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2015年10月の18件の記事

2015年10月30日 (金)

オーランド・ファイジズ「クリミア戦争 上・下」白水社 染谷徹訳 1

ロシアの最終的な本音は、全ロシアの協会の母であるハギア・ソフィアを奪回し、さらに、モスクワからエルサレムに至る広大な正教帝国の首都としてコンスタンチノープルを奪回することにあった。
  ――第2章 東方問題

ナポレオン三世「…反乱の勃発を未然に防止する方法は存在する。多分、最も確実な方法は戦争だろう」
  ――第4章 「欧州協調」の終焉

ニコライ一世「私を決して裏切らない将軍がいる。それは一月と二月にやって来る冬将軍だ」
  ――第8章 秋のセヴァストポリ

【どんな本?】

 クリミア戦争(→Wikipedia)は、1853年~1856年にわたって繰り広げられた。フランス・イギリス・オスマン帝国の連合軍が、ロシアに挑んだ戦いである。短射程のマスカット銃(→Wikipedia)を長射程のミニエ銃(→Wikipedia)が蹴散らし、鉄道が活躍するなど軍の近代化が進むと同時に、騎馬突撃が効果をあげた戦いもあり、近代戦と現代戦が混在する戦いでもあった。

 その時の世界情勢は、どのような状況だったのか。参加国や周辺国は、どのような意図で、どんな目的のために、どう動いたのか。どんな将兵が動員され、どんな待遇と装備で戦場に赴き、どう戦い、どう倒れたのか。そして戦争に巻き込まれた民間人は、何を考え何をし、どんな運命を辿ったのか。そして戦争はどのような経緯を辿り、後の国際関係にどう影響したのか。

 ロシア史の研究者が、豊富な資料を駆使して当時の様子を再現し、国際関係から前線の将兵や戦場となった町に住む民間人まで、様々な視点で立体的にクリミア戦争を再現する歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CRIMEA : The Last Crusade, Orlando Figes, 2010。日本語版は2015年3月5日発行。単行本で上下巻、縦一段組みで本文約396頁+297頁=697頁に加え、土屋好古の解説6頁+訳者あとがき3頁。9ポイント45字×20行×(396頁+297頁)=約627,300字、400字詰め原稿用紙で約1,569枚、文庫本なら三冊分ぐらいの大容量。

 日本語は比較的にこなれている。内容も意外とわかりやすい。というのも、過去の遺恨から当時の国際情勢まで本書内でわかりやすく説明しているため。敢えていえば軍の編成で、大きい順に師団・旅団・連隊・大隊・中隊・小隊となる事を覚えておくといい。

 また、1853年は日本史だと黒船が浦賀に来た年でもある。多くの日本人にとっては、黒船が来た頃と言った方がピンと来るかもしれない。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。また、冒頭に8枚の地図があり、各章末に注があるので、栞を多めに用意しておこう。

  •  上巻
  • 日付と固有名詞について/地図/謝辞
  • 序言
  • 第1章 宗教紛争
  • 第2章 東方問題
  • 第3章 ロシアの脅威
  • 第4章 「欧州協調」の終焉
  • 第5章 擬似戦争
  • 第6章 ドナウ両公国をめぐる攻防
  • 第7章 アリマ川の戦い
  • 第8章 秋のセヴァストポリ
  •  下巻
  • 日付と固有名詞について/地図
  • 第9章 冬将軍
  • 第10章 大砲の餌食
  • 第11章 セヴァストポリ陥落
  • 第12章 パリ和平会議と戦後の新秩序
  • エピローグ クリミア戦争の伝説と記憶
  •  解説 土屋好古/訳者あとがき
  •  図版出所一覧/主要参考文献/原註/人名索引

【感想は?】

 まだ上巻だけしか読んでいないので、そこまでの感想を。

 クラウゼヴィッツ(→Wikipedia)は「戦争は外交の延長だ」と主張したが、クリミア戦争はだいぶ様子が違う。参加した全ての国が、何やら得体の知れない勢いのようなモノに突き動かされ、目的も目標もハッキリしないままセヴァストポリ攻囲戦へと突き進んでゆく。

 例外はオスマン帝国で、防衛戦争なのがハッキリしている…んだが、弱い立場に付けこまれたのか、イギリスとフランスに振り回され、たいして意味のないクリミアにまで大軍を送り込む羽目に陥っている。大国なんだが、政治的に不安定で社会的にも軍事的にも改革が遅々として進まず、スルタンは思い切った手が打てないのだ。

 こういったあたり、専制的な独裁者と思われるスルタンが、思いどおりに振舞えないのが意外だったり。

 この本では、上巻の前半を割いて当時の国際情勢から、各国の思惑までを丁寧に説明してゆく。本格的な戦闘場面が出てくるのは第7章以降だ。そういう点では、軍事というより歴史書に近いかも。

 その各国の思惑では、宗教問題を重要視しているのが、この本の大きな特徴だろう。

 当時のロシアは東方教会(正教、→Wikipedia)の国だ。第1章の冒頭は、二万名の東方教会の巡礼がエルサレムを訪れる場面から始まる。カトリックと正教会が共に管理する聖墳墓教会(→Wikipedia)では両者の諍いが絶えず、ムスリムであるオスマン帝国の総督メフメト・パシャが仲裁してるのに、思わず笑ってしまう。

 カトリックと正教会の対立は、同時にそれぞれの庇護者を任じるロシアとフランスの対立につながってゆく。特に、かつての東ローマ帝国の末裔と思っているロシアは、コンスタンチノープル(現イスランブール)を、ムスリムであるオスマン帝国から取り戻す野望を抱いている。

 個人的に、この辺の説明で、何度か「おお、そうだったのか!」と目からウロコが落ちる思いをした。

 まずは「八月の砲声」。「なぜロシアがバルカン諸国を己のシマと思い込んでいるのか」って疑問が残ったんだが、これで氷解した。バルカン半島は正教徒が多い。東方教会の守護者を任じるロシアが「オレのナワバリ」と思うのも、仕方がないだろう。ここでは、かのヴラド・ツェペシュ(→Wikipedia)で有名なワラキア(→Wikipedia)が出てくるのも楽しい所。

 次にソ連(ロシア)がイスラエルを敵視してエジプトやシリアに肩入れする理由。これは冷戦時から欧米に対抗するって意味もあるが、エルサレムを巡る東方教会(&イスラム) vs カトリック&プロテスタント(&ユダヤ)の争いって構図でもあるわけ。

 そして、ギリシアとトルコの仲が悪い理由。これも今さらで恥ずかしいんだが、この頃のギリシアはオスマン帝国の一部で、ロシアの脅威に対抗するため英仏がオスマン帝国に圧力をかけて独立させている。トルコから見れば「本来はおらが国の一部」なんだが、ギリシアから見たらトルコは元圧政者で、面白いはずがない。そりゃ仲悪いよなあ。

 それに加えてカフカス情勢も今とモロに繋がってて、優れた指導者シャミーリ(→Wikipedia)がロシア軍を翻弄する場面は、現代にまで通じるゲリラ戦の基本が、この時代にも確立していたことが分かる。広いところでは戦わず、山に潜んで待ち伏せする。住民を味方につけ、神出鬼没の動きで大軍を惑わす。

 こういったゲリラ戦術に対抗する方法も、既に確立してる。

ノヴォロシアおよびクリミアの総督を歴任したミハイル・ヴォロンツォフ将軍(略)はゲリラの拠点を直接攻撃する代わりに、ゲリラ基地周辺の村々と農作物を焼き払い、兵糧攻めにする戦術を採用した。ロシア軍は森を切り倒して反乱分子をあぶり出し、反乱地域に軍用道路を建設した。

 白戸圭一の「ルポ 資源大陸アフリカ」にあった、ダルフールの虐殺でスーダン政府軍がやった方法と同じ、焦土作戦だ。結局、泣くのは武器を持たない庶民ってのが悲しい。

 今のチェチェン問題は、この頃から火を噴いてたんだなあ。そんなわけで、英仏オスマン帝国は、彼らを支援してロシアの脇腹を突っつこうとする。敵が内部に抱える不満分子を焚き付けるのも、戦略の基本だよね。

 やはり同じ頃にポーランドじゃロシアの圧政に抗する11月蜂起(→Wikipedia)なんてのがあって、ロシアに飲み込まれるポーランドからの亡命者をイギリスが受け入れてて、これまた第二次世界大戦にソックリ。

 さて。バルカン半島ではロシアがモルダヴィアとワラキアをオスマン帝国から奪い、ヒタヒタと南下を目論む。スルタンは帝国の改革を望むが、保守的な宗教指導者や学生が反対する。ところが、だ。ロシアに対し強硬論を張る学生に対し、オスマン帝国政府が…

それほど戦いたければ兵士として出征する意志があるかと学生たちに質問した。学生たちが、自分たちの義務はイスラムの教えを説くことであって、戦うことではないと答えると、彼らは流刑処分となり、クレタ島に送られた。

 いつだって、戦いを煽る奴ってのは、自分は前線に出ないんだよなあ。

 民が先走るのはオスマン帝国ばかりじゃない。英国でも新聞が対ロシア強硬論を煽り、戦争を求め始める。ここで日に油を注ぐのが新聞なんだが、その基礎として鉄道が大きな役割りを果たしてるのが面白い。「鉄道の発展とともに全国紙が出現」したのが、世論形成の基礎になったわけ。

 「世界鉄道史」とかで「鉄道が国民国家の形成に役立った」とあるけど、それはモノを運ぶだけでなく、情報も運ぶからなんだなあ。

 という事で、次の記事に続きます。 

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2015年10月27日 (火)

梶尾真治「怨讐星域 Ⅲ 約束の地」ハヤカワ文庫JA

「古い世代には古い世代の役割り、新しい世代は新しい世代の役割りが存在するんだと思うぞ。ダニエルはダニエルで、その道を進めばいいではないか」
  ――遷移軌道上にて

「…私たちは幼い頃から、殺人や差別など人間は犯してはならないものがあると教えこまれてきました。キリスト教においても守らねばならぬ戒めと犯してはならぬ大罪について私たちの先祖は叩き込まれてきた筈です。しかしそんな先祖たちもアメリカ先住民に対して虐殺や追放をやってきたというのは、何故かと思えるのです」
  ――星条旗よ永遠なれ

 非人道的な兵器とは、どういうものだろう? 自分が訓練している槍は、人道的兵器と言えるのだろうか?
 いうや、そもそも兵器に人道的も非人道的もないのではないか?
  ――キリアンは迷わない

「でも、人間が、ニューエデンに飛んで来てからは、一度も紛争が起こらなかったのは、何故だろう? どうして、今になって殺し合うことを唱えるようになったのだろう?」
  ――トーマス老の回想

【どんな本?】

 ベテランSF作家の梶尾真治が、約十年に渡りSFマガジンに連載した連作短編シリーズ三巻の最終巻。

 破滅が確実となった地球から、抜け駆けのように巨大な世代間宇宙船ノアズ・アークで脱出したアジソン一味。彼らが目指すは172光年先の惑星だっ た。取り残された人類は、急遽開発した転送装置で、多くの犠牲を払いながらも一足先に同じ惑星に降り立つ。何もない状態から必死に生き延びて文明を再建 した彼らは、アジソン一味への復讐の時を待っていた…

 人類の二つの集団の出会いは、どのような形になるのか。十年間をかけた物語が、ここに完結する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年5月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約382頁に加え、あとがき4頁。9ポイント41字×18行×382頁=約281,916字、400字詰め原稿用紙で約705枚。文庫本としてはうやや厚め。

 文章は抜群に読みやすい。多くのSFガジェットが登場するが、ベテランらしく巧く説明しているので、SFに慣れない人にもわかりやすい。三巻本の最終巻だが、これから読んでも充分に意味が掴める。とはいえ、感動の最終巻なので、できれば最初の「怨讐星域 Ⅰ ノアズ・アーク」から読んで欲しい。

【どんな話?】

 避けられぬ太陽の暴走を知った米大統領アジソンは、密かに三万人の一味と共に大型の世代型宇宙船ノアズ・アークで172光年先の惑星へと脱出した。残された人類は転送装置を開発し、一足先に同じ惑星へと移住する。多くの者が転移時に犠牲になり、また無事に転移できた者も、危険な生物に脅かされる原始生活を余儀なくされた。

 国や人種や宗教の違いを乗り越え、転移した者たちは文明を再興してゆく。彼らの諍いを防ぎ結束を深めたのは、自分たちを置き去りにしたアジソン一味への恨みだった。親から子へ、子から孫へと、アジソン一味への恨みは受け継がれてゆく。

 そして今、ノアズ・アークが約束の地へと近づきつつある。人類の二つの集団は、いかなる再会を果たすのか。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出 の順。

悪魔の降下 / SFマガジン2012年5月号
 テンゲン山の麓で、兄のリュンと幼い妹のマユゥは棚田で米を作って暮らす。既に両親は亡くなった。時おり下の集落に赴き、乾燥山菜を売って、必要な生活雑貨を仕入れる。リュンは集落の者が苦手だ。今度、エデンから農業指導員が来るという。また、悪魔の末裔の宇宙船が迫ってるとも。
 「品種改良の日本史」とかを読むと、現代の農作物は凄い勢いで品種が変わっているんだと思い知らされる。実はかなり頭を使う職業らしい。急激に文明を発達させたニューエデンもそれは同じで、農法や品種も年々進歩している模様。でも、その魚、あまし美味しくなさそうな気がw なんとなく「いつかこのネタをやってやろう」と虎視眈々と機会をうかがっていたんじゃないか、と疑ってしまうw
遷移軌道上にて / SFマガジン2012年8月号
 ノアズ・アークは、<約束の地>の衛星軌道上で周回に入った。24歳のダニエル・ウォーカーは、父と共にトマト農場で働きながら、最初の移住メンバーになりたいと望んでいる。恋人のアリス・リーは23歳。彼女が幼い頃にダホディル・フィールドで出会い、ずっと今まで付き合ってきた。
 行く者と、残る者。Ⅰ巻「ノアズ・アーク」でも、転送を選ぶ者と地球に残る者として描いたテーマが、再び繰り返される。自らの手で未来を切り開こうと希望に燃えて先を急ぐ者と、目の前にある役割りに準じて残ることを選ぶ者。世の中には、両方の人が必要なんだよなあ。
闇の起源 / SFマガジン2012年11月号
 ニューエデンの絶対権力者となったアンデルス・ワルゲンツィンだが、かつては襤褸をまとって街角で意味不明なことを叫んでいた。『怒りの剣』のモニュメントが赤く染まった時から、彼は指導者への道を歩み始めた。そして今は、彼が率いる「正義の人類党」が議員の87%を占める。
 この物語の終盤で重要な役割りを果たす、ニューエデンの指導者アンデルス・ワルゲンツィンの若き日を描く作品。現在でも、大抵の独裁者は他国の脅威を訴えて軍備増強を進めるんだが、同時にソレが隣国には脅威になって、隣国も軍備増強して…ってな悪循環になるんだが、ニューエデンの場合は敵の脅威の度合いが全く分からないってのがミソ。
星条旗よ永遠なれ / SFマガジン2013年2月号
 ノアズ・アークでは、第一次移住計画が中断したままだ。シャトル機は完成している。ただ、予想外の事実が明らかになったのだ。惑星の95%が海で、陸地は5%しかない。その陸地に、謎の発光現象がある。知性のある先住生物がいるのかもしれない。キース大統領の悩みの種が増えた。
 読者はニューエデンについて知っているが、ノアズ・アークの面々は何も知らない。そこで異星生物であろうと仮定して、ファースト・コンタクトの方法を話し合うのだが…。不吉な予兆に満ちた、終盤の予告編。
キリアンは迷わない / SFマガジン2013年5月号
 14歳のキリアンは、今日も訓練に参加する。悪魔の末裔を滅ぼすための、戦闘訓練だ。最初は七日に一度だったのが、最近は三日に一度に増えた。父も仕事で忙しいらしく、家で顔を合わせる時間もない。幼い頃はよく一緒に遊んだ一つ年下のナタリー・アダムスも、最近はあまり口をきかなくなって…
 ちょっと戦中の国民皆兵の頃の竹槍訓練を思わせる作品。とはいえ、微妙にユルい感じなのは、初期の偶発的な衝突を除けば本格的な戦闘がなかったニューエデンだからかも。妄想ばかりが先走る、自意識過剰な年頃のキリアン君の若さが切ない。あの頃の男ってのは、そんなもんです。
ダホディル・フィールドは、永遠に / SFマガジン2013年8月号
 ベン・ブッファ、通称BB、76歳。父の代からダホディル・フィールドの管理室に勤めてきた。家では仕事の話はしない父だったが、幼い頃に初めてダホディル・フィールドを訪れた時に、彼の人生は決まった。父と同じようにダホディル・フィールドで働こうと。
 己の仕事を愛し、誇りを持って勤め上げた男の物語。シャトルの建設が始まると共に、船内の娯楽用の区画は閉鎖を余儀なくされ、BBが長年勤めたダホディル・フィールドも飲み込まれてゆく。なお、オニナラタケの話は本当です。当然、元ネタはビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエバー。あの時代に相応しいオチかも。
その日への輪舞曲(ロンド) / SFマガジン2013年11月号
 ノアズ・アークは、ニューエデンの周回軌道に入った。いよいよ迫る侵略に備え、ニューエデンも慌しい。市庁舎に勤めるダニー・コリンズの仕事は増える一方だ。エヴァは夫ダニーを心配するが、どうする事もできない。二階に住む父のジャンの具合も…
 このあたりはSFマガジン連載時に読んでいて、ノアズ・アーク一行とニューエデンの両者の出会いがジリジリと迫ってくる緊迫感を、ゆっくりした発表ペースにイライラしながら味わっていたのを憶えている。空に輝く光が持つ意味は、家族のそれぞれで違っていて…
大破砕 / SFマガジン2014年5月号
 思わぬ災厄に見舞われたノアズ・アーク。ニューヨークⅠの居住環境メンテナンスの見習いカンジ・ナカムラは、勤務明けで家に帰る途中に、その時が来た。まず思いついたのは、恋人のスーザン・ペイジの事だ。オクマホマⅠで老人たちのケアサービスの仕事をしているはずだが、無事なんだろうか?
 物語もいよいよ終盤。土壇場で起きた思いがけぬ災厄の中で展開する、パニック・ストーリー。にしても、カール,モーリー,ライリー,そしてティルダ婆さんが実にカッコいい。結局、男って、いつまでたっても悪ガキなんだよなあ。
ポッド・サバイバー / SFマガジン2014年8月号
 首長公邸の寝室で休んでいたアンデルス・ワルゲンツィンは、ガウス補佐官に起こされた。よほどの事がなければ、ガウス補佐官は寝室にまで入ってこない。ここまで急ぐとなれば、用件は一つしかない。そう、ノアズ・アークの話だ。
 土壇場で災厄に見舞われ、想定外の形での生き残りを余儀なくされるノアズ・アークの面々。そして、今まで通信は傍受しながらも、一切の送信はしてこなかったニューエデン。終盤で登場した人物が勢ぞろいし…
トーマス老の回想 / SFマガジン2014年11月号
 市民ホールの舞台に上がり、客席を見回すトーマス老。聴衆の多くは13歳の子供たちだ。これは学校で学ぶ<エデン正史>の一環で、あの時代を生きた者が、肉声で自らの経験と、その時の気持ちを語る事になっている。その時、トーマスも13歳だった…
 ニューエデンとノアズ・アーク、果たして両者はどんな再会を果たしたのか。歴史として語られる、この物語のフィナーレ。
あとがき

