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2015年9月の15件の記事

2015年9月30日 (水)

ジョー・R・ランズデール「ババ・ホ・テップ」ハヤカワ・ミステリ文庫 尾之上浩司編

「相手を倒すときは、徹底的にやるの。いじめっ子が家までついてきたときのことを思い出して。そんなときわたしは、奴らと闘わないで帰ってきたなら、そいつらよりももっとこっぴどく尻をひっぱたくよと言ったでしょう?」
  ――審判の日

「忘れるな。今夜のキーワードは“用心”と“可燃物”だ。それから“ケツに注意”」
  ――ババ・ホ・テップ(プレスリー vs ミイラ男)

【どんな本?】

 ミステリ・ファンにはハップ&レナードのシリーズでお馴染みで、SFファンには怪作「モンスター・ドライヴイン」の著者として知られる、テキサス出身のミステリ/ホラー/SF作家ジョー・R・ランズデールの作品を集めた、日本独自の作品集。

 自らの故郷である東テキサスを舞台に、おバカで貧乏な連中が繰り広げる騒動を、お下劣な会話とドタバタで描く作品が多い。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年9月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約523頁に加え、尾之上浩司の解説「テキサスのスティーヴン・キング、その実像」16頁,<ジョー・R・ランズデール 長編著作リスト>4頁,H・K「短編ミステリガイド4 黄金時代の短編ミステリ(その2)」7頁。9.5ポイント39字×16行×523頁=約326,352字、400字詰め原稿用紙で約816枚。文庫本としては厚め。

文章はこなれている。が、読みやすいかというと、まあ、あれだ。この著者、やたらと下品で汚い表現が多いので、そういうのが苦手な人には辛いかも。あ、内要は特に難しくないです。

【収録作】

 それぞれ 日本語の作品名 / 英語の作品名 / 訳。

親心 / Walks / 尾之上浩司訳
 母親をうしなった時、息子は18歳だった。その前から息子の気持ちがわからなかったが、あれ以来、溝はさらに深くなった。今、息子はわたしを避け、長い散歩にでるばかりだ。最近の息子は、新聞記事の切抜きをしている。
 母親が亡くなって以来、ふさぎがちで心を閉ざした息子を心配する、父ちゃんの一人称で語られる短編。野郎ばかりの家庭ってのは、どうしても荒みがちなもので…などと思っていたら、そうきたかw
デス・バイ・チリ / Death by Chili / 七搦理美子訳
 警官のジャック・メイズは、グーバー・スミスの事件を他殺だと信じていた。発見されたとき、グーバーはキッチンのテーブルにいた。裸で、頭をルガーに吹っ飛ばされて。金庫の扉が開いていたが、金は残ったまま。ただ、グーバーのオリジナルのレシピが見つからない
 ハップ&レナード・シリーズの一編。たかがチリのレシピ…と思ったが、Wikipedia によるとテキサスじゃ重要な料理らしい。にしても、犯人探しのために料理コンテストを食べ歩く警官ジャック・メイズには笑ってしまう。
ヴェイルの訪問(アンドリュー・クラウスとの合作) / Veil's Visit / 佐々田雅子訳
 レナードがパクられた。クラックの密売所を燃やしたためだ。担当弁護士はヴェイル、パリッとしたスーツを着込み、東部から来たやぶにらみの中年だ。困った事に、レナードとの相性は最悪で…
 法廷物。冷静かつ論理的に話を進めるヴェイルと、ひたすら茶化しまくるレナードの会話が楽しい作品。レナードがこの調子で法廷で喋ったら、何年食らい込むやらw
ステッピング・アウト、1968年の夏 / Steppin' out, Summer, '68 / 尾之上浩司訳
 オンナとやれるアテがある、とバディが言う。男をとっかえひっかえ、勃たなくなるまで絞り取る女だ、と。ネタ元はブッチ。その気になったジェイクとウィルスンは、日が暮れてからバディの家で落ち合うことにした。
 バカでビンボでモテない三匹の白人童貞小僧が、怪しげな噂に踊らされノコノコ出かけて行く話。架空請求詐欺でわかるように、男ってのはエロが絡むと知能の9割が蒸発する生き物なんです。にしても、終盤のしょうもないドタバタはヒドいw
草刈り機を持つ男 / Mister Weed-Eater / 北野寿美枝訳
 38度はありそうな熱い日。ハロルドがリビングでホイール・オブ・フォーチュン(→Wikipedia)を見ていると、変な男が訪ねてきた。隣の教会に草刈りに雇われたんだが、刈り残しがないか見てくれ、と。男は盲人用の杖を持っている。良きサマリア人らしく振舞おうと思ったハロルドは…
 これまたランズデールらしい、唖然とする話。ちょっとジョージ・R・R・マーティンの「洋梨形の男」収録の「思い出のメロディー」を連想した。「キリストは目の見えない人たちを助けたけど、ゴミ集めをしたという記憶はないもの」って台詞が、ホンネとタメマエを鮮やかに表していて見事。
ハーレクイン・ロマンスに挟まっていたヌード・ピンナップ / The Events Concerning a Nude Fold-Out Found in a Harlequin Romance / 尾之上浩司訳
 職を失い、懐は素寒貧なプレビン。住んでるアパートは古本屋<マーサズ・ブックス>の二階。店主のマーサは口うるさい婆さんだが、プレビンは時おり探偵小説を買っている。娘のジャスミンが好きなロマンス小説も。古本屋のバイト代としてサーカスのチケットを手に入れたプレビンは、ジャスミンを誘って出かけるが…
 女房に逃げられた情けないオッサンのプレビンと、賢く行動力のある娘のジャスミン、それに悪態をつくために生まれてきたような強烈な婆さんマーサのトリオが活躍?する作品。同じ本好きでも、好みのジャンルが合わない娘のジャスミンを、改宗させようとするプレビンのセコい陰謀には思わず同情してしまう。
審判の日 / The Big Blow / 尾之上浩司訳
 1900年9月。テキサス東部メキシコ湾沿いのガルヴェストン島は、ニューヨークと並ぶ繁栄を誇っていた。そこに大型の熱帯性低気圧が迫る。同じ頃、ジョン・マクブライドが連絡船から下りてくる。金を貰って、黒んぼを叩きのめすために。
 ジャック・ジョンソン(→Wikipedia)は実在の黒人ボクサーで、黒人としては最初のヘビー級チャンピオンになった。マクブライドはたぶんアイルランド系だろう。強い腕っ節、傲岸で粗暴、会う者全てに喧嘩を売りまくっては叩きのめす、マチズモの権化みたいな強烈なキャラクター。
恐竜ボブのディズニーランドめぐり / Bob the Dinosaur Goes to Disneyland / 尾之上浩司
 フレッドは、誕生日に妻のカレンからビニールのティラノサウルス・レックスを貰う。早速ふくらませ、ボブと名づける。ミッキー・マウスの帽子を被せ、本棚のまえに置くと…
 なにやら子供向けのお伽噺のような出だしで、ランズデールには珍しくほのぼのとした話かな、と思ったらw
案山子(キース・ランズデール&ケイシー・ジョー・ランズデールとの合作) / The Companion / 尾之上浩司訳
 日が暮れてきたのに、一匹も釣れない。ボウズのまま帰れば、友だちに笑われるだろう。河岸を変えようと、ハロルドは向こう岸へ渡る。二階建ての農家の廃屋の前の農地に、異様な姿の案山子があった。ぼろぼろのシルクハットをかぶり、イヴニングジャケットを着てズボンをはいている。両腕には木切れの指、そして…
 まんま短編映画の原作になりそうな、スタンダードなホラー。一人で釣りに来た男の子、大きな農家の廃屋、そして不気味な案山子という舞台装置から、ご想像通りの展開が待っている。
ゴジラの12段階矯正プログラム / Godzilla's Twelve Step Program / 尾之上浩司訳
 ゴジラは鋳造工場へと向かう。持ち場に尻尾をおろし、中古車の部品が詰まった大桶に炎を吹き出す。溶けた金属はパイプを通って、新しい金型に流れ込む。炎を吐くと、少しストレスが軽くなる。だが仕事が終わると、もう炎は吐けない。そして<大怪獣レクリエーション・センター>に向かう。
 怪獣ファン大喜びの怪作。誰か漫画化してくれないかなあ。鋳物工場で働くゴジラってのも、なかなか物悲しいけど、キングコングは更に切なく描かれてる。あんまりだw あ、ちゃんと、ガメラも出てきます、酷い性格付けでw
ババ・ホ・テップ(プレスリー vs ミイラ男) / Bubba Ho-Tep / 高山真由美訳
 エルヴィスは生きていた。今はテキサス東部の老人ホームで寝ている。かつては数多の女に急降下爆撃を仕掛けたペニスも、今は元気なのは大きな腫れ物だけだ。鏡を見ると、髪は薄く後退が酷い。しわだらけで、よだれを垂らしている。歯もほとんどなくなっている。なんでこんな風になっちまったんだ?
 タイトルからしてゲテモノの匂いがプンプン漂ってくる作品だが、意外な感動作。あ、もちろん、エルヴィスはプレスリーであってコステロじゃないです、はい。しかし、ただでさえ数あるモンスターの中でも二線級の印象が強いミイラ男に、こんな間抜けな設定を付け加えたんだかw いや確かに襲われたくないけどw
オリータ、思い出のかけら / O'Reta, Snapshot Memories / 熊井ひろ美訳
 小説ではなく、素直なエッセイ。自らの青少年期と、父母・祖父母の思い出を、大好きな母オリータを中心に描く。ババ・ホ・テップは、きっと母を見舞った経験から生まれたんだろうなあ。
解説:テキサスのスティーヴン・キング、その実像 尾之上浩司
短編ミステリガイド4 黄金時代の短編ミステリ(その2) H・K

 ババ・ホ・テップの「プレスリー vs ミイラ男」なんぞという、いかにもイカれた副題に惹かれて読んだら、やっぱり期待通りの楽しい作品集だった。「ステッピング・アウト、1968年の夏」なんて、どっかのノスタルジックな青春物みたいなタイトルだよなあ、と思ったら、うん、確かに青春物だけどw

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2015年9月28日 (月)

柿崎一郎「物語 タイの歴史 微笑みの国の真実」中公新書1913

 本書は、この我々にとって身近な国となった「優等生」タイの歴史を通時的に概観してみることを目的とする。(略)タイの子どもたちが学校で学ぶような「教科書的」な歴史を描写することを、本書は試みている。
  ――はじめに

【どんな本?】

 2006年に起きた軍によるクーデターに世界は緊張したが、その映像は更に理解不能だった。穏やかな表情の市民が、やはり穏やかな表情の兵に食糧や花束を差し入れている。緊張しているのは他国だけで、肝心のタイ市民は和やかに日々を過ごしているように見える。なんじゃこりゃ。クーデターとは、もっと殺伐としたモノではないのか。

 そのためか、2014年に再びクーデターが起きた時も、大きな騒ぎにはなっていない。「どうせプーミポン陛下のとりなしで落ち着くんだろう」と、妙に醒めた目で見ている。常識が通用しないが、それがタイだと世界は理解したようだ。

 改めて周囲を見直すと、タイの特異さは更に光る。周辺国はみな植民地化されていた。インド・バングラデシュ・ミャンマー・マレーシア・シンガポールはイギリスに、ベトナム・ラオス・カンボジアはフランスに、インドネシアはオランダに征服されたが、タイは頑として独立を維持し、また東側にも取り込まれなかった。

 タイは、どの様に成立したのか。周辺国との関係はどうなのか。植民地化の脅威を、第二次世界大戦の嵐を、そして東西冷戦の最前線にありながらどう切り抜けたのか。なぜ国王の権威が大きいのか。なぜ頻繁にクーデターが起き、かつ穏やかに収束するのか。

 総括的な教科書を目指しつつも、あくまでも第三者の視点で、周辺国との関係も取り混ぜ、主に近代史・現代史を中心として描く、タイ王国の歴史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年9月25日発行。新書版でっ縦一段組み、本文約293頁に加えあとがき4頁。9ポイント41字×17行×293頁=約204,221字、400字詰め原稿用紙で約511枚。長編小説なら標準的な文庫本一冊分ぐらいの分量。

 「教科書的」とあるが、文章は口語的でこなれており、読みやすい。ズブの素人を読者として想定しているので、特に前提知識は要らない。敢えてイチャモンをつければ、タイ人の名前が日本人には馴染みがなくて憶えにくい程度。ミャンマーやベトナムなど周辺国との関係が大きな影響を与えているので、地図帳か Google Map を見ながら読むと、より楽しめる。

【構成は?】

 基本的に時代順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  はじめに
  • 序章 歴史への誘い
  • 第1章 タイ族国家の勃興 古代~16世紀後半
    1. タイ族の起源
    2. タイ領での政治権力の発生
    3. スコータイ朝
    4. アユッタヤー朝の成立
  • 第2章 マンダラ型国家の隆盛 16世紀末~19世紀前半
    1. アユッタヤー朝の復興
    2. アユッタヤーの繁栄と没落
    3. トンブリーからバンコクへ
    4. ラッタナコーシン朝の繁栄と対立
  •  コラム 王室 比類なき存在感
  • 第3章 領域国家の形成 開国~不平等条約の改正
    1. タイの「開国」
    2. 領域の縮小
    3. タイの近代化
    4. 国際社会への登場
  •  コラム 政治 クーデタ、改憲、民主化
  • 第4章 シャムからタイへ 立憲革命~第二次世界大戦
    1. 立憲革命
    2. ピブーンと失地回復
    3. 第二次世界大戦への「参戦」
    4. 「敗戦国」からの脱却
  •  コラム 日本との関係 知られざる日本人
  • 第5章 国民国家の強化 戦後復興期~1980年代
    1. 西側陣営のタイ
    2. 「開発」の時代
    3. 民主化とその反動
    4. 国民国家の安定化
  •  コラム 軍 最大の政治勢力
  • 第6章 「先進国」をめざして 1990年代~
    1. 二つの「危機」
    2. タックシン帝国の興亡
    3. インドシナの「先進国」へ
  •  コラム 経済 顕在化する都市と農村の格差
  • 終章 試練を越えて
  •  あとがき
  •  主要図版出所一覧/主要参考文献/タイの歴史 略年表

【感想は?】

 手軽にタイの歴史を知るには、最適の本だろう。

 タイ人は穏やかに見えるが、歴史的にはかなりの武闘派だ。キーワードはマンダラ国家。あの仏教のマンダラだが、内実は武将の争いに近い。地方の小権力のうち、力のある者が地域の中権力となり、中権力の中で強い者が王となる。王の威光は首都に近いほど強く、遠いほど弱い。

 これが19世紀あたりまでのインドシナ半島・マレー半島の社会構造だ。そのため、タイ・ベトナム・クメール・マラヤの国境は、それぞれの王の威光次第で揺れ動いてゆく。別格として中国は帝国として君臨し、その下でビルマ・タイ・ベトナムが朝貢国として覇を競い、クメール(カンボジア)とラオスを獲物として奪い合う、そんな関係らしい。

 朝貢により中国に独立国として認められる=国際的に独立国として認められる、という構図が、19世紀頃までの東南アジア・東アジアの国際情勢だったようだ。その中で、タイ・ビルマ・ベトナムは領土と覇権を巡って刺しつ刺されつの争いを繰り広げている。

 そんなわけで、タイに対し反乱を起こしたラオスのアヌウォン王は、タイとラオスじゃ評価が正反対になる。ラオスじゃ英雄だが、タイじゃ謀反人扱い。

 などと、「教科書的」と言いつつ、近隣国の視点も取り入れて、タイべったりじゃないのが、この本の特徴。

 文化的には中国の影響下にありながら、西欧の植民地化を免れ独立を守り通したという点で、タイは日本と共通している。日本は地理的に島国な上に、極東にあったため色々とラッキーだったが、タイは近隣と陸続きだ。日本がアヘン戦争で危機感をつのらせたように、タイも英緬戦争(→Wikipedia)で脅威を実感している。

 この後の立ち回りを見ると、タイの優れたバランス感覚がよく伝わってくる。やはり日本同様に当初は不平等条約を結ぶものの、コメの輸出で外貨を稼ぎ、お雇い外国人で国力を充実させてゆく。インド・ビルマを支配するイギリス、ベトナム・カンボジアを統べるフランスに脅かされながら、ドイツ人に鉄道を整備させる。

 その過程で領土は失ったものの、当時の欧州情勢を充分に把握した見事な綱渡りだ。なお、アヘン戦争でのイギリスの腹黒さは有名だが、当時のインドシナにおけるフランスの阿漕っぷりも相当なもので、「不平等条約の治外法権を利用して、タイ国内の治安悪化を目論んだ」。

 この条約では、フランス人ばかりでなく、スランス保護民も治外法権の対象となる。そこで、中国人やタイ人にも保護民資格をバラ撒いて暴れさせ、タイを修羅の国にしようとしたわけ。弱肉強食の時代だねえ。

