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2016年1月 6日 (水)

ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「今夜、自由を 上・下」ハヤカワ文庫NF 杉辺利英訳 1

ビルマ子爵ルイス・フランシス・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン
「インド独立の公式声明は1947年8月15日に行なわれるであろう」
  ――8 「星に呪われた日」

モハンメッド・アリ・ジンナー
「私は生きてパキスタンを見るとは思っていなかったのだよ」
  ――10 「友よ、しばしの別れに過ぎないのだ」

【どんな本?】

 1947年。第二次世界大戦の傷跡がまだ残るイギリスは、もう一つの大きな問題を抱えていた。大英帝国の栄光の象徴であり、当時の人類の1/5、四億人を擁する亜大陸インドを手放すべき時が来たのだ。情勢は悪化する一方で、一歩間違えば大虐殺になりかねない。せめて名誉ある撤退を望むイギリスは、この難事業に相応しい人物を見つけた。

 ビルマ子爵ルイス・フランシス・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン(→Wkipedia)。ヴィクトリア女王の曾孫であり、第二次世界大戦では南東アジア連合軍最高司令官を勤めた。常に前向きで自信にあふれ、迅速に果断な決断を下す彼以外に、この難事を乗り切れる者はいない。

 だが、そのインドは無数の問題を抱え、様々な矛盾に満ちた地だった。

 今までインド独立を主導し、民衆から絶大な信頼を集めるモハンダス・カラムチャンド・ガンディー(→Wikipedia)は、統一インドを切望する。対してモハンメッド・アリ・ジンナー(→Wikipedia)は、パキスタンの独立を主張して譲らない。ジャワハルラル・ネルー(→Wikipedia)は国民会議派を率い、パキスタン分離を認める可能性もあったが、その国民会議派はガンディーの信奉者が集まっていた。何より、ネルー自身がガンディーの弟子である。

 四億の人口のうち、約三億はヒンディー、一億はムスリム、加えて数千万のシーク教徒がいて、あらゆる町や村に混在して住んでいる。今まで共存してきた者たちも、分割となれば互いが殺し合うだろう。だがジンナーは主張する。統一インドは三億のヒンディーが牛耳り、一億のムスリムの声は掻き消えてしまう、と。

 そればかりではない。カシミールやパンジャブやベンガルは人も社会も地域としての結びつきが強く、更なる独立を求めかねない。そして、500を超える藩王国も独立を求め始めたら、インドは無数の小国家群と成り果て、戦乱と貧困しか残らないだろう。

 インド・パキスタン独立に関わった権力者たちの動き、支配者として君臨したイギリス人たちの生活、伝説となるに相応しい藩王の振る舞い、宗教に強く影響されたインド人たちの暮らし、そしてカルカッタ・ボンベイ(ムンバイ)・シムラ・ラホール・カラチなどインド・パキスタンの名所の様子。

 あらゆる矛盾を抱えつつも独立を果たし、やがては20世紀後半を揺るがす最大勢力として台頭する第三世界の代表となったインドとパキスタンの独立を、「パリは燃えているか?」「おおエルサレム!」で成功を収めたジャーナリスト・コンビのラピエール&コリンズが、綿密な取材に裏打ちされた豊かなエピソードで綴る、重量級のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Cette Nuit La Liberte, recit par Dominique Lapierre et Larry Collins, 1975。日本語版は1981年12月15日発行。文庫本縦一段組みで上下巻、本文約332頁+343頁=約675頁に加え、訳者あとがき6頁。8ポイント43字×20行×(332頁+343頁)=約580,500字、400字詰め原稿用紙で約1452枚。文庫本なら三冊でもいいぐらいの大容量。

