大森望・日下三蔵編「年刊日本SF傑作選2010 結晶銀河」創元SF文庫
学校から帰る際、バスが自宅前に着いてペーパーバックにしおりを挟むときが、いつも大切な一瞬だった。家に戻って宿題を終え、食事をすませて再び本を開けるとき、そのしおりがバスの中で吸った最後の呼吸を憶えていた。
――瀬名秀明「光の栞」むしろ、根の深さは、本質が好き嫌いにあるからこそかもしれない。
――長谷敏司「allo, toi, toi」
【どんな本?】
2010年に発表された日本のSF短編から、大森望と日下三蔵が選び出した作品を集めたアンソロジー。
今回は老舗のSF老舗マガジン収録作が多い。また光文社文庫の「異形コレクション」シリーズや、河出文庫の「NOVA」シリーズなど、オリジナル・アンソロジーからの選出も目を引く。それだけ、SF短編を発表する場が増えてきたんだろう。ばかりでなくロリコン雑誌や同人誌にまで目を光らせる視野の広さも、このシリーズならでは。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2011年7月29日初版。文庫本縦一段組みで約549頁。8ポイント42字×18行×549頁=約415,044字、400字詰め原稿用紙で約1038枚。上下巻でもおかしくない分量。読みやすさは作品それぞれ。
【収録作は?】
それぞれ 作品名 / 著者 / 初出。
- 序文 / 日下三蔵
- メトセラとプラスチックと太陽の臓器 / 冲方丁 / SFマガジン2010年2月号
- 人類は遂に長寿技術を実現した。といっても、恩恵を受けるのは、これから生まれる子どもだけ。胎児に遺伝子的な改変を施し、長寿を可能とする人工的な臓器を創りだすのだ。
- 妻が長寿の子を身ごもった夫の視線で、妻とこれから生まれる子どもへの想いを綴ってゆく。技術を開拓したワイズマン博士、どうみてもマッド・サイエンティストで、SFだとキワモノとして扱われるのに、なんだこの違いはw やっぱり世論は女が作ってるんだなあ。
- アリスマ王の愛した魔物 / 小川一水 /SFマガジン2010年2月号
- 小国ディメの第六王子アリスマ。跡継ぎでもなければ威丈夫でもない王子は、ほとんど放置されて育ったが、数に関しては天才だった。三つの歳にひとりで算術を発見し、長じては度量衝も見つけだす。七つになると国中を巡り、人口・戸数・田畑の大きさや街道の長さなど、国の実情を示す数字も調べ上げ…
- ユーモアたっぷりに描く、いにしえのハッカーの一代記。舞台はお伽噺風に昔の時代なので、当然ながら電子機器などはない。ではどうやって計算するのか、というと…。馬鹿馬鹿しいようだけど、マンハッタン計画では似たような手法が使われたとか。
- 完全なる脳髄 / 上田早夕里 / 異形コレクション Fの肖像
- 「華竜の宮」と同じ世界の物語。私はシムの警官だ。機械脳を持つシムは、人を撃てない。薬局のそばで張り込んだ私は、ターゲットを見つけた。シムの青年だ。聞き込みのフリをして青年に話しかけ、車に誘導し…
- 異なる者との共生を描く「華竜の宮」シリーズの一編。この作品では、機械脳で生きるシムと人間との関係を、ダークな雰囲気で綴ってゆく。元々が相当にイカれた設定の世界なのだが、やはりマッド・サイエンティストの繭紀がいい味出してる。
- 五色の舟 / 津原泰水 / NOVA2
- 太平洋戦争末期。くだんは牛から生まれ、未来を予言するといわれる。奇形の一家として見世物興行で暮していた僕らは、くだんが生まれたと聞いて岩国まで出向いた。一家に加えれば、きっと人気を博すだろう。