 とまれ、この騒ぎで輸送路の重要性を痛感したタイは、鉄道施設に力を入れる。鉄道は国内の経済交流を促して首都バンコクと地方の結びつきを強め、ビルマやラオスとの国境に近い地域から隣国の影響を断ち切り、中央集権国家としての体裁を整えてゆく。このあたりは、クリスティアン・ウォルマーの「世界鉄道史」そのままの経緯なのが面白い。

 そしてバランスのタイ外交の本領発揮が、第一次世界大戦。

 ワチラーウット王はこの戦争に参戦して戦勝国となることで、不平等条約の改正を進めようと考えた。このため、どちらかが優勢になるかを見極めた上で参戦することになり、1917年4月にアメリカが参戦するにいたって、ついに連合国側での参戦を決断した。

 勝ち馬の尻に乗る作戦で、思想信条や他国への感情はかなぐり捨て、トコトン実利を追求した発想だ。歴史的にビルマやベトナムと戦争を繰り返し、殺るか殺られるかの修羅場を潜り抜けてきたタイだからできた判断なのかも。当時は絶対に近い王政で、王室も武人的で現実的な考え方が主流だったんだろう。

 第二次世界大戦では大日本帝国の要求を居留守などを使ってのらくらりとかわし、親日のフリをしながら国内の抗日勢力を育んでゆく。一応は連合国に宣戦布告したものの、終戦後は布告文書の不備を理由に敗戦国扱いを免れようとする荒業、そして戦中のドサクサ紛れで獲得した領土を代償に取引するなど、外交手腕は鮮やか極まりない。

 冷戦時は東側の脅威に対し「開発」で農民の赤化を防ぐなど、実に賢い統治をしている。CIAも少しはタイを見習えばいいのに。そうすれば中南米も安定した親米地域になるのに…って、関係ないか。

 以後、軍から次第に文民に権力が移る…かと思えば、汚職発覚→クーデタ→暫定政権→選挙の繰り返しで、ややこしい。その影にあるのは都市と農民の格差で、タックシンは農村を優遇し格差是正を図ったが、それが都市の中流層から反発を食らった、という形みたい。

 が、全般的に経済は成長を続け、今はインドシナ一番の先進国の立場にある。タイ人が穏やかなのも、その余裕と自負の表れかもしれない。実際、近隣との経済的な結びつきも強まりタイ資本がインドシナ開発の大きな牽引車になっている模様。着々と地域大国への道を歩んでいるなあ。

 ここではラオスとの関係が面白かった。「ラオス語はタイの東北方言と同一であり、その東北方言はバンコクの人間からは蔑視の対象となる」ってのが、ラオス人の反感を煽るらしい。なら東北部のマスコミを育てて、独自のテレビ・ラジオ番組を作らせラオスに輸出すりゃいいじゃん…って、ダメかな?

 波乱万丈のタイの歴史を物語風にわかりやすく語り、現代のタイの複雑な情勢も周辺国との関係を含め解説してくれる、タイを知るには便利な本だ。流石に2007年9月の発行だけに、タクシン失脚以降の情報はないが、複雑なタイの勢力情勢の基礎は飲み込める。タイについて大雑把に掴むには、手軽で便利な本だ。

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2015年9月27日 (日)

倉田タカシ「母になる、石の礫で」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「――そうか、母になるんだ。なに産むの?」

【どんな本?】

 2014年の第二回ハヤカワSFコンテストで最終候補作となった作品を、加筆修正した作品。

 近未来。オープン・ハードウェアが普及し、工場もオープンソース・ハードウェアのプロトコルに対応し始める。やがて工場も高性能化し、たいていの物はレシピさえあれば造れるようになった…工場すら、工場で造れるのだ。だが、この技術は社会に様々な問題を引き起こし、政府は技術を規制し始める。

 この規制に反発する12人の科学者たち<始祖>は地球を脱出し、火星と木星の間の小惑星帯にコロニーを建設する。そこで生まれ育った次世代の四人の若者はコロニーを脱出し、<巣>で暮しはじめる。だが、その<巣>に母星から巨大な多数の物体が飛来し…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年3月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約344頁。9ポイント45字×19行×344頁=約294,120字、400字詰め原稿用紙で約736枚。文庫本ならやや厚めの一冊分の分量。

 文章そのものはこなれているのだが、語り口にクセがある。最近のSFにありがちな手法で、説明せずに独自の言葉を使う。その最も顕著な例が「母」だ。読み進めれば見当がついてくるのだが、「母」や「仔」などとあまりSFっぽくない言葉を当てているので、慣れないうちは少し戸惑う。

 SFガジェットとしては、「母」と「仔」さえ判れば、あまり難しくない。あとは3Dプリンタとオ-プンソース・ハードウェアの概念が判れば充分だろう。

 あと、結構グロい場面があるので、多少のグロ耐性が必要。

【どんな話?】

 新世代の四人はコロニーを脱出し、<軽石>と名づけた小惑星を元に<巣>を建設して暮し始めるが、次第に互いの連絡は途絶えがちになった。そんな時、母星から多数の機械群が押し寄せる。発見した虹は、他の霧・針・41に連絡したが、返事が来たのは霧だけ。やがて機械群の一つは、ある小惑星に衝突し…

【感想は?】

 少し切ない、孤児たちの物語。不思議な吸引力に捕まって、深夜まで一気に読んでしまった。

 SFとしての重要なガジェットは、「3Dプリンタ」ぐらい。敢えて「」で囲ったのは、現代の3Dプリンタとは大きく違うから。とはいえ、基本的なアイデアを説明する上で、3Dプリンタは便利だ。

 まずは普通のプリンタからいこう。プリンタにも色々あって、個人用のインクジェット・プリンタから、大量に新聞を刷る大型の輪転機まで様々だ。輪転機も大型のやつは、そこらの体育館より大きくて、印刷機というより、数階建ての工場と呼ぶのが相応しい化け物である。

 などと機械としてのプリンタは大小様々だが、21世紀初頭の現在、受け渡しするデータは PDF にすれば大抵はなんとかなる。家のプリンタで一枚だけ印刷する際も、印刷工場で数万部を刷る時も、同じ PDF で用が足りる。これば印刷用のデータ形式が PDF に統一されたお陰だ。

現実には大型輪転機が PDF に対応しているわけじゃないんだが、印刷屋に入稿する際は PDF を渡せばいいわけで、利用者から見れば同じようなモンだと考えて差し支えない。

 おまけに、最近はコンビニのコピー機もインターネットに接続していて、サーバに登録した PDF データを、近所のカラーコピー機で出力できるようになった。PDF データさえあれば、世界のどこでも同じモノを印刷できるのである。

 次に3Dプリンタだ。こちらは現在の所は黎明期にあるが、印刷機同様にデータ形式は規格化・統一化の動きがある。3Dプリンタ本体も、家庭用の小型プリンタから、工場用の大型高性能製品まで様々だが、日本では STL(→Wikipedia)が主流のようだ。

 これに、オープンソース・ハードウェア(→Wikipedia)の動きが加わると、俄然楽しくなる。

 オープンソース・ハードウェアは便利なモノを造るレシピを、世界の全員で共有しようとする動きだ。これの障壁は色々あるが、その一つがデータ形式だ。これが印刷物における PDF のように一つの形式に統一されると、日本で設計した機械をアルゼンンチンの工場で造る、なんて事が簡単にできるようになる。

 3Dプリンタったって様々で、家庭用の小型プリンタはせいぜいフィギュアぐらいしか造れないが、工場用だと自動車の実物大モデルや、ジェットエンジンの部品まで造っているようだ(→Wikipedia)。これが更に進歩して、3Dプリンタ自体まで3Dプリンタで造れるようになったのが、この物語の世界背景。

 ここまで来ると3Dプリンタというより万能製造機と呼びたいが、規格を統一し、一つのレシピを全ての製造機で共有できる、というのが物語のキモの一つ。これは便利なようだが…

 少し前、日本でも3Dプリンタで銃を造ったという事件(→Wikipedia)があった。幸か不幸か今は家庭用の3Dプリンタだけじゃロクなシロモノは造れないが、3Dプリンタが進歩したら銃以外の物騒なモノも造れるようになるだろう。

 などの背景はあるが、物語そのものは、かなり切ないお話だ。語り手は、<巣>に住む一人、虹。過激な思想ゆえに地球を飛び出した12人の科学者たち<始祖>が作ったコロニーから、更に脱出した四人の一人だ。

 先の銃事件にも色々な意見がある。<始祖>は、中でも特に過激に自由を求める主張の集団で、可能な事は全て許されるべき、みたいな思想だ。そこで産まれ育ったのが、虹たちだ。なぜ虹たちが家出したのか、というと…

 この虹たちのパート、実はかなり感情移入しにくい。彼らの育った環境があまりに異常だし、彼らも人付き合いが下手だ。四人とも相当にマイペースで、チームワークもへったくれもない。そこに「母」というキーワードと、後に出てくる<始祖>たちのイカれ具合を重ねあわせると、虹たち四人の心にポッカリ空いた空白が見えてくる。

 この辺の感触は、ハヤカワのJコレクションじゃまず見かけないタイプで、私が知るかぎりでは上遠野浩平や谷川流に近い。ガジェットこそ本格SFだが、登場人物たちの不器用な足掻き方は、ブギーポップ・シリーズの「イン・ザ・ミラー パンドラ」を連想した。あと、SFじゃないけど「ティファニーで朝食を」かな。

 虚ろな宇宙空間を舞台に、3Dプリンタというガジェットを用いながら、若き孤児たちの心の苛立ちを描いた物語として私は読んだ。でも、こんな読み方をするのは私ぐらいだろうなあ。

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2015年9月25日 (金)

冨田信之「セルゲイ・コロリョフ ロシア宇宙開発の巨星の生涯」日本ロケット協会

「ロケットの信頼性は失敗することによって向上する」
  ――二コライ・アレクセーエヴィッチ・ピリューギン

 同士諸君! 本日人類最高の知性が夢見たことが現実となった。コンスタンチン・エドアルドヴィッチ・ツィオルコフスキーの、人類は永久に地球上にとどまることはないであろうとの預言が実現した。
  ――第17章 宇宙へ

【どんな本?】

 セルゲイ・コロリョフ(→Wikipedia)。かつて西側では「主任設計士」などと呼ばれた。その偉大な実績ゆえに、ソ連は名前すら秘密としたのだ。ソビエトにおける黎明期のロケット開発を牽引し、1957年のスプートニク打ち上げ・1961年のヴォストークによるガガーリンの宇宙飛行などを実現した、宇宙開発の巨星である。

 コロリョフはどのような男だったのか。彼は何を求めていたのか。権力闘争の激しいソ連において、いかに立ち回り、人員と予算と設備を獲得し、ロケット開発を実現したのか。そして、冷戦期におけるソ連のロケット開発はどのように進められたのか。

 ヴェルナー・フォン・ブラウンと並ぶ、だが一版にはあまり知られていない、宇宙開発黎明期の巨人の生涯を、ソ連崩壊などで入手可能となった資料や、著者による現地取材などを元に描く、ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は日本ロケット協会会員向けの「ロケット・ニュース」に、1995年3月~2003年12月まで連載。加筆訂正して、2014年6月初版発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約682頁に加え、あとがき3頁+コロリョフ年譜4頁。9ポイント35字×26行×682頁=約620,620字、400字詰め原稿用紙で約1,552枚。文庫本の長編小説なら3冊分ぐらいの大容量。

 文章は意外とこなれていて読みやすい。著者もロケット屋なので、マニュアルなどを書く際に「わかりやい文章を書く」技術を鍛えられたのかも。内容の一部、特にロケットや宇宙船のトラブルに関する部分は相当にマニアックだが、それを除けば特に難しくない。

【構成は?】

 だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • まえがき
  • プロローグ
  • 第1章 誕生 1907
    異様な結婚式/セルゲイ誕生
  • 第2章 両親の離婚 孤独な幼年時代 1907-1917
    両親の別居/母マリヤの離婚と再婚/ネージンの祖父母の家で/モスカレンコ家がキエフに移動
  • 第3章 航空への意識の芽生え オデッサ時代 1917-1924
    内戦 5年間の自宅待機/第1建築職業学校/飛行機熱に取りつかれる/初恋-卒業
  • 第4章 試練 キエフ工科大学時代 1924-1926
    大学 試練/失望 転機
  • 第5章 快走 モスクワ高等技術学校時代 1927-1930
    モスクワ高等技術学校に編入学/グライダー飛行訓練を本格的に始める/グライダー設計と軽飛行機操縦訓練を開始する/セルゲイはツィオルコフスキーに会ったか?/高性能グライダー設計と卒業設計
  • 第6章 結婚・転進 1930-1931
    腸チフス/「赤い星」号の快挙/結婚/転進
  • 第7章 ロケット・プレーン構想の芽生え ギルド時代 1931-1933
    ギルド結成/ギルドと気体力学研究所の統合への動き/ギルドの活動
  • 第8章 不協和音 反動推進研究所時代 1933-1936
    ギルド組の不満高まる/コロリョフ降格させられる/ロケット・プレーンをスケール・モデル開発から始める/ロケット・プレーン開発は次の段階に SK-9と216,217/スケール・モデル機(212)から人の乗るロケット・プレーン(218)に/コロリョフ父親となる
  • 第9章 暗転・逮捕 大テロル 1937-1938
    トゥハチェフスキー処刑 大テロル勃発/コロリョフ逮捕される
  • 第10章 裁判・流刑 コルイマ矯正労働収容所 1938-1939
    無法な取調べ/強制的に供述書にサインさせられる/一方的な裁判/家族のその後/ロケット・プレーンその後/行き違い/コルイマ/マリジャク矯正労働収容所
  • 第11章 再審・シャラーシカ 1939-1945
    再審が行われ、判決が出る/判決はシャラーシカに拘禁と変更される/第29設計局/オムスクのTu-2量産工場に移る/カザンのシャラーシカヘ/Pe-2補助推進装置の飛行試験に専念する/刑期満了前に釈放される/コロリョフのロケット・プレーン総括
  • 第12章 大転換 1945-1946
    舞台はドイツへ/ドイツ現地とソ連政府の臨時体制発足する/夫婦間に溝生ずる/コロリョフ、ドイツへ/コロリョフ、ブライヒェローデに到着/イギリスによるA-4デモンストレーション発射/ノルトハウゼン研究所/家族呼び寄せ、コロリョフ結婚生活の危機/引き揚げ
  • 第13章 新生 1947
    再出発/新しい女性ニーナの出現/別居/スターリン御前会議のコロリョフが出席する/中央国家発射場をカプスチン・ヤールに開設する/A-4のソ連国内発射/科学アカデミーのケルディシュと出会う/別れ
  • 第14章 自立への道 1948-1949
    動く国際情勢/A-4のコピーR-1/R-1発射試験/軍はR-1の制式採用に反対、スターリンの裁定で採用決定/コロリョフはクセーニヤと離婚し、ニーナと再婚する/R-1再発射試験/R-2開発への布石 R-1A,R-2E発射試験/宇宙に向けてそろりと前進/R-3構想の検討
  • 第15章 自主技術の確立 1950-1953
    自主開発の進展 R-2/方針変更 R-3からR-5へ/組織変更と待遇改善/長距離ロケット開発計画の見直し/R-5発射試験/スターリン死す/R-1を置き換える目的でR-11開発/犬をロケットに乗せて打ち上げ・回収に成功
  • 第16章 開花 1954-1956
    最初の核弾頭搭載ロケットR-5Mの出現/世界で最後(?)の実核弾頭付きロケット発射試験/フルシチョフ時代が始まる/潜水艦発射ロケットR-1FMは完成したが心ならずも手放す/弾道型長距離誘導ロケット(R-7)開発内示が出る/R-7ではパケット方式採用決定/ジェットベーンをやめて制御エンジンを採用/R-7の発射台での指示方法を大変更する/信頼性:コンタミネーション:システム・エンジニアリング/カザフスタンの草原に新発射場の建設始まる/ケルディシュを抱き込んで人工衛星計画動き出す/ティホラヌラヴォフがPS構想を提案する
  • 第17章 宇宙へ 1957
    孤立無援のPSに政治から救いの手が差しのべられる/R-7第1期発射準試験備中、コロリョフの名誉回復がなされる/R-7初号機発射はほろ苦い結果に終わる/2回目の発射で、コロリョフとグルシコの諍いが表面化する/3機目の発射でポジティヴな成果が出て、成功と評価される/PS初号機、打ち上げに成功する/コロリョフの賭け PS2号/第9部の体制固まる
  • 第18章 大展開 1958-1959
    コロリョフ黄金時代到来 新しいプレッシャー/スプートニクの陰の科学ロケット群/R-7発射試験再開し、オブエクトD打ち上げに成功/無人月ミッションの課題/第三弾(ブロックE)を開発する/無人月ロケットを打ち上げ、R-7ではPOGOが問題となる/R-7共同発射試験と月ロケット打ち上げは平行して行なわれる/初めて月の裏側を見る/軍用ロケットの争い R-7に替わるR-7A,R-9の開発/コロリョフは策略を以って有人宇宙機開発を勝ち取る/有人宇宙船の基本的骨格が定まる
  • 第19章 宇宙へのさらなる挑戦 1960
    第1専門設計局における宇宙活動増加する/最初の宇宙飛行士候補は6名に絞られる/フルシチョフが無人探査機を火星・金星に送れとの指示/強力な第3弾(ブロック1)および第4弾(ブロックL)を開発する/火星探査機の打ち上げ日程は厳しいものに/月裏側のより鮮明な写真撮影(E-3)は不成功に終わる/衛星船の試験始まる/火星探査機(1M)打ち上げは失敗に/衛星船(1K)打ち上げは目的を達する/コロリョフの宇宙活動長期計画/原子力ロケット計画/有人宇宙飛行長期計画が出される/宇宙からの偵察計画始動する
  • 第20章 頂点 1961
    金星探査機(1VA)も失敗に終わる/ヴォストーク宇宙船打ち上げに備える/ガガーリン軌道上飛行へ/次の飛行を巡るコロリョフと宇宙飛行士訓練センターの角逐/チトフは最初の宇宙酔いを経験/宇宙利用 偵察と通信/「ソユーズ」コンプレクス構想が生まれる/コロリョフ科学アカデミー副総裁になりそこなう
  • 第21章 溢れるリュックサック 1962-1963
    溢れるリュックサック/ニコラエフとポポヴィッチのアベック飛行/女性宇宙飛行士候補が選抜される/テレシコワとブイコフスキーのアベック飛行が決まる/ブイコフスキー災難にあう/テレシコワの飛行は問題を残す/青天の霹靂 ヴォストークと3人乗りに/新機軸の通信衛星プロジェクト/月面軟着陸プロジェクト(E-6)始まる/E-6 1,2,3号機打ち上げは失敗/N-1計画、荒天の中の船出/N-1の泣きどころ、エンジン/ソユーズ宇宙船先行着手
  • 第22章 霹靂 1964
    3人乗りヴォスホート1号計画進展する/宇宙飛行士の選定でコロリョフは空軍と対立する/第3段は能力向上したブロックⅠに/N-1大揺れ、3回打ち上げから1回打ち上げに N1-L3構想の出現/めでたさも中ぐらいなり 有人宇宙飛行を指示する政令は出たが/ヴォスホート1号飛行中にフルシチョフ失脚/宇宙遊泳は「ぶっつけ本番」を決心/N1-L3難航/通信衛星(M-1)初号機でアンテナ展開トラブル/月面軟着陸機打ち上げ失敗が相次ぐ
  • 第23章 ほころび 1965
    ヴォスホート2号/いよいよ宇宙遊泳/受難に次ぐ受難/第52設計局の扱いをどうするか?コロリョフの苦悩は続く/月面軟着陸機/惑星探査機を総括する/月面軟着陸10号機の惜しい失敗/モスクワ・ウラジオストク間テレビ画像伝送に成功(通信衛星)/通信衛星を第10専門設計局に移管/月面軟着陸機、またも惜しい失敗/ヴォスクレセンスキーの死
  • 第24章 幕切れ 1966
    入院/手術・他界/不可避であったか?/葬儀
  • エピローグ
     コロリョフの業績を総括して/技術者としてのコロリョフ/「個人主義者」コロリョフ/「リーダー」コロリョフ/「家庭人」コロリョフ/コロリョフの「家」/その後/もし、コロリョフが生き延びていたら有人月計画は成功したであろうか?
  •  あとがき/年譜/人名索引

