« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月の15件の記事

2015年7月31日 (金)

野崎まど「know」ハヤカワ文庫JA

「最近の方は、なんでもご存知で良いですねえ」

【どんな本?】

 人気の親衛作家・野崎まどによる、書き下ろし長編SF小説。舞台は近未来の京都。室内ばかりか町中に情報ネットワークが張り巡らされ、また人は脳に電子葉を組み込み、常時ネットワークに繋がっている時代。情報庁に務める御野・連レルは、恩師が密かに隠した暗号に気づくが…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」のベストSF2013国内篇で第5位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年7月25日発行。文庫本縦一段組み本文約344頁。9ポイント40字×17行×344頁=約233,920字、400字詰め原稿用紙で約585枚。文庫本の長編小説としては標準的な長さ。

 文章は比較的こなれている。内容も特に難しくない。情報ネットワークが重要な役割を果たす作品だが、特に専門知識は要らないだろう。携帯電話やスマートフォンを使っていて、電波の調子が悪い経験があれば充分に雰囲気は掴める。

【どんな話?】

 近未来の京都。情報基盤は極小サイズの情報素子が支えていた。これは常に周囲の情報を集め、また互いに交信して通信ネットワークを築き上げる。室内はもちろん建築物や街路にまで情報素子が添加・塗布され、特に京都は情報素子インフラが整っていた。

 人々は情報素子が生み出す膨大な情報に対応するため、脳に電子葉を埋め込み、常時ネットワークから情報を引き出し、利用できるようになった。

 情報庁に務める御野・連レルの人生は、中学二年の時に決まった。学生向けプログラミングワークショップで、師と仰ぐ人に出会ったのだ。

【感想は?】

 冒頭の引き込み方が巧い。多くの読者が、世代間の情報格差を示すエピソードで「あるある」と感じるだろう。

 既に今でも、世代による情報格差が露わになりつつある。現代の日本では、幾つかの帯ができているように思う。最も高齢な世代は、携帯電話も使えない。次の世代だと、子や孫に勧められ携帯電話やスマートフォンが使えるが、パソコンは使えない。その次の働き盛り~新入社員の世代は、パソコンも携帯電話も使う。

 ところが、大学新入生ぐらいの世代になると、スマートフォンは使えてもパソコンは使えない人が出てくる。以後、若くなるほど、パソコンを使えない人が増える。インターネットを使った情報処理能力が、世代によって縞状になっているのだ。

 私はパソコンの世代で、何かを調べるときは、とりあえず Google で検索する。が、悲しい事に、集めた情報を処理する能力はかなり貧しい。「流し読み」ができないのだ。一応 Twitter もやっているが、フォローしている人は20人に満たない。それ以上増えると、読みきれないのだ。

 メールの返事を書くのも遅く、文章の推敲で数十分を費やしてしまう。リアルタイムの読み書きを要求されるチャットは拷問に近い。LINE に至っては完全に別の宇宙の話としか思えない。

 この物語は、近未来の京都が舞台だ。人の生活空間に情報素子が満ちあふれ、いつでも・どこでもコンピュータと情報ネットワークが使える、究極のユビキタス・コンピューティング、ユビキタス・ネットワークが普及した世界である。

 ただし、その環境に、ヒトが順応できるかというと、なかなか難しい。ネットには情報が満ちあふれているが、ヒトの脳は膨大な情報を処理しきれない。そこで支援装置として電子葉を脳に埋め込むが、電子葉を使いこなすにも熟練が必要で、若い人ほど電子葉を使い慣れている。

 膨大な情報を持つネットワークから、求める情報をいつでも引き出せるなら、それは「知っている」事と、何が違うんだろう? などという深遠な問題を、たった一言「最近の方は、なんでもご存知で良いですねえ」で伝えきってしまうのは見事。

 インターネットは便利でもあるが、困った性質もある。アルコールや麻薬のような依存性があるのだ。Wikipedia なんて困ったもんで、ちょっと調べるつもりで開いたはずなのに、文中のリンクを辿り始めると数十分がたっていたりする。これはヒトが持つ業のせいだろう。そう、know の欲求だ。

「“知りたい”。それは本質的な欲求だ」

 Wikipedia を読み始めるとキリがないのは、ヒトが「知りたい」という欲求を持っているからだ。優れた物語は、この欲求を上手に刺激する。「この人はどんな人なんだろう」「このメッセージの真意は何だろう」「このお話はどこに着地するんだろう」。お陰で、私もこの本のせいで睡眠不足になった。全部野崎まどが悪い←をい

 物語は、エリート公務員の御野・連レルの視点で、恩師である道終・常イチが残した謎と、道終から預かった少女の道終・知ルの逃避行を中心に進む。メディアワークス文庫や電撃文庫で活躍するだけあって、アクション・シーンも強くデフォルメしている。

 私は追っ手の素月・切ルが気に入った。やっぱり光る悪役がいると、物語は引き締まるよなあ。みかけはありがちなチャラ男というか、妙に軽い雰囲気なんだが、性格が作品中でも突出してゲスなのがいい。全般的に育ちのいい人ばかりが出てくる物語のなかで、一滴の汚水というか、掃き溜めの鶴の逆というか。

 などと身近な感覚で始まり、コミック的なアクションを経た末に、物語は壮大なフィナーレへと雪崩れ込む。

 なまじ皮膚感覚で「わかる」エピソードで始まっただけに、この終盤との落差の衝撃は大きかった。一見、味付け程度にSFガジェットを使ったライトノベル風に見せながら、まさかの本格SF展開になるとは。舞台が京都だけに、この大仕掛けは小松左京を連想してしまう。

 ありがちなサイバー物を装い、ライトノベル風味に味付けしつつも、その本性はヒトの業の行きつく先を示した本格SF小説だった。ベストSF2013国内篇で Gene Mapper に次ぐ位置につけたのも頷ける。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月29日 (水)

P・ルクーター/J・バーレサン「スパイス、爆薬、医療品 世界を変えた17の化学物質」中央公論新社 小林力訳

酸化というのは、分子に酸素原子が加わるか、水素原子が引き抜かれるか、あるいは両方おきることを意味する。この反対は還元という。分子から酸素原子が取り除かれるか、水素原子が加わるか、あるいは両方起こる。
  ――二章 アスコルビン酸 オーストラリアがポルトガル語にならなかったわけ

 1856年、パーキンがモーブを合成した年、イギリスにおける平均寿命は約45歳だった。この数字は19世紀を通じてほとんど変わらない。1900年のアメリカでは、ほんのわずかに延びて、男性で46歳、女性で48歳だった。しかいs一世紀経つと、これらの数字は男性72歳、女性79歳に跳ね上がる。
  ――十章 医学の革命 アスピリン、サルファ剤、ペニシリン

【どんな本?】

 インドのスパイスは大航海時代をもたらした。だがビタミンCの不足による壊血病が長期間の航海を阻んだ。グルコースの甘さは奴隷貿易を生み、奴隷制はグルコースのポリマー(重合体)セルロースを作る綿花栽培を栄えさせ、普及した綿布は綿火薬ニトロセルロース発見のきっかけとなり…

 我々の生活を支える様々な化合物には、どんなものがあるのか。それらはどのように発見され、どんな構造をしてどんな性質がありどう取引され、社会や歴史にどんな影響を及ぼしたのか。様々な分子が歴史に及ぼした影響を語りつつ、亀の甲の読み方も少しだけ理解できる、一般向けの歴史と化学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Napoleons Bottons, by Penny Le Couteur & Jay Burreson, 2003。日本語版は2011年11月25日初版発行。単行本ハートカバー縦一段組みで本文約359頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント46字×20行×359頁=約330,280字、400字詰め原稿用紙で約826枚。文庫本の長編小説なら少し長めの分量。

 文章はこなれている。分子式や構造式も多数出てくるが、よく分からなかったら読み飛ばしても構わない。歴史・化学ともに中学校卒業程度の知識があれば充分に楽しめる。

【構成は?】

 各章は穏やかに関係しているが、気になる所だけを拾い読みしても楽しめる。ただし序章だけは最初に読んだ方がいい。構造式の読み方のキモを分かりやすく説明している。

  • 序章
  • 一章 胡椒、、ナツメグ、クローブ 大航海時代を開いた分子
  • 二章 アスコルビン酸 オーストラリアがポルトガル語にならなかったわけ
  • 三章 グルコース アメリカ奴隷制を生んだ甘い味
  • 四章 セルロース 産業革命を起こした綿繊維
  • 五章 ニトロ化合物 国を破壊し山を動かす爆薬
  • 六章 シルクとナイロン 無上の交易品とその合成代用品
  • 七章 フェノール 医療現場の革命とプラスチックの時代
  • 八章 イソプレン 社会を根底から変えた奇妙な物質
  • 九章 染料 近代化学工業を生んだ華やかな分子
  • 十章 医学の革命 アスピリン、サルファ剤、ペニシリン
  • 十一章 避妊薬 女性の社会進出を後押しした錠剤
  • 十二章 魔法の分子 幻想と悲劇を生んだ天然毒
  • 十三章 モルヒネ、ニコチン、カフェイン 阿片戦争と三つの快楽分子
  • 十四章 オレイン酸 黄金の液体は西欧文明の神話的日常品
  • 十五章 塩 社会の仕組みを形作った人類の必須サプリメント
  • 十六章 有機塩素化合物 便利と快適を求めた代償
  • 十七章 マラリア vs. 人類 キニーネ、DDT、変異ヘモグロビン
  •  エピローグ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 化学実験器具を買い込みたくなる危険な本。

 化学と歴史の本だ。だから両方の面白さがある。化学については初歩的なものが多いので、詳しい人には退屈かもしれない。幸い?私は化学がまるでダメなので、とても楽しく読めた。

 例えばセルロース;。植物繊維の一種で、食物繊維の主成分だ。つまりは繊維で、糸や布や紙になるシロモノである。これが「グルコース(ブドウ糖)のポリマー(重合体)」ってのに驚いた。あの甘い砂糖と似たシロモノなのだ。しかも、デンプンなど多糖類もグルコースのポリマーで、化学式で見るとセルロースと変わらない。

 何が違うかというと、中のOH(酸素&水素)と炭素とのつながり方が違うだけ。その違いだけで、ヒトはデンプンを消化でき、セルロースは消化できない。世の中には沢山の草や木があるのに、食べても栄養にならない。なんとも不思議な話だ。

 植物繊維の代表セルロースに対し、動物の繊維の代表は絹だろう。この本には微量の物質を得るために大量の原料を使う話が何度もでてくるが、絹の項ではなぜ高いのか嫌でも実感できる。

(カイコの)卵1gから、幼虫(芋虫)が千匹以上生まれ、これらは全部で36kgの桑の葉をむさぼり食い、約200gの絹糸を生産する。

 200gの絹糸を作るのに、36kgもの桑の葉が必要とは知らなかった。その後も糸を撚って布に織るわけで、一枚の絹糸を作るのにどれだけの手間がかかっていることやら。

 ニワカ軍ヲタとしても、楽しい話が拾えた。例えばゴムの話だ。太平洋戦争の初期、日本は東南アジアを席巻する。これは大きな戦果だった。なぜって、「1932年には、東南アジアのプランテーションが世界のゴム生産の98%を占め」ていたからだ。ゴムがなければタイヤもゴム栓も作れない。おお、チャンスじゃん。

 と思ったが、さすがアメリカ。ルーズベルト大統領は特別委員会を作り、解決策を探る。「アメリカの化学工業は戦時動員され」1941年に8千トンだったアメリカの合成ゴム生産が、1945年には80万トンを超える。とんでもねえ化学力・工業力だ。対して日本の戦略物質管理はというと、大井篤の「海上護衛戦」を読むと悲しくなります。

 意外な研究が意外なモノにつながるのも、化学の面白いところ。染料の研究が抗生物質サルファ剤の開発につながっている。主役は医師パウル・エールリッヒ(→Wikipedia)。染料をバネに化学工業が発達した時代のドイツの人だ。彼のヒラメキが凄い。

様々なコールタール染料が、ある組織や微生物を染める一方、ある組織・微生物は染めないことに気が付いた。もし、ある染料が、ある微生物に吸着し、他の微生物に吸着しないなら、この差は、有毒な毒素を使えば、それが結合する組織を殺し、染めない組織には害がない(略)。宿主に害を与えず、病原微生物だけ退治する…

 今となっては当たり前のアイデアだが、当時としては画期的な発想だった。にしても、アイデアを染料から得たって所には感動する。かくして、「特定の病原菌だけを攻撃する薬」という発想が生まれ、医療を大きく進歩させ、人類の平均寿命を延ばしてゆく。

 最近になって生態系の多様性の大切さが盛んに喧伝されているが、単に「大事だよ」ってだけじゃ、どうにも納得できない。が、それが納得できたのも、この本。

 多くの薬剤は、植物からできる。なぜか。植物は動けない。だから動物から逃げられない。そこで身を守るために、化学物質を使う。カフェインもその一つだ。だから、植物のアルカロイドを調べれば、「天然の抗カビ剤であり殺虫剤・殺菌剤」が見つかるのだ。

 ケッタイな亀の甲の読み方が少しだけ分かった気になれる上に、大小さまざまな歴史上のエピソードも盛りだくさん。私としては、我々の生活がどれほど多くの化学技術と全世界的な貿易に支えられているかを実感できたのが嬉しかった。特に化学式を見ると頭痛がするタイプにお勧めの、楽しい化学の本。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月27日 (月)

ジョン・C・ライト「ゴールデン・エイジ 3 マスカレードの終焉」ハヤカワ文庫SF 日暮雅通訳

「人はみな、何か困難なことがあるとアトキンズのような人がそばにいてくれることを望みます。しかし、アトキンズになりたいと思う人はひとりもいません。それもまた、わたしがしなければならないささやかな仕事のひとつです」

「影響を及ぼすのは物語なのよ。事実は人を殺す。でも、人人が命を捧げるのは架空の物語になの」

【どんな本?】

 アメリカのSF/ファンタジイ作家ジョン・C・ライトによる、巨大な処女長編SF小説三部作の完結編。舞台は遠未来。人類は太陽系に広がり不死となり、肉体を改造するばかりか精神を拡張し記憶の編集までもが可能となった。光電子工学的自己認識体ソフォテクの献身的なサポートを受け、<黄金の普遍>と呼ばれる平和で豊かな文明を謳歌している。

