« ジェイムズ・バイロン・ハギンズ「凶獣リヴァイアサン 上・下」創元SF文庫 中村融訳 | トップページ | 大西科学「さよならペンギン」ハヤカワ文庫JA »

2015年6月14日 (日)

ディーン・ブオノマーノ「バグる脳 脳はけっこう頭が悪い」河出書房新社 柴田裕之訳

 脳は感覚器官を通して外界からデータを獲得し、それを分析・貯蔵・処理し、私たちの生存と繁殖の機会を最適化する出力(つまり動作や行動)を生み出すように設計されている。だが、ほかのどんな計算装置とも同じで、脳にもバグがつきものだ。
  ――はじめに 脳は今日もバグってる

【どんな本?】

 楽しい時間は速く過ぎ、苦しい時間はなかなか終わらない。同じ料理でも、綺麗な食器によそうと美味しくなる気がする。医薬品では、偽薬効果を取り除くため二重盲検査が必要だ。どうやらヒトの脳は、理屈通りには動いていないらしい。

 この理屈どおりに動かない傾向を、この本ではバグと呼ぶ。脳のバグは我々の生活の中で不具合を引き起こすだけでなく、コマーシャルに釣られて無駄な出費を招き、更には狡猾な政治家に利用され国家の命運すら脅かしてしまう。

 心理学教授の著者が、有名な論文や最近の脳科学を元に、ヒトの脳が持つ奇妙な性質を取り上げ、それがもたらす不合理な行動や困った事態の例を挙げ、それを防ぐ対策を示すと共に、バグを利用する広告や政治家の手口を暴く、楽しくて親しみやすく、少しだけ役に立つ一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Brain Bugs : How the Brain's Flaws Shape Our Lives, by Dean Buonomano, 2011。日本語版は2012年12月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約262頁。9ポイント46字×20行×262頁=約241,040字、400字詰め原稿用紙で約603枚。長編小説なら文庫本一冊分ぐらいの長さ。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。一部に脳の部位の名前が出てくる程度だが、分からなくても大きな問題はない。ただし、分量の割には見通すのに時間がかかる。というのも、アチコチにちょっとした確率問題や心理テストが入っていて、つい真面目に考え込んでしまうためだ。

【構成は?】

 各章のつながりは穏やかなので、興味のある所だけを拾い読みしてもいいだろう。

はじめに 脳は今日もバグってる
脳とコンピュータ/進化は不器用そのもの
第1章 ニューロンがもつれる
記憶はどのように貯蔵されるか/脳内ネットワークはウェブ上のリンクに似ている/つながりの作られ方/プライミング 無意識に予測する/記憶のバグ/潜在連合テスト/行動をプライミングする
第2章 記憶のアップデートについていけない
損なわれた記憶/書き込み、そして書き直す/記憶のでっち上げ/削除コマンドはどこに?/記憶ディスクの空き容量/記憶のチャンピオンたち/たくさん覚えていればよい、わけではない
第3章 場合によってはックラッシュする
体という錯覚/ニューロンは沈黙を嫌う/可塑性のある素晴らしい皮質/あっと驚くような機能停止
第4章 時間感覚が歪む
時間差があると因果関係をつかめない/時間による割引/あなたの時間感覚は当てにならない/時間的な錯覚/脳はどうやって時間を知るか/長期的な思考の効用
第5章 必要以上に恐れる
生まれつきの恐怖と学習した恐怖/恐怖回路の仕組み/恐れるようにできている?/よそ者恐怖症/他人の恐怖をわがことのように経験する/篇桃体政治
第6章 無意識に不合理な判断をする
認知のバイアス/フレーミングとアンカリング/損失回路の真理/脳は確率が苦手/バイアスの神経科学/いくつかの手がかり
第7章 広告にすっかりだまされる
動物もマーケティングに弱い?/私たちはみな、バヴロフの犬/結びつき 双方向的なもの/おとり効果
第8章 超自然的なものを信じる
宗教は脳の機能の副産物?/人は宗教を信じるように進化した?/「違いを知る知恵」/脳の中の神々
第9章 脳をデバッグするということ
脳のバグの集中/二つの原因/デバッグするには
 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献

【感想は?】

 まずはこちらのデモ動画を見て欲しい。

 彼女は、何と言っているんだろう? 私には、「ガガ」と聞こえるが、「ダダ」と聞こえる人も多いだろう。次に、目を閉じて聞いてみよう。「ババ」と聞こえるんじゃないだろうか。

 この映像、実はインチキなのだ。実は「ガガ」と言っている動画に、「ババ」という音を被せている。ヒトは言葉を判断する時、口の形と音の両方を判断材料に使っているらしい。そのため、オツムが混乱して変な声に聞こえるのだ。視覚と聴覚は、密接に連携しているらしい。音楽を集中して聴く時に目を瞑る人がいるが、あれは理に適っているわけだ。

 これはワザと騙すケースだが、つい騙される場合もある。著者はサッカーが好きらしく、オフサイド判定の例を挙げている。なんと、「オフサイドの判定は最大で25%が間違って下される」という研究結果がある。この原因は三つだ。

  1. 人が視線を写すには100ミリ秒かかる。
  2. 二つの出来事が同時に起こったら、自分が注視している方が先に起こったと判断しがち。
  3. フラッシング効果:動いている物を見ている時に別の事が起きたら、動く物を実際の位置より先にあると思い込みがち。

 なら相撲の判定で物言いがつくのも、仕方がない事なんだろう。

 こういう、脳ミソが何かに引っぱられる傾向は、数字が絡むとハッキリでてくる。ちょっとした算数の問題だ。オモチャのバットとボールがある。合計で1ドル1セント。バットはボールより1ドル高い。バットは幾ら?