【感想は?】

 妄想じみた巨大な夢に向けて、あくまでも現実的かつ着実に進んだ男。

 なにせ、あの鉄のカーテンの向う、ソ連で生きた人間だ。若い頃はスターリンの粛清に巻き込まれ、収容所に送られて壊血病を患っている。そんな酷い目に合って、なぜ宇宙開発に突き進めたのか。

 意外な事に、彼は体育会系でもあった。若い頃はグライダーを設計・開発し、自らも操縦している。幸か不幸か第二次大戦中は収容所にいた。空軍にいたら、パイロットとして使い捨てられていたかもしれない。

 1940年代までは黎明期だけに、彼が新しい任地に赴く度、仕事は職場の施設建設から始まっているのに笑ってしまう。というか、彼はグライダーを開発した頃から、まず設計所の確保から仕事を始めていた。読んでいる時は「大変だよなあ」などと思っていたが、今思うと、意外とこういう経験が後に役に立ったんじゃないかと思ったり。

 というのも。既に出来上がった施設や組織に入って働き始めると、施設や組織の全体像が見えないのだ。その点、彼は規模は小さいながらも、全てを自分で仕切り創りあげている。そのため、全体を見通す視点が若い頃に身についたんじゃないだろうか。

 終戦後は、アメリカ同様にドイツのA-4(V-2、→Wikipedia)のコピーから始まる。少し「ロケット開発収容所」のクルト・マグヌスが出てきて、ちょっと懐かしかったし、お上のいいがかりについて著者がコボしているのにも笑っちゃったり。なんでああいう人たちは、エンジニアの気持ちがわからないんだろう。

 ここでは、他国製品のコピーを作る苦労話が楽しい。航空畑の技術陣と、大砲を作っていた製造工場との文化の違い、必要な素材の調達、要求される制度の違い。鉄ったって、様々な種類があるのだ。Tu-4(→Wikipedia)も苦労したんだろうなあ。

 おまけに、主なスポンサーの軍は近視眼的で、今現在実現できる性能でしか評価しない。まして何の役に立つのかわからん人工衛星なんぞ…

 ってな状況で、追い風になったのが核兵器ってのが切ない。それも水爆である。いくら強力な爆弾があっても、目的地まで運んでく手段がなきゃ何の意味もない。ここで二つの選択肢が候補に上がる。大型爆撃機か、ロケットか。アメリカは広島・長崎の成功に味を占めてか大型爆撃機に注力するが…

 スターリンはゼンガー(→Wikipedia)に興味津々だったなんて話も載ってて、そりゃ確かにあの形は心を騒がせるモノがあるけど、スペースシャトルの失敗を経た今から考えると、あまし経済的ではないような。

 なんにせよ、水爆なんて重たい荷物を載せて三千km~一万kmを飛ばさにゃならん。そこで二つの革命的なアイデアが登場する。一つは多段型にすること、もう一つは複数のロケットをまとめて一本にすること。今でもソユーズ(→Wikipedia)に継承される、末広がりの独特なスタイルは、この時に決まったようだ。

 この時の発想が「同じ型のエンジンを沢山まとめりゃ量産できてラッキーじゃん」って発想は、なかなか合理的に思えるけど、全エンジンがちゃんとバランスよく動くか、というこ、これがなかなか…

 などの苦労の末、1956年2月2日には、核弾頭を積んだR-5Mロケットは見事に1,200kmを飛んでトルクメニスタンのカラクーム砂漠で核爆発を起こす。いくら冷戦期とはいえ、核ミサイルの実機実験とか、ソ連も無茶な事するなあ。などと忙しい中、コロリョフは海軍にもコナかけて片手間に潜水艦から発射するミサイルも作っている。

 などの実績が評価され、派手なパフォーマンスで人気を取りたいフォルシチョフとパイプができ、やがてスプートニクの大成功へと繋がってゆく。このスプートニク・ショック、西側と東側の評価の違いが実に意外性に満ちている。

 と、こんな風に前半を紹介すると、コリョロフって人物は目先しか見ない人のように思えるが、実はとんでもない野望を秘めていた事が中盤あたりから明らかになってゆく。そう、こうした実益とパフォーマンスを兼ねた人気取りとも思える方針は、子供じみた夢を実現するための地盤固めだったのだ。

 などというコロリョフの人物像と、彼が生きた当時のソ連の社会情勢も面白いが、彼らの技術的な失敗を細かく描いているのも、この著者ならではの楽しい所。

 宇宙空間で急激に能力が低下する太陽電池。帰還船から外れないケーブル。アチコチで起きる共振現象。暴発してしまう弾頭。強風で曲がってしまうボディ。電気系のショートを起こしバルブに詰まる小さいゴミ。運送中に壊れる精密機器。信号の誤受信による誤動作。開かないアンテナ。パイプの中で詰まるケロシン。

 様々な問題が一気に押し寄せるヴォスホート2号(→Wikipedia)の飛行を描く場面は緊張感に溢れ、あの傑作映画「アポロ13」を髣髴とさせる冒険物語。アポロ13のメンバーと異なり、ベリヤエフとレオーノフは地上に降り立ってからも災難続きで…。

 米ソが熾烈な宇宙開発競争を繰り広げた当時だからこそできた、無謀なスケジュールにも呆れるやら羨ましいやら。そりゃ何だって新製品は動かしてみなけりゃわからないけどさあw

 厳しい時代であると同時に、妙な所で大らかだった時代。卓越した指導力と広い視野、軍と政府の動向を読んで動く現実的な政治力を抜け目なく行使しながら、その奥に子供のような大きな夢を隠し持ち、実現させようと着実に歩んだ男。納税者から見ると困った人だが、SF者としては偉大な英雄と思えて仕方がない。ましてスタニスラフ・レムの全集を持っていれば、なおさらだ。

 当時のソ連の宇宙開発の実態をのぞき見ながら、現代のロケットの基礎を創りあげた男の人生を描いてゆく力作ノンフィクション。ロケットが好きなら、または技術屋として組織内の政治に翻弄されているなら、是非読んでおこう。

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2015年9月21日 (月)

高野秀行「アジア新聞屋台村」集英社

「ここは屋台なの。屋台の集まり。よくあるでしょ、レストランで、“屋台村”っていうのが。『インドネシアの新聞、ある?』って言われたら、『はい、あります』。『タイの新聞は?』って訊かれたら、『はい、どうぞ』。発行が遅れたら、『まだ、料理ができてない』。印刷した新聞の数が足りないときは『もう売り切れました』。だから、ここは屋台村と一緒よ」

【どんな本?】

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かないような本を書く」をモットーにする秘境ジャーナリスト高野秀行が、アジア系ミニコミ出版社に関わった経験を元に書いた、抱腹絶倒で少し切ない、青春お仕事小説。

 フリー・ライターのタカノは、不審な電話を受け取った。「エイリアンのレックと言いますが、原稿を書いてください」。 奇妙な電話に誘い出されて新大久保近くのビルに赴いたタカノは、謎の組織に巻き込まれ有耶無耶のうちに正体不明の仲間と共に手先として働く羽目になり…

 勿論、嘘じゃないです。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2006年6月30日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約242頁。9ポイント44字×19行×242頁=約202,312字、400字詰め原稿用紙で約506枚。標準的な長編小説の分量。なお、今は集英社文庫から文庫版が出ている。

 文章は抜群に読みやすく、スラスラ読める…笑い転げなければ。内容も特に前提知識は要らない。敢えて言えば、出版・編集・印刷の知識があると、更に楽しめる。知識ったって、小学生の時に壁新聞を作った程度の経験があれば充分。

【どんな話?】

 謎の電話を機に国際的な新聞社で働く事になった、フリー・ライターのタカノ。編集方針は国際色豊かで自由闊達、アグレッシブで多角的な経営母体…と言えば聞こえはいいが、そこで発行する新聞も働く人々も、エネルギッシュでフリーダム極まりない者たちだった。

【感想は?】

 波乱万丈・疾風怒濤、縦横無尽で抱腹絶倒。

 出だしから大笑い。こんな原稿の依頼は前代未聞だろう。今はメールでの入稿が普通になっているだろうから、数え方は違っているだろうけど、それにしてもここまで無茶はしないはず。

 当然ながら、そうい無茶な頼み方をする以上、あがってくる原稿も不揃いで収集がつかなくなるんだが、その帳尻の合わせ方で再び大笑い。いや確かに帳尻は合うけど、その発想はなかった。実にフリーダムな新聞だ。是非一度、読んでみたい。にしても、よく広告のクライアントは文句言わなかったなあw

 などと笑っていたら、次に出てくる社長さんも奇想天外な人で。などと次から次へと凄まじいネタが飛び出して来て、小説の出だしとしての掴みは抜群。あくまでミニコミで働いた経験を元にした小説だから、どこまでが本当でどこからがネタなのかは分からないが、背景がわかると、いかにもありそうな気がしてくる。

 なにせこの社長、発想の突飛さとスタートダッシュの早さ、そして走り始めた時のエネルギーが半端ない。そもそも単身で異国に乗り込む人である。これぐらいの行動力がなきゃ、ここにいないだろう。

 物語は、タカノが働く事になった国際的な新聞社を中心に展開する。いや確かに「国際的な新聞社」なんだが、その実態は字面から想像するカッコいい オフィスとは全く違う。登場する国は台湾・韓国・タイ・インドネシア・マレーシア・ミャンマーなど。つまり、アジアの国々だ。

 そして、新聞社と言っても、 CNN やロイターみたいな大規模なものじゃない。日本に滞在する外国人向けに出版する情報誌というかミニコミ紙というか、そういうものだ。

 そんなわけで、エネルギッシュな人は社長さんだけじゃない。出てくる人の大半が、良くも悪くもマイペースな人ばかりなのだ。なにせ慣れない異国での生活である。日頃の生活で不便に感じる事があったら、「他の人もそうだろう、これはビジネスになるかも」と考える。考えるばかりでなく、実際に仕事にしてしまう。

 実にフットワークが軽い。起業家精神旺盛と言うか、草の根資本主義とでも言うか。これが資本主義のいい所だよなあ、などと高尚な事を考える前に、その発想の自由闊達さに舌を巻いてしまう。そうやって彼らが携わる仕事というのが、これまた見事にニーズを捕らえた見事なビジネスで。

 読んでいると「よっしゃ、なら俺も一念発起して…」と考えてしまうから危ない。

 と、自らがビジネスを始めるのはいいが、肝心の新聞社内の仕事もマイペースなのが問題で。これも昼食の場面から笑いが止まらない。おかずの交換とかしたら、それだけで記事が書けそうな気がする。

 国際色豊かなだけに、それぞれのお国柄をユーモラスに紹介しているのも、この小説の読みどころ。生真面目で優秀な韓国人・朴さん、ビジネス大好きな台湾人の劉さん、性意識が日本と大きく違うタイ人スタッフ、敬虔なムスリムのインドネシア人アブさん、冗談好きなミャンマー人のマウンさん。

 それぞれがお国柄を表しつつ、独自の発想と知人のネットワークを駆使してビジネスを展開して行くくだりは、マイノリティならではの逞しさも感じたり。

 中でも、韓国人の朴さんのエピソードは印象深い。つまりは韓国人が抱える日本への複雑な想いを吐露した部分で、ある意味ロミオとジュリエットな感じ。ここはちょっとしたセイシュン仕立てにもなっていて、この配役が小説としての仕掛けなんだろう。

 同様に、タカノが書いたタイ人向けの記事が思わぬ反響を呼ぶあたりも、彼らの意外な面を見せてくれる。考えてみれば、歴史的にもアジアの二大強国インドと中国に挟まれながらも屈せず、大航海時代以降のヨーロッパの進出にも独立を守り通した国だ。あの微笑みは自信と余裕の表れなのかもしれない。

 それに加え、新聞を印刷するまでの工程が、少し専門的ではあるけれど、これまた楽しかったり。なりこそ小さいが、国際的な新聞社だ。となれば、扱う文字も様々。当時は Unicode も普及しておらず、パソコンに表示できても印刷屋にはフォントがない。そこで、どうするかというと…。

 だいぶ前から、東京は国際都市といわれてきた。だが、そのガイジンさんたちは、どこに住み何を食べどうやって暮らし、何を考えているのか。意外と身近にある異国と、異人さんたちの強靭なバイタリティ。そして、やがて訪れる卒業の日。無謀なビジネスに呆れ大笑いしつつ、少し自分の生き方を考えたくなる、楽しい国際派の青春小説。

 ただし、今の職場に強い不満を持つ人は、避けたほうが無難かもw

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2015年9月20日 (日)

ロバート・F・マークス「コロンブスそっくりそのまま航海記」朝日新聞出版 風間賢二訳

わたしは、ガレオン船に関する自分の調査結果を活用するために、コロンブスの時代そっくりそのままの状況下で航海することがぜったいに必要だと感じていた。つまり、アストロラーベと四分儀以外の海図や航海表装置は携帯しないということだ。救命用具も無線機も搭載しない。コロンブスの時代の服装をし、当時と同じ食事をする。15世紀のストーブで調理し、火打ち石で火を起こす。
  ――3 複製の国

