J・E・ゴードン「構造の世界 なぜ物体は崩れ落ちないでいられるか」丸善株式会社 石川廣三訳
数学は科学者とエンジニアにとっては道具であり、数学者にとっては宗教であるが、一般の人にとっては邪魔者と考えられている。
――1章 私達の生活の中の構造構造物の破壊の様相は、大てい一つではなくいくつかあり、それらの中でも最も弱い者によって破壊が起こる
――4章 安全な設計を求めて組構造の建築物は本質的に圧縮構造物であるが(石積みやれんが積みは常に圧縮状態に保たねばならない)、実はその破壊は圧縮によって起こるのではない。一種の逆説になるが、組積造構造物は引張り状態になることによってのみ破壊する。
――13章 圧縮で壊れるということは
【どんな本?】
なぜ初期の航空機は複葉機ばかりだったのか。ちょっと見には華奢に見える釣り橋が、なぜ壊れないのか。H型鋼は、なぜH型をしているのか。溶接に比べてリベットは何が嬉しいのか。教会の尖塔のうえには、なぜ彫像があるのか。竹にはなぜ節があるのか。
造船学を修め造船所に勤めた後に新素材の研究・開発に携わった著者が、建築物・船・航空機・武器・生物の体など多彩なモノを例にとり、なぜモノの形がそうなっているのか・そこにはどんな材質を使いどんな特徴があるのか・どんな失敗でどんな事故が起きたのかなど、モノの素材と形と強さの関係を語る、一般向けの科学・工学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は STRUCTURES : or Why Things Don't Fall Down, by J. E. Gordon, 1978。日本語版は1991年10月30日発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約338頁。8.5ポイント34字×32行×338頁=約367,744字、400字詰め原稿用紙で約920枚。文庫本なら上下巻でもいいぐらいの分量。
文章はやや硬い。内容も少し歯ごたえがあり、時おり数式が出てくる。演算子は掛け算・割り算・累乗・平方根までで、微分や指数は出てこないから、中学卒業程度の数学力で読み解けるはず…なんだが、私は大半の数式を読み飛ばした。だって難しいし。重要な所はグラフやイラストが出てくるので、あましわからなくても、なんとかなります。
【構成は?】
原則として前の章を受けて後の章が展開する形なので、なるべく頭から読もう。
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【感想は?】
実は数式関係をほとんど読み飛ばしたんだが、意外なモノの意外な意味がわかって充分に楽しめた。
例えば複葉機だ。古臭い印象のある設計だが、Wikipedia によると今でも農業用などで空を飛んでいるようだ。この本を読むと、案外とこれから複葉機が復活する可能性もあるんじゃないかと思えてくる。
というのも。複葉機は、構造的に強いからだ。というより、この本を読むと、やたら翼の長いグライダーが危なっかしく思えて仕方がない。感覚的に、ズングリムックリなモノは、細くてスマートなモノより頑丈に見える。これにはちゃんとワケがあるんだよ、と数式で裏付けてくれるのが嬉しい所。
だけでなく、複葉機にはもっと重要な意味がある。複葉機は、上の翼と下の翼を、柱やケーブルなどで繋いでいる。これが大事なのだ。というのも、翼には荷重だけでなく、「ねじれ」の力も加わるからだ。この本では、翼の前端を持ち上げる力が例として出てくる。この時、翼は前端だけが持ち上がるように「ねじれ」る。
単葉機だと、ねじれに対抗するのは一枚の翼だけだ。形としては、薄い板に近い。だが、複葉機だと、翼の途中を柱やケーブルが別の翼と繋いでいるので、形は箱に近い。では、箱と薄い板、どっちが「ねじれ」やすいだろうか? 言葉にするとややこしいが、この本ではこれをイラストで示しているので、見れば一発で分かる。実にありがたい。
などと考えると、「意外と複葉機もアリなんじゃね?」と思えてくる。現実には柱やケーブルが空気抵抗を増やすんで、速く飛ぶには不利だけど、短い滑走路で離着陸できて長い距離を飛ばないなら、それなりに需要はありそうな気がする。もしかして、三角翼が嬉しい理由の一つは、ねじれに強いから?
やはり感動したのが、教会などの柱の上にある彫像の意味。特に、建物の最も外側にある、屋根を支える柱。
あれにも、ちゃんと意味があるのだ。屋根から柱に伝わる力は、下向きの力だけじゃない。これは屋根の形にもよるんだけど、柱には横向きの力も加わる。ちょっと想像してほしい。鉛筆を立てて、先っぽを横に押すと、鉛筆は倒れるよね。柱も同じだ。横の力には弱い。じゃ、どうすりゃ鉛筆が倒れないか?
鉛筆の頭を押さえて、下に押し付ければいい。下向きの力が加わると、鉛筆は倒れにくくなる。柱も同じだ。柱の上に重石を載せれば、倒れにくくなる。でも漬物樽じゃあるまいし、重石じゃ教会としてカッコつかないから、天使の彫像にしよう。それが柱の上の彫像の意味。
これをわかりやすく伝えるのがイラストで、「じゃ具体的に何kgぐらいの重さが必要なのか」を示すのが推力線とかを使った数式。
この辺を読むと、橋や建物の見え方が違ってくる。私たちは橋や建物を動かないモノと思っているけど、ソレが崩れずに建っているのは、中に様々な力が働いていて、それが釣り合っているからだ。それがわかると、橋や建物の中に働いている力を想像できるようになって、途端に生き生きとダイナミックなモノに見えてくる。
モノの強さといっても、様々な意味がある。大雑把に言うと、引っ張りへの強さと、圧縮(押し付け)けの強さだ。意外なのは、この記事冒頭の三番目の引用にあるように、実は引っ張りへの強さが大事だ、ということ。
例えば船が座礁して船腹に岩が食い込む場合を考えよう。船全体を見ると、外(岩)から船に向かって、押す力が働くように見える。でも、船腹の板を見ると、実は「引っ張り」の力が働いているのだ。
板の岩側は、岩に押される。押されて板は曲がる。曲がると、曲面の内側と外側の長さが変わる。内側=岩に接する側の板は圧縮される。対して、曲面の外側=船の内側の板は、伸ばされる。つまり、引っ張られる。ここで、引っ張りにどれだけ対抗できるかで、船に穴が開くかどうかが決まるわけ。
橋や建物が崩れる時も同じで、たいていはどっかが引っ張られ、引っ張りに対抗できなくなった時に壊れてしまう。というのも、たいていのモノは圧縮には強く、引張りには弱いからだ。
ってな事を憶えると、自分でも色々と設計できそうな気になるが、実はそうでもない。たいてい、別の力も加わる事を忘れるからだ。しかも、モノが壊れるときは、最も弱い所をやられる。良い設計とは、長所を伸ばす設計ではなく、欠点がない設計らしい。バランスが大事なんですね。
じゃ、どうすりゃいいかというと、第二次世界大戦で活躍したモスキート爆撃機(→Wikipedia)の例が賢い。この手口、他にもいろいろと使えそうだよなあ…と思ったら、unix の設計思想が近いかも。
口調はしかめッ面だけど、冒頭から「エンジニアって普通の人とマトモに会話できないよね」と愚痴ったり、大工と船大工の考え方の違いを語ったり、弓のエネルギー効率を計算したり、古代エジプトにまで造船の歴史を遡ったりと話題は多岐に及び、意外とユーモラスでもある。
幾つか数式は出てくるけど、読むと日頃の風景が少し違って見える、そんな本だった。時間がかかるのは覚悟して、じっくり取り組もう。
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