ソニア・シャー「人類50万年の闘い マラリア全史」太田出版 夏野徹也訳
人類はこの病気に50万年以上苦しめられてきた。いまだに私たちを苦しめるばかりか、致死性を強化してさえいるのだ。100年以上前から予防法も治療法も知られている病気としては、これは全くの離れ業である。
――1 戸口にせまるマラリア彼(ルイス・ハケット)が言うには、「マラリアは土地の条件に影響を受けて変化するので、1000種類の別の病気と化し、疫学上の難問となる」。種類ごとに、それぞれにふさわしいやり方で解明されなければならなくなったのだ。
――7 科学的解決法
【どんな本?】
人類は天然痘やペストなど多くの疫病を克服してきた。だがマラリアは別だ。今でも年間2.5億~5億人が感染し、100万人がマラリアで亡くなっている。日本でも最近は聞かなくなった(→Wikipedia)が、温暖化により北上する恐れがある。
いつから人類はマラリアに感染するようになったのか。その原因は何で、どのように感染するのか。どんな症状を起こし、どう診断するのか。原産地はどこで、どのような対策が取られ、どのように広がったのか。日本のように撲滅できた地域と、マラウイのように今も蔓延している地域とは何が違うのか。
マラリアの感染と発症のメカニズム、媒介する蚊の生態から様々な対策、歴史に与えた影響から現在のマラリア対策の問題点まで、マラリアの歴史と現在を報告する、一般向けの啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原初は The Fever : How Malaria Has Ruled Humankind for 500,000 Years, by Sonia Shah, 2010。日本語版は2015年3月29日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約364頁。9.5ポイント40字×17行×364頁=約247,520字、400字詰め原稿用紙で約619枚。文庫本の長編小説なら一冊分ぐらいの分量。
文章はこなれていて、親しみやすい。また特に前提知識も要らない。敢えて言えば、蚊に刺されてかゆい思いをした経験ぐらい。蚊が大発生する夏に読むと、少し涼しくなるかもしれない。
【構成は?】
基本的に時系列順に並んでいるので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
日本が島国である事に感謝したくなる。
冒頭の引用にあるように、人類は未だマラリアを克服できていない。かつては日本でも流行していたが、今は稀に海外旅行で持ち帰るぐらいで、二次感染もほとんどない。
ところが、マラウイでは「一人当たり平均して年間170回、マラリアに感染した蚊に刺され、全住民の40~70%がマラリアに罹患している」というから酷い。よくそれで国が維持できるなあと思うが、ちゃんと理由があるのだ。「重篤な疾患にかかる人は、獲得免疫のおかげでほんのわずか」だからだ。彼らにとっては風邪みたいなものらしい。
マラリアは蚊が媒介する原虫だ。元は藻の仲間だったらしい。マラリアに感染した人の血を蚊が吸い、蚊のなかで2週間ほど世代を重ねる。その後、再び同じ蚊が人の血を吸うと、一緒にマラリアも感染する。ヒトの中では暫く肝細胞に潜む。この間は感染を検出できない。やがて血中に進出し、媒介する蚊を待つ。
先のマラウイ人が持つ免疫は、アフリカにとって幸運でもあり、不運でもあるのが皮肉だ。幸運なのは、それによって大航海時代以降の白人のアフリカ進出が阻まれた事。マラリアに免疫を持つ現地のアフリカ人は平気だが、植民地化を目論む欧州の白人はバタバタと倒れて行く。
が、白人がアメリカ大陸に進出すると話は変わってくる。もともと南北アメリカにマラリアはなかった。だが初期の航海者がマラリアを持ち込んでしまう。南北アメリカの低緯度地帯にはマラリアが蔓延し、労働力が足りなくなる。そこで三角貿易だ。マラリアに強いアフリカ人を働かせればいい、と。
他にも水車動力による工業化などに伴い、マラリアは南北アメリカに広がってゆく。ダムを作るのも考え物で、ダム湖はボウフラに格好の住処を与えてしまう。魚を放つなどの対策をしないとヤバい。フラフラ飛ぶ蚊のくせに、移動距離は意外と長い。
雌の蚊は食べ物を探して13キロも遠くへ飛ぶことができるのだ。強風に助けられれば、160キロの彼方まで飛ぶことになる。
ということは、それだけ広い範囲にマラリアを運べるという事でもある。去年話題になった東京のデング熱は…と思って調べたら、今年はまだ感染報告がないらしい。よかった。
マラリアの特効薬は、奇妙な事にアンデスで見つかる。キナの木が含むキニーネだ。キニーネを巡るヨーロッパ各国の競争も楽しいが、第二次世界大戦で大きな転回点を迎える。当時キニーネの大半を提供していたオランダをドイツが押さえ、キナの木のプランテーションがあるシャワを日本が席巻する。連合軍は大ピンチ。
ってんで、代替品を急いで開発する。この過程で行なわれた人体実験も酷いもんだが、なんとか新製品キナクリンの効果は確認できた。ってんで、キナクリンを充分に服用したオーストラリア軍一万七千がニューギニアに上陸するが、三ヶ月ほどで「350人の兵士がマラリアで倒れた」。マラリア原虫が耐性を獲得したのだ。しかも、たった三ヶ月で。
など、マラリア原虫のしぶとさもマラリア撲滅の難しさではあるが、他にも原因は沢山ある。毛沢東が現役の頃に中国が見つけた薬アーテミシニンの話は、今でも起こりそうで身に染みる。
と同時に、現場の問題も大きい。アフリカには病院が少なく、交通機関も未発達だ。そこで伝統療法である。安いどころか、マラウイじゃ呪術師は診療所の三倍高い。だが診療所に行くには50km以上歩かにゃならん上に、何より説得力があるのが、聞き取り調査での返答だ。
「あの人たち(医師)は人の話を聞く時間を割いてくれない」
わかる、わかるぞ、その気持ち。数時間かけて病院にたどり着き、やはり数時間も待たされた挙句に5分で診察されたんじゃ、たまったもんじゃない。とはいえ、医師のほうも診なきゃいかん患者が山ほどいるんで、なるたけ効率的にやりたいんだろうけど。その医師が不足している原因も、これまたドン詰まりの悲しい状況で…
そこでワクチン療法だ。ワクチンなら、「間に合わせの移動式キャンプを使って、わずか数日のうちに、低価格で、何千人にも接種できる」。ゲイツ財団も熱心に資金を提供しているが、それについて筆者はいささか辛口だ。実際にマラリアを撲滅できた地域を見ると、水溜りの除去など地道な環境改善が最も効果的な気がする。
他にもマラリアの感染経路発見の熾烈な戦い、キナの木を巡るオランダとイギリスの争い、募金による資金調達の弱点、WHOなどが発表する数字の危うさなど、読み所はいっぱい。ただし、読むと暫くは蚊が怖くなるので、そこは覚悟しよう。
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