 ベテランらしく、語り口があまりに滑らかなために、壮大な物語もスラスラ読める。はいいのだが、そのためにSFとしても実に大掛かりな思考実験をしているのに気づかずに、続きが気になって急いで読み進めちゃったり。改めて考えると、ここまで大きな災厄を迎えないと、人類の争いは収まらないのか、などと切ない気持ちになったり。

 何もない所から文明を復興させるシミュレーション小説として、人類の争いをなくす究極のアイデアを試した物語として、人の生きる意味を考える寓話として。重いテーマをギッシリと詰め込みながらも、甘く切ない後味を残す、SFの初心者からすれっからしまで、多くの人に勧められる意欲作だ。

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2015年10月26日 (月)

梶尾真治「怨讐星域 Ⅱ ニューエデン」ハヤカワ文庫JA

「私はわかっています。いつもお祖父さんが迷っていたのは、どう優先順位をつけるか、ということだった。何を捨てて、何を取るべきかということ。すべてが幸福にできるなら、迷うことはないのですからね。
 最善の道を探しているのでしょう。皆のために。お祖父さんと同じだと思うから。すごく似ているから」
  ――深淵の選択

【どんな本?】

 ベテランSF作家の梶尾真治が、約十年に渡りSFマガジンに連載した連作短編シリーズ三巻の第二巻。

 破滅が確実となった地球から、抜け駆けのように巨大な世代間宇宙船ノアズ・アークで脱出したアジソン一味。彼らが目指すは172光年先の惑星だった。取り残された人類は、急遽開発した転送装置で、多くの犠牲を払いながらも一足先に同じ惑星に降り立つ。何もない状態から必死に生き延び、文明を再建し…

 あらゆるSFの要素を取り込みながら、壮大な物語を組み上げるベテランの連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年5月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約433頁。9ポイント41字×18行×433頁=約319,554字、400字詰め原稿用紙で約799枚。文庫本としてはうやや厚め。

 文章は抜群の読みやすさ。実はSFが扱うガジェットをこれでもかと贅沢に詰め込んでいる作品なのだが、なぜか不思議ととっつきやすい。親しみやすい割りに幅の広いSFテーマを扱っているので、SF初心者には格好のお薦め品であると共に、SFを読みなれた人には嬉しいクスグリが随所に仕込んである。

 連作短編集ではあるが、それぞれの作品は比較的に独立しているので、美味しそうな所から読み始めてもいい。「怨讐星域 Ⅰ ノアズ・アーク」に続く巻だが、基本的な設定さえ分かっていれば、この巻から読み始めても充分に楽しめるだろう。

【どんな話?】

 太陽の暴走により、地球の破滅が確実となった。合衆国大統領フレデリック・アジソンらは秘密裏に世代型の巨大宇宙船を作り、選ばれた者たちと共に抜け駆けのように地球を脱出する。目指すは172光年先の惑星。残された者たちは、同じ頃に開発された転送装置で同じ惑星へと向かう。

 多くの犠牲者を出し、ほとんど何もない状態で惑星に降り立った人々は、未知の生態系に苦しみ、また人類同士の衝突に悩まされながらも、原始の状態から着実に文明を再建してゆく。置いてけぼりにしたアジソン一味の物語と、復讐と誓いを受け継ぎながら。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出 の順。

降誕祭が、やってくる / SFマガジン2009年2月号
 ニューエデンの文明は、爆発的に進歩した。今は移住してから第四世代から第五世代にさしかかっている。イースト専門校に通うタツローは、降誕祭の出し物に悩んでいた。今までも、イースト専門校の出し物は人気が高いだけに、プレッシャーも大きい。同じ委員のセルジオとアンリーと相談するが…
 次の二作と合わせ、三連作を構成する開幕編。作品そのものも面白いが、同時にベテラン作家の貫禄か、創作のプロセスや秘訣を惜しげもなく披露しているのにも注目しよう。この三連作を読むと、自分でも何かを書けるんじゃないかって気になってくる。にしても、年寄りにはカブト虫がいきなり強烈だったw
アジソンもどき / SFマガジン2009年8月号
 精魂こめたアンリーの台本には、真っ赤に修正が入ってしまう。タツローらはガックリきたが、本人のアンリーはかえって意欲をかき立てられたらしく、書き直しに熱中している。だが出し物を完成させるには、細かいものから大きな事まで、問題は山積みだ。特に重要なのは…
 好きな小説やゲームや漫画が映像化されると聞いて、大喜びしたのはいいが、イザ完成品を見てみると「違う!」とガックリきた経験をした人は多いだろう。なぜそうなるのかが、この三連作でよくわかる。私の場合、ガンパレードマーチはゲームと小説は同じ物だけど、アニメは別のシロモノと思えばソレナリに楽しめた。まれに「違うけどコレはコレで」と思えるのもあって、W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を映画化した「フィールド・オブ・ドリームス」は、互いが互いを補い合う幸運な例だった。
失われし時をもとめて / SFマガジン2009年11月号
 なんとか主役を見つけ引っぱってきたが、不安はつのる。記憶も失ったらしく、自分の名前すら思い出せない。まして演技の経験はない。だが幸いにして凶暴ではないし、言葉の覚えも早い。どころか、かなり知能が高いらしく、一人で様々な道具を作り上げていた。
 三連作の完結編。何度でも撮りなおしが利く映画やドラマと違い、舞台は一発物だ。音楽でもライブは日によって出来が違う。それが生で見る楽しみでもあり、舞台に立つ側にとっては怖さでもある。にしても、最後のタツローとアンリーは、どんな気持ちだったのやらw
減速の蹉跌 / SFマガジン2010年2月号
 約二年九ヶ月前に、悲劇が起こった。ノアズ・アークの中央近くで事故が起き、船長室と制御室にいた全員が亡くなった。おまけに放射性物質で汚染され、立ち入りが不可能となってしまった。幸いに居住区画など他の所には被害が及んでいないが、このままでは中間地点での転回ができない。つまり、目的地を通り過ぎてしまう。
 宇宙船を回転させ、加速を減速に切り替えなければ、今までの長い旅が無駄になると同時に、ノアズ・アークは虚空を彷徨う羽目になる。回転は制御室から行なうが、その制御室に入る事はできない。ジリジリと減速に切り替える時は迫り…というサスペンスもの。
生存の資質 / SFマガジン2010年5月号
 ダン・マエバシの仕事は、カリフォルニアⅢの空調管理や清浄機の定時管理などだ。単調な毎日を、同じ年の同僚マイクとぼんやりと過ごしている。二人とも、そろそのN-ホーンに黄色表示が出るようになった。ぼちぼち配偶者を選べ、相性のいい相手を紹介するよ、という意味だ。
 つまりは出会い系ですね。しかも政府主催の。少子化が問題となっている今、そういう制度があったら…うーん、どうなんだろう? 今の所は民間の結婚相談所が活発に営業してるから、そんな話は出てこないだろうけど。
ノアズ・アークの怪物 / SFマガジン2010年8月号
 ジョン・ブッファの孫アル・ブッファは、オクラホマⅠの治安官だ。といっても兼業で、普段は浄水局の仕事をしている。治安官の仕事も、住民同士の諍いを宥めるようなものが多い。だが、今回の呼び出しは違った。オクラホマⅡとⅢの通路付近で、怪物が出たというのだ。相棒のネビルと共に初動捜査に赴くと…
 ヘッポコ警察官のバディ物を思わせる出だし。治安官とは言っても警察ってほどの迫力はなく、むしろ風紀委員に近いかも。にしても、このオチはなんともw
テンゲンの山頂にて / SFマガジン2010年11月号
 大伯父のタツローに、ミツヒロはずいぶんと可愛がってもらった。だが、今のタツローは老衰で随分と弱っているらしい。日々の学業で忙しかったミツヒロは暫くぶりに会いに行く。迎えてくれた大伯母のアンリーは、今もしゃんとしている。だがタツローは…
 日本人が大好きな、タマゴご飯をテーマとした二連作。熱いご飯に生卵、それに醤油ってだけの単純な料理なのに、みんな大好きなタマゴご飯。ところがニューエデンで同じ物を再現しようとしたら、これが大変な苦労で。食べ物関係の本を読むと、どれもこれも生態系と強く結びついていて、料理ってのはやっぱり地元文化と切り離せないものなのかも。
アダムス小屋 / SFマガジン2011年2月号
 既に絶滅したと言われるシャドーカラオケ。今の所、手がかりは大伯父のタツローの言葉に出てくるテンゲン山だけだ。山の経験はないが、今は電子化情報や書物で色々と調べることができる。情報を集め、準備を整えてテンゲン山に向かうミツヒロは、幸いにテングという道に慣れた同行者を得たが…
 山男ってのは、妙に世間離れした、でもなんか憎めない奴が多くて、その強靭なマイペースっぷりが時おり羨ましくなる。終盤は、これまた何かの映画を下敷きにしたらしい、緊張感が漂う展開。
深淵の選択 / SFマガジン2011年5月号
 ノアズ・アークの船内人口は、現在約一万九千人。あと十年ほどで、<約束の地>にたどり着く。十七代大統領キース・ランバートは、マッキントッシュ補佐官とアンダースン船長に支えられ職務をこなしている。いよいよゴールが迫るという時に、重大な問題が発覚した。
 多くの人々の運命を担う、指導者の孤独と苦悩を描く作品。ここまで来といて、そんな殺生な…と思ったが、案外とそんなモンだろうなあ。先の「アダムス小屋」から続き、ヒタヒタと迫る接触の時を、ジワジワと感じさせる、この連作短編集の後半を感じさせるパート。
ウィリアム・ガズの部屋 / SFマガジン2011年8月号
 <約束の地>に降り立つためのシャトルの建造が始まり、ノアズ・アークの区画も大きく変わっている。居住区画もシャトルの建造に使われる事となり、ニューヨークⅣも全ての住民に移住してもらわねばならない。サチオ・マエバシはその説得にあたる臨時移住局員だ。困った事に住民の一人ウィリアム・ガズ氏は、閉じこもったまま顔も見せてくれない。
 引き篭もりの老人ウィリアム・ガズは、いかなる人物なのか。次第に見えてくる彼の若き頃の姿は、実に意外なもので…。ちょっとネタバレっぽいが、私はあの人(ネタバレあり、→Wikipedia)を連想した。
自由教会にて / SFマガジン2011年11月号
 ニューエデンの旧市街、『怒りの剣』のモニュメントから暫く歩くと、自由教会がある。ここを訪れるのは観光客と老人が大半で、若者は珍しい。だが彼ヤツシは一人でやってきた。迎えた<兄>の聖職者ダニエルは、意外と高齢だった。外の通りでは“正義の人類党”の街宣車が騒がしい。
 <自由教会>の発想が面白い。騒ぎが絶えないエルサレムにも、こんな教会を作ったら少しは静かに…いや、無理だろうなあ。聖職者のダニエルさんも、アブラハムの宗教というより禅宗の坊さんみたいな印象なんだけど、実際の神父さんはどんな感じなんだろう?
七十六分の少女 / SFマガジン2012年2月号
 ジョナ・ハリスンは、カリフォルニアⅣの製造工場で働いている。作っているのは、主にスペースシャトル機の部品だ。幼い頃からモノを作るのは好きだったし、今の仕事は気に入っている。今日、突然に舞い込んだ仕事は急ぎで、営繕室フロアの複写装置のところへ届けなければいけない。
 若く独身で、仕事に打ち込んでいるエンジニアには身に染みる作品。特に現代の技術系の仕事は変化が速くて、十年先にどうなっているのかなんて全く分からない。でもとりあえず目先の仕事は沢山あるし、それをこなすしかないよね、とか思っていると、まあ、アレだ。
Ⅱによせて(あとがき)

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2015年10月25日 (日)

梶尾真治「怨讐星域 Ⅰ ノアズ・アーク」ハヤカワ文庫JA

「どぎゃんかなる!」
  ――鬼、人喰いに会う

【どんな本?】

 ベテランSF作家の梶尾真治が、約十年に渡りSFマガジンに連載した連作短編シリーズ三巻の第一巻。

 太陽の暴走により、人類は破滅が確実となった。合衆国大統領フレデリック・アジソンは、巨大な世代間宇宙船ノアズ・アークに三万人の選民と共に密かに出航し、172光年先の惑星へと向かう。それから暫くして、人類は転送装置を開発し、一足先に同じ星へと旅立って行く。だが、地球に留まり静かに日々を送る者もいた…

 文明の再建・若者たちのラブストーリー・化け物相手の死闘・政治的な駆け引き・少年の成長そして積年の復讐と、あらゆる物語の要素を詰め込みながら、人類の運命を描く壮大な物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年5月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約436頁。9ポイント41字×18行×436頁=約321,768字、400字詰め原稿用紙で約805枚。文庫本としてはうやや厚め。

 ベテラン作家だけに、文章は抜群に読みやすい。SFとしても、特に難しい理屈は出てこない。テクノロジーやガジェットより、様々な状況で生きる人を描く作品が多いので、SFに慣れない人でも楽しめるだろう。またテーマのバラエティも豊かな上に品質も安定しているので、初心者には格好の作品集だ。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出 の順。

約束の地 / SFマガジン2006年5月号
 マサヒロは落ちて、叩きつけられた。誰かの暖かい手が胸に触れる。昼間だ。地球の風景じゃない。転送は成功したらしい。意識がハッキリしてきた頃、六人の男女が近づいてきた。人種はバラバラで、言葉もわからない。幸い、迎えに来た者の中には日本語が分かる者もいた。
 物語の開幕編。普通の学生である田辺正広の視点を通して、普通の家族が転送される様子と、新世界で暮し始めた人類の姿を描く。集落にたどり着いたマサヒロが、全員の前で自己紹介する場面が印象に残る。言葉もロクに通じない状況でも、人の名前は通じるし、互いに「意思疎通できる、そしてする気のある相手なのだ」とわかる。とても簡単な事だけど、海外旅行する際や、初対面の相手と仲良くしたい時のために憶えておくと便利かもしれない。まずは自分の名を名乗ろう。にしても、このオチは…
ギルティヒル / SFマガジン2006年8月号
 合衆国大統領フレデリック・アジソンの娘ナタリーは、ロサンゼルスの名門学園ライトイヤー学園の中等科の寮に入った。だが16歳になった時、両親の要請で寮を出てギルティヒルの留守宅に住む事になった。送り迎えは、海兵隊あがりのボディガード、ジョン・ブッファが運転する車だ。自然と友だちとも疎遠になり…
 13歳の娘から見たお父さんの姿に思わず涙w いいじゃん家にいる時ぐらいパンツ一丁でのんびりしたってw でもまあ、年頃の娘なんて、そんなモンなんだろうなあ。クールで無口でビジネスライクなプロフェッショナルなボディガードのジョン・ブッファがいい味出してる。
スナーク狩り / SFマガジン2006年11月号
 夜になると、巨大なモノが現れる。粘液で溢れた膜を激しくこする音と共に、ヤツが来る。てらてらした細長いものが降ってきて、人を攫ってゆく。やっとヤツに名がついた。スナーク。シャドーカラオケは、音で危険が分かるので、見張りが警告できる。カーペット・ビーフの狩り方もわかった。だがスナークは…
 芸達者な梶尾真治のもう一つの顔、「ケッタイな化け物作家」の一面が楽しめる作品。当然、スナークはルイス・キャロルの作品から(→Wikipedia)。一見、危険だらけに思える<約束の地>だけど、ヒトってのは意外と天性のハンターなのだ。なんたって、一万年ほど前に北米大陸に進出した際も、北米の大型動物を絶滅に追いやった実績があるんだから。にしてもオマール、お前って奴は…
ノアズ・アーク / SFマガジン2007年2月号
 ノアズ・アークが出発してから8ヶ月。多忙なアジソン大統領の下に、あまり「愉快でない客が訪れる。グレアム・ランバート、ノアズ・アークの最長老で87歳。事実上、この船は彼の一族が仕切っている。何せ、ノアズ・アークは彼らの協力によって建造できたのだから。今回も、グレアムは困った問題を持ち込み…
 今回は一足先に旅立ったノアズ・アーク一行のお話。冒頭から、アジソンとグレアムの陰険な会話が楽しい。勤め人なら、「知ったこっちゃねーよ」と言いたくても言えないアジソンの立場に同情したいような、したくないような。果たしてノアズ・アーク船内は、どんな様子なのかというと…
ハッピーエンド / SFマガジン2007年5月号
 転送を望んだ者は七割。だが社会は以前と同じように機能していた。さすがに街は閑散としているが。森田妙も、残った。市民病院の看護師として、病人を見捨てられなかったのだ。今日は休日。仲間たちと出かける。メンバーの中には、高校時代の憧れの先輩、長嶺謙治もいる。
 地球に残った人たちの暮らしを、淡々と描く作品。自分なら残るか飛ぶか、どっちなんだろう? この作品のように、残る人の多くは年配者だろうなあ、と思う。そして残った人たちは、意外と今までどおりの生き方を続けるような気がする…って事は、シリアあたりじゃ相変わらずなのかなあ。
エデンの防人 / SFマガジン2008年2月号
 タツキは、今日が初めてのレイバーデイ。エデンの境へ向かい、“人喰い”が来ないように見張る。メンバーは六人。既にエデンの人口は八千人を超えているので、メンバーの多くは良く知らない人だが、温かく迎えてくれた。境までは20キロ。その途中で、カーペット・ビーフを見つけ…
 新天地も、いよいよ第二世代が登場する。文明の再建は、それなりに進んでいる様子。生存に必須の水の調達も井戸って知恵があれば、なんとかなったり。脅威だったシャドーカラオケも、今はすっかり獲物になってる。にしても、木材が豊富な地域でよかったなあ。
誓いの時間 / SFマガジン2008年5月号
 連行されたタツキだが、マッサとがいるのは心強い。みんな岩棚の下に住んでいる。ナイトウォーカーに備えるためだ。闇夜にやってきて、細長い蔓のようなもので人を攫う。夜にしか来ないので、姿もわからない。今でも時おり、何人か被害が出て…
 ナイトウォーカーの件で鼻高々のマッサだが、お前何もやってないだろw でもまあ、気持ちはわかるw 長が語る、グループをまとめる手段も、人ってそんなもんだろうなあ。中東もイスラエルがあるから、アラブ諸国がぶつからずに済んでる、みたいな部分があるし。
鬼、人喰いに会う / SFマガジン2008年8月号
 トモは粘り強く話し合いに出かける。簡単ではないが、少しづつ進展しているようだ。そのためか、タツキに声をかける事が増えた。話題は決まっている。泳ぎの話をすると、とても嬉しそうだった。そして、ついに話が決まった。
 この作品集では最も長い、三連作の最終回。著者の熊本愛が炸裂するラストがいい。書いてて気がついたんだけど、この作品、フィリップ・ホセ・ファーマーのリバー・ワールド・シリーズみたいな部分もあるんだよなあ。でも、妙に穏やかなのは、やっぱり著者の世界観の違いなんだろうか。
閉塞の時代 / SFマガジン2008年11月号
 マイケル・ウォーカーは、今日もトマトの面倒を見る。もの心ついてから29歳の今日まで、ずっとトマトを作り続けてきた。ノアズ・アークの宇宙農場で。受粉作業中に、隣の区画のスコット・ベールから連絡が来た。大統領は後継者を作れというけど、肝心の相手がいないんじゃ…
 ノアズ・アークも第二世代。カジシンお得意のボーイ・ミーツ・ガール…なんだが、このヒネリはヒドいw 終盤の絶叫シーンは、何かの映画を基にしていると思うんだが、なんだろう? セシリア(→Youtube)→S&G→卒業 と思ったけど、どう考えてもホラー映画だよなあ。でもやっぱり、あれだけ素早いクセに飛行能力まで備えているのは反則だと思う。
Ⅰに寄せて(あとがき)