 失った記憶を取り戻し、また巨大な恒星間宇宙船<喜びのフェニックス号>も取り戻したファエトン。<敵>の存在も明らかとなり、ついに<喜びのフェニックス号>は出航するが…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2008年版」のベストSF2007海外篇で第17位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Golden Transcendence, Or, The Last of the Masquerade, by John C. Wright, 2003。日本語版は2007年10月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約560頁に加え、付録「名前の構造と歴史の変遷」19頁+訳者あとがき6頁。9ポイント40字×18行×560頁=約403,200字、400字詰め原稿用紙で約1,008枚。上下巻でもおかしくない分量。

 この巻に至っても常軌を逸したアイデアの本流は止まらず、次から次へとイカれたガジェットが連続してでてくるので、相応にSFを読みなれた人向け。お話は素直に前巻に続く内容なので、「幻覚のラビリンス」「フェニックスの飛翔」から続けて読もう。

【どんな話?】

 記憶も<喜びのフェニックス号>も取り戻したファエトンは、ついにアトキンズと共に水星等辺区域を出航した。何百万トンもの反物質を積み、全長100kmにもおよぶ<喜びのフェニックス号>は、90Gもの強烈な加速で飛翔し、木星と太陽のラグランジュ・ポイントであるトロヤ群小惑星の都市群に向かっていた。

【感想は?】

 やっと第三部になって、<喜びのフェニックス号>が飛んだ。さあ、太陽系を出発…

 と思ったら。ファエトン君は苦労の末になんとか<喜びのフェニックス号>に乗り込み、制御は取り戻したものの。今の立場は<喜びのフェニックス号>にパイロットであって、オーナーじゃない。その他諸々の事情で、トロヤ群の海王星人と交渉でにゃならん。

 「幻覚のラビリンス」の冒頭から発揮された、海王星人の特異な会話センスはここでも健在で、読者もファエトン君もイライラさせられっぱなし。丁寧ではあるんだけど、困ったもんです。

 やっと姿を現した<敵>の正体を語る部分は、これまた実に大掛かり。ある意味、リバタリアンの楽園かも。ここでもマッドなアイデアが矢継ぎ早に出てくる。

 にはいいが、肝心の<喜びのフェニックス号>はなかなか飛び立たず、太陽系内をウロチョロしてばかり。多少のアクションはあるものの、全体としては哲学的な問答を中心としたディスカッション小説として進んでゆく。

 モノゴトを論理的に、かつ極めて高速に考えられるソフォテク。あくまで戦士としての規範に従い、最悪の場合への備えを怠らないアトキンズ。そして<黄金の普遍>とは全く異なる環境で、全く異なるテクノロジーと社会と哲学を発達させた<沈黙の普遍>。

われわれの哲学が今のようなものになったのは、歴史や文化の偶然――わたしたちの伝統を形作った偶然によるものだ。

 敵の語るブラックホールを利用して作った世界は、これまた実にイカれた楽しいシロモノで。これだけ大掛かりで不可思議で、我々の感覚で考えると明らかに変なのに、理屈の上じゃ可能に見える世界なんて、滅多にあるもんじゃない。空間もエネルギーも、ほとんど無限に作れる世界なんて。

 完結編なだけあって、物語は綺麗に終わっている。最初にファエトンに絡んだ不躾な老人の正体、ヘリオンが巻き込まれた事故の真相、けなげなヒロインであるダフネ・テルシウスの過去と運命、そして<黄金の普遍>の将来も。

 改めて全体を見回してみると、キチンとそれぞれの人?物にケリはついてるし、お話の辻褄もあっている。が、いかんせん、やたらと長い上に設定が複雑怪奇に入り組みすぎ。物語の根本をなす仕掛けである、「記憶すら改変できる」という技術が話を面白くしていると同時に、お話を紡ぐ道具としては便利すぎる感があるなあ。

 これがP・K・ディックなら「俺は何者だ」と鬱々と悩むんだが、「今の私は今の私だ」と開き直って突っ走る人ばかりなのが、この作品の特徴かも。そう、何が起ころうと常に前向きで、明るい雰囲気が漂っているのが、今世紀風なのかも。

 と同時に、一人称が「俺」ではなく「私」なのも、この作品の特徴。ファエトンが属するシルヴァーグレイ派が、英国の紳士文化を受け継いでいるらしく、ファッションがいちいち古風で言葉遣いが丁寧なあたりが、おかしくもあり遠未来的な味でもあり。

 基本的に主人公ファエトンを三人称で描く物語だ。現代とは技術も価値観も異なる遠い未来を舞台としているため、登場人?物たちが使う言語も、今の英語じゃあるまい。というか、そもそも音声でのやりとりをしているとも思えないし。

 という事で。この小説は特に「年代記」として書かれた作品ではないけれど、どうにも「現代人にとって未知の言語で書かれたテキストを現代語に訳しました」みたいな、少しよそよそしい雰囲気が漂っている。一人称を「私」にしたのは、訳者がそこまで考慮したのか、<黄金の普遍>の人々の育ちの良さを伝えるためなのか。

 というのも、主人公のファエトン君、育ちはいいものの、性格はパワフルで、「俺」が似合いそうなキャラなんだよなあ。

 豪華絢爛な場面描写、次々と出てくるマッドでイカれたアイデアの数々、くじけず前向きな主人公にけなげで綺麗なヒロイン、魔法のようなテクノロジーにやたらと大掛かりな仕掛け、そして未来ならではの倫理をめぐるディスカッション。濃いSF要素をたっぷり詰め込んだ、明るく元気でお行儀のいい新時代のワイドスクリーン・バロックだ。 

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月23日 (木)

ジョン・C・ライト「ゴールデン・エイジ 2 フェニックスの飛翔」ハヤカワ文庫SF 日暮雅通訳

「作る? どういうこと、作るって? 物を作れるのはマシンだけよ。人間には何も作れないわ、現代の人間にはね」

メインメモリとプロセッシング・コアは理解の域を完全に超えていた。その部分はシート状のニュートロニウムでできているらしく、絶対零度で凍結し、強力な核力で結合した高密度の亜原子粒子がマトリクス状に、きわめて整然と配列されている。

【どんな本?】

 アメリカのSF/ファンタジイ作家ジョン・C・ライトによる、巨大な処女長編SF小説三部作の第二部。遠未来、人類は不死を獲得し太陽系に広がった。自らの肉体や精神を様々な形に編集すると共に、光電子工学的自己認識体ソフォテクの献身的なサポートを受け、<黄金の普遍>と呼ばれる平和で豊かな文明を謳歌している。

 エンジニアのファエトンは、失った自らの記憶を取り戻す代償として、家族も全ての財産も、そしてソフォテクの支援も失い、<黄金の普遍>文明から事実上の追放に等しい措置を受ける。最後に受けた助言に従いタライマナーを目指すが…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2008年版」のベストSF2007海外篇で第17位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Phoenix Exultant Or, Dispossessed in Utopia,  by John C. Wright, 2003。日本語版は2007年5月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約497頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント40字×18行×497頁=約357,840字、400字詰め原稿用紙で約895枚。上下巻に分けるには少し足りないぐらいの分量。

 前巻は慣れるまでかなり苦労したが、この巻に入る頃には読み方もわかってきて、少しは楽になる。とはいえ、あくまでも慣れたからで、相変わらず背景事情も仕掛けも複雑怪奇だし、奇抜なアイデアも続々と出てくる。SF上級者向けな事に変わりはない。

 お話は前巻から素直に続いているので、いきなりこの巻から入るのは無茶。素直に「幻覚のラビリンス」から読もう。

【どんな話?】

 失った250年分の記憶っは取り戻したものの、家族も財産も失い、ソフォテクによるサービスすら受けられなくなったファエトン。彼が財産と持てる技術の全てをつぎ込んだ巨大な恒星間宇宙船<喜びのフェニックス号>も差し押さえられ、解体の危機に瀕している。追放者となったファエトンはタライマナーを目指し…

【感想は?】

 幻覚がはがれ、次第に現実が見えてくるのがこの巻。

 前巻の終盤から、豪華絢爛に見える<黄金の普遍>の舞台裏が見えてくる。この巻でも、暫くファエトンはメンタリティから遮断され、肉眼で世界を眺めているため、巷に溢れるメッセージを読み取れない。そのため、ファエトンと共に読者も、虚飾をはぎ取られた<黄金の普遍>を可視光線で見る形になる。

 現代に生きている我々も、電気や水道などの基本的なサービスは既に空気のような存在で、「あるのが当たり前」だ。停電や断水などでサービスを絶たれてはじめて、これらのサービスの存在と有難みを実感する。そんな具合に、生活のあらゆる所に入り込んでいた<黄金の普遍>のサービスを、失った事で認知させられるのが、この巻の前半。

 基本サービスに加え、周囲の人々からも追放されてしまったファエトンだが、本性は変わらず。タライマナーに向かう道中で、<喜びのフェニックス号>について語る場面は、「うんうん、わかるぞその気持ち」となってしまう。

ファエトン「…摩擦による熱損失で生じる輻射背圧を補正すると、この船が出せるスピードは……」
某「船の仕様について聞く必要はない」
ファエトン「でも、そこがいちばんおもしろいところなんですよ!」

 自分が好きなコトガラについて語りだすと、大枠を忘れ細かい所に拘ってしまうマニアの困った性癖。ましてや、「好きな」どころか自分が作ったとあっては、そりゃ語り始めたら止まらなくなるのも無理はない。聞く方はたまったモンじゃないけどw

 やがてファエトンがたどり着くタライマナーでも、<黄金の普遍>の舞台裏が明かされる。こちらは技術的なものではなく、社会的なもの。貴族の一人ヘリオンの子であり、また優秀なエンジニアでもあるファエトンは、この社会の中でも豊かな生活をしていた。この社会にも格差はあり、貧しい者もいるわけで…

 という事で、貧しい者がどんな生活をしているのかを描くだけでなく、なぜ貧しいままなのか、その根底にある問題も見せてくれるのが一つの読みどころ。

 ファエトンは不死も剥ぎ取られている。この変化がファエトンにどんな影響を及ぼすかを分析しつつ、逆に「不死が人の考え方をどう変えるか」を描いているのにも注目しよう。その後のオシェンキョーが群集を煽る台詞も、ありがちだが悲しい現実を映している。

 人の精神を自由に編集できる世界のためか、犯罪に対する刑罰も様々。ちょっと式貴士っぽいアイデアも出てきたり。

 こういった社会風刺的な場面がチョコチョコでてくるのも、この巻の特徴だろう。醜悪趣味者たちとの会話は、いつの時代にもある世代の軋轢を見るようで、少し苦かったり。

 などの中盤を過ぎ、終盤になるとアトキンズの再登場と共に、再びクレイジーなアイデアが続々と出てきて、ワイドスクリーン・バロックな展開へと向かってゆく。とはいえ、こういうイカれたアイデアは「人の暮らしを豊かで便利にする」ものより、戦いに関する事の方が面白いのは、やっぱり読んでる私の性向のためなんだろうかw

 そして終盤では、著者の歴史・文学趣味が全開となって暴走を始める。主人公ファエトンの名前からして、ギリシャ神話のパエトン(→Wikipedia)だし。ところでチャン・ヌーニャン・スフィのエピソードは、ラリイ・ニーヴンが「プダウの世界」(「プロテクター」だったかも)で見せた大ネタかな?

 豊かに繁栄する<黄金の普遍>世界の舞台裏を覗かせ、多少の社会風刺の後に本題の<敵>との戦いへと引き戻し、マッドなアイデアを続々と繰り出しながら高揚した雰囲気で、第二部は終わった。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月22日 (水)

ジョン・C・ライト「ゴールデン・エイジ 1 幻覚のラビリンス」ハヤカワ文庫SF 日暮雅通訳

「たとえ監獄が宇宙ほどの広さであっても、監獄であることに変わりはありません。わたしは、そこに閉じ込められるつもりはありません」

「生きることは、リスクを負うということです。鳥もリスクを負っています。ハチもリスクを負っています。小ざかしい蚕でさえリスクを負っています。そうしなければ、彼らは死んでしまうのです」

【どんな本?】

 アメリカのSF/ファンタジイ作家ジョン・C・ライトによる、巨大な処女長編SF小説。人類文明は太陽系に広がり、不死ともなった遠未来。人々は様々な形で精神や肉体を改造し、自らの経験や記憶すら自由に改造できるようになった。人工知能はヒトより遥かに強大な知性となりながらも、立場としては人類の保護役に徹している。

 豊かで平和に繁栄し、<黄金の普遍(ゴールデン・エキュメン)>と呼ばれる時代を舞台に、エンジニアのファエトンが謎と冒険に挑む、巨大なスペースオペラ三部作の第一部。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2008年版」のベストSF2007海外篇で第17位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Golden Age : A Romance of the Far Future, by John C. Wright, 2002。日本語版は2006年10月31日発行。文庫本縦一段組みで本文約619頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント40字×18行×619頁=約445,680字、400字詰め原稿用紙で約1,113枚。上下巻でもおかしくない分量。

 断言しよう。かなり読みにくい。特に世界観が掴めない序盤は、相当に苦労する。

 舞台が遠未来でテクノロジーも社会も倫理観も現代と全く違い、またそこに生きる人々の考え方も様々なので、ガジェットや舞台背景を理解するのにかなり苦しむ。作品内にはギッシリとSF的なアイデアが詰め込まれている上に、主人公の目を欺く仕掛けもタップリ詰め込んであるので、何が起きているのかを把握するには、じっくりと読む必要がある。

 破天荒なアイデアをギッシリ詰め込んだ、SF上級者向けの濃い作品だ。

【どんな話?】

 人類は不死を達成し、豊かで平和な<黄金の普遍>を満喫していた。千年紀を祝う仮面舞踏会に出席したファエトンは、反不死純粋主義者の奇妙な老人に会う。いさあか無作法な老人は、奇妙なことを口走る。「きみがファエトンだと? いや、わしはそう思わないね。彼ならパーティーに歓迎されるはずがない」

 一体、ファエトンが何をしたというのか?

