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2015年6月の14件の記事

2015年6月29日 (月)

神田千里「島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起」中公新書1817

従来の研究ではキリシタンの隆盛と一揆蜂起の最大の原因は、島原・天草地方が当時見舞われていた深刻な飢餓と、それを願慮せずに、島原・唐津両藩で領民に重税を課したことであるとみられてきた。
  ――第一章 立ち帰るキリシタン

 これまでの宗教史研究は宗派・教団を、言い換えれば宗教の専門家と俗人の中でも際立って宗教心の強い部分とを中心的対象としてきたために、島原の乱にみられるような俗人、いわば宗教の素人の信仰・信心を考える糸口がなかなかみつけにくい。
  ――あとがき

【どんな本?】

 寛永十四年(1637)、島原藩・唐津藩の領民が蜂起、周囲の村民を巻き込んで一揆を起こす。日本史では島原の乱(→Wikipedia)として有名で、旗頭となった天草四郎は山田風太郎の魔界転生をはじめ多くの創作に登場するスターとなった。

 蜂起の原因は、飢餓とそれを無視した重税とする説をよく聞く。だが、本当にそうだろうか。日本中世史を専門とする著者が、多くの一次資料にあたって蜂起の経緯を再現しつつ、その背景として戦国の空気の名残が残る当事の政治・軍事・社会背景をわかりやすく解説しながら、宗教が当事の民衆に与えた影響を探る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年10月25日発行。新書版で縦一段組み本文約242頁。9.5ポイント41字×16行×242頁=約158,752字、400字詰め原稿用紙で約397枚。小説ならやや短めの長編の分量。

 文章はこなれている。随所で当事の手紙などを引用しているが、現代語に訳してあるので心配は要らない。背景事情も詳しく解説しているので、詳しい歴史の知識も特に必要ない。中学卒業程度の日本史の素養があれば、充分に楽しめる。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • 民衆を動かす宗教 序にかえて
    キリシタンの蜂起/一般人の宗教戦争/戦国の気質の残存/「殉教」かサバイバルか
  • 第一章 立ち帰るキリシタン
    • 城下に押し寄せる一揆
      代官・僧侶・神官の殺害/城下住民の動向/一揆の攻勢と篭城/一揆と女性/村々の動向
    • 終末予言の流布
      キリシタンの「立ち帰り」/「善人」の出現/終末の予言/飢餓と重税/訴訟のための蜂起
    • 天草地域での蜂起
      大矢野の蜂起/改宗の強制/一揆討伐軍の派遣
  • 第二章 宗教一揆の実像
    • 農民一揆か宗教一揆か
      寺社と「異教徒」への攻撃/信仰の強制/「デウス」の御世/不死身の確信/千年王国の信仰/宗教運動の要素/一揆の行動の由来
    • キリシタン大名の宗教政策
      天草における「偶像破壊」/キリシタンの信仰統制/一向宗との軋轢/非改宗者の追放/寺沢広高の入部/大名それぞれの宗教政策/大矢野の雨乞い/有馬晴信の「異教徒」追放と迫害/「異教徒」迫害の定着/奴隷の進呈/キリシタン大名と島原の乱
  • 第三章 蜂起への道程
    • 禁教令と島原・天草地域の信仰
      幕府の禁教令/有馬直純のキリシタン迫害/松倉重政の信仰容認/禁教令と領国大名/禁教令と寺沢広高/雲仙の地獄と「背教者」三宅重利
    • 飢餓と信仰
      殉教か立ち帰りか/キリシタンの葬礼/非常時にすがる神/キリシタンの奇蹟/島原・天草の信仰習慣/「進んだヨーロッパ」?
  • 第四章 一揆と城方の抗争
    • 幕府軍の派遣
      一揆大将天草四郎/戦いのカリスマ/島原城篭城/幕府の討伐命令
    • 本渡りの合戦と富岡城攻防
      三宅重利の戦死/「百姓」の戦闘/武士と「百姓」との同盟/天草四郎の指揮/富岡城の戦い/松倉勝家の帰国
  • 第五章 原城篭城
    • 篭城戦へ
      天草への出撃命令/熊本藩の天草攻め/一揆の篭城/原城への攻撃/篭城軍の抵抗/落人の情報/板倉重昌の討死/相手は「百姓」/「百姓」と「一揆」
    • 原城の包囲
      包囲戦の開始/「落人」七之丞/矢文の応酬/「後生の一大事」/一揆への切り崩し/有馬直純の工作/内応の露顕/落人の増加/四郎の法度/下々の飢え/強き男女の死/キリシタン摘発の本格化
  • 第六章 一揆と信仰のつながり
    • 信仰をめぐる民衆の対立
      キリシタンと「日本宗」/南蛮と日本/伊勢の神への信仰/伊勢の神と「神国」意識/「天道」思想とキリスト教
    • 戦国大名と宗教
      「天道」に適う大名・武士/「神国」の領主たち/神になった豊臣秀吉/大友宗麟の洗礼/デウスへの奉仕/戦争とキリシタン/「神国」の神々とデウスの戦争/「国民」的信仰/国民国家の成立と信仰
  • 使用・引用した参考文献/あとがき

【感想は?】

 著者が主張したいこと以前の段階で、とても面白く刺激的な本だった。

 冒頭の引用にあるように、島原の乱の原因は、飢饉を無視した重税にある、と私は思っていた。著者もそれは否定していないが、それほど単純ではない、と主張するのが、この本である。

 その主張のために多くの一次資料を掘り起こし、乱に至るまでの経緯から一揆が広がってゆく様子、そして原城での篭城戦から戦後処理に至るまで、少ない頁ながらも興味深いトピックを次々と挙げて一揆を再現してゆく。単にそれだけなら、普通の一般向けの歴史解説書でしかない。

 確かに事件を再現する描写は迫力あるが、この本の醍醐味は、その背景にある当事の政治・軍事・社会情勢の詳しく分かりやすい解説と、意外な実体にある。読み始めてすぐの p15 で、私はいきなりのけぞった。蜂起が島原城にまで押し寄せた時の、城下の者たちの反応である。

町奉行の差配によりいち早く町の別当(町役人)、乙名(→コトバンク)たちを糾合し、一揆に対する防備を固めていた(『別当杢左衛門覚書』)。さらに町の別当・乙名たちは、松倉家中の武士たちに、味方するので武器を貸してほしいと申し入れた。

 町の者が武器を貸してほしい、と申し入れている。「守って欲しい」では、ない。自ら戦うための得物が欲しい、と言っているのだ。これは町人だけじゃない。p53 には、布教に行くキリシタンを庄屋が鉄砲で撃ち殺す記録が出てくる。「なんで庄屋が鉄砲を持ってるんだ、刀狩りしたんじゃないのか?つかなぜ撃ち方を知っている?」と思ったのだが。

 どうも当時は百姓といえど相応の自衛はしていたらしい。どころか、戦国大名にとっては無視できない武装勢力だったようで、しかも「戦国の村はどの勢力と同盟するか、自らの判断で決定した」のだ。

戦国大名の軍勢は、仮に百人の兵士がいても騎馬の武士はせいぜい十人に満たない、というのが実態であり、あとは雑兵と呼ばれる人々であった。この雑兵たちは、身分的には「百姓」と呼ばれる平民、つまり動員された村の住民…

 という事で、戦国時代の村は個々で武装していたし、戦でも村民は主要な兵力を形成していたらしい。侍に踏みつけられる弱く哀れな百姓なんてのはとんだ勘違いで、今のアフガニスタンみたく村々でそれなりに武装し自治する、したたかな存在だと思い知らされた。

 蜂起の次第も、村単位で蜂起軍・城方のいずれに味方するかを決めている。キリシタン側についた村もあれば、城方についた村もあるのだ。そのため、蜂起軍が靡かない村を襲い、襲われた村人が城下に避難するケースもある。

 刀狩りの疑問も、間接的だが次第に明らかになる。キリシタン弾圧の顛末から類推できるのだ。まずは天正15(1587)年の豊臣秀吉の伴天連禁止令から始まるのだが、これへの対応は大名ごとに違っている。キリシタン大名小西行長の天草領では「キリシタン信仰に帰依しない者が処刑されていた」。完全に禁止令の逆をやっている。

 関が原で石田方についた小西は処刑され、慶長六(1601)年に寺沢広高が領主となる。当初はキリシタンに冷淡だった寺沢だが、信仰は既に領民間に染みこんでおり、容認政策へと切り替えるが、司祭たちは勢いづいてしまう。対して熊本領の加藤清正は強硬に弾圧したようだ。

 つまり、当事の領国の支配は大名に大きな自治権があり、西国までは幕府の目が届かなかった様子が窺える。考えてみれば当事の領主は個々に軍を抱えているわけで、まさしく「国」なのだ。秀吉や徳川幕府の命令も、各大名は表向きは従いながらバレそうにない所はテキトーに処理していたらしい。

 そして、ここに島原の乱の大きな謎が提示される。幕府が全国的に禁教令を出したのは慶長十八年十二月(1614年1月)なのに対し、蜂起は寛永十四年(1637)。20年以上のズレがある。これに対しては領主による政策の違いもあるのだが、もう一つの謎もある。蜂起に参加した領民の多くが、一度は棄教した「立ち帰り」なのだ。

 原城の攻防の様子も、現代シリアの山賊どもの様子と通じる場面があったりする。城を脱出してきた落人を尋問すると、「投降したがっている者は多いが(熱心なキリシタン集団の)監視が厳しくなかなか実現し得ない」。記録だと篭城した者は三万七千~四万七千名、うち一万名ぐらいが脱出している。

 一部の熱心な者が他の者を巻き込む、世間にはよくある構図だ。これは宗教に限らず、政治運動でも商業活動でも趣味でもよくある話。

 その宗教で面白いのが、フランシスコ・ザビエルの言葉。イエズス会日本書翰集に曰く。

日本では男女共に「各人が自分の意思に従って」宗派を選ぶのであり、「誰に対してもある宗派から他の宗派に改宗するように強要することはしません」

 この感覚が今まで続いているのか、何回か途切れて復活したのかはわからないけど、現代でもこの感覚は似たようなモンで。その分、葬式をどの形式にするかで親族内で悶着が起きたり。

 著者の主眼は島原の乱における宗教の影響を見直すことであり、それを起点に当事の日本人の宗教心のあり方を探ることなのだが、その前提となる当事の幕府と領主・武士と百姓の関係などの社会情勢を丹念かつわかりやすく説明していて、本題以前の所で「なんだってー!」と思い込みを覆される記述が多く、読んでいて驚きと楽しみが多い本だった。

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2015年6月26日 (金)

ジェフ・ヴァンダミア「サザーン・リーチ 3 世界受容」ハヤカワ文庫NV 酒井昭伸訳

「でも、あなただって知りたがりでしょ?」
「どういう意味だ?」
「だって、灯台を守ってるもの。光はすべてを照らしだすのよ」

“罪人の手が育む侵食の子実のあるところ、我は死者の種子を生む、蟲たちと分かちあうために、その蟲たちは……”

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF/ファンタジイ作家による、SFともファンタジイともホラーともつかぬ、不気味な味の三部作<サザーン・リーチ>シリーズの第三部。サザーン・リーチの局長・灯台守・<ゴースト・バード>・<コンロトール>など、今までの物語のキーとなる人物それぞれの視点で、異変の始まりから顛末までを描く完結編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ACCEPTANCE, by Jeff Vandermeer, 2014。日本語版は2015年1月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約503頁に加え、牧眞司の解説8頁。9ポイント41字×18行×503頁=約371,214字、400字詰め原稿用紙で約927枚。文庫本の長編小説としては上下巻でもいいぐらいの長さ。

 文章は比較的にこなれている。<エリアX>の正体を明かす部分を除き、特にSF的なガジェットもない。ただし、お話は第一部・第二部を受けた完結編なので、「全滅領域」「監視機構」は読んでおこう。

【どんな話?】

 四年前から、ソール・エヴァンスは灯台守として灯台に住み着いた。今の生活には満足している。仕事に没頭できるのがありがたい。だが、今日は変な連中が来ている。<S&SB>、<降霊術と科学の旅団>の新人二人だ。

 <コントロール>と<ゴースト・バード>は<エリアX>ににたどり着き、丸三日も歩きとおした。<コントロール>が見る限り、ここの生態系は至極正常に見えるのだが…

【感想は?】

 やっぱりフィリップ・K・ディックを思い浮かべちゃうなあ。

 ディックの作品の多くに共通するテーマに、「本物」と「にせもの」がある。「くずれてしまえ」などが印象的だ。「自分は本物の人間なのか?」と悩む登場人物もよく出てくる。この作品だと、<ゴースト・バード>が該当する。

 肝心の<エリアX>の正体は、いちおう明かされるのだが、かなりアッサリした、かつ実もフタもないシロモノ。つまり、<エリアX>のお正体はこのシリーズのテーマじゃないんだろう。むしろ、そういう得体の知れないシロモノに直面した人間が、どう対処しどう振舞うか、に焦点をあてた作品だろう。