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2015年10月22日 (木)

キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 3

「ガソリン集積所は以下のとおり。ビゼルト海運駅時計塔の向かいの波止場、養魚場へのエルンク道路とゼブラ・ベイのはずれのシディ。アハメド・ロードの森林の中、ビゼルド=マチュール=フェリーヴェル鉄道ジャンクションの二キロ(繰り返すが二キロ)南西の交差点」
  ――14 流れの変化 より、1942年にチュニジアから来たドイツ軍の情報

 キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 2 から続く。下巻は第二次世界大戦の開戦から1949年まで。

【撤退】

 第二次世界大戦でも一気に西ヨーロッパを席巻された連合軍、ところがどっこいレジスタンスは生きていた。先の大戦で活躍した「白衣の婦人」同様、ベルギーから「ドイツの夜間戦闘機の組織」や「正確な広域の鉄道情報」が届いてる。やっぱり占領地じゃ地元の人の気持ちが大事なんだなあ。

 幸いSISは連合国の情報機関といい関係を築いていたようで、妙な利益も得てる。

SISにとってドイツの成功による逆説的成果のひとつが、チェコスロヴァキア、ポーランド、フランスといった敗北した連合国の情報機関との関係が強化されたことだった。

 って事で、彼らが築いたエージェント網を受け継いだりしてる。ポーランド軍の将兵が連合国の一員として戦ったように、情報関係の人も自らの国を解放するために出来ることをやったようだ。にも関わらず、チェコスロヴァキアとポーランドの運命は…

 あ、それと、スランスの記述が少ないのは意外だったマキとかのレジスタンスとは綿密に連絡を取り合い、またSISが支援もしてたと思うんだが、これはフランス側の情報を勝手に公開するわけにはいかない、みたいな配慮があるのかも。

【極東】

 地域的には、やはりヨーロッパの話が中心で、極東のネタはポツポツと出てくる程度。こっちじゃ白人は目立つって問題はあるにせよ、文化や習慣の違いなどもあって、大きな成果は挙げていない模様。でも暗号は完全に解かれちゃってるけど。日本の警察もなかなか優秀だったようで。

1940年に東京の大使館に勤めていたSISのある情報部員は、のちに、日本の警察は彼に「中国でのSISの仕事の詳しい概略」を教えてくれたと回想した。

 ニタニタしながら語ったんだろうなあ。それ以上に、そもそも好かれてなかったのもあるようで、「アジアの敵占領下の地域の人々は一般に、ヨーロッパの場合よりも、連合国を助けようとしなかった」。そりゃ当然だろうなあ。ボスが日本からイギリスに変わるだけで、独立できるわけじゃないんだから。

【メモをどこに隠す?】

 掴んだネタを、どこに隠すかも重要な問題。ロシアは「中空になった棒」を好むようだけど、SISが好むのは「歯磨き粉や髭剃り用クリームなどのクリーム状のもの」。メモをコンドームに包んで、瓶に埋め込むわけ。他には「空洞になっているヘアブラシ、ネール・ブラシと歯ブラシ、携帯用鏡の裏、万年筆、鉛筆、靴底、石鹸」など。

 あ、そこの学生さん、カンニングで使ったりしないように。

【潜入時の心得】

 フランスには活発に潜入したようで、先輩から後輩へのありがたいアドバイスもあったり。曰く…

  • どの小さな町や村にも、ゲシュタポにチクる奴が2~3人はいる。
  • 人里はなれた見知らぬ土地で上陸に相応しい場所を探す時は、2~3の農場に寄って食糧を求めよう。警察に職質されたら「食料を探していた」と言えばいい。警察が農場に行って確かめれば、アリバイになる。
    // 当時のフランスの都市部は飢えてたんで、田舎に買出しに行く人も多かったみたい。
  • よそ者が地方に住みついたら。「手紙が来ない人間は、怪しい奴だと疑われやすい。最悪の場合、自分で自分に手紙を書け」。
    // 当時は電話網が今ほど普及してなかったんで、普通の人の主な通信手段は郵便だったんです

【スパイの運命】

 様々な手段を講じたにも関わらず、潜入スパイは長生きできなかった模様。「1944年末、ブロードウェイは、ドイツ国内でのエージェントの平均寿命は三週間と見積もった」。全体主義体制って、防諜には強いんだろうなあ。北朝鮮も潜入するのは難しそうだし。

【戦後】

 戦争が終わり、暫くはナチスの復活を危ぶんだSISだが、次第に目標はソ連=共産主義へと変わってゆく。宣伝活動についても考えていたようで、面白い記述がある。

委員会はまた、「アラブが管理していると見せかけて、じつはイギリスの意見を普及させる手段となる通信社や放送局」を運営するための独立した組織が必要かもしれないと考えた。

 時期的には大きくズレるけど、アルジャジーラをこういう目で見ると、とても怪しかったり。というのも、設立時のアルジャジーラの職員は、多くがBBCから移籍した人だから。ソースはヒュー・マイルズの「アルジャジーラ 報道の戦争」。

 BBCは他にもいい仕事をしていて、例えば清水紘子の「来て見てシリア」には、「シリア人は国営放送はドラマま見るけど、ニュースはBBCから得る」みたいな事が書いてある。このBBCってのが海賊放送で、富豪が地中海に浮かべた船から放送してるというから、実にアヤシイ。

 また別の本(たぶんティム・ワイナーの「CIA秘録」)によると、合衆国大統領で東欧崩壊に最も大きな功績があったのは、あのカーターだとか。それまでCIAは直接工作に力を入れていたんだが、方針を変えて東欧諸国の市民グループにラジオや無線機やFAXを配った。市民はこれでBBCを聞き、西欧の実態を知って立ち上がった、って構図。

 今でも中国やロシアはインターネットを制限してるし、北朝鮮のラジオは特定の周波数しか受信できないようになってるって噂もある。「アラブの春」は Facebook から始まったし、人々に情報を手に入れる手段を渡すってのは、意外と安上がりで効率的なのかも。

 いっそタリバンの神学校には、弾頭に「ToLOVEる」の単行本を詰め込んだヘルファイアを撃ちこめば←日本がテロの標的になります

【007】

 SISのエージェントは殺しのライセンスは持っていないようだけど、一部は事実に基づいてるようで。例えば長官の「M」、実際は「C」で、これは初代のカミング以来ずっとサインは緑のインクで「C」と書いているとか。また、二次大戦までは独立していた工作部隊のSOE、これは戦後にSISに吸収されてる。

 ケッタイなガジェットを開発しているのも事実で、銃の消音機も開発してる。警察犬をまく方法は、ちょっと笑ってしまう。中でも詳しく書いてあるのが、機密書類を手早く消す方法。特製の金庫で、手早く書類を燃やす技術を開発してたり。

【リクルート】

 組織は大きくなるけど、人を集めるのは一苦労。それまでは知人を頼って集めてたけど、広く世間から集めたい。でもハローワークで求人するわけにもいかず。この辺の苦労は笑っちゃう。ある学生をスカウトしたのはいいが、その勤務条件が…

「給与額不明、任地不明の在外勤務を提示」され、「ただ、おもしろい仕事のはずだとだけ言われた」

 これで優秀な人間が集まるわけもなく。隠れ蓑として出入国審査官を用意するが、「だたの出入国審査官のために、なぜあんな手のこんだ選定経緯が必要だったんだ?」と突き上げられ、「頭のいい質問者を騙すのは難しい」とボヤいてる。賢い人が欲しいのに、賢い人はSISの煙幕に騙されない。どないせえちゅうねん。

【ロシアより愛をこめて】

 「ロシア人に情報交換を期待するのは無理だ。われわれは、何も返ってこないという心の準備をしなければならない」
  ――16 ヨーロッパでの勝利 より、陸軍セクションの長、ハットン=ホール

 戦後はソ連および共産圏に標的が変わり、重要な地域も変わる。けど国はスッカラカンで、予算も減らされてしまう。笑っちゃうのが、オーストリアでの苦戦。曰く…

どんな戦略がとられようと、エージェントをめぐってはアメリカとの競争があり、彼らは「おおかかえ料として多額の支払いをしていた」。

 イギリスもアメリカの物量作戦に泣いたようです。でもFBIやCIAとは後も仲良くやってたようなんで、全体としては良かったんじゃないかな。

【外交官】

 逆に難しいのが、イギリスの在外大使との関係。現地のSIS指揮官と大使のウマが合えば問題ないんだが、ソリが合わないと大変。大使の仕事は、その国との友好的な関係を築く事なわけで、SISの仕事とはどうしても衝突する。友好的なアメリカあたりは問題ないんだけど、中立国や東側じゃSISが冷遇されてたりする。大変だなあ。

【願望】

協力関係があって初めて、情報部は顧客が必要とすることを理解し、それに応えられる。だが関係が近くなりすぎ、理解が完璧になりすぎると、情報部は単に顧客があらかじめ必要とするものだけを探して提供するという危険が生まれる。
  ――10 沈まずにいる

「予想される考えや前もってあった推論と一致する情報は過大評価され、予想と一致しない情報は価値を減じられ、“失われ”、抑圧されさえした」
  ――17 アジアと戦争の終結

 911を、そして311も防げなかった理由の一つがコレだろう。権力者の機嫌が良くなる情報をもたらせば、それをもたらした者は権力者のお気に入りになる。逆に権力者が気に食わないニュースを持ってくる者は嫌われる。

 これは別に権力者に限った事じゃない。Twitterのタイムラインや本棚は、人により様子が全く違う。誰だって自分の意見に近い人をフォローし、反対意見の人が書いた本は読まない。だから、同じ現実を見ていても、人により見える世界は全く違うし、時とともに違いが更に大きくなっていく。

 若いころは学校で無理やりに教科書を読まされるけど、大人になったら自分で好きな情報源を選ぶようになり、思想を変える機会を失ってゆく。じゃどうすりゃいいのかと言われても、私には答えられない。

【全般】

 学者が書いた本なので、文章はもの静かで冷静。実はとても衝撃的な事が書いてある所もあるんだけど、売れっ子小説家みたく「ココ大事ね」みたいなサインはないんで、読者が注意深く読んで拾わなきゃいけない。そういう面倒くさい部分はあるにせよ、スパイ物としての面白さは充分にある本だった。

 ただ、イギリス国内でのSISの支配権を巡る縄張り争いは、イギリスの政治史に疎いと退屈かも。というか、私は退屈しました、はい。

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2015年10月21日 (水)

キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 2

「海外におけるSIS組織の第一の原則は、現地の本部がおかれている国に隣接する国に関する情報を集めることである。というのは、一般に、代理人たちは保護してくれている国に怨まれるような可能性のある性質の情報を獲得しないよう警告されているからだ」
  ――6 ソ連共産主義という、あらたな脅威

キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 1 から続く。まだ上巻しか読み終えていないので、ここでは上巻の感想を。上巻では、1909年の創設から第二次世界大戦前夜までを扱う。

【SISとは】

 007 のジェーイムズ・ボンドは派手に立ち回るけど、SIS(MI6) の本来の目的は情報を集める事で、直接の破壊活動は別の部署(SOE、特殊作戦執行部)の仕事だとか。ちなみに本書中にもイアン・フレミングが少し登場するけど、彼は海軍情報部であって、SIS ではないです、はい。

 それと、一版には MI6 の名で知られてるけど、本書中ではずっとSISで通してる。

 とまれ、物騒な仕事に変わりはなく。少なくとも設立時の主な仕事は「情報活動の対象である外国の地において、イギリスに対する敵対行為を時期よく警告する」こと。ちなみにライバルでもある MI5 の仕事は、イギリス国内での防諜活動。

 この辺が CIA/FBI と微妙に違うところ。CIAは国外での情報活動に加え、直接の工作もするから、SIS+SOEみたいな立場かな。FBIは国内での防諜に加え、州を越える犯罪も扱うんで、スパイより警察に近いかも。

【組織の位置づけ】

 設立時から、イギリス内でも SIS と競合する組織が幾つかある。全体を通して、競合組織との調整には苦労しているようで、何度もナワバリ争いのような話が出てくる。アメリカでもCIAとFBIの協調がとれずに911を許しちゃってるんで、こういった問題は常に起こるのかもしれない。

 SIS に関して言うと、最初は「誰がSISを仕切るか」で揉めてたり。ここに登場するのは、陸軍省と海軍省、そして外務省だ。最初のSIS長官を務めたサー・マンスフィールド・カミングは、あくまでも独立した部署だと考え、陸軍・海軍・外務省は「顧客」と見ていた模様。

 とはいえ、主な人材は陸海軍からスカウトしてるんだよなあ。この辺が、主に警察から人材を集めてる内閣情報調査室とは違う所。

 最初の長官カミングが海軍出身で、全般的に陸軍より海軍に近い印象がある。インドや南アフリカなどの植民地も含むとはいえ、基本的に大英帝国内での勤務が多い陸軍に比べ、海軍は多くの国と接触するんで、より広い視野を持つ人が多いのかも。

 陸軍・海軍・外務省の主導権争いに加え、似た組織との縄張り争いもよく出てくる。陸海軍の情報部は勿論、最初はMI5との争いが激しかった模様。これが後にはSOEと難しい関係になる。SISとSOE、いずれも海外での活動なんで人材の奪い合いになる上に、時として邪魔だったり。

派手な破壊工作は敵方の保安を強めることになり、秘密情報の獲得に必要な、もっと地味で控えめな活動を危険にさらすことになりかねない。

 SOEが敵の基地を壊したら、敵は「内部に手引きした者が居る」と考えて厳しく調べるだろう。そうなったら、別の仕事で潜入させてたSISのエージェントも捕まっちゃう。それは困るよ、って話。

【ボンドカー?】

 007 はボンドカーを始め、ケッタイなガジェットを使うけど、本書ではあんまし派手なモノは出てこない。一応、初代長官のカミングはメカ好きだったらしく、「最新技術を熱心に使った」。特に無線通信に熱心で、「フランスの情報関係の同業者と、自動車に備えつける『携帯式無線ステーション』の開発について話し合った」。

 当時は無線も揺籃期で、「外国に居る者がどうやってイギリスに情報を届けるか」に苦労していた模様。笑っちゃうのが隠顕インク(→Wikipedia)。みかん汁で書いて、あぶりだして読むとかの、アレです。なんと、1915年には「主だった探知方法に反応しない最高の見えないインクは精液だと聞いた」。はいいが、オチが酷いw 

【盗聴】

GC&CSは世界規模の暗号解読機関として、おそらく最大で、ほかのどれにもひけを取らないくらい優れており、1919年から35年においては、おそらく世界最高だった

 サイモン・シンの「暗号解読」では第二次世界大戦でのエニグマ解読に焦点を当ててるけど、その前からイギリスには実績があったのだ。それがGC&CS、政府暗号学校。主に実績を上げたのは外国政府の電報で、悔しいことに「日本の通信に関する成功が、1936年から37年の日独伊防共協定の背後に働いている思惑をイギリスが理解するのに役立った」。

 いやあ、こういう陰険な真似をやらせたらジョン・ブルは巧みだねえ←負け惜しみです

【認められたいスパイ】

 たいていのスパイは表に出るのを嫌うけど、そうでない場合もある。上巻に出てくるのは第一次世界大戦中、ドイツに占領されたベルギーで活躍した「白衣の婦人」。これはむしろレジスタンス組織で…

組織のリーダーたちは「スパイ」という言葉の使用を禁じ、彼らの情報収集者としての軍での役割を、「エージェント」や「軍人」と呼ぶのを好んだ。

 名前どおり、組織の多くは女性で、教師・店員・修道女、そして四人の娘がいる寡婦が家族ぐるみで協力してる。成果の多くは列車の監視で、線路沿いの家から通る列車を見守り、いつ・どこで・なにを・どれぐらい運んだかを調べ、報告している。これで、連合軍はドイツ軍の兵站状況がわかり、大規模な作戦を予め予想できたわけ。

 たぶん今でも陸上で大量の人と物を運ぶには鉄道が最も適していて、当時のドイツ軍も鉄道を最大限に活用してた。このあたりの事情はM.v.クレフェルトの「補給戦」やクリスティアン・ウォルマーの「鉄道と戦争の世界史」が詳しい。

 調べた情報は、連合軍に届けなきゃ意味がない。ところが、届けようにも、ドイツはソレナリの対策はしていて。「高圧電流フェンスを国境沿いに設置」してた。当時も高圧電流フェンスなんてあったんだなあ。当然、「白位の婦人」も出し抜く方法を考える。

経験豊富な密輸業者が関わって、ゴム手袋やブーツ、絶縁されたジャングルジムなど、このgフェンスを越えるためのさまざまな装置が開発された。

 密輸業者ってのがいいねw 業者はともかく、「白衣の婦人」たちは戦後に「戦争中の仕事を認められたいと望」む。そんなわけで、イギリス政府は「働いたエージェントの長い一覧を発表した」。

 エージェントと呼ぶとアレだが、当人たちにとってはレジスタンスがしっくりくる呼び方なんじゃないかなあ。こういった話は、占領地を統治する事の難しさをよく物語ってると思う。歓迎されていれば問題ないけど、住民が敵対的だと、国内にスパイをうじゃうじゃ抱え込む羽目になるわけだ。実際、アメリカはイラクで大失敗してるし。

【それぞれの国では】

 やはり得意な国と苦手な国があるようで、全般的に極東は苦手だった様子。イタリアも難しかったみたい。巧くいってるのはアメリカで、FBIと綿密な関係を築いてる。第一次・第二次を通じ世界大戦中はフランスとも仲がいい。スカンジナビア諸国も全般的に好意的。微妙なのがスイスで、「あまし派手に暴れるなよ」ぐらいの雰囲気。

 でも、やはりドイツは苦手らしい。特にヒトラーが厄介。彼の鶴の一声で事態が急変する国なので、次の動きが予測できず苦しんでいた様子。独裁者が君臨する国にも、それなりの有利な点があるんだなあ。いやそんな国には住みたくないけど。

【スパイに向く人】

 SISは現地でエージェントを雇ってる。どんな人が向くかについて、ちゃんと書いてあったり。曰く…

雇用は「その職業の性質上、敵に管理された地域に留まり、不当な疑いを招かずに通常の職業を続けられる人間」に限られた。たとえば「医師、歯科医、薬剤師、パン屋や小さな店の経営者」などで、どれも「職業上の必要から動き回るか、ほかの人の訪問を多く受ける必要のある」仕事ばかりだった。

 顔が広く、仕入れや出張でアチコチを旅行する商売の人が向くわけ。この巻にも、イスタンブールのカフェの主人の話が出てきたり。旅行がちな喫茶店のマスターは怪しい?←それはいいがかり まあ、なんにせよ、食い詰めたジャンキーとかが一攫千金を狙っても、あまし巧くいかない商売らしい。

 などと言いつつ、次の記事に続く。

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2015年10月20日 (火)

キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 1

 本書は、イギリス秘密情報部(SIS)の歴史において画期的なものである。
 前長官ジョン・スカーレットの主導で、SISは設立100周年記念に先がけて、みずからの創設から40年間の歴史に関する、信頼に足る独自の歴史書の執筆を依頼することを決めた。
  ――序文

【どんな本?】

 007ジェームズ・ボンドなどで有名なイギリスの秘密情報機関MI6、またはSIS(Secret Intelligence Service)。この本は、そのSISが自ら1909年から1949年までの歴史を公開した、画期的な本である。

