の世界では、学生の進路にまでコンピュータが口出しする。といっても、別に強制するわけじゃない。ただ、「あなたの望みを叶えるには、この道が最善です」と示唆するだけだ。

 素直にコンピュータの指示通りに動けば、より幸福になれるだろう。しかし、いわれた通りに動くのなら、家畜と何が違う?そこに人間の自由意志はあるのか? 

 SF小説では、コリイ・ドクトロウの「リトル・ブラザー」が近いが、だいぶ雰囲気は違う。「リトル・ブラザー」は、ハッキリと敵が見えていたし、「このままじゃマズい」と考える人もいた。敵と味方がクッキリと別れていたのだが、この作品では、ウヤムヤのうちに取り込まれてゆく。そもそも、相手に敵意がないのがタチが悪い。

 加えて、リゾートの設定が巧い。世の中全体が管理社会になるのではなく、このお話では、選ばれた者だけが住むリゾートだけが監視社会となる。ただ、「選ばれた」といっても、エリートが選ばれるのではなく、その選考基準がよく分からないのが、小説としての巧い工夫。しかも、途中で居住資格を失い、たたき出される事もあって…

 連作短編の形を取っていて、各短編の登場人物は少しづつ重なっている。印象に残るのは、サンフランシスコ市警の熱血刑事スティーヴンソンと、アガスティアリゾートの犯罪予防群所属のアダム・ライル。

 ベテラン刑事に相応しく、不規則な勤務で恋人の機嫌を害しながらも、手がけた事件にはのめり込み、また最近のデジタル捜査には馴染めず現場に足を運ばなきゃ気が済まない職人気質のスティーヴンソン。対するアダム・ライルは絵に描いたような「マニュアル人間の最近の若造」で、見事に融通が利かない。

 特にライル君のトンチンカンぶりは見事で、「これだから最近の若者は」と思うオジサンも多いんじゃないだろうか。本人はいたって真面目なんだが、彼が喋ると、どうしても笑ってしまう。

 個人の問題として描かれたアガスティアリゾートと、そこで試行される制度は、やがて世間に大きな反響を巻き起こし、波紋が別の効果を生み出して…

 ここに描かれるのは希望なのか、絶望なのか。アガスティアリゾートはユートピアなのか、ディストピアなのか。その答えは人により違うだろう。私は…えっと、そうだな、住民になれるのならユートピアで、選考に漏れるならディストピアだなあ。←それでいいのか

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2016年3月16日 (水)

アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 下」白水社 平賀秀明訳 2

フォン・ルントシュテット元帥は、敵方の「アーヘン突出部」を粉砕するという限定的攻撃を念頭に、そのための準備を完璧に終えていた。だが、アントワープに向けた大攻勢なんて、およそ現実離れした話だと分かっていた。(略)
連合軍がこの作戦をまるでかれの発案のように「ルントシュテット攻勢」と呼んでいることをのちに知り、元帥閣下は怒りを滾らせることになる。
  ――第43章 アルデンヌとアテネ 1944年11月~1945年1月

やがて「大和」はゆっくりと横転を始め、爆発。「矢矧」およびその他の駆逐艦とともに、海へと沈んだ。この大がかりな出撃は、近代戦の歴史のなかでも最も無意味なもののひとつに数えられている。しかもそれにより、数千人の海軍将兵がその命を奪われたのである。
  ――第45章 フィリピン、硫黄島、沖縄、東京大空襲 1944年11月~1945年6月

驚くべきは、シュパンナー教授とその一派が裁判に一度もかけられなかったという事実である。人間の死体を加工処理する行為を、犯罪として定義する法律そのものが、この世に存在しなかったためである。
  ――第46章 ヤルタ、ドレスデン、ケーニヒスベルク 1945年2月~4月

ロシアの古い言い回し 「勝者は裁かれない」
  ――第49章 死者たちの街 1945年5月~8月

「アジア=太平洋戦争において広範囲に見られる日本兵の人肉食は、個人もしくは小グループが極限の状況下でたまたま犯した行為以上のものだった。各種の証言は、人肉食が制度化され、組織的に実行された軍事戦略だったことを示唆している」
  ――第50章 原爆投下と日本平定 1945年5月~9月

 アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 下」白水社 平賀秀明訳 1 から続く。

【終戦後に明らかになった醜聞】

 最も有名な醜聞は、ドイツが作った強制収容所だろう。

 東部戦線では、赤軍の進撃があまりに早いため、ナチス親衛隊は証拠隠滅の暇もなかったので、幾つかの収容所がほぼ手付かずでソ連に見つかっている。これを知ったスターリンは、当然ながら政治宣伝に利用する。外国人記者を招き、取材させるのだ。その最につけた条件が、なかなかいやらしい。

受けた受難をありようを報じる際、ユダヤ人を特別扱いするような言説は、厳に禁じるということである。「マイダネク」の犠牲者はただ、ソ連市民、ポーランド市民とだけ形容された。

 まあ、嘘じゃないけどね。

 ただし、多少なりとも時間に余裕があった場合は悲惨な事になる。最大の証拠である収容者を銃殺するのだ。バレちゃヤバいと思ってるなら、最初からやるなよ。これだから報道の自由は大事なんだよなあ。マスコミに言いふらされるとわかってたら、絶滅収容所なんか作らないでしょ。

 なかには「ダンツィヒ解剖医学研究所」みたく死体を「皮革や石鹸にかえる実験」なんて、何の意味があるんだ?

 これは帝国陸軍も負けちゃいない。有名な731部隊(→Wikipedia)の話も出てきて、オチが切ない。米軍にデータを引き渡す代わりに、関係者が免責されるのだ。

 冒頭の引用にあるように、日本軍は人肉食もあった。しかも、組織的に。犠牲になったのは、地元民や捕虜、そして人肉食を拒む友軍兵士。しかも…

太平洋戦争で亡くなった兵士の家族が真相を知った場合、あまりに大きな動揺を与えるため、連合軍としても表沙汰にしづらく、結局、人肉食については1946年の東京裁判で訴因として取り上げられることは一度もなかった。

 と、敢えて伏せている。素直に降伏して捕虜になりゃ、敵の補給線を圧迫できるのに←そういうこっちゃねえだろ

【無意味な殺し合い】

 終戦が目に見えている、または終戦がわかっているのに、戦闘が続いている場面は、本当に読んでいて悲しくなる。第四次中東戦争のように、体戦時の前線が交渉で意味を持つならともかく、何の意味もない戦闘で将兵が死んでいくのだ。

 とはいえ、中には、それもまた信念と思えるケースもあって、例えば包囲されたベルリンにフランス人が救援に来ている。曰く、

ベルリン官庁街を守る上で最も粘り強く戦ったのは、北欧およびフランスの出身者からなる武装親衛隊所属の二個外国人分遣隊だった。

 とある。どの国にも、全体主義が好きな人はいて、そういう人にはナチズムがウケるんだろう。これについては、ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」が、とても面白い。極論すると、脳がそうなっているらしい。他のソースによると、遺伝の影響も強いとか。

 まあいい。無意味な殺し合いに戻ろう。読んでいて悲しくなるのは、ベルリン陥落後の描写だ。西側連合軍がいるエルベ川に向け、第九軍らが逃げるのに対し、コーネフ配下の部隊が襲い掛かる。なぜ赤軍が戦う必要がある? もう勝利は決まっているじゃないか。ベルリンをジューコフに取られた腹いせか?

 これは帝国陸海軍も同じで。大和の特攻を、著者は「最も無意味なもののひとつ」と切って捨てる。大井篤も「海上護衛戦」で「馬鹿野郎」と癇癪を起こしている。やはり悲しいのが、玉音放送の後に、「一部のパイロットは最後の『玉砕』任務に飛び立っていった」こと。

 そして、最悪なのが、宮城事件(→Wikipedia)だ。玉音放送の前夜、陸軍の一部の将校がクーデターを企て、敗戦受諾を阻止しようとしている。これ以上、戦争を続けてどうなるんだ?