 そういう点だと、全滅領域で主役を務めた生物学者がとてもキュートに見えてくる。私は「動く遺伝子」のテーマとなったバーバラ・マクリントックを連想した。要はオタクなのだ、彼女は。生物学者としてのフィールド・ワークが大好きで、それに没頭できれば幸せな人。その分、人間関係は苦手で、だから夫ともギクシャクしてしまう。

 その辺、バーバラ・マリントックは完全に開き直っちゃった人なんだけど、この作品の生物学者は、半端に常識がある分、色々と悩んでしまう。「これが私なんだからしょうがない」と開き直れず、かといって本来の自分も捨てきれない。

 などと考えると、彼女の夫も「結構、いい奴じゃん」とか思えてしまう。たぶん、そんな彼女の本性を分かっていて、それを支える事に喜びを感じていたのだ、彼は。それが彼女には伝わらず、逆に重荷に感じさせちゃったみたいだけど。若いうちはギクシャクするけど、長く連れ添えばソレナリにいい関係になったかも。

 やはり微妙に社会不適合なのが、ソール・エヴァンス。元は北部で説教師をしていたのに、今は孤独な灯台守の生活に満足している。だいたい、この地域は政府の力も及ばず、お尋ね者も多い地域。って事で、技術的には現代だけど社会的には開拓時代みたいな、南部の独特の空気が漂っている。

 そういう場所に住み着く連中だから、近所の連中も世間と少しズレてるんだが、それなりに親しく付き合ってたり。このあたりはロバート・マキャモンの「遥か南へ」を彷彿とさせる。

 そして、中盤で登場する意外な人物と、その人物が明かす<エリアX>の奇天烈な性質。

 <エリアX>の正体を考えると、SFの王道とも言えるテーマを扱っているのだが、物語の多くは人物の内面に割かれている。たぶん、それこそがこの作品のテーマなんだろう。どうにも理解できないシロモノに直面して、ヒトがどう振舞うのか。

 改めて考えると、結局のところ全ての登場人物が、それまでの行動規範に基づいて動いてるだけにも思える。色々あって変わっちゃった人たちも、元の性質のエッセンスを取り出しただけで、芯のところでは変わってない。<中央>で陰謀をめぐらす彼もそうだし、中盤で登場するあの人もそうだ。

 第一部・第二部とは異なり、時間も視点も次々と切り替わりながら物語は進む。そのためか、長く不明瞭な物語にも関わらず、意外と飽きずに読めた。不条理と、それに対応しとうとする人と社会の物語だ。

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2015年6月25日 (木)

ジェフ・ヴァンダミア「サザーン・リーチ 2 監視機構」ハヤカワ文庫NV 酒井昭伸訳

三十二年前、一部には“忘れられた海岸”として知られる南の沿岸地域(サザーン・リーチ)において、ある“事象”が発生した。それはその土地を変容させると同時に、周囲に見えない境界、または壁を創りだした。

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF/ファンタジイ作家による、SFともファンタジイともホラーともつかぬ、不気味な味の三部作<サザーン・リーチ>シリーズの第二部。謎の領域に赴いた調査隊を描いた第一部「全滅領域」に続き、今回は調査隊を送りだした監視機構<サザーン・リーチ>の内部を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AUTHORITY, by Jeff Vandermeer, 2014。日本語版は2014年11月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約519頁に加え、堺三保の解説6頁。9ポイント41字×18行×519頁=約383,022字、400字詰め原稿用紙で約958枚。文庫本の長編小説としては上下巻でもいいぐらいの長さ。

 文章は比較的にこなれている。SFとしての小難しい仕掛けもない。ただし、小説そしては前作の内容を踏まえて展開するので、前の「全滅領域」を読んでいないと意味がわからないだろう…読んでいても、やっぱり意味が分からなかったりするけどw

【どんな話?】

 <コントロール>ことジョン・ロドリゲスは、監視機構<サザーン・リーチ>に局長代理として赴任した。初日から職員たちとはギクシャクしている。特に局長補佐のグレイスは明らかに敵に回った。組織の職員には覇気がない上に、建物も薄汚れている。直前に送り出した第十二次調査隊も収穫はない。帰還者の事情聴取も全く進まず…

【感想は?】

 エリートを主人公とした「暗闇のスキャナー」。

 第一部は孤立しがちな女性が主人公だった。今回の主人公<コントロール>は、精気あふれる独身男性。筋肉質で引き締まった肉体。職場では調整役として優れた能力を示す。今まで局長補佐として仕切ってきたグレイスを差し置いて、局長代理のポジションを獲得する事でもわかるように、いわゆる「キャリア組」でもある。

 と、傍から見たらエリートに見える<コントロール>。なのだが、彼が仕切ろうとする監視機構が、見事に機能不全を起こしている。なんたって、初日から古株でナンバー2のグレイスと衝突する体たらく。

 これがビジネス書なら、新しいリーダーが新思想を布教してお局様のグレイスを改宗させ、組織を蘇らせるお話になるんだが、当然このシリーズでそんな方向に向かうわけはなく。監視対象の<エリアX>も謎に満ちていたけど、それを監視する<サザーン・リーチ>も、欺瞞に満ちている。

 お話は冒頭から「なんだってー!」の連続。前作は調査隊員である生物学者の視点で話が進んだ。幾つかの場面では、登場人物が事実を正確に認識していない由を示している。彼女たちが<エリアX>内に入り込んだ場面から、どうも胡散臭い仕掛けが裏にある事を匂わせていたし。

 第十二次調査隊が帰還した後から始まる第二部は、いきなり前作と矛盾する事実を提示する…が、改めて考えると、これは事実の矛盾なのか監視機構による欺瞞なのか、難しいところ。

 そう、問題は「監視」と「欺瞞」。フィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」も、監視と欺瞞の物語だった。加えて、薬物による認識の狂いも混じり、読者は悪夢の世界へと引きずり込まれてゆく。薬物で狂ってゆく主人公と仲間たちが、ひたすら悲しい物語だ。

 この監視機構では、薬物の代わりに<エリアX>がある。が、それ以上に、組織と、その中の人間たちが怖い。

 <コントロール>を監視機構に送り込んだのは、<中央>と呼ばれる別の組織である。<コントロール>に指令を出している者は、<声>。コイツがまた正体不明で胡散臭く、なおかつやたらとタカピーである。コッチの事は細かく詮索するクセに、役に立つ情報は何も寄越さない。どころか、余計なチョッカイを出して仕事を難しくする。

 会社勤めの人は、この辺で上司を思い出しムカつく人も多いんじゃないだろうか。

 が、そこはこのシリーズ。分かりやすいサラリーマン物にもならず。そもそも監視機構の職員が、どいつもこいつもイカれているか腹に一物抱えてるかで。

 最初にぶつかる局長補佐のグレイスは、前の局長に今も未練タラタラで、代理の<コントロール>に敵意満々。科学者の古株ホイットビー・アレンは調子いいが、どこかイカれている。その科学者を仕切るチェイニーは従順だが…

 と、新しい職場で張り切る<コントロール>だが、彼が直面する事実は理解不能な事ばかり。

 先の「全滅領域」も意味不明な事ばかりが起きたが、その多くは<エリアX>が起こした事だ。いわば事故である。だが、第二部で起きる事の大半は、<サザーン・リーチ>または<中央>の者の手による事で、事件である。だが、表向きは何事もないかのように繕っている。

 第一部は、得体の知れないグネグネしたシロモノの怖さだった。第二部では、人間の方がよほど怖いと思わせてくれる。人を支配し、一時凌ぎの嘘でごまかし、人形のように操り…。しかも、その目的は決して教えようとしない。

 得体の知れない<エリアX>に対し、個体としてのヒトがどう対応するのかを描いたのが第一部なら、社会としてのヒトの対応を描いたのが、第二部なのかもしれない。 

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2015年6月24日 (水)

ジェフ・ヴァンダミア「サザーン・リーチ 1 全滅領域」ハヤカワ文庫NV 酒井昭伸訳

「だけどあんたは、そこに存在しないものを見たんだろ?」
(逆よ。そこにあるものが、あなたには見えないだけ)

【どんな本?】

アメリカの新鋭SF/ファンタジイ作家による、SFともファンタジイともホラーともつかぬ、不気味な味の三部作<サザーン・リーチ>シリーズの第一部。アメリカ南部に現れた謎の地域<エリアX>。何か異常が起きているのは確かだが、何が起きているのかはわからない。政府は何度も調査隊を派遣したが、全て何らかの形でチームが崩壊している。

 政府が設立した監視機構から第12次調査隊に選ばれた四人の一人である生物学者の視点を通し、第12次調査の様子と<エリアX>の内部を描く、謎と不安と幻想に満ちた長編小説。

 2014年ネビュラ賞長編部門受賞の他、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014海外篇で19位に滑り込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ANNIHILATION, by Jeff VanderMeer, 2014。日本語版は2014年10月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約296頁に加え柳下毅一郎による解説7頁。9ポイント40字×17行×296頁=約201,280字、400字詰め原稿用紙で約504枚。長編小説としては標準的な分量。

 文書は比較的にこなれている。カテゴリは一応SFとしたが、読みこなすのに特に科学やSFの素養は要らない。<エリアX>の得体の知れなさと監視機構の理不尽さを受け入れられれば、充分に読みこなせる。

【どんな話?】

 政府が設立した監視機構は、海岸沿いの湿地帯に現れた<エリアX>を管理する。内部に入るには、特別な予防措置が必要だ。第12次調査隊は四人全員が女性で、生物学者・人類学者・測量技師・心理学者のチーム。外界との連絡は禁じられ、報告は耐水紙の日誌で行なう。

 ベースキャンプにたどり着き、周囲の調査を始めて四日目、<塔>を見つけた。高さ20cm、直径18mのコンクリート製に見える。地下に螺旋階段が通じていて…

【感想は?】

 SFというより、ファンタジイ寄りのホラーの感触。

 著者はフロリダ大学に在学したらしい。たぶん<エリアX>のモデルはフロリダ半島南端になるエバーグレーズ国立公園(→Wikipedia)だろう。ワニや毒ヘビがうじゃうじゃいる湿地帯だ。

 これで私は、少し前に読んだロバート・R・マキャモンの「南へ」を思い浮かべた。後半はルイジアナ南部、ミシシッピ川下流のバイユー(→Wikipedia)を舞台にしていて、政府の力が及ばない無法者の社会と、縦横につながった水路に展開するワニやナマズなど南部の生態系が、瘴気に満ちた世界を作り上げている。

 この作品も、マキャモンやジョー・R・ランズデールと通じる、南部の匂いが漂う中で物語が展開する。

 が、似ているのは舞台だけで、感触はだいぶ違う。なにせこの物語、全てが不確かなのだ。

 舞台となる<エリアX>も、具体的な事はハッキリ描かれない。生態系がおかしいらしいが、エリア内の異常な生物と言えば、夕暮れから聞こえる湿原のけものの吠え声ぐらい。

 むしろ異常なのは、調査隊のチーム編成やミッション、そして課された制約の方だ。

 今回のメンバーは四人の女性だけ。名前は出てこず、生物学者・人類学者・測量技師・心理学者と肩書きで呼び合う。どうやって<エリアX>に来たのか、誰も知らない。気づいたら荷物を担いで<エリアX>内にいた。外界と連絡を取る術はない。報告は日誌だが、メンバーは互いの日誌を見せ合ってはいけない。

 おまけに、心理学者は予めメンバーに催眠術をかけていたらしく、キーワードで他のメンバーをコントロールできる。その事をメンバーは自覚していない…語り手の生物学者を除いて。

 そして、問題の<塔>だ。これについて、メンバーは何も知らされていない。奇妙なことに、語り手の生物学者はコレを<塔>と呼ぶが、他のメンバーは<地下道>と呼ぶ。形からすると、地下へと階段が続いてるんだから、<地下道>が妥当だよなあ、と思うのだが…

 どうも心理学者は色々と知っているようなのだが、なかなか心中を明かさない。チームが<エリアX>へ入った方法の不可思議さを思うと、語り手の生物学者の認識もいまいち信用できない。どころか、冒頭の引用のように、各メンバー同士でも認識が食い違っている。

 <塔>に中でチームが目撃するモノは、いかにもホラーの定番らしく意味ありげで不気味で、ありえざるシロモノだ。

 だが、ソレは本当に存在するんだろうか? 生物学者が見ている世界は、本当に見ている通りの世界なんだろうか? それどころか…

 読み終えてから改めて物語の全部を辿ると、更に不確かさが増し、全てが信用できなくなってゆく。人間が放棄した廃墟がかもし出す無常感、生命力旺盛な南部の生態系、そして認識の足元が崩れてゆく不安感。

 ぐにゃぐにゃと世界が歪み変わってゆく、不安感と不気味さに満ちた作品だった。

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2015年6月22日 (月)

小暮裕明/小暮芳江「アンテナの仕組み なぜ地デジは魚の骨形でBSは皿型なのか」講談社ブルーバックス

 アンテナの解説書は「やさしい」と謳う本でも、アマチュア無線の愛好家など、ある程度まで電磁気学を学んだ人を対象に書かれています。これでは一版の人には理解しにくいでしょう。そこで一般の方にもアンテナの不思議を知っていただきたいと願って書いたのが本書です。
  ――はじめに

