龍應台「台湾海峡1949 大江大海1949」白水社 天野健太郎訳
西洋の歴史教科書で、第二次世界大戦は1939年9月1日に始まる。ドイツのポーランド侵攻の日である。彼が言いたいのは、どうして1931年9月18日、日本軍の中国東北地方侵攻(柳条湖事件)を世界大戦の起点としないのか?
――第3章 私たちはこの縮図の上で大きくなった英雄と見るか裏切り者と見るか、栄誉と見なすか恥辱と見なすか、それは往々にしてその都市にいちばん高い建物に掲げられた旗の色で決まるのだ。
――第7章 田村という日本兵中国では、『台湾海峡1949』はいまだに刊行されていない。しいかし思想を封じ込める社会で、「刊行できない」ということは、もはやひとつの文学賞だと言っていい。
――民国百年増訂版 序 わき出ずるもの 刊行後いただいたたくさんの手紙
【どんな本?】
1945年8月に第二次世界大戦は終わった。しかし中国では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる人民解放軍の内戦は収まらず、人々の苦しみは続く。食べるために志願した兵、誘拐同然に徴兵された少年、戦禍を避けるため流浪の旅を続けた兄弟、日本軍に志願した台湾人、そして兵となった夫を追いかけ彷徨った女。
台湾生まれの作家・龍應台が、当事に生きた多くの台湾人・中国人の声をかき集め、日中戦争・太平洋戦争・国共内戦と続く戦乱の時代を彷徨った人々の生き様を再現する、怒涛のオーラル・ヒストリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は龍應台(Lung Ying-tai)「大江大海1949」,2009年8月。日本語版は2012年7月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約370頁。9ポイント46字×20行×370頁=約340,400字、400字詰め原稿用紙で約851枚。文庫本の長編小説なら上下2巻に少し足りないぐらい。
文章はこなれていて読みやすい。一般的な中国人・台湾人向けに書かれている。そのため、日中戦争~国共内戦について、大まかな所を知っているといい。が、ほとんど知らなくても、否応なしに迫力は伝わってくる。
【構成は?】
一応、小説仕立てなので頭からの流れはある。だがそれぞれの章や節は独立したエピソードとしても読めるので、拾い読みしてもいい。どこを読んでも凄まじいインパクトのあるエピソードばかりであり、読み逃すのは惜しいけど。
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【感想は?】
一部に、日本軍の不名誉なエピソードがある。だから「帝国陸海軍には一片の非もない」と思いたい人には向かない。そうでないなら、最高に刺激的な読書を堪能できる。
一部の本好きに「中国物」と呼ばれるジャンルがある。パール・バックの「大地」やユン・チアン(張戎)の「ワイルド・スワン」などの系統だ。激動する歴史に翻弄され、バタバタと人が死んでゆく中で、なんとか生き延びた一族の歴史を綴る物語である。
「中国物」は、大河の中の一筋の流れを追いかけるパターンだ。対してこの本は、大河そのものを輪切りにして提示しようとする作品だろう。
実は冒頭から、「中国物」と似た匂いを漂わせている。ドイツに居る大学生の息子フィリップから、家族の歴史を尋ねられた母(著者)が、息子の祖母の生い立ちを語る場面から始まる。時は1949年1月、国共内戦のさなか。当時24歳の祖母は、国民党の憲兵隊隊長を務める夫に会うため、,浙江省の淳安を出たのだが…
と始まった物語は、大陸を流離った末に台湾へたどり着いた人や、台湾からラバウルに出兵した人、香港に居ついた人、ベトナムで捕虜となった人など、実にバラエティ豊かな人生模様を見せてくれる。その全ては、著者が直接本人に会ってインタビュウしたものだ。
しかも、その全てが濃い。ちょっと目次を見ればわかるだろう。「お椀に落ちた戦友の肉片」「死体から染み出た水をすすり」「地獄船に乗って」…。大げさな表現ではない。みもふたもない事実を示している。
前半は、登場する人物の多くが大陸の人だ。国民党の徴兵はなかなか強引…どころか、ハッキリ言って誘拐である。村に入った兵が、少年たちを攫ってゆく。肉親に挨拶もさせない。そして大陸内をアチコチと移動させ、やがて少年たちも古参兵となってゆく。
人民解放軍は、というと。こちらは志願兵しか出てこないが、志願の理由は「食えるから」。または、捕らえた国民党軍の兵を、そのまま自軍に組み入れる。もともとが誘拐された少年たちだから、思想的な理由で軍に入ったわけじゃない。生きていくためには、人民解放軍の兵になるしかないのだ。
そうやって解放軍に入り、朝鮮戦争でも従軍した人も出てくる。しかも義勇兵ってタテマエだから、扱いが酷い。
帽章、腕章、胸章全部取りました。「軍人だとばれてはいけない」と言われました。ばれたら侵略になる。
「中国物」には欠かせない、人々が飢える場面は、何度も出てくる。例えば長春包囲戦(→Wikipedia)では、人民解放軍が国民党軍と長春の住民を包囲し…
総人口はおそらく80万から120万であったろう。そして包囲戦が解かれた時、共産党軍の統計によれば、中に残っていたのは17万人であったという。
少なくとも30万人以上が飢えて亡くなっているにも関わらず、全く知られていないし、現地を訪れても誰も知らず、記念碑もない。それでも粘り強く取材を続ける著者は、なんとか従軍した人を見つけだす。なんと、乗ったタクシーの運転手の伯父だ。知っている人はいるのだ。ただ、沈黙しているだけで。
冒頭の引用が示すように、極東での出来事は扱いが小さい。というか、一般に世界史と言うと地中海周辺の出来事だけしか扱わない。私も日本史は習ったが、東南アジア・南アメリカ・アフリカはサッパリだ。お隣の台湾や韓国にしても、一時は日本だったのにほとんど知らない。そういう点でも、頭を張り倒されるような衝撃があった。
台湾生まれで、日本軍として従軍した人もいる。当初は軍人ではなく軍属/軍夫、つまり後方支援だが、戦況が苦しくなると志願兵も受け付け始める。20万人あまりが従軍し、「三万三百四名が戦死した」。捕虜の監視兵となり、後に東京裁判で起訴された人も多い。このくだりでは、日本軍が捕らえた捕虜を虐待する場面が次々と出てくる。
中には、ラバウルから生還した人もいる。国民党軍の兵として日本軍と戦って捕虜となり、ラバウルに送られた人は、著者からの電話を受けてこう語る。
「戦友はみなラバウルで死んだのに、どうして自分だけが今日この日までおめおめと生きながらえてきたのか、その理由がわかりました。この電話を待つためだったのです」
日本軍でさえ苦しんだ戦場で、国民党軍の捕虜がどんな扱いを受けるかは想像に難くない。その通りの地獄絵図が展開するのだが、著者の文章は思い出噺を語るかのように淡々としている。
1945年~1950年は、日本人にとって戦後のドサクサであり、記憶がポッカリ抜け落ちている時代でもある。その時代にも、中国と台湾の歴史は激しく動いていた。ただでさえ濃い「中国物」を更に濃縮してリッター瓶に詰め、一気飲みを強要されたかのように強烈なショックを受ける、どんでもない本だ。
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