「確実なことがひとつある。大西洋で強風と遭遇すると、温かい食事をとるのはまれになるということだ。凪ぎ状態なら、満足のいく食事にありつけるが、どこにも進めない。そして風に吹かれれば、食事はひどいものになるが、速く前進できる。いずれかひとつだ。それが小型帆船での暮らしである」
  ――13 精密な航海

【どんな本?】

 1962年8月、一隻の船がスペインから旅立つ。目的地は大西洋の向う、サンサルバドール。1942年のコロンブスのコースを辿り、当時と同じ帆船を操り、当時と同じ道具を使い、当時と同じ食事をして、コロンブスの冒険航海を再現しようとする試みだ。

 当然、船は帆船でエンジンはない。冷蔵庫もなし、無線機もなし、救命用具もなし。命がけの航海にスペインは沸き立つが、いざ旅立ってみると…

 大胆な航海に旅立った九人の男たちが繰り広げる、抱腹絶倒の冒険ドキョメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Voyage of the NIÑAⅡ, by Robert F. Marx, 1963。日本語版は2009年4月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約332頁に加え、井上愛子の「ボブと私の不思議な縁」7頁を収録。9ポイント43字×19行×332頁=約271,244字、400字詰め原稿用紙で約679枚。長編小説の文庫本なら少し厚めの一冊分ぐらいの分量。

 文章は抜群に読みやすい。内容も特に難しくないが、単位系がガロン(約3.9リットル)・クォート(約946ml)・フィート(約30cm)・ヤード(約91cm)・マイル(約1.6km)と、ヤード・ポンド法だ。当然ながら、帆船に詳しいと更に楽しめる。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • 1 切実な計算
  • 2 冒険にいたる経緯
  • 3 複製の国
  • 4 勇敢な牛追い祭り
  • 5 ヤギ皮と蚤の市
  • 6 動かない船
  • 7 アメリカへ航海中
  • 8 混乱と恐慌
  • 9 心もとない始まり
  • 10 ワイン、女性、そして歌
  • 11 沈まぬクルミの殻
  • 12 ニーニャⅡ世号での1日
  • 13 精密な航海
  • 14 食糧問題をめぐる論争
  • 15 凪ぎ模様 1日目から8日目
  • 16 執念の釣り 9日目から17日目
  • 17 貿易風 18日目から22日目
  • 18 ジョゼフ・コンラッドの『台風』さながら 23日目から28日目
  • 19 「天の恵みの水?」 19日目から46日目
  • 20 「ハロー、アメリカ海軍機……」 47日目から52日目
  • 21 悲劇と悲劇寸前 53日目から65日目
  • 22 上陸 サンサルバドール 66日目から77日目
  •  ボブと私の不思議な縁 井上愛子

【感想は?】

 まったく、スペイン人ってのはw

 まず、タイトルが大嘘だ。肝心の船ニーニャⅡ世号からして、オリジナルの半分程度のサイズしかない。本の冒頭に航海中のカラー写真が載っているから、カメラも持っていっている。つまり、完全に当時の装備そのままじゃない。

 カメラは直接に航海の役に立つわけじゃないから構わないが、途中で水や無線機の補給を受けたり、色々と支援を受けている。

 ズルいと言えばズルいが、それはそれ。なにせ彼らが乗り込んだニーニャⅡ世号、まったく走らないのだ。素人の私が見ても、なんかバランスが悪そうに感じる。いきなり最初の章で「造船されてからわずか半年しかたっていないのに、すでに浸水していた」とくる。コロンブスだったら、もっとしっかり検査しただろう。

 物品の調達も大変だ。蚤の市(フリーマーケット)で漁ったり、職人に頼んだり。火打ち石に至っては、自分で掘り出してくる。そうやって調達したはいいが、使ってみると火がつかない。これにはコツがあって…。

 職人に頼んで作ってもらうにしても、シエスタの国スペインだ。明日できることは今日やらないお国柄である。ものごとが予定通りいくことは、まず、ない。そんなわけで、土壇場になって著者たちは駆けずり回る羽目になる。

 そして肝心の船員なんだが、これも酷い。「帆船に精通している者はわたしたちのうちにひとりもいなかった」とくる。素人の集まりなのだ。そのくせ見栄っ張りで、大口を叩く奴ばかりだから、チームワークも最悪。こんな連中を「そっくりそのまま」などと言ったら、コロンブスも怒って化けて出てきかねない。

 そんなわけで、真面目な航海記だと思うと、肩透かしを食らう。お馬鹿な野郎どもが繰り広げる、海の弥次喜多道中だと思って読もう。そういう態度で臨めば、抱腹絶倒の楽しみが味わえる。

 実際、乗組員はしょうもない連中で。途中で島に立ち寄れば、英雄として大歓迎を受ける。アチコチの教会で礼拝に参加し、夜は名家でゴージャスなパーティー三昧。飲んで騒いで二日酔いの毎日を過ごした挙句、大切な船の整備や水の補給を忘れる始末。

 海に出れば水は腐り、パンには虫が湧く。いろいろと危機的な状況だってのに、乗組員は後先考えずにワインをガブ飲みするばかり。おまけに連中を締める役割のカルロス船長は優柔不断で…

 と、こういった所を読んでいると、つくづく「スペイン人ってのはしょうがねえなあ」と思えてくる。本当にコロンブスの航海を支えたのはスペイン人なんだろうか? とまで疑い始めるが、当時は国家プロジェクトだから装備も船員も厳しく選んだろうし、指揮系統も厳密だったんだろうなあ。

 そんな連中だが、航海を続けるに従って、次第に船乗りらしくなっていくのも面白い。なんたって帆船だ。風がなければ動きようがない。凪ぎの時にはひたすらダラけ、風が吹くと嬉々として働き出す。やっぱり、道中が捗ると気分が違ってくるんだろう。

 水ばかりでなく食糧も足りない。野菜はもちろん、パンやチーズにも虫が湧く。食事は豆とトルティーヤだけ。このままじゃイカンってんで、魚を採って食べることを考え始めるんだが、これもなかなかうまくいかない。今でこそ欧米人はイルカの保護に熱心だが、この本ではイルカを見ると「美味そうだなあ」と考えてたり。

 なんとか仕留めた時は、「これまでに食べたなかでも最高だ」なんて書いてある。かなり飢えてる時だから、余計においしく感じたんだろう。

 経歴は嘘ばっかりの乗務員、樽を頼めば水漏ればかり、船上では喧嘩ばっかり、風はいつだって逆風か嵐か凪ぎ、おまけに船体はオンボロで鈍重。書名は大嘘で、原書の出版は50年前といささか古いが、内要は今でも充分に新鮮な味わいがある、大馬鹿野郎どものズッコケ冒険記として実に楽しい旅行記だ。

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2015年9月18日 (金)

ハンヌ・ライアニエミ「複成王子」新☆ハヤカワSFシリーズ 酒井昭伸訳

<狩人>が襲ってきたとき、おれはちょうど、<シュレーディンガーのキャット・ボックス>に宿る、おびただしい亡霊猫を死なせていた。

【どんな本?】

 フィンランド出身で数学の学士号と数理物理学の博士号を持つ新鋭SF作家による、長編SF小説であり、前作「量子怪盗」に続く怪盗ジャン・ル・フランプール三部作の第二部。

 遠い未来、人類が様々に変容して太陽系に拡散し、また人格を記憶媒体への記録・複成・復元が可能となった世界を舞台に、戦闘サイボーグ少女ミエリと高度な知性を持つ宇宙船<ペルホネン>の支援を得て、お宝を求める怪盗ジャン・ル・フランプールが封鎖された地球へと潜入する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原初は The Fractal Prince, by Hannu Rajaniemi, 2012。日本語版は2015年8月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約373頁に加え、訳者による用語解説6頁+訳者あとがき7頁。9ポイント24字×17行×2段×373頁=約304,368字、400字詰め原稿用紙で約761枚。長編小説としては厚めの文庫本一冊分ぐらいの分量。

 ズバリ、とても読みにくい。文章は問題ないのだ。それより、内容が問題。これは大きく分けて二つ。

 まず、次から次へと捻りに捻ったSFガジェットが細かい説明無しに続々と出てくる。かなりSFを読みなれていて、イれた発想に慣れていないと辛い。

 次に、お話が複雑怪奇。舞台背景となっている太陽系の勢力構造がよく分からないので、登場人物・登場勢力間の関係が、ちょっとピンとこない。また、肝心の主人公怪盗ジャン・ル・フランプールの得意技が変装なので、新しく人物が登場する度に「コイツの正体は誰だろう?」と疑いながら読む羽目になる。

【どんな話?】

 火星から地球に向かう宇宙船<ペルホネン>の中で、ジャン・ル・フランプールは<箱>を探る。20年前、ゾクかた頂いたブツだ。ゾクの長老ドラスドールによれば、何か危険なものが封じ込めてあるらしい。

 精神共同体によって封鎖された地球。その都市シッルに、人びとは生き残っている。軌道上のコロニーが落下した殻の一部が、最後の人類都市シッルを守っていた。砂漠ではワイルドコードが荒れ狂う。人は廃墟からゴーゴリを掘り出し、精霊として使役し、または精神共同体に売って暮している。

【感想は?】

 相変わらず濃い。もう、何が何やら。

 今回のテーマは、千一夜物語だろう。舞台は地球で唯一の都市、シッル。そしてヒロインは二人の姉妹だ。姉のドゥンヤーザードど、妹のタワッドッド。いずれも市の有力者、カッサール・ゴメネスの娘。

 千一夜物語に登場するのは、姉シャハラザードと妹ドニアザード。妹が姉にお話をせがみ、姉が妹と王様に語り聞かせる形で、話が進む。その話の中で、登場人物が別のお伽噺と始め、その話の中で…みたいな何重もの入れ子構造になっている。

 千一夜物語は、語る物語によってシャハラザードが己の命を繋ぐお話だ。それだけに、物語がお話で重要な鍵を握る。それもこの作品は継承していて、タワッドッドやフランプールが語る物語が重要な役割を果たすと同時に、オリジナルの複雑な構造も発展した形で受け継いでたり。

 お陰で、ただでさえ難しいライアニエミ作品が、更に複雑な迷宮になってしまった。

 千一夜物語のシャハラザードは賢く控えめな乙女なんだが、ドゥンヤーザードは強烈だ。有力者の娘として強い権力志向を持ち、覇気のない妹を何かとコキおろし、あの手この手で妹を操ろうとする、ヤリ手の猛女。賢い所はシャハラザードと似ているが、性格は大違いなのに笑ってしまう。

 対する妹のタワッドッドは、一家の変わり者で、貧しい人を相手の慈善事業に精を出している。この小説でも、フランプールと並んで重要な役割を果たす。

 彼女たちが住む地球の都市シッルが、モロに千一夜物語の世界で。砂漠にはヒトに取り憑くワイルドコードがうようよしていて、風に乗ってシッルにも潜りこんでくる。正体はともかく、雰囲気は小さくイタズラな精霊(ジン)って感じ。

 ジンにも色々あって、ヒトに使役される者もいる、これがなんと携帯用の壺に入っているから楽しい。千一夜物語の壺の精霊はたいていがロクなもんじゃないが、こっちの精霊は何度でもお願いを聞いてくれるから嬉しい。ただし、壺を持ってるのは自分だけじゃないのが、ちと厳しいところ。

 子供向けの絵本じゃ割愛されてるが、実は千一夜物語にはけっこう色っぽい話もある。何せ発端からして王が娘を差し出せと下す命令だし。ってなわけで、普通に男女の話もあるし、女のジンが新妻を開発する話や、老人と青年が少年を奪い合う話もあったり。今のアラブは厳しいけど、昔はかなりおおらかだったんだろう。

 そんなわけで、この話も少しは色っぽいパートがあったり。いや描写はアッサリしてるんだけど。

 著者がフィンランドという小国出身のためか、出てくるガジェットや言葉も国際色豊か。やはり物語の鍵となる神鳴石はどう考えても日本語。龍の形態は日本や中国の龍を思わせるが、その性質はむしろ西洋のドラゴンに近く、実に忌々しいシロモノ。

 かと思うとサウナの場面もあって。どうもオールト雲にはフィン人も移住しているらしい。フィン人にはやたら孤独を好む人もいて、敢えて誰もいない森の奥へ移住する人がいるらしいから、密度も温度も低いオールト雲は住みやすいのかも。にしても、クールダウンの方法は豪快だw

 などとわかりやすいガジェットばかりでなく、マイクロ・ブラックホールをコキ使ったり宇宙ひもを操作したりと、もうやりたい放題。

 先端の物理学と情報工学を駆使し、絢爛豪華で猥雑な千一夜物語の世界を再現し、派手な宇宙空間での戦闘や狡猾な騙しあい、そして大掛かりな太陽系内の勢力争いを描く、思いっきり濃いエッジなSF小説。生半可なSFじゃ満足できないジャンキー向けの作品だ。

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2015年9月14日 (月)

佐野義幸・柳生浄勲・結石友宏・河島巌「トコトンやさしい3Dプリンタの本」日刊工業新聞社B&Tブックス

この本は、“3Dプリンタとは何か”から始まり、技術の基本とその使い方、およびこの技術が今後どのように発展していくかということをトコトンやさしく解説しました。
  ――はじめに

【どんな本?】

 最近話題の3Dプリンタとは何だろう? それで何ができて、何が嬉しいんだろう? なぜ突然に3Dプリンタが流行り、話題になったんだろう? どんな人が、どんな事に使っているんだろう? 今は何ができて、将来は何ができるようになるんだろう? どんな原理で動き、どんな種類のものがあるんだろう?

 話題の3Dプリンタについて、その歴史から原理・用途・現状・将来の展開まで、少ない頁数に豊富な図版・イラストをギッシリ詰め込み、親しみやすく紹介する、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年5月27日初版1刷発行。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約140頁。9ポイント23字×17行×2段×140頁=約109,480字、400字詰め原稿用紙で約274頁。小説なら中編の分量だが、図版やイラストを豊富に収録しているので、実際の文字数は半分程度。

 文章はです・ます調で一見親しみやすいが、技術屋さんが書いた文章らしく、読んでみるとやや堅い。しかし内要は基礎から親切に説明しているので、じっくり読めば充分に理解できる。

 このシリーズの特徴は、知識と経験が豊富な、その道の一人者が著す点だ。反面、ド素人向けの著述は不慣れな人が多く、とっつきにくい文章になりがちである。著者の長所を引き出し短所を補うため、編集・レイアウト面で徹底的な配慮をしている。以下は、シリーズ全体を通した特徴。

  • 各記事は見開きの2頁で独立・完結しており、読者は気になった記事だけを拾い読みできる。
  • 各記事のレイアウトは固定し、見開きの左頁はイラストや図表、右頁に文章をおく。
  • 文字はゴチック体で、ポップな印象にする。
  • 二段組みにして一行の文字数を減らし、とっつきやすい雰囲気を出す。
  • 文章は「です・ます」調で、親しみやすい文体にする。
  • 右頁の下に「要点BOX」として3行の「まとめ」を入れる。
  • カラフルな2色刷り。
  • 当然、文章は縦組み。横組みだと専門書っぽくて近寄りがたい。
  • 章の合間に1頁の雑学的なコラムを入れ、読者の息抜きを促す。

【構成は?】

 はじめに
第1章 3Dプリンタとは
第2章 3Dプリンタの歴史と未来
第3章 3Dプリンタの役割
第4章 3Dプリンタの種類と特徴
第5章 3Dプリンタのソフトウェア
第6章 3Dプリンタで作ってみよう!