 著者のキース・ジェフリーはイギリスとアイルランドの近現代史を専門とする歴史家であり、クイーンズ大学ベルファウスト校の英国史教授を務める。国益上の観点から1949年以降の事柄は伏せられるが、それ以前に関してはジェフリー教授は公文書館の自由な利用が許可され、他省庁が管理する非公開の関連書類も参照できた。

 SISは何のために設立されたのか。どんな国で、どんな者が、どんな任務についたのか。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけ、複雑に絡み合う各国の思惑や外交関係の中で、それぞれの国とどんな関係を築き、どう出し抜き、または出し抜かれたのか。そしてイギリス国内の陸海軍や外務省,MI5とは、どんな関係だったのか。

 秘密情報機関が自ら語る、その活動と奮闘の歴史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MI6 : The History of the Secret Intelligence Service 1909-1949, by Keith Jeffery, 2010。日本語版は2013年3月20日初版第一刷発行。単行本ソフトカバー上下巻で縦一段組み、本文約478頁+468頁=約946頁に加え、防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究員の小谷賢による解説6頁。9ポイント43字×20行×(478頁+468頁)=約813,560字、400字詰め原稿用紙で約2034枚。文庫本の長編小説なら四巻でもいいぐらいの大容量。

 文章は落ち着いた雰囲気で、いかにも歴史家の書いた文章だ。なにせスパイと外交が絡む本なので、ややこしい状況が多い上に、一つの文章に沢山の人物が出てくるため、注意してじっくり読む必要がある。

 扱うのは、だいたい第一次世界大戦~第二次世界大戦あたりだ。本書中でも大まかに時代背景を説明しているので、素人でもだいたい判るが、はやり20世紀前半の世界史に詳しい人ほど楽しめるだろう。

 なお、文中には予算なども出てくる。2015年10月現在のレートは1ポンド=約185円。

【構成は?】

 全般的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 序文/まえがき/SIS組織図(1923~24年)/略語リスト/地図
  • 第一部 秘密情報部の創設
    • 1 秘密活動局はいかに生まれたか
      「通風の巨人」とスパイ熱/初代長官カミングの不満/本物のスパイとの面会/ターゲットはドイツ/エージェントを動かす/戦争の接近
  • 第二部 第一次世界大戦
    • 2 組織をかためる
      三人の主人に仕えて/陸軍の横やり/陸軍省の挑発をかわす/拡大する本部の再編成/インテリジェンスの基本原則
    • 3 西部戦線を支える
      ベルギーとオランダでの成果/情報管理の混乱/「白衣の婦人」が見せた活躍/エージェント「TR/16」/スカンジナヴィアでの情報収集/スイス、イベリア半島への拡大/経済情報への需要に応える
    • 4 さらに遠くへ
      ロシアの協力者/情報使節団の役割/アメリカを味方につける/ツィンメルマン電報の傍受/作家サマセット・モームの活躍/トルコへの関心/地中海を押さえる/更に東へ潜入する/ロシアの敵
  • 第三部 両大戦期
    • 5 SISの誕生
      平時の独立した情報機関へ/合併計画との暗闘/秘密活動局の基本原則/予算削減に抵抗する/チャーチルの支援/カミングのSIS評価報告書/内部組織の充実/新長官シンクレアへ
    • 6 ソ連共産主義という、あらたな脅威
      ロシアにおける反ボルシェヴィキ活動/ソヴィエト艦船を撃沈/あるエース級スパイの最後/偽情報の蔓延/情報の信頼性/中央ヨーロッパの布陣/作戦担当官とエージェントの関係/さらなる情報網の開発/トルコの重要性/手薄な中東組織
    • 7 身近な重要問題
      政府暗号学校の創設/ジノヴィエフ書簡のまちがいはなぜ起きたか/秘密の通路のあるビルへ/ロンドン警視庁、MI5との協力と軋轢/狙われるSIS職員/組織間の不信の高まり/秘密を漏らす元エージェントたち/『ギリシャの思い出』出版差し止め裁判
    • 8 少ない財源で生き延びる
      アメリカでの活動/英米情報協力の模索/極東で遭遇した困難/ターゲットは日本だ/コミンテルンの協力者「ジョニー」/信頼と不正/支局を管理する
    • 9 近づく戦争
      ファシズムの台頭とスペイン内戦/フランス情報部との協力/ドイツに潜入する/ゲシュタポとの駆け引き/ミュンヘン危機/政治的判断への関与/Z組織の新設/通信傍受セクションの拡大/破壊工作セクション
  • 第四部 第二次世界大戦の衝撃
    • 10 沈まずにいる
      新長官選び/顧客の要望に応える/ハンキー報告書が下した評価/情報の調整と処理/チャーチルの赤い小箱/特殊作戦部を独立させる/通信セクションのめざましい働き/本部組織を改変する/エージェントを雇うには
  • 原註
  •  下巻
  • SIS組織図(1942年、1947年)/略語リスト/地図
  • 第四部 第二次世界大戦の衝撃(承前)
    • 11 ヨーロッパ戦域
      相次ぐ支局の撤退/情報か、特殊作戦か/中立国の苦悩/フェンロー事件/占領下ベルギーの情報網/フランスに潜入せよ/信心会とアリアンス/イギリスへの侵攻の脅威/女装は偽装か/MI9との連携
    • 12 ブダペストからアグダッドまで
      南東ヨーロッパ/トルコでのSIS/中東の支局/イタリアを探れ/北アフリカの攻防/シリア、イラク、イラン
    • 13 アメリカと極東
      FBIとSIS/「ワイルド・ビル」・ドノヴァン/英米情報関係の確立/BSCの情報活動/喜望峰航路の防衛/南米から日本を探る/南米での情報戦/極東でのSIS 1939-41年//
  • 第五部 戦争に勝つ
    • 14 流れの変化
      本部の更なる再編/スパイの訓練と道具/カウンターインテリジェンス/フランス領北アフリカ/イタリア戦線を支える/共産主義者を使う
    • 15 スイスからノルマンディー
      騙し合い/V兵器情報/新しい通信手段/美人スパイと二重スパイ/情報報告/SISとDデイ
    • 16 ヨーロッパでの勝利
      ベルギーとオランダの解放/ドイツへの進軍/スカンジナヴィア半島/イタリア解放/ユーゴスラヴィアの困惑/ソ連への対処/バルカン諸国への潜入/女性エージェント「聖職者」
    • 17 アジアと戦争の終結
      日本の猛攻撃/マラヤからの撤退/インドでの再編成/マウントバッテン指揮下のSIS/中国支局の役割
    • 18 戦後の計画
      組織間の綱引き/ブランド報告書/防諜と特殊作戦/ミンギスの苛立ち/報告書への反響
  • 第六部 武力戦から冷戦へ
    • 19 平和への調整
      ホワイトホール闘争/SOEの吸収/局の管理/MI5との関係/勧誘と職務条件/技術開発
    • 20 戦後ヨーロッパの勢力図
      補償と褒賞/ナチス残党か、共産主義か/コービー事件の困惑/ナチスの遺産/亡命のすすめ/東欧の厚い壁/フランスに対する懸念/国際人道組織の活用/冷戦の最前線スカンジナヴィア
    • 21 世界敵規模の職務
      パレスチナ問題の発端/移民船攻撃作戦/イスラエルの扱い/中国支局の混迷/日本支局の困難/ソヴィエト共産圏への侵入/クライマー作戦/アルバニア工作/SISとCIA
  • 第七部 結論
    • 22 三人のリーダーとSIS
      パイオニアゆえの苦しみ/秘密の男カミング/ヒュー・シンクレアの野望/有能すぎた男/ミンギスと金の卵を産むガチョウ/大四の男
  • 謝辞/解説 真実のMI6 小谷賢/原註/参考文献/索引

【感想は?】

 日本語の書名の「秘録」は正確じゃない。この本は、MI6が自ら明かす、正式なMI6の歴史だ。

 上巻は設立から第一次世界大戦、戦後の軍備縮小の困窮期、そして第二次世界大戦前のナチス・ドイツの拡張までを扱う。下巻は第二次時世界大戦から、戦後初期までだ。1949年で終わっているのは寂しいが、第二次世界大戦をフルに扱っているのは嬉しい。

 詳細な感想は、次の記事で。

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2015年10月19日 (月)

書評あれこれ

 豊崎由美「ニッポンの書評」を読んで思った事をあれこれ。

この本、書評に限らずブログで映画やドラマなど「他のコンテンツ」の評論などをやっている人には、なかなか刺激的な話が詰まってて、特に最後の対談はネタの宝庫だったりする。

【キュレーション】

 「書評が求められるのはどんな時か?」というテーマで、大澤聡が鋭い指摘をしてる。日本では1920年ごろ出版物が大衆化して出版点数が激増、「出版洪水」といわれる状態になり、新聞などで書評が盛り上がった、と。

 生のコンテンツが激増して手に負えなくなった時、それを整理整頓して消費者に適したタイトルを選び提示するモノが求められる。なんか最近見たよなー、と思ったら、「2ちゃんまとめ」と「togetter」と「はてなブックマーク」だった。あと、最近は「Tumblr」があるか。あと「やる男.jp」を見てたんだけど、更新が止まっちゃったなあ。

【三行にまとめて】

 やはり大澤氏が「長い文章を読めなくなっている現状はたしかにありますね」と言ってるのに、ちと異論が。

 「長い文章が読めなくなっている」のではなく、「長い文章を読めない人もテキストでのコミュニケーションに参加し始めた」のではないかと。

 昔から文章を読まない人は沢山いた。そういう人たちは、モノゴトの伝達を直接の会話や音声で済ませていたし、世の中はそれで済む形で回っていた。でも、携帯電話やメールが普及して、「長文を読めない人」まで、文章での意思疎通を強制される社会になってしまった。

 今までは長文が読めなくても不自由のない社会だったし、書き手も長文が読める人だけを対象に書いていればよかった。でも長文が読めない人が文章での意思疎通に参加し始めた。そのため、読み手全般の平均や中央値を見ると、読解力が落ちているように感じる。

 全体としての読解力は落ちてない。ただ、今までは読解力の優れた人だけが対象だったのが、そうでない人も読み手として参加するようになった、そういう事ではないかなあ、と。

 Twitter が当たった理由の一つは、長文を読めない人の取り込みに成功し、未開拓の市場を掘り起こしたからじゃないのかなあ。まあ私も携帯電話の世界はよく知らないんだけど。今後、スマートフォンが普及するにつれ、読める人と読めない人の境界は更にぼやけてくると思う。

【私にしかできない書評】

 プロの書評家はさておき。ネットじゃ以下三つに「こりゃ格が違うわ」と感服してる。

積ん読パラダイス
タニグチリウイチ氏のサイト。数年前からSFマガジンでも書評を担当してるから、プロでもあるし、最近は更新ペースが落ちたみたいだけど。ライトノベルを中心にした書評の量がハンパじゃない。という「背景」の深さと共に、共感力というか、作中人物の立場になりきって読む姿勢は、娯楽小説の書評としての王道だと思う。
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
書評の内容もさることながら、プロデュース力が凄い。つまりはタイトル通りの事をやってるんだけど、それを発想して企画して実行し、キッチリと事後処理も綺麗に片付ける能力も見事。まあ、それを実現するには、核となる書評力そのものも、相応しいものが必要なんだけど。
誰が得するんだよこの書評
タニグチ氏はライトノベル中心で、スゴ本はホラー・ミステリに優れてる。「SFはどうなんだろ」と思ったら、やっぱり居るんだよね、SF読みにも。「読み」の深さと視点の鋭さもあるけど、「背景」がキチンとあるのに参った。小説ばかりでなく、ノンフィクションや古典的作品にも手を出していて、それが強靭な背景を更に強化してる。

 ってな人のサイトを見ると、「こりゃとてもじゃないけど敵わん」と尻尾巻いて逃げたくなる、というか逃げられるのがネットのいい所←をい。こういう人たちになくて、私にあるものと言えば…頭の悪さ?いやほら、世の中、賢い人より頭悪い人の方が圧倒的に多いわけで、幸い私も頭悪いから、頭悪い人の気持ちはよくわかる。

 じゃ、頭悪い書評すりゃいいじゃん

 …と思ったけど、頭悪い書評って、既に世の中に満ち溢れているのであった←駄目じゃん

【提灯持ち】

 いや自覚してるのよ、自分の書評が提灯持ちだって。滅多に貶さないし。でも、それには、ちゃんと理由があって。

 なんたって素人だし。素人のいい所は、好きな本だけ読めばいい、って所。書評する本を選ぶ時点で、すでに半分は結論が出てる。そう、面白そうだから読む。興味がなかったり、つまらなそうだったら読まない。最初から、ある程度はフルイにかけた本だけを読んでる。

 おまけに、私は意地っ張りだ。自分で「面白そうだ」と判断したんだから、その判断が間違いだった、とは認めたくない。意地で面白い部分を探す。お話がアレなら登場人物の話をするし、それでも足りなきゃ気に入った場面を語る。SFだとガジェットや世界観だっていい。とにかく、気に入った所を探して、そこに焦点をあてて語る。つまらない所は無視。

 それに、「読めてない」んじゃないか、という恐怖もある。というか、実際に「私は読めてないよな」と感じるのだ。例えば「四色問題」。数学の問題を扱った本なんで、自分の数学力の限界をトコトン思い知った。また、円城塔の「Boy's Surface」も、正直言って読めてないと感じてる。

 理系の本以外で「読めてない」と感じたのが、「最後のユニコーン」。これは、ある程度ファンタジーの文脈に通じてないと面白さがわからない作品だと思うんだが、どうなんだろ。

 それと、アクセス数を稼ぎたい、という下心もある。

 このブログを見に来る人は、今のところ Google などの検索エンジン経由で来る人が大半。で、ですね。例えば「榊 ガンパレ」で来る人は、どんな人か。大半は、榊ガンパレが好きな人だろう、と見当がつく。そこで榊ガンパレの悪口を見たら機嫌悪くなるし、このブログにもいい印象は持たない。

 アクセスを稼ぎたければ、悪口は控えて、好きな所だけを書いた方が効果的じゃなかろか、というセコい計算もしてます。

 まあ、それ以前に、つまらない本のために書評で時間潰したくないしね。そんな暇があったら、他の面白そうな本を読む。読みたい本は山ほどあるのだ。

 今の私はアフィリエイトをしてないけど、してるサイトなら、やっぱり悪口は書きたくないだろう。などと考えると、ネットの書評ってのは、私に限らず好意的な方向にバイアスがかかってるのかも。

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2015年10月18日 (日)

M・ジョン・ハリスン「ライト」国書刊行会 小野田和子訳

 機雷は二マイクログラムの反物質で、一センチ四方のシリコン・ウェーハーに食刻されたヒドラジン・エンジンで所定の位置に向かうようにできている。ネズミ程度の知能しかないが、やつらに居所を知られたら、死んだも同然だ。昔ながらのジレンマ。動くわけにはいかないし、動かないわけにもいかない。

【どんな本?】

 イギリスのSF・ファンタジイ作家による、長編SF小説。1999年のイギリスの物理学者、2400年の宇宙海賊、やはり2400年のジャンキーの三つの物語を、異様な空間ケファフチ宙域・白猫と黒猫などの共通する要素を絡めながらも、並列的に描いてゆく。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2009年版」のベストSF2008海外篇9位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Light, by M. John Harrison, 2002。日本語版は2008年8月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバーで縦一段組みで本文約429頁に加え、加藤逸人の解説10頁。9ポイント45字×20行×429頁=約386,100字、400字詰め原稿用紙で約966頁。文庫本なら上下巻でもおかしくない分量。

 スバリ、かなり読みにくい。文章はサーバーパンクやハードボイルドを意識しているのか、スタイリッシュでクセが強い。また内容も相応にSFを読みなれた人向き。イカれたSFガジェットが説明無しに次々と登場する上に、先に述べたように語り口もクセが強いので、「何が起きているのか」「登場人物が何を言っているのか」がわかりづらい。

【どんな話?】

 1999年のロンドン。物理学者のマイケル・カーニーとブライアン・テートは、量子コンピュータの研究をしている。困った事に、パトロンのゴードン・メドウズは研究をソニーに売り飛ばす気らしい。カーニーには、他にも幾つか問題を抱えている。彼は連続殺人犯なのだ。

 2400年。Kシップ<ホワイト・キャット>号の船長セリア・マウ・ゲンリヒャーは、“ビーチ”と呼ばれる、ケファフチ宙域の淵にいる。今は狩りの時だ。貨物船団を、航行が難しい宙域に追い込み、見事に仕留めた。獲物をいただこうと近づいたとき、追っ手がやってきた。ナスティックだ。

 2400年。チャイアニーズ・エドはトウィンクだ。ニュー・ヴィーナスポートで、ディグ・ヴェシクルの営むシケたタンク・ファームに浸り、ハードボイルドな夢をみている。いい気になっていた所に、ヤバい連中がやってきた。イーヴィとベラのクレイ姉妹、このあたりピアポイント・ストリートを牛耳ってる奴らだ。

【感想は?】

 ハードボイルドでサイバーパンクなスペースオペラ…のフリをした、何か別なもの。

 正直言って、私には楽しめなかった。その一一因は読みにくさだ。ハードボイルドっぽいクセの強い文章はともかく、SF的なガジェットはハッタリがミエミエだし、何より登場人物に感情移入できない。

 とまれ、ミエミエのハッタリは、必ずしも欠点にはならない。例えばジェイムズ・バイロン・ハギンズの「凶獣レヴァイアサン」やチャイナ・ミエヴィルの「クラーケン」とかは、むしろ突き抜けた馬鹿さ加減にこそ魅力を感じるんで、たぶんこれはノリとかソリとかが合う合わないの問題だと思う。

 それより、登場人物に感情移入できないのが辛い。

 主要な登場人物は三人だ。まずは現代の物理学者、マイケル・カーニー。登場していきなり、「ほかの女たちとおなじように手早く殺した」とくる。連続殺人犯だ。特に被害者に恨みがあるわけでもなく、ただの行きずりの殺人である。こういう人に感情移入するのは、かなり難しい。

 次に宇宙海賊のセリア・マウ・ゲンリヒャー。海賊といっても、集団で稼業を営んでいるわけじゃなく、一人で稼いでいる。このセリアも、登場していきなり貨物船団を襲い、何人も殺している。別に殺すのが目的じゃなく、仕事の副産物なんだが、彼女も被害者に全く気持ちを動かされない。つまりは職業的犯罪者だ。やはり好きになれない人物だろう。

 最後の一人チャイアニーズ・エドも、しょうもないジャンキーで。場末のシケた盛り場で、タンクに篭って気持ちのいい夢を見るのにハマった、ただのチンピラ…らしいのだが、近所を仕切るおっかないお姐さんたちとの間に、何かトラブルを抱えているらしい。

 物語は、この三つが並列して進んでゆく。が、いずれの登場人物も、やたらとせっかちで、キチンと説明しない上に人の話は聞かず、やたらと走り回ってはトラブルを増殖させてゆく。これは主な三人だけでなく、その周囲の人物も同じだからタチが悪い。お陰で、どんな状況で何が起きているのか、なかなか読者にはわからない。

 SFとして魅力的なのは、やはり宇宙海賊セリアのパートだろう。ここでは、いきなりKシップだのシャドウ・オペレーターだの反物質機雷だのと、スペース・オペラっぽいガジェットが次々と飛び出す。世界だって、「十空間次元プラス四時間次元」だ。何を言っているのかサッパリわからないが、何か凄そうだ。