【感想は?】

 冒頭からフルスロットルでイカれたアイデアが次々と炸裂する、黄金のワイドスクリーン・バロック。

 長編の三部作である。しかも、それぞれの巻が500頁を超える。これが、当初の予定ではひとつの作品だったというから大変だ。3巻の解説によると、執筆が終わってから刊行されるまで9年かかったそうだが、当然だろうなあ、と思う。

 今まで長編を書いてない作家が持ち込んだ、文庫本にして6冊分の大長編に、素直にOKを出せる編集者なんて滅多にいるもんじゃない。しかも、設定は凝りまくりで舞台背景は複雑怪奇、現代社会の常識がほとんど通用しない異様な世界で、冒頭から「<高超越>(ハイ・トライセンデス)」やら「外的アイデンティティ」やらと、難しげな言葉が続々と出てくる。

 とっつきにくさは相当なもので、物語を楽しむどころか、何が起きているのかを理解するだけでもかなりの苦労だ。

 物語の背景には、飛躍的な科学・工学・医学技術の進歩があり、それによって大きく変わった人類社会がある。脳を物理的に加工して、認識・思考過程を変える技術。人格を情報化して保存・複製・編集する技術。人間より遥かに賢い人工知能。現実にオーバーレイして服装や風景を装う技術。

 そして、これらの技術をどこまで使うか、どの様に使うかの主義主張により分かれた、様々な分派たち。技術の使い方によって起きる対立は、ブルース・スターリングが機械主義者/工作者シリーズで描いていたが、この作品では比較的穏やかに共存している様子。

 マッドなアイデアは、人格の編集やアバター利用などの情報工学的なものばかりではない。お決まりのナノマシンを使った細かいものから、太陽系規模の大掛かりなシロモノまで盛りだくさん。冒頭から、クラクラする発想が出てくる。「太陽のマントル深く掘り進んで建築資源としての核融合残滓をくみ上げ」って、おい。

 まあ、確かに太陽の中心部には核融合によりできた希少元素が沢山あるだろうけど、んなこと考えるか普通。

 と、SFをかなり読みなれた人でも消化に時間がかかるマッドなアイデアが続々と出てくる。しかも、この時代のヒトが見ている風景は、現実そのものじゃないからややこしい。

 今でも博物館などでは、タブレットなどを使った情報サービスを提供している所がある。展示物に近寄ると、展示物の詳しい説明を利用者が持っている情報端末に写すサービスだ。

 今は情報を液晶ディスプレイに映すしかないが、利用者の視覚に直接映像を送れれば、タブレットは要らなくなる。多くの人が、視覚に直接割り込む形の情報を受け取れるようになったら、どんなサービスが出来るだろうか。そんなサービスが、どこでも提供されるのが当たり前になったら、どうなるだろうか。つまりは電脳コイルの世界だ。

 ばかりでなく、個人も視覚付加情報を発信できるようになったら?

 そんな風に、この時代の人々が見ている風景は、現実のものじゃない。もっとも、世界の大半の人が「付加情報込み」の世界を見ているとしたら、社会はどっちを「現実」として認識するんだろう?

 などと、イカれたアイデアを投げつけるだけでなく、ちょっとした哲学的な問いも投げかけてくるのが、この第一部。

 何せ記憶まで編集できる世界だ。人格だって改造できる。この第一部では、主人公ファエトンが、失った自らの記憶を求め葛藤する姿を描いてゆく。

 どうも過去のファエトンはかなり大それた真似をしでかし、自ら記憶を封印したらしい。そして、記憶を取り戻そうとすると、ファエトンは家族も財産も友人も、全てを失ってしまうと宣告される。今のままなら、尊敬する父や愛する妻と共に、豊かな財産で人生を満喫できる。

 何もかもを失う覚悟で、記憶を取り戻すべきか? 偽造された記憶は心地よいが、それに安住すべきだろうか? どころか、ファエトンが記憶を取り戻すと、人類全体が大きな災厄に巻き込まれかねないらしい。

 中盤の法廷のシーンでは、「自由」をめぐる倫理的な議論が展開してゆく。人類より遥かに賢いにもかかわらず、敢えて奉仕的な立場を貫く人工知能<ソフォテク>たち。だが人類は愚かなもので、他人ばかりか自らすら傷つける事もある。他人を傷つけるのなら犯罪として防げばよいが、自らを傷つける行為はどうすべきだろう?

 ソフォテクは、最善を計算できるだろう。だが、それをヒトに押し付けたら、ソフォテがヒトを支配するのと同じだ。そこにヒトの自由はない。

 などの大量のアイデアや問題を、ある意味厨二的とも言える膨大な設定の上で展開する、思いっきりゴージャスで濃密なSF長編。序盤はかなりとっつきにくいが、背景が飲み込めてくる中盤以降はガジェットの奔流を楽しめる。たっぷり時間をかけて、じっくり挑もう。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月20日 (月)

ベネディクト・ロジャーズ「ビルマの独裁者タンシュエ 知られざる軍事政権の全貌」白水社 秋元由紀訳

国際社会からの圧力が高まる度に少しだけ譲歩姿勢を見せてその場を乗り切るのはタンシュエの常套手段である。国際社会を満足させるのに必要最低限な約束をするのだが、国際社会は毎回これを歓迎する。そして毎回、圧力がなくなると、タンシュエはひっそりと約束を放棄する。
  ――第7章 僧侶と嵐

【どんな本?】

 2007年9月27日、ビルマのラングーンで日本人ジャーナリストが殺される。長井健司、50歳。僧侶を中心とした軍政に抗議するデモを取材中に、兵士に撃たれたのだ。

 ジェノサイドリスク指数でビルマはスーダンと並び、失敗国家ランキングでは13位、経済自由度指数では抑圧トップ5に入り、「報道の自由度指数」は175ヵ国中171位。ビルマは北朝鮮並みに抑圧された国家である。

 そのビルマを仕切っていると言われるのが、タンシュエ(→Wikipedia)だ。軍事政権と呼ばれ集団統治体制のように思われ、現大統領はテインセインだが、実際にはタンシュエの独裁と思われる。

 強大な権力でビルマに君臨するタンシュエだが、金正恩などと比べ名前はあまり知られていない。そのタンシュエとはどんな人物で、どのように出世し、どう権力を掌握し、どのような統治をしているのか。知られざる独裁者の生涯を追うと共に、なかなか民主化が進まないビルマの現代史を辿る、野心的なドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THAN SHWE : Unmasking Burma's Tyrant, by Benedict Rogers, 2010。日本語版は2011年12月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約263頁に加え、根元敬の解説「タンシュエ後のビルマ」4頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×263頁=約224,865字、400字詰め原稿用紙で約563枚。標準的な文庫本の長編小説一冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。ビルマの現代史を扱う本だが、特に前提知識は要らない。第二次世界大戦以降のビルマの歴史が背景事情として重要だが、必要な事柄は文中に説明がある。敢えて言えば、ビルマ人の名前が日本人には耳慣れず憶えにくい事ぐらいだが、ちゃんと巻末に人名索引がある。

【構成は?】

 話は原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  注記/略称一覧/凡例
  • はじめに
  • 第1章 郵便局員から圧制者へ
  • 第2章 緑と橙色の国
  • 第3章 民主主義勢力からの挑戦
  • 第4章 人道に対する罪
  • 第5章 現代の皇帝タンシュエ
  • 第6章 王の都
  • 第7章 僧侶と嵐
  • 第8章 ライバル、後継者、政商、そして将来
  •  謝辞
  •  解説「タンシュエ後のビルマ」
  •  訳者あとがき
  •  参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 今なお事実上の軍政が続くビルマの実情を晒す本だ。それだけに、文章はイマイチ歯切れが悪い。

 「ある外交官によると」「…だとも言われている」「…という噂もある」など、断定を避けた表現が多い。ただし、いい加減な噂を集めたわけではない。

 著者はあくまでも誠実だ。20頁に及ぶ原注や、12頁を費やした参考文献に、出来るかぎりソースを明示しようとする姿勢が現れている。なにより、「はじめに」で、「私は人権活動家でもある」と自らの立場を明らかにし、「どうしても偏りがある」とまで告白している。作家としては、極めて誠実な態度だろう。

 冒頭部は近代以降のビルマの歴史と、若きタンシュエの生涯を描いてゆく。一般に独裁政権は一つの政治思想を国民に押し付けるものだ。が、本音じゃ大事なのは「誰がボスか」であり、思想はどうでもいいんじゃないかと思う。ビルマの場合もあからさまだ。1962年にクーデターで支配権を握ったネーウェン(→Wikipedia)が、それを証明している。

 BSPP(ビルマ社会主義計画党)を結成したはいいが、指針がない。ってんで、「自身の統治を正当化する主義や原則を見つけようとした」。素直に「オレがボスだ、オレに従え」でいいんじゃないかと思うが、独裁者も言い訳が必要だと感じるらしい。

 この頃の中国との関係は複雑だ、国軍はビルマ共産党相手に激しく戦っている。ビルマ共産党は中国の支援を受け、ヤバくなると国境を越え中国に逃げるんで、なかなか殲滅できない。その中国は「ネーウィン政府とも友好関係を持っていたが、ビルマ共産党にも武器や弾薬をたっぷりと支給していた」。

 したたかな中国だから、両天秤をかけていたのか、武器売買で稼いでいたのか。

 トップに立つ前のタンシュエは目立たぬ人で、国軍に忠実ではあってもあまり有能とは見なされなかったようだ。意図して隠していたのか、空気を読んで大人しくしていたのか。

 そんなタンシュエは、1992年4月23日にトップに立つ。もともと軍政で抑圧的なビルマの体制が、少し変わるんじゃないかとの期待をよそに、タンシュエは従来どおり、またはそれ以上の抑圧政策を続けてゆく。軍優先の政策は北朝鮮同様で…

米国ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学のブルームバーグ公衆衛生大学院と、カリフォルニア大学バークレー校の人権センターが共同で発表した報告書によれば、ビルマ軍政は、保健分野には国家予算の3%以下しか充てないのに対し、「40万の兵力を有する軍」には40%も充てる。

 ちなみに自衛隊の兵力は約24万で人口の約0.2%、ビルマの人口は2013年で約5330万人だから軍は約0.75%。意外と軍は小さい。

 とまれ政権の腐敗ぶりはたいしたもので、タンシュエの娘タンダーシュエの結婚式で「新郎新婦が受け取った結婚祝いの品々には高級車や家屋まであり、5000万ドル相当に上ったといわれている」。経済も無茶苦茶で…

マサチューセッツ大学のジャラル・アラムギル教授(政治学)によれば、今日、武器や麻薬、闇市場での取引がビルマの貿易の50を占める。

 これらを取り仕切っているのが、テーザーやトウンミンナインことスティーヴン・ロー。そして国家としてはシンガポールとドバイ。いずれの国も主義主張に基づくものではなく、損得勘定で付き合っている模様。

 国民弾圧のエピソードが多く出てくる中でも、恐ろしいのは2008年5月のサイクロン「ナルギス」の話だ。インドの気象当局からサイクロンについて警告があったにもかかわらず、政府は国民に注意を呼びかけなかった。結果、「犠牲者は少なくとも14万人で、250万人以上が家を失ったと推定」って、国民の約5%がホームレスになってるぞ。にも関わらず…

当初は海外からの支援を断った。後に態度を軟化させ支援を受け入れることにしたが、それでも外国人援助関係者が入国して援助物資の配布や支援活動の監督をするのを認めなかった。

 おまけに、ビルマの国営銀行は海外からの援助資金に10%課税で巻き上げ、二重為替レートを使って国連の援助資金から1000万ドル以上をピンハネする。国連もいい加減なもので、インナー・シティ・プレスのマシュー・ラッセル・リー記者は…

「援助資金のうち、もっとも低く見積もっても17%がミャンマー政府に渡っている。資金提供国はこの状態を受け入れられるのだろうか。国連が当初は2億ドル、そして今月に入ってからさらに3億ドルの資金が必要だとドナー国に呼びかけている中で、こうした損失が出ていることがなぜ公表されなかったのだろうか」

 と国連を追求している。国連の脇の甘さはともかく、国民の被災すら己の蓄財に利用する餓鬼道ぶりが私は恐ろしい。

 このような政権に対し、他の国に何が出来るかというと。この記事の冒頭の引用を見てほしい。「タンシュエ」を「北朝鮮の金政権」に変えても、そのまま通用するから困る。独裁者の性格はそれぞれでも、手口は似ているのだ。そして、今の所、国際社会は適切な対処法を見つけていない。

 他にもアウンサンスーチーの軟禁、翼賛政党の利用法、核および弾道ミサイル開発、北朝鮮との結びつき、小数民族の弾圧など、独裁政権につきものの話は一そろいでてくる。ドキュメンタリーとしては比較的に頁数が少ないが、金の流れやロビー活動など搦め手のネタも豊富で、興味深く読めた。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月17日 (金)

ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」東京創元社 高橋啓訳

 なるほど、彼はヒムラーと冷酷無残なカップルを演じるうえで、その頭脳として認められてはいるものの(親衛隊の中では<HHhH>で通っていた。すなわち Himmlers Hirn heißt Heydrich――ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる、という意味)、あくまでもその右腕であり、部下であり、ナンバー・ツーだった。

【どんな本?】

 フランスの新人作家ローランビネのデビュー作。1942年、ナチスの支配下にあったチェコで、事実上チェコの独裁者であったナチスの高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件を主題に、その実行者ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュそしてハイドリヒの三者と、彼らを歴史の中から呼び覚ます著者を描いた長編小説。

 2010年度ゴンクール賞最優秀新人賞・2011年度リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞のほか、日本でも第4回2013年Twitter文学賞に輝き、既に映画化も決まっている(→映画.com)

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は HHhH, by Laurent binet, 2009。日本語版は2013年6月28日初版。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約377頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント44字×20行×377頁=約331,760字、400字詰め原稿用紙で約830枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻か悩むところ。

 純文学だが、文章は比較的にこなれている。第二次世界大戦中のチェコを舞台にした作品だが、当時の政治的事情は親切丁寧に書き込んであるので、特に前提知識は要らない。舞台となるチェコスロヴァキアの地理がわかると迫力が増すので、できれば地図帳か Google Map で確認しておくといい。

 また、登場人物が少々ややこしいのだが、登場人物一覧をつけるかどうかが難しい問題で…

【どんな話?】

 1942年5月27日。ナチス支配下のチェコで、事実上の独裁者として君臨していたナチスの高官ラインハルト・ハイドリヒ(→Wikipedia)が暗殺される。ハイドリヒはユダヤ人大量虐殺の首謀者であり、ピーランド侵攻のきっかけとなったグライヴィッツ事件(→Wikipedia)の仕掛け人であり、トゥハチェフスキー(→Wikipedia)の裏切りの証拠捏造工作も主導した。

 ハイドリヒとはいかなる人物か。彼を暗殺したヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュは、どんな男だったのか。事件を再現しようとする著者は、多くの一次資料や同じ題材を扱った小説・映画を集めるのだが…

【感想は?】

 主題のハイドリヒ暗殺そのものは、とてもに面白い。ドキュメンタリーを目指して書いたのなら、文句なしに傑作だと思う。

 ただ、この作品は、そういうお話ではないのが悩ましい。過剰に「小説であること」を意識して書いている。史実でのハイドリヒ暗殺事件を追うとともに、それを追いかける著者自身が頻繁に文中に顔を出し、「どう書くか」を語りだすのだから。

リアルな効果を狙う子供っぽい配慮から、もしくは最善の場合、ごく単純に便宜上であっても、架空の人物に架空の名前をつけるほど俗っぽいことがあるだろうか?