【戦後への影響】

 敗戦後の日本では多くの国民が飢えた。もともと多くの食糧を輸入に頼っていたが、軍が徴用した商船がボカスカ沈められたので輸送力が無くなった上に、凶作も災いした。加えて、国際的な食糧不足でもあったようだ。この食糧不足は、日本が自ら招いた結果なのが情けない。というのも…

日本軍による挑発や、あるいは農作業の妨害により、東南アジア、蘭領東インド(現インドネシア)、フィリピンの各地ではすでに飢餓が発生していた。かれらの略奪で農業は混乱に陥り、次の作付け用の種籾もほとんど残らぬほどだった。地域の一大穀倉地帯だったビルマは、戦争が終わるころには自分の口を賄うのがやっとという水準まで収穫量を減らしていた。

インドシナ北部では、状況はさらに過酷だった。農民はコメではなく、ジュートの栽培を強制され、しかもあらゆる船舶を日本側が押さえたため、南部のコメを持ってくることさえできなかった。

 …そりゃ、共産化するよなあ。どこが大東亜共栄圏だよ。

 しかも、共産化を手伝ったのはベトナムだけじゃない。一発逆転を狙った一号作戦(大陸打通作戦,→Wikipedia)だが、これは国民党軍に大きな打撃となった結果、

共産党は国民党軍の敗北をむしろ奇貨として、その部隊を南下させ、国民党軍が放棄せざるを得なかった地域をわがものとしていた。

 おまけに、ソ連による満州侵攻後、日本軍が置いていった武器・弾薬は、共産党軍が手に入れる。これが後の国共内戦で活躍するわけだ。大日本帝国が、中国の共産化を手伝った形になっている。なんだかなあ。

 内戦に陥ったのは中国だけじゃなく、ギリシアやユーゴスラヴィアも内戦へと突入する。東欧崩壊後もユーゴスラヴィアは内戦になったが、つまりは第二次世界大戦後の内戦が再開しただけなのかも。

【スターリン・ジョーク】

スターリン「ローマ教皇はいったい何個師団を持っているのかね」

 これはスターリンがヴァチカンを恐れたという話になっているが、実態は全く違うらしい。スターリンはポーランドを手に入れるつもりだった。チャーチルがそれを止めようとして、ヴァチカンの逆鱗に触れるそ、と脅したのに対し、先のように答え…

スターリンは自分がいま何個師団を持っているのか、いったいどれほどの土地を押さえているのかを誇示してみせたのだ。

 信じるものは力だけ、というスターリンの冷徹なまでにリアリスティックな性格がよく出ている。

【原爆】

 原爆について、トルーマンの思惑を、こう推測している。本土決戦を避ける他に、「ソ連に対する脅しの効果」もあった、と。まあ、順当な推測だろうなあ。

【おわりに】

 他にも、戦争神経症の話とか、ビルを制圧するには上の階からとか、ジューコフのサーチライトは失敗だよねとか、読み所は幾らでもある。一つの艦隊に二桁の空母が属してたり、今じゃ想像もつかない贅沢振りだ。ただ、戦場になった土地に住む民間人の話が、ロシア西部や東欧は沢山出てくるのに対し、アジアの人の声が無いのは不満。

 とまれ、戦争とはどういうものかを知るのに、優れた本であることに変わりはない。特に下巻は読みどころ満載なので、多くの人に読んで欲しい。戦争ってのは、単なる殺し合いってだけじゃなく、戦場になった土地に住む無関係の人まで殺しまくるものなのだ。

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2016年3月15日 (火)

アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 下」白水社 平賀秀明訳 1

ムッソリーニは1930年代に途方もない予算を投じ、「ポンティノ湿原」の水抜きをおこない、「第一次世界大戦」の復員軍人10万人を入植させ、この干拓地を一大穀倉地帯に見事変貌させたのである。マラリアを広める現況だった蚊もほぼ根絶させた。
  ――第35章 イタリア 硬い下腹 1943年10月~1944年3月

日本側の攻撃は、自殺願望でもあるのかと思うほど、ひどく律儀で几帳面だった。なにしろかれらは同じ地点を、同じ時間に攻撃してくるのだ。
  ――第37章 太平洋、中国、ビルマ 1944年

 ミンスクでは、復讐は容赦なく実行された。特に“ヒヴィ”として「ドイツ国防軍」の走狗となった元赤軍兵士は、ひとり残らずその対象とされた。白ロシアではじつに人口の1/4が殺害されており、当然ながら、私的制裁に走るものもいた。
  ――第39章 バグラチオンとノルマンディー 1944年6月~8月

日本軍の戦死者174万人のうち、10人に6人は病死もしくは餓死だったと推計されている。外国人に対する日本軍の戦争犯罪がどれほどの規模だったかはともかくとして、大本営の参謀たちは、まずは自国の兵士に対しておこなった犯罪行為によって、当然糾弾されるべきであろう。
  ――第41章 「一号作戦」とレイテ攻勢 1944年7月~11月

 アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 中」白水社 平賀秀明訳 から続く。

【構成は?】

 上中下全体の構成は、上巻を参照。

  • 凡例
  • 第35章 イタリア 硬い下腹 1943年10月~1944年3月
  • 第36章 ソ連の春季攻勢 1944年1月~4月
  • 第37章 太平洋、中国、ビルマ 1944年
  • 第38章 期待の春 1944年5月~6月
  • 第39章 バグラチオンとノルマンディー 1944年6月~8月
  • 第40章 ベルリン、ワルシャワ、パリ 1944年7月~10月
  • 第41章 「一号作戦」とレイテ攻勢 1944年7月~11月
  • 第42章 しぼむ終戦期待 1944年9月~12月
  • 第43章 アルデンヌとアテネ 1944年11月~1945年1月
  • 第44章 ヴィスワ川からオーデル川まで 1945年1月~2月
  • 第45章 フィリピン、硫黄島、沖縄、東京大空襲 1944年11月~1945年6月
  • 第46章 ヤルタ、ドレスデン、ケーニヒスベルク 1945年2月~4月
  • 第47章 エルベ河畔のアメリカ軍 1945年2月~4月
  • 第48章 ベルリン作戦 1945年4月~5月
  • 第49章 死者たちの街 1945年5月~8月
  • 第50章 原爆投下と日本平定 1945年5月~9月
  •  謝辞/訳者あとがき
  •  地図一覧/口絵写真一覧(クレジット)/略号一覧
  •  主要人名索引

【全体の印象】

 思った通り、読むのが辛い最終巻だ。日本にとっては負け戦ってのもあるが、他にも辛い点が多い。大きくわけて、次の5点だろうか。

  • 略奪・強姦・虐殺などの残酷場面。
  • 政治と軍事のジレンマ。戦後情勢を睨むか、早く戦争を終わらせるか。
  • 卑劣な権力者の姿。
  • 戦後に明らかになった醜聞。
  • 終戦直前の無意味な殺し合い。

 他にも読むのが苦しい要素が沢山あるが、それでも読む価値は高い本だと思う。特に下巻は問題提起が山盛りなので、これ一冊だけでも是非読んで欲しい。山ほどの宿題を出された気分になる。そう考えると、巻末に参考書籍の一覧がないのが少し残念。

【残酷場面】

 どの場面でも、ひたすら人が死にまくる。ちょっと有名なイベントを並べてみよう。

 どれもこれも、人が死にまくる話ばかりで、それぞれが文庫本5冊分ぐらいの本が書けるだけの大戦闘だし、背景にあるドラマはひどく切ないものがかりだ。しかも、インパール作戦とかは明らかに無謀な作戦で、ツケ上がった軍上層部の妄想のお陰で前線の将兵が犠牲になるんだから泣きたくなる。

 こういった戦場の話に加え、その周囲でも虐殺が起きるんだから嫌になる。進軍した赤軍が、占領地で最初にやるのは、対独協力者狩りだ。一見もっともなようだが、何せ戦争中である。悠長に裁判なんざやってるヒマはない。

 敵の捕虜になった者は殺す。敵に徴集され働いていた者も殺す。敵の軍服を奪い着込んでいた兵も殺す。ワルシャワ蜂起で独軍に戦いを挑んだ者も、共産党政権のライバルになるから殺す。民間人でも、敵に食糧などを与えた者は殺す。

 西側だって、ドレスデン空襲や東京大空襲(→Wikipedia)に代表される戦略爆撃で殺しまくる。

 なぜ戦略爆撃かというと、橋や工場などの小さな目標に当てられるほどの爆撃精度がないので、あたり一体を火の海にするしかないからだ。ノルマンディー上陸の前にも、予備攻撃として周囲の都市に爆弾の雨を降らせている。お陰で撤退するドイツ軍に、潜んで待ち伏せするのに恰好の瓦礫の山を進呈する羽目になった。

【軍事 vs 政治】

 などの地獄を散々に見せられながらも、政治家は違ったことを考えている。

 スターリンは犠牲を厭わず赤軍に先を急がせ、赤軍の被害を更に大きくする。加えて、アメリカから供与されたトラックを使い、チェチェン人とクリミア半島のタタール人をウズベキスタンへ強制移住させ、その多くを飢え死にさせている。戦後の反乱分子を一掃するためだ。

 チャーチルとアイゼンハワーの対立は、もっと微妙だ。

 チャーチルはソ連を警戒し、西部戦線で出来るかぎり連合軍を前進させると共に、バルカン半島にも上陸させたがっていた。ウーゴスラヴィアなどをソ連から奪うと共に、ポーランドを取り戻すためだ。一度掴んだ物を、スターリンは決して手放さないだろう。今から戦後の情勢を振り返れば、これは理に適っているように思える。

 だがアイゼンハワーの考えは違った。彼は出来るかぎり早く戦争を終わらせたがっていた。バルカン半島にまで戦線を広げれば、それだけ戦争は長びき、連合軍の将兵の犠牲も増える。多くの将兵の命を預かる軍の司令官として、とても良心的で責任感に溢れる判断だと思う。

 そんなわけで、私にはどっちがいいのか決められない。

【卑劣な権力者】

 敗戦が明らかになったとき、死守を命じた権力者たちはどうしたか?