 チャイアニーズ・エドのパートも意味不明なガジェットが出て来るんだが、こっちはスターウォーズというよりブレードランナーの世界で、未来は未来でも場末の安っぽく危なっかしげな空気が漂う。ここでもニューマンだの栽培変種だのリキシャ・ガールだのと、変にテクノロジーが進んでいるらしい。

 全般的に、やたらと性交場面が多いこの作品でも、特に目立つのがエドのパートだろう。といっても決して実用的ではなく、かなりやっつけというか投げやりというか、安っぽいテンプレートに沿ったシロモノ。エドの初登場は彼の夢の中で、これがタフガイが主役のハードボイルド…の出来損ないみたいなお話なんで、きっとワザとだろうなあ。

 つか、リキシャ・ガールって何だよw  これも、一時期のサイバーパンクが、やたらと勘違いした極東的要素をオモチャにしてたのを茶化しているのかもしれない。何せヒネたユーモアが得意なイギリス人作家の作品だし。

 そう思って改めて読み返すと、ニュー・マンの設定も、ギャグのように見えて実は風刺なのかも。華僑のようにも思えるし、アメリカ人のようにも思えるし、欧米人かもしれない。だとすると、相当に人の悪い、いかにもイギリス風のギャグだなあ。

 三つの物語が互いに関係がある由は、ケファフチ宙域や白猫と黒猫などのキーワードでそれとなく示唆される。やがて終盤で物語は合流を果たす。

 やたらと技巧的な印象を受けるが、実はただの悪ふざけなのかもしれない。そう思って読んだほうがいい気がする。

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2015年10月15日 (木)

宮崎正勝「[モノ]の世界史 刻み込まれた人類の歩み」原書房

「土器」こそは、人類が自然から切り離された人工的空間(「畑」が基盤)を作り出し、それに依存する生活、システムの確立を可能にした偉大な「モノ」であった。「土器(ポット)」が、人類の食生活を劇的に変えたのである。
  ――第1章 自然の中から「人間圏」が姿を現す

現在、すでに地球人口の半分の約30億人が都市で生活しており、20年後には地球人口の3/4が都市で生活するであろうとも推測されている。現在、地球上の都市面積は約2%に過ぎないにもかかわらず、約75%の資源が都市で消費されており、その傾向はこれからも一掃強まるまかりだろうと考えられているのである。
  ――第7章 19世紀のヨーロッパ都市の膨張と都市生活が生み出した「モノ」

【どんな本?】

 約一万年前の農業の発生から現在のインターネットまでの人類史を、土器・車輪・ラジオなどの道具から、オリーブ・ジャガイモ・牛などの動植物、文字やジャズなどの文化まで、それぞれの覇権国家を支えたテクノロジーや、時代を象徴する道具などを中心に語る、少し変わった一般向けの世界史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年7月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約325頁に加え、「はじめに」8頁+「あとがき」2頁。9ポイント47字×19行×325頁=約290,225字、400字詰め原稿用紙で約726枚。文庫本の長編小説なら少し厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。世界中を飛び回る本なので、地球儀か世界地図、または Google Map などを見ながら読むと、より楽しめるだろう。

 また、頁の下に注釈をつけた配慮も嬉しい。頁をめくらずに注釈が読めるのはありがたい。

【構成は?】

 多少の前後はあるものの、全般的に古代から現代まで時系列順に話が進む。とまれ、各章は比較的に独立した内容なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  •  はじめに
  • 第1章 自然の中から「人間圏」が姿を現す
    1. ホモ・ファベルとなった人類
    2. 「火」の活用範囲を広げた「ポット」と料理革命
    3. 「畑」の開拓が、「人類圏」を拡大した
    4. 神聖視された人類の伴侶「牛」
    5. 膨大な人口を支える「水路」は「龍」や「蛇」とみなされた
    6. 最初の貴重な調味料となった「蜂蜜」と「塩」
  • 第2章 「都市」が形成されて「人間圏」のおネットワークが複雑となり、新しい「装置」・「モノ」からなる「文明」が出現した
    1. 文明を育てるエンジンとなった「都市」
    2. 人類社会を複雑化させた「文字」革命
    3. 太陽・月・星の運行から生み出された「暦」
    4. 広大な地域を一つに結びつけた「車輪」
    5. 大「道路網」がなければ世界帝国は成立しない
    6. 様々な食事作法と東アジア世界に広まった「箸」
  • 第3章 ユーラシアの諸地域世界の様々な「文明」を彩った「モノ」
    1. 発酵「パン」が作られ、「ネコ」が家畜化されたエジプト
    2. 「法律」と「ビール」を発達させたメソポタミア
    3. 「鉄」と「コイン」を生み出した小アジア(トルコ)
    4. 「レバノン杉」と簡便な国際文字「アルファベット」
    5. 「オリーブ」・「オリンピック」とギリシア世界
    6. 帝都ローマの「高層住宅」と「水道」・「大浴場」
    7. 「オリエント」から地中海・ヨーロッパへと広がった宗教的飲料「ワイン」
    8. ペルシア文明を母体とする「クリスマス」と「弥勒信仰」
    9. 「オリエント」からユーラシア各地に広まった「ポロ競技」
    10. 東南アジアのインド文明と「塔」アンコール・ワット
    11. 故宮の黄色い「屋根瓦」と「china」と呼ばれた「磁器」
    12. 遊牧文化が変えた中国文明の「座法」と「家具」
    13. 遊牧文化と「馬具」・「ベルト」
    14. 遊牧民がもたらした「チーズ」とそして「豆腐」
  • 第4章 イスラム帝国・モンゴル帝国下でのユーラシア規模の「文明」交流
    1. ユーラシアにコミュニケーション革命を起こした「紙」
    2. イスラム文明の仲介で世界に広まったインドの「ゼロ」・「アラビア数字」
    3. イスラム世界からヨーロッパに広がった「コーヒー」
    4. 「ダウ」と「ジャンク」が作り出した「アジアの海」の大交流
    5. ヴァイキングの「毛皮」交換とロシアの建国
    6. 「火薬」から「鉄砲」・「大砲」へ
    7. モンゴル帝国の大ネットワーク上を旅した「パスタ」
    8. ユーラシアをさまよった「アイスクリーム」
    9. ユーラシア世界を震撼させた「ペスト」
    10. インド洋を行く2万7000人の鄭和艦隊とアフリカの「キリン」
  • 第5章 「大航海時代」と姿を現す世界資本主義の時代に新・旧大陸を行き交った「モノ」
    1. 「森のヨーロッパ」と「ブタ」と「コショウ」
    2. ヨーロッパを変えた「黄金」への欲望と膨大な「銀」
    3. ヨーロッパを救ったインカ帝国の「ジャガイモ」
    4. 媚薬から料理ベースに変わった「トマト」
    5. 「チョコレート」は「神の食物」だった
    6. 大衆化する「砂糖」と大規模化する「奴隷」貿易
  • 第6章 ヨーロッパの勃興を演出した「モノ」
    1. 宗教革命を激化させたグーテンベルクの「印刷術」
    2. 「コーヒーハウス」から「レストラン」へ
    3. 富裕化するヨーロッパと「ナイフ」・「フォーク」
    4. 肌触りのよい「キャラコ」が引き起こした産業革命
    5. 「蒸気機関」が生み出した煤煙淀む新興都市と労働者の飲料「ジン」
    6. 「国民国家(近代国家)」のシンボルとして登場した「国旗」
    7. ナポレオン戦争が生み出した「ビン詰」と「カン詰」
    8. 「ジャケット」、「ズボン」、「ネクタイ」そして「背広」の起源は
    9. 世界を巡った嗜好品「紅茶」がもたらした大変動
    10. 世界のありようを一変させた「鉄道」
    11. 「蒸気船」と地球を一つにした「定期航路」
    12. 大洋を結んだ「スエズ」と「パナマ」の巨大運河
    13. 大規模な建設と破壊に使われた「ダイナマイト」
    14. 「黒い金」と呼ばれた「天然ゴム」とアフリカ分割
  • 第7章 19世紀のヨーロッパ都市の膨張と都市生活が生み出した「モノ」
    1. 都市を再生させた「上・下水道」
    2. 「灯油」と海の油田「クジラ」の大量捕獲
    3. 都市で簡単に火を作れるようにした「マッチ」
    4. 「牛肉」を大衆化させた「冷凍技術」
    5. 大量の衣服を提供するために作り出された「ミシン」
    6. 都市の空間的拡大を促した「地下鉄」と「市街鉄道」
    7. 大衆に浸透した「新聞」
    8. 「パック旅行」を始めた「クック旅行社」
    9. 「サラブレッド」と「ダービー」はこのように誕生した
    10. 都市スポーツ「サッカー」と「ラグビー」はこうして始まった
  • 第8章 大衆消費社会を支える「モノ」とグローバリゼーションと地球環境問題
    1. 部品互換で作られた「マスケット銃」と大量生産システム
    2. バイソンは滅ぼされ西部大平原は「食肉」業に制覇された
    3. ゴールドラッシュと世界に広まった「ジーンズ」
    4. 「鋼鉄」・「内燃機関」・「電気」の出現と「ビッグ・ビジネス」
    5. 世界最大の「民族移動」とタイタニック号の登場
    6. 「電灯」と都市システムに組み込まれた電気エネルギー
    7. 大衆消費社会のシンボルとなった「自動車」
    8. 鉄道・蒸気船が支えた「郵便」システムとアメリカが育てた「電話」システム
    9. 「国民」形成に貢献した「ラジオ」
    10. 大衆音楽「ジャズ」と「レコード」
    11. 超高層ビル「摩天楼」を可能にした「エレベーター」
    12. 世界を征した通貨「ドル」
    13. 人類に大きな課題を与えた「原爆」と「原子力発電所」
    14. 国境を越え世界を結んだ「テレビ」
    15. 「冷蔵庫」の普及と破壊されるオゾン層
    16. 地球を一挙に狭くした「飛行機」と「ジェット機」
    17. 世界商品となった「ハンバーガー」と「コーラ」
    18. 「インターネット」は地球をつなぐ
  • あとがき

【感想は?】

 この手の唯物史観的な歴史の本では、マクニールの「世界史」が有名だ。なので、ちょっと比べてみよう。

 読みやすさでは、この本の方が読みやすい。著者が日本人なので、文章がこなれている上に、日本人の一般的な歴史知識を著者が判っているため、その時代の背景事情の説明や注釈の付け方が日本人向けになっている。

 反面、歴史全体の流れを感じるのは難しい。それぞれの章の独立性が高く、また個々の「モノ」により強くフォーカスしているため、時代ごとの覇権国家などの社会情勢の説明が少なく、モノの成立に関するトリビアや面白エピソードを羅列した感が強くなった。

 とはいえ、だからこそ、どこから読み始めても楽しめる、よりとっつき易い本にもなっている。また、歴史の解釈も、マクニールは日本人から見るとやや過激な発想に思えるが、この本は日本の世界史の教科書に近い印象がある。

 話は「土器」に始まり、「インターネット」へと向かってゆく。

 その過程で出てくる様々なモノ、実は個人的には少し懐かしい印象があったり。例えば「塩」だ。これはマーク・カーランスキーの「『塩』の世界史」が詳しい。「チーズ」は鴇田文三郎の「チーズのきた道」、鉄道はクリスティアン・ウォルマーの「世界鉄道史」など。こういう、昔なじみに再会するような感慨も、本を読む楽しみの一つだろう。

 と同時に、先の「土器」のように、意外な大物に出会えるのも、こういった総合的な本の面白さだ。機会があったらセラミックの歴史も調べてみたい。あ、その前に、製鉄の歴史も…とか言ってると、読みたい本が際限なく増えていくから困る。

 今まで読んだ本とは違う解釈に出合えるのも、本読みの楽しみだ。デイビッド・モントゴメリー「土の文明史」だと、メソポタミアの中心地が北上した理由を塩害だとしていたが、同時に周辺の森林を切りつくしたための森林資源の枯渇も重要な原因らしい。

 同じような「そうだったのか!」が、秦の始皇帝の五回に及ぶ巡幸。鉄道も自動車もない時代に、国中を訪れて回る大旅行だ。皇帝自ら、よくそんな大変な事をしたもんだと思っていたが、ちゃんとタネがあった。彼は道も整えていたのだ。道幅70メートルに及ぶ「馳道」がソレで、「中央部の幅約7mの部分は、『皇帝の専用道路』」ってんだから凄い。

 やはり世界史全般を見渡すと、モンゴル帝国の影響は大きい。シルクロードを押さえて東西の技術の交流を促しているが、同時に困ったシロモノも媒介している。

 ペストだ。この本によると、ペスト菌の原産は中国の雲貴高原らしい。ここの齧歯類は、慢性的にペスト菌を宿している。モンゴルは雲南遠征の途中でここに立ち寄り、ノミを持ち帰ってしまう。これが中央アジアのネズミなどにも広がり、やがてヨーロッパを席巻してゆく。ヒトやモノの交流が盛んになると、困ったシロモノも広がっちゃうんだなあ。

 大航海時代のキッカケがスパイスなのは有名だが、この過程も意外だった。当時はムスリム商人とイタリア商人が東方貿易を独占してたが、15世紀初頭にオスマン帝国がカイロトアレクサンドリアを押さえ、関税を大幅に引き上げる。そこでポルトガルは新しいルートを求めてアフリカ大陸を迂回する航路を求め…。一種の経済封鎖が原因だったとは。

 本好きとしては、中国で紙が産まれヨーロッパで印刷が発達する流れにも注目してしまう。やがて紙を大量に消費する新聞が生まれるのは、1536年のヴェネツィア。手書き新聞ガゼッタが、「ヴェネツィアに集まった地中海世界の情報を提供した」。これが一気に大衆化するのは19世紀。マスコミの登場だね。新しいメディアの登場は、いつだって反発を生む。

 一方では、新聞が無責任な記事を流して世論を扇動したり、洪水のように流される情報に依存して大衆が自らの判断を停止し、あるいは無力感を強める、というような消極的状況も現れたのである。

 今のインターネットでも、似たような事を言われているような。

 メディアはやがて電信の発達に伴いロイター通信社が生まれ、続いてラジオが登場する。これも社会の構造に大きな影響を与えてゆく。というのも…

中央から地方に向けて画一化された中央政府の情報がながされ、「国民」形成に大きく貢献した。標準語の普及に典型的に見られるように、地方文化の独立性は次第に崩され、中央の文化が地方を席巻していったのである。

 とまれ、最近は日本でも地方の局を中心に方言復活の動きがあって、それはそれで楽しいかも。

 マクニールの「世界史」に比べると、日本人の著者が書いただけあって、とっつきやすく読みやすく分かりやすい。網羅的で百科事典や Wikipedia のような色とりどりの楽しみがあるが、個々のモノに関しては紙面の都合で少し食い足りない感じが残る。食べ物で例えるなら、大勢で多様な料理を少しずつ味わう中華料理の雰囲気かも。

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2015年10月14日 (水)

森深紅「ラヴィン・ザ・キューブ」角川春樹事務所

「私は、ここの人たちが共有する『言語』を早く見につける。だから一緒に仕事をするあなたにも私の『言語』を知って欲しかったの。いつか、私以外の人間がここに来る事も想定して彼らの為に、分かりやすいデータやマニュアルを整えておきたいのよ」

【どんな本?】

 新鋭SF作家の森真紅(もり・みくれ)による、近未来を舞台としたロボット作りSF長編小説。ロボット・メーカーのファーイーストワークスの生産管理部門に勤める水沢依奈(みずさわいな)を主人公に、メーカーの設計・開発・製造そして生産管理などの職務と、そこに勤める者の社会や世界観を、生々しく描く「ものづくり」小説。

 2008年第9回小松左京賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年2月8日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約216頁。9ポイント45字×20行×216頁=約194,400字、400字詰め原稿用紙で約486枚。文庫本なら標準的な一冊分の分量。

 デビュー作だが、意外なほど文章はこなれている。内要も、SF的なアイデアは、あまり凝っていないので、SFに慣れていない人でも充分に読みこなせるだろう。特に製造業に勤める人には身に染みる作品だが、流通や小売でも、新規ルートの開発や新規開店の経験があれば、それなりに感じる所は多いと思う。

【どんな話?】

 ファーイーストワークス社では、最新型の建設用ロボット「グスタフ」の出荷記念式典が迫っている。量産プロジェクトのリーダーを務める生産管理の水沢依奈の元に、困ったニュースが飛び込んできた。アーム部に組み付け不良が出たというのだ。重要な部品だけに、放置はできない。出荷を延期するか、工場で部品を交換して間に合わせるか。

 難しい判断と調整が必要な状況だが…

【感想は?】

 作ること、造ること、そして創ること。

 モノを「つくる」ったって、色んなパターンがある。一品だけのモノをハンドメイドで「作る」。一定の規格・設計で、等質の性能を発揮するモノを沢山「造る」。そして、全く新しいモノを「創る」。

 冒頭、主人公の水沢依奈は、工場の新ラインの立ち上げを率いるプロジェクト・リーダーの立場にある。新型機「グスタフ」を量産する体制を整える仕事だ。同じ「つくる」でも、開発と製造は違う。開発は、新しいモノを創る仕事だ。だが、これを量産するとなると、話は全く違ってくる。

 まずは部品の供給ルートを確保しなきゃいけない。組み立てるにしても、製品を完全に分かっている開発者が作業するわけじゃない。現場の作業員に、どんな作業をするのか教え、スムーズにラインが動くように工夫しなきゃいけない。そもそも、ラインの設計からする必要がある。

 こういった細かい事柄の全体を監視して、スケジュールどおりに動くようにするのが、依奈の仕事だ。スケジュールどおりったって、何をするにしても、関係する全ての人にとって初めての事だらけだ。既に何度か新ライン立ち上げの経験があるから、大体の予想はつくにせよ、必ず以前のラインとは違う手順や部品が出てくる。

 そういうわけだから、まずもって予定通りに進むことはない。冒頭の依奈も、出荷の土壇場でピンチに陥る。製造業に勤める者なら、この辺の描写で胃が痛くなるかもしれない。とにかくなんとかせにゃならん立場の依奈としては、責任の押し付け合いを始める関係者たちを宥めすかし、動いてもらわにゃどうしようもない。

 などと現場を駆けずり回る一方で、それぞれの部門の長を務める方々への報告も必要になる。ヒラの立場で、数人の部長課長に囲まれ、クソ忙しいってのに会議に出席し、問題の内容と経過を報告し、それぞれの部門に必要な事柄を頼む。依奈に同情すると同時に、事態を巧みに切り抜ける依奈に舌を巻く所だ。

 最近はどの工場も自動化が進み、それぞれの機械が何をやっているのか、現場の若い者は知らない。年配の職員は比較的に原始的な工程の頃から現場にいた。そのため、長い職務礫の中で、少しづつ自動化されてきたため、個々の機械がどんな原理で何をするのか、大まかな所は分かっている。と同時に、どんな間違いをしやすいかも。

 この話では工場のラインだが、経験の長いプログラマなら、似たような経験をしているだろう。昔はアセンブラから始めてたから、ポインタも「アドレスの数字が入ってるのね」とピンとくる。オブジェクト指向ったって、構造体に関数の表を組み合わせたものだ。クラスは鋳型で、インスタンスは製品。メンバ関数はコールバック関数で…

 などと昔は基礎からじっくり学ぶ時間があったが、最近の若い人は Rails だ CPAN だと、いきなり洗練された最新ツールを使う。単位時間当たりで作れる機能は増えたが、それがどういう原理で動いているのかを、じっくり学ぶ機会は奪われてしまった。何より新しい道具が次から次へと出てくるんで、それに対応するだけで一苦労だ。