 と、最初の頁からいきなりコレだ。その後も事件現場のプラハに行ったり、意外な所で意外な資料を掘り出したり、書いた文章をガールフレンドに酷評されたりと、「今、作品を書いている著者」がアチコチに顔を出し、小説作法について語り始める。

 歴史上の事件に題材をとった小説で著者が顔を出すのは、司馬遼太郎がよくやっている。取材で現地を訪れた際のエピソードを混ぜる場合が多く、時の流れと舞台の雰囲気を感じさせる効果がある。書き方に悩むのは筒井康隆が使っている。漫画家だと吾妻ひでおが「もうなんも思いつかん」と←それはちょっと

 いずれもアクセントとしてワンポイントで使うのに対し、この作品では著者の一人称が半分ぐらいを占めるのが破格だ。これをどう感じるかが、評価の分かれ目。

 正直言って、私は「普通にドキュメンタリーとして書いて欲しかったなあ」と思う。

 繰り返すが、主題のハイドリヒ暗殺事件を描く部分は、文句なしに面白い。海軍士官としては挫折しながらも、親衛隊に入隊し、優れた能力と強烈な野心でのし上がってゆく。ライヴィッツ事件にしてもトゥハチェフスキーの証拠捏造にしても、陰謀家としての才覚には背筋が寒くなる。ペテン師が権力を握ったら、なんだってできてしまう。

 ペテン・いいがかりそして脅しと軍事力を駆使し、ヨーロッパを席巻するナチス。それに対しズルズルと譲歩を余儀なくされるフランスとイギリス。両大国の贄として東ヨーロッパはドイツに飲み込まれてゆく。悪党に譲る事がどういう結果を招くか、嫌というほど実感できる部分だ。

 そのナチスに生贄として差し出されたチェコスロヴァキアから、ナチスに一矢報いようと戦いを挑む二人の戦士。スロヴァキア人のヨゼフ・ガブチークとチェコ人のヤン・クビシュ。フランスの外人部隊としてドイツと戦い、フランスが占領された後はイギリスに亡命して出番を待っていた二人は、自殺的な空挺作戦に身を投じ…

 ジャック・ヒギンズなら緊迫感満点の冒険小説にするだろうし、ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエールなら緻密なモザイクを組み上げるだろう。この作品でも、終盤の展開はド迫力で、著者がその気になって娯楽小説またはドキュメンタリーを書けば、優れた作品を書ける事を実証している。

 が、著者はいずれの道もとらず、あくまで純文学の小説家として、事件を文章で再現する方法論にこだわり、その悩みをつらつらと書き綴る。

 この作品のために大量の資料を集め、取材もして、優れたドキュメンタリーを書けるだけの細かいエピソードも用意しておきながら、作品を「純文学」として成立させるために、著者は細部を惜しげもなく切り捨ててしまう。登場人物一覧がないのも、恐らくは編集の手抜きではない。ワザと、人物をややこしくしているのだ。

 ハイドリヒ襲撃後の顛末も、なかなかにショッキングだ。犯人を狩る親衛隊の行動は、ガキの八つ当たりそのもの。ただしこのガキは入念に武装しているからタチが悪い。終盤、教会での攻防は、ナチスの馬鹿さ加減が存分に発揮され呆れるばかりだ。ここの描写だけでも、著者が優れた書き手なのがよくわかる。

 面白い題材に入念な調査と優れた描写力を発揮しながら、敢えて「小説」を強く意識することで、ありがちなドキュメンタリーとする事を拒否した挑発的な作品で、龍應台の「台湾海峡1949 大江大海1949」の正反対に位置する作品。小説派とドキュメンタリー派で評価が分かれると思う。私はドキュメンタリー派です、はい。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月15日 (水)

藤田和男編著「トコトンやさしい非在来型化石燃料の本」日刊工業新聞社B&Tブックス

 IEA(国際エネルギー機関)や国際石油開発機構コンサルタントのIHS-CERA社では、「シェールガス革命がもし本物なら、地球環境により優しい化石燃料である天然ガスの可採埋蔵量が現在の47年から100年近くまでに大幅に増加し、21世紀のガス黄金時代が到来する」と言っています。
  ――第2章 最近話題のシェールガス、タイトオイルとはなんだろう?

【どんな本?】

 日本はエネルギーの大半を輸入に頼っている。原油価格が上がれば景気が悪くなるし、下がれば良くなる。その世界のエネルギー市場に、最近になって様々な新顔が登場してきた。

 例えばアメリカやカナダで活発に産業化されているシェールガス。それは何者で、どうやって採掘し、市場に出すまでどんな工程を経るのか。どれぐらいの生産量があり、埋蔵量はどれぐらい期待できて、幾らぐらいで売買され、市場にどんな影響を与えるのか。環境にダメージはないのか。

 シェールガスの他にも、オイルサンド・オイルシェール・コールベッドメタン・水溶性天然ガス・メタンハイドレートなど、既に市場に登場しているものからやがて搭乗するもの、そして今後の開発が期待される新しい化石燃料について、その正体・採掘法など科学・技術面から、期待できる埋蔵量・採掘コスト・産出国など産業面に至るまで、専門家が紹介する一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年12月25日初版1刷発行。単行本ソフトカバー縦2段組で本文約150頁。8.5ポイント24字×17行×2段×150頁=約122,400字、400字詰め原稿用紙で約306枚。小説なら中編の分量だが、イラストや写真を豊富に収録しているため、実際の文字数は6割程度。

 文章はです・ます調で親しみやすい。内要だと、市場に与える影響や産出国など産業面では親切なのだが、科学・技術面ではかなりはしょっている。例えば15頁に「API比重(→JOGMEC 石油・天然ガス資源情報 用語辞典)」という言葉が出てくるが、その説明が出てくるのは60頁だ。著者にとっては常識なんだろうが、素人には辛い。

 このシリーズの特徴は、知識と経験が豊富な、その道の一人者が著す点だ。反面、ド素人向けの著述は不慣れな人が多い。著者の長所を引き出し短所を補うため、編集・レイアウト面で徹底的な配慮をしている。以下は、シリーズ全体を通した特徴。

  • 各記事は見開きの2頁で独立・完結しており、読者は気になった記事だけを拾い読みできる。
  • 各記事のレイアウトは固定し、見開きの左頁はイラストや図表、右頁に文章をおく。
  • 文字はゴチック体で、ポップな印象にする。
  • 二段組みにして一行の文字数を減らし、とっつきやすい雰囲気を出す。
  • 文章は「です・ます」調で、親しみやすい文体にする。
  • 右頁の下に「要点BOX」として3行の「まとめ」を入れる。
  • カラフルな2色刷り。
  • 当然、文章は縦組み。横組みだと専門書っぽくて近寄りがたい。
  • 章の合間に1頁の雑学的なコラムを入れ、読者の息抜きを促す。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。

第1章 非在来型化石燃料ってなんだろう? (藤田和男著)
第2章 最近話題のシェールガス、タイトオイルとはなんだろう? (藤田和男著)
第3章 重質油、オイルサンド、タールサンド、オイルシェールとは? (高橋明久著)
第4章 コールベッドメタン(CBM)ってなに? (藤岡昌司・出口剛太著)
第5章 水溶性天然ガスの意外な素顔 (木村健著)
第6章 燃える水:メタンハイドレート (藤田和男著)
第7章 化石燃料資源をトコトン使うための総合エネルギー転換 (藤田和男著)
 索引/参考文献

【感想は?】

 まずは、今話題のシェールガスについて、ポイントを押さえた説明があるのが嬉しい。

 冒頭の引用のように、シェールガスへの期待は大きい。政情が不安定な湾岸に頼るより、政情が安定していて価格も安いアメリカから買えれば大助かりだ。反面、何かと嬉しくない噂も聞く。例えば、ガス田の寿命が短い、とか。

 寿命が短いのは事実らしく、「シェールガス田の最盛期は2~3年」だとか。不思議な事に、大規模なガス田ほど寿命が短く、小規模なガス田は「だらだらと生産が続く」。という事で、「自転車操業のように、ガス井戸の掘削に掘削を重ね」ているとか。不安ではあるけど、同時に掘削技術の進歩も早いんじゃないかなあ。

 やはり気になるのが、埋蔵地の分布。技術的回収可能量(今の技術で元が取れる埋蔵量)アメリカ862Tcf(兆立方フィート)、メキシコ862Tcf、カナダ388Tcf、アルゼンチン774Tcfと南北アメリカ大陸に多い。が、実は最も多いのが、中国で1,275Tcf。しかも地図を見ると、タリム盆地あたり。そりゃウイグル地区が騒がしくなるよなあ。

 採掘方法は、かなりの力技。地底1000mぐらいの岩盤に長い水平抗を掘って、そこに薬品などを含めた水を高圧で流しこみ、岩盤を破砕する。そりゃ環境問題を懸念するわけだ。

 などの問題はあるが、価格は魅力。LNGに頼る日本は「2011年央には16ドルを超え」とバカ高値なのに対し、アメリカのシェールガスは「2013年現在は4ドルレベル」。そりゃ買いたいわ。ところが輸送費がバカにならず、今の所「日本着で11ドル」。これでも現状より3割安。問題はタンカーがパナマ運河を通らにゃならん事。

 そこでパナマを拡張するか、西海岸にパイプラインを延ばすか、はたまたカナダやオーストラリアから仕入れるか、と様々な選択肢が出てきている。

 そのカナダが資源大国になりそうなのが、重質油。一般に化石燃料は炭素と水素の化合物で、水素が多いほど軽くて流動性が高く、炭素が多いほど重くて流動性がない。軽い代表がメタン=天然ガスで、炭素1個に水素4つ。重い代表が石炭で、ほとんど炭素。中間が石油。

 で、カナダのオイルサンドは炭素の割合が多いピチューメンを含む砂。昔は露天掘りで掘ってたんだけど、それでモトが取れるのは深さ65m程度まで。そんな浅いところに資源があるって時点で羨ましいが、もっと深い所の資源も使いたい。ってんで、色々と工夫した末に出てきたのがSAGD(Steam Assisted Gravity Drainage)法。

 ピチューメンは冷たいと硬いが、あったまると緩くなる。そこでオイルサンド層に水平坑を縦に5m間隔で2本掘り、上の抗に高温高圧の水蒸気を流す。すると蒸気がピチューメンを暖めて緩くし、下の坑から熱水とピチューメンが噴き出してくる、というシロモノ。やっぱり力技だなあ。

 などと強引な採掘ではあるにせよ、採算に乗れば世界のエネルギー市場は大きく変わる。なんとベネズエラがサウジアラビアを抜いて可採埋蔵量でトップになり、カナダがサウジに次ぐ3位になる。これまた世界情勢に大きな影響を与えそう。

 既に商業生産が始まっているのがコールベッドメタン。石炭が吸収しているメタンを取り出そう、という発想で、廃止した炭鉱からも取れるのが面白い。日本でも石狩炭田で実験し、二酸化炭素を注入してメタンを追い出す試みをしてる。が、今の所は「ローカルエネルギー供給を目的」だから、生産量はささやかなモノらしい。

 シェールガスなどの新しい化石燃料について、科学・技術の解説に加え、埋蔵量・埋蔵地・輸送コスト・価格など産業面にも目配りしてバランスよく紹介した本。ちゃんと読むと、海外ニュースにも敏感になるかも。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月13日 (月)

アンディ・ウィアー「火星の人」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

 つまりこういうことだ。ぼくは火星に取り残されてしまった。<ヘルメス>とも地球とも通信する手段はない。みんな、ぼくが死んだものと思っている。そしてぼくは31日間だけもつように設計されたハブのなかにいる。

【どんな本?】

 アメリカの新人SF作家、アンディ・ウィアーによる、迫真の火星エンジニアリングSF。舞台は近未来。有人火星探査中の事故により、マーク・ワトニーはたった一人で火星に取り残されてしまう。通信用のアンテナも壊れ、地球とも帰還船とも連絡を絶たれたマークだが、懸命に生存の道を探り…

 デビュー作でありながら既に20世紀フォックスによる映画化が進んでいるほか(→Youtubeの予告編)、2015年第46回星雲賞海外長編部門受賞に加え、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014海外篇でもトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Martian, bu Andy Weir, 2011, 2014(少しややこしいので後述)。日本語版は2014年8月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約566頁に加え、中村融による解説「ハードSFの新星」6頁。9ポイント41字×18行×566頁=約417,708字、400字詰め原稿用紙で約1,045枚。上下巻でもいい分量。

 文章は小説としちゃクセのある文体。多くを占めるのは主人公マークが入力したログ、つまりは日記形式だ。これが今風の Facebook やブログっぽい文体なので、好みが分かれるかも。インターネットで文章を読むのに慣れている人には、抜群に親しみやすく読みやすい文体だ。

 それに加え、「だ・である」と「です・ます」調を巧く織り交ぜて、素人が書くブログ風のリズムを感じさせる文章に仕立てあげ、かつ読みやすい日本語に移し変えた訳者の丁寧な仕事に脱帽。

 読みやすい文章を書くのは難しいんだけど、読んでる人はなかなかソレに気づかない…などと語るまでもなく、私のブログを読めば「下手な奴が書いた文章は読みにくい、読みやすさって大事だな」と肌でわかります。

 内要はかなり専門的な事も書いてあるが、いちいちクドくない程度に説明があるので、小学校卒業程度の理科と算数ので充分についていける。「ヒトは酸素を吸って二酸化炭素を吐く」程度で充分。

