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2015年12月16日 (水)

「完本 池波正太郎大成16 仕掛人・藤枝梅安」講談社

 世の中には、生きていてもらっては世の中のためにならぬ人間どもが、〔法〕の網の目からこぼれ、ぬくぬくと生きている。
 本格の仕掛け人は、そうした連中のみを目ざして殺しをおこなうのがたてまえであった。
  ――梅安晦日蕎麦

【どんな本?】

 昭和のベストセラー作家・池波正太郎による、「鬼平犯科帳」「剣客商売」とならぶ人気時代小説シリーズであり、長寿テレビドラマ「必殺」シリーズの源流となった連作小説群。

 江戸・寛政年間。品川台町に一人で住む鍼医者の藤枝梅安は、腕がよく払いにも鷹揚で、近所の町人や百姓から評判がいい。だが梅安には、知られてはならない裏の顔があった。仕掛人。金で殺しを引き受ける殺し屋である。裏の世界でも凄腕で名の通った梅安に、今日も仕掛けの以来がやってきた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解題によると、初出は「小説現代」連載で、1972年3月号の「おんなごろし」から1990年4月号梅案冬時雨まで。完本は1999年2月20日第一刷発行、私が読んだのは2008年9月22日発行の第五刷。かなりのお値段なのに安定して売れてるなあ。なお、講談社文庫から文庫本も全七巻で出ている。

 単行本ハードカバー縦二段組で本文約835頁。重さがハンパないです。8.5ポイント28字×25行×2段×835頁=約1,169,000字、400字詰め原稿用紙で約2923枚。文庫本なら6~7冊分の巨大容量。

 ベストセラー作家の作品だけあって、文章の読みやすさは抜群。困ったことにこの人の文体は独特のクセがあり、あまり読みふけると文体のクセがうつるのでブロガーとしては注意しないといけない。内容も分かりやすい。敢えていえば、当時の時刻の表し方(→Wikipedia)を知っているといいが、知らなくても大事な場面では現代の時刻表記を補足してあるので心配いらない。

 もう一つの特徴は、長い連作シリーズにもかかわらず、どこから読み始めても楽しめる事。重要な登場人物は、出てくる度にしつこくない程度に立場や背景事情や登場作品の説明が入るので、どの作品から読み始めても楽しめる上に、もっと知りたくなったらどの作品を読めばいいのかも分かるようになっている。

【収録作】

おんなごろし/殺しの四人/秋風二人旅/後は知らない/梅安晦日蕎麦/春雪仕掛針/梅安蟻地獄/梅安初時雨/闇の大川橋/梅安鰹飯/殺気/梅安流れ星/梅安最合傘/梅安迷い箸/さみだれ梅安/梅安針供養(長編)/梅安雨隠れ/梅安乱れ雲(長編)/梅安影法師(長編)/梅案冬時雨(長編、未完)

【感想は?】

 相変わらずの池波ワールドにドップリ浸れるシリーズ。

 まず気がつくのが、「仕掛人」制度の構築の巧みさ。つまりは金で殺しを請け負う殺し屋なわけで、ゴルゴ13と同じなのだが、完全に個人営業のデューク東郷とちがい、この世界では仲介人が入るのが上手いところ。

 殺しを頼む者を、「起り(おこり)」と呼ぶ。起りは、暗黒街の顔役に話を持ちかける。顔役を「蔓(つる)」という。蔓は話を聞き、引き受けるか否かを判断する。引き受けるなら、知っている多くの殺し屋=仕掛人から、最も相応しいと思える仕掛人に、仕事を持ちかける。

 仕掛人は、報酬を聞いて引き受けるか断るかを決める。引き受けるまでは、殺す相手すら教えてもらえない。引き受けても、「起り」が誰かとか、その目的などは知らされない。

 仕掛人だって人間だ。人殺しで稼ぐ商売だが、自分を悪人だとはたくない。生きる資格のない悪党を殺すのなら自らの良心も宥められようが、「起り」の私利私欲で善人を殺すのは心が痛む。だが、そういった事情は一切知らされずに、仕掛けの是非を決めねばならない。蔓への信頼だけが、判断材料になる。