- すんません。津原泰水ナメてました。文体もアイデアも、なんとなく私の好みじゃないと思い込んでいたんだけど、これ読んでアッサリと宗旨変えしました、はい。読み終えるのがもったいなくて、最後の数行はなかなか読めず、特にラスト一行にはなかなか目を通せなかった。こんなに没入した作品は久しぶり。
にしても、「ワンダー5」はないだろw - 成人式 / 白井弓子 / 白井弓子初期短編集・IKKI2010年8月号
- 漫画。AからZまでの巨大な幹が輪になっている世界。樹幹で育った少女たちは、成人式の日に旅立つ。夏が来るまでに、樹を一周して戻ってくるために。
- なんといっても、巨大な円環になった樹上世界なんぞという、世界観の異様さに圧倒される。これに成人としての通過儀礼を組み合わせた…と思ってたら、遥かにスケールの大きい世界だった。見開きを使った大コマの開放感は、SFならでは。
- 機龍警察 火宅 / 月村了衛 / ミステリマガジン2010年12月号
- 「機龍警察」シリーズの一編。SF色のない警察小説。かつては荒れていた由紀谷は刑事となり、今は警視庁特捜部捜査員の警部補として、現場を仕切っている。彼が刑事となり最初に配属された高輪署では、ベテラン巡査部長の高木の指導を受ける。地道に実績を積み重ねた高木だが出世には縁がなかった。病に倒れた高木を由紀谷は見舞うが…
- 尊敬する先輩を見舞う由紀谷の視点で描く作品。同じく高木を見舞った山倉&浅井のコンビ、シリーズを読んでいる人なら「由紀谷&夏川と似てる!」と感じるかも。再読なのだが、それでも終盤のネタに迫る場面はゾクゾクしてくる。
- 光の栞 / 瀬名秀明 / 異形コレクション Fの肖像
- ロスアンゼルスの裕福な家庭に生まれた娘・栞は、咽頭に異常があり、声が出せなかった。周囲の環境もよく、栞はふんだんに愛情とサポートを受け育つ。長じて栞は生命科学の研究者となり…
- 本そのものがテーマの作品。今でこそ本は手軽に手に入る。これは木材パルプの発明に拠る所が大きい。現在の製紙機械は60km/hで紙を吐き出すとか。羊皮紙の頃の本は、どれほど高価だったことか。今は製本も工場の流れ作業だが、これも昔は職人による手作業だった。本作りのプロセスを、静かに綴った作品。
- エデン逆行 / 円城塔 / SFマガジン2010年2月号
- 時計の街を通り抜けるのは不可能とされている。まずは通訳を雇わなければならないが…
- 円城塔にしては、比較的に読みやすい部類の作品だと思う。だが読みやすいからといって、分かりやすいとは限らないのが円城塔。物語はループし再帰し逆行し…。書物を説明するあたりは、どっかで見た圧縮アルゴリズムを思い出した。
- ゼロ年代の臨界点 / 伴名練 / Workbook93号
- 敢えて内容には触れません。何せ一行目から、読み手の思い込みをアッサリ裏切る出だしで、思わず「そっちかよっ!」とのけぞること確実だし。ただの出オチかと思ったら、その後の展開も虚実を取り混ぜ惑わす惑わす。最後の一行まで仕掛けがたっぷりで、凝ってるわりにトボけ切った作品。
- メデューサ複合体 / 谷甲州 / NOVA3
- 建設中のメデューサ複合体は、木星の高空に浮かんでいる。技術員は木星の衛星アマルテアに駐在し、遠隔で建設工事を管理する。現場が2.5Gの高重力であり、働くのは自動化されたロボットだ。だが今、高嶋主任は現場に向かっている。具体的には指摘できないが、どうも妙な不具合が多い。
- これも再読だが、問題の場面は最初に読んだ時より恐ろしく感じた。こういう問題は今でも根絶が難しいらしく、先に読んだ吉中司の「ジェットエンジンの仕組み」でも詳しく語っている。機械部品も共通化すれば大量生産で安上がりになるのだが、動くものや野外で使うものは適度に分散する必要があるらしい。
- アリスへの決別 / 山本弘 / うぶモード2010年3月号・5月号