 エレメントをハンダづけする同軸ケーブルは、インピーダンス(120ページ参照)が50オーム(Ω)の5D-2Vという製品を使います。やや細い3D-2V(やはり50オーム)でも同じように使えます。
  ――3-2 ダイポール・アンテナを作ってみよう

【どんな本?】

 テレビのアンテナは魚の骨みたいな形だし、パラポラ・アンテナは斜め上を向いている。携帯電話やスマートフォンにはアンテナが見えないが、ちゃんと電波を送受信できる。

 世の中にはどんなアンテナがあるのか。なぜ、そんな形なのか。昔の軍用レーダーはクルクル回っていたが、今のレーダーはなぜ回らないのか。電波はいつ・誰が発見し、どう使われてきたのか。ラジオの向きを変えると受信状況が変わるのはなぜか。

 現在使われている様々なアンテナと、その原理と仕組みを紹介し、またアンテナの歴史を綴る、アンテナの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年6月20日第1刷発行。新書版縦一段組みで本文約185頁。9.5ポイント43字×16行×185頁=約127,280字、400字詰め原稿用紙で約319枚だが、写真やイラストを豊富に収録しているので、実際の文字数は6~8割程度。文庫本の長編小説なら、なかり短めの分量。

 文章は比較的にこなれている。ただし、内要は私にはかなり厳しかった。「はじめに」では一般向けのように書いてあるが、残念ながら違う。自分でラジオを作れる程度には電気について知っている人向けだろう。少なくとも「アース」や「コンデンサ」が何をするか、なぜ必要なのか、インピーダンスとは何かを説明できる人向けの内容だ。

【構成は?】

 第1章・第2章は比較的にわかりやすいが、第3章でいきなり難しくなる。ついていけなかったら飛ばして第4章に進もう。

  • はじめに
  • 第1章 身近なアンテナ
    • 1-1 目にするアンテナ
      アンテナは昆虫の触覚/テレビの受信アンテナ/パラポラ・アンテナの微妙なカーブ/「はやぶさ」の快挙を支えたパラポラ・アンテナ/テレビの送信アンテナ/ケータイ基地局アンテナ/コードレス電話のアンテナ/アンテナは伸ばして立てる/ホットスポットのアンテナ/無線ルーターのアンテナ/コイル状のアンテナ/自動車の窓ガラスにあるアンテナ/車内に置くアンテナ/パッチ・アンテナ
    • 1-2 見えないアンテナ
      ケータイやスマホの内蔵アンテナ/ケータイのGPSアンテナ/電波時計の超小型アンテナ/時刻を伝える長大アンテナ/無線式ICカード/ICカードの超薄型アンテナ/商品管理に活躍するアンテナ/アンテナで万引き防止
  • 第2章 電波とは何か
    • 2-1 見えない電波は、どの様に発見されたのか
      静電気と磁気の発見/電気研究のはじまり/コンデンサの発明と動電気の登場/磁場と電場/電気が磁気を作る/磁気は電気を作る/電磁誘導の様子/電磁波を予言したマクスウェル/マクスウェルの実験器具/ヘルツ・ダイポール/電波の発見/波長の測定/電波の広がり/アンテナ周辺の電界/アンテナ周辺の磁界/光も電波も電磁波仲間
    • 2-2 「波」としての電波の性質
      電波と音波/縦波と横波/偏波の発見/波の移動とは/電子の流れ/電波は稲妻か波紋か?/アンテナ周辺の磁界と電界/波の伝わりかた/回り込む電波/電波はどこまで届くのか?/リンゴ型に広がる電波/地球の裏側まで届く電波
    • 2-3 電波による放送・通信の仕組み
      地デジの電波はデジタル?/放送電波の仕組み/電波は混ざらないのか?/周波数の割り当て/アンテナが増えると受信しにくくなる?
  • 第3章 手作りアンテナで探るアンテナの原理
    • 3-1 ヘルツ・ダイポールを作る
      ヘルツの実験/ヘルツの火花放電を再現する/ヘルツの受波装置を再現する
    • 3-2 ダイポール・アンテナを作ってみよう
      ダイポール・アンテナの設計/「バラン」を作る/ダイポール・アンテナのインピーダンス/手作りアンテナのリアクタンス/手作りアンテナの定在波比/アンテナの整合/アンテナが電波をつかまえる様子
    • 3-3 針金アンテナのルーツ
      針金アンテナへの道/ツェッペリン・アンテナ/日本人の世界的発明/日本人が知らない!?
  • 第4章 アンテナの構造と働き
    • 4-1 共振型アンテナと非共振型アンテナ
      アンテナの分類/ダイポール・アンテナ/共振の原理/出力増強の工夫/YAGIアンテナの仕組み/モノポール・アンテナ
    • 4-2 開口型アンテナ
      ホーン・アンテナ/テーパード・スロット・アンテナ/TSAの電波特性/超広帯域(ウルトラ・ワイドバンド)
    • 4-3 大地に根づく接地型アンテナ
      地球の大胆な利用法/大西洋横断無線通信アンテナ
    • 4-4 電界型アンテナと磁界型アンテナ
      磁界・電界を検出しやすい/ループ・アンテナ/方向探知機の仕組み
    • 4-5 レーダー・アンテナ
      こだまの原理/レーダーの電波/やっかいなサイドロープ/船舶用レーダーのアンテナ/航空管制レーダー/フェーズド・アレイ・レーダー/最新の気象レーダー/ミリ波レーダーで追突防止
  • 出典/参考文献/さくいん

【感想は?】

 ちょっと読者層を絞りきれていない感がある。どんな読者を想定したんだろう?

 素人向けとしては、第3章でいきなり難しくなっている。第2章までは、電気の素人にもついていける内容で、充分に親しみやすい。読んでいて、「こんなゆったりしたペースで大丈夫なんだろうか?」と不安になった。

 第1章は、世の中にある様々なアンテナを紹介している。テレビのアンテナやBS・CSのパラポラ・アンテナはよく見かけるし、コードレス電話のアンテナも身近だ。自動車のリア・ガラスのアンテナも気づいている人は多いだろう。携帯電話やスマートフォンのアンテナが見えなくなっているのは、言われて見れば確かに。

 また、SUICAなどICカードも気づかなかった。劣った性能を逆手に取った発想は、技術者として見事。

 など、第1章は主に身近なアンテナを紹介しつつ、その原理を大雑把に解説している部分で、親しみやすい上に読者に興味を抱かせる、導入部としては見事な構成だ。

 第2章は羅針盤から電力・磁力の発見へと向かいつつ、電磁波の基本的な性質を解説する理論編。歴史を辿りながら原理を説明してゆく、一般向け理系の解説書の王道のパターンに沿って、目に見えない電波を説明してゆく。ハインリヒ・ヘルツ(→Wikipedia)への敬愛がにじみ出るのはご愛嬌。

 これは愛嬌では住まないのが、問題の第3章。ここで一気に内容が難しくなり、電気の知識がない読者は置いてけぼりを食らう。この記事の冒頭の2番目の引用が、問題の第3章だ。この引用でピンとくる人は、第1章と第2章を退屈に感じるんじゃないだろうか。

 とまれ、ツェッペリン・アンテナのデザインの経緯や、有名なYAGIアンテナ発明のきっかけは楽しかった。こういう、「理屈を形にする」プロセスってのは、工夫と偶然が交じり合っていて、工学の醍醐味があるなあ。

 第4章は、再び応用編。第1部が身近なアンテナを紹介したのに対し、こちらでは空港の管制用レーダー・アンテナや軍用のフェーズド・アレイ・レーダーなど大掛かりなものもあり、ニワカ軍オタとしてはフェーズド・アレイ・レーダーをもう少し詳しく解説して欲しかった。

 アンテナにテーマを絞ったとはいえ、その根本には電磁気学がある。電流・電圧・抵抗などの電気の基本から、波の性質など物理学も必要だ。いちいち説明していたら物理学と電磁気学の教科書になってしまうし、それじゃ新書にならない。だから思い切ってはしょる必要があるけど、何を説明し何を省くかの判断が難しい。

 そういう面では、著者の興味が強く出ていて、かなりアクの強い本になっている。正直、素人向けとは言えない。第3章の目次を見て、「おおっ!」と思う人向けの本だろう。

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2015年6月19日 (金)

ノーマン・デイヴィス「アイルズ 西の島の歴史」共同通信社 別宮貞徳訳 2

 ウェールズやアイルランドとちがい、スコットランドは16世紀を通じて完全に独立を維持していた。それまでスコットランドはイングランドと深くかかわることはなかった。エリザベスの死後に生じる限定的な王権統合のときですらそうだった。スコットランドは独自の宗教改革を経験し、イングランドとはまったく異なる道をたどり、現在まで存続する国教会を生み出した。また、独自の法体系を備えたが、こちらも現在まで続いている。
  ――第7章 イングランド化される島

 二日後の1707年5月1日、新しい議会が召集された。これがイギリスという国、グレートブリテン連合王国が機能し始めた日であり、近代イギリスの歴史が幕を開けた日なのである。
  ――第8章 二つの島、三つの王国

 ノーマン・デイヴィス「アイルズ 西の島の歴史」共同通信社 別宮貞徳訳 1 から続く。

【どんな本?】

 イギリスの歴史家ノーマン・デイヴィスが著した、独自の視点によるイギリスおよびアイルランド史の大著。イギリスの義務教育修了ぐらいにイギリス史を知っている人を対象に、先史時代から21世紀初頭まで、イングランド・アイルランド・スコットランド・ウェールズの歴史を綴る。

【感想は?】

 前の記事に書いたように、イギリス史としては異端の史観に立つ本だ。それは書名からして明らかである。

 「アイルズ 西の島の歴史」。なぜこんな不思議な名前にしたのか。それは、この本が扱う内容のためだ。「アイルズ」は、グレート・ブリテン島とアイルランド島、それに周辺のマン島・オークニー諸島・ヘブリディーズ諸島を加えた島々を示す。

 これの何が独特で異端なのか。日本人から見ると、ごく順当なイギリス史に見える。本書中にもあるが、英語圏以外でも本書の視点は当たり前に見えるのだが、イギリスとアメリカ、つまり英語圏では違うらしい。これについては冒頭の「はじめに」で詳しい説明があり、また他の章でも随所で指摘している。

 では、イギリスでは、どんな視点が主流なのか。それは、イギリス史=イングランド史+α、と捉える視点だ。ウェールズ・スコットランド・アイルランドは、イングランドのオマケ扱いなのだ。

 近年になって、ウェールズ人向けのウェールズ史や、スコットランド人向けのスコットランド史の著作は出てきた。だが、イギリス人(British)向けの、ウェールズ・スコットランド・アイルランドを含めたイギリス史はない。そこで著者がこの本を著したのである。

 著者はもう一つ、重要な主張をしている。歴史家の思想が歴史観に大きく関わる、と。当たり前と言えば当たり前だが、それを明言するのがこの著者らしい所。そうういう面だと著者の立場は伝統的な歴史家であり、ウィリアム・H・マクニールのような極端な唯物史観ではない。ただし思想的には穏やかなリベラルで、保守的なポール・ジョンソンとも違う。

 地理的にイギリスは日本と似ている。いずれも大陸に近い島国だ。

 ただし、大陸の影響は、イギリスの方が遥かに大きかったようだ。まずは紀元前56年、ケルト人の島だったブリテン島に、ローマ帝国のカエサルが遠征をしかけ、南から北へ向けローマ帝国の支配地域を広げて行く。が、ブリテン島の北方、今のスコットランド近辺はローマの支配を拒み続けている。

 やがてローマが撤退すると、伝説のアーサー王が登場する。モデルとなった人物は存在するらしい。ただし騎士ではなく「ケルトの領主」だとか。

 そしてスカンディナヴィア人がやってくる。いわゆるヴァイキングだ。スカンディナヴィアといっても、今のノルウェー・スウェーデンばかりでなく、デンマークや北方ドイツも含むバルト海沿岸地域らしい。シェイクスピアのハムレットがデンマークの王子なのは、こんな背景があったのか、と今さらながら納得。そしてマクベスが悪役の理由も、この本に書いてある。

 そのヴァイキングの一部は、フランスのノルマンディーに住み着き、これがイングランドの王を兼ねてゆく。フランス語の「アンリ」が英語だと「ヘンリー」になって、これまた変に納得しちゃったり。以後、イングランドの宮廷ではフランス語が中心となるが、教会ではローマ以来のラテン語が主流、加えて地域では様々な言語が使われてたり。

 面白いのが、百年戦争の敗戦以後、島と大陸の関係が疎遠になっていくあたり。日本でも国家体制が整うと遣唐使を取り止めてるし、国家ってのは体制が整うと他国との交渉を控えるものらしい。子供が大きくなると親から離れていくのと似てるのかな?

