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2015年8月24日 (月)

デイヴィッド・レムニック「レーニンの墓 ソ連帝国最後の日々 上・下」白水社 三浦元博訳 ウォルコゴノフ将軍語録について

 ドミトリー・アントノヴィッチ・ウォルコゴノフ(→Wikipedia)は、ソビエト連邦の軍人だ。1928年にシベリアのチタで生まれる。農業専門家の父をスターリンの粛清で失い、大祖国戦争(第二次世界大戦の独ソ戦)の終戦直後に母も亡くなる。軍に召集された彼は終戦後も軍に留まり、兵卒から将軍に至った叩き上げだ。

 ゴルバチョフによる改革に揺れ動く1990年ごろ、ソ連国防相は数巻構成になる大祖国戦争の戦史の編纂に手をつける。その冒頭、仮題を「戦争前夜」とした第一巻の編集を担当したのが、ウォルコゴノフだ。ソ連国防省軍事史研究所長として、彼は共産党・KGB・軍の秘密資料に触れる機会を得た。

 1990年の春ごろ、彼のチームは草案を提出する。この内容が当時の権力者のお気に召さず、彼は軍から叩き出されてしまう。彼はあまりに事実に忠実すぎたのだ。特に問題となったのは、戦前~開戦直後のスターリンの評価である。彼はスターリンをこう評価した。

ソ連の戦争勝利はほとんど「偶然」であって、スターリンのおかげでなく、スターリンがいたにもかかわらずもたらされた。

 スターリンは勝利に貢献したのではない。むしろ邪魔をした、そういう評価だ。これが国防省と共産党の逆鱗に触れ、ウォルコゴノフは追放の憂き目に合う。

 最初から彼は批判的だったわけじゃない。それまでは本人曰く「私はスターリン主義者だった」。赤軍で兵卒から将軍に登りつめた経歴が、彼の言葉を証明している。彼を変えたのは、戦史編纂の職務を通じて彼が触れた機密文書だ。生真面目な軍事史家として、事実を素直に解釈して結論を導き出した、ただそれだけである。

 著者レムニックは、軍事史家としてのウォルコゴノフをあまり高く買ってはいない。「偉大な思想家あるいは著述家としてよりも、比類ない史料アクセス、政治的立場を学術研究に利用する彼のやり方ゆえに記憶されることだろう」。ここでの「政治的立場の利用」とは、戦史編纂のため、機密文書を存分に漁れたことを示す。そこから出てきた結論は凡庸なもの、という評価だ。

 酷い評価のようにも思えるが、私はこう解釈する。ウォルコゴノフが漁った史料から常識的に考えれば、スターリンはソ連を窮地に陥らせた極悪人という結論に至ってしまう、と。

 特別に優秀ではないが、誠実で実直な学者肌の者が、新しく得た事実から考え方を変えた例として、ウォルコゴノフは興味深い。人は齢をとっても思想や主義主張が変わるのだ。やがて彼はスターリン批判を超えレーニン批判へとたどり着く。そんな彼の言葉は、とてもわかりやすく印象深いので、ここに紹介したい。

【国防省の会議にて】

 草案を提出したウォルコゴノフは、会議の出席者たちから吊るし上げを食らう。かろうじて彼が述べた反論の一部が、実にカッコいい。

「1945年の勝利についてのみ書くことは、1941年について、ボルガへの退却について、たわごとを語る事になる。歴史を政治に従わせるのは不可能であります」

 「歴史を政治に従わせるのは不可能であります」に、ウォルコゴノフの学者魂が炸裂している。彼は数学や科学に匹敵する厳密さを史学に求めているし、自らもその理想に相応しい態度で史学に臨んでいるのだ。政治的に正しいか否かはどうでもいい、大事なのは史学的に正しいか否かだ、と。なんとも見上げた学者魂じゃないか。

【インタビュウその1】

 スターリン研究のため公文書館にこもった日々の衝撃を、ウォルコゴノフは著者レムニックに語っている。

「1938年12月12日の項を読みとおした(略)彼(スターリン)はその日、30人の死刑リストに署名していた。個人的な知り合い、友人も含め合計五千人になる。(略)スターリンはこれらの書類に署名した後、(略)当時の人気コメディー『幸福な男たち』を含む二本の映画を鑑賞したことが分かった」

「数千人の運命を決定した後で、どうしてそんな映画が見られたのか。私にはまったく理解できなかった。しかし私は理解し始めていた」

「独裁者たちは大量死に何の痛痒も感じないのだということを。その時、私はなぜ父が射殺され、なぜ母が流刑地で死亡し、なぜ数百万人が死んだかを理解した」

 1938年12月12日は、スターリンにとってはいつもの一日だ。歴史上の人物の、特に重要でもない1日の行動を、歴史家はこと細かに調べる。どんな映画を見たかなんて、どうでもいいじゃないか。そんな些細な事に何の意味があるんだろう、と時おり私は思っていた。

