冨田信之「セルゲイ・コロリョフ ロシア宇宙開発の巨星の生涯」日本ロケット協会
「ロケットの信頼性は失敗することによって向上する」
――二コライ・アレクセーエヴィッチ・ピリューギン同士諸君! 本日人類最高の知性が夢見たことが現実となった。コンスタンチン・エドアルドヴィッチ・ツィオルコフスキーの、人類は永久に地球上にとどまることはないであろうとの預言が実現した。
――第17章 宇宙へ
【どんな本?】
セルゲイ・コロリョフ(→Wikipedia)。かつて西側では「主任設計士」などと呼ばれた。その偉大な実績ゆえに、ソ連は名前すら秘密としたのだ。ソビエトにおける黎明期のロケット開発を牽引し、1957年のスプートニク打ち上げ・1961年のヴォストークによるガガーリンの宇宙飛行などを実現した、宇宙開発の巨星である。
コロリョフはどのような男だったのか。彼は何を求めていたのか。権力闘争の激しいソ連において、いかに立ち回り、人員と予算と設備を獲得し、ロケット開発を実現したのか。そして、冷戦期におけるソ連のロケット開発はどのように進められたのか。
ヴェルナー・フォン・ブラウンと並ぶ、だが一版にはあまり知られていない、宇宙開発黎明期の巨人の生涯を、ソ連崩壊などで入手可能となった資料や、著者による現地取材などを元に描く、ノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
元は日本ロケット協会会員向けの「ロケット・ニュース」に、1995年3月~2003年12月まで連載。加筆訂正して、2014年6月初版発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約682頁に加え、あとがき3頁+コロリョフ年譜4頁。9ポイント35字×26行×682頁=約620,620字、400字詰め原稿用紙で約1,552枚。文庫本の長編小説なら3冊分ぐらいの大容量。
文章は意外とこなれていて読みやすい。著者もロケット屋なので、マニュアルなどを書く際に「わかりやい文章を書く」技術を鍛えられたのかも。内容の一部、特にロケットや宇宙船のトラブルに関する部分は相当にマニアックだが、それを除けば特に難しくない。
【構成は?】
だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
妄想じみた巨大な夢に向けて、あくまでも現実的かつ着実に進んだ男。
なにせ、あの鉄のカーテンの向う、ソ連で生きた人間だ。若い頃はスターリンの粛清に巻き込まれ、収容所に送られて壊血病を患っている。そんな酷い目に合って、なぜ宇宙開発に突き進めたのか。
意外な事に、彼は体育会系でもあった。若い頃はグライダーを設計・開発し、自らも操縦している。幸か不幸か第二次大戦中は収容所にいた。空軍にいたら、パイロットとして使い捨てられていたかもしれない。
1940年代までは黎明期だけに、彼が新しい任地に赴く度、仕事は職場の施設建設から始まっているのに笑ってしまう。というか、彼はグライダーを開発した頃から、まず設計所の確保から仕事を始めていた。読んでいる時は「大変だよなあ」などと思っていたが、今思うと、意外とこういう経験が後に役に立ったんじゃないかと思ったり。
というのも。既に出来上がった施設や組織に入って働き始めると、施設や組織の全体像が見えないのだ。その点、彼は規模は小さいながらも、全てを自分で仕切り創りあげている。そのため、全体を見通す視点が若い頃に身についたんじゃないだろうか。
終戦後は、アメリカ同様にドイツのA-4(V-2、→Wikipedia)のコピーから始まる。少し「ロケット開発収容所」のクルト・マグヌスが出てきて、ちょっと懐かしかったし、お上のいいがかりについて著者がコボしているのにも笑っちゃったり。なんでああいう人たちは、エンジニアの気持ちがわからないんだろう。
ここでは、他国製品のコピーを作る苦労話が楽しい。航空畑の技術陣と、大砲を作っていた製造工場との文化の違い、必要な素材の調達、要求される制度の違い。鉄ったって、様々な種類があるのだ。Tu-4(→Wikipedia)も苦労したんだろうなあ。
