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2015年7月13日 (月)

アンディ・ウィアー「火星の人」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

 つまりこういうことだ。ぼくは火星に取り残されてしまった。<ヘルメス>とも地球とも通信する手段はない。みんな、ぼくが死んだものと思っている。そしてぼくは31日間だけもつように設計されたハブのなかにいる。

【どんな本?】

 アメリカの新人SF作家、アンディ・ウィアーによる、迫真の火星エンジニアリングSF。舞台は近未来。有人火星探査中の事故により、マーク・ワトニーはたった一人で火星に取り残されてしまう。通信用のアンテナも壊れ、地球とも帰還船とも連絡を絶たれたマークだが、懸命に生存の道を探り…

 デビュー作でありながら既に20世紀フォックスによる映画化が進んでいるほか(→Youtubeの予告編)、2015年第46回星雲賞海外長編部門受賞に加え、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014海外篇でもトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Martian, bu Andy Weir, 2011, 2014(少しややこしいので後述)。日本語版は2014年8月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約566頁に加え、中村融による解説「ハードSFの新星」6頁。9ポイント41字×18行×566頁=約417,708字、400字詰め原稿用紙で約1,045枚。上下巻でもいい分量。

 文章は小説としちゃクセのある文体。多くを占めるのは主人公マークが入力したログ、つまりは日記形式だ。これが今風の Facebook やブログっぽい文体なので、好みが分かれるかも。インターネットで文章を読むのに慣れている人には、抜群に親しみやすく読みやすい文体だ。

 それに加え、「だ・である」と「です・ます」調を巧く織り交ぜて、素人が書くブログ風のリズムを感じさせる文章に仕立てあげ、かつ読みやすい日本語に移し変えた訳者の丁寧な仕事に脱帽。

 読みやすい文章を書くのは難しいんだけど、読んでる人はなかなかソレに気づかない…などと語るまでもなく、私のブログを読めば「下手な奴が書いた文章は読みにくい、読みやすさって大事だな」と肌でわかります。

 内要はかなり専門的な事も書いてあるが、いちいちクドくない程度に説明があるので、小学校卒業程度の理科と算数ので充分についていける。「ヒトは酸素を吸って二酸化炭素を吐く」程度で充分。

【どんな話?】

 第三回の有人火星探査は、砂嵐で中断する。運悪く嵐で折れたアンテナがクルーの一人マーク・ワトニーに突き刺さり、彼のバイオモニターは沈黙する。マークを見失ったクルーは彼が死んだと思い、帰還船で火星を離れた。だがマークは生きていた。

 ミッションの基地であるハブにたどり着いたマーク。幸い食料は6人分×50日分=300日分ある。第四回有人探査機が来るのは四年後、3200km離れた地点。アンテナが壊れ地球との通信は途絶、誰もマークの生存を知らない。火星にたった一人取り残され、マークは生き延びるための挑戦を始める。

【感想は?】

 ゲーム脳だからこそ楽しめる、本格的な工学SF小説。

 お話の筋はシンプルだ。火星に取り残された者が、少ない資源を活用して救援が来るまで生き延びる。だが、どうやって? 基地となるハブは、6人が31日間暮せるように出来ている。だが、次の宇宙船が来るのは四年後。

 という事で、マークは生き延びるための計算を始める。まずは食糧。次に電力。酸素。水。それぞれに、今はどれぐらいあるか、手持ちの機器でどれぐらい作れるかを計算し、現状で生き延びられる期間を割り出してゆく。そう、計算なのだ。これほど数字が重要で、かつ次々と出てくる小説も珍しい。ゲーム脳と書いたのも、そのためだ。

 RPGでも格闘ゲームでも、多くのゲームは攻撃力やダメージが数字で出る。プレーヤーは望みの結果を得るため、様々な工夫をして欲しい結果を得るのに相応しい数字を出そうとする。これらの作業は、数字に馴染んでいないと出来ない。先の「ゲーム脳」とは、ゲームで鍛えられ直感的に数字の持つ意味を掴む能力に長けた脳を意味している。