- オックスフォード大学のクライスト・チャーチ。ルイス・キャロルこと数学教師チャールズ・ドジソンは、彼女を待っていた。12歳のアリス。グラスハウスは彼専用の写真スタジオだ。
- 発表当時に話題になっていた、東京都の非実在青少年条例を風刺する作品。今は議論が沈静化してるけど、暫くしたらまたぶり返すんだろうなあ。規制を求める人たちは、表向きとは違う動機で動いていると私は思うんだけど、彼らは決して認めようとしないだろうなあ。
- allom toi, toi / 長谷敏司 / SFマガジン2010年4月号
- ダニエル・チャップマン。八歳の少女を強姦して殺した男。現在、ワシントン州グリーンヒル刑務所で百年の懲役に服役中。囚人の中で強姦犯は最低の地位と見なされ、事あるごとに他の囚人に殴られ蹴られる。だから独房に入るため、ダニエルは取引した。モルモットとして、脳に拡張機器ITPを埋め込んだのだ。
- これも再読。最初は幼児強姦犯の心の中に鋭く切り込んだ作品と思ったが、再びじっくり読むと、それほど単純で狭い話じゃない。タイトルの「allom toi, toi」がどんな場面で使われているか、それがどう物語を動かすかに注目しよう。再読でも終盤のキリキリくる緊張感は相変わらず。
- じきに、こけるよ / 眉村卓 / 沈むゆく人
- 定年後も三年間、高石彦二は非常勤講師として勤めてきた。夏休み前とあって、午前十一時でも表は暑い。行く手の向こう側に、六つか七つぐらいの男の子が立っている。通り過ぎるとき、彼の声がした。「じきに、こけるよ」
- ベテランらしい味わいの、老人の日常を切り取った雰囲気の、私小説的なファンタジイ。現実の中に幻想が紛れ込みながらも、それを静かに受け入れている主人公の穏やかさが羨ましい。
- 皆勤の徒 / 酉島伝法
- 第二回創元SF短編賞受賞作。海上から百メートルほどにそびえ立つ甲板で、従業者は閨胞から出る。すぐに出勤し、作業着に着替える。社長はご機嫌斜めらしい。工房に赴き、作業台に向かい、必要な器具を並べ…
- どことも知れぬ惑星で、何者だか分からぬ者たちが繰り広げる、うにょうにょグチャグチャの日々を描く作品。冒頭のブラック企業ぶりは凄まじいが、著者曰く「実体験です」だとか。隷重類(れいちょうるい)・體細胞(たいさいぼう)・冥刺(めいし)などの造語が、奇矯なイマジネーションを刺激する。
- 第二回創元SF短編集選考経過および選評 大森望,日下三蔵,堀晃
2010年の日本SF界概況 / 大森望
後記 / 大森望
初出一覧
2010年日本SF短編推薦作リスト
けっこう再読の作品もある。中でも「機龍警察 火宅」・「メデューサ複合体」・「allom toi, toi」は、オチがわかっていても最初に読んだ時より楽しめた。いずれも終盤で、最初のときより余計に緊張感が増しているように感じる。
アンソロジーの楽しみの一つは、新しい作家に出会えること。この本では、「五色の舟」が大きな収穫だった。私は勝手に「お耽美な人」と思い込んでいたが、とんでもない。序盤の引き込み、登場人物の造型、語り口や言葉遣い、そして終盤の展開から余韻を残す最後の行まで、極上の短編だった。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:SF:日本」カテゴリの記事
- 酉島伝法「るん(笑)」集英社(2022.07.17)
- 久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」東京創元社(2022.04.06)
- 菅浩江「博物館惑星Ⅲ 歓喜の歌」早川書房(2021.08.22)
- 小川哲「嘘と正典」早川書房(2021.08.06)
- 草上仁「7分間SF」ハヤカワ文庫JA(2021.07.16)
コメント