B・F・スキナー「自由と尊厳を超えて」春風社 山形浩生訳
物理学や生物学のたどった道をたどるためには、行動と環境との関係を直接見るべきであり、それを仲介するとされる心の状態は無視すべきだ。(略)私たちだって、行動の科学的な分析を進めるにあたって、人格だの心の状態だの、感情、気質、計画、目的、意図など、自律的な内なる人の要件など発見する必要はないのだ。
――第1章 人間行動のテクノロジー真の脅威とは、あまりにうまく設計されて反逆を引き起こさないような奴隷制なのだ。
――第2章 自由自律的であるなら、定義からしてまったく変えることはできない。でも環境なら変えられるし、その変え方も理解されつつある。私たちが使うのは、物理と生物の知識だが、それを特別な形で使うことで行動に影響を与えるのだ。
――第6章 価値観問題は、いま現状での人々に好かれる世界をデザインすることではなく、その新しい世界に暮らす人々に好かれる世界をデザインすることだ。
――文化のデザイン
【どんな本?】
行動心理学の開祖の一人、バラス・フレデリック・スキナー(→Wikipedia)による、一般向けの思想書。
敢えて心理学から「心」や「人格」などを取り除き、環境と刺激に対する反応という形で人間の行動を説明しようとすることで、心理学を物理学や生物学と同じ「科学」へと変え、またそれを社会に応用できると説き、その発想に対する反論「それは人間の自由と尊厳を踏みにじるものだ」に答えようとする。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Beyond Freedom and Dignity, by B. F. Skinner, 1971, 2002。日本語版は2013年4月18日初版発行。1972年に番町書房より「自由への挑戦 行動工学入門」で出たが、春風社版は2002年刊のペーパーバックと Kindle 版が底本。
単行本ハードカバー縦一段組みで本文約267頁に加え、訳者あとがきがなんと28頁。9ポイント43字×16行×267頁=約183,696字、400字詰め原稿用紙で約460枚。文庫本なら標準的な一冊分の分量。
思想書でもあり、やや文章は硬いが、具体例を挙げて説明しているので、じっくり読めば理解できるだろう。特に前提知識は要らないが、スキナーや行動心理学を知らない人は、訳者あとがきを先に読むといい。
また、思想的には功利主義に近く、伝統主義者には腹の立つ本かもしれない。
【構成は?】
基本的に前の章を受けて後の章が展開する構成なので、できれば頭から読んだほうがいい。また、各章の最後は章のまとめになっているので、忙しい人は各章の最後だけを読めばいい。
訳者あとがきは、とても親切でわかりやすい。というより、わかりやすすぎる。
実は訳者である山形浩生自身の主張や、スキナー以降の神経医学や心理学の成果も多分に入っていて、「現代科学の成果をスキナーが消化したら、こんな主張をするだろう」的な領域に足を踏み入れている。なまじ親しみやすくわかりやすい文章なので、あとがきを読んでわかったつもりになってしまうので要注意。
第1章 人間行動のテクノロジー
第2章 自由
第3章 尊厳
第4章 罰
第5章 罰に代わるもの
第6章 価値観
第7章 文化の進化
第8章 文化のデザイン
第9章 人間とは何だろうか?
謝辞/訳者あとがき/註/索引
【感想は?】
映画「マトリックス」の世界は、ユートピアなんだろうか? いや第一部しか観てないんだけど←をい
今はビッグデータが注目を集めている。膨大なデータを処理して、有益な情報を引き出そうとする技術だ。遺伝子分析や気象情報など自然現象を扱う場合もあるが、ヒトの行動を統計的に調べる時にも使う。
身近な応用例が Google で、毎日量産される膨大なインターネット上の情報を集めて索引を作り、素早い検索と応答を実現している。お陰で私のようなしょうもないブログにも、いらして下さるお客さまがいらっしゃる。ありがたいことだが、困った事態も引き起こす。少し前に話題になった、Google サジェスチョンだ。
"夫 "で検索しようとすると、世の男性にはあまり嬉しくないキーワードを示してくる。
Google サジェスチョンの場合は使う人の傾向を素直に示しているだけなので仕方がない。が、Google 検索だと、多少 Google 社の意向が入っているようだ(→Google ウェブマスターガイドライン)。大雑把にまとめると、こんな感じだろう。「検索する人が喜ぶサイト・頁を優遇し、ズルい事してるサイト・頁は冷遇しますよ」
私も多くのお客さまに来て欲しいので、なるべくガイドラインに沿うようにしている。例えば記事名は著者名・書名・出版社名(・訳者名)だけとして、「…を読んだ」みたいな余計な言葉はつけない。必要な情報は記事名で全て示し、要らない情報を省く事で、記事名を見れば記事の内容が見当つくようにしている。
これをスキナー風に言うと、「Google という環境が私の記事の書き方=行動を変えた」となるだろう。環境により、人間の行動が変わった、一つの例だ。そして、Google は、そういう環境を整えることで、インターネットを「使う人が喜ぶ社会」にしようとしているわけだ。
これはインターネットという小さな社会ではあるけど、スキナーが目指した社会の一例だと思う。
Webサイト・頁を作る人は、なるべく多くの人に見てもらおうとする。なぜ見てもらいたいのか、その理由を分析しても仕方がない。とにかく見てもらおうとしている事が分かったら、その性質を巧く利用して有益な事に使いましょうよ、そんな理屈だ。
そんなわけで、私は Google に迎合した様式や内容で記事を書いているんだが、これは私が Google にコントロールされているようにも見える。だとすると、私の自由や尊厳は、どこにある?