 などと、頭から身につまされるエピソードが満載だったりする。

 同じ Webサイトを見ても、デザイナーはレイアウトやフォントに注目し、ネットワーク屋は応答性やセキュリティをチェックし、データベース屋は表のサイズと構造を思い浮かべ、プログラマはとりあえずソースを見る。あ、このブログのソースは見ないように。だって汚くて恥ずかしいじゃないか。

 あ、いや、そういう話じゃなくて。とにかく自分で何かを作ったり造ったり創ったりしてる人は、同じモノを見ても、変に拘ったモノの見方をしたりする。あなたの周りにもいませんか、店でメシ食う度にレシピを詮索する奴。

 組織や集団ってのは、動き始めて暫くすると、独自の言葉を発達させてゆく。お役所はお役所の言葉を、経理は経理の言葉を、工場は工場の言葉を。

 依奈が勤めるファーイーストワークス社は、かなり大きい企業だ。企業に限らず、大きい組織では、部門ごとに異なった専門用語が発達してしまい、違う部署の者とは話が通じなかったりする。そういえば「伝説の鈴木さん」というコピペが…って、どうでもいいか。そんな状況を表しているのが、冒頭の引用。

 当初は量産品の生産管理だった依奈に異動の話がかかるが、異動先はとんでもない所で…。これまた、何度か異動を経験している人には、「あるある」と思ってしまう場面がいっぱい。

 お話そのものはシンプルだし、特に難しいSFガジェットも出てこない。ただ、それぞれの場面で語られる言葉は、ある程度の職歴を重ねた人にこそ伝わってくる匂いがある。わかりやすく読みやすいが、学生よりフルタイムで働いている人こそ楽しめる、ものづくりのお仕事小説だ。

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2015年10月13日 (火)

ピーター・H・ディアマンディス,スティーヴン・コトラー「楽観主義者の未来予測 テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする 上・下」早川書房 熊谷玲美訳 2

ドイツ航空宇宙センター(DLR)の試算によれば、北アフリカの砂漠で太陽熱発電を行えば、現在の世界発電需要の40倍にあたる電力を供給できるという。
  ――第13章 エネルギー

アメリカの公立学校に通う生徒が高校を卒業する割合は平均で6割程度に過ぎない。
  ――第14章 教育

ピーター・H・ディアマンディス,スティーヴン・コトラー「楽観主義者の未来予測 テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする 上・下」早川書房 熊谷玲美訳 1 から続く。

【感想は?】

 どうやって水の問題を解決するか。

 解決法の一つとして紹介しているのが、「スリングショット」。セグウェイで有名な物理学者で起業家のディーン・ケーメン(→Wikipedia)が提唱するもので、少ないエネルギーで水を蒸留する装置である。牛糞でも動く。何より、スターリングエンジン(→Wikipedia)ってのがマニア心をくすぐる。

 ただし、問題はお値段だ。今の所、製造コストは一台10万ドル。大雑把に1ドル100円としても一千万円。お話にならない…ってのは、気が早い。「商業ベースで大量生産するようになれば、製造コストは一台あたり2500ドルになる」。加えてスターリングエンジンも別売で、2500ドル。これで約100人分の水を調達できる。一人当たり50ドル。うーん。

 加えてメンテや教育が必要なんだが、そのアイデアが面白い。なんと、コカコーラと協力したのだ。なんたって、世界のどこでもコカコーラは売っている。その配送ネットワークを使えば、多くの地域でサービスを展開できるじゃないか。

 ちと初期費用は眉唾だが、コカコーラと協力するって発想には舌を巻いた。実に賢い。

 水は生活用水以上に、農業で使う。「従来型農業は、地球上の水の70%を使用している」。これを減らせれば、大幅な水の節約になる。意外な事に、ここで出てくるのが水耕栽培で、なんと水を7割節約できるのだ。更に、空中に植物を吊るして水を噴霧する空中栽培だと、更に7割を節約できる。

 面白いのは、この研究がNASAから始まったこと。長期間の有人宇宙飛行のために、水耕栽培の研究を始めたのがきっかけだ。今では、日本でも植物工場(→Wikipedia)が産業化されている。品目は限られているが、とりあえずビジネスとして成立しているのだ。

 水と同じぐらい重要なのが、エネルギー。下巻には「裏庭の原発」なんて案もでてて、思わず「『パパの原発』かいっ!」と突っ込みたくなった←マニアにしか通じない表現は止めろ。それは置いといて、やはり本命は太陽発電。今は初期費用+運用費用で、火力発電に敵わないが、ジリジリと安くはなっている…政府主導ってのが、ちと悩ましいが。

 逆に民間主導なのが、藻によるバイオ燃料生成。遺伝子組み換えの藻を使い、油を作る計画だ。これに挑戦しているのが、エクソンモービル,シェル,シェブロン。いずれも石油の大手だ。日本でも「藻 石油」で検索すると色々出てくるし、こりゃなんとかなるかも。

 が、人間そのものが変わらなきゃ、どうにもならない。だがこれも、希望はあるのだ。

 コンピュータはムーアの法則(→Wikipedia)に従い、急速に性能があがってきた。しかも、最近は iPhone など通信機能もついていて、これは有線電話インフラの貧しいアフリカなどで急速に普及している。では、コンピュータに何が出来るのか。やっぱり、教育でしょ。

 子供はみんなニンテンドーが好きだ。ポケモンは世界中の子供に愛されている。このポケモンを巡るエピソードが、実に感動的なのだ。語り手はジェームズ・ギー博士。彼はポケモンについて、こう語る。

 ポケモンは五歳児向けのゲームだが、遊ぶには多くの文章を読まなきゃいけない。最初はママに読んでもらうが、すぐに気がつく。「ママって下手だよね」。まあ他にも色々理由があるんだろうけど、自分で読めれば自分の好きに遊べるぐらいは子供でもわかる。じゃ、どうするか。読むことを学ぶのだ。誰に強制されるわけでもなく、自ら進んで。

 私はポケモンを良く知らないけど、あれって多少の計算能力も要るんじゃないのかな?とすると、算数も身につく事になる。最近はタッチペンで入力も出来るから、これを巧く使えば、読み書き算盤が揃うじゃないか。

 にしても、なんだって子供は(いや大人も)、コンピュータ・ゲームに夢中になるのか。

 誰だって、テストは嫌いだ。失敗するのが嫌いだ。だが、ゲームとなると、人はサルのように再挑戦しつづける。本来なら苦痛のはずのテストを、ゲーム中では喜んで受ける。レベルアップなどで、プレイヤーに報酬を与えるシステムが充実しているためかもしれない。

私は某技術の講師を務めた事がある。その時は、できるだけ細かい段階ごとに実習を挟み、受講者に達成感を味あわせるようカリキュラムを工夫した。「俺は何かが出来るようになった」と実感すると、人は学習意欲を煽られる。人はそういう生き物なんだと思う。ゲームの設計者は、こういうプレイヤーを煽るコツを沢山知っているんだろうなあ。

 何かを学習するには、仲間と先導者がいるほうがいい。ポケモンには通信対戦機能があるし、ゲームの歴史では高橋名人がいた。いや、ゲーム機に拘る必要はない。最近はスマートフォン向けゲームが沢山ある。携帯電話は貧しい地域にも普及してるし、世界の裏側にいる教師とも連絡が取れる。

 思ったより、環境は整っているのだ。しかも、ムーアの法則は、コンピュータだけに当てはまるものじゃない。近年の遺伝子解析技術の進歩は、ムーアの法則すら桁違いに上回っている。

 他にも携帯型X線撮影装置やらiPhone+バイオセンサやらDIYバイオやら、ワクワクする話が満載だ。おまけにSF者には、「ダイヤモンド・エイジ」なんて言葉も出てきて、ニヤニヤするクスグリもある。著者の楽観論を信じるか否かは別として、最新テクノロジーの話題が好きな人には、たまらなく楽しい本だろう。

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2015年10月12日 (月)

ピーター・H・ディアマンディス,スティーヴン・コトラー「楽観主義者の未来予測 テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする 上・下」早川書房 熊谷玲美訳 1

20世紀には、乳幼児死亡率は90%減少し、妊産婦死亡率は99%減少した。そして全体では、人類の寿命は100%以上長くなっている。
  ――著者からのメッセージ

希少性という性質は、状況によって左右されることが多いのだ。。
  ――第1章 人類最大の課題

【どんな本?】

 かつて貴重だったアルミニウムは、今やありふれたものになった。コンピュータの能力はムーアの法則(→Wikipedia)に従い倍々ゲームで向上してきた。携帯電話は通信インフラのない発展途上国で爆発的に普及し、「アラブの春」をもたらした。これから、どんなテクノロジーが登場し、どう世界を変えてゆくのか。それはどんな効果を持つのか。

 Xプライズ財団のCEOと、<ワイアード>誌などに寄稿するジャーナリストが描く、テクノロジーの進歩と投資形態の変化により、全人類が豊かになるためのロードマップ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ABUNDANCE : The Future is Better Than You Think, by Peter H.Diamandis & Steven Kotler, 2012。日本語版は2014年1月25日初版発行。単行本ソフトカバー上下巻、縦一段組みで本文約285頁+233頁=約518頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント45字×18行×(285頁+233頁)=約419,580字、400字詰め原稿用紙で約1,049枚。文庫本の長編小説なら上下2巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。一応、分野は科学・技術としたが、特に前提知識も要らない。敢えていえば、「植物は水と二酸化炭素と太陽光で光合成する」「1ドル=120円ぐらい」「DNAは生命の設計図」ぐらいか。中学生でも存分に楽しめるだろう。

 あと、渇水に悩んだ経験と、コンピュータ・ゲームに熱中した思い出があると更にいい。また、アフリカの地名がよく出てくるので、世界地図があるといい。また、SFファンには、ちょっと嬉しいクスグリが随所に仕込んである。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、好きな所だけを拾い読みしてもいい。ただし、最初の「第一部 全体像」は本書の重要な前提条件になっているのと同時に、全体をまとめた内容でもあるので、できれば最初に読もう。

  •  上巻
  • 著者からのメッセージ
    歴史的な視点/私たちとの関係/二つの頭脳の協力
  • 第1部 全体像
    • 第1章 人類最大の課題
      アルミニウムの教訓/成長の限界/「潤沢さ」の可能性
    • 第2章 ピラミッドの建設
      定義をめぐる混乱/実用的な定義とは/ピラミッドの底辺/清潔な水の効果/「カタクラシー」の追求/読む、書く、そして備える/データの蛇口を開く/ピラミッドの頂点/自由/より大きな課題
    • 第3章 木のあいだから森を見る
      ダニエル・カーネマン/認知バイアス/血が流れればトップニュースになる/「くたびれるのも無理はない」/ダンバー数
    • 第4章 思っているほど悪くない
      不満ばかりの悲観主義/時間の節約は命を救う/累積的な進歩/今までで最高の設計
  • 第2部 指数関数的テクノロジー
    • 第5章 レイ・カーツワイルと加速ボタン
      平均以上の腸卜官/紙に書かれた曲線/脳の中のグーグル/シンギュラリティ大学
    • 第6章 シンギュラリティはいよいよ近い
      未来の国をめぐる旅/ネットワークとセンサ/人工知能/ロボティクス/デジタル製造技術と無限のコンピュータ力/医療/ナノ材料とナノテクノロジー/あなたは世界を変えようとしているか?
  • 第3部 ピラミッドの底部を作る
    • 第7章 協力のツール
      協力の起源/馬からハーキュリーズ輸送機へ/「あそこの丘にゃ金がある!」/お手ごろ価格の「アンドロイド」
    • 第8章 水
      水のための水/ディーンvsゴリアテ/コンドーム/ピラミッドの最下層から人が減る/水のスマートグリッド/衛生問題を解決する/ペール・ブルー・ドット
    • 第9章 90億人を養う
      力まかせはうまくいかない/90億人分の食事を作る/垂直農場/タンパク質/培養肉/将来に向けて/困難な仕事
  • 原注/参考資料:データ
  •  下巻
  • 第4部 潤沢な世界を実現する力
    • 第10章 DIYイノベーター
      スチュアート・ブランド/ホームブリューの歴史/小規模グループの力(その1)/メイカー・ムーブメント/DIYバイオ/社会起業家
    • 第11章 テクノフィランソロピスト
      泥棒貴族/新世代のフィランソロピスト/フィランソロピーの数と規模
    • 第12章 ライジング・ビリオン
      世界最大の市場/カディーアの予想/資源の呪い/世界は私のコーヒーショップ/脱物質化と非収益化
  • 第5部 ピラミッドの頂点
    • 第13章 エネルギー
      エネルギー貧困/明るい未来/合成生命という救いの手/貯蔵という聖杯を求めて/ネイサン・ミアボルドと第四世代原子炉/パーフェクトな電力/エネルギーの潤沢さの本当の意味
    • 第14章 教育
      ホール。イン・ザ・ウォール/子ども一人にタブレットを一台/壁にレンガを加えよう/ジェームズ・ギー,「パジャマ・サム」をプレイする/カーンの逆襲/個別化教育の時代
    • 第15章 医療
      寿命/人間であるがゆえの限界/ワトソン、医学部に行く/ゼロコスト診断/ダ・ビンチ先生、手術室へお越し下さい/介護用ロボット/幹細胞が持つ力/P4医療/医療の潤沢さの時代
    • 第16章 自由
      人々に力を/100万人の声/爆弾ではなくビットを
  • 第6部 もっと速く進むために
    • 第17章 イノベーションとブレイクスルーを加速する
      恐怖、好奇心、金銭欲、重要性/ニュー・スピリット・オブ・セントルイス/賞金コンテストの威力/小規模グループの力(その2)/制約が持つ力/決められた費用での解決策
    • 第18章 リスクと失敗
      優れたアイデアの進化/失敗のメリット/「超信頼性のライン」を越える/シンク・ディファレント/失敗に親しむ
    • 第19章 次はどこに進もうか?
      隣接可能性領域/幸福の追求
  • あとがき 次のステップ 潤沢な世界の中心地に参加しよう
  • 付録 指数関数的テクノロジーにひそむ危険
    未来が私たちを必要としない理由/バイオテロ/サイバー犯罪/ロボティクス、人工知能と失業者の増加/テクノロジーは止まらない
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 書名そのままの内容だ。

 「現代は人類史の曲がり角だよ、明るい未来が待っている、楽しみだね、君もゲームに参加できるんだよ、傍観者でいるつもりかい?」、そんな本である。

 冒頭の引用にあるように、20世紀に陣利は大きな飛躍を遂げた。二度の世界大戦と、それに続く冷戦があったが、それにも関わらず、テクノロジーは進歩し、人類の平均寿命は大きく伸びた。20世紀の歴史は、人類の飛躍を記録している。

 それはなぜか。何が人類を飛躍させたのか。そして20世紀に人類を飛躍させた力は、我々をどこに連れて行こうとしているのか。未来に向けて、どんな者がどんな事をやっているのか。どんな障壁があって、どんな解決策があるのか。間もなく登場するであろう技術やプロジェクトを、多くの具体例を挙げて、一つ一つ語ってゆく。

 その前に、幾つかの前置きがある。そもそも、こんな能天気な題名の本を読む気になる人が、どれだけいるだろう?

 少し前には2012年人類滅亡説(→Wikipedia)が流行った。もっと前にはノストラダムスの預言で人類が滅びる筈だった。日本の犯罪は減っているにも関わらず、治安が悪くなったと感じている人は多い。世界を見ても、シリアを筆頭に中東は荒れてるじゃないか。AIDSは蔓延しSARSは押し寄せエボラは人を殺しまくってるじゃないか。

 ところで狂牛病はどこへ行ったんでしょうね、などと茶化したくもなるが、いつだって人の不安の種は尽きない。不安な話に人は惹きつけられる。これにはちゃんと理由があるんだよ、と語るのが第1部だ。われわれ人類はそう感じるように出来ていて、だから今まで絶滅せずに生き延びてこられたのだ、と。

 人類の歴史の99.9%は野生状態だ。だから、我々のオツムは野生状態で生き延びやすいように出来ている。あなたは狩りに出た。目の前に沢山の鹿の糞がある。まだ新しい。やったね、今夜はご馳走だ…と思ってたら、別の糞もある。なんか虎の糞みたいだ。

 この時、ヒトは鹿の糞を無視して虎の糞に注目する。いいニュースより、悪いニュースを重視するのだ。それでいいのだ。確かに鹿肉を食いっぱぐれるだろうが、虎のご馳走になるよりはマシだ。生きてりゃ明日も狩りができるが、食われたら明日はない。悪いニュースに注意する性質があるから、ヒトは今まで生き延びてこられた。

 鹿を狩り虎から逃げる生活では、この性質が役にたつ。だが、家に住み炊いた米を食う生活には、いささか適合していない。昔は目の前の虎の糞しかなかったが、今は遠い中東のニュースまで入ってくる。このヒトの性質が、未来を悲観的に見せている。逆に言えば、我々が感じているより、未来は明るいはずだ。

 もう一つの前提が、希少性による価値だ。

 ナポレオン三世にとって、アルミニウムの食器は金の食器より価値があった。当時はアルミニウムが希少だったからだ。現在、幾つかの国では水をめぐる争いが顕在化しつつある。真水が手に入りにくいからだ。乾燥地帯では、水の量が作物の収穫と比例する。加えて生活用水がある。飲み水だけじゃない。洗濯・掃除・入浴、全てに水が関わってくる。

 我々は蛇口を捻れば水が出る生活をしているが、土地によっては四時間かけて水を汲みに行かなきゃならん地域もある。どれほど膨大な時間が浪費されていることか。

 だが、水そのものは大量にある…海に。海水を淡水化し、乾燥地域に安く運べれば、争いは解決するし、水汲みに浪費している時間を、もっと有意義な事に使えるだろう。

 それを語るのが、この本の中心となる。様々な例を挙げ、技術的・社会的そして経済的な問題をクリアする、既に手がけられている方法を紹介してゆく。私のように、かつてアポロの月着陸に熱中した者にとっては、ご馳走が次から次へと目の前に運ばれてくるような興奮が押し寄せてくる本なのだ。

 では、一体、どうやるんだろうか?それは次の記事で。

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2015年10月 9日 (金)

イアン・R・マクラウド「夏の涯ての島」早川書房 浅倉久志他訳

「宇宙人はあそこにいる――あそこにいない。どちらにしても、それはすでに存在する事実、そうでしょう?たまたまわたしたちが答えを知らないだけ……でも、もしあらゆるものに答えが出るとしたら、逆に悲しくない? もしそうなったら、あなたのいろいろな夢はどこへ行ってしまう?」
  ――ドレイクの方程式に新しい光を

ジャリラが迎えた十二番目の標準年、それはハバラでは<しとしと雨の季節>と呼ばれているが、彼女は三人の母親といっしょにタブサールの高原から山々を越え、海岸地方へ引っ越すことになった。
  ――息吹き苔

【どんな本?】

 イギリスの新鋭SF/ファンタジイ作家イアン・R・マクラウド Ian R. Macleod の作品を集めた、日本独自の短編集。突飛な設定や奇妙な状況を背景にしながらも、そこで生きる人々の想いを、少し乾いた筆致ながらもしんみりと描く、不思議な味の作品が多い。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2009年版」のベストSF2008海外篇7位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年1月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文訳423頁。9ポイント45字×20行×423頁=約380,700字、400字詰め原稿用紙で約952枚。文庫本なら上下巻でもおかしくない分量。

 文章はこなれている。終盤の作品は考え抜かれたSF設定が背景にあるが、味付けは異世界ファンタジイ風味なので、わからなかったらファンタジイだと思って味わおう。背景のアイデアより、そこで生きる人々こそが、この作品集の面白さなのだから。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳者。

