ドレス・レッシング「老首長の国 アフリカ小説集」作品社 青柳伸子訳
「ああ、奥さま、おんなじ子どもだっつうに、大人になれば、ひとりはご主人さまに、ひとりは使用人になるんでごぜえますねえ」
――呪術はお売りいたしません不思議でならないのだが、ほかの点では思慮分別のある人々がなぜ、荷造りして外国に行きさえすれば、事実上消えかけている商品である、この住む家が自由に手に入るなどと信じるようになるのだろう?
――ハイランド牛の棲む家
【どんな本?】
2007年にノーベル文学賞を受賞したドレス・レッシング(→Wikipedia)の、比較的初期の作品を集めた中短編集。著者が幼年時代を過ごした南ローデシア(→Wikipedia、現ジンバブエ→Wikipedia)を舞台に、植民者であるイギリス系の白人の視点を通し、第一次世界大戦~第二次世界大戦ごろの農場の人々を描く作品が中心。
副題の「アフリカ小説集」、正確には「南ローデシア小説集」が妥当だと私は思う。理由は簡単で、収録作の大半は、舞台が南ローデシアだから。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は This was the Old Chief's Country : Collected African Stories vol. 1, by Doris Lessing, 2003。ちょっと経緯がややこしいので、時系列順に整理しておく。
- 1951年 短編集 This was the Old Chief's Country 刊行。
- 不明 中短編集 Five 刊行。
- 1973年 ハードカバー Doris Lessing's Collected African Stories 刊行。1. に加え 2. から「ハイランド牛の棲む家」「エルドラド」「アリ塚」を加えたもの。
- 2003年 This was the Old Chief's Country : Collected African Stories vol. 1 刊行。3. のペーパーバック版。解説には明記していないが、この版で「空の出来事」も追加したようだ。
日本語版は 4. を元にしたもの。2008年4月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約493頁に加え1964年版序文3頁+1973年版序文2頁+訳者解説13頁。9ポイント45字×21行×493頁=約465,885字、400字詰め原稿用紙で約1,165枚。文庫本の長編小説なら上下巻ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、当時の南ローデシア(現ジンバブエ)の20世紀の歴史を少し知っていると背景事情が分かりやすい。と言っても構える必要はない。解説で必要な事柄は一頁程度にまとめてあるので、それを読めば充分に作品は味わえる。
作品集の並び順として、発表順に作品が並んでいるようだ。全般的に初期作品ほど小説としてヒネていて、注意深く読む必要があり、後ろに行くほど主題が分かりやすい。どうヒネているのか、というと。
南ローデシアに植民した白人の目を通して語られる作品が中心だ。語り手は自分の目に写った事実を、自分の解釈で語っている。読む際は、語り手の解釈を鵜呑みにせず、第三者の視点で事実を再解釈しよう。当事の南ローデシアの歪な現実が少しずつ浮かび上がってくる。
頭から呼んでもいいが、慣れない人は「リトル・テンビ」から読むといい。著者の手法がハッキリ出ているので、他の作品を読み解く補助線を与えてくれる。
【収録作】
二つ目の / 以降がない作品は、1951年の短編集 This was the Old Chief's Country 収録。
- 1964年版序文/1973年版序文
- 老首長ムシュランガ / The Old Chief Mshlanga
- 少女は、父親の農場で育った。広大な土地に小さな畑がポツポツあるだけで、その間にはまばらに草が生えた草地(ヴァルト)・溝(ガリー)・木立が点在している。農場には季節労働の黒人が沢山働いていて、家には召使がいた。14歳ぐらいの頃、ライフルを抱え犬を従えて歩いていたら、向うから三人の黒人が歩いてきて…
