マーティン・ガードナー「新版 自然界における左と右」紀伊國屋書店 坪井忠二・藤井昭彦・小島弘訳
鏡が、ものの左右を逆にするだけで、上下は逆にしないのはなぜだろうか。
――1 いろいろな鏡物理学者のフリーマン・ダイソンは、胚種広布説にはあまり感銘を受けてはいないが、地球の大洋に発生した生命は二つの起源を持っている、という説を提唱した。核酸の分子はタンパク分子とは別個に発達し、後にいっしょになって最初の生命ができたのだ、というのである。
――15 生命の起源「ファインマン」とウィーラがいった。「なぜ電子がすべて同じ電荷と同じ質量をもっているかがわかったよ。」
「なぜです」とファインマンがきいた。
「それは電子はすべて同じ一つの電子なんだ。」
――31 時間反転下の人と粒子フィジカル・レビュー誌に投稿されたきちがい論文の大部分は採用されないが、それは理解不可能ではなくて可能だからである。理解不可能な論文はふつう掲載される。大改新が現れるときは、ほぼ確実に、整理がつかず不完全で混乱した形で出てくる。
――34 スーパーストリング
【どんな本?】
数学・科学系のライターとして定評のある著者が、「なぜ鏡は左右を反転するのに上下は反転しないのか?」という疑問をきっかけにして、右利きと左利き.右回りと左回り,動植物の対称性,結晶の形,分子のカイラリティなどの不思議な左右非対称を探りながら、現代物理学の最先端スーパーストリング理論にまで読者を導く、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The New Ambidextrous Universe, by Martin Gardner, 1964, 1979, 1990。日本語版は1990年の改訂第三版を元にしたもので、1992年5月22日第1刷発行。私が読んだのは1996年4月30日発行の第6刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約455頁。9ポイント51字×21行×455頁=約487,305字、400字詰め原稿用紙で約1,219枚。文庫本なら少し厚めの二冊分。
日本語の文章は比較的にこなれている。実はかなり高度な内容なのだが、中学卒業程度に理科が分かっていればついていける。「フレミングの右手の法則」について、「なんか名前を聞いたことあるなあ、電気と磁気だっけ?」程度にわかれば充分。
それと、できれば手鏡を二つ用意するといい。
【構成は?】
前の章を受けて次の章が展開する構成なので、できるだけ頭から読もう。
|
|
|
【感想は?】
一見、身近なネタを扱った本のフリをして、最新の物理学へと読者を招待する、侮れない本。
本の形がハードカバーの単行本なので、ザッと見た時は敷居が高そうに思えるが、意外と語り口は柔らかいし、取り扱う内容も難しくない…ように感じる。つまり、実際に読むと、思ったよりとっつきやすい。
途中に出てくる話題も、ちょっとした手品を教えてくれたり、笑えるイタズラのエピソードを挟んだり、アサガオ等のつる植物の巻き方だったりと、身近な話やユーモラスなネタを挟みつつ、ちょっとした練習問題で「あれ?意外とオレ、わかってるじゃん」と読者に自信をつけさせたりと、多くの工夫をこらして読者をひっぱってゆく。
そこで調子に乗り頁をめくってゆくと、大変な所に連れて行かれてしまう。気がつけば物理学の最先端の話題であり難しい事でも定評のある、あのスーパーストリング理論(→Wikipedia)になっているのだ。それでも、なんか分かったような気にさせられてしまうから、この本は凄い。
初版は1964年と、半世紀も前だ。科学の本でそれだけ古ければ、相当の部分が時代遅れになる。にも関わらず、スーパーストリング理論なんて最新の話題を扱っているのは、改版する際に書き足したため。それも、ロジャー・ペンローズなどの大物物理学者に校正を頼んでいるから、信頼性は充分だろう。
話は「なぜ鏡は左右で逆転するのか?」に始まり、右巻き・左巻きの話を介し、ちょっとSFな「オズマの問題」へと向かう。他の恒星系に住む知的生物と、ファースト・コンタクトする話だ。向うに電波を送る際、どんな情報をどう符号化して送ればいい?
まずは、こっちが知的生物である由を伝えるために、「簡単な一連の数字」を送ろう。ここから始めれば、たぶん画像も送れるだろう。まずは黒&白の二値のビットマップ画像でもいい。が、画像を送ろうとすると、途端に問題が起きる。
個々のピクセルは、右から左に並べるべきか、左から右に並べるべきか? 上と下は、難しくない。下は「惑星の中心に向かう方向」だから、向うも惑星上に住んでいるなら、伝える術はある。だが、右と左は、どうやって伝えよう?