 ハインリヒ・ヒムラーは土壇場でズラかる。ヒトラーは国民を巻き添えにすると決める。その取り巻きは酒と食糧で女性を釣り、ドンチャン騒ぎにふける。

 東プロイセンの大管区指導者の任にあったオットー・コッホは、野戦憲兵隊を組織して市民を狩りだし「国民突撃隊」に徴兵し、出鱈目な塹壕堀りを命じて国防軍の築陣を邪魔し、また女性や子供の避難まで妨害しておいて、自分は「早々と脱出し、すでに家族を安全な場所に避難させ」ていた。

 帝国海軍は、台湾沖航空戦(→Wikipedia)の敗北を、国民はおろか陸軍にすら伝えなかった。自分たちの面子を守るためだ。自分の面子のためなら将兵の命どころか国家すら犠牲にしても構わないのが、当時の誇り高き帝国軍人ってわけだ。

こういった卑劣さの裏にあるのは、地位や権力を失う事への恐れ以上に、もっとしょうもない気持ちがあるんじゃないかと私は考えている。凄い単純な事で、つ まりは「自分の間違いを認めたくない」って気持ちだ。間違いを認めようとしないヒトの傾向は、もっと深く研究する価値があると思う。とりあえず、参考図書にキャサリン・メルデールの「まちがっている」を挙げる。

 東欧で第三帝国の支配下にあった国でも、赤軍の侵攻を前にして恐ろしい場面が展開する。ハンガリーでは、ナチの親衛隊と組んだサーラシ・フェレンツを筆頭とするファシスト組織「矢十字党」は…

「ユダヤ人問題」の最終的解決に自力で決然と取り組むようになっていた。「矢十字党」の悪名高き活動家、クン・アンドレアス神父は、「神の御名において、撃て!」と命じ、500人の(ユダヤ人)殺害にみずから手を染めたことをのちのち認めている。

 敗戦を目の前にして、こんな事に何の意味があるんだか。これと似た風景は、この本の中じゃドイツが撤退するほぼ全ての国で繰り広げられている。もうこれは戦争の勝利とかは何の関係もなく、単に殺したいから殺したとしか思えない凶行だ。

 もっとも、全てのハンガリー人が虐殺をてがけたわけじゃなく、矢十字党のメンバーにも脱出に力を貸したアラ・ジェレジアン博士などもいる。日本だとユダヤ人救出は杉原千畝が有名だが、ハンガリーでは他にも多くの例が出てくる。

 スウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグは「数万通の『保護証書』を発行」した。同様にスイスの外交官カール・ルッツ,ポルトガルの外交官カルロス・ブランキーニョ,国際赤十字,ローマ教皇庁大使,エルサルバドル大使館,ニカラグア大使館,スペイン大使館…

【続く】

 すんません。熱くなってダラダラと書きすぎました。次の記事で終わる予定です、はい。

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2016年3月13日 (日)

アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 中」白水社 平賀秀明訳

 主要国の対立軸が、「英米ソ」対「独日」という形で整理される以前、ドイツ相手の戦争と、日本相手の戦争は、それぞれ別個の軍事衝突として進行していた。
  ――第18章 戦火は世界に 1941年12月~1942年1月

ボリシェヴィキ嫌いのコサックたちは、ドイツ軍を当初歓迎したけれど、そうした善意は恥知らずなほど踏みにじられてしまった。「地元民にとって、われわれはつまり、解放者としてやってきたわけだ」とドイツのある上等兵は苦々しい調子で書いている。「かれらのなけなしの種トウモロコシ、野菜、食用油、その他もろもろを“解放”する人間として」
  ――第22章 「ブラウ(青)作戦」 ふたたびソ連を攻める 1942年5月~8月

戦略的意味から言えば、太平洋戦争の趨勢を実際に変えたのは「ミッドウェー海戦」であろうが、二つの島(トゥラギとガダルカナル)をめぐるこの戦いは、太平洋戦域の戦争に、心理的転換点をもたらしたのである。
  ――第23章 太平洋の反撃 1942年7月~1943年1月

 ドイツ食料省を預かり、国民の食の問題をもっぱら主管するヘルベルト・バッケに対しては、「飢餓計画」の総元締めとして、3000万人にのぼるソ連国民を飢え死にさせることが求められた。
  ――第28章 ドイツ占領下の諸相 1942年~1943年

 新たに確保されたほとんどすべての島で最優先におこなわれたのは飛行場の設営だった。
  ――第30章 太平洋、中国、ビルマ 1943年3月~12月

肝心なのは、つねい相手より素早く動き、先駆けて高地を占領することだと、イギリス側はそうした教訓を学ばずに終わったが、山岳戦では結局、地形の高低差がすべてを決するのだった。
  ――第32章 シチリア島からイタリア本土へ 1943年5月~9月

「フェルドマンはたったひとりで死ななければならなかった。1943年の春に、かれ以外のユダヤ人はひとりも生存していなかったから」
  ――第33章 ウクライナと「テヘラン会議」 1943年9月~12月

  アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 上」白水社 平賀秀明訳 から続く。

【「読みやすさ」を訂正】

 先の記事で「第二次世界大戦の経緯を大まかに掴むには適した本」と書いたが、ちと訂正。ズブの素人には少し不親切だ。

 あの戦いには、幾つか有名な場面がある。上巻で扱う年代だと、ノモンハン戦争(→Wikipedia)・ダンケルクの戦い(→Wikipedia)・冬戦争(→Wikipedia)などだ。ところが、この本では、こういった有名な場面について、ハッキリと名前をつけた章を立てていない。文中にはノモンハンの名が出てくるのだが、見出しにはなっていない。

 戦争には様々な局面があり、その局面どおしは綺麗に分かれているわけじゃない。例えばダンケルクの撤退がいつ始まりいつ終わったのかは、人により意見が分かれるだろう。ハッキリと「ココからココまで」と線を引けるもんじゃない。そう考えれば、歴史家の書いた本としては誠実な態度ともいえる。

 とはいえ、第二次世界大戦ほど大きな事件ともなれば、一気に全体像を掴むのは難しい。幾つかの場面に区切って名前をつけ、それの繋がりとして見たほうが、素人には親切だろう。そんなわけで、有名な場面や事件には、小見出しをつけるなどの工夫があれば、素人には親切だったなあ、と思う。

 名前がついていれば、Wikipedia で調べるなり、他の人に聞くなり、他の本を読んで掘り下げるなりもできるし。そう考えると、ズブの素人には少し敷居が高く、入門書には向かない本だ。Wikipedia などで全体像を掴んだ人が更に細かく調べるか、逆に個々の場面に詳しい人が全体像を整理するか、そんな位置づけの本だろう。

【構成】

 上中下全体の構成は、前の記事を参照。

  • 凡例
  • 第17章 中国とフィリピン 1941年11月~1942年4月
  • 第18章 戦火は世界に 1941年12月~1942年1月
  • 第19章 「ヴァンゼー会議」と死の収容所 1941年7月~1943年1月
  • 第20章 日本軍の占領と「ミッドウェー海戦」 1942年2月~6月
  • 第21章 砂漠戦の敗北 1942年3月~9月
  • 第22章 「ブラウ(青)作戦」 ふたたびソ連を攻める 1942年5月~8月
  • 第23章 太平洋の反撃 1942年7月~1943年1月
  • 第24章 スターリングラード 1942年8月~9月
  • 第25章 「エル・アラメインの戦い」と「トーチ作戦」 1942年10月~11月
  • 第26章 南ロシアとチュニジア 1942年11月~1943年2月
  • 第27章 カサブランカ、ハリコフ、チュニス 1942年12月~1943年3月
  • 第28章 ドイツ占領下の諸相 1942年~1943年
  • 第29章 「大西洋の戦い」と「戦略爆撃」 1942年~1943年
  • 第30章 太平洋、中国、ビルマ 1943年3月~12月
  • 第31章 「クルクスの戦い」 1943年4月~8月
  • 第32章 シチリア島からイタリア本土へ 1943年5月~9月
  • 第33章 ウクライナと「テヘラン会議」 1943年9月~12月
  • 第34章 ガスによる「ショア(大量虐殺)」 1942年~1944年
  •  略号一覧

【お話の流れ】

 上巻はドイツの怒涛の快進撃で始まり、真珠湾の鮮やかな奇襲で終わった。この中巻では枢軸側の勢いが翳りを見せ、ミッドウェー海戦とスターリングラードを境に引き潮へと向かう。

 今までの第二次世界大戦物だと、この頃の記述は北アフリカとイタリアが中心の作品が多い。それに対し、ソ連崩壊の作品だけあって、東部戦線の様子が詳しくわかるのが、この作品の特徴のひとつ。

