クリス・マクマナス「非対称の起源 偶然か、必然か」講談社ブルーバックス 大貫昌子訳
この本では、さまざまな分野から、非対称性の問題を解決できるような証拠を探していくことにしよう。それは決して容易なことではないが、きっと物理学や生物学、認知科学、さらに社会学的世界に隠れた多くの狭間に、私たちを導いてくれるにちがいない。
――第1章 ワトソン博士の難問題
【どんな本?】
ヒトの心臓は左にあるが、ごく稀に右にある人もいる。内臓逆位と呼ばれ、一万人に一人ぐらいの割合だ。対して、左利きの割合はもっと多い。左利きと言っても様々で、字を書く・モノを投げる・歯を磨くなど、動作によって使う手が違う人もいる。言語機能は左脳にある人が多いようだ。
では、イヌやネコにも利き手があるのだろう? 利き手は遺伝で決まるのだろうか?
右と左に違いは、分子にもある。生物の体を構成するアミノ酸には、分子式は同じでも配置が鏡像になっているL型とD型がある。生物が使うアミノ酸の大半はL型で、薬などではL型とD型で薬効が全く違う。
なぜ生物はL型を好むのだろう? これは心臓の位置や右利き・左利きと関係があるんだろうか? そもそも、なぜ利き手があるんだろう?
心臓の位置や利き手など主にヒトの右と左の問題を中心に、アミノ酸のキラリティなど化学の話題から、交通ルールの右側通行・左側通行など社会の話まで、左と右に関わる多くの分野のエピソードを集めた、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Right Hand, Left Hand , by Chris McManus, 2002。日本語版は2006年10月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約450頁。9ポイント43字×17行×450頁=約328,950字、400字詰め原稿用紙で約823枚。文庫本の長編小説なら二冊に少し足りない程度の分量。
文書は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。重要な主題の一つは遺伝学で、メンデルの法則が分かれば問題ない。贅沢を言えば、本人が左利きか、または野球やテニスなどで左利きの相手と対戦した経験があれば更によし。
【構成は?】
各章は穏やかに関係しているので、できれば頭から読もう。
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【感想は?】
心臓が右にある内臓逆位は、漫画「北斗の拳」で知った。
ネタかと思ったが、あれは本当だったのだ。だいたい一万人に一人ぐらいの割合らしい。ところが、内臓逆位の人で左利きの人の割合は、そうでない人と同じぐらいだとか。
ここで「左利き」という言葉を使ったが、実はこれも結構あいまいらしい。本書には、利き手の傾向を調べる試験が出てくる。字を書く・絵を描く・ボールを投げるなど10個の動作について、それぞれ右と左どちらの手を使うかを答えてゆく。利き手とは絶対的なものではなく、グラデーションをなすものらしい。
個人的にギクリとした部分もある。こんな質問だ。
「左右を一瞬に識別しなくてはならないとき、困難を感じる」
1)いつも 2)しばしば 3)ときどき 4)めったに 5)決して
実は私、しばしば迷うのだ。今でも「お箸を持つ方」と頭の中で考えている。内心、恥ずかしいと思っていたが、この本で自信がついた。ミシガン州立大学の教授364人にアンケートを取ったら、こんな結果になったとか。
1)いつも:2% 2)しばしば:6% 3)ときどき:11% 4)めったに:36% 5)決して:45%
どうも、ヒトは右と左を識別するのが苦手らしい。この章にはちゃんとオチがついている。ワトソンとクリックが見つけたDNAの二重らせん構造、あれはたいていが右巻きなのだが、「サイエンス」誌1990年の会員申し込み用カードの挿絵のDNAは左巻きだった。天下のサイエンス誌でも間違えるのだ。
でもこれ、サッカーや野球などの運動選手に聞いたら違うかもしれないなあ。
これが分子の世界になると、奇妙な事に生物の中ではL型アミノ酸が極端に優勢になる。なぜそうなのかは、今の所は決定的な根拠はないらしい。これは地球上だけでなく、隕石でも同じらしいので、パンスペルミア説(→Wikipedia)が有利か…
と思ったら、地球の生物の起源について、想定外の仮説まで飛び出してきた。藤崎慎吾が好きな人なら、思わずガッツポーズしちゃう所かも。
などと難しい科学の話の後、再び話題は右利きと左利きの話に戻る。どの国でも右利きが多数派なのだが、比率は国と世代によって違うのだ。1986年のナショナル・ジオグラフィック誌の調査だと、米国では1900年代生まれの左利きは5%未満だが、1950年代生まれは10%~14%まで増え、以降はほぼ横ばいになっている。
一般に、どの国でも左利きは苦労する。例えば、今、私の目の前にあるキーボードもマウスも右利き用だ。アニメ「けいおん!」でも、左利きのベーシスト秋山澪ちゃんは楽器を探すのに苦労していた。ポップ・ミュージックではポール・マッカートニーやジミ・ヘンドリクス、甲斐よしひろなど左利きのプレイヤーもいるが、オーケストラではまず無理だ。
もっと物騒な話では、昔の軍によくある、歩兵が密集した隊形などは、すべての兵の利き手が揃っていないと具合が悪い。
という事で、左利きを無理やり矯正しようとする圧力が、世の中にはある。先の統計の原因は、社会的圧力のためなんだろうか? それ以前に、そもそも、右利きと左利きは、遺伝によるものなのだろうか?
などの疑問に答えるため、この本では国ごとの違いや、イヌ・ネコ・ゴリラ・チンパンジーからヒキガエルまで様々な動物の利き手、また両親の利き手までデータを集め、遺伝と社会的圧力の関係を調べてゆく。オーケストラの項では、意外なデータが飛び出してきたり。
分子から利き手、そして交通ルールまで様々なスケールで右と左の優先度を調べ、そのルーツを探ってゆく。ただ、残念ながら、その解の多くは仮説だったり「よくわからない」だったりする。それがモヤモヤする部分でもあり、先端科学の面白さでもあり。
ハッキリした解答が欲しい人より、面白い問いが欲しい人向けの本だろう。
どうでもいいが、左利きと聞いて、あなたはどんな歌を連想しますか? ピンクレディーの「サウスポー」(→Youtube)? 麻丘めぐみの「私の彼は左利き」(→Youtube)な人はいるかな?
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