スマイリーキクチ「突然、僕は殺人犯にされた ネット中傷被害を受けた10年間」竹書房文庫
「そういう、どうでもいいことにこだわっている話をブログでやったらおもしろいと思いますよ」
――第二章 謎の本不思議なことに匿名の人ほど他人に対するマナー、道徳に厳しいように感じる。
――第五章 重圧、そして新たなる敵
【どんな本?】
1988年、東京都足立区で凶悪な少年犯罪が起こる。多数の少年が一人の被害者を玩具のように扱い殺したのだ。1999年、インターネット上で噂が広がる。「お笑い芸人のスマイリーキクチは、この事件の犯人の一人だ」と。根も葉もないデマである。
だが、このデマを信じこんだ者たちがいた。彼らはYahoo!知恵袋や2ちゃんねるなどの大手サイトから、スマイリーキクチが所属する事務所の電子掲示板、はては個人のブログに至るまで、様々なサイトで執拗にデマを広げようとする。中には脅迫まがいの文章もあった。
10年間、インターネット上のデマに苦しんだ著者が、インターネットとの出会いからデマの渦中にいる者の気持ち、そして法的手続きや事件予防のノウハウに至るまでを日記形式で綴ったドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2011年3月に竹書房より単行本で刊行。私が読んだのは2014年4がつ3日に初版第一刷発行の文庫版。文庫本縦一段組みで本文約337頁に加え、ジャーナリスト江川紹子による解説7頁。9ポイント38字×17行×337頁=約217,702字、400字詰め原稿用紙で約545枚。長編小説でもちょうど文庫本一冊分ぐらいの分量。
ハッキリ言って、文章は拙い。が、わかりやすく親しみやすく読みやすい。具体的には、比喩が少なく文が短い。つまりはカッコよく賢そうに見せるのをスッパリ諦めて、わかりやすさと親しみやすさを最優先した文章だ。内要も特に難しくない。このブログを読める程度にインターネットを使える人なら、充分に読みこなせる。
なお、インターネットの技術に詳しい人の目から見ると、一部に技術的に不正確な部分がある。例えばIPアドレスの意味でIPという言葉を使ってたり。これにより技術的な正確さが損なわれる反面、技術に詳しくない者にとってはわかりやすく親しみやすい文章になった。どっちがいいかは意見が分かれる所だろう。
【構成は?】
原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
はじめに
第一章 突然の誹謗中傷
第二章 謎の本
第三章 ひとすじの光明
第四章 正体判明
第五章 重圧、そして新たなる敵
第六章 スゴロク
特別付録 ネット中傷被害に遭った場合の対処マニュアル
加筆追加付録 目まぐるしく変わるネット社会
あとがき/解説 江川紹子
【感想は?】
季節的には遅いが、中学生の夏休みの感想文の題材にはいい素材じゃないだろうか。
私はブログで記事を書いているし、2ちゃんねるにも名無しで出没している。被害者・加害者どちらにもなり得るので、両方の立場で読んだ。
インターネットを使う身としては、冒頭から引き込まれた。話は著者が2ちゃんねるに触れた所から始まる。この時、著者はインターネットも2ちゃんねるも知らない。そのため、結構ピンボケな反応をしている。2ちゃんねるのデフォルトのハンドルを固有の名前だと思い込むあたりは、不謹慎と思いつつも笑ってしまった。
しょうもないデマやなりすましの投稿に悩む著者。最悪の出会いのため、「ネットは気持ち悪いやつが楽しむもの」と思い込んでしまう。
こういったインターネットに対する思い込みや、特異なサイトを覗いた時の驚きを書いた部分は、私がパソコン通信に始めて触れた時の思い出が蘇ってくる。実は私も当初はパソコン通信に良くない印象を抱いていて、それは私が好きな作家の訃報が連続して流れてきたためだったりする。いや落ち込んだのよ、あの頃はマジで。
私の場合はパソコン通信だが、多くの人がインターネットに始めて触れた時も、様々な形で驚きと戸惑いを感じた筈で、そういった気持ちを思い出させてくれる点でも、この本の冒頭は巧くできてると思う。