- 最初に読んだ時は、いきなり宙に放り出されたような気がしたが、改めて読み返すと、猛烈に強烈なパンチを食らう作品。白人 vs 黒人 という構図で見れば他人事だが、よくある差別・被差別やいじめの構図も似たようなモンだよね、などと考え出すと眠れなくなるので要注意。
- 草原(ヴェルト)の日の出 / A Sunrise on the Veld
- 早朝、四時半。ちかごろ少年は太陽が昇る前に起きだし、親に内緒で家の周囲を探索していた。今朝も犬を連れてライフルを持ち、朝露の中を歩いてゆく。その日、少年が耳を澄ますと、奇妙な声が聞こえ…
- レイ・ブラッドベリが南ローデシアの少年を描いたら、こんな感じになるのかも。少年が直面した出来事を描く作品だが、それ以上に、南ローデシアの広々としながらも変化に飛んだ風景が印象的。にしても、先の作品もこの作品も、子供がライフルを持ち歩くのが当たり前の環境ってのが凄い。
- 呪術はお売りいたしません / No Witchcraft for Sale
- ファークォール夫妻に、やっと子供ができた。名前はテディ。召使たちも喜び、祝福に訪れる現地人も多かった。初めて散髪した時、料理人のギデオンはテディの金色の髪を握り締め、リトル・イエロー・ヘッドと言ってから、テディはリトル・イエロー・ヘッドと呼ばれるようになった。そのテディの目に蛇が毒を吐きつけた時…
- 冒頭、テディを可愛がるギデオンたちの姿は、とっても微笑ましい。それだけに、このオチはなんとも切ない。昔の物語ではあるけれど、たぶん今でも似たような事が起きているんだろうなあ。
- 二つ目の小屋 / The Second Hut
- 元は正規兵だったカラザース少佐。今は人里はなれたアフリカの農場で、四部屋しかない丸太小屋に妻と住んでいる。二人の子供は寄宿学校に行った。不況の1931年、人づてを頼って雇った男はアフリカーナーで、ヴァン・ヘールデンといい、牛の扱いが巧みだった。
- 当時の南ローデシアの「農民」の様子が少しだけわかる作品。この作品集に出てくる白人の多くはイギリス系だが、ここでは珍しくアフリカーナー(→Wikipedia)が出てくる。
- 厄介もの / The Nuisance
- その農場には井戸が二つあった。一つは新しい井戸で、うちの家族が使う。澄んだ美味しい水が出たが、七月には枯れてしまう。古井戸は3マイルも離れていて、囲い地の女たちは水汲みのついでに井戸端会議に花を咲かす。だが<やぶにらみ>という女は…
- つくづく、日本は水が豊かで恵まれている。水を得るためだけに4~5kmも歩かなくていいんだから。江戸の長屋を舞台とした小説でも、長屋に一つは井戸がある。なんて暢気に書いちゃいるが、この結末は色々と解釈できて…。父ちゃんは真相を知っているのかいないのか。
- デ・ヴェット夫妻がクルーフ農場にやってくる / The De Wets Come to Kloof Grange
- ゲール少佐と夫人は、南ローデシアの農場に腰を据えて30年になる。四人の息子は海軍に入った。最近は経営も上々で、規模も大きくなった。そこで新しく雇った助手デ・ヴェットは、アフリカーナーで結婚していた。この農場に女が増える。巧くやっていけるだろうか、とゲール夫人は心配したが…
- 再びイギリス系の白人夫妻とアフリカーナーの話。歴史的にイギリス系とアフリカーナーはボーア戦争(→Wikipedia)の遺恨がある。が、実は「犬も食わない話」なのかも。
- リトル・テンビ / Tittle Tembi
- 結婚前、ジェーン・マッククラスターは看護師だった。市立病院でも現地人病棟の主任看護師だった。ウイリーの農場に来てからも、診療所を開いて囲い地の現地人の面倒を見始める。食餌を改善し、寄生虫の予防を女たちに教えた。赤ん坊のリトル・テンビが担ぎこまれた時は、徹夜で看病した。
- この作品集に出てくる女性は退屈している人が多い中で、珍しく使命感を持ち忙しく働いているのがジェーン。やってる事は文句なしに善意の行為だし、全体的な利害だけを見れば実際に現地人の役に立っている。が、テンビの目で見ると…。
- 作品集全体の中では、著者の創作姿勢やテーマがストレートにでていて、比較的にわかりやすい作品。この作品を冒頭に持ってくれば、著者のクセが飲み込めるので、作品集がだいぶ読み解きやすくなるだろうに、と思う。
