スティーヴン・キング「11/22/63 上・下」文藝春秋 白石朗訳
ダンスは人生だ
模倣は、賞賛のもっとも誠実なかたちだ。
【どんな本?】
ホラーの、いや娯楽小説の帝王スティーヴン・キングによる、2011年発表の長編小説。11/22/63とは、ケネディ大統領が、リー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺(→Wikipedia)された日、1963年11月22日のこと。過去に通じる「穴」を通り、ケネディ暗殺の阻止を試みる高校教師の奮闘と、当時のアメリカの風俗、そしてそこに生きた人々を描く重量級の娯楽小説。
2012年度国際スリラー作家協会最優秀長編賞、2011年度LAタイムズ文学賞ミステリ/スリラー部門受賞の他、「このミステリーがすごい!」2014年度海外篇トップ、週間文春ミステリーベスト10の2013年トップ、「SFが読みたい!」ベストSF2013海外篇5位など様々な分野で高い評価を得た。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は 11/22/63, by Stephen King, 2011。日本語版は2013年9月15日第一刷。単行本ソフトカバー縦二段組で上下巻、本文約519頁+507頁=約1,026頁に加え、著者あとがき8頁+訳者あとがき4頁。9ポイント24字×20行×2段×(519頁+507頁)=約984,960字、400字詰め原稿用紙で約2,463枚。文庫本なら5分冊でもおかしくない巨大容量。
文章は読みやすい。内容も特に難しくないが、1950年代終盤~1960年初頭の世界情勢やアメリカの風俗に詳しいと、更に楽しめる。
最も重要なのはジョン・F・ケネディ及びその暗殺事件で、出来れば Wikipedia などで軽く調べておこう。当時JFKは絶大な人気を誇っていた、いや今でも人気があるのだ。次に音楽で、グレン・ミラーのイン・ザ・ムード(→Youtube)。名前は知らなくても、聞けば「ああ、この曲ね」とピンとくると思う。
【どんな話?】
ハイスクールの英語教師ジェイク・エピングは、余命いくばくもない友人のアツ・テンプルトンから、大変な使命を負かされてしまう。1958年9月9日に通じる「穴」を通って時を遡り、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺を阻止してくれ、と。「穴」の向こうは、常に1958年9月9日。向うで5年間は過ごさねばならない。
決意を固めたジェイクは、準備を整え1950年代終盤のアメリカへ向かうが…
【感想は?】
活き活きと描かれた50年代終盤~60年代初頭のアメリカの様子が楽しい。
まずは、どこでも誰でもタバコを吸っていること。バスの中でも吸いまくりだ。当時は喫煙の害も知られておらず、嫌煙権なんてのもなかったのだ。おまけに吸殻は道端に平気で捨ててた。若い人は「とんでもねー」と思うだろうが、当時はアメリカも日本も似たようなもんだった。
次に、車。主人公のジェイクが一目惚れするのが、フォード・サンライナー(→Google画像検索)。やたら長いフロント・ノーズ、いかにも板金なカクカクしたボディ、意味不明なテール・フィン。燃費なにそれ美味しいのってな雰囲気プンプンで、それも含め繁栄するアメリカの空気が現れた車だろう。
そして、音楽。
この作品のテーマソングとも言えるグレン・ミラーのイン・ザ・ムードもそうだが、クスっとしたのがチャック・ベリー。昔はポップ・ミュージック、それも若者向けの音楽はラジオを介して広がるものだったし、育ちのいい白人は黒人の音楽なんか聴かないとされていた。
テレビなら、見た瞬間にチャック・ベリーが黒人だとバレるが、ラジオならバレない。そこで、若者たちは「彼は白人だ」ってことにして、父ちゃん母ちゃんの雷を避けたわけ。
現在、ブルースの流れを汲む音楽を演じる白人ミュージシャンは多い、どころか、ジャズやロックのミュージシャンでブルースの影響を受けていない人を探す方が難しい。今はそれが当たり前だが、当時はブルースも黒人音楽の一端であり、今とはだいぶ位置づけが違っていたわけで、ブルースを演るってのは、それだけでちょっとした政治的な姿勢をしていたんだろう。
他にも、テレビ番組・小説そして食べ物と、オジサンオバサンには懐かしいシロモノが次から次へと押し寄せてくる。
これもベテランの風格か、過去作読者にはちょっとしたクスグリが用意されているのも嬉しい所。私が判ったのは「図書館警察」「IT」「ランゴリアーズ」だけだが、キング作品を沢山読んでいる人は、もっと見つかるだろう。
といったファン・サービスばかりではなく、当然ながら魅力的な登場人物もいっぱい。
私が最も印象的に感じたのは、マーゲリート・オズワルド。ケネディ暗殺事件の犯人、リー・オズワルドの母ちゃん。そう、母親というより母ちゃんって表現がピッタリ。
とにかく人の話は聞かない。常に自分の考えが最善だと思っている。息子のリーが何を言おうと、自分の厚意は無条件に受け入れるべきだと信じ込んでいる。何も恐れず、いかなる妨害にもめげず突き進む。話し始めたら止まらない。相手が持ち出した話題には決して乗らない。自分が話したいテーマだけをしゃべりまくる。
この作品中のリーはしょうもない厨二病の若造なんだが、マーゲリートが絡むと途端にリーに同情したくなるから不思議だ。やっぱり、どこにでもいるんだな、こういう人って…とか思ってたら、後半になって、もっと強烈な人が出てくるからキングは侮れない。
逆の意味で強烈なオバサンが、ミミ・コーコラン。デンホーム郡ハイスクールの校長ディーク・シモンズを差し置いて、学校を支配する司書。鋭い人物眼、圧倒的なリーダーシップ、裏も表も知り尽くした行動力で、前半の物語を推し進めて行くパワフルな人…ではあるが、印象はマーゲリートと正反対なのがなんとも。いやディークもなかなか頼れる人なんだけどw
当時の空気って点では、キューバ危機(→Wikipedia)の描写が見事。ちょうど2015年11月29日現在、トルコがシリア領内に展開するロシア軍機を撃墜してヤバげな雰囲気が漂っているが、冷戦当時の空気はあんな生易しいもんじゃなく、いつ空から核ミサイルが落ちてくるかと普通の人が心底怯える状況だった、ってのがよくわかった。
やがて物語は、ダラスの暑い日に向け走り出す。この終盤の緊張感は、読み始めたら止まらないので、うっかり夜遅くに「もうちょっとだけ味見しよう」などとは考えないこと。それで失敗して寝不足になった私が言うんだから間違いない←をい
キングお得意の、理不尽な運命に傷ついた者が、過去を克服して雄雄しく立ち上がる物語もあれば、運命の恋人との出会いもある。行きずりの人との印象的なエピソードでは、手押し車の婆さんが光ってた。大切な人との別れ、普通の人に隠された意外な人生、そして忘れられぬ音楽。
ノスタルジックな舞台で展開する、いくつもの人生の物語、そして恐怖と緊迫感に溢れた終盤。ベストセラー作家が実力を存分に発揮した、文句なしの娯楽超大作だ。
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