ピーター・クレイン「イチョウ 奇跡の2億年史 生き残った最古の樹木の物語」河出書房新社 矢野真千子訳
一億五千万年前より古い時代に起源をもつ動植物のほとんどが絶滅していることを思えば、イチョウが二億年ものあいだ基本的に変わらないまま存続したのは、奇跡としかいいようがない。
――まえがきイチョウは植物としてはかなりの変わり者で、現存する近縁種が存在しない。
――1章 長大な時間現在、イチョウは世界中で見られるが、それは基本的にヒトが植えたものだ。
――24章古木の樹齢
【どんな本?】
日本人には街路樹や神社などでお馴染みの木、イチョウ。あまりに身近にあるので特別な関心を抱く事は少ないが、実はかなり独特の性質を持った植物である。例えば、あの特徴的な葉。あんな形の葉をつけるのはイチョウだけだ。
イチョウの歴史は波乱万丈で、古くて新しい。何度かの大絶滅期を生き延びながら、ゆっくりと衰退の道をたどり、係累を全て失いながらも、細々と生き延びた数少ない集団に、突然現れた意外な助っ人。強力な助力を得たイチョウは、その歴史から見れば瞬く間ほどの短い期間で世界中に広がってゆく。
生きた化石としてのイチョウを、地学・生物学の題材として、また西洋と極東が交差する歴史物語として、またイチョウに関わったプランツ・ハンターや植物学者たちのエピソードを絡め、様々な視点で描く、一般向けの科学・歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は GINKGO : The Tree that Time Forgot, by Peter Crane, 2013。2014年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約382頁に加え、長田敏行の解説6頁。9ポイント46字×19行×382頁=約333,868字、400字詰め原稿用紙で約835枚。文庫本なら厚めの一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。義務教育修了程度の理科・歴史の基礎知識があれば読みこなせる。当然ながら、身近にイチョウの木があると親しみを持って読める。茶碗蒸しなどでギンナンを食べた経験があれば、更によし。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているが、素直に頭から読むほうがいいだろう。
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【感想は?】
昔からイチョウは身近にあった。通った小学校にはイチョウの木があったし、神社などにもよくある。日本人なら、誰でもイチョウはお馴染みだろう。
だから、「普通の木」だと思っていたが、とんでもない。実はシーラカンス並の生きた化石だったとは。
生物の種を巡る物語だと、たいていヒトは悪役だ。北アメリカのリョコウバトを滅ぼしたり、オーストラリアにネズミを持ち込み独自の生態系を壊したりと、ロクな事をしない。が、この本では、珍しくヒトが救世主を勤める。それも、中国と日本が大きな役割りを果たす。嬉しいじゃないか。
二億年ほど前に生まれたイチョウには、幾つかの仲間がいた。だが一億年ほど前から勢いが衰えはじめる。それでも「500万年前にブルガリアとギリシアでイチョウが育っていた」が、一千年ほど前にはほとんど滅びてしまう…極東の一部を除いて。なぜか、中国の一部だけで細々と生き延びていたのだ、ヒトに愛でられながら。
これが室町時代ごろ日本に入って来て、各地に移植される。やがて江戸時代になりオランダとの交易を通じて西洋に渡り、こちらでも多くの人に愛され世界中に広がってゆく。
などの歴史を、最初は化石から、次に中国や日本そして韓国の文献と現物を調べ、実態へと迫ってゆく。
のはいいが、どうも原産地がハッキリしないらしい。今なら遺伝子解析で「最も多様性の多い所」が原産地となりそうだし、実際に調べた結果も中国の天目山または重慶近くの金佛山が遺伝的な多様性が大きいのがわかったが、素直に解を出せない理由が笑ってしまう。曰く…
真に野生状態の樹木と人為的に栽培された樹木の区別がつかないことだ。中国には古くからヒトが住んでいて、イチョウの自生地の候補とされているところの大半は、数千年も前から人々が暮らしていた地域内にある。
なまじ長い歴史を持つ中国なので、遠い昔にヒトの手が入った可能性がつきまとってしまう、と。
先に「室町時代ごろ日本に入って来て」と書いたが、歴史が好きな人は「おや?」と思うだろう。鎌倉幕府の三代目の将軍、源実朝の暗殺だ。彼は鶴岡八幡宮で襲われたとされている。暗殺者は公暁、イチョウの木の陰に隠れていた…って、鎌倉時代にイチョウがあるじゃないか!
ところが、当時書かれた吾妻鏡にはイチョウが出てこないのだ。イチョウが最初に出てくるのは「1659年ごろ書かれた『鎌倉物語』」だとか。どうも後世の創作らしい。とすると、鶴岡八幡宮の大銀杏も、もう少し若いってことになる。にしても、よく調べたなあ。
科学者の考える事はアレで、変な実験もしている。イチョウの木には雄と雌がある。19世紀初期の植物学者ジョセフ・フォン・ジャカン(→Wikipedia)は考えた。雌木の枝を雄木に接ぎ木したら、実はなるのか? で、実際にやってみたら…
見事に実をつけたそうです。体は雄でも枝は雌。植物だと、そういう事もあるそうで。ばかりでなく、雄木の一部が雌化して実をつける事が「日本でも古いイチョウの雄木で見られたことが数回、記録されている」。いずれにせよ、変化の方向は雄→雌に限られていて、逆はないとか。
西洋に渡ってもヒトに愛されたイチョウだが、やはり秋のギンナンの臭いは騒動の元らしく、例えば「ニューヨーク市の公園遊園地管理局は既定方針として、この20年間イチョウの雌木を植えていない」。どうせ数日で消えるんだから、気にする事もないだろうに。
最後の「第7部 植物の未来を考える」では、イチョウを離れ、絶滅の危機に瀕した植物を保護する話になる。ここに出てくるウォレミマツ保護の方法が賢い。オーストラリアのニューサウスウェールズ州で見つかったウォレミマツ。群生地はたった一つ。この集団が亡んだら、もうお終いだ。
そこで、当局は、まず現地を秘密にして、野次馬が来ないようにする。下手に病原菌とかを持ちこまれても困るし。次に植物園で若木を育て、なんとザザビーズのオークションにかけた。なんたって絶滅危惧種だ。好き者はこぞって欲しがるだろう。これで世界各地に希少種が広がり絶滅の危険が減ると同時に、稼いだ金は保護活動費にする。賢いなあ。
他にも GINKGO なんぞという奇妙な綴りの謎、意外としぶといイチョウの生殖戦略、イチョウ衰退の理由、イチョウの生殖研究で大手柄を挙げた日本人・平瀬作五郎の研究、街路樹の様々な利益、あの独特の形の葉の秘密、そして銀杏の名産地・祖父江町訪問記など、読み所はいっぱい。読むと、イチョウの木を探しに近所を散歩したくなる、そんな本だ。
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