アントニー・ビーヴァー「第二次世界大戦 1939-45 上」白水社 平賀秀明訳
ヒトラーは国民の最悪の本能に訴えることに見事に成功した。すなわち、憤怒の感情、他者への不寛容、傲岸不遜、そしてなかでもいちばん危険な人種的優越感である。
――はしがき南京の虐殺事件や、その他の地域で数え切れないほど繰り広げられた残虐行為の効果はじつに絶大だった。戦争が始まる前、日本どころか、自分たちが住む当の中国さえ、国家として認識していなかった砂のごとき民衆のあいだに、想像を絶するほどの愛国的激情をつくりだしたのだから。
――第4章 龍と旭日 1937年~1940年後年、「電撃戦戦略」と掲揚されるグデーリアンの大躍進だったが、その実態を見ると、それは当初から考え抜かれた“戦略”というより、かなりの部分、その場その場で下した、即興演奏的決断の集積のように思われる。
――第6章 西部戦線異常あり 1940年5月ウクライナ人、白ロシア人、ロシア人の若い女性がかり集められ、(ドイツ)軍の慰安所に強制的に入れられたのだ。
――第13章 人種戦争 1941年6月~9月
【どんな本?】
「ノルマンディ上陸作戦」や「スターリングラード」など、あの戦いを再現する優れた作品を送り出した著者が、ついに出版した第二次世界大戦の通史。目次でわかるように、ヨーロッパ・北アフリカの情勢を中心としながらも、中国・太平洋にも目を配りつつ、原則として時系列順に話を進める編年体を採用している。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Second World War, by Antony Beevor, 2012。日本語版は2015年6月10日に上巻、2015年7月10日に中巻、2015年8月10日に下巻を発行。単行本ハードカバーで上中下の三巻、縦一段組みでそれぞれ本文約512頁+512頁+485頁=約1,509頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント45字×20行×(512頁+512頁+485頁)=約1,358,100字、400字詰め原稿用紙で約3,396枚。文庫本なら6~7冊分の巨大容量。
文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくないが、部隊の単位(大きい順に軍・軍団・師団・旅団・連隊・大隊…)や階級(偉い順に将・佐・尉・曹・兵),軍艦の種類(大雑把に大きい順に戦艦・巡洋艦・駆逐艦…)ぐらいを知っていれば、とりあえずは読める。というか、私はその程度しか知らない。
【構成は?】
原則として時系列順。素直に頭から読んでもいいが、大日本帝国の戦いだけに興味があるなら、そこだけ拾い読みしてもいい。ただ、日ソ不可侵条約やゾルゲなど外交・諜報関係は、欧州戦線の章に書いてあるので、要注意。また、戦場地図が時おり出てくるし、章の最後に出典を書いてあるので、複数の栞を用意しよう。
- 上巻
- 凡例/はしがき
- 第1章 世界大戦の始まり 1939年6月~8月
- 第2章 「ポーランドに引導を渡す」 1939年9月~12月
- 第3章 まやかし戦争から電撃戦へ 1939年9月~1940年3月
- 第4章 龍と旭日 1937年~1940年
- 第5章 ノルウェーとデンマーク 1940年1月~5月
- 第6章 西部戦線異常あり 1940年5月
- 第7章 フランス失陥 1940年5月~6月
- 第8章 「アシカ作戦」と「英国の戦い」 1940年6月~11月
- 第9章 広がる波紋 1940年6月~1941年2月
- 第10章 ヒトラーの「バルカン戦争」 1941年3月~5月
- 第11章 アフリカと大西洋 1941年2月~6月
- 第12章 「バルバロッサ作戦」 1941年4月~9月
- 第13章 人種戦争 1941年6月~9月
- 第14章 「大同盟」に向けて 1941年6月~12月
- 第15章 モスクワ攻防戦 1941年9月~12月
- 第16章 真珠湾 1941年9月~1942年4月
- 略号一覧
- 中巻
- 凡例
- 第17章 中国とフィリピン 1941年11月~1942年4月
- 第18章 戦火は世界に 1941年12月~1942年1月
- 第19章 「ヴァンゼー会議」と死の収容所 1941年7月~1943年1月
- 第20章 日本軍の占領と「ミッドウェー海戦」 1942年2月~6月
- 第21章 砂漠戦の敗北 1942年3月~9月
