ローレンス・レッシグ「CODE Version 2.0」翔泳社 山形浩生訳 2
政府は自由を破壊できるだけの力はあるけれど、でも自由を守るには政府が必要なのだ。
――序文サイバー空間のコードは、これまた国の規制ツールになりつつある。間接的に、コード書きを規制することで、政府は規制上の目的を実現できるし、しかもその同じ目的を直接追求したときに生じるはずの政治的な結果に苦しまずにすむことが多い。
――第七章 なにがなにを規制するか「多数にとって困惑を生じさせる性的材料の生産者となる費用を上げる」のにきわめて熱心な法廷が、創造的・批評的な言論の生産者になる費用を著作権法が上げていることを露骨に無視していることは、わたしには絶え間ない驚きのもとだ。
――第一二章 言論の自由セカンドライフのCEOフィリップ・ローズデール
「バーチャル世界で神とは何でしょう? 唯一の神はコードです」
――第十四章 独立主権
ローレンス・レッシグ「CODE Version 2.0」翔泳社 山形浩生訳 1 から続く。
【おおまかな内容】
今までコンピュータとネットワークの世界は無政府主義的な自由を謳歌できる世界だと思われてきたけど、本当はその逆だよ、原理的にとっても規制しやすい世界だし、事実規制は強くなっていくだろう…私たちが何もしなければ。
と警鐘を鳴らす本。著者はスタンフォード大学の憲法学教授およびサイバー法センターの教授であり、またフリーソフトウェア財団の理事でもある。基本は法律家であり、コンピュータ方面を得意とする人で、オープン系への理解が深い立場だ。
思想的にはリバタリアン寄りの功利主義といった感じ。アメリカ全体の利益を大きくする事を目的とし、その為には出来るかぎり多くの自由を市民に与えるべき、でも無政府状態はマズいぜ政府も必要だよ、みたいな考え方。
いずれにせよ、追求しているのは正義でも誇りでも信念でもなくて、利益なのがポイント。だから伝統主義的な考え方の人には面白くない本だろう。
また、根本的な所に政府不信があるのも大きな特徴。「放っときゃお上が上手くやってくれるさ」的な考え方ではなく、「政府は私達の代表のハズなんだけど、今の政府は間抜けな事ばかりしてるし、今後もそうだろうから、あまし大きな力を与えるのもマズいんじゃね?」みたいな発想がある。
これは法律家にありがちな考え方なのかもしれないし、アメリカ人だからかもしれない。アメリカは独立していた州が連邦を組み、その連邦が成長して現在のワシントン政府になったわけで、アメリカ人の発想の根底には、市民と州政府・州政府と連邦政府の力のバランスを取ろうとする本能があるのかも。
「合衆国」ではなく「合州国」と訳しているのも、そういうレッシグの姿勢を伝える訳者の工夫だろう。
【規制】
全体を通し語るのは、自由と規制の話だ。規制とは何だろう? 自由を制限するものだ。レッシグは、これを四つあげる。例えばタバコだと…
- 法律:日本じゃ20歳未満は吸っちゃいけない事になってます。前科がつくのが嫌なら法を守りましょう。
- 規範:タバコが嫌いな人の前で吸うのはケンカを売ってるようなもんです。マナーを守って楽しく吸いましょう。
- 市場:タバコを値上げすれば吸う人は減ります…たぶん。
- アーキテクチャ:ライターを忘れると火をつけられません。これを「火のない所に煙はたたない」といいます←をい
アーキテクチャなどと偉そうに言ってるけど、つまりは自然法則や技術的な制限のこと。投げた石は落ちるし、ガソリンがなきゃ自動車は走らない。私たちは、そういう制限を「当たり前」と思って受け入れてきたわけ。
【アーキテクチャ】
そのアーキテクチャなんだが。コンピュータとネットワークの世界は、アーキテクチャが全てみたいな所がある。現実の私はモテないけど、美少女ゲームの中ではモテモテだ。現実にガンダムを操縦するのは(今は)無理だけど、操縦できるゲームもある。無敵の戦士になって戦場を駆け回る事だってできるぞ、ガンパレード・マーチなら←しつこい
これは、ゲームのプログラムがそうなっているからだ。コンピュータとネットワークの世界では、プログラムが全てを決める。プレイヤーが空を飛べるようにプログラムを作れば、誰でも空を飛べる。何ができて何が出来ないかは、プログラムが決めることであって、自然法則や航空力学は関係ない…少なくとも、理屈の上では。
「なら、政府は関係ねーじゃん」と思うでしょ?
【政府の介入】
ブログをやっている以上、なるべく多くの人に読んで欲しいと私は望んでいる。そのためには、Google に好かれた方がいい。なんたって、Google 経由で来るお客さんは多い。だから、Google に媚びるよう工夫している。記事名は内容をハッキリ表すようにする。下品な写真は置かない。コンピュータ・ウィルスなんてもってのほか。
…などと頑張ってるのに、相変わらず流行らないが、それはさておき。
そう工夫すると、誰かが Google で検索したとき、結果一覧の最初の方に並びやすい。じゃ、Google はどうやって並びの順番を決めているのか。Google の従業員が並び替えてるわけじゃない。プログラムが並び替えている。
Google のプログラムは、記事名と内容が違っていると、「広告じゃね?悪質だよね」と疑って、後ろに回す。下品な写真はセーフサーチに引っかかり、記事そのものを「なかった」事にする。Google さんはコンピュータ・ウィルスも大嫌いだ。これを全部、プログラムで判断してるわけ。Google すげえ。じゃ逆にエロい写真だけを探すことも←をい
と、そんな風に、私は Google に従順に従ってブログを書いている。私だけじゃない。多くのブロガーは、Google 様のご機嫌に一喜一憂してる。この世界じゃ Google こそが支配者なのだ。
その Google が、中華人民共和国政府に屈した。検閲に協力したのだ(その後、中国から撤退した→NHKオンライン)。ブログはうじゃうじゃある。中国共産党を批判するブログも山ほどある。中国共産党が、それを全部規制するのはまず無理だろう。でも大丈夫。Google を押さえちゃえば、ウザいブログも一緒に消える。ラッキー。
政府が何かを規制したければ、ウザい個人を相手にする必要はない。根っこを押さえちゃえばいいのだ。個人は強固な思想信条を持っているかもしれないが、企業は違う。数人の経営者だけを説き伏せればいいし、経営者は利益で動いているんだから、物分りもいいだろう。
と、政府はむしろ介入しやすくなっているのだ。
【政府の限界】
警察がガサ入れするには、令状が必要だ。これは無闇なガザ入れを防ぐためだ。なぜ防ぐ必要があるのか?
毎日ガザ入れに来られたら、生活できないじゃん。仕事にも行けないし、おちおち寝てもいられない。つまり、実質的に被害を受けるからだ。だが、本当にそれだけか?
じゃ、部屋に盗聴器を仕掛けたり、電話を盗聴したりしたら? この場合、実害は出ないけど、やっぱし鬱陶しい。詮索されるってだけで嫌な気分になる。プライバシーの侵害だろ!
この本では、日本の法ではなく合衆国憲法修正第四条を例に出している。これは「ガサ入れには令状が要りますよ」とした部分だ。問題は、これが「あいまい」だ、という点。修正第四条を決めた時点では、電話も盗聴器もなかったので、盗聴器や電話の盗聴を考える必要がなかったのだ。
だが今は盗聴器も電話もある。とすると、困ったことになった。修正第四条の目的が、「実質的な被害を防ぐ」のか、「プライバシーを守る」のか、わからないからだ。
テクノロジーの発達が、憲法の持つ「あいまいさ」を露呈させてしまったわけ。それまでは、議論しなくても「あいまいさ」は市民に有利な方向に解釈するしかなかった。だが、電話が出てきて、解釈する必要が出てきた。どうしよう?
