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2016年2月15日 (月)

藤井太洋「アンダーグラウンド・マーケット」朝日新聞出版

ベトナムやバングラデシュ、インドネシアとやりとりすることの多いアパレルの問屋がN円に対応していることは知っているが、本人の口から答えて貰う方がいい。人は、自分で話したことを強く信じるからだ。
  ――第1部 ヒステリアン・ケース

「…日本で五次、六次請けのIT土方に丸投げしてるデータセンターと、年収二千万貰ってサンフランシスコで優雅に暮らす連中の管理するクラウドと、どっちを信用するっつうんだよ」
  ――第2部 アービトレーター

【どんな本?】

 「Gene Mapper」で華々しくデビューし、「オービタル・クラウド」で再び日本のSFファンを狂喜させた新鋭SF作家の藤井太洋による、至近未来の日本を舞台にした金融サスペンスSF。

 アジア各国から実力もバイタリティも溢れる移民が大挙して押し寄せ、彼らが主導するアングラ・マネーの「N円」による取引が急成長しつつある日本で、それまでの主流だった「会社員」のコースからはみ出しN円経済に身をおく若者たちを主役に、猥雑で活発な移民たちと、従来の「円経済」の軋轢を描く。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」ベストSF2015国内篇16位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 お話は二本の連作中編「ヒステリアン・ケース」と「アービトレーター」から成る。いずれも初出は電子出版の Amazon Kindle で、「UNDERGROUND MARKET ヒステリアン・ケース」は2013年10月配信、「UNDERGROUND MARKET アービトレーター」は2014年3月配信。

 書籍版は両中編を加筆・訂正したもの。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約243頁、9ポイント45字×19行×243頁=約207,765字、400字詰め原稿用紙で約520枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内要は、えーっと… 両中編とも、主題となるトリックの部分が、思いっきりテクニカルで、プログラマ、それも UNIX 系で金融や決済関係の仕事をしている人なら、仰け反って身もだえするネタなのだが、そうでない人には全く通じないコアなシロモノ。

 ただし、それ以外の部分は現代日本の延長で、あまり難しくない。登場人物の多くは貧しい若者や日銭稼ぎにアクセクしている移民なので、豊かな人にはピンとこないかも。言いたくないが、私にも身につまされる場面がいっぱいで…

 それともう一つ。自転車が大活躍するので、自転車が好きな人にはたまらん作品です、はい。

【どんな話?】

 オリンピックを2年後に控えた東京には、多くの国から仕事を求める移民が押し寄せている。15%に上がった消費税を避け、また手軽な送金・決済システムとして、移民を中心にデジタル仮想通貨のN円の流通が急成長していく。そして卒業時に就職先が見つからなかった日本人の若者たちも、N円経済圏で生き延びていた。

 フリーの web エンジニア木谷巧と、同じくフリーのデザイナー鎌田大樹も、N円経済で生きる“フリービー”だ。今日は原宿の竹下通りのブティック<ヒステリア・ウィドウ>に営業に来た。「最近になって増えてきたN円決済にwebサイトを対応させ、外国人の顧客にアピールしましょう」という売り込みだ。

 今のサービスもよく出来ているが、ただ一つデザインが壊滅的に悪い。それを指摘した巧は、思わぬ災難に見舞われ…

【感想は?】

 すまない。この書評は冷静に書けない。なにせ、私の好きなモノが「これでもか」というぐらいに盛り込まれているからだ。

 まずは自転車。ぶっちゃけ貧しい主役の巧たちの移動手段は、自転車なのだ。それもママチャリではなく、軽快なロードバイクだったり頑丈なマウンテンバイクだったり。

 主な舞台は東京。地下鉄などで移動しているとよくわからないが、東京の地理をよく把握していると、意外な駅どうしが物理的には近くにあったりするので、自転車でも結構速く目的地にたどり着けたりするし、現実に今のビジネス界でも東京じゃバイク便が活躍していたりする。