【どんな話?】

 第三回の有人火星探査は、砂嵐で中断する。運悪く嵐で折れたアンテナがクルーの一人マーク・ワトニーに突き刺さり、彼のバイオモニターは沈黙する。マークを見失ったクルーは彼が死んだと思い、帰還船で火星を離れた。だがマークは生きていた。

 ミッションの基地であるハブにたどり着いたマーク。幸い食料は6人分×50日分=300日分ある。第四回有人探査機が来るのは四年後、3200km離れた地点。アンテナが壊れ地球との通信は途絶、誰もマークの生存を知らない。火星にたった一人取り残され、マークは生き延びるための挑戦を始める。

【感想は?】

 ゲーム脳だからこそ楽しめる、本格的な工学SF小説。

 お話の筋はシンプルだ。火星に取り残された者が、少ない資源を活用して救援が来るまで生き延びる。だが、どうやって? 基地となるハブは、6人が31日間暮せるように出来ている。だが、次の宇宙船が来るのは四年後。

 という事で、マークは生き延びるための計算を始める。まずは食糧。次に電力。酸素。水。それぞれに、今はどれぐらいあるか、手持ちの機器でどれぐらい作れるかを計算し、現状で生き延びられる期間を割り出してゆく。そう、計算なのだ。これほど数字が重要で、かつ次々と出てくる小説も珍しい。ゲーム脳と書いたのも、そのためだ。

 RPGでも格闘ゲームでも、多くのゲームは攻撃力やダメージが数字で出る。プレーヤーは望みの結果を得るため、様々な工夫をして欲しい結果を得るのに相応しい数字を出そうとする。これらの作業は、数字に馴染んでいないと出来ない。先の「ゲーム脳」とは、ゲームで鍛えられ直感的に数字の持つ意味を掴む能力に長けた脳を意味している。

 冒頭から手持ちの食糧で生き延びられる期間を計算し、それでは足りないとなるとジャガイモを作り始める。そのために必要な水はどれぐらか。それをどうやって調達するか。調達に必要な資源は何があって、どれぐらいの効率で生産できるのか。こういった計算の楽しさは、ガスト社のアトリエ・シリーズが好きな人なら分かると思う。

 そして、多くの読者を惹きつける、主人公の性格がいい。とにかく、くじけない。かと言って熱血というわけでもなく、相応に腐る所もあるんだが、すぐに立ち直る。なにより、やがて自分は立ち直る事を自覚しているのがいい。気分が暗くなったら、メシ食って休む。感情豊かだが、それをコントロールする術を身につけているのだ。

 これは冒頭近くで痛感した。目の前には難題だらけ、一歩間違えば自分は死ぬ。ドツボでありながら、マークは考える。「いまは一度にひとつのこと」。そして目先の目標を一つ決め、それに集中するのだ。

 同時に多くのトラブルに見舞われ、修羅場となりながらも切り抜けた経験のある人なら、彼の言葉の重みがわかるだろう。トラブルの時は気持ちが浮き立ち、落ち着いてモノが考えられない。どこから手をつけていいかも判らない。一度に複数の問題を解決しようとすると、たいていは全部駄目になる。一度に一つづつ、着実にこなすのが最も無難だったりする。

 失敗にくじけないのもいい。「これは“失敗”と呼べるかもしれないが、ぼくは“学習体験”と呼びたい」には泣いた。技能を磨きたいと願うエンジニアやクリエイターなら、この台詞に感激した私の気持ちが分かってもらえるはず。

 彼のログの文体が、今風のユーモアに溢れているのも、この作品の大きな魅力。高校時代はダンジョンズ&ドラゴンズに親しんだだけあって、「みなの者、ぼくの植物学パワーを畏れよ!」なんて台詞も飛び出してくる。どころか…。いやあ、なかなかアホな奴だw

 著者はNASAオタクらしく、細かい部分のリアル感も抜群。最初に出てくる帰還船のエンジンが、イオン・エンジンだったり。そう、「はやぶさ」で使われたアレ。短時間に爆発的な推力を得るには向いてないけど、長期間に小さい推力を安定して得るには効率のいいエンジンで、舞台設定的にも最も説得力のあるエンジン。

 などの細かい部分もいいが、やはり主役はコレ、ダクトテープw いやもう、縦横無尽に大活躍するから笑ってしまう。「ダクトテープは魔法だ。崇拝されてしかるべきだ」って、おいw 

 いささか口が悪いのも、若い読者には魅力のひとつだろう。ハブに残ったルイス船長のライブラリに悪態をつくあたりは、著者の実体験が反映してるんじゃないだろうか。なんたって、いきなり「ディスコですか、勘弁してくださいよ、船長」って。私はむしろアバのトラックに感激するルイス船長に味方しちゃうぞ。

 新人のためか、ややこしい心理劇は少ない。主人公は明るく前向きでユーモラスだし、他の登場人物も職務熱心だ。マークは次から次へと危機に襲われるが、「誰かの陰謀」はなく、全て機器の寿命など、人為的でないものばかり。そういった点ではリアルじゃないけど、だからこそSFの醍醐味を純粋に抽出して詰め込んだ、贅沢な作品でもある。

 危機また危機のサスペンス、それを知恵と工夫で切り抜ける主人公、そしてNASAのマシンと火星環境の迫真の描写。著者も読者もメディアも成熟した今だからこそ楽しめる、最高に楽しい王道のSF小説だった。ああ、もちろん、映画のエンディングはコレ(→Youtube)だよね。

【原書の出版経緯、本書の解説より抜粋】

 2009年 著者が自分のウェブサイトで連載を始める。
 2011年?  読者の希望によりキンドル版を発売。
 2013年3月 オーディオブック版のダウンロード販売開始。
 2014年3月 ハードカバー版発売。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月12日 (日)

デイヴィッド・ダンマー/ティム・スラッキン「液晶の歴史」朝日新聞出版 鳥山和久訳

液晶は自然界にはたくさん存在しているのだが、高い技能をもち、経験あるひとだけが見つけられる。特に、液晶は生き物のなかで見つかる。
  ――はじめに

1960年代、液晶問題は脇役であり、正統な科学に属するものとはけっしていえなかった。
  ――8 ルネサンス

【どんな本?】

 テレビやスマートフォンばかりでなく、家電の状態表示にも使われている液晶。名前はよく聞くが、その正体はよく分からない。この本の原題を見ると、更にわからなくなる。「石鹸、科学&薄型テレビ」だ。科学とテレビはともかく、なんで石鹸が出てくる?

 液晶とは何か。それは誰が見つけ、どのように確認したのか。固体や液体と何が違い、どんな性質があるのか。なぜ最初は電卓に使われ、テレビに応用したのか。なぜブラウン管では駄目なのか。そして、なぜ日本のメーカーが先頭を走ったのか。

 液晶の発見から製品開発まで、科学と工学と産業の歴史を辿りながら、液晶の正体と性質、そして現代の薄型テレビの原理を解説し、未来を展望する、専門家による一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SOAP, SCIENCE, & FLAT-SCREEN TVs, by David Dunmur and Tim Sluckin, 2011。日本語版は2011年8月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約516頁。9.5ポイント44字×18行×516頁=約408,672字、400字詰め原稿用紙で約1,022枚。文庫本の小説なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容は、ハッキリ言ってかなり歯ごたえがある。扱う範囲は化学・光学・物理学・電磁気学・数学と広い。だが諦めないでほしい。歯ごたえはあるが、いっくり読めば必要な事柄はちゃんと理解できる構成になっているから。

 親しみやすさではサイモン・シンに劣るが、内容の深さはこちらが上だ。専門家が書く本だと、途中をはしょって意味不明な専門用語だらけになる事が多いが、この本は違う。現象や原理を、一歩づつ丁寧に説明している。

 読みこなすのに必要な素養は、普通科の高校二年程だろう。化学だと「イオンって電子が多いか足りないか」程度でいい。光学は「太陽光はプリズムで分光できる」ぐらい。数学は二次元のベクトルが分かる程度で、テンソルは知らなくていい。物理学はエネルギー保存則を知っていれば充分。電磁気学は、乾電池と銅線で豆電球を灯せる程度。

 ちなみに私は鉱石ラジオすら作れない無学者だが、存分に楽しめた。ただし、繰り返すが、歯ごたえはある。

【構成は?】

 時間的には時代を追って、科学的には原理から応用へと話が進むので、素直に頭から読もう。

  •  はじめに
  • 1 液晶とは何か
    物質の状態/科学の革命/光/液晶 ニンジンから平面テレビジョンへ
  • 2 流れる結晶 事実か虚構か
    二重融点液体/オットー・レーマン博士教授殿/支持者と敵対者/1905年、カールスルーエ
  • 3 液晶、それはどこからきたのか?
    新物質の創造/レーマン教授再び戦う/液晶の分子科学/レーマンの経歴
  • 4 フランスの栄光
    言語と科学/各国に広まる/液晶がフランスへ到着/ジョルジュ・フリーデルとサン・エティエンヌ・グループ/フリーデルの後半生
  • 5 幻の会議と実現した会議
    液晶戦争は続く/初期のX線による液晶研究/幻の会議/実現した会議/エピローグ
  • 6 生命の糸
    膜、ミセル、繊維/液晶と生命理論/ライオトロピック液晶 水の魔術/細胞と膜
  • 7 戦争の嵐
    ダニエル・フォーレンダー(ドイツ)/ハンス・ツォッヒェル(チェコスロヴァキア)/レオナルト・オルンシュタイン(オランダ)/ジョン・デズモンド・バナール(イギリス)/フしぇヴァローと・コンスタンティノヴィッチ・フレデリクス(ソ連)
  • 8 ルネサンス
    ドイツ民主共和国・ハレ 新しいスメクチック相の源泉/ドイツ連邦共和国フライブルク 液晶の理論/イギリス・リーズ 液晶についてのファラデー討論会第二回/グローバリぜーション/ピエール-ジル・ド・ジャンヌ/液晶の物理学Ⅰ 時間に依存しない性質/液晶の物理学Ⅱ 時間依存の性質/ソフトマターとノーベル賞
  • 9 ありえない話
    テレビが町にやってきた 電気光学の誕生/新しいディスプレイの探求/最初の液晶ディスプレイ/技術が動き出した
  • 10 西の世界で夜が明ける
    好機到来、そして新しいディスプレイ/よじれネマチック・ディスプレイ/先取権争い/新しいディスプレイ用液晶物質
  • 11 東の世界に日が昇る
    もっと大きくてすぐれたディスプレイ/携帯テレビジョン試作機/平面液晶テレビジョンの出現
  • 12 液晶物質の新世界
    コレステリック液晶と温度計測/ディスク状分子からなる液晶/構造、対称性、形 強誘電性液晶/液晶と病気/ポリマー液晶
  • 科学と歴史、二つの文化
    読者への言葉
  • 日本における液晶技術の開発 あとがきにかえて(鳥山和久)
    RCA社の発表 日本人の熱狂と波紋の広がり/時代の転換点 1968年は特別な歳だった/最初の戦い 電卓戦争/日本の成功の礎 電子工学と物理と化学の協力/日本の液晶科学技術の革新性 逆境に立ち向かう/科学と技術のバイリンガル 個人の活躍/壁掛けテレビへの出発 夢と現実
  • 用語集/液晶の歴史年表
  • 図と写真の出典と謝辞/文献表/注/索引

【感想は?】

 見た目はミドル級だが、中身はヘビー級。

 一つのテーマを解説する科学・工学系の解説書には、困ったパターンがある。最初はわかりやすく楽しいのだが、次第に難しくなって、終盤はハナモゲラになるケースだ。

 特に、その道の専門家が書く本は、要注意だ。冒頭では読者の立場を考えてブレーキをかけていたのが、中盤以降になって筆がのってくると、専門用語を頻発して読者を置き去りにし、暴走してしまう。著者の熱意と愛情は伝わってくるのだが、読者としては「日本語で書いてくれ」と言いたくなる。

 この本も、パラパラと拾い読みしているだけだと、そんな印象を受ける。が、じっくり頭から読むと、全く印象が違う。理系の本だけに堅い表現は多いが、丁寧に読めばちゃんと意味はわかるのだ。

 正直言って、最初の方はとっつきにくい。歴史を辿る形式でもあるので、まだるっこしくもある。肝心の液晶の正体が、当初は判っていなかった。だから、液晶の正体もなかなか出てこない。

 だが、ここが我慢のしどころ。ヘビー級だけあって、エンジンがあったまるまで時間がかかるのだ。その分、暖気運転が済んだ中盤移行は、どんどん面白さが加速してゆく。終盤に入ると、ページを開くたびに驚かされて、却って読むスピードが落ちてしまう。特にSF者は妄想が膨らみすぎて、なかなか前に進めなくなる。とにかくネタ満載の本なのだ。

 なんと言っても、この著者コンビ、理系のコトガラの説明が巧い。やや文章が堅いため親しみやすさではサイモン・シンより劣るが、わかった時の「エウレカ!」感はこちらが上だ。私が特に感心したのは、テンソルの説明。私はベクトルは知っていてテンソルは知らなかったが、この説明でピンときた。

ベクトルは、風、速度、力のように大きさと向きを持つ一階のテンソルの例だ。ベクトルは線で表せる。その方向は向きを、その長さは大きさを表す。だが、大きさと向き、一つずつだけでは表せない性質がある。それらは二つ、三つ、あるいはそれ以上の次元によって表現されることになる。

 ちょっと Wikipedia のテンソルと比べてみよう。この本の方が圧倒的にわかりやすい。止まっているモノの位置はベクトルで表せるが、動いていたら速度は表現しきれない。だからベクトルじゃ扱いきれず、テンソルが必要になる。そういう事だ。まあ、分かったからといって、テンソルを使えるわけじゃないんだけどw

 同じように、化学式の亀の甲や光の偏光なども、なんか分かった気分にさせてくれるから嬉しい。

 テーマの液晶、物語の始まりは1888年。プラハの植物学者(生化学者)フルードリヒ・リヒャルト・コルネリウス・ライニツァーが、ニンジンから抽出したコレステロールと安息香酸から合成したコレステリル・ベンゾエートから始まる。奇妙な事に、この物質は「二つの融点をもつようだった」。

 この時点で意外性たっぷりだ。現代の花形のように思われる液晶が、19世紀末には姿を現していたこと(と言ってもしばらくは正体不明だったのだが)。ニンジン由来であること。そして、二つの融点という、意味不明な文言。このケッタイな物質の正体をめぐり、科学界では激論が交わされる。