 また、大日本帝国の戦いでは、太平洋と中国を並行して描き、政略・腺略的な面での両者の関わりがわかること、また蒋介石の思惑も比較的に詳しく書いている。反面、スターリンについては多くの筆を割いているのに対し、毛沢東についてはおぼろげにしか掴めない。これは、資料が手に入りにくいためか、たいして働いていないためか。

【人の評価】

 淡々と事実を書くのではなく、有名な人については著者なりの評価をしていて、結構厳しい。

 スターリンは欲深で猜疑心の固まり、チャーチルは意志強固だが余計な口出しが多すぎ、ヒトラーは冷酷非情な理想主義者、ローズヴェルトは賢いがスターリンに対してはお人よし。意外なのが蒋介石で、苦労人に描かれている。注目の大日本帝国の人については、単に事実を書くだけに留まっているのが残念。

 中巻から下巻にかけて、散々にコキおろされるのがバーナード・モントゴメリー。登場していきなり「うぬぼれが強く、野心家で、他人には容赦がなく、時に限度を超えて滑稽にさえ思えるほど自己評価の高い」とええトコなし。この後も大口を叩くが優柔不断と、酷いいわれようだ。他著者の本でもモンティの評価はアレなんで、イギリス人にも好かれてない模様。

【東部戦線】

 スターリングラードについて、既に著者は「スターリングラード 運命の攻囲戦 1942~1943」で詳しく書いている。開けた土地での戦いに長けたドイツ軍を、ゴチャゴチャした都市スターリングラードに釘付けし、その間に戦力増強に努め、ドイツが疲れ果てた所で一気にひっくり返す、「天王星作戦」だ。

 この後、包囲されたパウルスと第六軍への空中補給を安請け合いするゲーリングの姿は、いわゆる現場の仕事をしている人なら、身近な憎たらしい誰かをつい思い浮かべてしまう場面。あなたの周りにもいませんか、ボスの前じゃ大見得切るくせに、納期が迫ると決して約束を果たさない奴。

 同時に氷付けのレニングラードの様子もアッサリと「なにしろ100万人近い人間が命を落とした」と攻囲戦の恐ろしさを感じさせる。

【大日本帝国関係】

 同じ頃、ガダルカナルは三万六千の兵員中「一万五千人は飢餓」で亡くなっている。こういう補給軽視の体質は今後も祟りまくるんだが、それの指摘が少ないのは、ちと手緩い。

 とまれ、日本人全体に対しては…

日本人は、同じく帝国主義者であるイギリス人には、ある種の敬意をもって接したが、他のアジア人種、なかんずく中国人に対しては、敬意の欠片も見せなかった。

 と、なかなかに手厳しい。また、従軍慰安婦についても、「日本国政府の最上層部の明確な承認があったはず」と断罪している。

 とまれ、占領地の政策に関しては、ドイツ軍による抑圧と虐殺を細かく描いているのに対し、帝国陸海軍の占領地についての記述はほとんどない。おそらく資料の多寡や取材のしやすさなどが違うためだろうが、も少し埋める努力が欲しいところ。

【情報戦】

 北アフリカ戦線を決したのは補給であり、補給を決したのは暗号、と感じるのがエル・アラメイン。なにせドイツ軍の暗号は筒抜けで、地中海を渡りロンメルに物資を運ぶ輸送船は潜水艦と爆撃機でバカスカ沈められる。

 ここでもエル・アラメインの功労者はモンティじゃないとくり返してるあたりが意地悪いw

補給線を容赦なく叩いたイギリス「陸軍砲兵隊」と「砂漠空軍」、ならびに枢軸側の地中海における生命線を寸断したイギリス海軍および連合軍の航空部隊の名を挙げるのが、より適切であろう。

【群集心理】

 エグい場面が多い本だが、最も怖かったのは全く違う所。東部戦線で第六軍が壊滅した後、危機感を感じたナチ党はベルリンのスポーツ宮殿で大衆集会を開く。ゲッペルス宣伝省の手腕は冴え渡り、彼の「諸君、総力戦を望むか?」の声に一斉に立ち上がって応える。怖いのは、取材で訪れた「ナチズムを心底嫌う記者」まで…

自分もその場の空気に呑まれて、思わず立ち上がってしまい、「ヤー(はい、望みます)!」と唱和しないよう自制するのがやっとだった

 と言っている点。こういった、周囲のノリに飲まれる気分は、私もロック・コンサートなどで何度も味わっていて、とっても気持ちがいいんだよなあ。コンサートならグッズに浪費するぐらいで済むけど、政治や宗教が絡むと恐ろしい事になる。

 こういうのは、幼いうちにデパートの屋上で特撮ヒーローショーに歓声をあげたり、若いうちにヘビメタのコンサートでヘッドバングしたりして免疫つけとくのが無難だと思うんだけど、あなたどう思います?

【小説ネタ】

 第二次世界大戦は欧米の小説じゃ定番のネタで、この本を読みながら「お、これは」と思う記述がアチコチにあるのも嬉しい所。

 イギリスから北極海をわたりソ連に向かう冬の補給船団で、船に氷がこびりつき斧で氷を引き剥がす場面は、「女王陛下のユリシーズ号」を思い出す。また、強制収容所の看守がウクライナ人って所では、「ザ・ストレイン 暗黒のメルトダウン」の某人物を思い浮かべたり。

【新兵器】

 戦線が膠着した第一次世界大戦と違い、第二次世界大戦では大きく戦場が動く。これはやはり戦車の威力が大きく、次いで航空機の発達も強い印象を残す。特に太平洋の戦いでは、空母が目玉になる。地味ながらも目立つのが、軍ヲタはアハト・アハト(→Wikipedia)と呼ぶ八八ミリ対戦車砲で、戦車殺しとして大活躍する。

【おわりに】

 終盤は虐殺の話が延々と続くので、どんどん気分が暗くなる巻だが、この後は更に酷い場面が待ってるんだよなあ、などとビビりながら次の記事に続きます。

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2016年3月 9日 (水)

アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 上」白水社 平賀秀明訳

ヒトラーは国民の最悪の本能に訴えることに見事に成功した。すなわち、憤怒の感情、他者への不寛容、傲岸不遜、そしてなかでもいちばん危険な人種的優越感である。
  ――はしがき

南京の虐殺事件や、その他の地域で数え切れないほど繰り広げられた残虐行為の効果はじつに絶大だった。戦争が始まる前、日本どころか、自分たちが住む当の中国さえ、国家として認識していなかった砂のごとき民衆のあいだに、想像を絶するほどの愛国的激情をつくりだしたのだから。
  ――第4章 龍と旭日 1937年~1940年

後年、「電撃戦戦略」と掲揚されるグデーリアンの大躍進だったが、その実態を見ると、それは当初から考え抜かれた“戦略”というより、かなりの部分、その場その場で下した、即興演奏的決断の集積のように思われる。
  ――第6章 西部戦線異常あり 1940年5月

ウクライナ人、白ロシア人、ロシア人の若い女性がかり集められ、(ドイツ)軍の慰安所に強制的に入れられたのだ。
  ――第13章 人種戦争 1941年6月~9月

【どんな本?】

 「ノルマンディ上陸作戦」や「スターリングラード」など、あの戦いを再現する優れた作品を送り出した著者が、ついに出版した第二次世界大戦の通史。目次でわかるように、ヨーロッパ・北アフリカの情勢を中心としながらも、中国・太平洋にも目を配りつつ、原則として時系列順に話を進める編年体を採用している。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Second World War, by Antony Beevor, 2012。日本語版は2015年6月10日に上巻、2015年7月10日に中巻、2015年8月10日に下巻を発行。単行本ハードカバーで上中下の三巻、縦一段組みでそれぞれ本文約512頁+512頁+485頁=約1,509頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント45字×20行×(512頁+512頁+485頁)=約1,358,100字、400字詰め原稿用紙で約3,396枚。文庫本なら6~7冊分の巨大容量。

 文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくないが、部隊の単位(大きい順に軍・軍団・師団・旅団・連隊・大隊…)や階級(偉い順に将・佐・尉・曹・兵),軍艦の種類(大雑把に大きい順に戦艦・巡洋艦・駆逐艦…)ぐらいを知っていれば、とりあえずは読める。というか、私はその程度しか知らない。

【構成は?】

 原則として時系列順。素直に頭から読んでもいいが、大日本帝国の戦いだけに興味があるなら、そこだけ拾い読みしてもいい。ただ、日ソ不可侵条約やゾルゲなど外交・諜報関係は、欧州戦線の章に書いてあるので、要注意。また、戦場地図が時おり出てくるし、章の最後に出典を書いてあるので、複数の栞を用意しよう。