 だが、ちゃんと意味があるのだ。こういった些細な事柄を積み重ね、人物の生活を再構成することで、その人物の心理にまで迫る事ができる。それを、ウォルコゴノフは私に教えてくれた。もっとも、再構成して心理に迫るには、相応の修練を経た歴史家としての能力が必要なんだろうけど。

 その結果としてたどり着いたのが、「独裁者たちは大量死に何の痛痒も感じない」という恐ろしい真実だ。

 もっとも、この性質は時として必要でもあるから困る。1941年にスターリンが直面した事態、すなわちドイツのソ連侵攻がそれだ。この戦いで2千万~3千万のソ連人が亡くなっている。仮にソ連が巧く準備を整えていたとしても、数百万人が命を失っただろう。その多くはドイツ兵だろうけど。スターリンがこれにたじろいでいたら、ソ連は滅びていたかもしれない。

 実際にスターリンはたじろいでいたらしく、開戦後しばらくは引きこもっていたようだ。だがそれは「ドイツは攻めてこない」という自分の判断が間違っており、自らの帝国が危うくなったためであって、ドイツ軍に蹂躙された民衆や将兵を悼んだわけではあるまい。いずれにせよスターリンは立ち直り、容赦ない人海戦術で逆転してゆく。

 第一次世界大戦でフランス軍を率いたジョフル(→Wikipedia)も頑固な人で、前線での将兵の損耗を「攻撃精神が足りない」として無謀な攻撃方針を改めず、大量の戦死を招くが、後にその頑固さがフランス軍の粘り強さとなって戦線を支える事になる。

 人として人の命を大切に思う気持ちは大事だけど、極限状況ではそれが仇となりかねない。けど、そういった気持ちを持たない者に大きな権力を預けると、ウクライナの大飢饉やインパール作戦みたいな羽目になる。どうすりゃいいんだろう。

【インタビュウその2】

 かつてスターリン主義者で、自らも「正統派マルクス主義者であり、自分の義務をわきまえた将校だった」と語るウォルコゴノフは、多くの非公開文書に触れるうちに考え方が変わり、やがてスターリンばかりかレーニンまで否定するようになる。その変化を、彼はこう語っている。

「私の変化はすべて内側から、おのずから生じた。私はあらゆる種類の文献を閲覧できた」

「誰よりも多くの情報を持っているためにリベラルに思考する多くの人々がいる。特にKGBの若手将校がそう。KGBに常に多くの考える人がいる理由はそれだ。西側のあるがままの姿を、そして我が国が本当は何であるかを理解している人びとだ」

 最初の言葉は、彼が誠実な歴史家である由を示す言葉だろう。多くの事実に接し、それを元に実直な歴史家として考えた結果、全体主義を否定し民主主義を支持する立場に変わるしかなかった、そういう事だ。歴史を歪曲せず事実を伝える事の大切さが、切々と伝わってくる。

 次の言葉はとても皮肉で、かつ予言的だ。体制を維持しているKGBこそが、体制の欺瞞に気づき、改革を求めるようになる。また、当時のKGBが、ソ連の優秀な人材を独占していた事もわかる。

 これはエレーヌ・ブランが「KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇」で語っている事とも符合する。ブランの主張はこうだ。ソ連崩壊後のロシアでは、全国的にマトモに機能する組織はKGBしかなかった、だからKGBがロシアを独裁し、今もそれが続いている、と。

 その結果、ロシアはどうなったか。いまだに国は富めるが民は貧しい国のままだ。外国人が旅行するにしても、個人旅行だとビザを取るには予め予定と宿泊施設を申請しなきゃいけない。日本やアメリカのように、好き勝手にアチコチをフラつく事はできない。

 独裁を許した傷跡は、今もロシアに色濃く残っている。ここではロシアのことばかりを書いたが、日本だって似たような症状が残っていると思う。今でも太平洋戦争をアジア解放のため、なんて綺麗事にしたがる人がいる。アジアの人びとに謝罪しろ、とは言わないが、あの戦争が日本国民を苦しめたのは事実だろう。

 歴史を語る際には、とりあえず善悪は脇に置き、事実を元に経緯を語る、そういう姿勢こそが国益に適うと思うんだが、政治的な事情でなかなか難しい。国益のために政治がある筈なのに、なんとも変な話だよなあ。

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