 科学論文って淡々と事実のみを書いているのかと思ったら、少なくとも当時は人格攻撃も含めかなり感情的な文面が多かったんだなあ、と変に感心してしまう。

 また、当然ながら、当時は液晶ディスプレイなんて発想はなかった。科学者たちは、「何に使えるか」なんて事は全く考えず、単に物質の正体を見極めたかっただけなのも、彼らの考え方が窺えて興味深い。そのために仮説を立てて計算し、観測して確かめ、思い通りではない結果にガッカリし…を繰り返してきたわけだ。

 歴史を扱う本だけに、科学者個人にもスポットを当てている。特に人間ドラマの側面が強いのが、「7 戦争の嵐」。ここでは第二次世界大戦により、生活を翻弄される科学者たちを描いてゆく。幸か不幸か開戦前に亡くなったダニエル・フォーレンダー、その弟子で突撃隊に入隊し戦死したコンラート・ヴェイガント。ユダヤ人迫害の犠牲になる人々。そして東側に閉じ込められる者も。

 やがて舞台は大西洋を渡りアメリカへ移る。温度で色が変わる性質を使った、LCRホールクレスト社の液晶体温計が面白い。勝手な想像だが、化粧品会社もこの性質を使った製品を研究してるんじゃなかろか…と思って調べたら、発想は違うが液晶を使った化粧品は既に沢山あった。さすが。

 そして遂に液晶研究は太平洋を越え、日本で産業として大輪の花を咲かせる。ここで電卓が果たした役割の大きさに私は驚いた。こういう試行錯誤の末に、今の薄型テレビや携帯型ゲームがあるんだなあ。

 正直、とっつきは悪くて歯ごたえもある。前半はなかなか液晶の正体がわからずまだるっこしいが、我慢してじっくり読もう。その我慢は後半で充分に報われ、終盤では驚きと感激が次々と襲ってくる。せっかちな人には向かないが、じっくり取り組めば相応しく報われる本だ。

 特に怪光線や物質Xと聞いてワクワクするSF者には格好のお薦め。妄想が止まらなくなる。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 9日 (木)

藤崎慎吾「深海大戦 Abyssal Wars 漸深層編」角川書店

「とにかく一ヶ所に留まり過ぎないほうがいいよ。どんどん余計なものを抱えていくからね。ちょっと溜まってきたなあって思ったら、潔く放りだして、別の場所や世界に行くんだよ。ノマッドって、そういうことだろ? 荷物が多すぎると、溺れて死んじゃうぞ」

【どんな本?】

 「クリスタル・サイレンス」でデビューし、海洋SFを得意とする著者による、近未来を舞台とした海洋冒険ロボットSFシリーズ「深海大戦 Abyssal Wars」の第二弾。

 海底資源の開発が順調に進み始めた近未来。海の民は<シー・ノマッド>として独自の社会を形成し、世界情勢にも影響を与え始めた。宗像逍は、海に適応した肉体を持つ<ホモ・バイシーズ>の青年だ。今はシー・ノマッドの大集団オボツカグラに属し、バトル・イクチオイド<タンガロア>のパイロットを務めている。

 南極海・北極海そしてミクロネシアの海を舞台に、海の神秘とロボットのバトルが展開する、爽快な海洋冒険SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年4月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一弾組みで本文約384頁。8.5ポイント47字×19行×384頁=約342,912字、400字詰め原稿用紙で約858枚。文庫本なら上下巻に少し足りない程度。

 文章は読みやすい。人が巨大ロボットに乗り込んでバトルする、という一見おバカな話だ。しかし前作でキチンと設定を詰めてあるので、気になる人は読んでおこう。他にも細かい部分はマニアックに設定を詰めてあるが、面倒くさかったら気にしなくてもいい。基本は爽快で豪快な冒険物語だ。

【どんな話?】

 シー・ノマッドの青年・宗像逍は、母船<ナン・マドール>から停職を食らい、沖縄で安宿に泊まりながらバイトに明け暮れている。それなりに慣れてきた所に、呼び出しがかかった。戻ってみたら、いきなり南極海へと運ばれ、他の船と共同で演習に放り込まれた。相変わらずガルシア副指令は目的を語らず…

【感想は?】

 海のロボット物だ。荒唐無稽に見えるが、意外と設定は練りこんである。その辺は前作を読もう。

 今回も、魅力的なロボットが出てくる。まずは戎崎トールが操る<アスピドケロン>。大型のクジラみたいな形で、海の中ではかなり映える姿だ。推進方法もクジラ同様に、尾びれを動かして進んでゆく。得物を持つには向かない形なので、どうやってバトルするのかと思ったら、そうきたか。

 パイロットの戎崎トールも相当に強烈なキャラで。「スキー場でモテるかモテないかはスキーの腕で決まる」みたいな話もあるんで、トールも海で泳いでいる限りはモテるかもしれないw

 やはり面白い形をしてるのが、<レプンカムイ>と、それに搭乗するイクルイ。パイロットは単なる飲兵衛だが、<レプンカムイ>が楽しい。なんとウミガメ型。となれば当然、分厚い装甲を持ち防御力は抜群。ばかりでなく、意外な事に機動力もある。

 陸上じゃカメはヨタヨタとしか動けないが、海の中じゃ話は別だ。落ち着いて考えると、あの形は横から見ると綺麗な流線型になる。前に進むときは平べったくて抵抗が少ないだろうし、止まったり方向を変えたりする時は、体を傾ければいい。飛行機でいえば全翼機みたいなモンで、ちゃんとコンロトールできれば理に適った形だ。

 トールも<レプンカムイ>も、陸上じゃアレだが海の中ではエレガントなのが面白い。意外と水中ってのは、デザインの自由度が高いのかもしれない。そういえば海の生物も、陸上生物に比べるとデザインのバラエティに富んでるよなあ。

 相変わらず著者は海の奇妙な生態系が好きなようで、いきなりハオリムシ(チューブワーム、→Wikipedia)が出てくる。熱水噴出孔のそばで、海底からウニョウニョと伸びてくる生き物で、謎の生き物だ。はやり今回の話の中心となるのは、プライン・プール(塩水溜まり、→Wikipedia)。海底のくぼ地で、極端に塩分濃度が高い所。

 やはり海の描写で、「おっ?」と思ったのが、南極海の描写。潜った宗像逍曰く「重たくて、粘っこい水だ」。これを似たような事を、G・ブルース・ネクトの「銀むつクライシス」で、南極に近い海を航行する船乗りが言っていた。

 などの海洋学ネタも楽しいが、背景となる<シー・ノマッド>と、陸上国家の軋轢の軋轢も、今回の大きな仕掛け。

 上田早夕里の「華竜の宮」でもそうだったが、どうも海の民というのはキッチリした組織を作るのが苦手なようで。主人公の宗像逍も、自分のイクチオイド<タンガロア>には未練があるものの、母船の<ナン・マドール>に腰を落ち着ける気がなさそう。

 歴史的にも、ローマや中国などの帝国は、周辺の遊牧民族に悩まされていた。陸と海の違いはあれど、シー・ノマッドも定住しない連中だ。国境を厳密に管理したがる陸上の国家にとって、フラフラと動きまわるシー・ノマッドは、甚だタチの悪い連中に見えるらしい。

 ということで、今回は、謎の幽霊潜をめぐり、大国との軋轢にも発展してゆく。北極点を通過する描写は、なかなか微笑ましかったり。ヴェルヌの海底二万里以来、やっぱり氷に閉ざされた海での苦闘は、海洋物のクライマックスだよなあ。ただ、この辺の描写は、北極海の地図をつけて欲しかった。

 などの迫力のバトルに加えて、今回の話は二重底になっている。謎の遺跡から見つかったシロモノをめぐり、話は大きく膨らんで…

 と思ったら、ここで終わりかい。いい所なのに。早く続きを出してくれ~。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 7日 (火)

龍應台「台湾海峡1949 大江大海1949」白水社 天野健太郎訳

 西洋の歴史教科書で、ない二次世界大戦は1939年9月1日に始まる。ドイツのポーランド侵攻の日である。彼が言いたいのは、どうして1931年9月18日、日本軍の中国東北地方侵攻(柳条湖事件)を世界大戦の起点としないのか?
  ――第3章 私たちはこの縮図の上で大きくなった

英雄と見るか裏切り者と見るか、栄誉と見なすか恥辱と見なすか、それは往々にしてその都市にいちばん高い建物に掲げられた旗の色で決まるのだ。
  ――第7章 田村という日本兵

 中国では、『台湾海峡1949』はいまだに刊行されていない。しいかし思想を封じ込める社会で、「刊行できない」ということは、もはやひとつの文学賞だと言っていい。
  ――民国百年増訂版 序 わき出ずるもの 刊行後いただいたたくさんの手紙

【どんな本?】

 1945年8月に第二次世界大戦は終わった。しかし中国では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる人民解放軍の内戦は収まらず、人々の苦しみは続く。食べるために志願した兵、誘拐同然に徴兵された少年、戦禍を避けるため流浪の旅を続けた兄弟、日本軍に志願した台湾人、そして兵となった夫を追いかけ彷徨った女。

 台湾生まれの作家・龍應台が、当事に生きた多くの台湾人・中国人の声をかき集め、日中戦争・太平洋戦争・国共内戦と続く戦乱の時代を彷徨った人々の生き様を再現する、怒涛のオーラル・ヒストリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は龍應台(Lung Ying-tai)「大江大海1949」,2009年8月。日本語版は2012年7月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約370頁。9ポイント46字×20行×370頁=約340,400字、400字詰め原稿用紙で約851枚。文庫本の長編小説なら上下2巻に少し足りないぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。一般的な中国人・台湾人向けに書かれている。そのため、日中戦争~国共内戦について、大まかな所を知っているといい。が、ほとんど知らなくても、否応なしに迫力は伝わってくる。

【構成は?】

 一応、小説仕立てなので頭からの流れはある。だがそれぞれの章や節は独立したエピソードとしても読めるので、拾い読みしてもいい。どこを読んでも凄まじいインパクトのあるエピソードばかりであり、読み逃すのは惜しいけど。

  •  日本語版への序文
  •  プロローグ 私たちを守ってきた街路樹
  • 第1章 手を離したきり二度と…… 父と母の漂白人生
    • 1 母、故郷との別れ
    • 2 ちょっと雨宿りするだけ
    • 3 流れ着いた埠頭で
    • 4 母、50年ぶりの帰郷
    • 5 ダムに沈んだ故郷
    • 6 汽車を追いかける女性
    • 7 30歳の父が広州に残した足跡
    • 8 汽車を追いかける少年
    • 9 いたって普通の一年
    • 10 鍬を担いで、毛沢東の演説を聞きに
    • 11 母がくれた作りかけの靴
    • 12 18歳の父が南京で受けた心の傷
    • 13 老いた父が愛した芝居「四郎探母」
  • 第2章 弟よ、ここで袂を分かとう 少年たちの決断
    • 14 夏には帰ってくるから
    • 15 端午の節句
    • 16 別れ際、母についた嘘
    • 17 小さな駅での決断、兄と別れて南へ
    • 18 疎開学生、志願兵になる
    • 19 台湾なら肉が食える
    • 20 この険峻な山を越えれば
    • 21 ベトナム捕虜収容所での三年半
    • 22 悪魔山に押し込められた難民たち
    • 23 山険しく海深く
  • 第3章 私たちはこの縮図の上で大きくなった 名前に刻み込まれた歴史
    • 24 「台生」という名前
    • 25 “吉林”までひと歩き
    • 26 アメリカ兵がくれたチョコレート
    • 27 小さな町で演じられた惨劇
    • 28 六歳でも兵隊になれる
  • 第4章 軍服を脱げば善良な国民 包囲戦という日常
    • 29 レニングラード攻囲戦
    • 30 ソビエト軍による解放の影で
    • 31 長春無血解放
    • 32 死んでも君を待つ
    • 33 捕虜は恥か
    • 34 お椀に落ちた戦友の肉片
    • 35 弾よけになった民間人
    • 36 北京から逃げる、上海から逃げる
  • 第5章 われわれは草鞋で行軍した 1945年、台湾人が迎えた祖国軍
    • 37 8月11日、上海の朝
    • 38 9月2日、ミズーリ号上空は晴れて
    • 39 8月15日、上海の夜景が蘇る
    • 40 9月20日、中秋の名月と揚陸艦LST-847
    • 41 「日本人じゃありません」
    • 42 LST-847が運んだもの
    • 43 9月16日、国民党軍第70軍、寧波へ
    • 44 10月17日、第70軍が来た
    • 45 50年ぶりの中国軍
    • 46 台湾海峡の水葬
    • 47 草鞋
    • 48 歴史的瞬間だ、乗り遅れるな
    • 49 線香を一本手向けて
  • 第6章 フォルモサの少年たち 捕虜収容所にいた台湾人日本兵
    • 50 歴史の奔流にのみ込まれた水滴がふた粒
    • 51 高雄から戦地に向かって船が出る
    • 52 死体から染み出た水をすすり
    • 53 1942年、台湾の少年たちが歌う君が代
    • 54 台湾人志願兵
    • 55 捕虜収容所の台湾人監視員たち
    • 56 トウモロコシ農場で出会った元米軍兵捕虜
    • 57 自らの手は汚さずに
    • 58 ビルが描いたサンダカンのスケッチ
    • 59 監視兵が戦犯になり
    • 60 「これは天が殺すんだ、私が殺すんじゃない」
    • 61 日々是好日
  • 第7章 田村という日本兵 ニューギニアに残された日記、生き残った国民党軍兵士
    • 62 底辺の竹きれ
    • 63 台湾人監視員が赤ちゃんにあげた卵
    • 64 抗日の英雄たちのその後
    • 65 上海からラバウルへ
    • 66 墓標なき死者たち
    • 67 地獄船に乗って
    • 68 田村という若き日本兵
    • 69 ニューギニアで食うこと、死ぬこと
    • 70 19歳の決断
  • 第8章 じくじくと痛む傷 1949年の後遺症
    • 71 20カイリに40年
    • 72 モクマオウの木の下で
    • 73 二人の男の子
  • エピローグ 尋ね人
  • あとがき 私の洞窟、私のろうそく
  • 民国百年訂版 序
  • 原注/訳注/謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 一部に、日本軍の不名誉なエピソードがある。だから「帝国陸海軍には一片の非もない」と思いたい人には向かない。そうでないなら、最高に刺激的な読書を堪能できる。