  •  上巻
  • 凡例/はしがき
  • 第1章 世界大戦の始まり 1939年6月~8月
  • 第2章 「ポーランドに引導を渡す」 1939年9月~12月
  • 第3章 まやかし戦争から電撃戦へ 1939年9月~1940年3月
  • 第4章 龍と旭日 1937年~1940年
  • 第5章 ノルウェーとデンマーク 1940年1月~5月
  • 第6章 西部戦線異常あり 1940年5月
  • 第7章 フランス失陥 1940年5月~6月
  • 第8章 「アシカ作戦」と「英国の戦い」 1940年6月~11月
  • 第9章 広がる波紋 1940年6月~1941年2月
  • 第10章 ヒトラーの「バルカン戦争」 1941年3月~5月
  • 第11章 アフリカと大西洋 1941年2月~6月
  • 第12章 「バルバロッサ作戦」 1941年4月~9月
  • 第13章 人種戦争 1941年6月~9月
  • 第14章 「大同盟」に向けて 1941年6月~12月
  • 第15章 モスクワ攻防戦 1941年9月~12月
  • 第16章 真珠湾 1941年9月~1942年4月
  •  略号一覧
  •  中巻
  • 凡例
  • 第17章 中国とフィリピン 1941年11月~1942年4月
  • 第18章 戦火は世界に 1941年12月~1942年1月
  • 第19章 「ヴァンゼー会議」と死の収容所 1941年7月~1943年1月
  • 第20章 日本軍の占領と「ミッドウェー海戦」 1942年2月~6月
  • 第21章 砂漠戦の敗北 1942年3月~9月
  • 第22章 「ブラウ(青)作戦」 ふたたびソ連を攻める 1942年5月~8月
  • 第23章 太平洋の反撃 1942年7月~1943年1月
  • 第24章 スターリングラード 1942年8月~9月
  • 第25章 「エル・アラメインの戦い」と「トーチ作戦」 1942年10月~11月
  • 第26章 南ロシアとチュニジア 1942年11月~1943年2月
  • 第27章 カサブランカ、ハリコフ、チュニス 1942年12月~1943年3月
  • 第28章 ドイツ占領下の諸相 1942年~1943年
  • 第29章 「大西洋の戦い」と「戦略爆撃」 1942年~1943年
  • 第30章 太平洋、中国、ビルマ 1943年3月~12月
  • 第31章 「クルクスの戦い」 1943年4月~8月
  • 第32章 シチリア島からイタリア本土へ 1943年5月~9月
  • 第33章 ウクライナと「テヘラン会議」 1943年9月~12月
  • 第34章 ガスによる「ショア(大量虐殺)」 1942年~1944年
  •  略号一覧
  •  下巻
  • 凡例
  • 第35章 イタリア 硬い下腹 1943年10月~1944年3月
  • 第36章 ソ連の春季攻勢 1944年1月~4月
  • 第37章 太平洋、中国、ビルマ 1944年
  • 第38章 期待の春 1944年5月~6月
  • 第39章 バグラチオンとノルマンディー 1944年6月~8月
  • 第40章 ベルリン、ワルシャワ、パリ 1944年7月~10月
  • 第41章 「一号作戦」とレイテ攻勢 1944年7月~11月
  • 第42章 しぼむ終戦期待 1944年9月~12月
  • 第43章 アルデンヌとアテネ 1944年11月~1945年1月
  • 第44章 ヴィスワ川からオーデル川まで 1945年1月~2月
  • 第45章 フィリピン、硫黄島、沖縄、東京大空襲 1944年11月~1945年6月
  • 第46章 ヤルタ、ドレスデン、ケーニヒスベルク 1945年2月~4月
  • 第47章 エルベ河畔のアメリカ軍 1945年2月~4月
  • 第48章 ベルリン作戦 1945年4月~5月
  • 第49章 死者たちの街 1945年5月~8月
  • 第50章 原爆投下と日本平定 1945年5月~9月
  •  謝辞/訳者あとがき
  •  地図一覧/口絵写真一覧(クレジット)/略号一覧
  •  主要人名索引

【感想は?】

 今の所は上巻しか読み終えていないので、そこまでの感想を。

 目次を見ればわかるように、欧州戦線の記述が多くを占め、帝国陸海軍が戦った中国・太平洋を描く部分は少ない。中国では泥沼の戦いが続いていたが、正面切って連合軍にメンチ切った真珠湾奇襲が出てくるのは上巻の最後なんだから、しょうがないと言えばしょうがないんだけど。

 とまれ、私が今まで読んだ第二次世界大戦物と大きく違うのは、時系列順の編年体であること。これにより、真珠湾奇襲の時の国際情勢が、切実にわかってくる。

 後知恵で考えれば「なんでドイツなんぞと組んだんだ?」と不思議に思うんだが、当時のドイツ軍はモスクワに向け画期的な快進撃を続けていた。となれば、勝ち馬に乗ろうって発想になるのも当然だろう。残念ながら、ヒトラーの思惑は外れてドイツ軍はロシアの冬を過ごす羽目になるんだけど。

 ただし、それでも疑問は残る。「ドイツとツルむなら、まずソ連を倒すべきじゃね?」と。これについては、日中戦争からノモンハン(→Wikipedia)まで語りおこし、ソ連・国民党・人民解放軍・関東軍そして大本営の思惑を説いてゆく。ソ連にビビる反面、フランスとオランダがコケたんだから、仏蘭の植民地を頂いちまえ、と。天皇についても、結構容赦ない。

 とまれ、政治関係も欧州側の方が記述が細かく、「著者が見る大日本帝国の内部」は見えてこない。その分、蒋介石を中心とした国民党関係が比較的に充実しているので、これはこれで参考になる。当時は色々と錯綜していて、蒋介石の軍事顧問にドイツのハンス・フォン・ゼークトやアレクサンダー・フォン・ハルケンハウゼンがいたり。

 軽く書かれているが、小国フィンランドが大国ソ連に対し見事な抵抗を見せた冬戦争にも少し触れている。今なら「雪原のニンジャ」とでも評されそうな、フィンランドのスキー兵の戦いぶりは鮮やかだが…

 序盤で必死の抵抗を見せたがアッサリと連合軍に裏切られるポーランドは哀れだが、暢気なのはベルギーとオランダ、そしてだらしないフランス、腹黒いイギリスに欲深なソ連と、各国の印象はだいたい予想通り。にしてもフランスは、第一次世界大戦から何も教訓を学んでないのがガックリくる。戦車を小分けにして歩兵部隊に配るとか。

 逆に鮮やかなのがグデーリアンに代表されるドイツの電撃戦。予め入念に考え抜かれた戦術のように思っていたが、先の引用のように、この本では「偶然に出来上がったもの」とし、ギリギリの成功だったらしい。なんたって、「ドイツ空軍が保有する爆弾は、わずか14日間分しかなかった」。なんとも大胆な話だ。どうせゲーリングが大見得切ったんだろうけど。

 危ないにせよ、それが可能だったのは、ドイツ陸軍の性格が大きいんだろう。曰く「訓令戦術」で、「いったん下級将校に仕事を任せれば、あとは各人がそれぞれ最善を尽くすものと信頼する」というもの。目的と目標をハッキリと示し、方法は部下に任せ、権限も委任するわけ。これは第一次世界大戦でも同じだったなあ。

 先の電撃戦に戻るが、実はグデーリアンも冷や汗をかいている。かかせたのはシャルル・ド・ゴール(当時)大佐で、戦車大隊をかき集め、補給拠点を狙う。電撃戦の切っ先である戦車ではなく、その後ろにポッカリ空いた穴を突くのがミソ。残念ながらドイツは機敏に反応し撃退されるが、襲われたグデーリアンは…

この日の一件について、上官の「A軍集団」司令官ルントシュテット上級大将に、いっさい報告しなかった。

 それまでも突出を散々に咎められてたんだから、当然、そうなるよなあ。ダンケルクで本格的な追い討ちをかけなかった原因も、上層部が「ボチボチ占領地を固めよう」的な気分になっていたのと、「手持ちの装甲部隊は相当に劣化し」ていて出来なかったんだよ、みたいな解釈になっている。

 ロンメルの評価もかなり厳しい。砂漠の狐などと狡猾な印象のある人だが、この本では猪突猛進型の目立ちたがり屋みたいに書かれている。

 後半から終盤にかけては、バルカン半島および東部戦線が中心となり、ここでの風景はかなりエグいので要注意。独ソともに冷血ぶりを競う戦いで、ドイツは開戦前から「ソ連市民のうち、飢えによって命を落とすものは3000万人にのぼると推定」どころか、「奴隷として使役するに足るだけの人間が残る」と、最初から民間人の大虐殺を予定しての戦争である。

 対してソ連はソ連で、悪名高い督戦隊はもちろん、ポーランドなど占領地の者に対し、捕虜の虐殺や住民の強制移住に余念がない。今のウクライナじゃウクライナ系とロシア系の対立があるが、ロシア系の多くは、ウクライナ人を一掃した後に移住した人だったりする。