- 第22章 「ブラウ(青)作戦」 ふたたびソ連を攻める 1942年5月~8月
- 第23章 太平洋の反撃 1942年7月~1943年1月
- 第24章 スターリングラード 1942年8月~9月
- 第25章 「エル・アラメインの戦い」と「トーチ作戦」 1942年10月~11月
- 第26章 南ロシアとチュニジア 1942年11月~1943年2月
- 第27章 カサブランカ、ハリコフ、チュニス 1942年12月~1943年3月
- 第28章 ドイツ占領下の諸相 1942年~1943年
- 第29章 「大西洋の戦い」と「戦略爆撃」 1942年~1943年
- 第30章 太平洋、中国、ビルマ 1943年3月~12月
- 第31章 「クルクスの戦い」 1943年4月~8月
- 第32章 シチリア島からイタリア本土へ 1943年5月~9月
- 第33章 ウクライナと「テヘラン会議」 1943年9月~12月
- 第34章 ガスによる「ショア(大量虐殺)」 1942年~1944年
- 略号一覧
- 下巻
- 凡例
- 第35章 イタリア 硬い下腹 1943年10月~1944年3月
- 第36章 ソ連の春季攻勢 1944年1月~4月
- 第37章 太平洋、中国、ビルマ 1944年
- 第38章 期待の春 1944年5月~6月
- 第39章 バグラチオンとノルマンディー 1944年6月~8月
- 第40章 ベルリン、ワルシャワ、パリ 1944年7月~10月
- 第41章 「一号作戦」とレイテ攻勢 1944年7月~11月
- 第42章 しぼむ終戦期待 1944年9月~12月
- 第43章 アルデンヌとアテネ 1944年11月~1945年1月
- 第44章 ヴィスワ川からオーデル川まで 1945年1月~2月
- 第45章 フィリピン、硫黄島、沖縄、東京大空襲 1944年11月~1945年6月
- 第46章 ヤルタ、ドレスデン、ケーニヒスベルク 1945年2月~4月
- 第47章 エルベ河畔のアメリカ軍 1945年2月~4月
- 第48章 ベルリン作戦 1945年4月~5月
- 第49章 死者たちの街 1945年5月~8月
- 第50章 原爆投下と日本平定 1945年5月~9月
- 謝辞/訳者あとがき
- 地図一覧/口絵写真一覧(クレジット)/略号一覧
- 主要人名索引
【感想は?】
今の所は上巻しか読み終えていないので、そこまでの感想を。
目次を見ればわかるように、欧州戦線の記述が多くを占め、帝国陸海軍が戦った中国・太平洋を描く部分は少ない。中国では泥沼の戦いが続いていたが、正面切って連合軍にメンチ切った真珠湾奇襲が出てくるのは上巻の最後なんだから、しょうがないと言えばしょうがないんだけど。
とまれ、私が今まで読んだ第二次世界大戦物と大きく違うのは、時系列順の編年体であること。これにより、真珠湾奇襲の時の国際情勢が、切実にわかってくる。
後知恵で考えれば「なんでドイツなんぞと組んだんだ?」と不思議に思うんだが、当時のドイツ軍はモスクワに向け画期的な快進撃を続けていた。となれば、勝ち馬に乗ろうって発想になるのも当然だろう。残念ながら、ヒトラーの思惑は外れてドイツ軍はロシアの冬を過ごす羽目になるんだけど。
ただし、それでも疑問は残る。「ドイツとツルむなら、まずソ連を倒すべきじゃね?」と。これについては、日中戦争からノモンハン(→Wikipedia)まで語りおこし、ソ連・国民党・人民解放軍・関東軍そして大本営の思惑を説いてゆく。ソ連にビビる反面、フランスとオランダがコケたんだから、仏蘭の植民地を頂いちまえ、と。天皇についても、結構容赦ない。
とまれ、政治関係も欧州側の方が記述が細かく、「著者が見る大日本帝国の内部」は見えてこない。その分、蒋介石を中心とした国民党関係が比較的に充実しているので、これはこれで参考になる。当時は色々と錯綜していて、蒋介石の軍事顧問にドイツのハンス・フォン・ゼークトやアレクサンダー・フォン・ハルケンハウゼンがいたり。
軽く書かれているが、小国フィンランドが大国ソ連に対し見事な抵抗を見せた冬戦争にも少し触れている。今なら「雪原のニンジャ」とでも評されそうな、フィンランドのスキー兵の戦いぶりは鮮やかだが…
序盤で必死の抵抗を見せたがアッサリと連合軍に裏切られるポーランドは哀れだが、暢気なのはベルギーとオランダ、そしてだらしないフランス、腹黒いイギリスに欲深なソ連と、各国の印象はだいたい予想通り。にしてもフランスは、第一次世界大戦から何も教訓を学んでないのがガックリくる。戦車を小分けにして歩兵部隊に配るとか。