 一部の本好きに「中国物」と呼ばれるジャンルがある。パール・バックの「大地」やユン・チアン(張戎)の「ワイルド・スワン」などの系統だ。激動する歴史に翻弄され、バタバタと人が死んでゆく中で、なんとか生き延びた一族の歴史を綴る物語である。

 「中国物」は、大河の中の一筋の流れを追いかけるパターンだ。対してこの本は、大河そのものを輪切りにして提示しようとする作品だろう。

 実は冒頭から、「中国物」と似た匂いを漂わせている。ドイツに居る大学生の息子フィリップから、家族の歴史を尋ねられた母(著者)が、息子の祖母の生い立ちを語る場面から始まる。時は1949年1月、国共内戦のさなか。当時24歳の祖母は、国民党の憲兵隊隊長を務める夫に会うため、,浙江省の淳安を出たのだが…

 と始まった物語は、大陸を流離った末に台湾へたどり着いた人や、台湾からラバウルに出兵した人、香港に居ついた人、ベトナムで捕虜となった人など、実にバラエティ豊かな人生模様を見せてくれる。その全ては、著者が直接本人に会ってインタビュウしたものだ。

 しかも、その全てが濃い。ちょっと目次を見ればわかるだろう。「お椀に落ちた戦友の肉片」「死体から染み出た水をすすり」「地獄船に乗って」…。大げさな表現ではない。みもふたもない事実を示している。

 前半は、登場する人物の多くが大陸の人だ。国民党の徴兵はなかなか強引…どころか、ハッキリ言って誘拐である。村に入った兵が、少年たちを攫ってゆく。肉親に挨拶もさせない。そして大陸内をアチコチと移動させ、やがて少年たちも古参兵となってゆく。

 人民解放軍は、というと。こちらは志願兵しか出てこないが、志願の理由は「食えるから」。または、捕らえた国民党軍の兵を、そのまま自軍に組み入れる。もともとが誘拐された少年たちだから、思想的な理由で軍に入ったわけじゃない。生きていくためには、人民解放軍の兵になるしかないのだ。

 そうやって解放軍に入り、朝鮮戦争でも従軍した人も出てくる。しかも義勇兵ってタテマエだから、扱いが酷い。

帽章、腕章、胸章全部取りました。「軍人だとばれてはいけない」と言われました。ばれたら侵略になる。

 「中国物」には欠かせない、人々が飢える場面は、何度も出てくる。例えば長春包囲戦(→Wikipedia)では、人民解放軍が国民党軍と長春の住民を包囲し…

総人口はおそらく80万から120万であったろう。そして包囲戦が解かれた時、共産党軍の統計によれば、中に残っていたのは17万人であったという。

 少なくとも30万人以上が飢えて亡くなっているにも関わらず、全く知られていないし、現地を訪れても誰も知らず、記念碑もない。それでも粘り強く取材を続ける著者は、なんとか従軍した人を見つけだす。なんと、乗ったタクシーの運転手の伯父だ。知っている人はいるのだ。ただ、沈黙しているだけで。

 冒頭の引用が示すように、極東での出来事は扱いが小さい。というか、一般に世界史と言うと地中海周辺の出来事だけしか扱わない。私も日本史は習ったが、東南アジア・南アメリカ・アフリカはサッパリだ。お隣の台湾や韓国にしても、一時は日本だったのにほとんど知らない。そういう点でも、頭を張り倒されるような衝撃があった。

 台湾生まれで、日本軍として従軍した人もいる。当初は軍人ではなく軍属/軍夫、つまり後方支援だが、戦況が苦しくなると志願兵も受け付け始める。20万人あまりが従軍し、「三万三百四名が戦死した」。捕虜の監視兵となり、後に東京裁判で起訴された人も多い。このくだりでは、日本軍が捕らえた捕虜を虐待する場面が次々と出てくる。

 中には、ラバウルから生還した人もいる。国民党軍の兵として日本軍と戦って捕虜となり、ラバウルに送られた人は、著者からの電話を受けてこう語る。

「戦友はみなラバウルで死んだのに、どうして自分だけが今日この日までおめおめと生きながらえてきたのか、その理由がわかりました。この電話を待つためだったのです」

 日本軍でさえ苦しんだ戦場で、国民党軍の捕虜がどんな扱いを受けるかは想像に難くない。その通りの地獄絵図が展開するのだが、著者の文章は思い出噺を語るかのように淡々としている。

 1945年~1950年は、日本人にとって戦後のドサクサであり、記憶がポッカリ抜け落ちている時代でもある。その時代にも、中国と台湾の歴史は激しく動いていた。ただでさえ濃い「中国物」を更に濃縮してリッター瓶に詰め、一気飲みを強要されたかのように強烈なショックを受ける、どんでもない本だ。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 6日 (月)

火浦功「みのりちゃんの実験室 世界征服のすゝめ」朝日ノベルズ

「マッドサイエンティストになるための、三大関門ってのがあってね――タイムマシンでしょ? 不老不死でしょ? それから、永久機関」
  ――第十二話 あなたも私も不老不死

【どんな本?】

 異様に寡作で遅筆、締め切りは決して守らずシリーズ物はまず完結しない。いつ仕事をしているのか、どうやって生活しているか全く分からず、非実在作家ではないかとの噂もある謎の作家・火浦功による、珍しく完結した連作短編ユーモアSF小説シリーズ。

 仮免中のマッドサイエンティスト豪田みのり18歳が引き起こす数々の事件と、その真実を暴こうと奮闘する気鋭のジャーナリスト山下&サトルの奮闘を描く熱血巨編…の筈がない。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1984年ハヤカワ文庫JAから出た文庫本「日曜日には宇宙人とお茶を」と、1987年ハヤカワ文庫JAの「大冒険はおべんと持って」。これに加筆訂正し、書き下ろし短編6頁を加えたもの。新書版縦二段組で約400頁に加えあとがき2頁。8.5ポイント23字×17行×2段×400頁=約312,800字、400字詰め原稿用紙で約782枚。文庫本2冊の合本としては短め。

 文書はこなれている。SFとはいえユーモア作品集なので、難しい理屈も出てこない。ただしギャグのセンスは昭和のものなので、クレージーキャッツを知らない人には通じないかも。

【収録作は?】

第一話 マッドサイエンティストです
第二話 タイムトンネルを掘る
第三話 とっても素敵な電送人間
第四話 いつかアルキメデスが……
第五話 ちょっと混線
第六話 日曜日には宇宙人とお茶を
第七話 ブラックホールだぜい!
番外編 犠牲者は誰だ!?
第八話 大冒険はおべんと持って
第九話 正義と真実の使徒
第十話 地上最大の決戦 Part1 The Mighty MASAKO Strikes Back
第十一話 地上最大の決戦 Part2 The Mighty MASAKO Strikes Back
第十二話 あなたも私も不老不死
第十三話 なんてったって仏滅
みのりちゃん・リターンズ 世界征服のすゝめ
あとがき

【どんな話?】

 TOKIOニュータウンメガロポリスの衛星都市・猫ヶ丘。タウン誌「月刊猫ヶ丘ジャーナル」の記者の山下と、その助手兼カメラマンのサトルは、特集「わが町のマッドサイエンティストたち」の取材のため、豪田篤胤科学研究所を訪れた。だが現れたのは年の頃17~8の可愛い少女。なんと彼女・豪田みのりは、マッドサイエンティストだったのだ…仮免許だが。

【感想は?】

 マッドサイエンティスト物のユーモアSF短編集だ…で、実は話が終わってしまう。困った。

 ユーモア小説というより、実態はギャグが近い。小難しい理屈はまず出てこないし、出てきてもッハッタリだから気にしちゃいけない。つまりは笑えるか笑えないか、それだけだ。

 全般的にセンスは昭和の雰囲気で、オジサン・オバサン向け。一応ハヤカワ文庫から出ていたためか、古いSF映画のネタも多い。「第三話 とっても素敵な電送人間」も、タイトルからのご想像通り、有名な映画のネタが幾つも出てくる。そろそろ、またリメイクされるんじゃないかな、あれ。

 冒頭からウザい奴としてツケを回される役のサトル君だが、「第四話 いつかアルキメデスが……」では意外な活躍を見せて、少し見直した。いい奴じゃん。バカだけどw つか、んなご大層なシロモン使って、真っ先にやるのがソレかいw 正直でよろしい。

 やはりサトルが大活躍するのが「第六話 日曜日には宇宙人とお茶を」。いいねえ、バカは地球を救う。しかし、なんだってこんな暑苦しい場面を挿絵にするんだw どうせなら、ヒロインをドーンと前面に押し出すべき。いやいいけどね、面白いから。

 そして強烈に昭和臭が炸裂するのが、「第八話 大冒険はおべんと持って」。朝日ノベルズも何を考えて、こんなネタを本にしたのかw 見た目は若者向けのライトノベルなのに、これじゃ若者は完全に置き去りじゃないかw 私は笑いが止まらなかったけど。

 続く「第九話 正義と真実の使徒」より、ついに登場する本書のメイン・ヒロイン、祝雅子さんことマイティ・マサコ。市営アパートに住み、商事会社に務める、生真面目で優秀なオフィス・レディ。給料の半分は故郷の両親に仕送りし、生活の足しにと朝には新聞配達までする、しっかりした女性。しかし、彼女には叶えたい夢があったのです。

 いやあ、たまりませんねえ、美人でナイスバディの眼鏡っ娘お姉様。しかも親孝行で生真面目な努力家。現代なら「ぜひウチの嫁に」と縁談が殺到する事まちがいなし。いっそのこと、彼女をメイン・ヒロインにしてシリーズを…ってのは、この著者に対しちゃ禁句かな。

 ユーモアSFというより、昭和末期のセンスのドタバタ・ギャグ短編集。仕事が巧くゆかず悩んでいる人は、トラブルが頭から離れず眠れない夜に読むと、頭がカラッポになって安眠できるだろう。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 3日 (金)

井上勲「藻類30億年の自然史 藻類からみる生物進化」東海大学出版会

 光エネルギーを電気エネルギーに変換し、最終的に化学エネルギーとして保存する反応を光反応(明反応)という。産物は、細胞内の化学反応を駆動するエンジンの役割を果たす高エネルギー化合物であるATPと二酸化炭素の結合のエネルギーを供給する強力な還元剤であるNADH(酸素発生型光合成ではNADPH)である。
  ――4章 酸素発生型光合成 地球環境を変えた生物進化最大のイベント

【どんな本?】

 藻類とは何だろう? 星砂のもとになる有孔虫、阿寒湖のマリモ、原始的生物の代表のように言われる珪藻、美味しいワカメやコンブやヒジキ、困った赤潮やアオコ、全て藻類だ。

 藻類と一口に言っても、その中には原核生物から10mを越える巨大な海藻を含む。多くの生態系を支える基盤であり、地球の環境を大きく変えた環境破壊者であり、また様々な地下資源の形でヒトの現代文明を支えてもいる。

 様々な藻類を紹介し、その進化の過程を辿ると共に地球環境に与えた影響を探り、また最新テクノロジーが可能にした現代生物学の最新のテーマを解説しながら、藻類研究の今をライブ感タップリに描く、やや専門的な科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2006年11月20日第1版第1刷発行。既に2007年11月に第2版が出ている。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約430頁に加え、あとがき6頁。9.5ポイント32字×42行×430頁=約577,920字、400字詰め原稿用紙で約1,445枚。文庫本の長編小説なら3巻分ぐらいの分量だが、イラストや写真を豊富に収録しているので文字数は6~8割程度。

 文章は比較的にこなれている。実は全部をちゃんと理解しようとすると、量子化学や地球物理そして当然ながら生物学など、大学の理系の教養課程程度の素養が必要な部分も多い。でも大丈夫。わからなかったら、斜め読みで流そう。というか、私はテキトーに流して読んだ。拾い読みス津だけでも、充分にエキサイティングで楽しめる本だから。