こういう風に都市内での市内郵便が発達するのは別に珍しいことではなく、江戸時代でも市内飛脚あったらしい(星名定雄「情報と通信の文化史」)。

 はいいが、何せ東京の道路網は自動車を中心に出来ているので、自転車は肩身が狭い。それでも住宅地をママチャリがゆっくり走る分にはなんとかなるが、大通りの車道を自動車と同じスピードで走ろうとすると、大変な目に合う。特に路肩に駐車してる車があると大変で…

 など、都市内を勢いよく走り回ってるサイクリストには、「そうそう、そうなんだよ」な場面がいっぱい。

 次に多国籍な風景。なにせ日本に多数の移民が押し寄せたって設定だ。中国・韓国はもちろん、トルコ・インド・ユダヤ人などが入り混じり、活発で猥雑な雰囲気が溢れている。特に第2部冒頭の、多国籍屋台村の場面はワクワクしっぱなし。こういうゴチャゴチャした感じ、大好きなんだよなー。

 海外旅行に行った時に、綺麗なブティックには目もくれず、ついノミの市や路肩の屋台に足が向いちゃう人には、ツンとくるスパイスの匂いが漂ってくるような場面だ。にしても、よく知ってるなあ。Gene Mapper でもベトナムのカオスなネットワーク事情を巧く使っていた著者だから、あの辺によく行ってるのかも。

 そして、なんといってもコンピュータ関係の描写。

 著者お得意の技術的な部分はもちろん筋金入りで、第2部終盤では多くのプログラマが「こんなん書いて商売になるのか?」と心配するようなコアな描写がいっぱい。はいそこ、「vi が役に立つのって emacs をインストールする時だけだよね」とか嘯いてる人、これ読んで反省しなさい←私怨入ってます

 これは全般を通じてメインとなるネタなので詳しくは書けないが、技術的な部分の他に、プログラマを巡る人間関係も、身につまされる場面がいっぱい。特に、プログラマの森谷恵 vs プロデューサー斉藤和明の掛け合いでは、多数のプログラマの心の声そのまんまの台詞が随所に飛び出してくる。ほんと、一度言ってみたい。「わかんないなら黙ってろ」と。

 などの仕掛けの中で、人物としてよく書けてると思うのが、斉藤和明。作品中ではイラつかせてくれる困った人なんだが、たいていのプログラマは、どうしても身近な誰かさんを思い浮かべるんじゃないだろうか。あなたの周りにもいませんか、知ったかぶりしてワケわからん仕事を引き受け、客と話せば余計なことばかり喋るウザい奴が。

 などの小道具・大道具に彩られながら、作品名にもなっている「闇経済」が発達する過程と、それが勢いを増した向こう側の風景も、最近の円高・株安や間近に控えた消費税増税、そしてTPP合意などを考えると、「所詮は作り話」とばかりも言ってられないから悲しい。

 現実にもイスラム系の人はハワラなんて銀行を通さない送金システムを持っていて、恐らくはバブルの頃からバングラデシュやイランの人が日本にも持ち込んでいるはず。出稼ぎの人が家族に金を送るだけなら大きな害はないが、誰が誰に幾ら送ったかの実態が掴めないため、テロリストへの送金にも使われちゃうのが困った所で、国際的な問題にもなってたり。

 ってな大きな状況を、職につけずフリーで働く若者が、必死に生き延びながら見上げているあたりは、現代日本の隠れた社会階層をデフォルメして見せつけるようで、爽快とばかりも言っていられない。どうなるんだろうね、一体。

 などと大技小技を取り混ぜ、「もうすぐそこに来ている未来の日本」を垣間見せなつつ、一枚の写真から多くの情報を引き出す方法や、便利なことから困ったことまでスマートフォンの様々な使い方、ちょっとした営業のコツなど、美味しいネタをふんだんに取り込んだ、今まさに旬のSF小説。

 あ、それと。Fortran は汎用プログラム言語だと思うとアレだけど、浮動小数点レジスタとベクトル・レジスタのドライバを書くための言語だと思えば、よく出来てます。COBOL はいいトコないけど。

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