帰還 / Returning / <インターゾーン>1992年10月号 / 小野田和子訳
 わたしは宇宙飛行士だ。別世界へ行く試みから帰ってきた。湖の岸辺をふらふら歩いていた所を、犬を散歩させていた老人に保護された。わたしが帰ってきたのは、これで四度目だ。これまでの帰還も今回と似た形だったそうだ。だが、わたしにとってははじめてという感じがする。
 別世界へと旅立ち、帰ってきた…つもりの、宇宙飛行士と、それを迎える家族のお話。宇宙飛行士とはいっても、我々が考えるモノとは少し違っていて。こりゃ奥さんのエレインも辛いだろうなあ。待つもの辛いけど、忘れるわけにもいかず。
わが家のサッカーボール / The Family Football / <インターゾーン>1991年11月号 / 宮内もと子訳
 父さんはケンタウルスの格好で帰ってきた。ぼくと妹のアンは、ネズミごっこをしてる。母さんは、肉が食べられなくなった。右手は毛むくじゃらで、ミツユビナマケモノの三本のかぎ爪になっている。おかげで家事や食事が巧くできない。勤めも休まなきゃいけないみたいだ。
 ヒトが様々なものに変身してしまう世界での、とある家族のお話。サッカーで遊んでる子供たちが、怖くて煩い人の家にボールが飛び込んで困ったり、おじいちゃんがお洒落な格好をすると嬉しかったりと、子供達のやかましい世界を描いた後に、こうくるかー。実にヘンテコな世界なのに、なんかシンミリする不思議な作品。
チョップ・ガール / The Chop Girl / <アシモフ>1999年12月号 / 嶋田洋一訳
 時は第二次世界大戦。18歳のわたしは空軍婦人補助部隊の一人として、空軍基地で働いていた。日暮れ時には巨大なランカスター爆撃機(→Wikipedia)が飛び立ってゆき、ドイツのどこかに爆弾を落としに行く。帰ってくる機もあれば、帰ってこない機もある。わたしはチョップ・ガールと呼ばれ…
 SFと思ってもいいし、戦争小説として読んでもいい。ランカスター爆撃機の乗員にとって、生還は運任せ。そこでは奇妙なゲン担ぎが流行り、主人公は不運の象徴チョップ・ガールとして忌むべき存在になってしまう。出撃となれば帰還は運任せだし、となれば将来に備えて金をためようなんて気持ちになるはずもなく。
ドレイクの方程式に新しい光を / New Light on the Drake Equation / <サイ・フィクション>2001年5月 / 浅倉久志訳
 フランスの山中に引き篭もり、夜ごと電波のささやきに耳を澄ます酔いどれ老人のトム・ケリー。麓のサン・ティレールまで下りてくるのは、毎月の第一水曜日…の予定だが、今月は一日遅れて木曜日になってしまった。街には熱気泡を求めるフライヤーが集まっている。
 ドレイクの方程式(→Wikipedia)は、地球人がエイリアンと連絡できる可能性を示す式。SETIオタクとして生涯を捧げた爺さんトム・ケリーと、次々と新しい事に挑戦する女性テアの恋物語。身体改造などの新技術が発達した未来を舞台に、古いSF者のセイシュンを思い起こさせる固有名詞を散りばめ、変わってゆく世界の中で生き残ってしまったオタクの姿を描く、ちょっと切ないお話。
夏の涯ての島 / The Summer Isles / <アシモフ>1998年10・11月合併号 / 嶋田洋一訳
 第一次世界大戦で敗戦国となったイギリス。1940年には、ジョン・アーサーが権力を握り、全体主義的な体制になっていた。時代は、再び欧州に嵐が吹き荒れようとしている。オックスフォード大学の教員グリフィン・ブルックは、ジェフリー・ブルックの筆名で、<デイリー・スケッチ>に連載を持っている。
 歴史改変物。全体主義に席巻された1940年のイギリス。ユダヤ人が隔離される社会で、同性愛の性癖を持つ老いた大学教授を主人公にして、ウィリアム・モリスの「ユートピアだより」を小道具に使いながら、歴史と人の関わりを描いてゆく。タイトルから感じる、爽やかでリラックスした雰囲気が、いかにもイギリス人らしい強烈な皮肉になっている。
転落のイザベル / Isabel of the Fall / <インターゾーン>2001年7月号 / 浅倉久志訳
 <百合戦争>の終わった時代。甚大な被害を蒙ったゲジラーで、幼いイザベルは<夜明けの教会>に拾われた。空のはるか高みからさすサビルの光を集め、都市ぜんたいに光を運ぶ、巨大な光塔を管理し、運営するのが<夜明けの教会>だ。イザベルはそこで<夜明けの歌い手>として学び…
 遠い未来の超絶技術を背景としたSFだけど、語りはお伽噺風。大きな反射鏡やレンズで構成される光塔、それを駆動する<夜明けの歌い手>、そして宙にかかる<浮かぶ大洋>など、奇妙な世界が楽しい。輝きに満ちた光塔の中の場面が印象に残る。
息吹き苔 / Breathmoss / <アシモフ>2002年5月号 / 浅倉久志訳
 三人の母とともに山を下り、十二標準年のジャリラは海岸地方の町アル・ジャンブにやってきた。空気の薄い高原と違い、ここは空気が豊かだ。町は人が多く、変化に富んでいる。言葉の訛りも様々だし、エイリアンだっている。マーケットには見たこともない品物が並び…
 先の「転落のイザベル」と同じ世界の、ただし別の惑星を舞台にした作品。田舎から町へと出てきた少女の目を通し、成長に従い広がってゆく世界と、そこでの人びととの出会いと別れ、そしてそれぞれの旅立ちを描く、ちょっと切ない青春の物語。人造生物らしき乗獣のハヤワンが可愛い。
解説/香月祥宏

 全般的にイギリス人らしい、少し突き放した感じの筆致が特徴。過ぎ去ってゆく過去、変わってゆく季節など、失ってしまうモノへの郷愁を漂わせながらも、ノスタルジックではなく、静かにゆっくり前を向いて歩いていく、みたいな感じの作品が多いかも。

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2015年10月 7日 (水)

アーヴィング・ゴッフマン「スティグマの社会学 烙印を押されたアイデンティティ」せりか書房 石黒毅訳

スティグマをもつ人たちをめぐる状況は、簡単に彼らをも同類中の有名になった英雄、または悪党の世界に住まわせることになるのである。
  ――Ⅰ スティグマと社会的アイデンティティ

スティグマのある人は<同類>の人びとを、そのスティグマが明瞭で目立つ程度に応じて差別化する傾向を示す。
  ――Ⅲ 集団帰属と自我アイデンティティ

【どんな本?】

 身体的な障害,犯罪の前科,変わった性的嗜好,少数民族,珍しい宗教…。この本は、いわゆる「常人でない」属性をスティグマと呼ぶ。スティグマを持つ者は、どのように振舞うのか。社会の中で、どのような立場に置かれ、どのように行動する事を期待されるのか。自らをどう規定し、どう社会に適応するのか。

 社会学者による、スティグマをテーマとした、人と社会のかかわりを考察する専門書…だと、思う。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は STIGMA : Notes on the Management of Spoiled Identity, by Erving Goffman, 1963。日本語版は2001年4月6日改訂版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約238頁。9ポイント42字×17行×238頁=約169,932字、400字詰め原稿用紙で約425枚。文庫本の長編小説なら標準的な一冊分の分量。

 文章は硬い。典型的な「学者の書いた文章」だ。だが、意外と中身は難しくない。特に哲学や社会学の前提知識も要らないので、硬い文章にビビらなければ、高校生でも読めるだろう。

【構成は?】

 基本的に前の章の内容を受けて次の章が展開する構成なので、素直に頭から読もう。

  • Ⅰ スティグマと社会的アイデンティティ
    • 予備的考察
    • 同類と事情通
    • 精神的経歴
  • Ⅱ 情報制御と個人的アイデンティティ
    • すでに信頼を失った者と信頼を失う事情のある者
    • 社会的情報
    • 可視性
    • 個人的アイデンティティ
    • 生活誌
    • 生活誌上の他人
    • パッシング
    • 情報制御のさまざまな手法
    • 偽装工作
  • Ⅲ 集団帰属と自我アイデンティティ
    • 両価的感情
    • 職業的代弁者による問題呈示
    • 内集団への帰属
    • 外集団への同調
    • アイデンティティの政治学
  • Ⅳ 自己とその他者
    • さまざまな逸脱行為と基準
    • 逸脱点のある常人
    • スティグマと現実
  • Ⅴ さまざまな逸脱行為と逸脱
  • 原注・訳注
  • 訳者あとがき
  • 改訂版へのあとがき

【感想は?】

 著者が何を言いたいのか、よくわからない。

 文章が硬いせいもあるが、著作自体が研究の経過報告みたいな形で終わっている気がする。ただ、読んでいて、「うん、あるある」と思うところは多かった。

 まずはテーマであるスティグマ。烙印みたいな意味で使っているようだ。というと、どうも大げさに思われがちだが、現代となっては多かれ少なかれ誰もが持っている物じゃないだろうか。

 この本が扱っているのは、次のようなものだ。身体の障害,精神の持病,犯罪の前科または現役の職業的犯罪者,同性愛,少数民族,珍しい宗教など。この本の冒頭では「不面目」としている。先に挙げたに限らず、ちと人に知られたくない属性なら、他に幾らでもあるだろう。オタク趣味,カツラ,下痢気味の腹,老化による難聴…。

 そんなわけで、オタク趣味を持つ者の一人として読むと、「おお、あるある」と感じる所は多かった。例えば、職業的犯罪者が、驚きを告白している。カタギの人が、ペーパーバックの探偵小説に興味があるとは思わなかった、と。リア充もナウシカを見ると知り、オタクが驚くようなもんだろうか。

 世間から見たらオタクはオタクで、どのオタクも大した違いはないが、オタク内では歴然とした派閥や序列がある。アニメオタク,ゲームオタク,コンピュータ・オタク,鉄っちゃん,アイドル・オタク…。

 この記事の冒頭の二番目の引用は、そういう事なんだろうか? 同属嫌悪とでもいうか、同じオタク同士でも激しい派閥争いがあったりするし、「ライトノベルを叩いているのは誰か」なんて記事もあったりする。いやキチンと検証したわけじゃないけど、気取ったSFファンの中にはライトノベルを叩く人も多いかも。

 それとは逆に、痛車に乗るぐらい突き抜けちゃった人は、王として崇められる事もある。 …が、それはオタクの中での話で。

スティグマのある人が常人と<一緒に>いるとき、自分の同類のなかの望ましくない者が近寄ってくる

 などというのは、はなはだ嬉しくない。隠れてオタクをやっている者にとって、職場の者と一緒にいる時に、秋葉原や有明の知人と出会うのは、出来れば避けたい事態だ。この章ではズキズキくる文章が続く。

漫画、小説、民話の類には、彼らの仲間のステレオタイプ的人物の欠点が不真面目な形で展示される。

 もこっちか、もこっちの事かぁ~! まあ、そんなオタクでも受け入れてくれる世間はあるのだ。

精神病院のすぐ近所に見受けられる商店は、精神疾患者の行動に対しては相当程度に寛容さを示すようになるだろう。病院の周辺の人たちは、植皮手術を行なっているさいちゅうで、顔が見苦しくなっている人たちを平静に扱う能力をもつようになる。

 鷲宮や大洗の人も、聖地巡礼する者を生暖かい目で見守ってくれているようだし、迷惑かけずに行動すれば、相手も慣れてくれるんです、きっと。

 なんてのは無名のうちの話で、有名になっちゃうと話は別。かつての宮崎勤の事件の頃は、オタクの肩身が狭かった。世間ではオタク=連続幼児殺人犯みたいな構図になっちゃって、漫画が好きなんて滅多に言えない雰囲気になっていた。当時はコンピュータの知識がある=オタク、みたいな認識もあって、計算機屋も辛い想いをした。

 それが今じゃIT系と言えば賢そうに見られるから、世の中なんてのは理不尽なもんです。散々コキ下しといて、流行り出すと掌返すんだもんなあ。そういえばSFも…

 って、全然書評になってないな。誤解のないようにお断りしておくけど、本書の中ではオタクなんて言葉は一切出てきません、はい。あくまでも真面目な社会学の本です。

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2015年10月 6日 (火)

オスネ・セイエルスタッド「チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち」白水社 青木玲訳

「ロシア軍が撤退しない限り、われわれの襲撃も続くだろう。チェチェン国外で軍事行動を起こすほうが有益であることもわかった。われわれの町が爆撃されても、誰も眉ひとつ動かさなくなっている。しかし国境の外に出れば、世界のメディアが争ってセンセーショナルなニュースを流す」
  ――第3章 最初の戦争

「なんで私は物を覚えられないの?」
「忘れたいことがいっぱいありすぎるのかな」
  ――第7章 虐待児

「学位なんか意味ない。お金で買えるんだから。ここじゃ何でも金次第。学位があったってコネがなきゃ終わり。就職にはなによりコネ。お金がモノを言うんだ。専門知識なんか二の次。だからこの国じゃ無知な奴ばっかり出世する。頭の中身はあんまり関係ないんだよ」
  ――第16章 戦争と平和

「どの家族のこと?」
「四人の息子を失くした女の人がいるでしょう……」
「だからどこの?」
「どこのって、それ、どういう意味?」
「四人の息子を失くした女なんて、あの村では珍しくないんだよ」
  ――第18章 お茶だよ、婆さん

【どんな本?】

 黒海の東、カスピ海の西、コーカサス山脈の北の麓にあるチェチェン(→Wikipedia)。1994年~1996年の第一次チェチェン戦争(→Wikipedia)、1999年~2009年の第二次チェチェン戦争(→Wikipedia)と戦禍は続き、今なお火種はくすぶり続けているばかりでなく、テロやマフィアの暗躍で近隣諸国にも影響を及ぼしている。

 著者はノルウェーのジャーナリスト。密入国を含み数回にわたりチェチェンを訪ね、独立派の指導者,孤児院の運営者,そこに住む孤児たち,家族を失った未亡人,第二次世界大戦で従軍した老人から、チェチェン大統領ラムザン・カディロフや、その取り巻きたち、そしてチェチェン戦争に従軍した兵とその家族などに体当たりで取材して行く。

 そこで浮かび上がるのは、チェチェン戦争が及ぼした影響と、チェチェンの文化・社会と権力構造、そこで生きる人々たちの暮らし、そしてプーチンによるチェチェン制御の手法だ。また、女性である強みを活かし、見えにくいムスリム女性の生活・立場・気持ちも描かれる。

 チェチェン社会の底辺から頂点まで、ロシアの退役兵から民間人までと幅広い人びとの声を集め、複雑なチェチェン情勢を人々の声で描いてゆく、現代ジャーナリズムの傑作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Angel of Grozny : Inside Chechnya, by Åsne Seierstad, 2007。日本語版は2009年9月30日発行。単行本で縦一段組み本文約399頁に加え、廣瀬陽子の解説12頁と訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×399頁=約359,100字、400字詰め原稿用紙で約898枚。文庫本の長編小説なら厚い一冊分ぐらいの分量。

【構成は?】

 廣瀬陽子の解説が、背景となるチェチェン情勢をわかりやすく簡潔にまとめてあるので、最初に読むといいだろう。本文はほぼ時系列順だが、各章の内要は比較的に独立しているので、気になった章から読み始めてもいい。

  • 第1章 小さな狼
  • 第2章 彼は短剣をとぐ
  • 第3章 最初の戦争
  • 第4章 狼狩り
  • 第5章 帰還
  • 第6章 グローズヌイの天使
  • 第7章 虐待児
  • 第8章 靄の中の暮らし
  • 第9章 金曜の夕べ
  • 第10章 寒い部屋で眠り、寒い部屋で起きる
  • 第11章 メッカとクレムリンの間
  • 第12章 内なる敵
  • 第13章 ようこそラムザンの国へ
  • 第14章 新生グローズヌイと特別警護地帯
  • 第15章 若者御殿
  • 第16章 戦争と平和
  • 第17章 この父にしてこの息子あり
  • 第18章 お茶だよ、婆さん
  • 第19章 プーチンに見守られ
  • 第20章 名誉殺人
  • 第21章 拳
  • 第22章 祖国のために
  • 第23章 正と負
  • 第24章 小さな狼と盗人
  •  解説 廣瀬陽子 静岡県立大学国際関係学部准教授
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 戦争が悲惨なのは、今さら言うまでもない。

 私のような軍ヲタは、ついつい苦戦する将兵に目が行く。だが、もっと辛い思いをする、だが往々にして見落とされる者がいる。それが孤児だ。

 紛争地帯では、オトナですら喰うに困る。そんな所で、子供たちはどうやって生き延びるのか。その答えが、冒頭の「第1章 小さな狼」で描かれる。この章の主人公は、12歳の少年ティムール。戦争で家族を失い、姉リアーナとともに父の弟オマールに引き取られるが…

 ティィムールとリアーナの境遇は悲惨な話で、救いもない。12歳の少年が、なぜ保護者の元を逃れ戦渦に荒れ果てた町で一人生きようとするのか。どうやって食いつないでいるのか。どんな理由であれ、社会が荒れると、そのツケは最も弱い者に回ってくるのが、世の中の仕組みなんだよなあ。

 著者は第一次チェチェン戦争で、チェチェンに潜入する。ここで描かれるロシア軍の間抜けっぷりは酷い。ロクに歩兵の支援もつけずに戦車が市街地に入り、屋上から手榴弾に狙われ炎上する。進撃目標も示されず、地図もない。兵は市街戦について何も知らない。アフガニスタンの苦戦から、何も学んでいなかったようだ。

 第一次停戦後、資金繰りに苦しむチェチェンにイスラム過激派が侵入してくる。元はスーフィズムだったチェチェンだが、ソ連時代のイスラム弾圧で宗教的な真空地帯だった所に、過激なワハビズム(ワッハーブ派)が入り込み、急激に勢いを伸ばしてゆく。こういった事情は、アハメド・ラシッドが「聖戦」で描く中央アジアとそっくりだ。

 第一次停戦後、群雄割拠状態となったチェチェン。ロシア大統領プーチンは独立派の一人アフマド・カディロフを取り込み、傀儡として支配権を握らせる。2004年にアフマドが暗殺されると、その息子ラムザン・カディロフが事実上の支配者となる。

 ラムザンによる支配の様子は、1989年以前の東欧とソックリだ。味付けがチェチェン風なだけで、秘密警察・密告制度・広がる腐敗・情報統制・拷問・個人崇拝、そして支配階級の贅沢な暮らしと、常に予定と居所を変えて暗殺を避ける暮らし。ラムザンは屋外では常に走っている。スポーツ好きの現れに見えるが、狙撃を避けるためでもあるんだろう。

 そのラムザンは、プーチンの終身大統領就任を願う。当たり前だ。ラムザンの支配力は、プーチンの全面的な支援に拠るものだからだ。なぜロシアでプーチンが大きな支持を得ているのかが、ラムザンの例でわかる。ロシアの各州の知事はプーチンの指名によるものだ。プーチンに逆らえば、州知事はその地位を失うのだから。

 そのラムザンが執務するのは、特別警護地帯。「特別警護地帯にいるのは、ロシア連邦軍ばかりのようだ」。ここに勤める青年たちは、カディロフの熱心な崇拝者ばかりだ。少なくとも、表向きは。

