井上勲「藻類30億年の自然史 藻類からみる生物進化」東海大学出版会
光エネルギーを電気エネルギーに変換し、最終的に化学エネルギーとして保存する反応を光反応(明反応)という。産物は、細胞内の化学反応を駆動するエンジンの役割を果たす高エネルギー化合物であるATPと二酸化炭素の結合のエネルギーを供給する強力な還元剤であるNADH(酸素発生型光合成ではNADPH)である。
――4章 酸素発生型光合成 地球環境を変えた生物進化最大のイベント
【どんな本?】
藻類とは何だろう? 星砂のもとになる有孔虫、阿寒湖のマリモ、原始的生物の代表のように言われる珪藻、美味しいワカメやコンブやヒジキ、困った赤潮やアオコ、全て藻類だ。
藻類と一口に言っても、その中には原核生物から10mを越える巨大な海藻を含む。多くの生態系を支える基盤であり、地球の環境を大きく変えた環境破壊者であり、また様々な地下資源の形でヒトの現代文明を支えてもいる。
様々な藻類を紹介し、その進化の過程を辿ると共に地球環境に与えた影響を探り、また最新テクノロジーが可能にした現代生物学の最新のテーマを解説しながら、藻類研究の今をライブ感タップリに描く、やや専門的な科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2006年11月20日第1版第1刷発行。既に2007年11月に第2版が出ている。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約430頁に加え、あとがき6頁。9.5ポイント32字×42行×430頁=約577,920字、400字詰め原稿用紙で約1,445枚。文庫本の長編小説なら3巻分ぐらいの分量だが、イラストや写真を豊富に収録しているので文字数は6~8割程度。
文章は比較的にこなれている。実は全部をちゃんと理解しようとすると、量子化学や地球物理そして当然ながら生物学など、大学の理系の教養課程程度の素養が必要な部分も多い。でも大丈夫。わからなかったら、斜め読みで流そう。というか、私はテキトーに流して読んだ。拾い読みするだけでも、充分にエキサイティングで楽しめる本だから。
【構成は?】
頭から順番に、ただし難しい所はテキトーに飛ばしながら読もう。
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【感想は?】
1章の「藻類ウォッチング」から、「なんだってー!」の連続。
原始地球の大気には酸素がなかった。藻類の光合成により酸素が生まれ、現在の酸素呼吸生物が生きる余地が出来たのは、多くの人が知っている。が、しかし。
まさか、文明の進歩を促した鉄まで藻類のお陰とは知らなかった。原始の海には鉄がたくさん溶けていたが、藻類が出す酸素で海水が酸化し、それが海底に沈殿し、更に隆起して陸上に現れたのが鉄鉱床だ、とある。
とすると、SF者はつい考えてしまう。他の居住可能惑星を見つけるってのは、とても大変なことではないのか、と。単に恒星からの距離や惑星の大きさが地球に似ているだけじゃ駄目なのだ。そこの生物相も地球と似ていて、同じぐらいの歴史を重ねていないと、ヒトが住むには都合が悪いのだ。
驚きはまだ続く。私は藻類といえばアオコみたいなプランクトンばかりだと思っていたが、ワカメ・コンブ・テングサ・アオノリなどの美味しい海藻も藻類だとは知らなかった。これらは真核生物だが、原核生物の藻類もある。歴史的な経緯とはいえ、系統的には全く異なる生物が「藻類」とひとくくりにされているのだ。
理屈で考えると無茶な話だが、その無茶こそがこの本の面白さでもあったりする。
というのも、生物学上の最も大きな系統の違いをまたいで研究する分野だけに、その視野も異様に広いからだ。先の鉄鉱床の話も、地球の誕生から気候の変化そして海水の組成と、やたらスケールの大きい話が展開してゆく。
かと思うと、小さい話ではピコプランクトンなんて話も出てくる。2μmより小さい生物で、存在が明らかになったのは「20年ほど前」。だがその影響は甚大で、「生物量あるいは生産量として、ときに90%を超える」というから半端ない。こういう生物が生態系の環境を支えているわけで、とすると世代型宇宙船などの閉鎖空間の生態系を考える時も←またSFかよ
どこか、冒頭に引用した4章の光反応の話では、「電子の軌道が基底状態からエネルギー準位の高い励起状態の軌道に移動する」なんて、量子レベルの細かい話まで出てきたりする。最近の生物学研究は、やたら広くて深い素養が必要なんだなあ。
続く5章の「真核生物・真核藻類の起源と進化」で語られる、原核生物から真核生物への進化も、難しいながらエキサイティングな内容で、特にミトコンドリアをどう獲得したか、というあたりが面白かった。
たぶん、ミトコンドリアのご先祖様を他の生物が食べたんだろうけど、困った事に「食作用を行なう原生生物は知られていない」。おまけに、「多くの真核生物は、地質年代の短時間のうちに分岐」したらしい。同様に葉緑体の獲得も、なかなか複雑なシナリオで。
などの難しい話の後に、生物の系統の話になるのだが、これが私の頭の中の系統樹を木っ端微塵にブチ壊す過激さで。なんと我ら動物(後生動物)は、植物より菌類に近いのだ。動物と植物は、単細胞から多細胞へ、それぞれが独立して進化したらしい。
そんなわけで、現在の生物学の学会組織は、生物の系統樹と大きく異なる形で束ねられている事になる。学説は動いても、学会組織は変えるのが難しい。
などの内輪の事情などを語りつつ、随所に研究への誘いがあるのも、この本の大きな特徴。最新のトピックを紹介するのはいいが、やはり「最新だけにわかっていないことも多い。そこで著者は魅力的な仮説を幾つか紹介した後で、「こんなに面白い研究テーマがたたくさんあるんですよ」と学生を煽る所が随所にあって、著者の学者魂が伝わってくる。
かなり専門的な内容も多く、読みこなすには広く深い素養が必要だが、わかる所だけをザッと流し読みしてもショッキングでエキサイティングな話がてんこもり。正直かなり手ごわい本だが、読み方次第でいくらでも面白くなる。全てを理解しようとはせず、面白そうな所を拾い読みしよう。それでも充分に楽しめる本だから。
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