マイケル・ポーラン「雑食動物のジレンマ ある4つの食事の自然史 上・下」東洋経済新聞社 ラッセル秀子訳
夕食は何を食べよう?
本書は、この一見シンプルな問いへの、たいそう複雑で長い答えである。そしてこれほど簡単な問いに答えることが、なぜこうも厄介な作業になってしまったのか探ろうとするものだ。
――序章 摂食障害に悩むアメリカ「農業はいつだって政府が管理しているんです。問題は、誰の利益のために管理しているのかってこと。いまはカーギル社とコカ・コーラ社ですよ。農家のためなんかじゃない」
――第2章 農場「いいかい、もうすでにそれは起きているんだ。メーンストリームが、似たような考えを持つ人たちの小さなグループに分かれてきている。あのマルチン・ルターがヴィッテンベルク教会の扉に95カ条を貼り付けたときのようにね。あのときはプロテスタント信者が分派して、印刷機が新しいコミュニティをつくるきっかけになった。いまはインターネットが、私たちの仲間を集めて主流から分離させているんだ」
――第13章 市場 バーコードのない世界から
【どんな本?】
コアラはユーカリしか食べない。だからユーカリが消えるとコアラも飢え死にする。対して、ヒトは肉も穀物も食べる。様々なものを食べるお陰で、飢え死にの危険は減ったが、もう一つの問題を突きつけられた。「何が食べられて、何が食べられないんだろう?」
慣れたものだけを食べていれば、食あたりの危険はない。だが、それでは、雑食の利益が得られない。安全に、かつ色とりどりのものを食べるには、どうすればいいんだろう?
これが、雑食動物のシレンマだ。
今のアメリカには、様々な食品が溢れている。だが、それぞれの食品が何を含み、どこでどのように作られ、どう加工されているんだろう? これを知るのは、意外と難しい。
著者はまず大量生産の加工食品の、生産・輸送・流通・加工・販売を追ってアメリカの農業・畜産業の実態を調べる。次に自ら有機牧場で働いて地産地消型の食品生産・流通の可能性を探り、更に野豚を狩りキノコを採り、包丁をふるって完璧な食事に挑戦する。
果敢な体当たり取材でアメリカの食の現在を暴き、現在のようになった過程を生産者の目で振り返ると共に、理想的・健康的な食生活を現代資本主義社会の枠組みの中で継続的に続けられる仕組みを探り、また肉食の倫理的な問題にも挑む、ショッキングだが美味しい現代のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Omnivore's Dilemma, by Michael Pollan, 2006。日本語版は2009年11月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約296頁+249頁=545頁に加え訳者あとがき5頁。9.5ポイント42字×18行×(296頁+249頁)=約412,020字、400字詰め原稿用紙で約1,031枚。文庫本の長編小説なら上下巻ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。好き嫌いが少なく、加工食品から手料理まで、美味しいものなら何でも好きな人向け。自らスーパーで買い物をして台所に立ち、包丁をふるう人なら、更に楽しめる。ただしダイエット中の人は要注意。夕食の後、夜中に読んではいけない。
【構成は?】
全般的に前の章を受けて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
第1部は、かなり怖い。鵜飼保雄の「トウモロコシの世界史」とあわせて読むと、怖さが倍増する。
というのも。第1部は、つまるところ米国のトウモロコシ農業について語っている部分だからだ。なぜトウモロコシが主役なのか? それは、現代アメリカ人の食生活はトウモロコシが支えているからだ。
人間が直接トウモロコシを食べるわけじゃない(ただしメキシコ系の人は除く)。その大半は家畜の飼料になる。他にも油や果糖の形で、加工食品として我々の口に入る。フライドポテトを揚げる油はトウモロコシまたはダイズ由来だし、清涼飲料水の甘さはトウモロコシから抽出・加工した果糖なのだ。
牛乳はどうか。乳牛の餌はトウモロコシである。肉牛も、鶏も、トウモロコシを食べている。肉も乳製品も卵も、元を辿ればトウモロコシに行き着いてしまう。
なんでそうなったか。つまりは需要と供給の問題だ。単位面積当たりの収量でトウモロコシは大変に優れている。だから今のアメリカは大量にトウモロコシを作っていて、買い手を待っている。が、しかし、一人の人間が一年に食べる量は決まっている。需要には限界があるじゃないか。
これを大企業は様々な工夫でクリアしてゆく。スーパーサイズなんてアイデアとしちゃ可愛いもので、最も強烈なのは牛に食べさせる、という案だろう。ここで驚いたのが、牛は「本来草しか食べない」という事実だ。私はそんな事も知らず、穀物も食べるだろうと思っていたんだが、それは置いて。
本来は草を第一胃で発酵させ消化する牛が、トウモロコシを食べる事で、様々な問題をひき起こしている現実を暴く場面は、なかなかの迫力だ。
と同時に、怖いのが、日本は世界最大のトウモロコシ輸入国だ、という現状である。その8割は家畜飼料だ。そして、アメリカはトウモロコシの買い手を探している。さて、TPPの狙いは何でしょう?