 残念ながら、今は絶版となって入手が難しい。古本屋で探すか、図書館で借りよう。

 文章は比較的にこなれている。読みこなすのに、特に前提知識は要らない。「インドとパキスタンとバングラデシュは昔イギリスの植民地で、バングラデシュはかつて東パキスタンといった」ぐらいで充分。また、インド・パキスタン・バングラデシュに興味があったり、実際に訪れた経験があると、更に楽しめる。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 日本語版によせて
  • プロローグ
  • 1 最後の浪漫的帝国
  • 2 四億人の神懸り
  • 3 自由への道
  • 4 礼砲31発の轟く総督就任式
  • 5 「炎がわれわれを浄化するであろう」
  • 6 「この傷口からインドの最上の地が流れ出てしまうだろう」
  • 7 象とロールスロイスとマハラージャ
  • 8 「星に呪われた日」
  • 9 史上最大の分割
  • 10 「友よ、しばしの別れに過ぎないのだ」
  •  下巻
  • 11 「今夜、12時の鐘が鳴り、人びとが深く眠っているとき……」
  • 12 「この夜明けにいきてあることのなんと美しいことか」
  • 13 「わが国民は発狂した」
  • 14 「人類の悲しくも甘美な音楽」
  • 15 カシミールよ、わが胸に刻まれたる汝が名
  • 16 “火によって浄められた”二人のブラーマン
  • 17 「ガンディーを死なせておけ!」
  • 18 ビルラ・ハウスの爆弾
  • 19 「警察に捕まらないうちにガンディーを殺さねばならない」
  • 20 「第二の磔刑」
  • エピローグ
  •  年表/登場人物のその後
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 なんといっても、インドで強烈なのは「匂い」だ。

 寺院に渦巻く線香の香り。カレーのスパイスの強烈な香り。花束のやさしげな香り。人々の体臭と、それを押し隠す香水の匂い。そして、高温多湿の気候でたちまち腐ってゆくゴミやクズの匂い。

 これらは、夏のインドを訪ねた経験のある人ならお馴染みだ。そういう人は、クラクラするような匂いの渦を再体験できる。したいかどうかは人によるけど。

 「パリは燃えているか?」ではパリ司令官フォン・コルティッツに多くの情報を負っていたように、この作品ではルイス・マウントバッテンの視点が最も多くの記述を占める。

 イギリス最後のインド提督であり、インド独立をイギリスの側から担当した人だ。社交的な人らしく、インタビューにも快く応じ、多くの資料を提供したんだろう。そのためか、彼は徹底して有能かつ果断なリーダーとして描かれている。ヨーロッパの王族によくあるように、イギリスばかりでなくロシアなど多数の王家の血をひくサラブレッドだ。

 マウントバッテンと並ぶ存在感を放つのは、もちろんモハンダス・カラムチャンド・ガンディー、あのマハトマだ。

 この二人は実に対照的だ。働き盛りで勢力溢れるマウントバッテン、老いて弱々しいガンディー。大量の勲章を下げた軍服を着こなすマウントバッテン、誰の前にも腰布一枚で現れるガンディー。常に自信にあふれるマウントバッテン、事あるごとに悩み嘆くガンディー。軍人らしく現実的な解を求めるマウントバッテン、あくまで慈愛を信じるガンディー。

 それは同時に、斜陽とはいえかつては世界を支配した大英帝国を、頂点から見晴らし見下ろし続けたマウントバッテンと、イギリスに支配されたインドの混沌と矛盾の中で、更に底辺で喘ぐ不可触賎民たちと起居を共にするガンディーという、世界そのものの両端を表すものでもある。

 この強烈な個性を放つ両者のワリを食っちゃったのが、ジャワハルラル・ネルー。この本ではマウントバッテンの片腕的な役割りに甘んじる羽目になっているが、読む進めると彼の苦悩は否応なしに伝わってくると思う。とにかく、インドってのは大変な国だし、この物語は、その中でも最も大変な時期を描いたお話なのだから。

 この三人に対し、悪役扱いなのがモハンメッド・アリ・ジンナー。パキスタン建国の父である。イギリスに留学し、完全にジェントルマンに成りきった知識人で、当然ながらウィスキーもよく嗜む反面、ラマダンの日程も知らなかったりする。ムスリムの守護者として頑強に戦いながら、自らは洗練されたヨーロッパの教養人そのものだった人。

 この本では、インド分割もジンナーの強硬な姿勢によるもの、として描いている(日本語版 Wikipedia のジンナーの項には異なった解釈があるので見ておこう)。とまれ単なる悪役ではなく、パキスタン建国のためあらゆる犠牲を払い、自らの全てをその意思に捧げた人物だと読者が理解するのは、彼の最後を描く場面だろう。

 ただでさえ暑いインドが更に酷暑に喘ぐ季節を舞台にしながら、彼が登場すると一気に冷気に包まれる、強烈なキャラクターだ。

 読み所は盛りだくさんなので、その紹介は次の記事で。

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