パオロ・バチガルピ「神の水」」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉訳
「行き着く先が地獄であることはみんなわかっていた。それでも座視した。そんな愚かさにもそれなりの報酬はあるということかな」
「どうしてかしら。いつもそうなる。お金持ちはさらにお金持ちに、貧乏人はさらに貧乏になる」
「守れない約束はしたくなかった。おまえへの約束を破りたくはなかったんだ。おまえはいろんな人たちからいろんな約束をされ、反故にされてきたはずだからな」
【どんな本?】
「ねじまき少女」でヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞のトリプル・クラウンに輝いた、アメリカの新鋭SF作家パオロ・バチガルピによる新作SF長編。近未来のアメリカ合衆国、極端な水不足に悩む西部を舞台に、コロラド川の水利権をめぐるネバダ・アリゾナ・カリフォルニアなどの各州の争いと、その中でもがきながら生き抜く人々を描く、迫真の破滅小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Water Knife, by Paolo Bacigalupi, 2015。日本語版は2015年10月25日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約460頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント24字×17行×2段×460頁=約375,360字、400字詰め原稿用紙で約939枚。文庫本なら上下巻にしてもいい分量。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。訳者が解説しているように、コロラド川流域の地図を見ながら読むと、更に迫力が増す。ほんと、笑っちゃうぐらい砂漠ばっかしの地域。
【どんな話?】
近未来の合衆国西南部。水が枯渇した上にテキサスから難民が押し寄せ、カリフォルニア・ネバダ・アリゾナの各州は州境を閉ざし争いあっている。高効率で水を循環利用する快適なサイプレスに住めるのは金持ちだけ、難民や貧しい者は市場価格で乱高価する水を買い入れて日々を凌ぐが、街はギャングに支配されている。
キャサリン・ケースはSNWA(南ネバダ水資源公社)の女王だ。コロラド川の水利権を確保し、ラスベガスを守る。アンヘル・ベラスケスはケースの部下として、主にアリゾナの現場で働く水工作員(ウォーターナイフ)だ。
アリゾナ州フェニックスでの異変は、調査に赴くアンヘルや新鋭ジャーナリストのルーシー・モンロー、そしてテキサス難民の少女マリアを巻き込み…
【感想は?】
これはかなり挑発的な作品。特にアメリカでは。
Google Earth で日本を見ると、海岸近くに灰色の市街地が張り付いてるが、中央は太い緑の帯が占めている。降水量が多く水が豊かなので、植生も豊かになるんだろう。
同様に Google Earth で合衆国西南部を見ると、ネバダ州は黄土色の砂漠ばっかりだ。ラスヴェガスは相当な無理をして水を調達し、維持しているのがわかる。コロラド川から水を取って無理やり維持しているんだが、ロサンゼルスを抱えるカリフォルニア州も札束で顔をひっぱたくような形で水を買っている。
充分に水があればそれでもいいが、最近だと西海岸の水不足は深刻らしい。これが更に酷くなったのが、この作品の世界。この舞台設定が単なる外挿ならともかく、水不足は現実に目の前に迫っているから怖い。
これへの対処が、実にアメリカらしいのが、この作品の大きな特色であり、パオロ・バチガルピの特徴でもある。
まずは、州が軍事力を用いて争い合うところ。日本の県はあまり自治権を持っていないし、県知事も軍に指示できない(災害時に救援の要請はできるけど)。
対して、アメリカの州は、歴史からして違う。アメリカの州は、元々が独立した国に近く、それぞれが独自に政府と軍を持ち、法を定めてきた。独立戦争などで連合としての政府の必要性を痛感し、連合の参加国が共同して作り上げたのが連邦政府だ。だから、それぞれの州は独立意識が強い。
この作品でそれを痛感するのが、州境を閉鎖する設定。水不足という危機的状況により州のエゴがむき出しになり、各州は押し寄せる難民を押し留めようと、銃で叩き返す。
今でもアメリカは、メキシコから押し寄せる難民を押し留めるために、国境を閉鎖して警備している。特に強硬なのがテキサスなんだが、この作品ではそのテキサスが水害にやられ、テキサス州民が難民にされているあたりが、バチガルピの意地の悪い所。
やはり昔からアメリカへの移民が多い中国が、この作品では大企業が積極的に経済進出し、場面によってはドルより人民元の方が信用されているあたりも、実に皮肉が効いてる。
もう一つ、特にブッシュJr 以降のアメリカで幅を利かせているのが、極端な市場主義。政府が下手に手出しせず、市場に任せれば、神の見えざる手が働いて、妥当な形に落ち着くよって理屈。逆に全部を政府が管理したのが共産主義で、これがダメなのはソ連崩壊が証明したが、かといって全部を市場に任せると…
日本だと、水不足の時は、まず取水制限になる。一日のうち何時間か水の出が悪くなったり、断水したりと、政府が管理して水の消費を抑えるわけだ。だが、これじゃ収まらなくなったら、どうするか。
そこでアメリカお得意の市場主義だ。水の取引を市場に任せれば、受容と供給のバランスで自動的に消費が妥当な分量に収まるんじゃね? と思ってやってみたのが、この作品の舞台。これも、新自由主義へのバチガルピらしい強烈な風刺だろう。
などに加え、ペンデホ(馬鹿)やチヨロビ(ギャング)など、あちこちに混じるスペイン語も、メキシコとの国境が近い舞台の雰囲気を伝えると共に、登場人物たちの育ちの悪さも匂わせ、汗臭い生活感をかもし出している。
などのヌカミソ臭いリアルさに加え、そこはSF。ジャーナリストのルーシーとカメラマンのティモが絡むあたりでは、近い将来のジャーナリズムの姿が垣間見えたり。日本でもテレビの視聴率や新聞の発行部数が減って、ニュースメディアの経営基盤が崩れつつあるけど、こういう形に落ち着いたらいいなあ。
チンピラ上がりの水工作員アンヘル、スキャンダルを追うジャーナリストのルーシー、そして生き延びるために必死のテキサス難民の少女アリス。序盤ではバラバラに描かれる三人が、やがてある秘密へと引き寄せられ…
既に身近な問題となりつつある水不足を題材に、アメリカ合衆国が抱える根本的な体質と、最近の新自由主義の問題点をアメリカ人の視点で痛烈に批判する、現代アメリカにとっては極めて挑発的な作品。
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