 日本と大きく違うのが、宗教の影響が大きい事。宗教ったって、みんなキリスト教なんだけど。なにせイングランド「国教」である。カトリックは外国、つまりスランスやローマの手先と見なされるわけで、政治的な立場も関わってくる。スコットランドはフランスと組んでイングランドの足を掬う機会を伺い…、なんて単純な形じゃないんだけど。

 ナポレオンとの戦争を経て帝国となってゆくイギリス。

 前に読んだローリー・スチュワートの「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」では、イギリスでのトラベラーの評価の高さを不思議に思ったけど、これは帝国時代の影響らしい。当時は政府が目的を指示して資金を与え、「その報告書はしばしば公文書として扱われた」。悪くいえば侵略の尖兵、よく言っても他国の情報収集なわけ。

 などと歴史の部分は、イギリスの歴史の素養がないと読みこなすのに骨が折れるけど、最後の「第10章 ポスト帝国の島」は、現在のイギリスの状況を書いていて、実はココが最も楽しく読めた。

 この章では、EUがイギリスに与える影響の大きさがよくわかる。少し前にスコットランド独立が話題になったけど、あれもEUの影響が大きい。今までは独立したら単なる小国になっちゃうけど、EUに加盟すればイギリスと同格のEU加盟国になる。通貨だってユーロにすりゃいいんだし。つまり独立への敷居が低くなったのだ。

 という事で、EUの成立は、イギリスだとスコットランドやウェールズのお国意識再生への後押しになっているのが面白い。スコットランドでは以前は低地人と高地人の反目があったけど、それも今は昔の話。昔の対立は忘れ、スコットランド人としての同朋意識が強くなってきている。

それに対し、イングランドが取り残されているのが皮肉。サッカーのワールドカップでは、ユニオン・ジャックを掲げるイングランド人がいたり。政治的にも、スコットランド議会やウェールズ議会はあるけど、イングランド議会はない。イングランドだけが、お国意識という点では置いてけぼりになっている。

 外交的にも、EUの影響は大きい。イギリスの外交姿勢は大きく二つの勢力に分かれていて、片方はアメリカ重視、もうひとつは大陸つまりEU重視。前者の代表がマーガレット・サッチャー。そういう視点を与えてくれるという点でも、この本はありがたかった。

 この記事では大雑把な話だけに絞ったが、大内乱の時代とかは諸勢力が入り乱れて単純な図式じゃくくれないのが分かってくる。日本だと応仁の乱みたいな雰囲気かな? ある意味、異端の史観ではあるけれど、他国から見たイギリス史としては納得できる史観だろう。

 ただ、この大きさと重さは辛い。出来れば5分冊ぐらいで出して欲しかった。

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2015年6月18日 (木)

ノーマン・デイヴィス「アイルズ 西の島の歴史」共同通信社 別宮貞徳訳 1

国制史に興味をもつのはごくわずかの人だが、ロビン・フッドはみんなのものだ。
  ――海外領土の島

歴史の物語は政治の強力な武器となるのである。
  ――第8章 二つの島、三つの王国

【どんな本?】

 イギリス。正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」。「英語」は「イングリッシュ」だが、ビートルズは「ブリティッシュ・ロック」だ。サッカーの国際試合では、イギリスだけイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド(そしてアイルランド共和国)と代表が多い。エリザベス女王はカナダとオーストラリアの国王でもある。憲法はないのに、立憲君主制と言われる。

 今調べて知ったんだが、ラグビーはアイルランド共和国と北アイルランドは一つの合同チームを作っている(→Wikipedia)。

 なぜこんなややこしい事になったのか。そもそも「イギリス」とは何か。どのように成立し、どんな歴史を辿り、現在に至ったのか。ロンドン大学で史学部教授を務めた著者が、独特の視点で綴ったイギリス史とアイルランド史の大著。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE ISLES : A HISTORY, by Norman Davies, 1999, 2000。日本語版は2006年12月5日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約1,278頁に加え訳者あとがき5頁。9ポイント50字×20行×1,278頁=約1,278,000字、400字詰め原稿用紙で約3,195枚。文庫本の長編小説なら6冊分の巨大容量。

 日本語の文章は比較的にこなれている。内要は少し敷居が高い。というのも、ある程度の前提知識が要るからだ。恐らくイギリスの一般人を読者に想定した本らしく、日本の義務教育が教える日本史と同じ程度のイギリス史・欧州史の知識があった方がいい。

 それ以上に難関なのが、大きさと重さ。通勤電車内で読むと、いい筋力トレーニングになるだろう。

【構成は?】

 歴史の本らしく基本的に時系列順で進むので、素直に頭から読もう。

  •  謝辞
  • はじめに:トレヴェリアンとテイラー/退歩する歴史教育/名称と名義/図書館の分類/広がる混乱/五つの目標/本書の構成
  • 第1章 真夜中の島
    • 太古の時代:峡谷穴居人/出身はヨーロッパ大陸
    • 石器時代から鉄器時代まで:「島」の形成/新石器革命/巨石記念物/ビーカー族とフランジ斧戦士団/長い移行期/「グリーン島」の遺跡/神話と伝説
    • ■考古学と政治
  • 第2章 彩られた島 紀元前600年-起元43年ごろ
    • ケルト人の登場:ゲール語の物語/ケルト世界の拡大
    • 大陸からの移住:Qケルト語とPケルト語/早期ケルト文化/カスワラウンとクノベリン/古代ケルト文明/エールの伝説群
    • ■ケルト研究の発展:神秘主義と文芸復興/文明以前への憧れ
  • 第3章 辺境の島 紀元43―410年ごろ
    • ローマ帝国時代の始まり:クラディウスの侵攻/ハドリアヌスの城壁
    • ローマン・ブリタニア:エールの上王/北部辺境地域/ピクト人の謎/民政地域 上ブリタニアと下ブリタニア/初期のキリスト教教会/帝国の分裂
    • ■古代ケルト人とローマ
  • 第4章 ゲルマンとケルトの島 410年ごろ―800年
    • 民族移動の時代:ヘンギストとホルサ/ローマ軍撤退後の状況
    • 政治的空白期:ゲルマン民族の定住/キリスト教の広がり/城壁の北では/ブリトン人の抵抗/ローマ伝道団/再ケルト化される西部
    • ■アングロ=サクソンとケルトの溝
  • 第5章 西方の島 795―1154年
    • ヴァイキングの時代:吟唱詩サガ/古代スカンディナヴィアの社会
    • 戦うノース人:ハーラル美髪王/ブライアン・ボルー/アルフレッド大王の活躍/デーンローの創設/マカルピン王朝/イングランド王国の誕生/「征服王」ギヨーム/スコットランドの状況/他の地域への影響
    • ■ノルマン征服の余波
  • 第6章 海外領土の島 1154―1326年
    • 十字軍の波紋:リスボン征服/アリエノール・ダキテーヌ/アンリ一世死後の混乱/ルイ七世の結婚/アンリ・フィッツエンプレス/ウィンチェスター条約
    • ブランタジネット朝:フランスとの結びつき/アイルランド征服/ワリア・プーラ/失地王ジョンとマグナ・カルタ/「議会」の発展/中休み アイルランドとウェールズ/エドゥアール一世の時代/ウィリアム・ウォレスと「ブルース」/エドゥアール二世の悲劇
    • ■イングランド中世国家の歴史像:国王大権と議会/ロビン・フッドとアイヴァンホー/カトリック共同体/スコットランドの誇り
  • 第7章 イングランド化される島 1326―1603年
    • 百年戦争:アミアンの臣従礼/スロイスの海賊/近代英語の登場
    • 1.有益な失敗:長期化する戦い/ジャンヌ・ダルク
    • 2.生え抜き王朝 ステュアートとテューダー:スコットランドの世襲執事/ウェールズのオウェン
    • 3.国会と議会:初期の議会/庶民院の台頭
    • 4.宗教改革 分裂と障壁:ヘンリー八世の野心/メルヴィル主義/孤立からの出発
    • 5.スペインの影 アルマダを撃退
    • 6.外洋 出遅れ:重商主義/探検航海の始まり
    • 7.領有地 イングランド帝国の出現:西部反乱の鎮圧/同君連合への道のり
    • 8.英語の広がり:チョーサーの『カンタベリー物語』/祈祷書反乱
    • ■イングランド神話の誕生:中世は暗黒時代だったのか/シェイクスピアの影響力/宗教的非寛容/プロテスタント側の反論/テューダー革命/スコットランド女王メアリー
  • 第8章 二つの島、三つの王国 1603―1707年
    • ジェイムズ一世の即位:カリスマ性に欠ける王/イングランドへの旅/火薬陰謀事件/挫折した連合計画
    • 1.宗教問題 抗争の源:反カトリック風潮/新イングランド体制の押し付け
    • 2.アルスター入植 「大飢饉」
    • 3.国王と議会の対立:王の特権とは/チャールズ一世
    • 4.三国王戦争(1639―51年):盟約者戦争とアイルランド紛争/大内乱の時代/王の処刑
    • 5.イングランド共和国と「イギリス共和国」:残部議会/護国卿クロムウェル
    • 6.王政復古:空位期間/チャールズ二世/教皇派の陰謀
    • 7.ジェイムズ七世兼二世の統治:「名誉革命」の実態/オランイェ公ウィレム
    • 8.連合:王位継承法/「連合法」の裁可
    • 9.連合から連合へ 1707―1801年:様変わりするアイルランド/1800年の「連合法」
    • ■17世紀のとらえ方:揺れるクロムウェル評価/マコーレーとスコット
  • 第9章 帝国の島 1707―1922年
    • スコットランド帝国の挫折:エルドラドを求めて/スコットランド会社/ニューカレドニアの悲劇
    • 連合王国の設立:安全保障法/議会での審議/イギリスの創出
    • 1.海軍 「ブリタニア、四海を制す」:ロイヤル・ネイヴィーの誕生/二百年にわたり無敵
    • 2.英国陸軍 「情けない豆軍隊」:常備軍の形成/将校と兵士の区別
    • 3.帝国 内部帝国と外部帝国:アメリカ独立戦争/日が沈むことのない帝国
    • 4.続くプロテスタントの優勢
    • 5.ウェストミンスター 「議会の母」:初代首相ウォルポール/腐敗選挙区/選挙法改正
    • 6.イギリスの貴族 世襲貴族と准男爵:『バーク貴族名鑑』/貴族の生活と活動
    • 7.君主 国民を元気づける異邦人:ジャコバイトの反乱/ハノーヴァー家
    • 8.王室費から公務員制へ
    • 9.世界の工場:「発明」と「離陸」/労働者階級の誕生
    • 10.スターリング圏 たぐいまれな安定性
    • 11.イギリスの人口学 誇張の羅列:マルサスの『人口論』/都市化と移民
    • 12.帝国英語の台頭:地名と姓の標準化/サミュエル・ジョンソンの『英語辞典』/初等教育とマスメディア
    • 13。イギリス人 「世界最高の人種」
    • 14.イギリス式スポーツ精神 「フェアに戦え!」:ゴルフ、クリケット、テニス/サッカーとラグビーの発展
    • 15.イギリスの法 独立した惑星:コモンローと衡平法/遅れた法制改革
    • 16.帝国の宇宙 度量衡の標準化
    • 17.「栄光ある責任」 大英帝国の精神:複雑な愛国心/帝国主義的エートス
    • 18.ヨーロッパとの関係 関与を避ける姿勢
    • ■近代の歴史学と文芸:ヒュームの『イングランド史』/ウォルター・スコットの世界/対照的なスコットランドとアイルランド/旅行と探検記/キプリングの予言/コンラッドの「海洋小説」/副次的な帝国主義文学/イギリス中心史観
  • 第10章 ポスト帝国の島 1900年ごろ以降
    • 帝国最後の栄光:ジョージ五世の戴冠式/祝祭の背後で
    • 1.海軍力 二次的軍事力に
    • 2.イギリス陸軍 栄光の思い出
    • 3.大英帝国 すべては過去のもの:アイルランドのイースター蜂起/雲散霧消する植民地
    • 4.プロテスタントの優位 「文化の表現」:変わる宗教地図/北アイルランドの状況
    • 5.さまざまな議会 大きな賭け
    • 6.世襲貴族 絶滅危惧種
    • 7.ウィンザー王家 前途多難:王室スキャンダルの続出/ダイアナの悲劇
    • 8.公務員 連続と不連続:福祉国家をめぐる争い/情報公開をめぐって
    • 9.イギリス経済 成功への道は一つにあらず:重工業の衰退と産業再編成/欧州共同市場への加盟
    • 10.ポンドからユーロへ 終わりのない物語:ブレトンウッズ会議/サッチャーのマネタリズム
    • 11.人口統計 谷と山:下がる出生率/いまや中くらいの国に
    • 12.言語と文化 求心的傾向:カウンターカルチャーの発達/アイルランド復興運動/スコットランド語の再創出/世界英語の出現
    • 13.多民族国家イギリス 新しいイギリスのありよう:外国人移民の流入/人種平等委員会
    • 14.イギリスのスポーツ 歴史的退歩:過剰な商業主義/世界ランキングから後退
    • 15.イギリスの主権 分割可能な実体:法制改革の変遷/大陸法との融合
    • 16.メートル法化 徐々に変わる知的世界
    • 17.ポスト帝国のエートス コミュニティ精神:廃れる愛国心と道徳/イギリスの消滅?
    • 18.イギリスとヨーロッパ 発展への選択肢:交通革命とグローバリゼーション/深まる大陸との関係
    • ■イギリスはどこに向かうか:アイデンティティの危機/歴史教育をめぐって/ポーコックの問い/イングランドらしさをめぐる論争/イギリスのジレンマ/現況に対する五つの提案/私自身の立場
  • 注/訳者あとがき/関連年表/索引

