高野秀行「アジア新聞屋台村」集英社
「ここは屋台なの。屋台の集まり。よくあるでしょ、レストランで、“屋台村”っていうのが。『インドネシアの新聞、ある?』って言われたら、『はい、あります』。『タイの新聞は?』って訊かれたら、『はい、どうぞ』。発行が遅れたら、『まだ、料理ができてない』。印刷した新聞の数が足りないときは『もう売り切れました』。だから、ここは屋台村と一緒よ」
【どんな本?】
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かないような本を書く」をモットーにする秘境ジャーナリスト高野秀行が、アジア系ミニコミ出版社に関わった経験を元に書いた、抱腹絶倒で少し切ない、青春お仕事小説。
フリー・ライターのタカノは、不審な電話を受け取った。「エイリアンのレックと言いますが、原稿を書いてください」。 奇妙な電話に誘い出されて新大久保近くのビルに赴いたタカノは、謎の組織に巻き込まれ有耶無耶のうちに正体不明の仲間と共に手先として働く羽目になり…
勿論、嘘じゃないです。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2006年6月30日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約242頁。9ポイント44字×19行×242頁=約202,312字、400字詰め原稿用紙で約506枚。標準的な長編小説の分量。なお、今は集英社文庫から文庫版が出ている。
文章は抜群に読みやすく、スラスラ読める…笑い転げなければ。内容も特に前提知識は要らない。敢えて言えば、出版・編集・印刷の知識があると、更に楽しめる。知識ったって、小学生の時に壁新聞を作った程度の経験があれば充分。
【どんな話?】
謎の電話を機に国際的な新聞社で働く事になった、フリー・ライターのタカノ。編集方針は国際色豊かで自由闊達、アグレッシブで多角的な経営母体…と言えば聞こえはいいが、そこで発行する新聞も働く人々も、エネルギッシュでフリーダム極まりない者たちだった。
【感想は?】
波乱万丈・疾風怒濤、縦横無尽で抱腹絶倒。
出だしから大笑い。こんな原稿の依頼は前代未聞だろう。今はメールでの入稿が普通になっているだろうから、数え方は違っているだろうけど、それにしてもここまで無茶はしないはず。
当然ながら、そうい無茶な頼み方をする以上、あがってくる原稿も不揃いで収集がつかなくなるんだが、その帳尻の合わせ方で再び大笑い。いや確かに帳尻は合うけど、その発想はなかった。実にフリーダムな新聞だ。是非一度、読んでみたい。にしても、よく広告のクライアントは文句言わなかったなあw
などと笑っていたら、次に出てくる社長さんも奇想天外な人で。などと次から次へと凄まじいネタが飛び出して来て、小説の出だしとしての掴みは抜群。あくまでミニコミで働いた経験を元にした小説だから、どこまでが本当でどこからがネタなのかは分からないが、背景がわかると、いかにもありそうな気がしてくる。
なにせこの社長、発想の突飛さとスタートダッシュの早さ、そして走り始めた時のエネルギーが半端ない。そもそも単身で異国に乗り込む人である。これぐらいの行動力がなきゃ、ここにいないだろう。
物語は、タカノが働く事になった国際的な新聞社を中心に展開する。いや確かに「国際的な新聞社」なんだが、その実態は字面から想像するカッコいい オフィスとは全く違う。登場する国は台湾・韓国・タイ・インドネシア・マレーシア・ミャンマーなど。つまり、アジアの国々だ。
そして、新聞社と言っても、 CNN やロイターみたいな大規模なものじゃない。日本に滞在する外国人向けに出版する情報誌というかミニコミ紙というか、そういうものだ。
そんなわけで、エネルギッシュな人は社長さんだけじゃない。出てくる人の大半が、良くも悪くもマイペースな人ばかりなのだ。なにせ慣れない異国での生活である。日頃の生活で不便に感じる事があったら、「他の人もそうだろう、これはビジネスになるかも」と考える。考えるばかりでなく、実際に仕事にしてしまう。
実にフットワークが軽い。起業家精神旺盛と言うか、草の根資本主義とでも言うか。これが資本主義のいい所だよなあ、などと高尚な事を考える前に、その発想の自由闊達さに舌を巻いてしまう。そうやって彼らが携わる仕事というのが、これまた見事にニーズを捕らえた見事なビジネスで。
読んでいると「よっしゃ、なら俺も一念発起して…」と考えてしまうから危ない。
と、自らがビジネスを始めるのはいいが、肝心の新聞社内の仕事もマイペースなのが問題で。これも昼食の場面から笑いが止まらない。おかずの交換とかしたら、それだけで記事が書けそうな気がする。
国際色豊かなだけに、それぞれのお国柄をユーモラスに紹介しているのも、この小説の読みどころ。生真面目で優秀な韓国人・朴さん、ビジネス大好きな台湾人の劉さん、性意識が日本と大きく違うタイ人スタッフ、敬虔なムスリムのインドネシア人アブさん、冗談好きなミャンマー人のマウンさん。
それぞれがお国柄を表しつつ、独自の発想と知人のネットワークを駆使してビジネスを展開して行くくだりは、マイノリティならではの逞しさも感じたり。
中でも、韓国人の朴さんのエピソードは印象深い。つまりは韓国人が抱える日本への複雑な想いを吐露した部分で、ある意味ロミオとジュリエットな感じ。ここはちょっとしたセイシュン仕立てにもなっていて、この配役が小説としての仕掛けなんだろう。
同様に、タカノが書いたタイ人向けの記事が思わぬ反響を呼ぶあたりも、彼らの意外な面を見せてくれる。考えてみれば、歴史的にもアジアの二大強国インドと中国に挟まれながらも屈せず、大航海時代以降のヨーロッパの進出にも独立を守り通した国だ。あの微笑みは自信と余裕の表れなのかもしれない。
それに加え、新聞を印刷するまでの工程が、少し専門的ではあるけれど、これまた楽しかったり。なりこそ小さいが、国際的な新聞社だ。となれば、扱う文字も様々。当時は Unicode も普及しておらず、パソコンに表示できても印刷屋にはフォントがない。そこで、どうするかというと…。
だいぶ前から、東京は国際都市といわれてきた。だが、そのガイジンさんたちは、どこに住み何を食べどうやって暮らし、何を考えているのか。意外と身近にある異国と、異人さんたちの強靭なバイタリティ。そして、やがて訪れる卒業の日。無謀なビジネスに呆れ大笑いしつつ、少し自分の生き方を考えたくなる、楽しい国際派の青春小説。
ただし、今の職場に強い不満を持つ人は、避けたほうが無難かもw
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:フィクション」カテゴリの記事
- ドナルド・E・ウェストレイク「さらば、シェヘラザード」国書刊行会 矢口誠訳(2020.10.29)
- 上田岳弘「ニムロッド」講談社(2020.08.16)
- イタロ・カルヴィーノ「最後に鴉がやってくる」国書刊行会 関口英子訳(2019.12.06)
- ウィリアム・ギャディス「JR」国書刊行会 木原善彦訳(2019.10.14)
- 高木彬光「成吉思汗の秘密」ハルキ文庫(2019.06.19)
コメント