やがて知人に勧められてブログに興味を持ち、様々な人の支援を受けつつ自分のブログを始める著者。そうなんだよなあ。「どうでもいいことにこだわ」るのが、ブログの面白い所で。なんであれ、暫く続けていると初心を忘れちゃうけど、「こだわり」こそがブログの面白さなんだよなあ。
とはいえ、著者の本職は芸人であってネットワーク管理者ではない。聴衆を笑わせるのが仕事であって、ネットワークの運営や管理で報酬を得ているわけじゃない。という事で、ここでも色々とピンボケな対応をしていたりするのも、ちょっと可愛い所。そりゃコメントの扱いとか、最初はよくわからないよなあ。
などとインターネットに触れて一喜一憂する著者の姿を、自らのトンチンカンな対応も正直に書いてるあたり、私は実に身につまされた。以後、著者はログを解析し検索を覚え削除依頼を出すなど、どんどんインターネットの使い方に詳しくなっていくのだが、その成長過程の記録としても楽しく読めたり。
などと読んでるこっちは気楽なもんだが、当時の著者はかなりナーバスになっていて、日頃の生活や仕事にも影響が出てくる。
なにせ書き込まれた文言が酷い。中には脅迫とも取れるものもあり、著者は身の危険まで感じるようになる。傍から見れば「気にすんな」で済んでしまうところだが、こればっかりは当事者の立場にならないとわかりにくいだろう。いや私もブログ炎上の経験はないんでよく分からないが、「多くの人から敵意を向けられる」のが、かなりシンドイのはわかる。
こういった、陰険な噂話のネタにされる者の気持ちを、正直に綴っているあたりも、この本の読みどころであり、小中学生などのインターネットに触れ始める人たちに読んで欲しい所でもある。やってる側はちょっとした遊びのつもりでも、やられる側は大きなダメージを受けるのだ。
そんな噂話に翻弄される者の気持ちと同時に、そういった苦労をしている者にとって、何が励みになるのか、苦しむ家族や友人に対し周囲の者に何ができるのかも、この本から読みとる事ができる。
デマや脅しまがいの文言に困惑し、警察を含む様々な機関に相談するものの、当時はインターネットに詳しい者も少なく、決まり文句のように「インターネットをしなければいい」と言われるばかり。このあたりの事情は、流石に今は多少改善されているだろうけど、その改善のキッカケを作った功労者の一人は著者と言っていいだろう。
幾つもの障害を越え、なんとか犯人たちは特定できたものの…。中には某社のセキュリティー部門の責任者もいて、職場のマシンから書き込んでいたというから、呆れるやら悲しくなるやら。
セキュリティー担当でしょ。悪意のアクセスを防いだり、ファイアウォールを突破されたら対応する立場でしょ。HTTPサーバやプロキシサーバに履歴が残る事も知らなかったのかね。なんでそんな技術に無知な奴が責任者をやってられるの? そもそもこの国の人事制度は…などと言い出すとドス黒い感情が噴火するので止めておこう。
他の犯人も様々ながら、やはり病気っぽい人もいたり。ハッキリした意図を持ってやってる人も怖いが、病気の人も怖いよなあ。でもって、犯人の全員が、デマの内容を全く検証していなかった、というのも怖い。
「自分は知っている」と思うと、ヒトは検証しない。ヒトゴトのように書いちゃいるが、この私にも同じことが言える。2ちゃんねらの一人として、そしてブロガーの一人として、自分もデマを撒き散らしている可能性はあるのだ。まあ、この辺を深く追求していくと「じゃ、何が信用できるのか」みたな話になっちゃうんだけど。
巻末の付録は、自らの経験を活かした上で、公的なサイトなどから得た情報も盛り込んだ、なかなかの力作であるばかりでなく、文庫本を出すにあたって LINE などの最新情報も盛り込んだ充実したもの。流行り廃りの激しい世界なだけに、できれば版を重ねる度に更新して欲しい所だが、2015年現在の資料としては充分に実用的な価値がある。
ブログでも LINE でも Twitter でも Facebook でも、インターネットを使うなら、とりあえず読んでおいて損はない。小中学校で情報科目を教えるなら、副読本として採用してもいい本だと思う。
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