 基本的に前の章の内容を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 3Dプリンタといっても、いろいろあるんだなあ。

 考えてみれば当たり前の話で、2Dのプリンタもいろいろだ。家庭向けのインクジェット・プリンタもあれば、オフィス用のレーザープリンタもあるし、大きいのになると印刷屋が使う大型輪転機もある。

 この本を読む前の私のイメージだと、3Dプリンタとは「賢いNC旋盤」だと思っていたが、全然違った。何より、加工法が違う。NC旋盤は削って形を整えるが、3Dプリンタはニュルニュルと吐き出してモノを形にしてゆく。機械かが吐き出したソフトクリームをコーンカップで受けて渦巻きの形に整える、みたいな。

 ソフトクリームは機械が吐き出すのはアイスだけど、3Dプリンタは色々。樹脂や金属はともかく、チョコレートまで使われているとは。10年後には、女子中高生がバレンタインデーのために頑張って3D-CADを学んだり、ケーキ屋が3Dプリンタを使ったりするんだろうか。

 冒頭は将来の話が中心で、SF者には楽しい話題がいっぱい。既に印刷物ではプリント・センターが普及してるけど、3Dでも同じサービスができるだろう、と。既にプリント・オン・デマンド(→Wikipedia)はあるから、ビルド・オン・デマンドも出てくるんだろうなあ。

 中でも納得したのが、医療分野での応用。骨や歯の形は人によって違うから、挿し歯とかもそれぞれが特注品だ。これをCTスキャナなどと組み合わせ3Dプリンタで手軽に作れるようになれば、安上がりな上に精巧なものが作れる。ということとで私の頭頂部の砂漠化も…

 他にも電化製品の部品の話が嬉しい。近所の電気屋でビルド・オン・デマンドできれば、壊れた際に部品取り寄せの手間が減らせるのだ。メーカーも部品の在庫を取っておかなくていい。ただし、肝心の素材の問題はあるんだけど。

 読んでいて楽しかったのが、「第4章 3Dプリンタの種類と特徴」。3Dプリンタの原理から仕組みまでを解説する章だ。いかにも技術屋さんが書いた文章で表現は固いし、内容もそれまでの章に比べ突然高度になった感はあるが、ヒネた表現はないし、じっくり読めばちゃんと理解できる。

 3Dプリンタの原理は色々あるが、共通しているのは「薄い面を重ねて立体物を作る」って理屈。理屈は同じでも、用途や価格により実装は様々。家庭用の小型で安い3Dプリンタなら、ヒモ状の樹脂を熱して柔らかくし、ニュルニュルと吐き出しいていくシロモノ。

 これが粉末焼結法だと、材料からして違う。ナイロン樹脂はともかく、セラミック粉末・銅・チタンとかの金属粉末もある。まず平らな台に薄く粉を敷き、レーザーなどで目的の形に焼く。再び薄く粉を敷き、焼いて…の繰り返し。どしても装置は大きく高価になるので、プロ向きってこと。

 などのハードウェアに加え、ソフトウェアの章が独立しているのも3Dプリンタならでは。ちょっとややこしいのが、3Dプリンタが受け付けるファイルのフォーマット。STL(Standard Trianglulated Language)とGコードがある。2Dのプリンタで例えると STL は PDF でGコードは PostScript に該当する…のかなあ・全然違う気もする。

 いずれにせよ、どっちも標準化されて規格が決まっているのはありがたい。昔のプリンタはメーカーや機種によって命令が全然違うから、ドライバが大変な事になってたんだよなあ。

 コンピュータから3Dプリンタへのデータの受け渡しも、オンラインとオフラインの2種がある。USBなどオンラインで直接繋いでもいいけど、これだとモノが完成するまで、コンピュータの電源を切れない。USBメモリやSDカード経由で渡せば、パソコンの電源を切ってもいい。

 パソコンの電源を切れるかどうかがなぜ大事かというと、出力にソレナリの時間がかかるから。この本では家庭用の3Dプリンタでペン立てを作ってて、出力にかかった時間が14時間。ひと晩以上かかってる。これがプロ用の大きくて精度の細かい3Dプリンタだと、もっと時間がかかるんだろうなあ。

 ここ数年で急速に普及したシロモノだけに、今後の技術進歩や価格の変動も大きいだろうから、細かい数字はすぐに古びるだろうけど、基本的な原理は変わらないはず。手軽に3Dプリンタの基礎を身につけるには、充分に役立つ本だ。にしても、pypy(→Wikipedia) なんてのがあるとは知らなかった。ちょっと使ってみたいかも。

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2015年9月13日 (日)

「新版 世界各国史 3 中国史」山川出版社 尾形勇・岸本美緒編

「中国」というまとまりは、数千年にわたる人びとの政治的・経済的・社会的な営みのなかで変動しながら形成されてきたものである。そして「中国」という観念は、人びとが自らの過去をたえず解釈しながら構成・再構成してきたものであるという意味では、思想的な産物でもある。

【どんな本?】

 中国史の教科書。文明の曙から胡錦濤政権までの中国の歴史を、正史などの文献に加え考古学上の成果も併せ、王朝の変遷,社会階層,統治・収税制度,軍事・外交情勢,技術・産業・経済政策,文化・思想など、様々な角度から冷静な筆致で描いてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1998年6月20日1版1刷発行。私が読んだのは2011年11月30日発行の1版7刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約478頁。9ポイント47字×17行×478頁=約381,922字、400字詰め原稿用紙で約955枚。文庫本の長編小説なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も意外なくらいにわかりやすい。なんといっても教科書だ。そのため、前提知識はほとんど要らない。内容を理解するのに必要な事柄は、全てこの本に書いてある。中学卒業程度に社会科の知識があれば、充分に読みこなせる。

【構成は?】

 全体が素直に時系列順の編成になっている、また各章はほぼ独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。

  • 序章 「中国」とは何か 岸本美緒
  • 第一章 古代文明と邑制国家 平勢隆郎
    中国文明の揺籃/殷王朝/西周王朝/春秋戦国時代
  • 第二章 皇帝支配の成立 尾形勇
    邑制国家の崩壊 戦国から秦へ/始皇帝の登場 秦帝国の成立と滅亡/漢帝国の成立と発展 前漢の時代/漢朝の再興 新と後漢/分裂の時代 三国
  • 第三章 帝国の分裂と再統合 金子修一
    南北朝の成立/北朝政権の伸張/隋唐帝国の登場/唐朝の衰亡/隋唐の国際関係と文化
  • 第四章 東アジア世界の変容 宮澤知之・杉山正明
    五代十国と宋朝の成立/宋代の社会と経済/王安石の新法と北宋末の政治/北方民族の台頭 遼と西夏/南宋と金の抗争/大元ウルスの出現/中華の再統合と陸海の巨大帝国/ユーラシア大交流と変わりゆく中華
  • 第五章 中華帝国の繁栄 岸本美緒
    明帝国の成立/明末 激流の時代/明から清へ/清中期の盛世 拡大と破綻
  • 第六章 動揺する中華帝国 並木頼寿
    清朝支配体制の危機/内乱と「中興」/中華帝国の再編と国家建設の構想/清末の改革から革命へ
  • 第七章 中華復興の試み 久保亨
    民国の創建/国民革命と国民政府/抗日救国のうねり/冷戦と戦後中国
  • 第八章 人民中国の光と影 石井明
    中華人民共和国の成立/急進政策の展開とその破産/現代化への道を歩む中国/未完の中国統一
  •  付録:索引/年表/参考文献/王朝系図/写真引用一覧/図表資料一覧

【感想は?】

 良くも悪くも教科書だ。しかも、駆け足の。

 なんといっても中国の歴史である。時間軸的にも長い上に、地理的にも広く、内部の勢力争いや周囲の国際情勢も複雑だ。それを一冊で済まそうとするのだから、否応なしに駆け足になるのは仕方がない。

 例えば、お馴染みの三国志。黄巾の乱が始まってから4頁程度で曹操が死ぬ。呂布なんか影も形もない。そのかわり、巷の三国志では割愛されがちな劉備の死以降、晋の建国までの経緯も書いてある。ばかりでなく、後の科挙の雛形となった、魏の制度である九品官人法などの制度も解説している。

 私は中国史に疎く…というか歴史全般に疎い。情けない話だが、論語と三国志と西遊記と水滸伝を時代順に並べる事すら怪しい。だから、とりあえず有名な事柄だけでも手っ取り早く流れを掴んでおきたい、と思って読んだ。そういう目的には、充分に適った本だ。

 反面、登場する人物像はカキワリになるし、面白いエピソードはあまり出てこない。全般的に歴史の捉え方は制度・財政や産業を中心に据えた考え方であり、人物中心の物語風ではない。そういった部分が、良くも悪くも教科書な所。

 例えば、やはり三国志の例だと、黄巾の乱の経緯。これが、まず第一次農地と第二次農地の違いから話が始まる。第一次農地は、もともとから農地に手適した場所で、国家がどうなろうとなかなか荒れない。第二次農地は国家が主導して開拓した所で、「国家が保護と管理を怠れば、全域が荒蕪地に戻ってしまう」。

 次に反乱を第一次農地と第二次農地に分ける。第一次農地の場合、地域の豪農・豪族が栄える反面、小農が行き詰った結果だ。だから反乱軍は地域の豪族を狙うだけで、国家転覆を狙い全土に広がることにはならない。

 だが第二次農地の反乱は違う。これは国家が管理を怠ったために農民が食えなくなるわけで、悪いのは国家であり皇帝だ。ならば正統な皇帝を立てよう、というわけで、王朝そのものの危機になる。

 という事で、三国志ファンには悪役としてお馴染みの董卓も、この本では影が薄い。三国志の人物で最も記述が多いのは曹操だが、その曹操もロマンスや性格の話はほとんど出てこない。彼の記述の中心は、土地を失った農民を集め屯田制で兵と軍糧を調達したことなどに割いている。

 つまり、人物像に踏み込んだ物語としての面白さはない反面、社会システムなどの面から物語の舞台裏を覗く楽しみはある本と言える。ただ、やはり中国史を一冊で済まそうなどという無謀な試みなだけに、踏み込んだ記述がないのは仕方がない。

 ギボンの「ローマ帝国衰亡史」もそうなんだが、これぐらい大きなスケールで歴史を見ていくと、それぞれの王朝の栄枯盛衰に似たようなパターンが見えてくるのも、こういう本の楽しみの一つだろう。ローマの場合は周辺の蛮族の侵入だったが、中国史の場合はそれに加え体制そのものの疲弊で中から崩れるパターンが多い。

 色々あって群雄割拠になり、統一政権ができる。新政権は農地改革を進めて貧農の救済を謀る。最初のうちはこれが歓迎され、国家が栄えてゆく。だが次第に豪農が小農を吸収して貧富の差が広がり、官僚の間にも腐敗が広がってゆき、食い詰めた民の不満が高まって…というパターン。

 「中国」って国の定義も、歴史を手繰るとなかなか難しい事がわかってくる。極端なところでは殷王朝で、「殷王が直接統治していたのは、一般のイメージとは異なり、半径20kmをこえない程度」とある。周囲の豪族たちの長みたいな位置づけらしい。連邦国家みたいな感じかな。まあ、当時の主な移動手段は徒歩だろうし、その程度が限界だったんだろう。

 秦が黄河上流と、中国西北部に中心があったのに対し、南宋になると長江以南の海岸部が中心になって、支配地域が全く違う。秦があったあたりは西夏になり、東北部から北京あたりは金になっている。金は女真族の国だからなんとなく中国と言えるのは南宋だろうと思いたくなるが、なら清はどうなのよって事になるし。

 ちなみに今の中華人民共和国の領土に最も近いのは、やはり清帝国だったりする。この末期、マカートニー率いるイギリス使節団に乾隆帝が与えたイギリス国王宛の二通の上諭に、中華思想の真髄が現れている。

イギリス国王の「恭順の誠」に満足の意を示すとともに、「地大物博」の天朝は自給自足で本来貿易を必要としないが、相手国のために恩恵として貿易をしてやるのだ

 と、見事な上から目線だ。ここまで自国に誇りを持つこと自体は構わないと思うんだが、裏づけとなる軍事力がなかったんだよなあ。なまじ帝国として東アジアに君臨していたために危機感を抱けなかったんだろう。逆に島国として常に大陸の圧力を感じていたのが、日本には幸いしたのかも。

 後半で孫文が出てくるあたりから、日中関係の複雑さを実感してしまう。中国の現代史では欠かせない孫文は、日本に留学していた。孫文に限らず、当時のリーダー層で日本に留学していた人は多い。つまり知日家が揃っていたんだが、外交的には決して親日じゃない。このあたりは、もう少し掘り下げた本を読む必要がある。

 現代の記述では、イデオロギーの変遷に納得してしまう。今までの共産主義が民衆に通用しなくなってきた、そこで代わりに持ち出したのが愛国主義だ、と。こんな風に政策の転換でイデオロギーを持ち出さにゃならんのも大変だよなあ、とは思うが、愛国なら大概の政策は理屈をつけられるわけで、便利なシロモノではある。

 なんといっても、一巻で完結しているのがこの本の嬉しいところ。しかも古臭い人物中心の史観ではなく、制度や財政や産業が中心なのも私の好みに合う。とりあえず手軽に中国の歴史の全体像を掴むには格好の本だろう。とまれ、手軽と言ってもハードカバーで500頁を超えちゃうあたりは、さすが中国。

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2015年9月11日 (金)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 未来へ 4」電撃文庫

いかん、いかん……! 深刻な顔をしているソックスハンターなど、人間失格タイ。む、ハンターの本能も衰えてきとる。

【どんな本?】

 2000年9月28日に発売された SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。プラットフォームの限界を超えた野心的なシステムの開発は予算を食いつぶし、宣伝費ゼロというゲームソフトにあるまじき状況での登場となった。

 だがその練りこまれた設定と絶妙のゲーム・バランス、奥行きのある世界観と個性的なキャラクター、そしてプレイヤーのスタイルによって千変万化するゲーム・システムは一部の者を強力に惹きつけ、第32回(2001年)には星雲賞メディア部門を受賞する。

 その後もファンの熱は覚めやらず、中古市場でも新品とほとんど変わらぬ価格を維持し続けた。2010年にはPSP用のアーカイブで復活し、2015年9月の今でもニコニコ動画にはゲームの実況動画が次々と登録され続けている。

 榊涼介の小説は、そのノベライズとして2001年12月15日発売の短編集「5121小隊の日常」から始まる。

 ゲームの主要登場人物である5121小隊の面々を主体とした青春群像劇であり、少年たちの成長物語であり、また少年兵の戦場生活を描いた作品として始まったシリーズは2004年10月25日発行の「九州撤退戦」までゲームと同じ物語を綴り、「山口撤退戦」より榊オリジナルのストーリーで再開、今日まで続く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年9月10日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約274頁に加え、著者あとがき2頁+きむらじゅんこのあとがき?1頁。8ポイント43字×18行×274頁=約212,076字、400字詰め原稿用紙で約531枚。文庫本としては標準的な分量。

 文章はあまりライトノベル的なクセもなく、読みやすい。内要は素直に前巻の「未来へ 3」から続く。今回は阿蘇周辺から熊本・大分・宮崎の県境を中心に物語が進むので、そのあたりの地図があると、より楽しめる。

 長いシリーズでもあり、設定は壮大で、登場人物も多い。この巻から読み始めるのは厳しいだろう。理想を言えばシリーズ開幕編の「5121小隊の日常」か、時系列で最初になる「episode ONE」から読み始めるのがいい。気の短い人は、「未来へ 1」の冒頭に世界設定と物語の概略が載っているので、そこから読み始めてもいいだろう。

【どんな話?】

 1945年、第二次世界大戦は意外な形で終結する。月と地球の間、24万kmの距離に出現した黒い月、そして人類を狩る幻獣の登場である。圧倒的な数を誇る幻獣はユーラシア大陸を席巻、人類は南北アメリカ大陸とアフリカ南部、そして日本に追いつめられた。

 1998年、幻獣が大挙して九州西部に上陸。自衛軍はからくも撃退したものの、戦力の大半を失う。1999年、日本政府は二つの法案を可決する。幻獣の本州上陸を阻止するための熊本要塞の戦力増強、そして14歳から17歳までの少年兵の強制召集である。少年兵で時間を稼ぎ、その間に自衛軍を再編する予定だった。

 1999年3月、海軍陸戦隊中尉の善行忠孝を中心として5121独立駆逐戦車小隊が発足。他部隊の持て余し者や新兵を集め、その能力が疑問視されていた二足歩行の人型戦車・士魂号を主力とする部隊である。捨て駒と思われていた5121小隊は戦闘を重ねるごとに成長し、やがて他部隊からも頼りにされる部隊へと変身を遂げてゆく。

 だが圧倒的な数の幻獣に軍は抗しきえず、逃げるように九州から撤退する。しんかりを務めた5121小隊は多数の学兵を救うものの、取り残された兵も多かった。続く本州上陸の阻止・九州奪還・東北防衛そして北海道と5121小隊は転戦を続けた後、北米に渡りボストン・ロサンゼルスでも活躍すると共に、政治的な嵐も巻き起こしてしまう。

 日本に帰国した5121小隊は、懲罰として熊本に派遣された。先の戦いで亡くなった将兵の遺骨を収集せよ、と。懐かしい熊本に戻った5121小隊は任務に励むが、奇妙な事実に気づく。無人のはずの熊本に、幾つもの人影があるのだ。偵察と捜索により明らかになった事実は、意外なものだった。

 複数の集団が、隠れるように熊本で暮している。

【感想は?】

 2015年4月10日刊行の予定が何度か延び、ファンをやきもきさせた第4巻が、遂に発売となった。

 発売延期で嫌な予感がしたものの、帯の表には「小説シリーズ完結」とある。今までのお話の展開から考えて「こりゃホライゾンを越えるサイコロ本になるか」と期待したが、書店で本を見ると標準サイズ。どうななっとんじゃ、と思ったら帯の裏にはこうあった。

「あと少しだけでも、何とかしたかった……!」

 実際、そんな感じで終わってしまった。数度の発売延期や著者のあとがきから考えて、オトナの事情があるらしい。ゲームも権利関係でリメイクできないし、どうにもガンパレというのはファンに愛されるものの、ビジネス面では呪われたコンテンツらしい。なんでこんなモンに惚れこんじゃったんだろうなあ。

 さて、お話は、最終巻に相応しくオールスター・キャストで展開する。

 中でも私が喜んだのは、イエロー・ヘルメットでデンジャー・ゾーンを踏破する、熱血お騒がせ突撃レポーターの桜沢レイちゃん。登場時こそ東京でクダまいていたものの、ネタのにおいを嗅ぎつけたら最後、あらゆる障壁を潜り抜け現場へと向かう特攻精神は映像ジャーナリストの鑑。

 当然ながら、この巻でもユニフォームのミニスカ・スーツを身に纏い、分厚い壁へと食って掛かって行く。彼女を主役に新シリーズを書いてくれないかなあ。せめて短編集だけでも。ミニスカスーツのナイスバディ、ワンポイントはイエローヘルメットの突撃レポーター、絵的にも映えるし正確も強烈、ライトノベル市場で充分にイケるネタだと思うけど、どうかな?

