ヴィクター・H・メア+アーリン・ホー「お茶の歴史」河出書房新社 忠平美幸訳
茶のたどった道のりは叙事詩ながらに壮大だから、茶の歴史を書くことは、昔から至難の業だった。植物学、医学、宗教、文化、経済、人類学、社会、政治などさまざまな側面を持ち、起源は太古にさかのぼり、しかも地理上の距離や言葉の違いなどお構いなし
――プロローグ 茶 覚醒の葉1854年、ペリー提督が日本を開国させるのに成功したので、19世紀後半には日本の緑茶がアメリカの茶の輸入量の大部分を占めた。
――第15章 名ティーポット職人の真夜中の騎行 アメリカの茶
【どんな本?】
私は烏龍茶が好きだが、世間には紅茶党もいれば緑茶派もいる。同じ紅茶党でもミルク派とレモン派があるし、インド以西のアジアではチャイが定着している。原料は同じチャノキなのに、その加工法や淹れ方・味わい方は千差万別だ。
茶の原産地はどこで、いつ・だれが発見したのか。それぞれの時代や地域で、人はどのような茶を、どのように味わったのか。どのように受け入れられ、どのように広がり、どう取引され、世界情勢にどんな影響を与えたのか。
ペンシルヴェニア大学の中国語文学教授であるヴィクター・H・メアとジャーナリストのアーリン・ホーが、茶をめぐる歴史と世界情勢を辿りながら、その時代や地域のお茶のレシピも豊富に載せ、爽やかな香りと刺激的な味わいを閉じ込めた、美味しくて楽しい一般向けの歴史の本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The True History of Tea, by Victor H. Mair & Erling Hoh, 2009。日本語版は2010年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約286頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×286頁=約249,964字、400字詰め原稿用紙で約625枚。文庫本ならやや厚めの一冊分。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。歴史物だけに、当時の各国・地域の情勢の知識が必要だが、個々のエピソードを味わうのに必要な背景事情は充分に書き込んであるので、特に歴史を知らない人でも楽しめる。当然ながら、緑茶・烏龍茶・紅茶に留まらず、さまざまなお茶を味わった経験がある人にこそお勧め。
【構成は?】
だいたい時系列順に話が進むので、素直に頭から読んでもいいが、個々の章はそれだけで完結しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。特にコラムは、ちょっとした面白エピソードを綴っているので、味見用の拾い読みには最適。
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【感想は?】
一言でお茶と言っても、種類も飲み方はいろいろあるんだなあ。
大雑把にいうと、四種類に分かれるそうだ。緑茶、紅茶、烏龍茶、そして磚(たん)茶。チベットの旅行記などでお茶にバターを入れて飲む場面がよく出てくるが、あれは緑茶ではなく磚茶だったのか。どうりで緑茶で試した時はマズかったわけだ。ええ、試しましたとも。
などと書いちゃいるが、磚茶ってなんじゃい? と思ったら、プーアル茶が近いみたいだ。よし、もう一度挑戦しよう。
意外な事に、世間で茶と呼ばれるのはすべて一つの種類の樹、茶樹から取れる。マテ茶や麦茶があるから、茶の文化は世界各地で独立して発生したのかと思っていたが、全く違う。中国で生まれ、世界中に広がり、その過程で様々な淹れ方や飲み方が派生していったらしい。
この広がり方が本書の主題で、これが実にダイナミックで楽しい。一種の世界史の本なのに、極東の中国が最大の焦点なのも嬉しいじゃないか。そのおこぼれで日本もチョコチョコ顔を出すし。おまけに、折々に各地・各時代の茶のレシピが載っていて、これがまた実に食欲と言うか飲欲をそそる。
日本人にとって茶はストレートで飲むものだが、イギリスじゃ紅茶はミルクまたはレモンに砂糖を加える。チベット人もお茶が大好きで、ミルクとバターを入れる。高地じゃ「低地の二倍の水分を発散する」ので、たくさん水を取らなきゃいけないのだ。モロッコじゃ緑茶に少しのヨモギギクとミント、それに大量の砂糖。ウズベク人は塩を入れる。
カフェインを含むためか、各地での受け入れも、毒か薬かで論争を巻き起こしている。中国の伝説じゃ薬派で、神農(→Wikipedia)が見つけたそうだ。100種の植物を味見し、うち72種は毒らしく病気になった。たった一つ、病を治したのが茶樹だそうだ。実際、茶が病を防ぐ事を19世紀のイギリスが証明している。
イギリスの人口は1801年の1050万人から1911年に4080万人と、四倍に増えた。お茶を飲むには湯を沸かさなきゃいけない。お陰で、水が媒介するコレラなどの伝染病が減ったからだ。これに限らず、茶は各地で禁酒運動と強く結びついているのも興味深い。これはコーヒーも同じなんだけど。
といった親しみやすい話題を加えながらも、大筋の話は大規模な交易の話が中心で、これが歴史的なダイナミズムを感じさせると共に、ちょっとした冒険物語や秘境探検記のゾクゾクする味わいがある。
最初に出てくるのが、中国とチベットの茶馬交易。騎馬民族の侵入に悩む中国は、軍馬の調達に苦労する。なんたって農耕民族だから、馬の育て方も調教方法も知らない。幸いチベット人が茶の虜になったので、チベットの馬と中国の茶を交換しましょう、って事になる。
そこで陸路をはるばる数ヶ月かけて運ぶんだが、その途中で発酵してしまう。ところが、これがたまたまにチベット人の好みにあい、磚茶として受け入れられてゆく。美味しい物の誕生には、いろんな偶然が絡んでいるんだなあ。
これがロシアに渡るルートとなると、更にスケールが大きくなる。18世紀ごろには中国からユーラシアを横断しモスクワまでキャラバンが陸路で往復し、茶を売り買いするようになる。やがて茶はロシアからペルシア・アフガニスタンへも渡り、特にトルコでは「コーヒーに取って代わって国民的飲料となった」。日本とトルコには、もう一つの共通点があるのだ。
これに対し海が主要な舞台となるのが、西洋への伝播。こちらで重要な役割りを果たすのはイギリス人で、本書の書き方こそマイルドだが、阿片戦争に象徴されるように、なかなか阿漕な真似をやらかしてくれる。でも最初に西洋人が茶に触れたのは、日本だったようだ。そう、フランシスコ・ザビエルに代表される宣教師たちだ。
イギリスの茶会に煩いマナーがあるように、日本にも茶道がある。これの「伝統」を暴く所も面白い。
明治維新(1868年)とともに、女性は初めて茶道を習うことを許された。日本の女性が嫁入り前にしなければならない花嫁修業の一環として重視され、第二次世界大戦が終わるまで、茶の湯は事実上もっぱら女性の領域と化していた。
そうだよなあ。千利休は男だし。こういう、案外と新しい「伝統」は他にも沢山ありそうだ。
ライバルであるコーヒーとの因縁では、スリランカでの茶栽培のエピソードに紅茶党は歓声を上げるだろう。室町時代の闘茶は漫画の料理対決みたいだ。ロシア人スパイの見破り方や、トーマス・リプトンの類まれな商魂も楽しいし、、ティーバッグ誕生秘話はエンジニアをニヤリとさせる。
意外と新しくて、なのに地域の権威や伝統と深く結びつき、香りと味わいは繊細なのに、その流通と伝播のプロセスはワールドワイドでダイナミック。日本人の多くが大好きな飲み物なのに、案外と知られていないお茶の歴史を辿りながら、「美味しいもの」に拘るヒトの尽きせぬ欲望も感じさせる、身近な雰囲気のわりに大きな広がりを感じさせる本だった。
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