実は、あるのだ。だが、それは物理学に疎い者には思いも寄らぬ方法であり、また多くの物理学者を悩ませる問題の始まりにもなった。これが判ったのは1950年代後半なのだが、以降、物理学は大きな曲がり角を迎える。「どうやら宇宙は左右対称じゃないらしい」からだ。
この後、本書は宇宙の構造の話に入り、最新物理学の世界へと読者を導いてゆく。が、少し戻ろう。その前の右と左の話でも、面白いネタが満載だからだ。例えば、動物の目の話。これがなんと…
眼には少なくとも三とおりの、全く別な発達のしかたがある。脊椎動物の眼、昆虫の眼、いろいろな軟体動物の眼、これらは互いには関係なく別個に発達したのである。
なんて書いてある。まぶた・角膜・虹彩・水晶体・網膜などのはニトもタコも共通のパーツを持ち、それぞれが同じ役割りを果たしていて、しかも左右一対という大きな構成も同じだ。にも関わらず、それが独自に進化したというから驚き。とすると、SFでエイリアンを考える時も、目玉は二つでいいらしい。
カイラリティ(キラリティ、→Wikipedia)の項では、ダイエットに悩む者に嬉しいネタが。炭素を含む分子は、左右対称でない分子が多い。ここでは右むき・左むきと呼んでいる。生物が絡まず生成した分子は、右向きと左向きが、だいたい同じぐらい混ざっている。が、生物が消化し生成する分子は、その多くが右向きだけ・左向きだけに偏る。
分子の向きが違うと、消化できないのだ。ところで、普通の砂糖の分子は、右向きになっている。ヒトの体は右向きの砂糖しか消化できない。1981年にバイオスフェリックス社の創業社長ギルバート・レヴィンが、左むきの砂糖の「製造工程の特許を取り、食品薬品局の許可が得られ」た。これの何が嬉しいか、というと。
この砂糖、ちゃんと甘い。「普通の砂糖とまったく同じ味」だそうだ。にも関わらず…
代謝過程では消化されないので、太らず、糖尿病にも影響せず、また、微生物も食べることができないのでいつまでも新鮮であり、さらに、同様の理由から虫歯の原因にもならない。
グレート! ただし、問題はお値段で、この本によると「製造コストが抑えられれば販売を開始する」とあるが、あまり話題になっていない所を見ると、安いもんじゃないらしい。なんとかならんのか。
著者の本職が著作業のためか、多くの文学の話題が出てくるのも特徴だろう。内容が内容だけにA.C.クラークやベン・ボーヴァなどSF小説が多いが、ウラジミール・ナボコフやF・スコット・フィッツジェラルドも出てくるのが意外。当然、SF者には有名なフレッド・ホイルはアチコチで大暴れする。本業の物理学じゃお騒がせな人だったんだなあ。
などと考えると、この本はSF者にこそお勧めの本なのかも。他にも目次を見れば分かるように、反物質や単極子(モノポール、→Wikipedia)など、美味しそうな言葉がゾロゾロと出てくるし。私もSFが好きなのに、なぜモノポールが嬉しいのか分からなかったが、これを読んで分かった…ような気になった。
あくまでも普通の人向けに、トランプの手品や鏡文字などの身近な話題を使って親しみやすく、かつわかりやすい説明で読者を引っ張りながら、量子力学や宇宙論の最近の成果まで一気に駆け抜ける、科学啓蒙書のお手本みたいな本。見た目は迫力あるが、読み始めると意外ととっつきやすい。宇宙論に興味はあるが、数式は苦手な人に是非お薦め。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- ニコラス・マネー「酵母 文明を発酵させる菌の話」草思社 田沢恭子訳(2023.11.12)
- 宮原ひろ子「地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか 太陽活動から読み解く地球の過去・現在・未来」化学同人DOJIN文庫(2023.09.19)
- 伊藤茂編「メカニズムの事典 機械の素・改題縮刷版」理工学社(2023.08.21)
- マイケル・フレンドリー&ハワード・ウェイナー「データ視覚化の人類史 グラフの発明から時間と空間の可視化まで」青土社 飯嶋貴子訳(2023.08.08)
コメント