デイヴィッド・レムニック「レーニンの墓 ソ連帝国最後の日々 上・下」白水社 三浦元博訳 2
「テレビと新聞は武器以外の何物でもない」
――第25章 テレビ塔「人は財産を手にすると、権力を手にする。財産を手にしなければ、永久に使用人のままだ」
――第4章 「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」「同志諸君! ソ連軍将校、大佐であり、戦闘で破壊されたアフガニスタンの道を歩き、戦争の恐怖を知るソ連邦英雄であるこの私が、諸君に、わが兄弟の将校と兵士に呼びかける。自分の人民に、兄弟に、そして姉妹に敵対してはならない」
――第4章 「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」「KGBが改革の最大の敵であることを忘れるという、ゴルバチョフの最大の過ちの一つを繰り返してはなりません」
――第4章 「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」「われわれの経験、われわれの『選択』は社会主義ではないし、そうであったためしはない。ここにあったのは奴隷制だ」
――第5章 裁かれる旧体制
【どんな本?】
1985年に登場し、改革を進めようとするゴルバチョフ。一部の目端が利くものはビジネスで荒稼ぎするものの、市民生活は苦しくなるばかりで、街路にはマフィアが跳梁跋扈する。上層部では改革派が遠ざけられ、ゴルバチョフの側近は保守派で固められるが、改革を求める市井の動きは保守派を追いつめ、衝突は必至となるが…
1988年から1991年までワシントン・ポストの特派員としてソ連に滞在し、ソビエト連邦崩壊の現場に居合わせた著者が、当時のソ連国内の状況を政治家・KGB・マスコミ・市民運動家・炭鉱労働者・ロシア正教主教・大学生など多彩な人びとの視点で、ソ連における共産主義の落日を描く、重量級のドキュメンタリー。
1994年ピュリツァー賞受賞作。前の記事から続く。
【構成は?】
多少の前後はあるが、基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
革命の現場中継。
下巻の前半は、ゴルバチョフを挟み、エリツィン,シュワルナゼなど急進派とクリュチコフ,ヤゾフ,パブロフ,ルキヤノフら保守派の鍔迫り合いを描いてゆく。
この鍔迫り合いの中で、世代間の考え方の違いが鮮やかに出ているのが、「第25章 テレビ塔」。それまでは「タス通信」や「プラウダ」に代表される御用報道機関しかなかったマスコミの世界に、次々と新しい論調の新聞や雑誌が登場してくる様子を書いてる。
当初、グラスノスチの大黒柱だった「モスクワ・ニュース」は、急進派の新聞や雑誌の登場により、次第に色あせて行く。多くのライバルの中でも、ひときわ光っているのが「独立新聞」。「モスクワ・ニュース」にいたビタリー・トレチャコフが、体性にすりよってゆく同社を飛び出して作った新聞だ。
党中央委員会が運営する西側の偽パスポート工場をスッパ抜くなど優れた調査報道記事を連発するが、トレチャコフはだんだんと部下の若手記者が恐ろしくなってくる。
「この若い連中が調査報道のようなことをする理由は、彼らが体制を恐れていないばかりか、それに敬意を抱いてさえいないことだ」
逆に言えば、トレチャコフらの世代は、当時の共産党体制を恐れるだけでなく、敬意も抱いていたわけだ。加えて面白いのが、あまり経験のない若手記者が、「新聞言語も変えた」点。日本語でも話し言葉と書き言葉は違うけど、政治家の言葉は更に曖昧でややこしい。こういう事情が、当時のソビエトじゃもっと酷かったらしい。
著者もジョージ・ワシントン大学で「新聞ロシア語」を履修している。それぐらい、新聞での言葉遣いは話し言葉と剥離してたようだ。それに対し、若手記者の言葉遣いを、同紙の記者セルゲイ・バルホメンコはこう語る。「僕らはプラウダ語は話さない」。新聞界に新井素子が大量に湧き出たって雰囲気なのかな?
そんな風に群雄割拠する改革派の新聞に対し、保守派は見事な一致協力体制を見せる。文学的ナショナリスト・ロシア正教会の公認僧侶・赤軍の強硬派・KGB・共産党幹部が手を組む。理屈で考えたら共産党とロシア正教は不倶戴天の敵同士のはずなんだけど、やぱり気性が合うんだろうなあ。
やはり保守派であるはずの叩き上げの軍人、トミトリー・アントノビッチ・ウォルコゴノフ将軍の話も感動的なんだが、これは別の記事に詳しく書く。
頻発するデモやスト、新進マフィアの台頭で治安が悪化する中、若い共産党員は青年実業家へと華麗な変身を遂げ、キオスクでは「米国で仕事を見つける法」がベストセラーとなる。モスクワでは多くの警告にも関わらず、ゴルバチョフは休暇でクリミアへと向かい、後半では分水嶺となった8月クーデター(→Wikipedia)へと雪崩れ込んでゆく。
当時としては民主主義勢力が全体主義に勝った象徴的事件と見えたし、この本でも感動的な場面は多い。が、その後のロシアの状況を考えると、いささか苦さが混じる。
ホワイトハウスで精力的に指揮を取るエリツィン、包囲に向かった戦車隊がエリツィン護衛に鞍替えする場面、エリツィンの声明の印刷を巡り対立する編集長と印刷工たち。KGBも一枚岩じゃないようで、エリツィン派もいればクーデター派もいいた様子。軍も色々で…
検察官の報告によると、グラチョフとシャンンポシニコフの両将軍は、もし非常事態委員会がホワイトハウス急襲を開始したら、報復としてクレムリンに爆撃機を派遣する命令を発することで合意していた。
対してクーデター派は、国家化学・生化学委員会議長のウラジーミル・グーセフ曰く「みじんたりとも引き下がったら、われわれは職と生活を失う。別のチャンスはない」と、私利私欲が目的である事を隠さない。ここでは、他にも、権力を掌握するエリツィンの見事な手法を具体的に述べているほか、ニワカ軍ヲタにも興味深い記述がチラホラ。
例えばビルを占拠した際の注意事項。屋上にはゴチャゴチャと物を置いておこう。そうすれば、ヘリコプターが屋上に着陸できないので、上からの急襲が難しくなる。いやこんな知識が何の役に立つのかは判らないけどw また、逆に蜂起を鎮圧する権力者の手法が箇条書きで出ているのも嬉しい所。
エリツィンが地歩を固め、新生ロシアが生まれて行く姿を描く「第5章 裁かれる旧体制」では、再び旧ソ連の欺瞞を暴くと共に、新生ロシアの矛盾も浮き彫りにする。中でも傑作なのがウラジーミル・ジリノフスキー(→Wikipedia)。「私は独裁者だ」と明言する、とってもわかりやすい極右の人。こういう人が一定の支持を集める社会なのだ、ロシアは。
ソビエト連邦とは、どんな体制だったのか。その中で、人びとはどんな暮らしをしていたのか。ゴルバチョフの改革とは、一体なんだったのか。それはなぜ挫折したのか。なぜクーデターが起き、失敗したのか。エリツィンはどのように権力を握ったのか。
当時は世界の耳目を攫ったクーデターの意外な実情など、現場にいた記者ならではの情報も織り交ぜ、熱いモスクワの夏を再現する、迫真のドキュメンタリーだ。
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