スティーヴン・ストロガッツ「SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか?」ハヤカワ文庫NF 藤本由紀監修 長尾力訳
第1部では、細胞、動物、ヒトといった「生物振動子」を扱い、第2部では、振り子、惑星、レーザー、電子といった「非生物振動子」にふれることにする。第3部では、それまでの単純な前提にとらわれずに、同期現象の最前線について見ておくことにしたい。
――はじめにさて、今この時代に科学者であることが、どれほどワクワクすることかを実感していただけただろうか?
――結び
【どんな本?】
ハヤカワ文庫SF<数理を楽しむ>シリーズの一冊。
ホタルの明滅、コオロギの鳴き声、月の公転と自転、振り子時計の共振、超伝導現象…。生物でも非生物でも、世界には奇妙な共振現象が溢れている。だが、今まではこれらを巧く扱うモデルが存在しなかった。数学的なモデルが線形ではなく、線形でないモデルを扱うのは大変に難しかったからだ。
20世紀終盤に非線形を扱う数学モデルが登場し、またカオスや複雑系といった分野が発達するにつれ、数学者・物理学者・生物学者・社会学者など多様な方面の研究者が集い、この世界を解き明かす新しい手法や分野切り開かれつつある。
「同期」「非線形」をキーワードに、愉快なエピソードを豊富に交えて現在の数学・科学の最前線を解説し、現代の数学・科学研究の楽しさを伝える、一般向けの数学・科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は SYNC : The Emerging Science of Spontaneous Order, by Steven Strogatz, 2003。日本語版は2005年3月に早川書房より単行本で発行。文庫本は2014年2月25日に発行。文庫本縦一段組みで本文約505頁。9ポイント41字×18行×505頁=約372,690字、400字詰め原稿用紙で約932枚。文庫本としては上下巻でもいいぐらいの分量。
意外なくらい、文章はこなれている。内容も思ったより難しくない。根底にあるのは数学だが、数式は出てこない。できれば微分の初歩が分かっていた方がいいが、「x2 を微分すると2xになる」程度で充分。というか私もその程度しか分かってなくて、いわゆる微分方程式は解けない(従って軌道脱出速度の計算ができない)けど、充分に楽しめた。
【構成は?】
個々の章は比較的に独立しているが、できれば頭から読んだほうがいい。でもやっぱり第3章が一番面白かったなあ。
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【感想は?】
基本的には数学の本だが、とてもワクワクする。何より、著者が研究を楽しんでいるのがヒシヒシと伝わってくる。
お話はホタルの明滅から始まる。1910年代から、ヨーロッパに複数の報告が出た。東南アジアのホタルは、見事に同期して明滅する、と。ところが、この現象はなかなか信じてもらえなかった。「指揮者もないのに、昆虫がリズムを合わせるわけないじゃないか」と。だが、この現象は本当だったのだ。Youtube に動画も上がっている。
勝手に同期する現象は、非生物にもあった。オランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンス(→Wikipedia)は、並べて置いた振り子時計の振り子が見事に同期するのを見た。一種の共鳴だ。
第1部と第2部では、他にも超伝導のような極小スケールから女性の月経周期の同期など身近なスケール、ロンドンのミレニアム橋開通時の横揺れ(→Youtube)、そして月の自転と公転周期など、様々なスケールの同期現象を紹介してゆく。
にしてもジョセフソン素子の「スプレー状態」は不思議だ。複数のジョゼフソン接合を直列に繋ぐと、振動の周期が奇妙な振る舞いを示すのである。2つだと周期が1/2周期ずれ、3つだと1/3ずれ、四つだと1/4ずれ…と、素子の数ぶんだけ綺麗に等分した形でズレるとか。
これが繋いだ順番にズレるのならわかるが、「空間的にはまったくランダムなパターンで現れる」から不思議。つまり、どの素子がそれぐらいズレるのか、予測がつかないのだ。ってだけなら「ほほう」で終わるが、その後がまた凄い。
この現象を発見したのはスタンフォード大学の教授マック・ビーズリーと大学院生のピーター・ハドリー、そしてブルックヘイヴン国立研究所のカート・ヴィーゼンフェルト。この奇妙な現象を見つけたカート考えた。「これ、記憶素子に使えるんじゃね?」 どうするのか、というと。
5個の素子を繋げた場合、スプレー状態の場合の数は24になる(4×3×2)。10個だと362,880だ。つまり10個の素子で2進18桁(262,144)以上の数を表せるのである。今のコンピュータだと、8個の素子で表現できるのは8bit=256だが、この理屈だと7×6×5×4×3×2で5040まで表せる。
凄げえ。とんでもないメモリ効率だ。16個繋げたら Unicode 全部入るんじゃね? などとびっくりしてたら、更に追い討ちをかけてきた。
神経科学者によれば、ヒトの嗅覚記憶は、ちょうどこのような具合に働いているのだという。つまりそこで振動子にあたるのが脳の嗅覚内に存在するニューロンであり、そのニューロンの興奮が示す多様なパターンが、さまざまな匂いをコード化している。
人間凄げえ。
第3部では、これに「カオス」「複雑系」「ネットワーク」などが加わって、更にエキサイティングな現代の研究事情へとつながって行く。ところでこの「カオス」、決してランダムという意味ではない。この本は綺麗に定義をまとめてくれている。
- 気まぐれで、一見ランダムに見える振る舞いが、実際には決定論的な系に現れること。
- 決定論的な法則ゆえに、短期的には予測可能であること。
- バタフライ効果による、長期的に見た場合の予測不可能性。
この予測の可否を決める時間をリャプノフ時間と呼び、モノにより違う。電気回路では1/1000秒、天候では数日、太陽系では500万年ぐらい。つまり、カオスな系にも実はハッキリした規則があり、程度によっては予測もできるわけだ。
終盤ではネットワークで有名なダンカン・ワッツも登場し、「六次の隔たり(→Wikipedia)」やケビン・ベーコン数(→はてなキーワード)・エルデシュ数(→Wikipedia)など人間関係のネットワークと、と線虫C・エレガンス(→Wikipedia)の神経系や合衆国西部の高圧電線網などの類似を明らかにしてゆく。
ここで感心したのは、モノゴトを単純化してモデル化する数学者の発想だ。C・エレガンスの神経網では、ニューロンの種類や接合の方法は無視して、トポロジーだけを考える。敢えて細部を切り捨てる事で、本性に迫る思考法は、抽象化を重ねて壮大なシステムを構築する計算機屋の発想と少し似ている。いや勿論、後で細部も詰めるんだけど。
などの数学・科学・工学の話に加え、それぞれの研究者との出会いや、一輪車で構内を爆走するノーバート・ウイナーなど人間臭い話もチラホラでてくる。所々にコンピュータによるシミュレーションの話が出てくるように(最初の例はAppleⅡ!)、現代だからこそ可能となった応用数学のホットな話題が満載の、楽しい数学の本だ。
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