【感想は?】

 本書の特徴は、著者の独特の視点にある。ある意味、異端の史観によるイギリス史と言っていい。

 どう異端なのかは、次の記事で。

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2015年6月16日 (火)

大西科学「さよならペンギン」ハヤカワ文庫JA

 「過去と未来のいちじるしい非対称。不思議なことだが、それが確率というものらしいよ」

【どんな本?】

 ライトノベルで活躍していた著者による、長編SF小説。学習塾「八沖学園」で塾講師を勤める、うだつのあがらぬオッサン南部観一郎と、彼と同居する不思議なフンボルト・ペンギンのペンダンを中心に、彼らの周囲で起こる騒動と顛末を、確率論や量子論を取り混ぜて描く、哀愁の量子ペンギンSF。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年5月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約304頁に加え、あとがき「ペンギンとトンカツと私」3頁。9ポイント41字×18行×304頁=約224,352字、400字詰め原稿用紙で約561枚。文庫本の長編小説としては標準的な長さ。

 文章は比較的にこなれている。SFとしては、量子論を扱う作品じゃお馴染みの仕掛け。STEINS;GATE とかでお馴染みのアレです。

【どんな話?】

 高校受験も終わり、のんびりした空気が漂う学習塾「八沖学園」。五人の生徒は全員が志望校に合格し、講師の南部観一郎は、最後の数学の講義を終えた。生徒の長谷川祥子から思いがけずプレゼントを貰い戸惑っていた南部に、事務を担当する谷一恵から誘いがあった。

 学習塾では受験が一段落する春休みが唯一の休暇だ。そこで打ち上げをやろう、という話だったのだが…

【感想は?】

 「哀愁の量子ペンギンSF」。なんじゃそりゃ、と思ったら、やっぱり「哀愁の量子ペンギンSF」だった。

 お話は今風のSFらしく、背景事情を説明しないまま話が進み、少しずつ事情が明かされてゆく形を取る。こういう構造の話はハードボイルドでスタイリッシュな反面、とっつきにくい作品が多いのだが、この作品は違った。

 なにせ舞台は現代の日本だ。しかも首都圏の住宅地。最初の場面も塾の教室で、気のいいオッサン講師・南部観一郎の講義で始まる。内容も中学三年の確率論なので、数学が苦手でなければスンナリ入っていける。宝くじの当選確率を距離で表現するあたりは、直感的に飲み込める巧い説明だろう。

 その南部観一郎と同居しているのが、フンボルト・ペンギンのペンダン。有名なコウテイペンギンじゃないあたり、なかなかマニアックな…と思ったが、Wikipedia で調べると「日本で最も飼育数が多いペンギンである」。日本の動物園じゃお馴染みのペンギンなのか。

 少しだけ出てくるジェンツー・ペンギンも Wikipedia によると「各地の動物園・水族館で飼育されている」。どうやら動物園で馴染みになったペンギンを出演させているらしい。

 物語は、年齢不詳でくたびれたオッサン南部観一郎と、その相棒ペンタンを中心に進む。ある意味、世界の存亡をかけた大掛かりな話なのだが、主人公のせいか著者の語りのせいか、どこかのんびりして静かな雰囲気が漂っているのが、この作品の特徴。

 序盤にはちょっとしたサスペンスと謎の提示があり、終盤では大掛かりなアクションもある。にも関わらず、妙に達観した雰囲気があるのも不思議。

 基本となるアイデアは量子力学で言う、波動関数の収束というアレなんだが、実は私もよくわかってない←をい。いや確率分布とか、ついていけないし。光の軌道は確率的にしかわからないけど、何かと相互作用した瞬間に一つの事象に収束する、みたいな?

 最初に確率の話で始まるのも大事な布石で、現実の不思議さを体感できるところ。宝くじで例えると、当選番号が発表さえる前は額面に近い価格で買い手がつくけど、発表された後は紙屑か当選金額か、いずれかに変わっちゃう。

 こういった、古典力学では決定的だったモノゴトに、確率論を持ち込んじゃった量子力学の不思議さを大きな柱としつつ、最近の宇宙論の成果も少し取り込んで、物語は進んでゆく。

 というとグレッグ・イーガンを思い浮かべるんだが、芸風は全く違うのが面白い。仕掛けに相応しく大掛かりな物語に、哲学的なテーマを詰め込むイーガンに対し、この作品はアクション場面があるにも関わらず、飄々とした空気が漂っている。こえは主人公の南部観一郎とペンダンの性格も大きいんだろうなあ。

 大仕掛けを使いながらも、静かに漂ってゆく物語。確かに「哀愁のペンギンSF」としか言いようがない。

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2015年6月14日 (日)

ディーン・ブオノマーノ「バグる脳 脳はけっこう頭が悪い」河出書房新社 柴田裕之訳

 脳は感覚器官を通して外界からデータを獲得し、それを分析・貯蔵・処理し、私たちの生存と繁殖の機会を最適化する出力(つまり動作や行動)を生み出すように設計されている。だが、ほかのどんな計算装置とも同じで、脳にもバグがつきものだ。
  ――はじめに 脳は今日もバグってる

【どんな本?】

 楽しい時間は速く過ぎ、苦しい時間はなかなか終わらない。同じ料理でも、綺麗な食器によそうと美味しくなる気がする。医薬品では、偽薬効果を取り除くため二重盲検査が必要だ。どうやらヒトの脳は、理屈通りには動いていないらしい。

 この理屈どおりに動かない傾向を、この本ではバグと呼ぶ。脳のバグは我々の生活の中で不具合を引き起こすだけでなく、コマーシャルに釣られて無駄な出費を招き、更には狡猾な政治家に利用され国家の命運すら脅かしてしまう。

 心理学教授の著者が、有名な論文や最近の脳科学を元に、ヒトの脳が持つ奇妙な性質を取り上げ、それがもたらす不合理な行動や困った事態の例を挙げ、それを防ぐ対策を示すと共に、バグを利用する広告や政治家の手口を暴く、楽しくて親しみやすく、少しだけ役に立つ一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Brain Bugs : How the Brain's Flaws Shape Our Lives, by Dean Buonomano, 2011。日本語版は2012年12月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約262頁。9ポイント46字×20行×262頁=約241,040字、400字詰め原稿用紙で約603枚。長編小説なら文庫本一冊分ぐらいの長さ。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。一部に脳の部位の名前が出てくる程度だが、分からなくても大きな問題はない。ただし、分量の割には見通すのに時間がかかる。というのも、アチコチにちょっとした確率問題や心理テストが入っていて、つい真面目に考え込んでしまうためだ。

【構成は?】

 各章のつながりは穏やかなので、興味のある所だけを拾い読みしてもいいだろう。

はじめに 脳は今日もバグってる
脳とコンピュータ/進化は不器用そのもの
第1章 ニューロンがもつれる
記憶はどのように貯蔵されるか/脳内ネットワークはウェブ上のリンクに似ている/つながりの作られ方/プライミング 無意識に予測する/記憶のバグ/潜在連合テスト/行動をプライミングする
第2章 記憶のアップデートについていけない
損なわれた記憶/書き込み、そして書き直す/記憶のでっち上げ/削除コマンドはどこに?/記憶ディスクの空き容量/記憶のチャンピオンたち/たくさん覚えていればよい、わけではない
第3章 場合によってはックラッシュする
体という錯覚/ニューロンは沈黙を嫌う/可塑性のある素晴らしい皮質/あっと驚くような機能停止
第4章 時間感覚が歪む
時間差があると因果関係をつかめない/時間による割引/あなたの時間感覚は当てにならない/時間的な錯覚/脳はどうやって時間を知るか/長期的な思考の効用
第5章 必要以上に恐れる
生まれつきの恐怖と学習した恐怖/恐怖回路の仕組み/恐れるようにできている?/よそ者恐怖症/他人の恐怖をわがことのように経験する/篇桃体政治
第6章 無意識に不合理な判断をする
認知のバイアス/フレーミングとアンカリング/損失回路の真理/脳は確率が苦手/バイアスの神経科学/いくつかの手がかり
第7章 広告にすっかりだまされる
動物もマーケティングに弱い?/私たちはみな、バヴロフの犬/結びつき 双方向的なもの/おとり効果
第8章 超自然的なものを信じる
宗教は脳の機能の副産物?/人は宗教を信じるように進化した?/「違いを知る知恵」/脳の中の神々
第9章 脳をデバッグするということ
脳のバグの集中/二つの原因/デバッグするには
 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献

【感想は?】

 まずはこちらのデモ動画を見て欲しい。

 彼女は、何と言っているんだろう? 私には、「ガガ」と聞こえるが、「ダダ」と聞こえる人も多いだろう。次に、目を閉じて聞いてみよう。「ババ」と聞こえるんじゃないだろうか。

 この映像、実はインチキなのだ。実は「ガガ」と言っている動画に、「ババ」という音を被せている。ヒトは言葉を判断する時、口の形と音の両方を判断材料に使っているらしい。そのため、オツムが混乱して変な声に聞こえるのだ。視覚と聴覚は、密接に連携しているらしい。音楽を集中して聴く時に目を瞑る人がいるが、あれは理に適っているわけだ。

 これはワザと騙すケースだが、つい騙される場合もある。著者はサッカーが好きらしく、オフサイド判定の例を挙げている。なんと、「オフサイドの判定は最大で25%が間違って下される」という研究結果がある。この原因は三つだ。

  1. 人が視線を写すには100ミリ秒かかる。
  2. 二つの出来事が同時に起こったら、自分が注視している方が先に起こったと判断しがち。
  3. フラッシング効果:動いている物を見ている時に別の事が起きたら、動く物を実際の位置より先にあると思い込みがち。

 なら相撲の判定で物言いがつくのも、仕方がない事なんだろう。

 こういう、脳ミソが何かに引っぱられる傾向は、数字が絡むとハッキリでてくる。ちょっとした算数の問題だ。オモチャのバットとボールがある。合計で1ドル1セント。バットはボールより1ドル高い。バットは幾ら?

 思わず「1ドル」と答えたくなってしまう。問題の文章中に「1ドル」という言葉が出てくるので、それに引きずられてしまうわけだ。落ち着いて考えれば、バット=1ドル5セント、ボール=5セントと正解が出せるんだが。

 この程度ならたいしたことはないが、これが広告業界や政治家に利用されるとオオゴトだ。「第7章 広告にすっかりだまされる」では、ダイヤモンドのデビアスの成功例を挙げている。が、そんなモノは可愛い方だ。民主主義体制化の選挙運動なんて広告活動そのものだ。この章はアドルフ・ヒトラーの「わが闘争」の引用で始まる。

一般大衆の受容力は極度に限られており、その知性は微々たるものでありながら、忘却の力は計り知れない。こうした事実に鑑みれば、効果的なプロパガンダはすべて、ごく小数の要点に絞り込み、それをスローガンの形で繰り返さなければならない――そのスローガンで理解させたいことを、大衆が一人残らず理解するまでは。

 選挙運動の宣伝カーが、短く単純なキャッチフレーズを繰り返すのには、ちゃんと根拠があるわけ。

 ちなみに「わが闘争」、思想書としてはともかく、広告の教科書およびプロパガンダを見破るガイドブックとしては優た本で、当事のドイツ国民があれをちゃんと読んでいたら、ナチスの躍進は難しかったはず。先の引用みたく、思いっきり有権者をナメた文章がアチコチにある上に、自分たちが使ってる手口を潔くバラしてるから。

 まあいい。いずれにせよ、彼は巧みな広告手法で当事のドイツ国民の支持を得て、その結果としてヨーロッパは廃墟になったわけで、脳のバグがどんな結果を引き起こすかの歴史的な実証結果なんだけど、今でも似たような手口が堂々と使われているから無知は怖い。

この本の内容からは外れるけど、私が気づいた例を一つ。ガザからの写真は、「泣いている子供」を写した物が多い。中には女性キャスターが泣いた赤ん坊を抱っこしたまま中継しているのもある。これは明らかに心理効果を狙ったものだ。

ヒトは子供、特に泣いている子供の画像に敏感だ。泣く子を見ると、自然に「うわ可哀相」と感じる生き物なのだ。だから、ワザと泣く子を写真に入れるのである。キャスターに泣いた赤ん坊を抱っこさせてまで。