こうなったのは、霜降り信仰の賜物だ。こういった好みはお国によりけりで、「アルゼンチンでは、美味なステーキ肉になる牛は牧草のみで育てられる」。
やはりお国柄がでているのがメキシコ。ここじゃトウモロコシは神が人に与えたものだ。だからアメリカ人が輸送中にトウモロコシの粒を道にパラパラ落とすアメリカ人を見ると怒る。「メキシコではいまでも、トウモロコシを地面に放ったままにはしません。それは冒涜にも近いことですから」。コメを大事にする日本人と感覚が似てる。いい奴じゃん、メキシカン。
続く第2部は、地産地消を実践している「牧草農家」、ポリフェイス農場のジョエル・サルトンを訪れ、一週間の肉体労働に従事する。
ここは、牛・豚・ニワトリ・七面鳥・ウサギなどを育てて売る農場だ。このサルトン氏、なかなかの気骨者で。敬虔なクリスチャンでありながら、徹底した自由主義者でもある。たぶんリバタリアンと言って差し支えないと思う。
なぜ彼が「牧草農家」を自称するのか。それを著者が実際に農場で働きながら体感してゆくのがこのパートなのだが、牧畜という仕事の複雑さ・奥深さが嫌というほど実感できる。牧場を複数の牧区に区切り、何日かごとに牛を移動させる。この移動のタイミングの計算が難しい。
牧草の回復具合は早すぎても遅すぎてもいけない。;しかもこれは気温や降雨量で変わる。必要な牧草の量も、牛の大きさ・年齢・状態で変わる。「授乳期の牛は、ふつうより二倍の草を食べるのだ」。
放牧の後、三日ほどして鶏を放す。これにもちゃんと意味があって、「そうそれば(牛糞内の)ウジ虫は鶏好みに丸々と肥ってくれるが、ハエに孵化するには早すぎる」。そして牛糞と鶏糞は牧草の肥料になる。だが鶏を長居させちゃうと、「草の根までつつき、窒素度の極端に高い鶏糞で土を荒らしてしまう」。
そんな風に、複数の家畜をサイクルで回して農場の肥沃さを維持すると共に、家畜を肥らせて肉や卵を得て、収入につなげる手腕は、実に緻密で見事だ。それだけに、規模の拡大は難しい。全体でバランスが取れているので、一つだけ大きくすると、システム全体のバランスが崩れて崩壊してしまう。
農業がいかに複雑で知的な仕事なのかを実感できると共に、政府の政策が農業に与える影響の大きさも体感できるパートだ。なんたって、これだけ優れた農場であるにも関わらず、この農場は牛肉を売れないのだから。その理由が、実に馬鹿馬鹿しいシロモノなのだ。
第3部で、著者は肉食の是非に悩みつつハンテングときのこ狩りへと出かける。ここで、土地を見る著者の目が変わってくるあたりが実にドラマチックだ。漠然と歩くか、野豚を狩るか、キノコを採るか。目的によって、風景がまったく違って見えてくるのだ。人間ってのは、面白いもんです。
ファストフードやTVディナーなどで大きく変わってしまったアメリカの食生活と、増え続ける肥満。だがコッテリした食事を好むフランス人やイタリア人は、あまり肥満に悩まされていない。それはなぜか。インスタント食品やコンビニ弁当が氾濫している日本も、ヒトゴトではない。
食べるという、あまりに日常的な行為を通じて見えてくる、「政策」や「文化」の影響の大きさ、そしてそれに抗う人々と、彼らを支えるツール。腹が突き出し始めた私にとって夜に読むにはいささか危険だが、読み始めたら止まらない興奮も与えてくれる、優れたドキュメンタリーだ。
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