 チェチェンの歴史を語る「第10章 寒い部屋で眠り、寒い部屋で起きる」も、なかなか衝撃的だ。第二次世界大戦の頃、スターリンはチェチェン人を中央アジアに強制移住させた。あの戦争のさなかに、アメリカから支援で得たトラックを使って、そんな事をしていたのだ。

 ここに登場するヴァルハン爺さんは、大戦で志願して従軍し、ベルリンまで戦いぬく。「戦場では、チェチェン人の戦いぶりは、どんなに熱心な共産党員にも引けをとらなかった」。だが、終戦を迎えても、帰る故郷はない。「列車でカザフスタンへ送られたよ」。

 敗戦国ならともかく、戦勝国なら、従軍した将兵を英雄として持ち上げるもんじゃないだろうか。そうすれば国民の愛国心を煽り、軍も権力者に忠誠を捧げ、権力者の地盤が安泰になる筈だ。国家ってのは、ここまで兵を粗末にしても、成立しえるものなんだろうか。

 「第21章 拳」では、モスクワでの若者によるチェチェン人襲撃事件を扱う。若者たちは現代日本でいうネトウヨだが、実態はただのチンピラみたいだ。著者は犯人の一人アレクセイの家を訪ね、家庭の様子を描く。読むかぎり、単に甘やかされて育ったクソガキって気がする。ここでは、ロシアの刑務所の様子がわかるのも面白い。囚人の序列とか。

 同じくこの章に登場するチェチェンの人気女性歌手のリーザ・ウマローヴァ、今なら Youtube で歌が聴ける(→その1、→その2)。リズミカルだけど、旋律は短調でもの悲しげ。ラテンっぽい雰囲気もあって、二昔前の演歌みたいな印象がある。日本人でも年配の人にはウケるんじゃないだろうか。

 一時期は騒がれたが、今はシリアに話題を奪われ忘れられてしまったチェチェン。だが、ここで起こったこと、起きていることは、やがてシリアでも起きるだろう。辛苦くさい悲劇の話としても衝撃的だが、現在のプーチンによるロシア支配体制や、ロシア軍の内情もよく描いている。

 単なるチェチェン情勢の報告におさまらず、ロシアとその衛星国の関係を生々しく暴露した作品として、この本には大きな価値がある。チェチェンばかりでなく、ロシアの世界戦略を知りたい人にもお薦め。

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2015年10月 4日 (日)

貴志祐介「悪の教典 上・下」文春文庫

 学校とは、子供を守ってくれる聖域などではなく、弱肉強食の法則が支配する生存競争の場だということを。ここから無事に生還するためには、生まれ持った幸運か、いち早く危険を察知する直観か、あるいは、我が身を守れるだけの暴力的な才能が必要になる。

【どんな本?】

 ベストセラー作家・貴志祐介による、学園ホラー。発表時から大きな話題を呼び、後に漫画化・映画化された。町田市の私立校・晨光学院町田高校の若い英語教師の蓮実聖司は、二年四組を担任している。優れた統率力とメリハリのある授業、そして秀でたルックスで多くの生徒から慕われ、また同僚の教師からも一目置かれておる。しかし、彼の実態は…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は「別冊文藝春秋」2008年7月号~2010年7月号。2010年7月に文藝春秋より上下巻で単行本を八法、2011年11月にノベルズ版を発行。私が読んだのは文春文庫の文庫版で、2012年8月10日の第1刷。

 文庫本縦一段組みで本文約461頁+約434頁=約895頁に加え、2頁の掌編「秘密」と、6頁の短編「アクノキョウテン」、三池崇史による解説「蓮実聖司を愛する者として」7頁も収録している。9ポイント39字×17行×(461頁+434頁)=約593,385字、400字詰め原稿用紙で約1,484枚。文庫本なら上中下の三巻でもおかしくない分量。

 文章は抜群に読みやすい。内容も難しくないので、中学生でも楽しく読める…と思うが、あまり中学生には読ませたくないw 関係ありそうな音楽の Youtube リンクを次に挙げておく。

【感想は?】

 長い小説だが、読み始めたら一気に読まされてしまう。

 学園物なので、登場人物は多い。「登場人物一覧がないのは不親切だな」と最初は思ったが、意外なくらいそれぞれの人物像はハッキリしていて、あまり前の頁まで戻らずに済んだ。名前の付け方に工夫があるんだろうか?

 舞台は私立高校。たいていの人は昔高校生だったから、馴染みのある舞台だ。ただ、馴染みはあっても、生徒の目線でしか知らない。賢い子は教師間の力関係まで見抜いているだろうが、私のようにボンヤリしたガキはなかなか気づかないものだ←いやそこまで鈍感なのはお前ぐらいだ

 中学校も高校も、体育教師は不思議な存在感がある。受験科目でもない体育の担当なのに、なぜあんなに威張っているのか。年中ジャージ姿で異彩を放ち、鬼の生徒指導部として不良どもにも恐れられる。まさしく、その威圧感こそが彼らの影響力の源だと、酒井教頭が懇切丁寧に教えてくれた。

 この酒井も、いかにも教頭らしく、微妙に子ずるい雰囲気を放っての登場だ。にしても、なぜ教頭ってのはこう、権限を振りかざしながらも生徒や同僚から小馬鹿にされる役どころなんだろうw 同じ中間管理職でも、学年主任は尊敬される場合もあるのに。

 などの馴染みのある舞台背景から始まるので、誰でもすんなりと物語に入っていける。

 誰もが経験する、学校。外からは平和に見える場所だが、実際はそれほど気楽な所じゃない。体育教師が幅をきかせているのが、その証拠だ。教師が絶対的な権力を持ち、多くの生徒の上に君臨している、全体主義的な社会である。

 そこに未熟な子供たちが放り込まれる。担任がまっとうな者だったり、分かりやすい価値観の持ち主だったら、子供でも簡単に対応できるが、理解不能な性格の者も多い。小学校・中学校・高校と、相性のいい担任ばかりに当たった人は滅多にいないだろう。ヒステリックな担任、葛原教諭のエピソードに共感する人は多いんじゃないだろうか。

 にしても、なんだって管理職ってのは、問題をこじらせるような対応ばかりするんだろうね。この際の蓮実の対応に、スッキリした人はわたしだけじゃない筈だ。

 そう、主役の蓮実の造型こそが、この小説の最大の魅力。眉目秀麗、頭脳明晰。授業の進め方は巧みで工夫に富み、生徒にも強い関心を持っている。職場の同僚教師との付き合いにもソツがなく、その場その場で適切な役割を演じ、次第にリーダーシップを発揮してゆく。

 確かに仕事熱心では、あるんだ。いかに生徒の関心を引き、頭に残る形で知識を伝授するか。脇道にそれそうになった時、どうやって流れを引き戻すか。眠気を催させず、緊張感を持続させるか。よく読むと、プレゼンテーションの工夫と似ていたりする。

 にしても、定められた課程の他に、ボイス・トレーニングまでする教員が、どれぐらいいるだろう?民間の予備校なら、いるかもしれないけど。そこまで熱心に授業に取り組んでくれるなら、実にいい先生

 …なんだけどw 当然、この著者がそんな「いい人が頑張るいい話」を書くはずもなく。

 教師だって人間だ。いい人もいれば、ロクでもない奴もいる。たいていの危険人物は、見るからに危険な匂いを漂わせている。年中ジャージで校内をウロつく体育教師が、最もわかりやすい例だろう。頭の悪い不良も、体育教師の前では大人しくなる。

 ヒステリックな教師も、その多くは目つきや言動の怪しさで、アブナさをアピールしている。本人にそのつもりはなくても、児童や生徒は敏感に感じとるものだ。小学生ぐらいには充分に通用しちゃうんで、なんとか勤まっちゃうんだが、中学・高校あたりになると、生徒たちが徒党を組んで反乱を起こしたりする。

 そんな風にわかりやすい危険人物なら、生徒も自衛できるのだが、蓮実のように見事な猫かぶりとなると…

 なんであれ、教育と名がつくと、大抵の無茶が容認されてしまう。民間企業では厳しい利害計算があるので、極端な方法は嫌われエキセントリックな人間は閑職に追いやられるが、学校では成果が測りにくいので、変な教師も長く居ついたりする。蓮実はさすがに極端だが、生徒たちが置かれている状況は、どこでも似たようなものじゃないだろうか。

 平和に見えて、実はジャングル・ランドの学校。何事も揉み消そうとする、学園の体質。そこに忍び込んだ、狡猾で常識外れの獣が巻き起こす、阿鼻叫喚の地獄。現代きってのエンタテナーによる、寝不足必至の傑作ホラー。

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2015年10月 1日 (木)

田中法生「異端の植物 水草を科学する 水草はなぜ水中を生きるのか?」ベレ出版

 本書では、水草はどのような進化の過程を経て地球上に出現したのか、陸上から水中に進出する過程でどのような能力を獲得したのか、水草はどのような花を咲かせ、どのように移動しているのか、そして、滅びゆく水草をどのように守ればいいのか、最新の研究成果をふんだんに盛り込んでご紹介します。
  ――はじめに

 日本には約230種類の水草が生育していますが、環境省のレッドリスト(2007)には、そのうち約90種類が絶滅危惧種あるいは準絶滅危惧種として挙げられています。つまり、日本の水草のじつに40%が、将来、絶滅してしまう可能性があると推測されているのです。
  ――第6章 滅びゆく水草をどのように守るのか?

【どんな本?】

 日本人に最も馴染みがある水草はイネだろう。イグサも、蓮根を採るハスも水草だ。池や湖などの淡水に住むものもあれば、海水中で育つものもあるし、急流に住む水草もある。稲作農家には邪魔者扱いされる水草だが、東京湾ではアマモが海産物の大事な生息環境になっている。

 陸上から水中へと戻った変わり者の植物、水草の進化系統から生態系の中での役割、繁殖の方法から生存分布の謎まで、一般的な知識から未だ解明されていない謎、そして水草保存の試みまで、専門家が語る一般向けの水草の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年8月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで約298頁。9.5ポイント42字×16行×298頁=約200,256字、400字詰め原稿用紙で約501枚。文庫本の長編小説なら標準的な一冊分の分量だが、写真やイラストを豊富に収録しているので、実際の文字数は7~8割程度。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。中学二年生程度の理科の知識があれば、充分に楽しめる。近所に池や沼があれば、更に親しみが増すだろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。

  • 第1章 水草はどのように進化したのか?
    • 1 水草とは?
      どのように生活する、どのような植物群か?/ワカメは?水苔は?/水草の定義/水草は地球上にどのくらいいるの?
    • 2 DNAが明らかにした水草の進化
      水草はいつごろ誕生したのか?/多様な水草が出現する時代へ/花の咲く最初の水草はスイレン/多様な水草の進化/陸上から水中への進化は200回以上
  • 第2章 水草はなぜ水中で生きられるのか?
    • 1 水中で生きるための必須条件
      植物にとって水中は住みやすい場所?/光を奪う水/空気はどうする?/植物にとって水中は憧れの場所
    • 2 水草の形と生育環境
      水草の基本4形/水草はどこに住んでいる?/水質による住み分け
    • 3 変動する水に対応する葉の変化
      1つの個体に2種類の葉をつける/水位の変動には姿を変えて/浮力を得る方法/水流をいなす形
    • 4 究極の水草たち
      究極の急流植物 カワゴケソウ/養分の吸収と根のない水草/虫を食べる水草/浮力あればこその巨大な葉/世界最長の水草は日本の海に/世界最小の植物
  • 第3章 水草はどのように子孫を残すのか?
    • 1 花らしい花を咲かせる水草
      水草も花を咲かせる/陸上植物の花から水草の花へ/“花らしい花”を咲かせる水草/昆虫によって送粉される水草/風によって送粉される水草
    • 2 水中・水面で起こる驚愕の受粉
      水を利用して送粉する水草/水中媒 大潮に咲くリュウキュウスガモ/水中媒に共通する花の形/雄性花水面媒/海面を白く染めるウミショウブ/花粉水面媒
    • 3 水媒送粉の進化 ミクロの世界の華麗な適応
      水草にとっても水媒送粉は難題だった/送粉機構のデパート、トチカガミ科/水面媒の起源はバラバラ/似ていると思った形もじつは/花粉の形は送粉機構によって変わるのか変わらないのか/花粉形態の進化/水中媒と花粉形態/花粉水面媒にみられる数ミクロンの進化/雄性花水面媒についてはいまだわかりません/類縁か、送粉機構か/水媒送粉は水草にとって究極の方法なのか
    • 4 クローンで子孫を残す
      栄養繁殖/冬を越すための形
  • 第4章 水草はどのように移動するのか?
    • 1 葉や茎が移動する
      栄養器官が移動する水草/旺盛な移動能力ゆえに/外来種なのか在来種なのかわからない
    • 2 種子が移動する
      水による種子散布/海流による種子の散布/鳥による種子の散布
    • 3 海流によって移動する アマモ
      竜宮の乙姫の元結いの切り外し/東京湾のアマモ/東京湾ではアマモはどう動く?/海上に漂う葉の出所を探る/DASH海岸でも/日本列島全域でのアマモの動きも捉えたい/海流と種子散布の密接な関係
    • 4 渡り鳥に乗って8000km カワツルモ
      出会いは小笠原、そしてバヌアツで/世界中のカワツルモを集めて/DNA解析から衝撃の事実が/8000kmの移動はどのように?/渡り鳥といえるさらなる証拠を
    • 5 アジアとヨーロッパの分断の謎 コアマモ
      アジアのコアマモの近縁種はヨーロッパのノルティ/ノルティの起源/隔離分布の3つの仮説/コアマモには2種類ある/太平洋横断はカキとともに/水草の分布の常識は変わるかも
  • 第5章 人間の生活と水草
    • 1 生態系における水草の役割
      水の中の生態系
    • 2 人間が利用する水草
      食べられる水草/薬になる水草/水草の家、水草の布団/肥料として利用する/見て楽しむ、育てて楽しむ
  • 第6章 滅びゆく水草をどのように守るのか?
    • 1 日本の水草の40%は絶滅危惧種
      水田・ため池の管理方法の変化/水田雑草=絶滅危惧種/江戸前の寿司ネタは東京湾のアマモが育んでいた/水質悪化/水草を失うことはわたしたちの生活を失うこと
    • 2 土の中から蘇った水草 ガシャモク
      幻のガシャモク/土に眠る種子は遺伝子の貯蔵庫/どれがガシャモクかわからない!?/機が熟すまで
    • 3 絶滅種を野生に帰す コシガヤホシクサ
      “植物版トキ”/発見から絶滅へ/水陸両用の生態だか/プロジェクトの開始/絶滅前の水管理に/記念すべき現地への播種、そして16年ぶりの開花/解決すべき研究課題/これからの保全の枠組み/1万個体の開花、コシガヤホシクサの未来
    • 4 植物園が最後の砦に
      植物園での保全/水草保全ネットワークの設立/水草の将来
  • トピック
    「種」「属」「科」「目」/DNAを用いた分子系統解析/APG分類体系とは/恐竜は水草を食べていたのか?/“水草の父”大滝末男/いまだに謎の網目模様/金魚藻はどの植物にも似ていない変わり者だった/タヌキモが虫を捕らえる瞬間を観察しよう/植物の学名と本書での表記/送粉方法がよくわからない水草/移入種はなぜはびこるのか?/特定外来生物/アクアリウムと外来水草/絶滅危惧種とは/水草の種子は保存されやすい/環境省生息域外保全モデル事業
  • 付録1 水草を見つけて観察してみよう
  • 付録2 水草を育てて楽しもう
  • 付録3 世界の水草属全リスト
  • おわりに

【感想は?】

 水の中というのは、植物に適した環境のように思えるが、意外とそうでもないようだ。

冒頭2番目の引用にあるように、日本の水草は約230種類。意外と植物にとって水中は厳しい環境らしい。私は幼い頃から川の側に住んでいた。川べりにはアシらしき草がびっしり生えていて、その印象から川べりは植物の天国だと思い込んでいた。

 なんたって、必要な水が豊富にある。おまけに富栄養化が言われているように、栄養分も沢山ありそうじゃないか。

 …と思ったら、重要な事を忘れていた。空気がない。植物だって呼吸するのだ。中には水中の二酸化炭素を取り込んで光合成し、酸素を作っちゃうのもあるが、蓮は地下茎の穴で空気を取り込んでいる。蓮根の穴は空気ダクトだった←そんな事も知らなかったのか

 光だって貧しい。茨城県の砂沼で測ったところ、水深1mで光合成に使える光エネルギーは「水面の20%ほどしかありませんでした」。ここは比較的に水が濁っている所なのだが、かと言って水が澄んでいる所は、栄養が貧しかったりする。

 なんとなく流れの穏やかな淡水だけに水草が生えるのかと思ったら、なんと海中にも水草がある。たいていの植物は塩分が苦手で、塩害なんて現象もあるのに、どうやって塩分に対処しているのやら。

 海と月は不思議な縁があって、リュウキュウスガモの話は実に不思議。大潮の前後に一斉に開花して、受粉するのだ。ただし残念ながら「どののような仕組みで大潮にあわせて咲くのかは解明されていません」。いけず。

 繁殖には面白い話が色々出て来て、その一つが因幡の白うさぎの話。大国主が怪我した白うさぎに、ガマの穂の上に転がりなさいと知恵を授ける話だが、なんとこれには科学的根拠があるとか。曰く「ガマの花粉には止血作用がある」とか。さすが知恵者の大国主だ。

 やはり繁殖で面白いのが、海のカワツルモ。なんと分布地域が、ロシア・北海道、そしてオーストラリア南部だ。しかもDNAを調べても、ほぼ同じ。距離にして8000km、しかも赤道を挟んでいる。どうやら渡り鳥が運んだらしいのだが、未だ確認は取れていないとか。にしても、この確認方法は、なかなかに学際的だったりする。

 もっと謎なのが、サハリン~香港の沿岸のコアマモと、ヨーロッパのノルティ。これも遺伝的に近いんだが、太平洋・日本海のコアマモと、大西洋・地中海のノルティが、どうやって繁殖したのか、全くの謎。長距離を飛ぶ渡り鳥は一般に南北に飛ぶんで、鳥が運んだわけじゃない。うーん。

 かと思うと、意外な方法があって。これは北アメリカjのコアマモなんだけど、なんと宮城県のコアマモと近い。こちらは、「カキの輸出に伴って移動した」説が強いらしい。

 役に立つ水草の代表は、やっぱりイネだけど、この本じゃイネは名前だけ。面白いのは、肥料としての利用。水草は富栄養化した水から養分を採って水質改善に役立つんだけど、採算が問題。肥料として売れれば商売として成り立ちそう。これは日本でも実績があって…

50年ほど前まで日本の多くの湖沼では、「モク(藻)採り」といって、繁殖した水草(場所によっては海草)を刈り取って肥料として用いていた

 とか。水草の種類によって等級があるんだけど、地方でランクが違うのが不思議。ここでは霞ヶ浦と琵琶湖が登場し、霞ヶ浦で不適格とされるササバモが琵琶湖じゃ合格となってる。なぜだろう? いずれにせよ、巧く循環できれば、枯渇が危惧されるリンを補えるんだが。

 身近な川や池に生えている水草しか知らなかったけど、海に生える海草が意外と重要なのには驚いた。親しみやすい言葉で書かれているが、「今はよくわかっていない」などと先端的な内容も多く、バランスの取れた本だった。

 なお、この本で扱うのは被子植物が中心で、海藻は扱わない。つまりコンブやワカメは出てこない。そちらに興味がある人は、「藻類30億年の自然史」をどうぞ。また、基本的に一年草が中心で、いわゆる木は出てこない。そちらは「マングローブ入門」をどうぞ。

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