 こういった広告は、恐怖を煽ると更に効果が大きくなる。意図的な広告ではないにせよ、ヒトは危険を合理的に判断しない。テロや犯罪の被害を、極端に大きく感じるのである。この本ではアメリカの例で、1995年~2005年の数字を比べてる。曰くテロで亡くなったのは3200人、心臓病では600万人だ。では、その対策予算はどうか。

 2007年のアメリカの軍事支出は7000億ドル以上、心臓病の研究と治療のための連邦政府の助成金は約20億ドル。

 国防費全体と心臓病対策費を比べるのは少々無茶な気もするが、ヒトは他のヒトから加えられる被害にはやたらと敏感なのだ。日本では、幼児が被害に合う犯罪があると、やたらマスコミが大騒ぎする。が、年間の被害者数が二桁に達する事は滅多にない。対して自殺と交通事故は恒常的に三桁を越えている。こっちの方が、よほど大事だと思うんだが。

 なぜヒトの脳はこんなに不合理なのか、という原因については、「だってヒトは文明世界の中で進化したワケじゃないし」と、それなりに納得できる説ではあるが、こればっかりは実験で確かめるわけにもいかないしなあ。

 脳医学・心理学に少し確率・統計を混ぜながら、ヒトが犯しやすい勘違いを挙げてゆき、脳の不具合が引き起こす悲劇まで話を広げてゆく。会話の中でのちょっとした心理トリックのネタに使ってもいいし、巧く料理すれば壮大なSFのネタにもなる。この手の本の中ではとっつきやすさは抜群なので、最初の一冊としてはお勧めの本だろう。

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2015年6月11日 (木)

ジェイムズ・バイロン・ハギンズ「凶獣リヴァイアサン 上・下」創元SF文庫 中村融訳

「あの化けものは体高五メートル、体長十メートル。神の緑なす大地を闊歩したうちで、あれほど卑しく邪悪な生きものはいたためしがない。ダイアモンドなみに硬い鉤爪と歯。戦車のような装甲。軍艦の艦体を引きちぎるほどの力」

【どんな本?】

 ベストセラー作家ジェイムズ・バイロン・ハギンズの出世作にして、天下御免の怪獣小説。アイスランド沖の孤島で、最新の生物科学と情報工学により、究極の生物兵器として創りだされた怪物「リヴァイアサン」の暴走と、それを倒そうとする者たちの生存を賭けた闘いを、ケレン味タップリに描くB級アクション娯楽作品。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2004年版」はベストSF2003海外篇で12位に食い込む活躍を見せた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LEVIATHAN, by James Byron Huggins, 1995。日本語版は2003年4月25日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約324頁+319頁=約643頁に加え訳者あとがき「ハギンズの出世作」7頁。8ポイント42字×17行×(324頁+319頁)=約459,102字、400字詰め原稿用紙で約1,148枚。文庫本の上下巻としては標準的な長さ。

 文章はこなれている。SFだけに色々と小難しい理屈を並べる所もあるが、ハッキリ言ってハッタリかましてるだけなので、「よくわからないけどなんかスゴそう」程度に思っていればいい。というか真面目に突っ込むと色々と、まあ、アレだ。要は怪獣が暴れまわる話なので、難しい事は考えずノリで楽しもう。

【どんな話?】

 アイスランド沖145kmの孤島グリムウォルド島。火山活動により出来た天然の洞窟の奥深くで、その実験が行なわれていた。合衆国政府とステイジャン・エンタープライズ社による、究極の生物兵器を創りだす極秘プロジェクト。だが実験は破綻しつつある。奴は彼らの制御を離れ、暴走を始めていた。

 実験を率いるピーター・フランク博士は中止を進言するが、監督官のスペンサー・アドラーは聞き入れない。保安責任者のカール・チェスタトン中佐は、暴走の後始末を頼むため、電気技師のジャクスン・コナーを呼び出す。コナーが見た現場の様相は明らかに異様で…

【感想は?】

 文句なしに王道の怪獣小説。

 カバーや冒頭の登場人物紹介には出てこないが、主人公は表紙を見れば一目瞭然。タイトル・ロールでもある怪獣レヴァイアサンである。これが実に強く賢く、かつ邪悪なのがいい。

 レッヴァイアサン。コモドドラゴン(→Wikipedia)の遺伝子を改造した生物兵器。体高五メートル、体長十メートル。五千度の炎を吐き、鱗は銃弾も通じない。M1A1エイブラムズ主力戦車(→Wikipedia)の105mm砲にすら耐え、驚異的な速度で疾走する。鉤爪と牙はダイアモンド並みの硬さを誇り、その尾の一振りで鋼鉄すらへし曲げてしまう。

 加えて地上の生物には有りえない再生能力を持ち、多少の傷は数十分で癒してしまう。性格は凶暴で邪悪、身の回りのあらゆる生き物を殺しつくす事だけを考えている。しかもタチが悪い事に、人為的に知能を高めてあり、並の人の数倍の速さで考える能力さえ持つ。

 スペックだけ見ればまるきし漫画だし、この作品の面白さも怪獣物の面白さそのものだ。が、一応、それぞれに怪しげな説明があるのが楽しい。一体、何を考えてそんな化け物を作ったのか。なんで炎を吐くなんてイカれた能力を持つのか。なぜコモドドラゴンが、んなケッタイなシロモノに化けたのか。なぜ邪悪なのか。なぜ賢いのか。

 それぞれに、怪しげながら、微妙に説得力がありそうな屁理屈がついているから楽しい.。専門家が聞いたら「テキトーに専門用語を織り交ぜてハッタリかましてやがるな」と一発でバレるが、素人の耳には一見それらしく聞こえるあたりがベストセラー作家の芸だろう。

 流石にコンピュータ関係は進歩が速いんで、486DX2とか少し詳しい人なら素人でも「おいおい」と言いたくなるが、そこはそれ。怪獣物語なんだから、あまり野暮は言わないように。こういったハッタリを楽しめるかどうかが、評価の分かれ目。

 という事で、狡猾で凶暴で怪力で俊足で不死身の巨獣が、ちっぽけな人間を蹴散らしながら暴れまわる話だ。

 そのレヴァイアサン(結局最後まで彼か彼女かは分からなかった)に対する、人間側の造型も、B級娯楽作品に相応しく、善悪がハッキリしていてわかりやすい。

 まずは監督官のスペンサー・アドラー。いかにもなエリート・ビジネスマンで、権限を振りかざし強引にモノゴトを進めるしか能のない嫌味な奴。組織に務めている人なら、たいてい一人か二人は思い浮かぶよね、こんな奴。納期や勤務協定や安全基準なんか無視して、デタラメな仕事を現場に押し付ける体育会系のイケイケな脳筋野郎。

 その腰巾着、国家安全保障スタッフのブレイク大佐は、いかにもな小物臭が漂っていて、これまたB級作品のお約束。

 そして私が一番気に入ったのが、ソル・トルヴァノス博士。途中からプロジェクトを乗っ取ろうと乗り込んでくるロシア人物理学者。ロシア人ってあたりが、これまたアメリカ人の描く悪役の定番。それ以上に、レヴァイアサンが暴れまわり全てが危機に瀕している最中に、レヴァイアサンのスペックを知って感激するマッド・サイエンティストぶりが大好きだ。

 人類の存続すら危うい状況で、科学が生み出した成果に「すばらしい」と感嘆する感性。やはりB級SFに出てくる科学者はこうでなきゃ。

 対する善玉側も、相応にお約束のキャラが揃っている。主役は電気技師のジャクスン・コナー。奥さんのベスと幼い息子のジョーダンが大好きな家庭人。電気技師ってのが、ちょっと珍しい所。そして軍人としては、カール・チェスタトン中佐とバーリー中尉が、合衆国陸軍の誇りを賭けて奮闘する。

 そして、この作品のもう一人のヒーローが、トール・マグヌッソン。孤島の北の塔に住む、身長2.4メートルの巨人。北欧神話の雷神トール(→Wikipedia)を思わせる謎の人物だが、歴史や古典に通じる教養人でもある。彼がレヴァイアサンに挑むシーンは、いかにもハリウッド映画のお約束っぽい迫力のアクション場面だが、少々やりすぎな気も。

 デカいクセにやたら狡猾。無限の体力と、ほとんど不死身の肉体。そして生きる者全てを滅ぼさずにはおけない邪悪な精神。究極の生物が怒り狂い暴れまわる、痛快娯楽怪獣活劇だった。怪獣好きには文句なしにお薦め。

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2015年6月 9日 (火)

ローリー・スチュワート「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」白水社 高月園子訳

「ここまで無事に連れてきてくれてありがとう」
「いや、神に感謝しなさい、わしにではなく。ここからチストまでは大丈夫だ――住んでるのはいい人たちだから」
「チストの先の人たちは?」
「人? チストの先にいるのは」ロバだよ
  ――第2章より 失われた男

「デモクラシーという言葉は使うな。非イスラム的だ」とムッラーが叫んだ。
「デモクラシーはアラビア語ではない。英語だ」ドクター・イブラヒムが反論する。
「ふむ、ならいいだろう」とムッラー。
  ――第4章より 冷たい人々

【どんな本?】

 イラン・パキスタン・インド・ネパール四カ国の徒歩横断を志した著者は、入国拒否などで途中のアフガニスタンをスキップしながらも、2001年末にネパール東部にたどり着く。そこで多国籍軍の攻撃によるタリバン政権崩壊のニュースを聞いた著者は、スキップしたアフガニスタン徒歩横断に挑む。時は2002年1月、地元の者でさえ旅を控える雪深い季節である。

 オックスフォード大学を出て英国陸軍・外務省・イラク暫定統治機構などで経験を積み、ペルシア語に堪能な著者が、未だ戦火収まらぬアフガニスタンの高地を西部ヘラートから東部のカブールまで、途中で道連れとなったマスティフの巨犬バーブルと共に歩きとおした、数週間の旅の記録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Place inn Between, by Rory Stewart, 2004。日本語版は2010年4月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約368頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×368頁=約321,632字、400字詰め原稿用紙で約805枚。長編小説なら長めの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。アフガニスタンの歴史、特にムガル帝国の創始者バーブル(→Wikipedia)に言及する所が多いが、何も知らない人にも分かるよう丁寧に解説している。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、なるべく頭から読む方がいい。

  •  はじめに
  •  真新しい公務/戦車が杖に/アジアの縁にいようとも
  • 第1章 自分の墓場へ/伝説の鳥フーマ/旅立ち/ブーツ
  • 第2章 カシム/非人称代名詞/タジク人の村/西部の首長/キャラバンサライ、その玄関は……/盲点/村人が語る村の歴史/神に叱り返されない限り/王冠の宝石/パンと水/当然、闘士は/失われた男
  • 第3章 高地の建物/伝道の踊り/鏡面仕上げのキャッツアイ色/イスラム教徒の結婚式/軍用犬/カメンジのハジ・モーシン・ハーン司令官/いとこたち
  • 第4章 ジャムのミナレット/地中の遺跡/ジャムからチャグチャランへ/夜明けに祈る人々/小さな領主/冷たい人々/烈風の村
  • 第5章 名前でナビゲーション/異邦人の挨拶/屋根の上の葉っぱ/炎/カトリシュのジア/聖なる客人/ザリンの洞窟/信仰心/峡谷の道
  • 第6章 死後の段階/翼のある靴後/ブレア首相とコーラン/塩の地と甘松/壁に残る薄い色の輪/@afghangov.org/音符が続く間
  • 第7章 天井の足跡/わたしがズームレンズだ/カラマン/カリリの部隊/そして、わたしにはわたしの信仰がある/家系図/カブール川の源/タリバン/足の指/大理石
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 イギリスのトラベラー、恐るべし。

 著者の経歴を見れば、文句なしのエリートだ。湖水地方でスチュアート姓だから、貴族かもしれない。知識・教養も相当なものだ。現地の言葉ダリー語(ペルシア語の一種、→Wikipedia)に堪能で、現地の歴史も地元の人より詳しい。特にムガル帝国の創始者バーブルの話は何度も出てくる。

 オックスフォードを出て陸軍スコットランド高地連隊を経て外務省、そしてイラク暫定統治機構の上級顧問である。にも関わらず、寝袋を担いでイランからネパールまで16ヶ月かけて歩いたってんだから、よくわからない。ワーカホリックで縦割り体質の日本の組織じゃ、まず考えられない行動だ。

 しかも、戦火収まりきらぬアフガニスタンで、政府の力もロクに及ばない地域を、現地の人ですら凍死する冬に歩いて横断である。どこにも湧いてくるバックパッカーだって、こんな無茶はしない。

 普通の人が平地を歩く速さは、だいたい時速4kmだ。日本の宿場町は、参勤交代の行列が一日で動ける距離を基準に出来ていて、だいたい20km~40km置きにある。が、著者は雪の高地を、時速5kmぐらいで一日40km~50km歩いている。かなりの健脚だ。ちなみに地図帳で見ると、ヘラート~カブール間はちょうど広島~伊豆下田ぐらいにあたる。