 とまれソ連西部は、戦争前からスターリンの強制移住や集団農場化で多くの人が飢え死にしていたので、ウクライナでは「ドイツ軍の兵士たちを歓迎したのである」。悲しいことに、彼らの希望は…

 などでモスクワへと迫るドイツ軍だが、ここに大日本帝国から吉報が届く。ゾルゲだ。これで極東の軍が使えるってんで、シベリア鉄道が大活躍。「ノモンハンにおけるジューコフ将軍の勝利は、日本の大きな戦略転換にかくも重要な役割りを果たした」とあるから、悔しいったらありゃしない。

 私が慣れたせいもあるが、今までの著作に比べ、イギリス人ンらしい皮肉を効かせる文章も各所に見られる。これは大日本帝国が掲げる大東亜共栄圏の理想と中国戦線の実情を評して…

アジアを“支配”する権利があるという発想は、西洋の暴虐からアジアを救う“解放”戦争であるというかれらの大義と、根本的に矛盾する面があるけれど、日本軍の指揮官は、そのことをあまり気にかけている風ではなかった。

 軍紀と言うよりは歴史書に近い立場で、戦闘の推移も書いてはいるが、それより歴史上の経緯や内政と外交、そして兵の暮らしや民間人の避難の様子が目立つ。大きなテーマを、立体的な視点で再現しようとする野心的な作品だし、第二次世界大戦の経緯を大まかに掴むには適した本だろう…量は多いけど。

 次の記事に続きます。

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2016年3月 6日 (日)

ジェイムズ・L・キャンビアス「ラグランジュ・ミッション」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳

「船が見えたぞ、野郎ども!」

「かつてマグレブの海賊船(コルセール)はヨーロッパのあらゆる王国に貢ぎ物を要求した。それにならうのだ」

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF作家による、近未来のスペースオペラ。舞台は2030年。核融合発電が実用化され、その燃料のヘリウム3は月でレゴリスから採掘・精製し、地球に運び込んでいる。その運搬船を狙う「海賊」もまた、月・地球の軌道上に跳梁跋扈していた…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CORSAIR, by James L. Cambias, 2015。日本語版は2016年2月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約399頁に加え、小飼弾による解説6頁。9ポイント41字×18行×399頁=約294,462字、400字詰め原稿用紙で約737頁。文庫本としてはやや厚め。

 文章は比較的に読みやすい。内要は、難しく感じる人も多いかも。雰囲気は娯楽アクション作品なんだが、肝心のトリックが問題。

 タイトルで分かるように、近未来の月・地球軌道上に海賊が出没する物語なので、マヌーバ(→Wikipedia)など宇宙ロケット関係の用語が説明無しに出てくる。特に終盤のラスボスとの対決は、軌道のトリックや最後の秘策など相当にマニアックなので、例えば「はやぶさ2がなぜ一旦地球近郊に戻ってくるのか」などがピンとくる人でないと、意味が分からないかも。

 また、小飼弾が解説している事からわかるように、コンピュータ関係も色々と出てくるのだが、意外とこちらはあまり分からなくても大丈夫。ソフトウェアよりハードウェア関係の記述が多く、特に無線関係のハードウェアに強いと、また別の味わいがあるんだろうが、別に半田ごてを持っていなくても充分に楽しめるのでご安心を。

 全般として、宇宙開発やロケットが好きなら、中学生でも充分に楽しめると思う。

【どんな話?】

 地球と月の間のラグランジュ点(→Wikipedia)、L1に奴は潜んでいる。今、月から獲物がやってきた。積荷の価値は20億スイスフラン。ヘリウム3を四トン積んだ、日米印合同の運送船だ。

 だが、同じ宙域には番犬も目を光らせていた。合衆国空軍の軌道軍。既に近隣の衛星を洗い出し、奴の船に目星をつけている。

 月の重力井戸を這い上がった運搬船は、この付近で最も速度が落ちる。山道で言えば峠に当たる場所だ。ここを越えれば、後は地球の重力が引っ張ってくれる。ここまで質量を持ち上げるには大金がかかるだけに、推進剤も多くは積めない。そして、ほんのわずかな軌道のズレで、落下地点は大きく変わってしまう。

 獲物を狙う狼と、それを追う番犬。数十億ドルをかけた、秒速数メートルのチェイスが始まる。

【感想は?】

 先に書いたように、ロケット・マニア、それも軌道計算が好きな変態大喜びの作品。

 スペースオペラとは言いつつ、舞台は地球・月軌道だ。なんたって時代が2030年と近未来だし。そんなわけで、あまりド派手な急加速もない。冒頭に出てくる番犬の足も、燃費のいいイオンエンジン(→Wikipedia)と現実的。

 しかも、登場人物の大半が、地球を離れないのが破格。主役の宇宙海賊キャプテン・ブラック様も、その最大の武器はクラッキングで、地球から一歩も外に出ない。全て遠隔操作で衛星を操り、番犬をかわし、獲物を頂戴する。頂戴するったって、落下地点を仲間が回収しやすい海域にズラすだけだ。

 このキャプテン・ブラック様が、これまたしょうもない奴で。スクリプト・キディ上がりのクソガキが大きくなったような、ロクでもない盗人で、ガキの頃からクラッキングの腕を活かして自動車泥棒に勤しみ、段々と仕事を大きくして、ついに宇宙海賊にまでのし上がった男。この自動車泥棒の手口も、初歩的な金庫破りの応用だったり。詳しくは「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を読みましょう。

 のし上がると書けば、それなりに見るべきところがありそうな気もするが、コイツに感情移入できる人は少ないと思う。クラッキングの腕を鼻にかけ、まっとうに仕事をする気は全くなく、「ズルして楽して大儲け」しか考えてない。儲けた後も、リゾート地であぶく銭を浪費するだけで、特に何か大きな目的を持っているわけでもない。

 そのキャプテン・ブラックを追う番犬役のエリザベス・サンティアゴ米国空軍大尉も、これまた強烈なキャラクターで。空軍版の銭型刑事とでも言うか、腕も頭もあるんだが、いささか闘志が過剰で、キャプテン・ブラックを追いかけブチのめしたいって執念に、人生を振り回されちゃってる人。

 食らいついたら離さない、その意地と執念はまさしく番犬そのものなんだが、荒く激しい気性はむしろ虎に近いから楽しい。しかも、終盤で彼女がキャプテン・ブラックを評する所では、かなりの人物眼も持っている事をうかがわせる。

 そんな両者の綱引きで始まった物語は、やがて第三者・第四者が雪崩れ込み、線形解のない複雑な軌道を描き始める。

 序盤から、細かい説明を省きながらも的確な専門用語を連発し、マニアを喜ばせる。例えば積荷のヘリウム3についても、ほとんど説明がない。これは核融合発電の燃料で、Wikipedia の核融合発電:D-3He反応 を参考にしよう。

 ここでDは重水素。普通の水素は陽子一個だけで中性子を持たないが、重水素は陽子一個と中性子一個を持つ。少なくはあるが地上にもそこそこあるので、炉が臨界に達すれば抽出費用は充分にモトが取れる。

 問題は3He ことヘリウム3(→Wikipedia)。普通のヘリウムは陽子二個t中性子二個なんだが、これは中性子が一個少なく、陽子二個と中性子一個かなり、地上にはほとんどない。月のレゴリス(塵)は豊富にヘリウム3を含んでるんで、金をかけてロケットを飛ばし月で採取・精製し地球に運んだ方が、安くあがる可能性が高い。

 肝心のロケットも、地味ながら、よく調べてたり。最初のイオンエンジンもそうだけど、次に出てくる太陽熱インパルス・システムも面白い。これだと酸化剤が要らないんで推進剤が半分で済むし、配管もシンプルで故障しにくいのが美味しいなあ。あまし大きな推力は出ないから、重力井戸の中じゃ使えないけど。

 …ってな細かい話を、一切省いちゃってるあたりが、マニアには嬉しい反面、そうでない人にはとっつきにくいかも。それでも、テキトーに流して読んでいくと、中盤以降はユーモラスは筆致で意外なアクションが楽しめます。

 私が特に笑ったのは、フジツボのビルことビル・ベネディクトが現実に登場する場面。コイツもキャプテン・ブラックの一味だけにしょうもない奴なんだが、その姿の間抜けさは、いかりや長介率いるドリフターズそこのけのアホっぷり。しかも素でやってるからたまんない。

 根がだらしないオッサンを社会から隔離しちゃうと、こうまで救いようのない奴に成り果てちゃうんだろうなあ。

 なお、原題の CORSAIR は、16世紀~18世紀に北アフリカ沿岸を荒らしまわったムスリムの海賊(→Wikipedia)で、カリブの海賊とは少し違う。主にヨーロッパ船を狙ったあたりは私掠船に近いが、時として正規の海軍に近い役割りも担うばかりか、地域の王として君臨した例もある。