おまけに、主なスポンサーの軍は近視眼的で、今現在実現できる性能でしか評価しない。まして何の役に立つのかわからん人工衛星なんぞ…
ってな状況で、追い風になったのが核兵器ってのが切ない。それも水爆である。いくら強力な爆弾があっても、目的地まで運んでく手段がなきゃ何の意味もない。ここで二つの選択肢が候補に上がる。大型爆撃機か、ロケットか。アメリカは広島・長崎の成功に味を占めてか大型爆撃機に注力するが…
スターリンはゼンガー(→Wikipedia)に興味津々だったなんて話も載ってて、そりゃ確かにあの形は心を騒がせるモノがあるけど、スペースシャトルの失敗を経た今から考えると、あまし経済的ではないような。
なんにせよ、水爆なんて重たい荷物を載せて三千km~一万kmを飛ばさにゃならん。そこで二つの革命的なアイデアが登場する。一つは多段型にすること、もう一つは複数のロケットをまとめて一本にすること。今でもソユーズ(→Wikipedia)に継承される、末広がりの独特なスタイルは、この時に決まったようだ。
この時の発想が「同じ型のエンジンを沢山まとめりゃ量産できてラッキーじゃん」って発想は、なかなか合理的に思えるけど、全エンジンがちゃんとバランスよく動くか、というこ、これがなかなか…
などの苦労の末、1956年2月2日には、核弾頭を積んだR-5Mロケットは見事に1,200kmを飛んでトルクメニスタンのカラクーム砂漠で核爆発を起こす。いくら冷戦期とはいえ、核ミサイルの実機実験とか、ソ連も無茶な事するなあ。などと忙しい中、コロリョフは海軍にもコナかけて片手間に潜水艦から発射するミサイルも作っている。
などの実績が評価され、派手なパフォーマンスで人気を取りたいフォルシチョフとパイプができ、やがてスプートニクの大成功へと繋がってゆく。このスプートニク・ショック、西側と東側の評価の違いが実に意外性に満ちている。
と、こんな風に前半を紹介すると、コリョロフって人物は目先しか見ない人のように思えるが、実はとんでもない野望を秘めていた事が中盤あたりから明らかになってゆく。そう、こうした実益とパフォーマンスを兼ねた人気取りとも思える方針は、子供じみた夢を実現するための地盤固めだったのだ。
などというコロリョフの人物像と、彼が生きた当時のソ連の社会情勢も面白いが、彼らの技術的な失敗を細かく描いているのも、この著者ならではの楽しい所。
宇宙空間で急激に能力が低下する太陽電池。帰還船から外れないケーブル。アチコチで起きる共振現象。暴発してしまう弾頭。強風で曲がってしまうボディ。電気系のショートを起こしバルブに詰まる小さいゴミ。運送中に壊れる精密機器。信号の誤受信による誤動作。開かないアンテナ。パイプの中で詰まるケロシン。
様々な問題が一気に押し寄せるヴォスホート2号(→Wikipedia)の飛行を描く場面は緊張感に溢れ、あの傑作映画「アポロ13」を髣髴とさせる冒険物語。アポロ13のメンバーと異なり、ベリヤエフとレオーノフは地上に降り立ってからも災難続きで…。
米ソが熾烈な宇宙開発競争を繰り広げた当時だからこそできた、無謀なスケジュールにも呆れるやら羨ましいやら。そりゃ何だって新製品は動かしてみなけりゃわからないけどさあw
厳しい時代であると同時に、妙な所で大らかだった時代。卓越した指導力と広い視野、軍と政府の動向を読んで動く現実的な政治力を抜け目なく行使しながら、その奥に子供のような大きな夢を隠し持ち、実現させようと着実に歩んだ男。納税者から見ると困った人だが、SF者としては偉大な英雄と思えて仕方がない。ましてスタニスラフ・レムの全集を持っていれば、なおさらだ。
当時のソ連の宇宙開発の実態をのぞき見ながら、現代のロケットの基礎を創りあげた男の人生を描いてゆく力作ノンフィクション。ロケットが好きなら、または技術屋として組織内の政治に翻弄されているなら、是非読んでおこう。
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コメント
小説の資料探しで検索していたらコロリョフの伝記本にたどり着きました。章立ての詳細を記載いただいていたおかげです。ありがとうございます。
投稿: satsumaimo | 2023年10月19日 (木) 09時48分