マーク・E・エバハート「ものが壊れるわけ 壊れ方から世界をとらえる」河出書房新社 松浦俊輔訳
歴史全体を通じてわれわれはせっせと研究し、いつものが砕け、撓(たわ)むかという問題に対しては、ほとんど完全な答えを発達させてきたというのに、なぜそうなるかについては、あまりに初歩的な理解しか得られていない。
――2 古代の芸術、古代の工芸信頼性と複合性は両立しない――ところがこの単純な事実が、しばしば見過ごされる。
――9 なぜ、なぜと問うのか
【どんな本?】
ガラスの棒を曲げようとすると、ポッキリ折れる。だが針金は折れず、グニャリと曲がる。なぜ、折れるものと曲がるものがあるんだろう? その違いは、どこから来るんだろう? なぜ日本刀や強化ガラスは硬いんだろう? 軍用機の装甲は、どんな工夫をしてる?
化学と材料化学を専門とする著者が、ガラスが割れる・飛行機の機体が千切れる・豪華客船タイタニック号の沈没などの「壊れた」事例を通し、主に金属素材や合金を中心に、その内部の構造や硬さ・脆さ・柔らかさの原因、そして新素材開発の手法などを紹介する、一般向け化学解説書・エッセイ集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Why Things Break : Understanding the world by the way it comes apart, by Mark E. Eberthart, 2003。日本語版は2004年11月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約248頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント42字×17行×248頁=約177,072字、400字詰め原稿用紙で約443枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分の分量。
日本語は比較的にこなれている。化学と量子化学の本だが、不思議なほどわかりやすい。「原子核には陽子と中性子があって、その周囲に電子雲がある」「たいていの物質は冷やすと小さくなる」程度に化学と物理学が分かっていれば充分。理科が得意なら、中学生でも読みこなせるだろう。それと、エンジンや航空機に興味があると更に楽しめる。
【構成は?】
各章のつながりは緩いが、できれば頭から読んだほうがいい。
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【感想は?】
量子化学が何をするのか、なんとなく分かった気になる。また、なぜアメリカが優れたジェット・エンジンを作れるのかも。
タイトル通り、ガラスが割れたり、鋼板が割けたりする例から、モノが壊れる原因を追究する本だ。ここで言うモノとは、例えばタイタニック号なら、船体全体ではない。沈む原因となった、「脆い鋼板」を示す。
タイタニック号は、北大西洋で氷山とぶつかり、船体に裂け目ができて沈んだ(→Wikipedia)。その原因の追求方法は様々だが、著者は「なぜ船体に裂け目ができたか」に注目する。なぜ鋼板は撓(たわ)まず、裂けたのか? 撓んだのなら、あまり穴は大きくならず、沈まずに済んだはずだ。
どうやら、鋼板の素材に問題があったようだ。鉄には様々な不純物が入っている。代表的なのが炭素で、これが多いと脆い銑鉄(→Wikipedia)になり、少ないと強靭な鋼(→Wikipedia)になる。タイタニックの船体は強靭な鋼のハズだったが、様々な理由で脆くなっていた。
その一つが不純物で、鋼を脆くする硫黄や燐を多く含んでいた。マンガンを加えると、マンガンが硫黄や燐を吸収して脆くならずに済むのだが、タイタニックの鋼板はマンガンも少なかった。
加えて、温度もマズかった。一般にモノは熱くなると柔らかくなり、冷やすと脆くなる。大抵のモノは、特定の温度を境に極端に脆く(または柔らかく)なる(展性=脆性温度、DTB温度→Wikipedia)。タイタニックの鋼板は、この境目が20℃あたりらしい。当時の水温は-2℃で、鋼板は脆い状態にあったわけだ。