【構成は?】

 頭から順番に、ただし難しい所はテキトーに飛ばしながら読もう。

  • はじめに
  • 1章 藻類ウォッチング
    • 原核の藻類と真核の藻類
    • 海藻
      紅藻類/緑藻類(アオサ藻類)/褐藻類
    • 微細藻類
      灰色藻類/単細胞紅藻/クリプト藻類/黄色の微細藻類/珪藻類/黄金色藻・ヒカリモ/サヤツナギ・ウログレナ/シヌラ藻/黄色微細藻類あれこれ/ハプト藻類/円石藻/渦鞭毛藻類/緑色の藻類/ボルボックス(Volvox)/クラミドモナス(Chlamydomonas)/プラシノ藻/クンショウモ・イカダモ・アミミドロ/接合藻類(チリモ類・アオミドロ類)/ユーグレナ(ミドリムシ)類/クロララクニオン
    • すみかと現象
      土壌藻・気生藻/氷雪藻・アイスアルジー/温泉藻/共生藻/地衣類/HAB:Harmful algal blooms 赤潮・水の華/有毒藻類/ピコプランクトン
  • 2章 藻類と地球進化・地球環境
    • 鉄の文明をもたらしたもの
    • チョークの中の藻類
    • 宇宙から見える植物プランクトン
    • サンゴの光合成
    • 海中林と海洋の見えない森:藻類による基礎生産
    • 炭素循環と生物ポンプ・アルカリポンプ
    • 高栄養塩・低クロロフィル海域NHLC
    • 微生物食物連鎖網 microbial food web
    • マルガレフのマンダラ
    • 窒素ガスを固定する
    • 雲を作る 水と硫黄の循環
    • 石油になった藻類
  • 3章 生命の誕生・藻類の誕生
    • 原核細胞と真核細胞
    • 地球の誕生と海の形成
    • 2つのエンパイアと3つのドメイン
    • 全生物共通祖先:LUCA
    • 藻類の範囲
  • 4章 酸素発生型光合成 地球環境を変えた生物進化最大のイベント
    • 生命の1年暦
    • 化学合成
    • 光合成の出現と多様化
    • 光合成細菌
    • 光反応(明反応)
    • 2つの光化学系と酸素発生型光合成
    • 緑のすきま
    • フィコビリン型色素タンパク質
    • 水分解系
    • 藍藻の呼吸
    • 炭素固定反応
    • 酸素シンドローム
    • オゾン層
  • 5章 真核生物・真核藻類の起源と進化
    • 真核生物の起源
      エオサイト/クロノサイト/ネオムラ
    • ミトコンドリア
      アーケゾア/ヒドロジェノソーム:水素仮説とシントロフィー仮説/ネオムラ説におけるミトコンドリアの成立/α-プロテオバクテリアからミトコンドリアへ
    • クラウン~真核生物のビックバン仮説
      クラウン生物群/プロティスタ
    • 真核生物の誕生:藍藻(シアノバクテリア)から葉緑体へ
      葉緑体というオルガネラ/TocとTic:タンパク質通過チャンネル/核による遺伝子略奪/葉緑体分裂装置/葉緑体の遺伝/ライオンの夢
  • 6章 藻類の分類:生活環
    • 光合成色素
      色による分類(アンテナ色素、タンパク質)/クロロフィルの多様性
    • アンテナ色素系
      暗い太陽のパラドックス/「緑のすきま」を埋める:フィコビリン色素タンパク質とLHC/フィコビリン系アンテナ/クロロフィルa/c・キサントフィル型アンテナ/クロロフィル型a/b型アンテナ
    • 葉緑体
      葉緑体の構造:葉緑体包膜トポロジー/チラコノイド/ピレノイド/葉緑体ゲノム
    • 貯蔵物質
    • ミトコンドリア
    • 鞭毛・基底小体・ハプトネマ
      鞭毛軸糸修飾構造/鞭毛小毛/鞭毛鱗片/鞭毛移行体/ハプトネマ/鞭毛装置/鞭毛変換:鞭毛の「世代」
    • 光受容装置
      眼点/光受容色素
    • 細胞外被
    • 生活環
      胞子体と配偶体/海藻の生活環/紅藻の体制と生存戦略/シスト形成/円石藻の生活環
  • 7章 藻類の多様化をもたらしたもの
    • 五界説の向こう側
    • 酸素発生型光合成生物:進化の2つのみちすじ
      細胞と葉緑体の系統/二次共生:クリプト藻にみられる「植物化」の証拠/もう1つの証拠:緑色のアメーバ
    • 滅び行く核:ヌクレオモルフ(nucleomorph)
    • 一次植物と二次植物
      一次植物(狭義の植物)/二次植物/「植物化」ということ:葉緑体包膜トポロジー再び/さまよえる葉緑体/クレプトクロロプラスト:進行する葉緑体強奪/三次共生/「のどに刺さった骨」モデル・「半藻半獣」モデル
  • 8章 真核生物の風景
    • 8つの巨大系統群
      オピストコント(opisthokonts)/植物(Plantae)/盤状クリステ類(Discicristatae):ミドリムシと眠り病原虫/エクスカベート(Excavates):真核生物のプロトタイプ?/ストラメニパイル(Stramenopiles):褐藻の森とミズカビの関係/アルベオラータ(Alvveolata):渦鞭毛藻類とゾウリムシとマラリア/ケルコゾア(Cercozoa)とリザリア(Rhizaria):緑のアメーバ・クロロラクニオンと有孔虫、放散虫/アメーボゾア(Amoebozoa)
    • 真核生物の進化仮説
      オピストコント(opisthokonts)とバイコント(bikonts)/コルティカータ(Corticata)・ギムノミクサ(Gymnonyxa)/クロミスタ界(Kinhdom Chromista)とクロムアルベオラータ(Chromalveolates)仮説/バイコント=植物説
    • 八界説・六界説
    • 真核生物の生き方・藻類の生き方
  • 9章 陸上への道
    • 緑色植物の2つの系統
      交叉型鞭毛装置とMLS-スプライン型鞭毛装置/フラグモプラスト型分裂とファイコプラスト型分裂/光呼吸酵素と活性酸素除去酵素/時計回りと反時計回りの交叉型鞭毛装置
    • 緑色植物の分類群
      交叉型鞭毛装置を持つ緑色藻類/シャジクモ藻網とストレプト植物門/プラシノ藻:緑色植物の原始的藻類群
    • 陸上への道:緑の覇者
      陸上生物のLUCA/必要条件/陸上藻類
  • 10章 藻類をめぐる地球史
    • 地球史七大事件
    • PT境界
    • 黄色の海
    • 渦鞭毛藻 vs 円石藻 vs 珪藻
    • もう1つのマンダラ
    • イネ科と珪藻の共進化
  • 11章 ナチュラル・ヒストリーふたたび
    • マイヤー vs ウーズ
    • ゲノミクス・プロテオミクスの向こう
    • 新たなナチュラル・ヒルトリー
    • ファイコロジー(藻類学)とプロティストロジー(原生生物学)
  • あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 1章の「藻類ウォッチング」から、「なんだってー!」の連続。

 原始地球の大気には酸素がなかった。藻類の光合成により酸素が生まれ、現在の酸素呼吸生物が生きる余地が出来たのは、多くの人が知っている。が、しかし。

 まさか、文明の進歩を促した鉄まで藻類のお陰とは知らなかった。原始の海には鉄がたくさん溶けていたが、藻類が出す酸素で海水が酸化し、それが海底に沈殿し、更に隆起して陸上に現れたのが鉄鉱床だ、とある。

 とすると、SF者はつい考えてしまう。他の居住可能惑星を見つけるってのは、とても大変なことではないのか、と。単に恒星からの距離や惑星の大きさが地球に似ているだけじゃ駄目なのだ。そこの生物相も地球と似ていて、同じぐらいの歴史を重ねていないと、ヒトが住むには都合が悪いのだ。

 驚きはまだ続く。私は藻類といえばアオコみたいなプランクトンばかりだと思っていたが、ワカメ・コンブ・テングサ・アオノリなどの美味しい海藻も藻類だとは知らなかった。これらは真核生物だが、原核生物の藻類もある。歴史的な経緯とはいえ、系統的には全く異なる生物が「藻類」とひとくくりにされているのだ。

 理屈で考えると無茶な話だが、その無茶こそがこの本の面白さでもあったりする。

 というのも、生物学上の最も大きな系統の違いをまたいで研究する分野だけに、その視野も異様に広いからだ。先の鉄鉱床の話も、地球の誕生から気候の変化そして海水の組成と、やたらスケールの大きい話が展開してゆく。

 かと思うと、小さい話ではピコプランクトンなんて話も出てくる。2μmより小さい生物で、存在が明らかになったのは「20年ほど前」。だがその影響は甚大で、「生物量あるいは生産量として、ときに90%を超える」というから半端ない。こういう生物が生態系の環境を支えているわけで、とすると世代型宇宙船などの閉鎖空間の生態系を考える時も←またSFかよ

 どこか、冒頭に引用した4章の光反応の話では、「電子の軌道が基底状態からエネルギー準位の高い励起状態の軌道に移動する」なんて、量子レベルの細かい話まで出てきたりする。最近の生物学研究は、やたら広くて深い素養が必要なんだなあ。

 続く5章の「真核生物・真核藻類の起源と進化」で語られる、原核生物から真核生物への進化も、難しいながらエキサイティングな内容で、特にミトコンドリアをどう獲得したか、というあたりが面白かった。

 たぶん、ミトコンドリアのご先祖様を他の生物が食べたんだろうけど、困った事に「食作用を行なう原生生物は知られていない」。おまけに、「多くの真核生物は、地質年代の短時間のうちに分岐」したらしい。同様に葉緑体の獲得も、なかなか複雑なシナリオで。 

 などの難しい話の後に、生物の系統の話になるのだが、これが私の頭の中の系統樹を木っ端微塵にブチ壊す過激さで。なんと我ら動物(後生動物)は、植物より菌類に近いのだ。動物と植物は、単細胞から多細胞へ、それぞれが独立して進化したらしい。

 そんなわけで、現在の生物学の学会組織は、生物の系統樹と大きく異なる形で束ねられている事になる。学説は動いても、学会組織は変えるのが難しい。

 などの内輪の事情などを語りつつ、随所に研究への誘いがあるのも、この本の大きな特徴。最新のトピックを紹介するのはいいが、やはり「最新だけにわかっていないことも多い。そこで著者は魅力的な仮説を幾つか紹介した後で、「こんなに面白い研究テーマがたたくさんあるんですよ」と学生を煽る所が随所にあって、著者の学者魂が伝わってくる。

 かなり専門的な内容も多く、読みこなすには広く深い素養が必要だが、わかる所だけをザッと流し読みしてもショッキングでエキサイティングな話がてんこもり。正直かなり手ごわい本だが、読み方次第でいくらでも面白くなる。全てを理解しようとはせず、面白そうな所を拾い読みしよう。それでも充分に楽しめる本だから。

【関連記事】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 1日 (水)

SFマガジン2015年8月号

「あなたは……」とわたしは黙っていることに耐えられず、口を開いた。「あなたは、だれなんです」
  ――神林長平「絞首台の黙示録」連載最終回

エンターテイメントとは、そういう人間の生理を利用して、受け手の感情をハックし、デザインすることです。
  ――飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造
    伊藤計劃論――『アクションSF』というサブカテゴリの確立へ向けて」最終回

 隔月刊化第三号も376頁。今後はこれがレギュラー・サイズになるのかな? 特集は前回に続き「2000番到達記念特集 ハヤカワ文庫SF総解説PART3[1001~2000]」。目次がない…と思ったら、一番後ろにあった。

 小説は冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第4回,神林長平「絞首台の黙示録」最終回,藤崎慎吾「変身障害」,ケイトリン・R・キアナン「縫い針の道」鈴木潤訳,川端裕人「青い海の宇宙港」第4回,夢枕獏「小角の城」第33回。

 特集の「ハヤカワ文庫SF総解説」。最初のジョン・ケッセル「ミレニアム・ヘッドライン」から美味しそうな匂いがプンプン。オースン・スコット・カードの「第七の封印」、抹香くさいと言われるわりに終盤は触手プレイだったような。むしろ抹香くささ全開なのは「消えた少年たち」で、宗教そのものより宗教組織が持つ力を実感させられる作品だった。

 ケヴィン・J・アンダースン&ダグ・ビースン「星海への跳躍」は、過小評価されてる豪快な宇宙SFだった。あの跳躍の場面は今でも印象に残ってる。やはり強く印象に残るのがマイク・レズニックの「キリンヤガ」収録の「空にふれた少女」は胸を締め付ける大傑作短編。手ごろな長さといいキレのいいストーリーといい、海外SFの入門用には最適の作品だと思う。

 という事で、次号からは「ハヤカワ文庫JA総解説」で←をい

 小説は冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第4回。クインテット以外のエンハンサーも登場し、ますます事件は混沌を増してゆく。今回も新しいエンハンサーが登場するが、それ以上にレイ・ヒューズがかっこいい。一匹狼で、二丁拳銃のスゴ腕ガンマン。エンハンサーだらけのこの物語の中、特殊技能もないのに最も危険な雰囲気を漂わせてる。ワイルドカードのヨーマンを思い出した。

 神林長平「絞首台の黙示録」最終回。最初から誰が誰だかよくわからなかったこの作品、果たしてケリはつくのかと思ったら、綺麗に決着した。禍々しい出だしからドッペルゲンガーの出現、マッドなサイエンスから宗教論へと向かい、ハラハラしながら読んでいたら、意外なぐらいスッキリした読後感だった。

 藤崎慎吾「変身障害」。《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》シリーズ第7弾。「米瀞メンタルクリニック」を訪れた男は、咳と呼吸困難に苦しんでいた。だが相談は違う。「この地球では『ウルトラセブン』と呼ばれています」「実は一月ほど前から、私は変身できなくなってしまったんです」

 今までのシリーズじゃこれが一番好きだ。出だしは妙に庶民的なクリニックの風景と、そこで展開するトンチンカンな会話。そして意外?で豪華なゲストの登場と、トボけた味わいの前半は笑いっぱなし。このままユーモア短編で終わるのかと思ったら…。映像化したら、きっとウケるだろうなあ、大人にも子供にも。

 イトリン・R・キアナン「縫い針の道」鈴木潤訳。月と火星を結ぶ星間輸送船<ブラックバード>は、軌道を外れつつあった。スカイキャップのニックス・セヴァーンは、異変の原因であるAIオマを修理するためメインのAIシャフトへと向かうが、その途中のコンテナ群は、狂ったような生命の氾濫に見舞われていた。

 虚空を漂っているはずの宇宙船の中が、熱帯雨林のように生命が旺盛にはびこっているのがちょっと斬新かも。元ネタが「赤ずきん」だし、舞台は宇宙でも、SFというよりファンタジイに近い感触の作品。

 川端裕人「青い海の宇宙港」第4回。大日向菜々は、大日向希実と橘ルノートル萌奈美を連れ、夜明け前の砂浜に来た。アカウミガメが産卵したのだ。中には波打ち際の危険な所に産卵する場合もあり、その時は卵を掘り出し孵化場に移すのだ。

 ロケットの仕組みを見て「ロケットのだいたいは、燃料と酸化剤!」と叫ぶ萌奈美に思いっきり拍手してしまう。私も子供向けの漫画でサターン・ロケットの仕組みをはじめて見た時、その容積の大半が液体酸素と液体水素なのに驚いた。固体ロケットのブースターも似たようなもんで、推進剤の大半は推進剤を持ち上げるために使ってる。

 改めて考えるとアホなシロモノなのだが、今でもそれしか手がないんだから仕方がない。なんとかならんのか、ってんで出てきたのが軌道エレベーターなんだけど、素材やら工法やら問題の解決はこれから。私が生きてるうちに、なんとかなってほしいなあ。

 長山靖生「SFのある文学誌 進化論の詩学2 加藤弘之の理論と実践」。今回のテーマは東京帝国大学総長や貴族院議員を務めた加藤弘之(→Wikipedia)。ダーウィンの進化論を支持したとあるが、これがありがちな誤解に基づくもので、適者生存ではなく強者生存の理屈。環境が変われば誰が適者かも変わる、という根本的な所が判っていない。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「インドの妖艶人舐め花は夜ひらく」。モンゴルのゲル(移動式住居、→Wikipedia)の床暖房が賢い。つか今Wikipediaを読んだら「モンゴルは携帯電話の普及率が一人1台を超えており」って、やっぱ移動生活する人には必需品なんだなあ。

 橋本輝幸「世界SF情報」2014年ネビュラ賞の長編部門でジェフ・ヴァンダミアの「全滅領域」が受賞してる。早速このブログも記事を直しました、はい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »