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2015年12月11日 (金)

宇月原晴明「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」新潮社

信長は、誰でもが誰とでもと殺し合う時代に生まれた。彼のような日本の、そのまた取るに足らない小国の王子にとって、家系は剣によって形作られるのである。

【どんな本?】

 自ら第六天魔王とうそぶき、比叡山・本願寺・一向一揆などで虐殺を繰り広げ、相次ぐ戦いの中で生涯を終えた織田信長。14歳の初陣でローマ皇帝の座を手に入れ、以降は常軌を逸した淫蕩を尽くした挙句に処刑されたヘリオガバルス。3世紀のシリアから16世紀の日本、そして1930年代のベルリンを繋ぎ、歴史の奥に蠢く異物を紡ぎ出す長編伝奇ファンタジイ小説。

 1999年第11回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2001年版」でも、ベストSF2000国内篇で11位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1999年12月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約321頁。今は文庫本が出ている。9ポイント44字×21行×321頁=約296,604字、400字詰め原稿用紙で約742枚。長編小説の文庫本としてはやや厚め。

 文章は少しクセがあるが、慣れれば気にならなくなる。内容も特に難しくない。主な舞台は織田信長が暴れまわった戦国時代だが、漫画や小説で「だいたいのところ」を知っていれば充分。それより、多くの日本人はヘリオガバルス(→Wikipedia)に馴染みがないと思うので、できれば Wikipedia で軽く調べておこう。

【どんな話?】

 家内の者にもうつけ呼ばわりされる三郎信長。父・信秀の葬儀でも抹香を仏前に投げかけ帰った信長を、「あれこそ国持ちになえれる者」と評する坊主がいた。信長に「何者だ」と問い詰められた坊主は答える。

 「国が取りたければ、後刻、津島の社にまいられよ」「その身でなければ、天下は取れぬのだ」

【感想は?】

 くり返すが、ヘリオガバルス(→Wikipedia)を予め調べておこう。

 3世紀のローマ皇帝。うぁりウス・アウィトゥス・バッシアヌス。シリアに生まれ、14歳の時にアンティオキアの戦いで皇帝の座につく。以後は暴虐と淫蕩の限りを尽くし、女装癖もあった。Wikipedia でザッと調べただけでも、「よくこんなのが玉座につけたなあ」と呆れるばかりだ。

 どこをどうすりゃ、この愚帝と合理主義者で名高い信長が繋がるのかと思うが、そこをなんとかするのが作家の力量。歴史上の事実と様々な伝説を組み合わせ、血の川と屍の山を築きながら、壮大で少し切ない物語を紡いでゆく。

 両者を繋ぐのは、1930年代のベルリン、アントナン・アルトー(→Wikipedia)。シュルレアリズムに傾倒し、「ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト」を著す。すんません、こっちはまだ読んでないです。ナチスが台頭し、暗い陰が差しはじめたベルリンで、陰鬱な詩人がどんな役割りを果たすのか。

 3世紀のローマ・16世紀の日本・1930年代のベルリンを行き交う物語の中で、最も楽しめたのは、やっぱり16世紀の日本を描くパート。

 派閥に別れ争い合う尾張を統合し、桶狭間で大国の今川を下し、弱兵で有名な尾張兵を用いながら、勇猛で知られる武田騎馬軍団を破り…といった日本史上の有名な事件を、この作品ならではの異様な世界観を元に組み立てなおし、騙りなおしてゆく。

 そこで使うネタが、地域的にはユーラシア全土にまたがり、歴史的には3世紀から現代にまで通じる壮大なもの。ローマ・シリア・インド・中国そして日本へと、数々の神話と伝説そして遺物を取り上げ、ヨーロッパから極東への長い旅路を辿るもの。

 シルクロードの終点は中国のように思えるが、更に東に進もうとすれば、やがて極東のこの島国に行き着く。そう考えれば、確かに日本列島は地果てる所だし、古の有象無象が形を変え潜んでいてもおかしくない。

 物語の構造としても異様だ。なんといっても、主役の信長が自ら言葉を発するのは冒頭ぐらいで、後は周囲の者から見た信長像ばかりが語られてゆく。重厚な物語ながら、中心がポッカリと虚ろなのだ。まさしく、その虚ろの正体を巡るミステリでもあるんだが、その解釈は少しボヤけている。

 今川義元・武田信玄・上杉謙信など当時の武将も顔を出す中で、私が最も気に入ったのは羽柴秀吉。やはり有名な草履取りのエピソードも、全く違った解釈で騙ってくれる。彼が信長に抱く想いと、それに応えて信長が残すもの。この二人の、どうしようもない気持ちのすれ違いが、実にやるせない。秀吉は血の涙を流しただろう。

 この下り、信長の正体をどう考えるかでだいぶ感触が違うと思う。私の解釈だと、この作品は一種のSFで、そう考えると、なかなかに切なく悲しい物語になる。気持ちはすれ違うどころか、そもそも…

 歴史の中で、時おり暴れまわる、残虐で冷酷で、それでいて虚ろな異形の者の正体に迫りつつ、古今東西の歴史を再構成する、華麗で切ない伝奇小説。

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