 旅のテクニックも巧みだ。なんたってアフガニスタンの田舎を歩いて旅するわけで、途中にはホテルも民宿も滅多にない。ってんで、そこらの村の民家に世話になる。

 いきなり「泊めてくれ」ってわけにもいかず、途中途中で紹介状を書いてもらうのだ。道中の村の有力者の名前が道標となる「第5章 名前でナビゲーション」は、アフガニスタンならではの旅のテクニックを学べるだろう…って、普通に日本で暮らしている限りまず役に立たない知識だけど。

 旅の途中で出会う人々も様々だ。いい人もいればガメつい奴も、そしてヤバい奴も沢山いる。殺されかける事もあるが、「旅のふれあい云々」などと感情的にならず、淡々と事実を語る姿勢が、現代日本人の書く旅行記と大きく違う。

 やはり公務員や権力者や聖職者は見栄っ張りが多い。見せびらかすため、雑音だらけのラジオを鳴らし続けるアブドル・ハクは微笑ましい。老人たちはゲストの前で自分が知っている各国情勢をひけらしたがる。

 タリバンが一気に席巻した理由も、多国籍軍の攻撃であっさりと崩壊した理由も、少しだけ伝わってくる。それぞれの村の有力者がタリバンについたり、北部連合についたりした。だから村が寝返れば勢力分布が変わる。タリバンの中枢となる兵力はあるんだが、日和見で方針を変える者も多く、これがタリバンの実体を見えにくくしている。

 戦禍はこの時も大きな傷を残していて、焼け落ちた村も多い。また辻や川岸は、「ここでタリバンと撃ちあった」「○○が死んだ」などで土地の人に記憶されている。なんとも殺伐とした会話だが、土地の人にはそれが日常なのだ。

 殺伐とした空気は選挙にも影響を与えていて、「ゴール州から新しく選出されたロヤ・ジルガ代表のうち三人が地元の武装集団に殺害された」なんて話がアッサリと出てくる。治安が安定していない状況での選挙がどれだけ無意味か、よくわかるエピソードだ。

 土地の権力関係もややこしい。タリバンに協力したため没落した封建領主もいれば、対抗して名を上げた者もいる。悲惨なのはハザラ人だ。有名なバーミヤンの仏像の近くに住む人々だ。モンゴル系の顔立ちでシーア派。一般にヒゲが薄いのでバカにされ、スンニ派優勢のアフガンではシーア派なので弾圧される。だが…

欧米人はハザラ族の殺害にはほとんど注目しなかった。彼らを動揺させたのはバーミヤンの石仏の破壊であり、カブール動物園のライオンの運命だった。

 と手厳しい。やはり遺跡関係ではジャムの谷が切ない。ゴール朝の都ターコイズ・マウンテンの貴重な遺跡らしいのだが、ヤマ師が集まって遺物を荒っぽく掘り出し、骨董品市場に流している。「こういった歴史的な品々に対する需要があるのは、圧倒的に日本、イギリス、アメリカ」というから悲しい。

 とまれ、著者が泊まる村ではタリバンの略奪により家畜が奪われ、夕食はパンと水ばかり。下痢に苦しみながら雪道を前へと進む著者と、マーキングに余念がないバーブル君の旅は続く。

 登場時には無気力で無愛想だったバーブル君が、次第に著者に打ち解けてゆく様子は、犬好きにはたまらない部分だが、バーブル君の過酷な運命は耐え難いものがあるかも。

 複雑怪奇なアフガニスタンの権力構造の内側、色濃く残る戦争の爪あと、タジク・ハザラ・パシュトゥーンなど民族ごとの違い、道々に出現する追いはぎまがいの不良、人懐っこいが悪たれなガキども、延々と続く不毛な礫砂漠、井戸でアヘン栽培を見抜く著者の観察眼など、読み所はいっぱい。

 厳しいアフガニスタンの現実と、危険に満ちた旅を、抑えた筆致で静かに描く現代の旅行記の傑作だった。

 にしても、この著者やT.E.ロレンスやガードルート・ベルなど、未知の土地を旅して地元の事情に通じる人を、トラベラーとして敬う文化が英国にはあるようで、少し羨ましい。七つの海を制覇した頃の名残なのか、もっと昔のヴァイキング時代の伝統なのか、今でも MI6 などの外交/諜報に活きているように思う。

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2015年6月 7日 (日)

乾緑郎「機巧のイヴ」新潮社

「人の髪の毛から皮膚、臓器に至るまで、全て儂は機巧として再現できると思っている。先ほどの時計とは比べ物にならぬほど複雑だが、それでも複雑というだけで無限ではない。人と、人とそっくり同じ形をした人でないものがあったとして、何が違うのか逆にお主に問いたい」
  ――機巧のイヴ

「頭でっかちなだけの他の弟子たちとは違い、お主の手には機巧の産み出す技と心が宿っている。これは稀有なことだ。知識は嘘をつくが、技は嘘をつかぬ。神は手の中に宿ると思え」
  ――終天のプシュケー

【どんな本?】

 「完全なる首長竜の日」で話題を呼んだ著者による、和風スチームパンク連作短編集。江戸時代に似た、だが現実の江戸時代とは異なる世界が舞台。驚異の手腕を持つ謎の人物、幕府精楝(せいれん)方手伝の釘宮久蔵と、彼が産み出す機巧人形(オートマタ)を中心に、町人・遊女から藩士・旗本はては隠密までもが入り乱れて巻き起こす騒動を描く。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」ではベストSF2013国内篇で14位に躍り出た。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年8月20日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約280頁。9ポイント43字×19行×280頁=約228,760字、400字詰め原稿用紙で約572枚。標準的な長編小説の長さ。

 実は少し読みにくい。これは作品の世界観をかもし出すための工夫によるもので、ワザと独特の言葉遣いをしている。タイトルの「機巧」などの造語、「精楝」など異国風の言葉、「蟋蟀(こおろぎ)」など見慣れぬ漢字をおりまぜ、「時代劇風だけど現実の江戸時代とは少しズレた世界」を表現するためだ。

【収録作は?】

 それぞれ タイトル / 初出 の順。

機巧のイヴ / 小説新潮2012年11月号
 牛山藩の江川仁左衛門は、幕府精楝方手伝の釘宮久蔵を訪ねた。用件は一つ。「機巧人形(オートマタ)を一体、お願いしたい」。噂によれば、釘宮久蔵は人と寸分違わぬ機巧人形を作れるという。すでに人知れずる機巧人形が城下で暮している、という話も。
 馴染みの遊女の羽鳥を身請けすると同時に、羽鳥そっくりの機巧人形を作って欲しい、と望む仁左衛門。そして身請けの話に乗り気でない羽鳥。両名を通じ、人の心の機微を描く人情噺になるのか、と思ったら。
 機巧人形などのガジェットで「現実の江戸時代とは違う」由を匂わせるのはいいが、闘蟋(→Wikipedia)の場面には思わず笑ってしまった。だっていい歳こいた侍が、コオロギ集めに奔走した挙句、その闘いに生活までかかっちゃうって設定に、著者の一筋縄じゃいかない業師具合が出ている。
箱の中のヘラクレス / 小説新潮2013年5月号
 湯屋で働く18歳の天徳鯨右衛門は、大きな体を生かして取的(とりてき、→コトバンク)として活躍している。得意技は褄取り(つまどり、→Wikipedia)、背中には長須鯨の刺青。次の取組みは、蓮根神社の勧進相撲だ。取的に過ぎない天徳だが、なぜか評判の絵師・戈尹斎は、彼を好んで錦絵に描くのだった。
 気は優しくて力持ちな若い相撲取りの天徳が主役を務める話。野見宿禰と当麻蹴速の話(→Wikipedia)を微妙にズラして織り交ぜ、読者を煙に撒くあたりはかなりのクセ者。かと思えば褄取りなんてマニアックな技を紛れ込ませている。相撲に詳しい人には、虚実を見極める楽しみもある作品。
神代のテセウス / 小説新潮2013年8月号
 幕府懸硯方の柿田阿路守に呼ばれた、公儀隠密の甚内。どうやら貝太鼓役の芳賀家から、不審な金が毎年、精楝方にでているらしい。その額千五百両、ただし詮議無用。これを密かに調べよ、どうも精楝方手伝の釘宮久蔵という者が怪しい、と。
 テセウス(→Wikipedia)はギリシャ神話の登場人物で、アリアドネの知恵を借りて迷宮のミノタウロスを討った冒険が有名。今までは狂言回しのように物語の影に隠れていた釘宮久蔵が、この連作短編のキーとして浮かびあがかってくるターニング・ポイントとなる作品。
制外のジェペット / 小説新潮2014年1月号
 舎人寮に女嬬の声が響く。「申しょーう、おひるーでおじゃあー」天子様が目をお覚ましになった合図だ。以前は毎朝同じ時刻に目覚めていたが、ここ一年ほどは不規則になっている。天子様はお加減がよくないらしい。同じ部屋で寝起きしている、同じ年頃の帳内の娘たちと共に、春日は手早く支度を整えた。
 ジェペットは、ピノキオを作った爺さん。今まで謎に包まれていた存在、天帝に一気に迫ってゆく物語。なにかと面倒くさい御所内のしきたりや手続きが、細々と描かれていて、胡散臭さを漂わせているのは著者の芸風だろうか。また時代にそぐわぬ技術が冒頭から登場するのも楽しい。
終天のプシュケー / 小説新潮2014年5月号(歯車の奥のプシュケー 改題)
 今までの伏線を一気に回収すると共に、スケールも大きくなる華麗なフィナーレ。
 プシュケー(→Wikipedia)は、ギリシャ神話に出てくる美し(すぎる)娘。冒頭は少し漫画 AKIRA を思い出したり。終盤は血しぶき飛び散るド派手なアクション。

 最初は不思議な漢字の使い方に戸惑ったが、少しすればソレがこの作品の世界観を示すのに不可欠なものだと飲み込めてくる。マニアックな史実と少しズラした史実、そして完全な虚構を巧みにシャッフルして創りあげた独特の世界が楽しい作品だった。

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2015年6月 4日 (木)

トリスタン・グーリー「ナチュラル・ナビゲーション 道具を使わずに旅をする方法」紀伊國屋書店 屋代通子訳

 ナチュラル・ナビゲーションは自然を利用して道を見つける技法だ。道具や機器の助けを借りず、主として、太陽や月、星、陸地、海、天候、植物や動物といった自然の手がかりだけを頼りに方向を定めるという稀有な技能によってなっている。
  ――はじめに

ナチュラル・ナビゲーターは未知の何かを学んで戻るぞ、と希望も新たに旅に出て、往々にして想定していたものとは別のことを身につけて帰宅するものだ。
  ――はじめに

【どんな本?】

 ナチュラル・ナビゲーションとは、旅人の技術だ。身の回りを見回し、聞き耳を立て、においをかぎ、風を感じて、自分が今どこにいるか、目的地はどこか、天気はどう変わるかなどを知り、または予測する。その手がかりは様々だ。斜面の傾斜、道の様子、海の色、モグラの穴、鳥の飛び方、木の形、そして人の動き…

 GPSや電子地図が発達し普及した現在、ナチュラル・ナビゲーションは過去の技術に思われるかもしれない。だが、少し身につけ散歩するだけでも、日頃から見慣れている町並みが隠している、もう一つの顔を発見するだろう。新しい世界の扉を開く、刺激的で楽しい旅へ読者を誘うガイドブック。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Natural Navigator, by Tristan Gooley, 2010。日本語版は2013年12月9日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約294頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×17行×294頁=約214,914字、400字詰め原稿用紙で約538枚。文庫本の長編小説なら標準的な1冊分の分量。

 文章は比較的にこなれている。一応は科学の本だが、特に難しくない。小学校卒業程度の理科がわかっていれば大丈夫。「なぜ日本の夏は暑く冬は寒いのか」が説明できれば充分。加えて夜空が好きなら、更によし。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • プロローグ ふたつの旅
  • はじめに ナチュラル ・ ナビゲーションという芸術
    なぜナビゲーションするのか?/静かな革命/なぜ、自然の事象を使ってナビゲーションするのか?/準備する/しきたりを手なずける/つながっているという感覚
  • 第1章 谷と砂丘 土地
    地形を読む/植物/街/砂/水と雪の世界
  • 第2章 完璧な幻影 太陽
    回転する天体/棒の影/夜明けと日没/太陽の通り道/困難な場合/隠された物語
  • 第3章 夜空を読む
    天球/天の極/北極星/南の星/昇り、沈む星/天球と太陽/惑星/占星術/流れ星と奇妙な発光/天の川/時間と空間
  • 第4章 気まぐれな月
    わたしたちが見ているもの/実用/月、潮、そして方位
  • 第5章 海
    空/海を読む/潮汐/色/鳥類/一風変わったやり方/陸地初認/水中
  • 第6章 自然の力
    風/雲
  • 第7章 習性の生き物
    鳥類/昆虫
  • 第8章 ここはどこ?
    推測航法/地獄の経度/天国の緯度/記憶の道筋をたどる
  • エピローグ 統べる
  •  謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献

【感想は?】

 科学は自然に逆らうものの様にいわれるけど、とんだ思い違いだ。科学とは、自然を読み解く辞書なんだ。

 基本は、東西南北を知る技術である。日が出ていれば、一発で分かる。日中なら、太陽がある方が南だ。だが、曇っていたら?

