ベネディクト・ロジャーズ「ビルマの独裁者タンシュエ 知られざる軍事政権の全貌」白水社 秋元由紀訳
国際社会からの圧力が高まる度に少しだけ譲歩姿勢を見せてその場を乗り切るのはタンシュエの常套手段である。国際社会を満足させるのに必要最低限な約束をするのだが、国際社会は毎回これを歓迎する。そして毎回、圧力がなくなると、タンシュエはひっそりと約束を放棄する。
――第7章 僧侶と嵐
【どんな本?】
2007年9月27日、ビルマのラングーンで日本人ジャーナリストが殺される。長井健司、50歳。僧侶を中心とした軍政に抗議するデモを取材中に、兵士に撃たれたのだ。
ジェノサイドリスク指数でビルマはスーダンと並び、失敗国家ランキングでは13位、経済自由度指数では抑圧トップ5に入り、「報道の自由度指数」は175ヵ国中171位。ビルマは北朝鮮並みに抑圧された国家である。
そのビルマを仕切っていると言われるのが、タンシュエ(→Wikipedia)だ。軍事政権と呼ばれ集団統治体制のように思われ、現大統領はテインセインだが、実際にはタンシュエの独裁と思われる。
強大な権力でビルマに君臨するタンシュエだが、金正恩などと比べ名前はあまり知られていない。そのタンシュエとはどんな人物で、どのように出世し、どう権力を掌握し、どのような統治をしているのか。知られざる独裁者の生涯を追うと共に、なかなか民主化が進まないビルマの現代史を辿る、野心的なドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は THAN SHWE : Unmasking Burma's Tyrant, by Benedict Rogers, 2010。日本語版は2011年12月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約263頁に加え、根元敬の解説「タンシュエ後のビルマ」4頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×263頁=約224,865字、400字詰め原稿用紙で約563枚。標準的な文庫本の長編小説一冊分ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。ビルマの現代史を扱う本だが、特に前提知識は要らない。第二次世界大戦以降のビルマの歴史が背景事情として重要だが、必要な事柄は文中に説明がある。敢えて言えば、ビルマ人の名前が日本人には耳慣れず憶えにくい事ぐらいだが、ちゃんと巻末に人名索引がある。
【構成は?】
話は原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
今なお事実上の軍政が続くビルマの実情を晒す本だ。それだけに、文章はイマイチ歯切れが悪い。
「ある外交官によると」「…だとも言われている」「…という噂もある」など、断定を避けた表現が多い。ただし、いい加減な噂を集めたわけではない。
著者はあくまでも誠実だ。20頁に及ぶ原注や、12頁を費やした参考文献に、出来るかぎりソースを明示しようとする姿勢が現れている。なにより、「はじめに」で、「私は人権活動家でもある」と自らの立場を明らかにし、「どうしても偏りがある」とまで告白している。作家としては、極めて誠実な態度だろう。
冒頭部は近代以降のビルマの歴史と、若きタンシュエの生涯を描いてゆく。一般に独裁政権は一つの政治思想を国民に押し付けるものだ。が、本音じゃ大事なのは「誰がボスか」であり、思想はどうでもいいんじゃないかと思う。ビルマの場合もあからさまだ。1962年にクーデターで支配権を握ったネーウェン(→Wikipedia)が、それを証明している。
BSPP(ビルマ社会主義計画党)を結成したはいいが、指針がない。ってんで、「自身の統治を正当化する主義や原則を見つけようとした」。素直に「オレがボスだ、オレに従え」でいいんじゃないかと思うが、独裁者も言い訳が必要だと感じるらしい。
この頃の中国との関係は複雑だ、国軍はビルマ共産党相手に激しく戦っている。ビルマ共産党は中国の支援を受け、ヤバくなると国境を越え中国に逃げるんで、なかなか殲滅できない。その中国は「ネーウィン政府とも友好関係を持っていたが、ビルマ共産党にも武器や弾薬をたっぷりと支給していた」。
したたかな中国だから、両天秤をかけていたのか、武器売買で稼いでいたのか。
トップに立つ前のタンシュエは目立たぬ人で、国軍に忠実ではあってもあまり有能とは見なされなかったようだ。意図して隠していたのか、空気を読んで大人しくしていたのか。
そんなタンシュエは、1992年4月23日にトップに立つ。もともと軍政で抑圧的なビルマの体制が、少し変わるんじゃないかとの期待をよそに、タンシュエは従来どおり、またはそれ以上の抑圧政策を続けてゆく。軍優先の政策は北朝鮮同様で…
米国ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学のブルームバーグ公衆衛生大学院と、カリフォルニア大学バークレー校の人権センターが共同で発表した報告書によれば、ビルマ軍政は、保健分野には国家予算の3%以下しか充てないのに対し、「40万の兵力を有する軍」には40%も充てる。
ちなみに自衛隊の兵力は約24万で人口の約0.2%、ビルマの人口は2013年で約5330万人だから軍は約0.75%。意外と軍は小さい。
とまれ政権の腐敗ぶりはたいしたもので、タンシュエの娘タンダーシュエの結婚式で「新郎新婦が受け取った結婚祝いの品々には高級車や家屋まであり、5000万ドル相当に上ったといわれている」。経済も無茶苦茶で…
マサチューセッツ大学のジャラル・アラムギル教授(政治学)によれば、今日、武器や麻薬、闇市場での取引がビルマの貿易の50を占める。
これらを取り仕切っているのが、テーザーやトウンミンナインことスティーヴン・ロー。そして国家としてはシンガポールとドバイ。いずれの国も主義主張に基づくものではなく、損得勘定で付き合っている模様。
国民弾圧のエピソードが多く出てくる中でも、恐ろしいのは2008年5月のサイクロン「ナルギス」の話だ。インドの気象当局からサイクロンについて警告があったにもかかわらず、政府は国民に注意を呼びかけなかった。結果、「犠牲者は少なくとも14万人で、250万人以上が家を失ったと推定」って、国民の約5%がホームレスになってるぞ。にも関わらず…
当初は海外からの支援を断った。後に態度を軟化させ支援を受け入れることにしたが、それでも外国人援助関係者が入国して援助物資の配布や支援活動の監督をするのを認めなかった。
おまけに、ビルマの国営銀行は海外からの援助資金に10%課税で巻き上げ、二重為替レートを使って国連の援助資金から1000万ドル以上をピンハネする。国連もいい加減なもので、インナー・シティ・プレスのマシュー・ラッセル・リー記者は…
「援助資金のうち、もっとも低く見積もっても17%がミャンマー政府に渡っている。資金提供国はこの状態を受け入れられるのだろうか。国連が当初は2億ドル、そして今月に入ってからさらに3億ドルの資金が必要だとドナー国に呼びかけている中で、こうした損失が出ていることがなぜ公表されなかったのだろうか」
と国連を追求している。国連の脇の甘さはともかく、国民の被災すら己の蓄財に利用する餓鬼道ぶりが私は恐ろしい。
このような政権に対し、他の国に何が出来るかというと。この記事の冒頭の引用を見てほしい。「タンシュエ」を「北朝鮮の金政権」に変えても、そのまま通用するから困る。独裁者の性格はそれぞれでも、手口は似ているのだ。そして、今の所、国際社会は適切な対処法を見つけていない。
他にもアウンサンスーチーの軟禁、翼賛政党の利用法、核および弾道ミサイル開発、北朝鮮との結びつき、小数民族の弾圧など、独裁政権につきものの話は一そろいでてくる。ドキュメンタリーとしては比較的に頁数が少ないが、金の流れやロビー活動など搦め手のネタも豊富で、興味深く読めた。
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