 このジレンマが、シリーズ前半の緊張感を盛り上げて行く。詳しい事情を知らずに受けるか否かを決め、いったん引き受けたら断れない暗黒街の掟。蔓と仕掛人の信頼関係だけが制度を支えているのだが、なかなか理屈どおりにはいかず…

 人殺し稼業なだけに、全体のトーンは暗い。同じ人を殺すにしても、鬼平には正義の看板があったし、剣客商売の秋山小兵衛には剣に命を賭けた意地があった。しかし梅安には何もない。ばかりか、最初の「おんなごろし」から、梅安の凄まじい生い立ちや、仕掛人の非情な生き様が明らかになる。

 ここでも大江戸ハードボイルドとは言い切れないのが、池波ワールドの味だろう。デューク東郷なら無表情で淡々と仕事をこなすだろうが、梅安も仲間も人の情を捨てきれず、罪の意識にじくじくと苛まされる人間臭さがいい。そのためか、己の寿命も長くはないと思い定めている哀しみが、全編に漂っている。

 などと闇にドップリ浸かりつつも、表じゃ腕のいい鍼医者として患者の面倒を見る際には、「人のいのちをあずかるも同然」なんて考える矛盾も、このシリーズの魅力だろう。冷酷な独裁者も家庭じゃいいパパだったりするし、「人間ってそんなもんだよね」で片付けてもいいけど、立場が人を作るみたいな部分もあるんじゃなかろか。

 いずれにせよ、こういった矛盾に満ちた梅安たちの人物像が、お話に深みを与えると同時に、物語中で描かれる人々の死が生々しく感じさせてゆく効果もあげていると思う。

 こういった制度や人物がシリーズ前半を引っぱってゆくが、後半に入ると俄然空気が重苦しくなってゆく。

 なんたって梅安は殺し屋だ。人の怨みも買っているし、仕掛人制度そのものも無理があり、梅安を狙う者が増えてゆく。鬼平や秋山小兵衛を狙う者も多かったが、鬼平には公儀の立場と多くの部下や仲間がいるし、秋山小兵衛は妖怪じみた強さを誇る剣客で、どっしりとした安心感があった。

 しかし梅安の仲間は少ないし、強いといっても剣の修行をしているわけじゃない。狙われる者の心細さ・恐ろしさ・息苦しさが、話を追うごとに増してゆき、暗黒世界に足を突っ込んだ者の悲しい定めが否応なしに伝わってくる。下手な道徳の教科書より、よっぽど不良青少年の更正に役立つ本じゃなかろか。

 いやほんと、真綿で首を絞められるような重苦しさがあるんだ、このシリーズの後半は。危機また危機の連続で、しかも危機を乗り越えるごとに梅安たちを付け狙う者が増えていくし。今日を生き残るには、破滅に向かって突き進むしかない、そんなどうしようもない絶望感が立ち込めてるんだ。

 池波作品のもう一つの特徴は、美味しそうな料理。無駄な贅肉を抱える身には大変に困る作品が多いのだが、このシリーズは比較的に罪が軽い。不味そうtってわけじゃなく、やはり美味そうな食べ物が多いんだが、全般的に低カロリーで、かつ手軽に作れるメニューが多いのが嬉しい所。

 というのも、梅安の好みが大根で、彼の頼れる仲間・彦次郎の好物が豆腐。いずれもカロリーは少なく、かつ安く手に入る。これを煮て熱い所をいただく場面が多く、寒い季節に読むとどうしても自分で試したくなってくる。最初に出てくる大根と油揚げの煮物とか、実に手軽で安上がりだからたまんない。出汁は昆布かなあ?

 どうでもいいが、ハードボイルドと言いきれないのは料理のせいもある。よく出てくるのが、熱い味噌汁に生卵を入れたもの。美味しいんだよね、あれ。

 やはり鬼平や剣客と一線を画しているのが、女性の描き方。剣客では三冬とかの魅力的な女性が出てきたんだが、このシリーズでは、最初の「おんなごろし」から女への怨みつらみがにじみ出ているような描き方。これは著者の心境の変化なのか、シリーズの色合いに合わせたのか。

 絶筆で未完なのは悲しいが、平成の人気作家が完成させてくれないかなあ。でも絶大な人気を誇る作品だけに、熱心なファンを納得させるのは難しいだろうなあ。いっそ複数作家の競作で、複数の結末を描くアンソロジーを出すとか。

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