 もちろん、レイちゃんが出るとなれば、そのオマケにも出番は回ってきて。にしても、お邪魔虫は酷いw

 やはり笑っちゃったのが、山口防衛戦でも活躍したお馬鹿化け物兵器。やはり一つの能力だけに賭け、バランスを一切考えずに突き抜けたシロモノというのは損得抜きで熱狂的なファンがつくもので。にしても海峡を越えられるんだろうかw

 懐かしいキャラで最初に登場する、あの目つきの悪い支配人は、なんとイラストつき。いやイラストの主役は違うんだけど。つか、あんな目つきで「いらっしゃいませ」とか言われてもなあ。タチ悪い客のクレーム対応なら巧く捌けるかもしれんが、あまり表には出ない方がいいと思う。でないと、経営母体を疑われるぞ。

 今回は戦闘がエキサイトしてゆくために、 自衛軍も次々と懐かしい面々が登場してくる。九州奪還ではええトコなしだった閣下も、この巻では軍人としての貫禄たっぷりな役どころ。彼と高山の会話はいかにもありそうなだけに、政治制度の是非まで考え込みたくなる。

 一般に組織では現場を離れ指揮系統の上位に行くほど危機への認識が甘くなる傾向がある。多くの国家じゃ軍は政府の指揮下に置かれるため、戦場の経験がない政治家が軍事戦略に口を出してくる。だからと言って、軍人が政治を牛耳ると、軍事独裁に陥って窮屈な世の中になってしまう。

 この辺のバランスの取り方を考えたお話の代表がR・A・ハインラインの「宇宙の戦士」で…って、関係ないか。

 もう一人の閣下も相変わらずの派手好きなキャラクターは変わらず、ちょっと安心しちゃったり。なんとか組織の力で椅子に縛り付けてはいるものの、事あるごとに外の空気を吸いたがる癖は治らぬ模様。いい加減、自衛軍も愛機を取り上げちゃえばいいのにw

 レギュラー陣では、対人戦闘とあって、若宮と来須が大活躍を続ける。意外?な事に、イワッチの出番も結構あったり。しかし隅っこで何やってるのかと思ったら。

 など、続々と人物が集結し、世界の謎が明かされ、決戦の準備が整った…と思ったら。これでは星雲賞の候補に挙げられないじゃないか。ちなみにワシントンの事情は「5121小隊帰還」の297頁で変わる事が予告されてます。ある意味、人類の尊厳に関わる情勢になるわけで、果たしてそんな世界がいいのかどうかw

 長く続いたシリーズだけに、名残惜しすぎる。なんとかスピンオフの短編集で繋ぎ、シリーズを続けて欲しいところ。

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2015年9月 9日 (水)

月村了衛「機龍警察 火宅」早川書房

自分は誰よりもよく知っている。名もない子どもの葬儀は、王の葬儀よりも深い悲しみに満ちたものであるということを。
  ――済度

「そもそもなんで特捜が出張ってんだよ、あ? おまえらみたいな寄せ集めの素人に何ができる。事案が事案なんで、こっちも慎重にやってるときに、勝手にかき回されたら全部台無しなんだよ。 え、分かってんのか」
  ――化生

【どんな本?】

 アニメの脚本などで活躍した月村了衛による、近未来を舞台とした警察ハードボイルドSFシリーズ「機龍警察」の短編集。「宇宙の戦士」のパワードスーツを思わせる二足歩行兵器・機甲兵装が普及した時代。機甲兵装による犯罪に対処するため、警視庁が設立した特捜部 SIPD の活躍と苦悩を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年12月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約237頁。9ポイント45字×19行×237頁=約202,635字、400字詰め原稿用紙で約507枚。長編小説なら標準的な文庫本一冊分の分量。

 警察物だけにおカタい表現が多いが、文章そのものは意外とこなれていて読みやすい。出てくるSFガジェットは機甲兵装と龍機兵(ドラグーン)ぐらいで、これは小型(高さ3m)程度のパトレイバーと思ってくれていい。ただし登場人物の背景や世界設定は詳しく語られないので、一見さんはシリーズ開幕の「機龍警察」から読む方がいいかも。冒頭に登場人物一覧があるのがありがたい。

【どんな話?】

 ヒトが搭乗して操縦する、身長3m程度のロボット兵器・機甲兵装が戦場で活躍する近未来。凶悪化・国際化する機甲兵装による犯罪に対処するため、警視庁は独特の機甲兵装である龍機兵=ドラグーンを擁する特捜部 SIPD を発足させる。トップの沖津が他官庁出身であり、龍機兵の搭乗者も「傭兵」であるなど、異例ずくめの特捜部は警察内でも白眼視され…

【収録作は?】

 各作品は独立しているので、どこから読んでもいい。/ 以降は初出。

火宅 / ハヤカワミステリマガジン 2010年12月号
 特捜部の捜査班の双頭の一人、由紀谷志郎警部補は、かつての上司・高木政勝を見舞う。由紀谷が高輪署の刑事課捜査員を拝命した時の主任が、高木だった。高木は叩き上げのベテランで、地道に捜査する姿勢は同僚から評判が良かったが、要領が悪いためか出世は遅く…
 見事にSF色のない短編。日本の組織にありがちなパターンで、キャリアとノンキャリアの溝がハッキリしている警察の体質を浮き彫りにすると共に、警察の中でハブられている特捜部のポジションを印象付ける作品。組織の中で働いていれば、同僚には気の合う者も合わない者もいるわけで、目をかけた後輩が育っていくのは、やっぱり嬉しいもんです。
焼相 / 小説新潮 2013年8月号
 トラックを襲った機甲兵装は、児童教育センターに立て篭もる。折り悪く施設には見学の小学生児童が訪れており、児童・教職員・施設職員など多数が人質として監禁されてしまう。犯人二人は大量の爆薬を所持し、しかも一人は重度の薬物中毒で…
 こちらは一転して、ドラグーンが大活躍する作品。特にライザ・ラードナーが駆る死神「バンシー」が決定的な役割を担っているのが嬉しい。いやユーリ・オズノフの「バーゲスト」も頑張るんだけど。背中を丸めモニターをにらみながらチマチマと操作するユーリの姿を想像すると、緊張感漂う場面でもちょっと笑ってしまう。
輪廻 / ハヤカワミステリマガジン 2011年11月号
 西新宿で、奇妙な取り合わせの男四人が話し合っている。一人はムサ・ドンゴ・デオブ、ウガンダのLRA(神の抵抗軍)の武器調達幹部の一人だ。もう一人は密輸商崩れのアメリカ人ジョン・ヒックス。もう二人は台湾の武器密売組織「流弾沙」のメンバーで…
 神の抵抗軍LRAでピンと来た人には、ご想像通りのお話。Wikipedia はある意味ネタバレなのだが、この作品の読了後にでも是非読んでいただきたい。デオブの境遇は決して誇張ではない。装甲兵装を自動小銃AK-47シリーズに変えれば、現在起きている事そのままだ。AKの主な出所の一つは北朝鮮と言われ、貴重な外貨収入源となている模様。
済度 / 読楽 2013年5月号
 北アイルランドのテロ組織IRFから逃げ出し、ベネズエラの港町サン・リベルラに流れ着いたライザ・ラードナー。掘っ立て小屋のような飯屋でボンヤリしていた彼女に、銃を持ち殺気だった男たちが絡んできた。「妹はどこだ」
 行きがかり上とはいえ、死神ライザちゃんに絡むとは運の悪い奴らだ、とチンピラどもに少し同情したくなる。S&W M629Vコンプを Wikipedia で見ると“「対人用」として使用するには威力が大きすぎる”って、おいw 主役がライザちゃんなのでわかるとおり、「自爆条項」と関係が深い作品。
雪娘 / SFマガジン2011年11月号
 雪が積もる朝、ユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフ警部は墨田区の殺人事件現場に向かった。自動車工場を買い取り、装甲兵装の改造工場に仕立て上げた。被害者はアレクセイ・イワノヴォッチ・ゴルプコフ、工場の所有者だ。凶器は長さ1m直径3cmほどの鉄棒、腹に突き刺さっている。
 元はロシア警察にいたユーリが主役を務める作品。今は龍機兵の搭乗員として傭兵扱いされているユーリの、警官への未練が伝わってくる。これも主役つながりで「暗黒市場」と関係のある作品。
沙弥 / 読楽2013年10月号
 由紀谷志郎の母、静江の葬儀はこじんまりとしたもので、東京で警察官をやっている叔父の岩井信輔が全て手配してくれた。父の純夫は幼い頃に家を出ている。荒れた由紀谷は高校でも恐れられており、つるんでくるのは福本寛一ぐらいだ。その福本が言う。「俺はな、警官になりたい思うんよ」
 色白で物静か、陰のあるイケメン由紀谷の意外な過去を語る作品。予算やら権限やらで関係省庁との折衝も多いキャリア組ならともかく、現場で悪党どもとやりあうノンキャリアだと、こういう経歴が役に立つのかもw
勤行 / 小説屋sari-sari2014年12月号
 特捜部理事官の宮近浩二は、朝の出掛け、妻に釘を刺される。「明日は久美子の発表会だから」。小学校二年生の娘のピアノ発表会の事だ。特捜部に来て以来、深夜勤務や休日出勤の連続で、娘との約束も破ってばかり。折り悪く特捜部は暴力団の抗争事件に大忙しで…
 山口組の分裂騒ぎで物騒な今こそ、とってもタイムリーな作品。前途洋々なキャリア官僚・宮近理事官を主役に、忙しく働くお父さんの悲哀を描く。仕事に折衝にと、同じ理事官の城木とのコンビネーションも見事なもの。特捜部の中ではイチャモンをつけるイヤミな役どころの宮近さんが、少しだけ可愛く見える作品。
化生 / NOVA+バベル書き下ろし日本SFコレクション 2014年10月刊
 吉祥寺のマンションで中年男が自殺した。経産省の情報通信機器課の課長補佐、平岡嘉和42歳。現在、大手商社の海棠商事をめぐる疑獄事件の重要参考人と目されている人物だ。捜査に乗り出した特捜部捜査班の主任の夏川大悟は、強行犯を扱う捜査一課および知能犯を扱う捜査二課と現場でぶつかり…
 知的で陰があり色白の由紀谷主任は、この短編集をはじめシリーズ中で何かと登場場面が多いのに対し、不憫なのが一見わかりやすい体育会系の夏川主任。という事で、珍しく夏川主任が重要な役割を果たす短編。といっても何かとコキ使われた挙げくにタカられたりw でも、この短編集の中ではガジェットが重要な役割を果たすなど、最もSF味の濃い作品だったりする。

 アクションSFと警察小説を合体させ、世界の軍事・紛争情勢を取り込んだシリーズの中では、比較的にSF色が薄く警察小説の色が濃い作品集だった。ちなみにシリーズ次回作の執筆も着々と進んでいる模様。

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2015年9月 8日 (火)

クリス・マクマナス「非対称の起源 偶然か、必然か」講談社ブルーバックス 大貫昌子訳

 この本では、さまざまな分野から、非対称性の問題を解決できるような証拠を探していくことにしよう。それは決して容易なことではないが、きっと物理学や生物学、認知科学、さらに社会学的世界に隠れた多くの狭間に、私たちを導いてくれるにちがいない。
  ――第1章 ワトソン博士の難問題

【どんな本?】

 ヒトの心臓は左にあるが、ごく稀に右にある人もいる。内臓逆位と呼ばれ、一万人に一人ぐらいの割合だ。対して、左利きの割合はもっと多い。左利きと言っても様々で、字を書く・モノを投げる・歯を磨くなど、動作によって使う手が違う人もいる。言語機能は左脳にある人が多いようだ。

 では、イヌやネコにも利き手があるのだろう? 利き手は遺伝で決まるのだろうか?

 右と左に違いは、分子にもある。生物の体を構成するアミノ酸には、分子式は同じでも配置が鏡像になっているL型とD型がある。生物が使うアミノ酸の大半はL型で、薬などではL型とD型で薬効が全く違う。

 なぜ生物はL型を好むのだろう? これは心臓の位置や右利き・左利きと関係があるんだろうか? そもそも、なぜ利き手があるんだろう?

 心臓の位置や利き手など主にヒトの右と左の問題を中心に、アミノ酸のキラリティなど化学の話題から、交通ルールの右側通行・左側通行など社会の話まで、左と右に関わる多くの分野のエピソードを集めた、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Right Hand, Left Hand , by Chris McManus, 2002。日本語版は2006年10月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約450頁。9ポイント43字×17行×450頁=約328,950字、400字詰め原稿用紙で約823枚。文庫本の長編小説なら二冊に少し足りない程度の分量。

 文書は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。重要な主題の一つは遺伝学で、メンデルの法則が分かれば問題ない。贅沢を言えば、本人が左利きか、または野球やテニスなどで左利きの相手と対戦した経験があれば更によし。

【構成は?】

 各章は穏やかに関係しているので、できれば頭から読もう。

  •  はじめに/謝辞
  • 第1章 ワトソン博士の難問題
  • 第2章 右手は左手より優れているのか
  • 第3章 右と左の意味論
  • 第4章 右と左の起源
  • 第5章 心臓はなぜ左にあるのか
  • 第6章 アミノ酸は左利き
  • 第7章 右と左を決める遺伝子
  • 第8章 脳の非対称性
  • 第9章 言語に特化した左脳
  • 第10章 利き手と社会
  • 第11章 左利きの苦悩
  • 第12章 人すべて対称なり
  • 第13章 壮大にして微小なる我が宇宙
  •  訳者あとがき/さくいん

【感想は?】

 心臓が右にある内臓逆位は、漫画「北斗の拳」で知った。

 ネタかと思ったが、あれは本当だったのだ。だいたい一万人に一人ぐらいの割合らしい。ところが、内臓逆位の人で左利きの人の割合は、そうでない人と同じぐらいだとか。

 ここで「左利き」という言葉を使ったが、実はこれも結構あいまいらしい。本書には、利き手の傾向を調べる試験が出てくる。字を書く・絵を描く・ボールを投げるなど10個の動作について、それぞれ右と左どちらの手を使うかを答えてゆく。利き手とは絶対的なものではなく、グラデーションをなすものらしい。

 個人的にギクリとした部分もある。こんな質問だ。

「左右を一瞬に識別しなくてはならないとき、困難を感じる」
1)いつも 2)しばしば 3)ときどき 4)めったに 5)決して

 実は私、しばしば迷うのだ。今でも「お箸を持つ方」と頭の中で考えている。内心、恥ずかしいと思っていたが、この本で自信がついた。ミシガン州立大学の教授364人にアンケートを取ったら、こんな結果になったとか。

1)いつも:2% 2)しばしば:6% 3)ときどき:11% 4)めったに:36% 5)決して:45%

 どうも、ヒトは右と左を識別するのが苦手らしい。この章にはちゃんとオチがついている。ワトソンとクリックが見つけたDNAの二重らせん構造、あれはたいていが右巻きなのだが、「サイエンス」誌1990年の会員申し込み用カードの挿絵のDNAは左巻きだった。天下のサイエンス誌でも間違えるのだ。

 でもこれ、サッカーや野球などの運動選手に聞いたら違うかもしれないなあ。

 これが分子の世界になると、奇妙な事に生物の中ではL型アミノ酸が極端に優勢になる。なぜそうなのかは、今の所は決定的な根拠はないらしい。これは地球上だけでなく、隕石でも同じらしいので、パンスペルミア説(→Wikipedia)が有利か…

 と思ったら、地球の生物の起源について、想定外の仮説まで飛び出してきた。藤崎慎吾が好きな人なら、思わずガッツポーズしちゃう所かも。

 などと難しい科学の話の後、再び話題は右利きと左利きの話に戻る。どの国でも右利きが多数派なのだが、比率は国と世代によって違うのだ。1986年のナショナル・ジオグラフィック誌の調査だと、米国では1900年代生まれの左利きは5%未満だが、1950年代生まれは10%~14%まで増え、以降はほぼ横ばいになっている。

 一般に、どの国でも左利きは苦労する。例えば、今、私の目の前にあるキーボードもマウスも右利き用だ。アニメ「けいおん!」でも、左利きのベーシスト秋山澪ちゃんは楽器を探すのに苦労していた。ポップ・ミュージックではポール・マッカートニーやジミ・ヘンドリクス、甲斐よしひろなど左利きのプレイヤーもいるが、オーケストラではまず無理だ。

 もっと物騒な話では、昔の軍によくある、歩兵が密集した隊形などは、すべての兵の利き手が揃っていないと具合が悪い。

 という事で、左利きを無理やり矯正しようとする圧力が、世の中にはある。先の統計の原因は、社会的圧力のためなんだろうか? それ以前に、そもそも、右利きと左利きは、遺伝によるものなのだろうか?