とまれ、社会を成立させるには、何らかのルールが必要だし、時として罰も必要だろう。ルールという点では、そもそも IP プロトコルに準じていなければ Google に相手して貰えないし、あまり下品な記事ばかりだと、いわゆる Google 村八分にされてお客さまが来なくなる。やんわりと、Google は我々を縛っているわけだ。
実社会でも、治安や文化を守るために、人は様々なルールや賞罰を定め、または道徳や価値観を育ててきた。スキナーが環境という時、それは温度や天気ばかりでなく、社会が定めた法や価値観も含む。少なくとも、この本では、そういう意味で「環境」という言葉を使っている。そして、社会的な環境を文化と呼ぶ。
文化もまた、人をコントロールする。私はコメのメシが大好きだし、食べ物を粗末にするのは嫌いだ。これは日本の文化に染まっているからだ。南インドに生まれていたら、同じコメでもインディカが好きになっていただろうし、メキシコに生まれていたらタコスが大好きになっていただろう。
では、どこに生まれたら私は幸福なんだろうか? 今の私は日本が好きだが、アメリカに生まれたら、たぶんアメリカが好きになっているだろう。だが北朝鮮に生まれていたら、なんとかして他の国に行きたいと願うだろう。
ソコで生まれ育った人が、やっぱりソコが一番だと思う、そういう社会にしましょうよ、スキナーの主張は、そういう事なんだとも受け取れる。だとすると、実に当たり前の事しか言っていないじゃないか。だが、この本は出版時に大きな反響を呼び、中には強い反発もあったし、それは今でも続いている。それは挑発的な書き方をしているからだ。
文化や伝統を「環境」と一言でくくり、それは変えられるし、科学的な知見を元に変えて行きましょうよ、と断言する。例えばそうだなあ、私はコメのメシが好きだけど、これを「トウモロコシの方が単位面積当たりで収穫できるカロリー量が多いからトウモロコシを主食にしよう」とか言われたら、やっぱり抵抗がある…って、ちょっと誤解を招きやすい例かも。
違う例だと、道路整備がある。昔は一直線の道路がいいとされていたけど、最近の高速道路は緩いカーブが続く形が多い。真っすぐだとドライバーが眠ってしまい事故を起こしやすくなるが、曲がっていると眠りにくくなり事故が減るからだ。
やはり住宅地などでは、車が真っすぐ進めないよう、道の途中に街路樹を植えたりする。邪魔物を置き、車がギザギザに進むようにして、ゆっくり走るようにすることで、事故を減らす効果がある。
これらは、「ハンドル操作があるとヒトは眠くなりにくい」「障害物があるとスピードを出しにくい」などの、行動心理学の成果とも言えるだろう。そんな風に、やんわりとヒトを誘導する事で、みんながハッピーになれるんなら、それが一番いいのかも。
その為には、「ヒトはどんな事にどう誘導されるか」が、わかってないといけない。そこで行動心理学者の出番ですよ、とスキナーは言いたかったんだろう。
とまれ、そうやって「誰もがハッピーになれる世界」は、昔からユートピア小説で描かれてきたし、今もSF物の定番テーマだ。映画「マトリックス」も、極限まで推し進めたユートピアを描いていた。どうもヒトは、「誰かにコントロールされている」という感覚を嫌うらしい。そんな世界じゃ、ヒトの自由や尊厳はないじゃないか。
と、やっと本書のテーマ「自由と尊厳を超えて」に辿りついた。この矛盾を、どう解決するのか。望もうと望むまいと、我々は既にこの矛盾を目の前に突きつけられている。広告はモノを買わせようとするし、道路は事故を起こさせまいとし、政府は支持率を上げようと画策する。そしてビッグデータやマイナンバーででヒトの行動はトレースしやすくなりつつある。
そう考えると、今こそ読まれるべき本なのかもしれない。ただし、思想書であって、行動心理学の具体的な成果は書いていないので、心理学的な内容は期待しないように。
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