 マニア好みな濃いネタをアチコチに仕込みながら、中盤以降はギャグとアクションで楽しく駆け抜ける娯楽作品だ。細かい所に拘ってもいいし、明るく痛快な物語を楽しんでもいい。好きだなあ、こういうの。

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2016年3月 4日 (金)

V・S・ラマチャンドラン「脳の中の天使」角川書店 山下篤子訳

「視力はだいじょうなんです、先生。眼ではなく心がピンボケになっているんです」
  ――第2章 見ることと知ること

言語は、ほかのどんなトピックよりも、学会を二極分化させる傾向が強い。
  ――第6章 片言の力 言語の進化

「…実験を実際にやってみたんです。正常な学生のボランティアを募って」
(略)
「脳に磁気をあてると、学生はにわかに、苦もなく見事なスケッチを描けるようになりました。そのうち一人は、サヴァンのように素数が言えるようになりました」
  ――第8章 アートフル・ブレイン 普遍的法則

【どんな本?】

 存在しない腕が痛む人。数字に色が見える人。母を見知らぬ女性と感じる男。文法は正しいが意味は出鱈目な言葉を紡ぐ人。自分の腕や脚を余計な物と感じる人。幽体離脱。「私は神だ」。病気や事故などにより、時として人は奇妙な症状を示す。その症状の原因は何で、どのようなメカニズムが奇妙な症状を起こすのか。

 カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター所長を務める著者が、ヒトの脳が持つ複雑で不思議な構造と能力を、神経科学の手法で解き明かしながら、言語・芸術・自己認識など人類の様々な知的活動の源泉を、進化論的な観点で位置づけようと試みる、楽しく野心的な一般向け科学解説書・エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Tell-Tale Brain : A Neuroscientist's  Quest for What Makes Us Human, by V. S. Ramachandran, 2011。日本語版は2013年3月22日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約406頁。9ポイント46字×19行×406頁=約354,844字、400字詰め原稿用紙で約888頁。文庫本なら厚めの一冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も難しくない。通して読むと実はかなり専門用語が出てくるんだが、その大半は本書中でしつこくない程度に説明があるので、特に前提知識は要らない。敢えて言えば、私は「セマンティック」に引っかかった。IT用語辞典バイナリによると、「意味」「意味論」みたいな意味らしい…って、ややこしいな。

【構成は?】

 各章はおだやかにつながっているが、話題としては独立しているので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。ただ、最後の第9章は全体の総まとめなので、最後に読もう。

 序
はじめに ただの類人猿ではない
第1章 幻肢と可塑的な脳
第2章 見ることと知ること
第3章 うるさい色とホットな娘 共感覚
第4章 文明をつくったニューロン
第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎
第6章 片言の力 言語の進化
第7章 美と脳 美的感性の誕生
第8章 アートフル・ブレイン 普遍的法則
第9章 魂をもつ類人猿 内観はどのようにして進化したのか
 エピローグ
 謝辞/原注/参考文献

【感想は?】

 神経科学とか脳医学とかは、最近になって急激に進歩していて、とってもエキサイティングなのが伝わってくる。

 似た傾向の本として、マルコ・イアボーニの「ミラーニューロンの発見」やオリヴァー・サックスの「音楽嗜好症」、ダニエル・C・デネットの「解明される宗教」を挙げよう。いずれも、医学と科学と哲学の交点にあって、ワクワクする本だ。

 それぞれが様々なテーマを扱っているが、いずれもテーマの奥に重大な疑問が潜んでいる。「ヒトとは何か」だ。

 これに対し、オリヴァー・サックスは豊富な臨床例を挙げた人間ドラマの側面が強い。マルコ・イアボーニの「ミラーニューロンの発見」は、神経科学を中心とした研究者の視点で書いた本だ。ダニエル・C・デネットの「解明される宗教」は、科学に接近する哲学者が書いている。

 この本の特徴は、医学・科学・哲学いずれの内容もバランスよく含んでいる点だろう。臨床例も多いし、先端的な研究の話もある上に、終盤では「言語とは?」「芸術とは?」「自己認識とは?」などの哲学的な問いにまで話が及ぶ。しかも、それを、あくまで進化論の枠内で説明しようとしているのが独特なところ。

 第1章では、前の著作でも紹介していた不思議な症状、幻肢(→Wikipedia)の例が出てくる。事故などで手足を失った人が、失った手足の痛みを訴える症状だ。これの原因(の仮説)はなかなか込み入っていると同時に、ヒトの脳が持つ能力と機能の複雑さを実感する。

 私たちが小説を読んだり映画を見たりする際、主人公のピンチの場面ではハラハラドキドキするが、同時に「これは作り話だ」とわかってもいる。そんな風に、私達の脳は、何かの刺激に対して常に「これは本当か?」と検証しているし、「なんか嘘くさいな」と判断したら、相応の対応を取り、騙されないようにするわけ。

 この検証する部位が壊れたり、逆に刺激を受け取る部位が壊れたり、または対応が不適切だったりする事で、不思議な症状が現れる。サイバネティックス風に言うと、フィードバックを含む系は予期が難しい挙動を示す、みたいな。これはミラーニューロンの話がわかりやすい。

 人が何かを投げるのを見ると、自分が投げるのと同じパターンの興奮が脳の一部に現れる。これが共感能力の元らしいんだが、これだけだと疑問が残る。同じパターンが出てるのに、同じ動作は現れない。なぜ?

 こういった不思議な現象や症状の謎を解くミステリとしても充分に面白いが、明かされる真相の奇天烈さも楽しい。そもそも科学ってミステリみたいなもんだし。また、SF者としてその応用を考えたりすると、なかなか読み進められないので困るw まあ、そのうちグレッグ・イーガンが美味しく料理してくれるはずだから、ゆっくり待とう←をい

 などの真面目な話もいいいが、クーリッジ効果(→Wikipedia)を巡るギャグなどは、著者のユーモラスな人柄をうかがわせる。簡単に治せるなら、記憶喪失にも利点はあるのだ←おい

 終盤での芸術と言語を巡る話は、かなり哲学の領域に食い込みながら、あくまでも科学者としての視点を堅く守ろうとするあたりが、著者の本領発揮といったところ。女神パールヴァティの像を解説するあたりでは、ちょっと日本のアニメ絵を思い浮かべたり。あの乳袋や大きい目は、モロにピークシフトだよね。

 これに続く「芸術の九つの普遍的法則」は、「上手な絵の描き方」や「面白いお話の作り方」に使えるな、と思ったり。特に私の場合、「知覚の問題解決」の使い方が、救いようなく下手なんだよなあ。たまには怪談でもやって鍛えないと。

 などと、素直に科学啓蒙書として読んでも充分に面白い上に、創作のコツなど意外な方面の実用的なヒントが潜んでいるし、SFやファンタジイのネタを拾い始めるとキリがない。この手の本の中では最もバラエティに富んでいて、その奥にある豊かな知的鉱脈を垣間見せてくれる本だ。

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 そんなわけで、関連図書は山ほどあります。

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2016年3月 3日 (木)

SFマガジン2016年4月号

高橋良平「ジャンルというのは極北の傑作だけではいけないんですよ。小学生のためのジュヴナイルもあれば、中高生がいちばん面白がるライトノベルも、大学生が楽しむフィクションもある。だからSFのすべてを同じ物差しではかることなんてできないんですよ」
  ――「早川書房70周年記念カフェ」トークショー採録 ランキングで振り返るSF出版70年
    高橋良平×塩澤快浩

「これではない別の何か」「ここではない別の何か」を求める気持ちを抱きながらも、不安に戸惑う人々の背中をあと一押しするのは、しばしば「かつては○○だった」という物語(神話、偽史)なのだ。
  ――SFのある文学誌 第45回 ファンタスチカ・ジャポニカ 長山靖生

 376頁。特集は二つ。まず2015年の総まとめの「ベスト・オブ・ベスト2015」は、「このSFが読みたい!2016年版」の上位入賞者7人の読みきり作品を一挙掲載。次いで、なんとデヴィッド・ボウイ追悼特集。ミュージシャンの特集なんて初めてじゃなかろか。

 小説は豪華14本。

 特集2015年「ベスト・オブ・ベスト2015」から7本、円城塔「override」,ケン・リュウ「鳥蘇里羆(ウスリーひぐま)」古沢嘉通訳,牧野修「電波の武者」,パオロ・バチガルピ「熱帯夜」中原尚哉訳,谷甲州「スティクニー備蓄基地」,グレッグ・イーガン「七色覚」山岸真訳,倉田タカシ「二本の足で」。

 デヴィッド・ボウイ追悼特集も、ニール・ゲイマン「やせっぽちの真白き公爵の帰還」小川隆訳。連載は夢枕獏「小角の城」第37回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第8回,小林泰三「ウルトラマンF」第3回,川端裕人「青い海の宇宙港」第8回に加え、久しぶりの草上仁の読みきり「突撃、Eチーム」。新連載の酉島伝法「幻視百景」は、あの禍々しいイラストに小文をつけたもの。

