ラヴィ・ティドハー「完璧な夏の日 上・下」創元SF文庫 茂木健訳
アメリカのスーパーヒーローは、新世界の熱気や色、その途方もない広さに圧倒された移民たちにとって、願望を充足させてくれる存在なのです。
【どんな本?】
イスラエル出身で世界中を渡り歩いた新鋭SF作家による、ダークでシニカルな味わいのスーパーヒーローSF。第二次世界大戦の少し前から、世界中に様々な異能力を持つ者が現れ始めた。彼らはユーバーメンシュと呼ばれ、時には戦場で華やかに、時には人知れぬ秘密作戦に従事する。
雪嵐の吹き荒れるベラルーシで、絶望的な抵抗に立ち上がったワルシャワで、銃弾と砲弾の雨が降るノルマンディーで、レジスタンスが粘り強く戦うカルパティア山脈で、飢えが支配するベルリンで、ケシの花が咲き乱れるラオスで。
超能力を持つスーパーヒーローたちは、20世紀をどのように戦い、生き抜いたのか。ヒーローたちの生き様を通し、暴虐の20世紀を描く、長編歴史・戦争SF小説。
SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2016年版」のベストSF海外篇で4位に輝いた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Violent Century, by Lavie Tidhar, 2013。日本語版は2015年2月20日初版。文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約290頁+284頁=約574頁。8ポイント41字×17行×(290頁+284頁)=約400,078字、400字詰め原稿用紙で約1001枚。標準的な文庫本上下巻の分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。一部に量子力学をネタにした小難しい理屈が出てくるけど、どうせハッタリだし、分からなくても全く問題ない。
それより大事なのは、第二次世界大戦を含む20世紀の現代史。前半ではワルシャワ・ゲットー蜂起(→Wikipedia)など欧州戦線ネタが、後半ではベトナム戦争など冷戦ネタが出てくるので、その辺に詳しいとニヤリとする場面が多い。
【どんな話?】
第二次世界大戦では、イギリスの秘密工作員として活躍した青年フォッグ。本人は引退したつもりだったが、かつての相棒オブリヴィオンの呼びかけで、ボスのオールドマンと面会する羽目になる。オールドマンの問いに答えながら、フォッグはあの戦争の日々を思い出していた。はじまりは1932年の…
【感想は?】
もし第二次世界大戦にスーパーヒーローたちが参加していたら、そんな能天気な設定の話
…なのに、語り口は意外と暗い。なんたって、主人公の名がフォッグ、霧だ。作中で派手な戦闘場面もあるんだが、主人公はバトルじゃあまり活躍しない。彼の野力が最も活きるのは、身を隠す時。まさに相手を煙に巻く。
そんなこんなで、全体は暗く陰鬱なトーンが続く。これは意図的にやっているらしく、例えば台詞も「」で囲うのではなく、行頭の――から始めているためか、全般的に感情を交えず静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。
とまれ、静かで落ち着いているのは雰囲気だけで、語られる物語はかなり陰惨な場面が多い。なんたって、原題からして The Violent Century、「暴虐の世紀」だ。
第二次世界大戦は、欧州全体が戦場になった。拡張を続けるナチス・ドイツは東欧をあっさりと飲み込み、フランスも支配下に置く。さすがに空軍だけでイギリスを屈服させる事はできなかったが、東部戦線ではモスクワの直前まで進撃する。だがスターリングラードを境に形勢は逆転し、やがてベルリンも瓦礫の山と化す。
戦争全般を見渡すとそんな感じになるのだが、こういう戦いだけに、それぞれの国に住む人ごとに「戦争の意味」が大きく違う。
ソ連(現ベラルーシ・ウクライナを含む)にとっては、自分の国土で戦われた戦争だ。それだけに傷は深く、記憶も生々しい。自分の家が焼かれ、家族を殺された戦争である。本書に出てくるのはミンスクとレニングラード(サンクト・ペテルブルグ)だが、いずれも民間人を巻き込み餓死者が続々の地獄になった。
東部戦線の地獄っぷりは、アントニー・ビーヴァーの「スターリングラード」と「ベルリン陥落」が生々しい。かなりエグい描写が続くので、グロ耐性のない人には勧めない。なんたって、緒戦時は赤軍が、後半ではドイツ軍が、それぞれ敵に食糧を渡さないよう、撤退時に焦土作戦で建物や作物を焼き捨てていくのだ。住民にとっちゃたまったモンじゃない。
フランスも戦場となったが、こちらは予想に反して電撃戦でアッサリと降伏してしまう。そのためか、ナチス支配下での窮屈な暮らしの記録が多い。このお話でも、パリを舞台とした場面が幾つかあるが、いずれも砲火渦巻くわけではなく、暗く抑圧された空気が漂っている。
イギリスもバトル・オブ・ブリテンなどで戦ってはいるのだが、なにせブリテン島まではドイツの戦車軍団が上陸していない。それだけに微妙に戦争に対し距離感があり、主人公のフォッグや相棒のオブリヴィオンも、主な任務は情報収集だったりする。
更に能天気なのがアメリカで、激戦の代名詞ともなったノルマンディー上陸におけるアメリカン・ヒーローたちの戦いぶりは、まさしくアメリカン・コミックの世界そのもの。
やはりニヤリとするのが、計算機屋の神アラン・チューリング(→Wikipedia)が登場する場面。現実の彼はブレッチリー・パークでドイツのエニグマ暗号(→Wikipedia)の解読に携わり、大きな業績を上げたが、なにせ戦時中の事、「ドイツの暗号は筒抜けだぜい」なんて宣伝するわけもなく、彼の業績は秘密とされてしまう。
優れた数学者の多くにならい、作中の彼もなかなか楽しい人物に描かれていて、愛すべきマッド・サイエンティストとして一服の清涼剤の役割りを果たす。
そんな中で、著者のイスラエル出身という視点が強調されるかのように、ナチス支配下でのユダヤ人抑圧・虐殺の場面もアチコチに出てくる。先のワル シャワ・ゲットー蜂起とかは、結末がわかっているだけに、読んでいて実に切なかった。ユダヤ関係は戦後編でも出て来て、ナチ戦犯の裁判の場面もあったり。
など、いろいろと排斥される立場だったユダヤ人を、この作品では「人ではない存在」になってしまい、奇異の目で見られるユーバーメンシュに託して書いているのかも。
ド派手な活躍を見せつけるアメリカン・ヒーローたち、堅実に敵を倒してゆくソ連のヒーローたち、残虐に敵を追いつめるナチスのヒーローたち、山に篭ってレジスタンスを続けるカルパティアのヒーローたち、そして陰険な秘密工作を続けるイギリスのヒーローたち。改めて考えると、それぞれのお国柄がよく出てるよなあ。
そうやって活躍したヒーローたちの戦後も、なかなか個性が出てて笑ったり切なかったり。
「007+超人大戦」と見せかけて、第二次世界大戦から現代まで続く「戦争の世紀」を綴った、オジサン好みの重厚な作品だった。スチーム・パンクならぬスチール・パンクといったところか。現代史が好きな人なら、ニヤリとする場面が沢山出てくるだろう。
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