 冒頭から手持ちの食糧で生き延びられる期間を計算し、それでは足りないとなるとジャガイモを作り始める。そのために必要な水はどれぐらか。それをどうやって調達するか。調達に必要な資源は何があって、どれぐらいの効率で生産できるのか。こういった計算の楽しさは、ガスト社のアトリエ・シリーズが好きな人なら分かると思う。

 そして、多くの読者を惹きつける、主人公の性格がいい。とにかく、くじけない。かと言って熱血というわけでもなく、相応に腐る所もあるんだが、すぐに立ち直る。なにより、やがて自分は立ち直る事を自覚しているのがいい。気分が暗くなったら、メシ食って休む。感情豊かだが、それをコントロールする術を身につけているのだ。

 これは冒頭近くで痛感した。目の前には難題だらけ、一歩間違えば自分は死ぬ。ドツボでありながら、マークは考える。「いまは一度にひとつのこと」。そして目先の目標を一つ決め、それに集中するのだ。

 同時に多くのトラブルに見舞われ、修羅場となりながらも切り抜けた経験のある人なら、彼の言葉の重みがわかるだろう。トラブルの時は気持ちが浮き立ち、落ち着いてモノが考えられない。どこから手をつけていいかも判らない。一度に複数の問題を解決しようとすると、たいていは全部駄目になる。一度に一つづつ、着実にこなすのが最も無難だったりする。

 失敗にくじけないのもいい。「これは“失敗”と呼べるかもしれないが、ぼくは“学習体験”と呼びたい」には泣いた。技能を磨きたいと願うエンジニアやクリエイターなら、この台詞に感激した私の気持ちが分かってもらえるはず。

 彼のログの文体が、今風のユーモアに溢れているのも、この作品の大きな魅力。高校時代はダンジョンズ&ドラゴンズに親しんだだけあって、「みなの者、ぼくの植物学パワーを畏れよ!」なんて台詞も飛び出してくる。どころか…。いやあ、なかなかアホな奴だw

 著者はNASAオタクらしく、細かい部分のリアル感も抜群。最初に出てくる帰還船のエンジンが、イオン・エンジンだったり。そう、「はやぶさ」で使われたアレ。短時間に爆発的な推力を得るには向いてないけど、長期間に小さい推力を安定して得るには効率のいいエンジンで、舞台設定的にも最も説得力のあるエンジン。

 などの細かい部分もいいが、やはり主役はコレ、ダクトテープw いやもう、縦横無尽に大活躍するから笑ってしまう。「ダクトテープは魔法だ。崇拝されてしかるべきだ」って、おいw 

 いささか口が悪いのも、若い読者には魅力のひとつだろう。ハブに残ったルイス船長のライブラリに悪態をつくあたりは、著者の実体験が反映してるんじゃないだろうか。なんたって、いきなり「ディスコですか、勘弁してくださいよ、船長」って。私はむしろアバのトラックに感激するルイス船長に味方しちゃうぞ。

 新人のためか、ややこしい心理劇は少ない。主人公は明るく前向きでユーモラスだし、他の登場人物も職務熱心だ。マークは次から次へと危機に襲われるが、「誰かの陰謀」はなく、全て機器の寿命など、人為的でないものばかり。そういった点ではリアルじゃないけど、だからこそSFの醍醐味を純粋に抽出して詰め込んだ、贅沢な作品でもある。

 危機また危機のサスペンス、それを知恵と工夫で切り抜ける主人公、そしてNASAのマシンと火星環境の迫真の描写。著者も読者もメディアも成熟した今だからこそ楽しめる、最高に楽しい王道のSF小説だった。ああ、もちろん、映画のエンディングはコレ(→Youtube)だよね。

【原書の出版経緯、本書の解説より抜粋】

 2009年 著者が自分のウェブサイトで連載を始める。
 2011年?  読者の希望によりキンドル版を発売。
 2013年3月 オーディオブック版のダウンロード販売開始。
 2014年3月 ハードカバー版発売。

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