 円城塔「override」。イーサン・ハフマンは、世界で初めて思考の壁を破った。それに付き合ったのは吉備正臣だ。光速は理論的に越えられない。だが音速は物理的な制限だし、越えられる。では、思考速度の制限はどっちなのか。

 スペースオペラの書き手は、独自の超光速航法を持っていなくちゃいけない、なんて話をどっかで聞いたが、これはその超光速航法が生まれる瞬間の物語…かと思ったら、やはり円城塔だった。 

ケン・リュウ「鳥蘇里羆(ウスリーひぐま)」古沢嘉通訳。1907年2月。機械馬を連れた五人の男が長白山脈の原生林へと分け入る。そこに鳥蘇里羆がいる。シベリアトラすら獲物とする、獰猛で巨大な羆だ。帝国陸軍は羆の軍事利用を望み、かつて羆に家族を奪われた中松教授を中心に、探検隊を派遣した。

 ドクター中松と伊藤四朗が満州で羆と戦うスチームパンク…ってのは冗談のような、そうでないような。舞台は「デルス・ウザラ」を思わせ、状況は「羆嵐」を思わせる、相変わらずトボけた雰囲気のわりに細かい芸が沢山仕込み、鮮やかなオチまでつけた、ケン・リュウらしい作品。才人だなあ。

 牧野修「電波の武者」。母が告げる。「電波の武者を集めなさい」。そしてルドルフは部屋を出た。電波の武者を探し出し、世界を救うために。そして最初に見つけたのは…

 久しぶりに牧野修を読んだが、今でも彼の作品を読むと頭がオカシクなる←ほめてます。特に終盤のバトルの場面は、体調が悪い時に読むとアッチの世界に引きずり込まれそうで怖い。にしても、「あ、あたためまそか」には笑った。ところでタイトルはT・REXの「電気の武者」と関係あるのかな?あの中じゃ Cosmic Dancer(→Youtube)が好きだなあ。

 パオロ・バチガルピ「熱帯夜」中原尚哉訳。ジャーナリストのルーシーは、水不足で滅びかけているフェニックスに留まり、取材を続ける。今はシャーリーンの仕事を手伝い、郊外に来たところだ。お目当ては、太陽光パネル。

 「神の水」のスピンオフで、ジャーナリストのルーシーが廃品回収業者のシャーリーンと親しくなる話。ポツポツと暗い穴が開く、フェニックスの夜景が印象に残る。

 谷甲州「スティクニー備蓄基地」。火星の衛星フォボス(→Wikipedia)の地底深く、航空宇宙軍が設けたスティクニー備蓄基地に勤務するのは、波佐間少尉とバルマ一曹のみ。近くの軌道上で突貫工事しているためか、最近は異様にデブリの衝突が多い。基地は地下深くにあるため危険はないが…

 めでたく復活した「航空宇宙軍史」に連なる作品で、視点は航空宇宙軍側。軌道上の衝突ってのは相対速度が凄まじくて、それだけにエネルギーも半端なく、危険極まりない。似たような問題は、高層ビル建築でもありそう。やはり土木の谷甲州らしく、「現場あわせ」なんて言葉にも思わずニヤリ。

 グレッグ・イーガン「七色覚」山岸真訳。12歳の誕生日に、従兄のショーンが<虹>アプリをくれた。視覚インプラントを改造し、赤・青・緑の光の三原色以外が見えるようになる。大人でもアプリを入れられるけど、視覚信号をを処理する脳が適応できるのは、若い者だけだ。

 光が赤・青・緑の三原色と言われるのは、ヒの目にある錐体細胞が三種類だから。現実に四種類の錐体細胞を持つ人もいるらしい(→Wikipedia)。一般向けのデジタル・カメラはRGBの三色だけに反応するけど、学術研究ではもっと多くの波長を捕らえるマルチスペクトル・カメラが活躍してる。そういう感覚を持つ人は、どんな世界を見てどんな人生を送るのか。 

 倉田タカシ「二本の足で」。21世紀なかばの日本は、多様な移民で多民族国家となる。ここ二週間ほど大学に顔を出さず、連絡も取れないキッスイを心配して、ゴスリムとダズルは集合住宅を訪れる。あっさりとドアは開き、明るい声が招き入れる。どころか、部屋の中からはにぎやかなざわめきが聞こえ…

 今でも捨て看板は珍しくないが、これが人型になって話しかけてきたら、そりゃウザいよね、などとユーモラスな状況で始まった話は、思わぬ深刻な未来の日本の社会を描き出したかと思ったら、唖然とするオチへと突進してゆく。確かにアレは、しばらくはそういう手に出るだろうし。終盤のスリリングな描写といい、この号では最も楽しめた作品。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第8回。バラバラに分かれた<クインテット>の8人のメンバーは、それぞれ異なる組織へ潜り込み、組織同士の対立を煽る工作を始める。その間、リーダーのハンターは三匹の犬だけを連れ、命からがら逃げ回っていた。

 前回に続き、<クインテット>が大活躍する話。手玉に取られるギャングたちが可愛そうになってくるから不思議だ。いやヤクの密売や売春や殺人とか、ロクでもない事ばっかやってる連中なんだけどw

 小林泰三「ウルトラマンF」第3回。富士明子は目覚めた。荒野にいる。そして目の前には巨人兵士が現れた。言葉をかける。「わたしは敵じゃないわ」。だが、出たのは地響きのような音だった。巨人兵は撃ってくる。あまり痛みはないが、この調子でダメージを受けたらマズい。

 今回は是非とも映像化を。冒頭だけでいいから←をい。何かと科学的には無理のある怪獣物に、怪しげな屁理屈をつけてどうにかするのも、この作品の楽しい所。ウルトラ・シリーズのお約束の三分間まで守ってくれるとは。

 川端裕人「青い海の宇宙港」第8回。ロケットの打ち上げに向け、宇宙探検隊は動き始める。周太は軌道計算に余念がない。希実と萌奈美は帆の畳み方を工夫している。他にもやる事は沢山あるが、それに頭が回るのは駆だけだ。仕方なく大人を巻き込むべくアチコチに相談するが…

 ジュブナイルのフリをしながら、出てくるネタの濃さはハンパないこの作品、もしかして笹本祐一への果たし状じゃないかと思えてきた。今回もロケット関係が充実しているのに加え、打ち上げ場近くの植生なんて細かいネタまで飛び出す。とことんマニアックなのに、小中学生でも楽しめそうな語り口の柔らかさが凄い。

 ニール・ゲイマン「やせっぽちの真白き公爵の帰還」小川隆訳。解説によると、タイトルはステイション・トゥ・ステイションの一節かた取ったもの。「彼」は何者で、何のために、どこから来たのか。それを夢想するファンタジイ。

 久しぶりの草上仁「突撃、Eチーム」。ヒトの遺伝子地図が完全に解明され、また生まれる前に子どもの遺伝病治療はおろか能力や性格までデザインできるようになった未来。ヒトは誰もが知的で善良になったが、まれに変わり者が生まれてくる。そんな世界で、おれたちEチームは特殊な能力を持っている。

 どう考えても「特攻野郎Aチーム」のパロディだが、どんな凄い能力を持っているのかと思ったら、そうきたかw そんな彼らの最大の脅威が、これまたw はい、いつものユーモラスでテンポのいい草上節です、はい。にしても、「早川書房の金庫には草上仁の未発表原稿が眠っている」って噂は本当だったんだ。

 Media Showcase/Drama 武井崇は、なんとあの「幼年期の終わり」が映像化されたそうな。ただし今は第一話のみの放送で、他の二作品と人気投票で競い、トップになったらシリーズ放送になるとか。制作はどうなってるんだろ?

 「早川書房70周年記念カフェ」トークショー採録 ランキングで振り返るSF出版70年 高橋良平×塩澤快浩。1960年の「国鉄が貨物で配送」って所にピクンときた。今はPDFで地域の印刷工場に送ってるのかな? 鉄道が国を一つにするってクリスティアン・ウォルマーの主張(「世界鉄道史」)を実感する所。

 NOVEL & SHORT STORY REVIEW 七瀬由惟、「今回は、デジタル技術で視覚や聴覚などの感覚が拡張された人類の姿を描いた作品」が中心。そういう技術が普及したら視覚障害者や聴覚障害者はいなくなるね。ジェフ・ヌーン「ピクセル・ゼロ」は金を出せば高解像度の視覚を得られる世界が舞台で、「ピクセルを稼ぐ」って表現が気に入った。

 サはサイエンスのサ 鹿野司。やはり病気で死にそうな目に合ってるってのに、入院して体中にセンサを張られてるのに「今は心電モニタは無線でデータを飛ばすので、コードが少なくていいね」とか、テクノロジー回りの観察に余念がないあたりは職業病かw 私も医者にかかると「お、いいMac使ってるな」とかマジマジと見ちゃうけど。

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