 などの疑問に答えるため、この本では国ごとの違いや、イヌ・ネコ・ゴリラ・チンパンジーからヒキガエルまで様々な動物の利き手、また両親の利き手までデータを集め、遺伝と社会的圧力の関係を調べてゆく。オーケストラの項では、意外なデータが飛び出してきたり。

 分子から利き手、そして交通ルールまで様々なスケールで右と左の優先度を調べ、そのルーツを探ってゆく。ただ、残念ながら、その解の多くは仮説だったり「よくわからない」だったりする。それがモヤモヤする部分でもあり、先端科学の面白さでもあり。

 ハッキリした解答が欲しい人より、面白い問いが欲しい人向けの本だろう。

 どうでもいいが、左利きと聞いて、あなたはどんな歌を連想しますか? ピンクレディーの「サウスポー」(→Youtube)? 麻丘めぐみの「私の彼は左利き」(→Youtube)な人はいるかな?

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2015年9月 7日 (月)

グレッグ・イーガン「ゼンデギ」ハヤカワ文庫SF 山岸真訳

「わたしいたちは新しい種類の世界の入口にいるんです」ハルーンはいった。「そしてわたしたちには、その世界をきわめてすばらしいものにするチャンスがある。けれど、自分たちがいまこの時に立っている場所を忘れて、前方に持つ驚異を見つめることばかり明け暮れていたら、わたしたちはつまづいて、顔を地面にぶつけることになるでしょう。何度も何度も」

【どんな本?】

 「白熱光」で遠未来を舞台に硬派なサイエンス・フィクションでファンを圧倒したグレッグ・イーガンが、近未来を舞台に現代の先端科学の延長にある技術をテーマに、テクノロジーと倫理の問題を追及した長編SF小説。

 イスラム体制からの脱却を目指すイランを舞台に、ヒトの行動メカニズムの一部をシュミレートする人工知能技術を巡り、取材で訪れたイランに住み着いてしまうオーストラリア人ジャーナリストや、アメリカに亡命したイラン人研究者などが繰り広げる近未来のドラマを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ZENDEGI, by Greg Egan, 2010。日本語版は2015年6月25日発行。文庫本で縦一段組み本文約543頁に加え、著者あとがき2頁+訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×543頁=約400,734字、400字詰め原稿用紙で約1002枚。上下二巻でもおかしくない分量。

 文章は比較的にこなれている。イーガンにしては異様なまでに読みやすい。いやあくまでも「イーガンにしては」だけど。舞台がイランのためか、二重否定を使った独特のセンスのユーモラスな台詞が多いので、そこが少しひっかかる人もいるだろう。SF的には肝心の技術「サイドローディング」が、少々ややこしいかも。あと、イスラム革命以降のイランの現代史を知っていると、楽しく読める。

【どんな話?】

 2012年。オーストラリア人のジャーナリスト、マーティンはイラン駐在が決まった。イラン市民のイスラム体制への不信と不満が高まりつつある中、監督者評議会のメンバーのスキャンダルが発覚し、公正な選挙を求める市民の声は更に大きくなってゆく。

 父親を処刑され、母と共にアメリカに亡命した研究者のナシムは、綿花鳥の雄の鳴き声を自動生成する研究をしている。綿花鳥それぞれの個体の鳴き方は違うが、どの個体も綿花鳥の声で鳴く。では、「綿花鳥の声だが、どの個体とも違う声」は、どうすれば生成できるんだろう?

【感想は?】

 イーガンの倫理感が強く出た作品。

 テーマはサイドローディングだが、その前に。舞台が近未来のイラン、というのが仕掛けとして面白い所。取材でイランを訪れただけあって、バルチスタンの不穏な情勢など政治情勢なども巧く盛り込んでいる。

 頭の1/3ぐらいは現在のイランを舞台に、イスラム体制の崩壊を取材するジャーナリストの目で描いてゆく。

 1970年代のイランはパーレビが王として君臨する親米国だった。イスラム嫌いのパーレビは欧米の文化を積極的に取り入れるが、はびこる腐敗や市民への弾圧に王とその支持者であるアメリカに対する市民の不満は高まり、1979年1月にパーレビは国を追い出されてしまう(→Wikipediaのイラン革命)。

 革命勢力は社会主義者・民族主義者そしてシーア派のイスラム主義者など多くの政治勢力による寄り合い所帯だったが、イスラム主義者の青年たちが起こしたアメリカ大使館人質事件(→Wikipedia)をきっかけにイスラム主義が大きな支持を集め、最高指導者ホメイニを頂点とする硬直したイスラム主義国家体制となる。

 現在のイランはマヤカシの民主主義で、最高指導者が指名するイスラム法学者などで構成する監督者評議会が承認した候補者だけが選挙に出られる。そのため、現在のイスラム民主主義体制に異を唱える者は、選挙に出られない仕組みだ。

 市民はもちろん、イスラム法学者にも、この仕組みを好まない人がいて、イランでは事あるごとに騒ぎになっている。中には現在の権力者たちを評して「革命を盗んだ」と言う人もいたり。

 そんなわけで、年配者は昔の開放的な時代を知っているし、インターネットで欧米の文化に触れた若者はイスラム主義に飽き飽きしている。イランはちょっと複雑な世代構成になっているわけ。

 ペルシャ湾の対岸サウジアラビアはスンニ派であり、国境を接するイラクは世俗的なバース党が支配する社会主義体制だ。シーア派によるイスラム革命の輸出を目論むイランは頭痛の種である。そのため1980年、誕生間もないイランは早速危機に陥った。アラブの盟主を目指すサダム・フセインが侵攻してきたのだ(→Wikipediaのイラン・イラク戦争)。

 近代的な装備を誇り、また米ソ両大国の支援を得た軍事大国イラクに対し、革命間もないイランは苦戦するが、革命の折に亡命した軍人も祖国の危機に帰国し従軍するなど、多くの国民が身を挺して国を守り、被害は大きく長期化はしたものの国家防衛には成功する。イランにとっては誇らしい戦争だ。

 この作品に出てくるオマールの父モーセンも、恐らくこの戦争に従軍し負傷したと思われる。病院でモーセンが順番を譲られる場面があるが、それは救国の英雄に対する市民の敬意の表れだろう。

 バジシは革命防衛隊(→Wikipedia)の民兵で、ぶっちゃけ嫌われもの。昔はともかく、今は権力と武力をカサに、強請りタカりを生業とするチンピラと市民から目されている。小金を持っていそうな家に押し入ってCDなど欧米文化の物を見つけてはイチャモンをつけ、小遣いをねだるゴロツキという位置づけ。

 などと国民からは嫌われちゃいるが、保守派にとっては大きな支持層だし、失業者を吸収するのに役立つので、イラン国内ではブイブイいわしてる困ったちゃんだ。

 そんなわけで、現代のイランの体制はシーア派の原理主義的だけど、市民の考え方は色々だったりする。一般に偶像崇拝を嫌うイスラム教だが、イランのシーア派は違って、過去の聖人を描いた絵が人気を博してる。特に人気が高いのはシーア派の初代イマームのアリー(→Wikipedia)で、これもちゃんと作中に出てくるあたり、シッカリ取材してるなあ。

 フランクな欧米人に対し、謙虚をよしとするイランを表す場面は随所にあって、日本人としてはちょっとイラン人に親しみを感じるところ。典型的なイラン人の役を割り振られるオマール一家は、昭和の日本人の印象に近かったり。偏見はあるけど、情に厚く、家族と友人を大事にする、いい人たちとして描かれる。

 ってな保守的な文化が残るイランに、人間をシュミレートする最新技術が入ってきて…

 ヒトの脳を完全にスキャンしてデジタル化し、コンピュータに「アップロード」する、なんてアイデアは最近のSFじゃ常識になった。だが、現代の技術じゃ量的にも質的にも能力が足りない。デジタル化する際のミスで情報が損なわれる例を、この作品ではLPレコードを取り込むエピソードで紹介しているが、私は某超音波声優(→Wikipedia)を思い出した。

 この作品に出てくる技術は過渡的なもので、人間の能力の一部だけをデジタル化しようとするもの。極論すると賢い初音ミクかな?ただしボーカロイドは声そのものをデジタル化しているのに対し、作品中の技術は声を出す際の脳の働きをデジタル化しましょう、というもの。肺や声帯は物理エンジンでエミュレートすればよろしい。

 タイトルのゼンデギは、その技術を用いて作った没入形オンライン・ゲームのプラットフォーム。雰囲気、ソードアート・オンライン(SAO)みたいなモンだが、SAOは一ゲームにつき世界が一つなのに対し、ゼンデギはサーバ側に様々な世界が用意してある。また、SAOは端末が家庭向けなのに対し、ゼンデギは端末をゲームセンターに置く。

 この端末が実に大掛かりで、確かに家庭には置けない大変なシロモノ。実際、没入型のゲームを作るとすると、キャラクターに伝える細かい動作や、逆にゲーム内でキャラクターが感じる感覚などをプレーヤーに伝えるには、高価で複雑な装置が必要だから、現実に没入型のゲームを市場に投入するなら、家庭用よりゲームセンターが最初になるだろうなあ。

 既に現代でも、自動的にTwitterで呟くボットは登場しているけど、アレは一方的に呟くだけ。人工無脳なんてのもあるけど、多くは限られた文脈でしか会話が成立しない。などとヒトのフリをするのは、なかなか大変。でも、ほぼ完全にヒトのフリができるシロモノが現れたら…。ダック・テスト(→Wikipedia)に曰く

ある鳥が鴨のように見え、鴨のように泳ぎ、鴨のように鳴くならば、それはたぶん鴨である。

 なら、ヒトのように振舞うソフトウェアは、ヒトとして扱うべきなんだろうか。現代は、その境地に近づきつつあるし、やがて軋轢も出てくるだろう。その軋轢が現れる舞台として、敢えて欧米とは異なる倫理感が支配的なイランにフォーカスし、人類としての解を問いかける問題作だ。

 イーガン作品にしてはとっつきやすいので、より広い人々に読まれて欲しいと思う。

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2015年9月 3日 (木)

スマイリーキクチ「突然、僕は殺人犯にされた ネット中傷被害を受けた10年間」竹書房文庫

「そういう、どうでもいいことにこだわっている話をブログでやったらおもしろいと思いますよ」
  ――第二章 謎の本

不思議なことに匿名の人ほど他人に対するマナー、道徳に厳しいように感じる。
  ――第五章 重圧、そして新たなる敵

【どんな本?】

 1988年、東京都足立区で凶悪な少年犯罪が起こる。多数の少年が一人の被害者を玩具のように扱い殺したのだ。1999年、インターネット上で噂が広がる。「お笑い芸人のスマイリーキクチは、この事件の犯人の一人だ」と。根も葉もないデマである。

 だが、このデマを信じこんだ者たちがいた。彼らはYahoo!知恵袋や2ちゃんねるなどの大手サイトから、スマイリーキクチが所属する事務所の電子掲示板、はては個人のブログに至るまで、様々なサイトで執拗にデマを広げようとする。中には脅迫まがいの文章もあった。

 10年間、インターネット上のデマに苦しんだ著者が、インターネットとの出会いからデマの渦中にいる者の気持ち、そして法的手続きや事件予防のノウハウに至るまでを日記形式で綴ったドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年3月に竹書房より単行本で刊行。私が読んだのは2014年4がつ3日に初版第一刷発行の文庫版。文庫本縦一段組みで本文約337頁に加え、ジャーナリスト江川紹子による解説7頁。9ポイント38字×17行×337頁=約217,702字、400字詰め原稿用紙で約545枚。長編小説でもちょうど文庫本一冊分ぐらいの分量。

 ハッキリ言って、文章は拙い。が、わかりやすく親しみやすく読みやすい。具体的には、比喩が少なく文が短い。つまりはカッコよく賢そうに見せるのをスッパリ諦めて、わかりやすさと親しみやすさを最優先した文章だ。内要も特に難しくない。このブログを読める程度にインターネットを使える人なら、充分に読みこなせる。

 なお、インターネットの技術に詳しい人の目から見ると、一部に技術的に不正確な部分がある。例えばIPアドレスの意味でIPという言葉を使ってたり。これにより技術的な正確さが損なわれる反面、技術に詳しくない者にとってはわかりやすく親しみやすい文章になった。どっちがいいかは意見が分かれる所だろう。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

 はじめに
第一章 突然の誹謗中傷
第二章 謎の本
第三章 ひとすじの光明
第四章 正体判明
第五章 重圧、そして新たなる敵
第六章 スゴロク
 特別付録 ネット中傷被害に遭った場合の対処マニュアル
 加筆追加付録 目まぐるしく変わるネット社会
 あとがき/解説 江川紹子

【感想は?】

 季節的には遅いが、中学生の夏休みの感想文の題材にはいい素材じゃないだろうか。

 私はブログで記事を書いているし、2ちゃんねるにも名無しで出没している。被害者・加害者どちらにもなり得るので、両方の立場で読んだ。

 インターネットを使う身としては、冒頭から引き込まれた。話は著者が2ちゃんねるに触れた所から始まる。この時、著者はインターネットも2ちゃんねるも知らない。そのため、結構ピンボケな反応をしている。2ちゃんねるのデフォルトのハンドルを固有の名前だと思い込むあたりは、不謹慎と思いつつも笑ってしまった。

 しょうもないデマやなりすましの投稿に悩む著者。最悪の出会いのため、「ネットは気持ち悪いやつが楽しむもの」と思い込んでしまう。

 こういったインターネットに対する思い込みや、特異なサイトを覗いた時の驚きを書いた部分は、私がパソコン通信に始めて触れた時の思い出が蘇ってくる。実は私も当初はパソコン通信に良くない印象を抱いていて、それは私が好きな作家の訃報が連続して流れてきたためだったりする。いや落ち込んだのよ、あの頃はマジで。

 私の場合はパソコン通信だが、多くの人がインターネットに始めて触れた時も、様々な形で驚きと戸惑いを感じた筈で、そういった気持ちを思い出させてくれる点でも、この本の冒頭は巧くできてると思う。

 やがて知人に勧められてブログに興味を持ち、様々な人の支援を受けつつ自分のブログを始める著者。そうなんだよなあ。「どうでもいいことにこだわ」るのが、ブログの面白い所で。なんであれ、暫く続けていると初心を忘れちゃうけど、「こだわり」こそがブログの面白さなんだよなあ。

 とはいえ、著者の本職は芸人であってネットワーク管理者ではない。聴衆を笑わせるのが仕事であって、ネットワークの運営や管理で報酬を得ているわけじゃない。という事で、ここでも色々とピンボケな対応をしていたりするのも、ちょっと可愛い所。そりゃコメントの扱いとか、最初はよくわからないよなあ。

 などとインターネットに触れて一喜一憂する著者の姿を、自らのトンチンカンな対応も正直に書いてるあたり、私は実に身につまされた。以後、著者はログを解析し検索を覚え削除依頼を出すなど、どんどんインターネットの使い方に詳しくなっていくのだが、その成長過程の記録としても楽しく読めたり。

 などと読んでるこっちは気楽なもんだが、当時の著者はかなりナーバスになっていて、日頃の生活や仕事にも影響が出てくる。

 なにせ書き込まれた文言が酷い。中には脅迫とも取れるものもあり、著者は身の危険まで感じるようになる。傍から見れば「気にすんな」で済んでしまうところだが、こればっかりは当事者の立場にならないとわかりにくいだろう。いや私もブログ炎上の経験はないんでよく分からないが、「多くの人から敵意を向けられる」のが、かなりシンドイのはわかる。

 こういった、陰険な噂話のネタにされる者の気持ちを、正直に綴っているあたりも、この本の読みどころであり、小中学生などのインターネットに触れ始める人たちに読んで欲しい所でもある。やってる側はちょっとした遊びのつもりでも、やられる側は大きなダメージを受けるのだ。

 そんな噂話に翻弄される者の気持ちと同時に、そういった苦労をしている者にとって、何が励みになるのか、苦しむ家族や友人に対し周囲の者に何ができるのかも、この本から読みとる事ができる。