 思わず「1ドル」と答えたくなってしまう。問題の文章中に「1ドル」という言葉が出てくるので、それに引きずられてしまうわけだ。落ち着いて考えれば、バット=1ドル5セント、ボール=5セントと正解が出せるんだが。

 この程度ならたいしたことはないが、これが広告業界や政治家に利用されるとオオゴトだ。「第7章 広告にすっかりだまされる」では、ダイヤモンドのデビアスの成功例を挙げている。が、そんなモノは可愛い方だ。民主主義体制化の選挙運動なんて広告活動そのものだ。この章はアドルフ・ヒトラーの「わが闘争」の引用で始まる。

一般大衆の受容力は極度に限られており、その知性は微々たるものでありながら、忘却の力は計り知れない。こうした事実に鑑みれば、効果的なプロパガンダはすべて、ごく小数の要点に絞り込み、それをスローガンの形で繰り返さなければならない――そのスローガンで理解させたいことを、大衆が一人残らず理解するまでは。

 選挙運動の宣伝カーが、短く単純なキャッチフレーズを繰り返すのには、ちゃんと根拠があるわけ。

 ちなみに「わが闘争」、思想書としてはともかく、広告の教科書およびプロパガンダを見破るガイドブックとしては優た本で、当事のドイツ国民があれをちゃんと読んでいたら、ナチスの躍進は難しかったはず。先の引用みたく、思いっきり有権者をナメた文章がアチコチにある上に、自分たちが使ってる手口を潔くバラしてるから。

 まあいい。いずれにせよ、彼は巧みな広告手法で当事のドイツ国民の支持を得て、その結果としてヨーロッパは廃墟になったわけで、脳のバグがどんな結果を引き起こすかの歴史的な実証結果なんだけど、今でも似たような手口が堂々と使われているから無知は怖い。

この本の内容からは外れるけど、私が気づいた例を一つ。ガザからの写真は、「泣いている子供」を写した物が多い。中には女性キャスターが泣いた赤ん坊を抱っこしたまま中継しているのもある。これは明らかに心理効果を狙ったものだ。

ヒトは子供、特に泣いている子供の画像に敏感だ。泣く子を見ると、自然に「うわ可哀相」と感じる生き物なのだ。だから、ワザと泣く子を写真に入れるのである。キャスターに泣いた赤ん坊を抱っこさせてまで。

 こういった広告は、恐怖を煽ると更に効果が大きくなる。意図的な広告ではないにせよ、ヒトは危険を合理的に判断しない。テロや犯罪の被害を、極端に大きく感じるのである。この本ではアメリカの例で、1995年~2005年の数字を比べてる。曰くテロで亡くなったのは3200人、心臓病では600万人だ。では、その対策予算はどうか。

 2007年のアメリカの軍事支出は7000億ドル以上、心臓病の研究と治療のための連邦政府の助成金は約20億ドル。

 国防費全体と心臓病対策費を比べるのは少々無茶な気もするが、ヒトは他のヒトから加えられる被害にはやたらと敏感なのだ。日本では、幼児が被害に合う犯罪があると、やたらマスコミが大騒ぎする。が、年間の被害者数が二桁に達する事は滅多にない。対して自殺と交通事故は恒常的に三桁を越えている。こっちの方が、よほど大事だと思うんだが。

 なぜヒトの脳はこんなに不合理なのか、という原因については、「だってヒトは文明世界の中で進化したワケじゃないし」と、それなりに納得できる説ではあるが、こればっかりは実験で確かめるわけにもいかないしなあ。

 脳医学・心理学に少し確率・統計を混ぜながら、ヒトが犯しやすい勘違いを挙げてゆき、脳の不具合が引き起こす悲劇まで話を広げてゆく。会話の中でのちょっとした心理トリックのネタに使ってもいいし、巧く料理すれば壮大なSFのネタにもなる。この手の本の中ではとっつきやすさは抜群なので、最初の一冊としてはお勧めの本だろう。

【関連記事】

|

« ジェイムズ・バイロン・ハギンズ「凶獣リヴァイアサン 上・下」創元SF文庫 中村融訳 | トップページ | 大西科学「さよならペンギン」ハヤカワ文庫JA »

書評:科学/技術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ディーン・ブオノマーノ「バグる脳 脳はけっこう頭が悪い」河出書房新社 柴田裕之訳:

« ジェイムズ・バイロン・ハギンズ「凶獣リヴァイアサン 上・下」創元SF文庫 中村融訳 | トップページ | 大西科学「さよならペンギン」ハヤカワ文庫JA »