では、なぜ硫黄や燐が混じると鋼が脆くなるのか、というと、これは金属の結晶構造が関係していて…
みたいな風に、タイタニック号という一つのテーマから、冶金に始まり量子化学へと話は広がってゆく。同じ「なぜタイタニックは沈んだか」という問いに対し、立場によって様々な解があるんだなあ。なお、ここで著者がこぼす愚痴は、技術者の多くが頷くだろう。
スペースシャトル・チャレンジャーも事故で失われた。いずれも、後に調査委員会が開かれる。
だが、二つの調査委員会の結論は、だいぶ論調が違う。タイタニックの時は、警告を聞き入れて氷山がある海域を避けろ、だ。つまり、運用する者が危険を避ける努力をしろ、となる。だがチャレンジャーでは、「何が故障したかを特定して、それを修理せよ」だ。壊れないモノを作れ、と、まるで技術者が悪いみたいじゃないか。
それもこれも、機械やソフトウェアの信頼性が異様に上がっちゃったせいで、技術屋が自分で自分の首を絞めちゃった結果なんだが、優れたベテラン・エンジニアなら、似たような思いを何度も味わっているんじゃないだろうか。「そんな使い方するとは思ってなかった」みたいな。
冶金・量子力学・材料工学と様々な分野から美味しい話を拾い上げるこの本、なんと熱力学でも意外な収穫があった。カルノーの定義(→Wikipedia)だ。これはエンジンの効率を示す式で、理論的な限界を計算できる。曰く。
1-TC/TH
知っている人には有名な式なんだろうけど、私には何のことだか分からなかったが、この本で「おお!」と納得できた。 TH は最高温度、TC は排気温度。4サイクル・エンジンだと、最高温度はシリンダ内で燃料が着火した時の温度になる。この時にシリンダ内の燃料と空気は熱で膨張し、エンジンを回す。
上の式から、「どうすれば強力なエンジンが作れるか」が見えてくる。最高温度を上げ、排気温度を下げればいい。排気温度を下げるのは難しいから、最高温度を上げよう…と思うんだが、現実的には難しい。あまし温度を上げると、エンジンが溶けちゃうのだ。ってんで、最近のエンジンは色んな素材を使っている。例えばジェット機のタービンの羽根だと…
ニッケルをクロム、アルミ、チタン、コバルト、硼素、炭素、モリブデン、タンタル、ハフニウム、鉄、タングステンと混ぜた合金の一個の結晶でできている。
よくもまあ、これだけのモノを混ぜるレシピを見つけたものだと感心する。終盤では、そのレシピを見つける秘訣について、幾つかの話が出てくるんだが、やっぱりコンピュータ、それもスーパーコンピュータによるシミュレーションが重要な役割りを担っているようだ。
計算力は材料工学を発達させ、材料工学はエンジンの性能を伸ばし、エンジンは戦闘機の能力を決める。そう考えると、科学教育・数学教育ってのは、重要だよなあ。それと、エンジニアの待遇も。
この本のテーマである「モノが脆くなる理由」として、頭の方からラスボスっぽい存在感を放っているのが、実は水素。
これは「大気を変える錬金術」でもボッシュが苦労していたシロモノで、何にでも染みこんで脆くしてしまう。水素社会なんて言われてるけど、水素はかなり扱いが難しいシロモノなんだよなあ。燃やしたときの熱も大きいんで、エンジンも高熱になり、それに耐えられる素材が必要になってくる。
もう一つ、脆くなる原因が、放射線だ。核分裂でも核融合でも、核反応があれば放射線が出る。放射線が金属に当たると、結晶構造が壊れて脆くなる。原子力発電の費用を考える際には、これも考えに入れないとマズいよね。
なんて真面目な話に加え、ボストンがデンバーより寒い理由・日本の刀鍛冶の秘密・MITの学生が見つけた自転車泥棒の手口・最新の戦車の装甲の構造など、小ネタもドッサリ。量子化学なんて難しい分野の本ながら、不思議なぐらいにわかりやすく楽しく読める本だった。
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