逆に鮮やかなのがグデーリアンに代表されるドイツの電撃戦。予め入念に考え抜かれた戦術のように思っていたが、先の引用のように、この本では「偶然に出来上がったもの」とし、ギリギリの成功だったらしい。なんたって、「ドイツ空軍が保有する爆弾は、わずか14日間分しかなかった」。なんとも大胆な話だ。どうせゲーリングが大見得切ったんだろうけど。
危ないにせよ、それが可能だったのは、ドイツ陸軍の性格が大きいんだろう。曰く「訓令戦術」で、「いったん下級将校に仕事を任せれば、あとは各人がそれぞれ最善を尽くすものと信頼する」というもの。目的と目標をハッキリと示し、方法は部下に任せ、権限も委任するわけ。これは第一次世界大戦でも同じだったなあ。
先の電撃戦に戻るが、実はグデーリアンも冷や汗をかいている。かかせたのはシャルル・ド・ゴール(当時)大佐で、戦車大隊をかき集め、補給拠点を狙う。電撃戦の切っ先である戦車ではなく、その後ろにポッカリ空いた穴を突くのがミソ。残念ながらドイツは機敏に反応し撃退されるが、襲われたグデーリアンは…
この日の一件について、上官の「A軍集団」司令官ルントシュテット上級大将に、いっさい報告しなかった。
それまでも突出を散々に咎められてたんだから、当然、そうなるよなあ。ダンケルクで本格的な追い討ちをかけなかった原因も、上層部が「ボチボチ占領地を固めよう」的な気分になっていたのと、「手持ちの装甲部隊は相当に劣化し」ていて出来なかったんだよ、みたいな解釈になっている。
ロンメルの評価もかなり厳しい。砂漠の狐などと狡猾な印象のある人だが、この本では猪突猛進型の目立ちたがり屋みたいに書かれている。
後半から終盤にかけては、バルカン半島および東部戦線が中心となり、ここでの風景はかなりエグいので要注意。独ソともに冷血ぶりを競う戦いで、ドイツは開戦前から「ソ連市民のうち、飢えによって命を落とすものは3000万人にのぼると推定」どころか、「奴隷として使役するに足るだけの人間が残る」と、最初から民間人の大虐殺を予定しての戦争である。
対してソ連はソ連で、悪名高い督戦隊はもちろん、ポーランドなど占領地の者に対し、捕虜の虐殺や住民の強制移住に余念がない。今のウクライナじゃウクライナ系とロシア系の対立があるが、ロシア系の多くは、ウクライナ人を一掃した後に移住した人だったりする。
とまれソ連西部は、戦争前からスターリンの強制移住や集団農場化で多くの人が飢え死にしていたので、ウクライナでは「ドイツ軍の兵士たちを歓迎したのである」。悲しいことに、彼らの希望は…
などでモスクワへと迫るドイツ軍だが、ここに大日本帝国から吉報が届く。ゾルゲだ。これで極東の軍が使えるってんで、シベリア鉄道が大活躍。「ノモンハンにおけるジューコフ将軍の勝利は、日本の大きな戦略転換にかくも重要な役割りを果たした」とあるから、悔しいったらありゃしない。
私が慣れたせいもあるが、今までの著作に比べ、イギリス人ンらしい皮肉を効かせる文章も各所に見られる。これは大日本帝国が掲げる大東亜共栄圏の理想と中国戦線の実情を評して…
アジアを“支配”する権利があるという発想は、西洋の暴虐からアジアを救う“解放”戦争であるというかれらの大義と、根本的に矛盾する面があるけれど、日本軍の指揮官は、そのことをあまり気にかけている風ではなかった。
軍紀と言うよりは歴史書に近い立場で、戦闘の推移も書いてはいるが、それより歴史上の経緯や内政と外交、そして兵の暮らしや民間人の避難の様子が目立つ。大きなテーマを、立体的な視点で再現しようとする野心的な作品だし、第二次世界大戦の経緯を大まかに掴むには適した本だろう…量は多いけど。
次の記事に続きます。
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コメント
shinzei様、コメントありがとうございます。
私は「電撃戦は半分ぐらいアドリブ」というのが意外でした。
投稿: ちくわぶ | 2016年3月10日 (木) 22時15分
おはようございます。
この本は私も読ませていただきました。
あの戦争の詳細な推移がわかっていいと思うのですが、
少しロシアや中国を低く見ているのが気になりました。
しかしそれ以外は満足いく出来でしたね。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2016年3月10日 (木) 07時34分