 この本を読みながら、少し近所を歩いた。住宅地を東西に伸びる道だ。道の両脇は、塀が並んでいる。時は六月、初夏。雑草がグングンと伸びる季節。道の両脇を注意して見ていたら、すぐに気づいた。草は道の北側に生える。南側は苔が多い。この本のとおりだ。「苔は木や建物の北側に生える」。

 東西に伸びる道だと、南端は塀の日陰になり、北端は日が当たる。日が当たれば植物がよく育つ。だから北側には草が多い。南は陰るので乾きにくく、湿気が多い。苔は湿気を好むので、道の南端に生えやすい。

 「だから何?」と言われればそれまでだが、私には見慣れた街が全く違った表情を見せた瞬間だった。世界は豊かな表情を持っている。ただ、私が無知で読み方を知らなかっただけなのだ。まあいい。こんな風に、「どうやって指標を見つけるか」に加え、その指標がどう出来たのかを書いてあるのが、この本の特徴だ。

 現代では、現在地も目的地も緯度と経度で表せる。だが、人が移動する時には、緯度や経度は滅多に使わない。電子地図などでも、「カドのコンビニを右に曲がる」とか「○○駅の北口」など、何らかの目標物との相対的な位置で説明する場合が多い。つまり旅で大事なのは、絶対的な位置ではなく、目立つランドマークとの相対的な位置関係である。

 そのためには人間の行動も指標になる。オフィス街や観光地などで駅に行きたいなら、「朝は、人の流れに逆らっていけば駅が見つかるし、夕方まら人の流れに載ればいい」。住宅地ならこの逆になる。変なイタズラもあって…

せわしなく行きかう人々のあいだで不意に立ち止まり、ただ空を見上げてみるといい。ほどなくまわりの人たちも立ち止まり、上を見上げはじめるだろう。

 携帯電話を取り出して写真を取ると、更に効果的かも。

 歴史的・地誌的な記述が多いのも、この本の特徴だろう。例えば北斗七星の呼び方も地域によって様々だ。アメリカ人は「大きなひしゃく Big Dipper」、英国人は「鋤 Plough」、イヌイットはカリブー、アステカ人は戦闘神テスカトリポカ。「ジャガーに変身して魔術を操り、有徳の人を堕落させる」って、ケンシロウじゃなくてジャギかい。

 南太平洋には沢山の島がある。私は昔から疑問に思っていた。「確かにインドネシアから東に向かえば南太平洋の島々に着くけど、海の広さに比べれば陸地はごく小さい。なぜ広い海の中で島を見つけられたのか?」

 見つかるのだ、優れた航海者なら。例えば海の色だ。水深が浅いと、海の色は青から翠に変わる。鳥も陸地の知らせだ。大きい鳥は島から遠く、小さい鳥は近い。グンカンドリは約120km沖まで出る。カツオドリで80km、アジサシ・クロアジサシは40km。また日暮れ時には陸地に向かって飛ぶ。ねぐらに帰るためだ。雲も陸地手がかりになる。

雲は地形的な条件からしばしば陸地の上に形成される。陸海が海上からの湿った空気を押し上げ、それが凝集して雲になるわけだ。

 逆にイイルカは「ある程度の深さを好む」。

カナダ生まれで、世界で初めて単独帆走の世界一周をなし遂げたアメリカ人ジョシュア・スローカムは、想定より陸に近づいていないことを確認するために、イルカを道連れに帆走した。

 歴史的なエピソードも多く収録している。大遠征を果たしたアレクサンドロス大王は、道に迷わなかったのか?ちゃんと、自分の位置を確認しながら進軍したのだ。測定機器などは持っていなかったが…

兵士を「歩測兵」に任じ、この任についた兵士は気の毒にも軍隊が一日に移動した距離を一歩ずつ数えて測らなければならなかった。

 たぶん、斥候も活用したんだろうなあ。

 などと、空間的には都市・田園・森林・草原・海そして太陽系まで、時間的は古代エジプト王朝から現代まで、科学と歴史に加え自分や知人友人の体験談も交え、買い物ついでの散歩から極地の冒険まで旅する楽しさを倍増させる、ちょっとしたコツとエピソードを満載し、世界を読み解く方法を指南する、少し変わった科学への案内書だった。

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2015年6月 2日 (火)

ロバート・チャールズ・ウィルスン「ペルセウス座流星群 ファインダーズ古書店より」創元SF文庫 茂木健訳

 「稀有の才能をもった人間だけが」どこか遠いところから、ジーグラーの声が聞こえてきた。「チェス盤を超えた次元まで到達できるんだ」
  ――アブラハムの森

「新しい宗教をひとつ、発明してください」ジョン・カーヴァーという男に対し、わたしが初めて興味を感じたのは、彼がこの課題をわたしたちに与えたときだった。
  ――街の中の街

「古き良き時代の」もったいぶった口調でジーグラーがいった。「本物の逸品ですな。今のわたしたちは、かつてのSFに描かれていた時代を生きている。ケラーさん、この事実に、驚きを感じることはありませんか?」
  ――無限による分割

【どんな本?】

 「時間封鎖」シリーズで話題を呼んだロバート・チャールズ・ウィルスンが、90年代後半に発表した作品を中心とした短編集。カナダの大都市トロントの片隅にあるファインダーズ古書店を軸に、穏やかに関連した事件を描く、SF/ファンタジイ/ホラー作品集。

 収録作「ペルセウス座流星群」が、英語で書かれたカナダSFに贈られるオーロラ賞の短編部門を受賞したほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」でもベストSF2013海外篇で18位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Perseids and Other Stories, by Robert Charles Wilson, 2000。日本語版は2012年11月16日初版。文庫本縦一段組みで本文約406頁に加え、著者あとがき12頁+香月祥宏による解説8頁。8ポイント42字×18行×406頁=約306,936字、400字詰め原稿用紙で約768枚。長編小説ならちと長め。

 文章は比較的にこなれている。SFっぽい道具立ても使っているが、小難しいサイエンス・フィクションではなく、肌触りはむしろファンタジイやホラーに近いので、理科が苦手な人でも楽しめるだろう。

【収録作は?】

 それぞれ 日本語の作品名 / 英語の作品名 / 初出 / 初出年。

アブラハムの森 / The Fields of Abraham / 書き下ろし / 2000
16歳のジェイコブは、寒い表からジーグラーの古書店に飛び込んだ。英語の個人教授とチェスの賭けでジェイコブが稼いでも、姉のレイチェルとの生活費で消えてゆく。ジーグラーの相手をすれば、本を貰える時もある。オスカー・ジーグラーは年齢不詳の老人で…
 時は1911年、舞台はトロントの冬。狂ってゆく姉レイチェルとの極貧生活の中で、若いながらも語力に優れた才能を示すジェイコブ君が擦り切れてゆく様子が切ない。H・G・ウェルズを味付けに使う心遣いが憎い。背景となるトロントの寒さが身に染みると共に、意外な国際都市の片鱗が見えるのもいい。
ペルセウス座流星群 / The Perseids / Northern Frights 3 / 1995
 離婚したぼくはロティ屋の二階に部屋を借り、ファインダーズ古書店の仕事を見つけた。30過ぎの男にとっちゃ、これでも幸運だろう。天体望遠鏡を買った時、ロビンと出会った。最近の天体望遠鏡について細かく教えてくれたロビンは、意外なことに、今まで一度も天体望遠鏡をのぞいたことがない、と言う。
 この作品集のもう一つの味、ヒッピー文化の残滓が香る作品。「クリントンではなくケネディなのかと笑われ」るあたりは、思わず苦笑いしてしまう。ドメイン(勢力圏)というアイデアと、天体観測が趣味で本能的に人と距離を置いてしまう主人公を、巧みに組み合わせている。
街の中の街 / The Inner Inner City / Northern Frights 4 / 1997
 このグループは変わった賭けをしている。誰かが出した課題でコンテストを開く。参加費は百ドル。それぞれの発表を参加者が採点し、最も多くの点を得た者が参加費を総取りする。今回の課題はカーヴァーが出した。「新しい宗教をひとつ、発明して下さい」
 掴みが巧い。最初の行から一気に引き込まれた。主人公は夜の散歩を趣味とする男。私も昔は眠れない夜に近所を歩き回った頃がある。同じ街でも、時間帯によって見える雰囲気が全く違う。いわゆる「危険な地域」も、早朝は案外と安全だったりする。その分、店は全部閉まってるけどw
観測者 / The Observer / The UFO Files / 1998
 1953年、わたしは14歳でした。夏休みの間、わたしはカリフォルニアのカーター叔父さんの家で過ごしました。カーター叔父さんはパロマー天文台に勤める技師です。当事の私にとって、カリフォルニアは憧れの地でした。寒いトロントに対し、陽光降り注ぐカリフォルニア。狂った娘の静養にはいい所だと叔父も思ったのでしょう。
 珍しくカリフォルニアが舞台の作品。赤方偏移を発見し、ビッグバン宇宙論の礎を築いたエドウィン・ハッブル(→Wikipedia)がゲストとして大活躍する。夜空は一種のタイムマシンなんだよな、と思う人は多いだろうが、この発想はなかった。
薬剤の使用に関する約定書 / Protocols of Consumptions / Tesseracts 9 / 1997
 専門外来で時間を待つ間に、俺はマイキーに捕まってしまった。俺と同じ安アパートの地下に住む、汚らしい男。娘のエミリーが俺を怖がっている事に気がついて、俺は病院に通う事を決意した。親権は元妻のコリーナに渡った。アパートはゴキブリが少ないが、アリが出るのが困る。
 病院での患者には妙なヒエラルキーがあって、重篤な患者ほど地位が高いとか。また心療内科に通う人は、やたらと薬に詳しく、かつ話したがるんだけど、知らない人にとっては聞きなれないカタカナや横文字の連続で、思わず「日本語で話してくれ」と言いたくなったり。
寝室の窓から月を愛でるユリシーズ / Ulysses Sees the Moon in the Bedroom Window / 書き下ろし / 2000
 ポール・ブリジャーから誘いがきた。面白い掘り出し物を見せたい、と。誘いに乗ったのは、彼の妻リーアに会うためだ。今の所、誘惑は巧くいってる。ポールは親から豊かな財産を受け継ぎ、大学の終身在職権も得ている。話題も豊富で人気者だ。彼の飼い猫ユリシーズは、今夜はなぜが落ち着きがなく…
 猫を飼っている人には、承服しがたい作品かも。ある意味、ハインラインの「夏への扉」へのオマージュかな?
プラトンの鏡 / Plato's Mirror / Northern Frights 5 / 1999
 ぼくの著作「プラトンの鏡」は好評だった。少しアレな人たちに。だからフェイ・コンスタンスが小荷物を持って戸口に来た時、ぼくは警戒した。22歳で小柄な、魅力的な娘だった。小荷物の中身は古い鏡だった。古道具屋で買ったそうだ。
 口を開けば辛らつな嫌味ばかり出てくる作家の主人公が、この作品集に相応しい味を出してる。ケッタイな店で買った鏡が写すものは…というホラーの定番を使いつつ、少し捻った作品。
無限による分割 / Divided by Infinity / Starlight 2 / 1998
 わたしは1997年に早期退職したが、直後に妻のロレインが膵臓癌と診断され、翌年に亡くなった。今60歳のわたしはトロントでつつましく暮している。ロレインが働いていたファインダーズ古書店には暫く近寄れなかったが、思い切って入ってみると、歓迎された上にお宝まで発掘し…
 日本ではSFマガジン2009年4月号に金子浩訳「無限分割」として紹介されている。冒頭の「アブラハムの森」以来、久しぶりにジーグラーが再登場し、重要な役を務める作品。旅先でくたびれた古本屋を見つけると、つい発掘作業に熱中してしまう性癖のある人には身に染みるお話。
パール・ベイビー / Pearl Baby / 書き下ろし / 2000
 ファインダーズ古書店を引きつぎ、住み込んだディアドラ。今は激しい腹痛に襲われている。五年ぶりにニック・ラヴィンと会うのだ。娘のパージーを連れてくるという。パージーは最近の15歳の娘らしく言葉は乱暴だが、本が好きらしい。
 本好きってだけで、パージーには好印象を持っちゃうなあ。元ヒッピーも今はいい歳になって、それぞれの人生を歩んでる。が、この作品集だけに、ブレッド&バターの「あの頃のまま」(→Youtube)みたく叙情的な展開にはならず…
著者あとがき12頁/解説(香月祥宏)

 「クロノリス」でも妙に情けない登場人物が多かったウィルスン、この作品集でも、神経を病んだり元ヒッピーだったりと、陰のある登場人物が多い。ユダヤ・インド・ジャマイカと意外と国際色豊かで、強い香辛料の匂いが漂ってくるトロントの風景も、欠かせない味だろう。いわゆるSFというより、ファンタジイやホラーに近い作品集だった。

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