固定電話なら、まだ盗聴は難しいが、現代日本のように携帯電話やスマートフォンが普及したとなると、更に話はヤバくなる。前の記事で上げた酒井法子失踪事件のように、携帯電話の使用履歴でアシがついてしまう。他にもクレジット・カードやらTASPOやら、手繰る手段は増えつつある。そしてマイナンバーに至っては…
さすがに現金は追跡不可能に思えるが、近い将来はわからない。IPv6 は別名「物のインターネット」だ。今だってお札には固有の番号がついているし、硬貨にIDチップを埋め込む事もできる。自動販売機にIDを調べる機能を仕込むぐらい出来るだろうし、通信も可能なのはプリクラが証明している。
それ犯罪者の話だよね、善良な市民の私には関係ない。
と思う人は、PC遠隔操作事件(→Wikipedia)を思い出して欲しい。何人もの人が冤罪となった。パソコンが遠隔操作できるのなら、携帯電話やスマートフォンだって遠隔操作できるのだ。少なくとも、原理的には。うっかり妙なアプリを入れたら、どんな悪さをされるか、わかったもんじゃない。
しかも、スマートフォンにはGPSがついてる。当局と犯人は、いつでもあなたの居所を掴める。その気になれば、政府は私達の動きをいくらでも掴めるのだ。これが、コンピュータとネットワークがもたらした成果である。
自由は、どこへ行った?
【軍ヲタの妄想】
などと書いてて、思いついた。私が某国のスパイなら、きっとスマホ向けウイルスを開発するだろう。ちょっとエロいゲームのフリをしてスマートフォンに住み着き、利用者の情報を集め、カモの一覧を作る。権力者か、その側近のスマートフォンに潜り込めたら、しめたものだ。
【山形浩生の訳者あとがき】
B・F・スキナーの「自由と尊厳を越えて」でもそうなんだが、この人の解説はとってもわかりやすい。と同時に、とっても危険だ。
なぜ危険か。それは、あとがきを読んだだけで、本全体がわかったようなつもりになっちゃうからだ。本文は480頁を超える著作が、12頁にまとまるわけがない。だから、何が必要で何が不要か、山形氏が選びとり、重要だと思った部分だけを抜き取って書いている。当然、著者の主張とは少し違ったモノになる。
にも拘らず、山形氏の文章はとても巧くまとまっている上に、なんたってわかりやすい。人間ってのは困ったもんで、わかったつもりになると、それ以上は学ぼうとしない。これがヤバい。
この本の主題は規制と自由の問題だろう。だが、面白いのはそれだけじゃない。他にも沢山あるのだ。
例えば、先の【政府の限界:】で挙げた、憲法のあいまいさ。これは法律に詳しい人には当たり前の事なのかもしれないが、私は「おお、法律って、そういう性質があるんだ!」と、ちょっとした驚きで、こういう「法律家の見ている世界」とのカルチャー・ギャップがとても楽しい本だった。
ここで出てきた、憲法解釈を迫られた裁判所の立ち回りも、ちょっとした読みどころ。司法ってのは、そういう機能も持ってるんだなあ。
著者の視点で面白いもうひとつは、政府への不信だ。これが単なる「政治家は汚い」とかではなく、仕組みそのものに疑問を呈しているあたりが、私にはとても新鮮に思えた。
結論は「アメリカの議会は腐敗している」なんだが、その原因を政治家に求めるのではなく、アメリカの政治制度にまで切り込んで考えている。現在の選挙制度だと、どうしても金権政治になってしまう、というわけ。問題の原因を人ではなく制度に求めるあたりは、賢さの違いなのか文化の違いなのか。いすれにせよ、これは日本の政治も同じなんだよなあ。
【おわりに】
など、ダラダラと長くなったが、つまりはそれだけ面白くてエキサイティングな本だ、と言いたいんです。パソコンを使う人、携帯電話やスマートフォンを使う人、そして自由を愛する全ての人にお勧めの本。
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