 デマや脅しまがいの文言に困惑し、警察を含む様々な機関に相談するものの、当時はインターネットに詳しい者も少なく、決まり文句のように「インターネットをしなければいい」と言われるばかり。このあたりの事情は、流石に今は多少改善されているだろうけど、その改善のキッカケを作った功労者の一人は著者と言っていいだろう。

 幾つもの障害を越え、なんとか犯人たちは特定できたものの…。中には某社のセキュリティー部門の責任者もいて、職場のマシンから書き込んでいたというから、呆れるやら悲しくなるやら。

 セキュリティー担当でしょ。悪意のアクセスを防いだり、ファイアウォールを突破されたら対応する立場でしょ。HTTPサーバやプロキシサーバに履歴が残る事も知らなかったのかね。なんでそんな技術に無知な奴が責任者をやってられるの? そもそもこの国の人事制度は…などと言い出すとドス黒い感情が噴火するので止めておこう。

 他の犯人も様々ながら、やはり病気っぽい人もいたり。ハッキリした意図を持ってやってる人も怖いが、病気の人も怖いよなあ。でもって、犯人の全員が、デマの内容を全く検証していなかった、というのも怖い。

 「自分は知っている」と思うと、ヒトは検証しない。ヒトゴトのように書いちゃいるが、この私にも同じことが言える。2ちゃんねらの一人として、そしてブロガーの一人として、自分がデマを撒き散らしていないとは断言できない。まあ、この辺を深く追求していくと「じゃ、何が信用できるのか」みたな話になっちゃうんだけど。

 巻末の付録は、自らの経験を活かした上で、公的なサイトなどから得た情報も盛り込んだ、なかなかの力作であるばかりでなく、文庫本を出すにあたって LINE などの最新情報も盛り込んだ充実したもの。流行り廃りの激しい世界なだけに、できれば版を重ねる度に更新して欲しい所だが、2015年現在の資料としては充分に実用的な価値がある。

 ブログでも LINE でも Twitter でも Facebook でも、インターネットを使うなら、とりあえず読んでおいて損はない。小中学校で情報科目を教えるなら、副読本として採用してもいい本だと思う。

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2015年9月 2日 (水)

デイヴィッド・コーディングリ編「図説 海賊大全」東洋書林 増田義郎監修 増田義郎・竹内和世訳

 バッカニアとは、囚人、淫売婦、負債者、浮浪者、逃亡奴隷および奉公人たちからなる「あらゆる国の脱落者」であった。
  ――第6章 自由の国リバタリア――海賊のユートピア

 我々の居留地の近辺ですら、ひじょうにひんぱんにおこなわれる海賊行為は悪名高い…この地方の海図をちょっと見ただけでも、地球上でこれほど海賊が安全にうまく仕事をできる有利な場所はないということが誰にでもわかる。  ――シンガポールの輸出入登録官エドワード・プレイスグレイブ、1828年
  ――第9章 アジアの海賊

【どんな本?】

 昔からスティーブンソンの「宝島」やピーターパンのキャプテン・フックで知られ、最近では映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」や漫画「ワンピース」などで名前だけは有名な海賊。だが、その実態はどんなものだったのか。

 フランシス・ドレイク(→Wikipedia)は海賊あがりだが、英国では英雄として扱われる。ジョン・ポール・ジョーンズ(→Wikipedia)は、アメリカでは正規の軍人で合衆国海軍の英雄だが、少なくとも当時の英国では海賊として扱われた。倭寇の構成員の大半は日本人ではなかった。

 どのような者が海賊になったのか。なぜ海賊になったのか。どのような組織で、船上での生活はどのようなものだったのか。どんな船に乗り、どんな武器を使い、どのよう獲物を襲い、どれぐらいの利益を得たのか。いつごろから海賊が発生し、どんな海域に出没し、なぜ収束したのか。そして、現在でもソマリアやマラッカに出没する海賊の正体は何か。

 海賊が最も盛んで華やかだった16世紀~18世紀のカリブ海を中心に、大西洋・地中海・インド洋・太平洋など世界中の海に渡り、貴重な図版を豊富に収録して、海賊の実態を描いた一般向けの歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PIRATES, by David Cordingly, 1996。日本語版は2000年11月9日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約500頁に加え、訳者ノート3頁。8.5ポイント48字×20行×500頁=約480,000字、400字詰め原稿用紙で約1,200枚。文庫本の小説なら上下巻ぐらいの分量だが、書名に「図説」とあるとおり、図版を豊富に収録しているので、文字数は7~8割程度だろう。

 専門家が書いた本のためか、文章は少し硬い。だが内容は親しみやすく、特に前提知識は要らない。帆船の種類や構造・当時の銃や砲・当時の欧州史に詳しいと更に楽しめるが、必要なことは文中に書いてあるので、気にしなくてもいい。世界中の地名が随所に出てくるので、世界地図か Google Map があると、より迫力が増す。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。特に最初の「序章」は綺麗にまとまっているので、急いでいる人は序章だけを読めば全体の枠組みが理解できる。

  • 序論 デイヴィッド・コーディングリ
    海賊の生まれるわけ/私掠/財宝!/自由な生活/海賊業むかしといま/冒険とスリルの主人公たち
  • 第1章 スペインの黄金の誘惑 デイヴィッド・F・マーリ
    第一の波 ユグノーの私掠船/「無用の」島々との密輸交易/プエルト・リコにおける侵入者/襲撃と交易/報復攻撃/ハバナのフランス人/海賊は条約に調印しない/フロリダ植民地/第二の波 エリザベス女王の海賊たち/ホーキンズ、投資を成功させる/無礼な交易/ベラクルス沖の大失敗/ドレイクとスワン号/良き女王ベスウの海賊/カルタヘナのドレイク/第三の波 オランダの海の乞食たち/いかにスペインは交易の邪魔をしたか
  • 第2章 沿岸の同胞たち ジェニファー・G・マークス
    私掠船員からバッカニアへ/黄金のチャンス/レ・ブカニエ/トツトゥーガ「海賊たちの温床」/沿岸の同胞たち/エル・ポルトゲス/ロロノワ、南米北東部沿岸を震撼させる/スペインは瀕死の重傷を負っていた/バッカニア予備軍/国際的なバッカニア活動/ポート・ロイヤル バッカニア・ブームの町/ロッシュ・ブラジリアーノ/サ・ヘンリ・モーガン/パナマ占領/モーガンの戦利品/公式には非難される/時代が変われば慣習も変わる…/モーガン その終末
  • 第3章 海賊探検家 デイヴィッド・コーディングリ
    世界一周航海者ダンビア/カンペチェのロッグウッド伐採者/ダンビア、バッカニアに加わる/バチェラーズ、デライト号/ダンビアの最初の世界周航/新しい航海/ウッズ・ロジャーズ 正直な私掠行為/マニラのガレオン船/ロングローズ “正確で、物好きな航海日誌”/パナマ攻撃/シャープが指揮を引き継ぐ/ホーン岬回航/幸運と逆境/海賊行為、投獄、貧困/ウエイファとバッカニアの遺産/少なからぬ業績
  • 第4章 地中海の私掠船 リチャード・プラット
    海賊と教皇/オスマン帝国/バルバリーの私掠船/偉大なる私掠船のリーダー、バルバロッサ/ハイレッティンとドラグート/私掠船/ガレー船の奴隷たち/船の定員/どこで狩をしたか/追跡と捕獲/偽装と偽りの国旗/船を掠奪する/奴隷の状態/ターバンを巻いたキリスト教徒/バルバリーにおける改宗者の生活/奴隷の身の代金をとる/私掠船のコントロール/キリスト教徒の私掠船員たち/騎士団の海軍/騎士と私掠船/マルタのガレー船/どこで獲物を探したか/追跡と捕獲捕らえられた人々の運命/マルタの奴隷の状態/自由をあがなう/戦利品はどのように分配されたか/私掠船事業の発展/騎士団の没落/広い視野から/私掠船の遺産
  • 第5章 海賊行為の黄金時代 ジェニファー・G・マークス
    戦争が私掠船員を生む/平和が海賊を生む/ごろつきによる汚染/船乗りの運命/海賊の特権/みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために/海賊条項/捕虜/ジョリー・ロジャー/用心しろ、気をつけろ/ラウザとロウ、不愉快な男たち/ニュー・プロイデンス 「海賊の巣」/海賊共和国/海賊の食事とファッション/沈んだ宝/「雄弁家」ベラミー/ウッズ・ロジャーズの登場/黒髭/スティード・ボネット アマチュアの海賊/黒髭の因果応報/厳しい手段/海賊アン・ボニーとメアリ・リード/黄金時代の終わり/「偉大なる海賊ロバーツ」/ハウエル・デイヴィス、ブラック・バードの師/ロバーツが後任となる/悪夢の航海/まばゆいばかりの成功/幸運がロバーツから逃れさる/コースト岬の城砦での裁判
  • 第6章 自由の国リバタリア――海賊のユートピア マークス・レディカー
    リイバタリアのおこり/船乗りの運命/逆さにされた世界/奴隷/色とりどりの乗組員/リバタリアにたいする戦い/リバタリアは生きつづける
  • 第7章 海賊周航 ジェニファー・G・マークス
    新しい機会/いちかばちか/現地の海賊たち/アングリアの海賊たち/ムガール帝国皇帝の宝/航海条例/海賊会社/海賊活動のパートナー/「一群の海賊たち」/キャプテン・ジョンスンの「海賊全史」/トゥー 私掠船員がラウンドの海賊に変わる/トゥー、ムガールの機関を捕獲する/エイヴァリ「大海賊」/ロング・ベンのファンシー号/「けた外れの財宝」/宝の分配/大西洋を横断して/逃走/「マダガスカルへ!」/アダム・ボールドリッジ/キャプテン・キッド 「ミルクと水の海賊」/キッドへの免許状/獲物がなければ報酬なし/キッド、ウィリアム・ムアを殺す/ケダー・マーチャント号/「東インドの疫病神」/縛り首の縄が締まる/「悪魔の腕の中に」/ラウンドの復活/アイルランド人イングランド/テイラー、宝の山を掘りあてる/海賊ラウンドの終末
  • 第8章 フランスとアメリカの私掠船 ジェイムズ・C・ブラッドファド
    新世紀/バールとデュゲ=トルアン/私掠船の全盛期/ジョージ王戦争/七年戦争/独立戦争/私掠船の蔓延と提督/ふえる一方の私掠免許状/ヨーロッパのアメリカ人/アメリカの裏庭/英仏戦争/アメリカは中立であろうと努力する/擬似戦争/ロベール・シュルクフの個人的戦争/1812年の戦争/ヤンキー号、かなりの儲けを手にいれる/イギリスは反撃する/ジャン・ラフィート/最後の時期/アメリカの政策/南部連邦私掠船、1861年/エピローグ
  • 第9章 アジアの海賊 ジョン・フォークナ
    マライのプラフ船の攻撃/植民地の問題/海峡植民地におけるオーエン提督/「若い植民地の重い責任」/「アンドルーマック」号のチャッズ船長/ガラングの海賊/ジェームズ・ブルックとボルネオのダヤク族/イバン族/サリバの遠征/ダイドー号の旗艦/バントゥング・マルーの戦闘/スールー海の海賊/ラグーンのイヌラン/バラニーニの海賊/シーフラワー号事件/スールーの海賊の最後
  • 第10章 中国の海賊 ダイアン・H・マレ
    チェン・ホー(鄭和)の神秘の航海/小規模海賊行為/船と武器/経済的海賊行為/需要と供給/倭寇 「日本の」海賊たち/中国における政治的海賊行為/鄭成功の海賊陸軍/国際的海賊行為および私掠行為/タイソンのもとでの中国の海賊/連合/指揮官と乗組員/海賊の基地/ジャンクと武器/海賊、鄭夫人/海賊の綱領/通行保障料/陸上の掠奪/帝国、ヨーロッパ人と交渉する/連合の終末
  • 第11章 今日の海賊 エリック・エレン
    海賊にたいして目を覆う/1980年代の海賊/マラッカ海峡/南および東シナ海/フィリピン/アフリカ/南および中央アメリカ/カリブ海/反動と反応/国際的な努力/未来への展望
  •  訳者ノート/船の種類/参考書目/索引

【感想は?】

 序章が実に巧く本書の内容をまとめている。海賊の歴史・生まれる原因・出没する地域などだ。

 海賊の歴史は古く、「紀元前1600年にはアラビア湾で海賊が航海者を脅かしていた」。紀元前694年にはアッシリアの王セナケリブが海賊退治の遠征隊を派遣している。もしかしたら、水上交易と同じぐらい古いんじゃなかろか。

 前にも書いたが、カリブの海賊バッカニアが最も多くの分量を占める。たぶん資料が質・量ともに最も多いからなんだろう。

 スペイン人がハイチに置き去りにし草原で野生化したウシやブタを、スランス人ハンターが狩って商売していた。ハンターは、原住民のアラワク族から燻製を作る方法を学ぶ。木製の焼き網ブカンを使うのでブカニアと呼ばれ、これがバッカニアに変わる。

 彼らによる密貿易に手を焼いたスペイン植民地当局はハンターを送り込み、土地の獣を一掃する。食うに困った連中は、お宝を満載して旧大陸へ向かう船を襲い始める。なにせ狩りで食ってた連中だけに、銃の腕はいい。ってんで、足が遅く船員も少ない商船は格好の餌食となり…

 ってな感じで生まれたバッカニアは、急速に膨れ上がる。

 お尋ね者・食い詰め者や逃亡奴隷など、ワケありの連中の集団に過ぎない彼らだが、その掟は意外なぐらいに民主的で機能的で合理的だ。リーダーは選挙で選ぶ。出帆前には会議で行き先や分け前の配分を決める。リーダーの取り分は普通の乗組員の5~6倍だ。現代の民間企業よりよほど平等である。負傷した際の補償金も決めている。

 襲撃の手口も巧い。時刻は日暮れ後か夜明け前。まず操舵手、ついでマストと帆を操る水兵を撃つ。次にマストと三角帆を倒し、舵を壊す。敵を動けなくして、じっくりなぶるわけだ。賢い。

 やがてバッカニアに投資する者も現れ、力をつけたバッカニアは沿岸の町も襲い始める。そのクライマックスはヘンリー・モーガン(→Wikipedia)だろう。地峡を越えてパナマの町まで落として大儲けして名声を得たのはいいが、その後にはジャマイカ副海事裁判所の判事になり、海賊を取り締まる立場に収まってしまう。

 新大陸の富を独占し強大な海軍を持つスペインに対抗するため、イギリスやスランスが私掠船を使ったのは有名だ。海軍が弱い国が私掠船を使うのは定石らしく、アメリカも独立戦争で私掠船を使っている。それなりに役に立ったゆで、必要な物資を調達できた上に、イギリスの海軍を分散させて海上封鎖を骨抜きにする効果もあったとか。

 海賊は主に非武装または軽装備の商船を狙い、重装備の軍船は避ける。戦争での海賊の役割は、つまり通商破壊で、第一次世界大戦以降の潜水艦と似た役割を果たしていたことが分かる。ただし立場は全く違って、当たればデカいが外れれば縛り首。ハイリスク・ハイリターンな博打ですね。

 食い詰めた者が海賊になるのは洋の東西を問わないらしく、19世紀前半のシンガポール周辺も物騒だったとか。いや今でもマラッカ海峡周辺は物騒なんだけど。近隣の島民は中国に輸出する海藻を採って暮してたが、この収益の大半は役人がネコババしてた。ってんで、オフ・シーズンには海賊稼業に精を出す。

 これに困ったイギリス人のスタムファド・ラッフルズ(→Wikipedia)が、地元のスルタンに対し苦情を入れ、貿易で利益を得るよう説得した際のスルタンの返答が楽しい。「マライ人の統治者が貿易などで身を卑しめる」に続き…

「海賊行為はわれわれの生まれながらにして持つ権利です。だから恥ずべきことではありません」

 彼らにとっては商売こそが卑しいのであって、海賊は当たり前らしい。戦うのは勇ましく、商売は卑しい、みたいな感覚なんだろうか。

 終盤では19世紀初頭の中国の海賊、鄭夫人が活躍する。中国の沿岸を支配下に入れた海賊団は、やがて通行保険料つまりミカジメ料で稼ぐようになり、「時には海賊たちは護衛サービスまでおこなった」って、まるきし政府だね。しまいには沿岸から内陸へと攻め込むが…

 海賊の肖像画や、襲撃の様子を描いた風景画、彼らが使っていた剣や銃などの図版や写真も豊富に収録し、華麗な雰囲気を際立たせている。彼らは社会のはみだし者ではあるけれど、同時に理不尽な貿易政策や劣悪な労働環境など、社会の矛盾が生み出した者たちでもある。

 少し違った角度から見た歴史の本として、裏社会のヒーロー列伝として、そして一攫千金を夢見た男たちの物語として。血生臭い記述も多いが、それだけに迫力もある。キワモノのような印象を受ける書名だが、意外と真面目な分析もある歴史の本だ。

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