キャロル・エムシュウィラー「カルメン・ドッグ」河出書房新社 畔柳和代訳
利口な動物を所有することがいかに楽しかろうと、他者が利口すぎたり、当を得た質問や厚かましい質問をしすぎたり、自立しすぎたりしては鼻持ちならないものである。自己イメージを高めるという目的もあって飼っている生き物が相手であれば、なおさらだ。
「では母性はどうなる? とみなさんはお尋ねです。その件について新聞で読んだ方も多いでしょう。でも出産までは楽なんです。彼らはその後を解決しなきゃなりません」
【どんな本?】
アメリカのSF/ファンタジイ作家キャロル・エムシュウィラーの第一長編。女が獣に変わり、獣が女に変わってしまう奇妙な現象が始まった世界で、飼い犬だったプーチが女に変わって行く途中に飼い主の下を離れて辿る冒険を、ユーモアと風刺たっぷりに描くSF/ファンタジイ小説。
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2010年版」のベストSF2009海外篇で第17位に食い込んだ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原初は Carmen Dog, by Carol Emshwiller, 1988。日本語版は2008年12月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約206頁。9ポイント43字×18行×206頁=約159,444字、400字詰め原稿用紙で約399枚。長編小説としてはやや短め。
訳文は比較的にこなれていてわかりやすい。内容も特に難しくない。歴史上の人物・動物や有名な文学の引用が多いが、大半は訳注がついているので問題ないだろう。途中でケッタイなガジェットや意味不明な科学技術が少し出てくるが、ハッキリ言って漫画的なハッタリなので無視していい。「女が獣に、獣が女に変わる」という出鱈目な設定を受け入れられれば、楽しんで読めるだろう。
【どんな話?】
女は獣へと変身しつつあり、獣が女に変わりつつある世界。奥さまの口は大きくなり、目は疑り深くなっている。対して狗だったプーチの仕事は次第に増えてきた。洗濯とおむつ替えに加え、今は料理と買い物もこなす。ついに奥さまが赤ちゃんを噛んだ。たまらずプーチは、赤ちゃんを連れて家を出るが…
【感想は?】
ケモナー(→ピクシブ百科事典)大喜びの、ヘンテコな小説。
設定からして、イカれている。女は次第に獣に変身しつつあり、獣の雌は逆に人間へと変身しつつある。ちなみに、なぜそんなケッタイな現象が起きるのか、なんて説明は最後まで全く出てこない。そういうものなのだ、と納得できる人向け。
主人公のプーチは若い雌犬。次第に人間に変わりつつあり、そのためか担当する家事も増えている。でも心は犬らしさをたっぷりと残しているあたりがけなげだ。里親を「ご主人さま」「奥さま」と呼ぶところで、序列を大事にする習性がよく現れているし、赤ちゃんを心配する場面では群れを守る狼の血が流れている事を感じさせる。
甲斐甲斐しくご主人様のために働いているにも関わらず、プーチの待遇は…。まあ、犬だしね。
そんなプーチが、心理療法士に「好きなことをなさい」と言われて戸惑うあたりは、ちょっと切なかったり。
盲導犬などの職業犬は、職務に忠実でとても我慢強く、自らの身を危険に晒しても命令に従おうとする。そんな犬に「好きなことをしろ」と命令したら、どうなるか。しつけのいい犬を飼っている人は、この辺をどう感じるんだろう? そう命令されるプーチが「女」でもあるのが、この作品の大事なテーマ。
家を出たプーチは、オペラ「カルメン(→Wikipedia)」を見て感動し、思わず客席で歌い出してしまう。プーチのキャラは奔放なカルメンとは逆に、むしろ誠実なミカエラに近いあたりが、エムシュらしいヒネリかも。
劇場から始まったプーチの冒険は、仲間たちと知り合ったりマッド・サイエンティストに捕まったり運命の恋人を見つけたりと、波乱万丈に進んでゆく。仲間というのがまた、女になりつつある獣もいれば、獣になりつつある女もいて、もう無茶苦茶なんだけど、その描写は突き放したように冷静で、軽快さまで感じさせるから不思議だ。
これは翻訳物だからなのか、元々のエムシュの文体がそうなのか。女と獣が入れ替わってゆく、なんて挑発的なストーリーであるにも関わらず、全般的なトーンは「男性優位な社会を告発する」みたくお固い感じではなく、「男って馬鹿だよね~、女もだけどw」と、老成してユーモラスなのが特徴。
女と獣の怪現象を巡って開かれる秘密会議は、「博士の異常な愛情」みたいな馬鹿馬鹿しさ。後に出てくる「最高の母」なんてプロジェクトも、いかにもどっかの首相が考えそうな阿呆な発想だったり。これを人物として象徴しているのが、医師とその奥さんかな? 医師のマッド・サイエンティストぶりもなかなか。
と同時に、エロチックな場面も多かったり。男の性的魅力についてハッキリと書くのも、この作家の特徴だろう。ただしプーチが犬から人にかわりつつある途中のためか、気持ちが牡犬にいったり男にいったりと、フラフラするのも可愛い。ここで男の品定めとして、オラフ・ステープルトンのシリウスとエジプト神話のアヌビスを比べるとか、実にマニアックw
全般的にプーチの内面の描写が多い前半に対し、後半は怪現象の影響や、減少への世間の対応を描く場面が増えて、作者の皮肉がどんどん冴えてくる。動物関係の組織・団体の縄張り争いや、教会の対応とかも、サラリと流してるんだけど、かなり強烈な毒を含んでたり。
終盤では群集?シーンもあるし、派手なアクションも、華麗なパレードもある。ヘンテコな設定で始まったヘンテコな物語は、ハリウッドっぽいクライマックスを経て、どう着地するのか。
奇怪な設定が匂わす社会風刺はタップリと含むものの、その扱いはあくまでも落ち着いてユーモラス。意外と賑やかでドタバタした風味の、楽しい小説だった。特に犬好きにはお薦め。
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