野崎まど「know」ハヤカワ文庫JA
「最近の方は、なんでもご存知で良いですねえ」
【どんな本?】
人気の親衛作家・野崎まどによる、書き下ろし長編SF小説。舞台は近未来の京都。室内ばかりか町中に情報ネットワークが張り巡らされ、また人は脳に電子葉を組み込み、常時ネットワークに繋がっている時代。情報庁に務める御野・連レルは、恩師が密かに隠した暗号に気づくが…
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」のベストSF2013国内篇で第5位に輝いた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年7月25日発行。文庫本縦一段組み本文約344頁。9ポイント40字×17行×344頁=約233,920字、400字詰め原稿用紙で約585枚。文庫本の長編小説としては標準的な長さ。
文章は比較的こなれている。内容も特に難しくない。情報ネットワークが重要な役割を果たす作品だが、特に専門知識は要らないだろう。携帯電話やスマートフォンを使っていて、電波の調子が悪い経験があれば充分に雰囲気は掴める。
【どんな話?】
近未来の京都。情報基盤は極小サイズの情報素子が支えていた。これは常に周囲の情報を集め、また互いに交信して通信ネットワークを築き上げる。室内はもちろん建築物や街路にまで情報素子が添加・塗布され、特に京都は情報素子インフラが整っていた。
人々は情報素子が生み出す膨大な情報に対応するため、脳に電子葉を埋め込み、常時ネットワークから情報を引き出し、利用できるようになった。
情報庁に務める御野・連レルの人生は、中学二年の時に決まった。学生向けプログラミングワークショップで、師と仰ぐ人に出会ったのだ。
【感想は?】
冒頭の引き込み方が巧い。多くの読者が、世代間の情報格差を示すエピソードで「あるある」と感じるだろう。
既に今でも、世代による情報格差が露わになりつつある。現代の日本では、幾つかの帯ができているように思う。最も高齢な世代は、携帯電話も使えない。次の世代だと、子や孫に勧められ携帯電話やスマートフォンが使えるが、パソコンは使えない。その次の働き盛り~新入社員の世代は、パソコンも携帯電話も使う。
ところが、大学新入生ぐらいの世代になると、スマートフォンは使えてもパソコンは使えない人が出てくる。以後、若くなるほど、パソコンを使えない人が増える。インターネットを使った情報処理能力が、世代によって縞状になっているのだ。
私はパソコンの世代で、何かを調べるときは、とりあえず Google で検索する。が、悲しい事に、集めた情報を処理する能力はかなり貧しい。「流し読み」ができないのだ。一応 Twitter もやっているが、フォローしている人は20人に満たない。それ以上増えると、読みきれないのだ。
メールの返事を書くのも遅く、文章の推敲で数十分を費やしてしまう。リアルタイムの読み書きを要求されるチャットは拷問に近い。LINE に至っては完全に別の宇宙の話としか思えない。
この物語は、近未来の京都が舞台だ。人の生活空間に情報素子が満ちあふれ、いつでも・どこでもコンピュータと情報ネットワークが使える、究極のユビキタス・コンピューティング、ユビキタス・ネットワークが普及した世界である。
ただし、その環境に、ヒトが順応できるかというと、なかなか難しい。ネットには情報が満ちあふれているが、ヒトの脳は膨大な情報を処理しきれない。そこで支援装置として電子葉を脳に埋め込むが、電子葉を使いこなすにも熟練が必要で、若い人ほど電子葉を使い慣れている。
膨大な情報を持つネットワークから、求める情報をいつでも引き出せるなら、それは「知っている」事と、何が違うんだろう? などという深遠な問題を、たった一言「最近の方は、なんでもご存知で良いですねえ」で伝えきってしまうのは見事。
インターネットは便利でもあるが、困った性質もある。アルコールや麻薬のような依存性があるのだ。Wikipedia なんて困ったもんで、ちょっと調べるつもりで開いたはずなのに、文中のリンクを辿り始めると数十分がたっていたりする。これはヒトが持つ業のせいだろう。そう、know の欲求だ。
「“知りたい”。それは本質的な欲求だ」
Wikipedia を読み始めるとキリがないのは、ヒトが「知りたい」という欲求を持っているからだ。優れた物語は、この欲求を上手に刺激する。「この人はどんな人なんだろう」「このメッセージの真意は何だろう」「このお話はどこに着地するんだろう」。お陰で、私もこの本のせいで睡眠不足になった。全部野崎まどが悪い←をい
物語は、エリート公務員の御野・連レルの視点で、恩師である道終・常イチが残した謎と、道終から預かった少女の道終・知ルの逃避行を中心に進む。メディアワークス文庫や電撃文庫で活躍するだけあって、アクション・シーンも強くデフォルメしている。
私は追っ手の素月・切ルが気に入った。やっぱり光る悪役がいると、物語は引き締まるよなあ。みかけはありがちなチャラ男というか、妙に軽い雰囲気なんだが、性格が作品中でも突出してゲスなのがいい。全般的に育ちのいい人ばかりが出てくる物語のなかで、一滴の汚水というか、掃き溜めの鶴の逆というか。
などと身近な感覚で始まり、コミック的なアクションを経た末に、物語は壮大なフィナーレへと雪崩れ込む。
なまじ皮膚感覚で「わかる」エピソードで始まっただけに、この終盤との落差の衝撃は大きかった。一見、味付け程度にSFガジェットを使ったライトノベル風に見せながら、まさかの本格SF展開になるとは。舞台が京都だけに、この大仕掛けは小松左京を連想してしまう。
ありがちなサイバー物を装い、ライトノベル風味に味付けしつつも、その本性はヒトの業の行きつく先を示した本格SF小説だった。ベストSF2013国内篇で Gene Mapper に次ぐ位置につけたのも頷ける。
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