- ジョン爺さんの屋敷 / Old John's Place
- シンクレア夫妻の送別会には50名ほどが参加した。思ったとおり、町の魅力には逆らえなかったのだ。送別会は和やかに終わった。次にジョン爺さんの屋敷に来たのは、レーシー夫妻だ。馬を飼うらしい。レーシー夫人は、付近の人と違う。優雅で上品だ。
- レーシー夫妻の隣に住む、コープ家の娘13歳のケイトを通して見た、南ローデシアの農場主同士の交際を、新参のレーシー夫人を中心に描きつつ、ケイトとレイシー夫人のすれ違いを綴った作品。スレ違ってるのはわかるんだが、どうスレ違ってるのかが私には分からない。
- レバード・ジョージ / Leopard' George
- ジョージ・チェスター、人呼んでレパード・ジョージ。狩りが好きで、特にレパードがいると聞けば、どこまでも追いかけて仕留める男。第一次世界大戦に従軍して生還し、父親の農場を離れフォー・ウィンズに腰を据えた。そこは荒れた土地だったが、計画的に土地を開き、近所とも巧く付き合おうとした。
- 豹狩りに執念を燃やす変わり者、レパード・ジョージ誕生の物語。「一番近い隣人でも、15マイル先ですよ」なんて不動産屋の言葉が凄い。前作と違いオッサンが主人公なんで、この作品はなんとなくわかる。
- 七月の冬 / Winter in July
- 夕食のテーブルにつく三人。穏やかな兄のトム、突っかかってくる弟のケニス、そしてトムの妻ジュリア。普段はベランダで食事を取るが、さすがに冬の三ヶ月は家の中にテーブルを入れる。ケニスは明日、50マイル離れた街に行くという。
- ジュリアの視点で語られる物語。若い頃の波乱に満ちたジュリアの人生は、著者の人生を投影してるのかな?
- ハイランド牛の棲む家 / A Home for the Highland Cattle / 中短編集 Five 収録
- イギリスから南ローデシアにやってきたマリーナ。夫のフィリップは、政府お抱えの科学者だ。農業振興のため国中を飛び回っている。とりあえずの住まいとして、三ヶ月だけフラットを借りた。八軒の半一戸建てをくっつけた住宅で、裏庭は共用だ。居間にはハイランド牛の絵がある。
- ハイランド牛をGoogleで画像検索すると、立派な角のモコモコした牛が出てくる。作品は、フラットの新参者マリーナの目を通し、他のフラットの住人達や、使用人のチャーリーを描く。珍しく都会が舞台。
- チャーリーの故郷はニアサランド(→Wikipedia、現マラウイ→Wikipedia)。今でも極貧の国だ。チャーリーとテレサの運命は本書全体で共通しているテーマだが、フィリップとマリーナの視点の違いもありがち。かかわりたくないフィリップの気持ちが痛いほどわかってしまう。
- エルドラド / Eldorado / 中短編集 Five 収録
- アレック・バーンズは、トウモロコシを選んだ。経験を積んだ隣人達はタバコを勧めたが。息子のポールは使用人に預け、マギーは自分の仕事をした。カレックは次々と土地を開墾し、トウモロコシを植えてゆく。だがトウモロコシ畑は年を経るにつれ育たなくなり…
- 男って生き物のしょうもなさが、しみじみと伝わってくる話。ジェームズ爺さんが、枯れたいい味を出してる。対して生意気盛りのポールの気持ちもよく分かるし、常識で考えたらイカれきったアレックも、なんか理解できてしまう。こういう馬鹿が文明を進歩させてきたんです、たぶん。
- アリ塚 / The Antheap / 中短編集 Five 収録
- マッキントッシュ氏はオーストラリアで一山あてて潰し、ニュージーランドで返り咲き、ここでも金を掘り始めた。雇tった技師のクラーク氏は結婚していて、奥さんはアニー、一人息子のトミーがいる。鉱山の騒音の中で育ったトミーは、囲い地の黒人の子ども達と仲良くなり…
- この作品集の中で、最もテーマが鮮明に出ていてわかりやすい作品。最初の「老首長ムシュランガ」と比べると、あざといぐらいにメッセージが明白だ。なんでこれを終盤に持ってきたんだろう?
- 空の出来事 / Events in the Skies / 1987年 グランタ誌掲載
- その黒人男性は、辺鄙な村で育った。一番近い町にも歩いて位置に近かる。数日おきに、小さな飛行機が上空に現れた。やがて学校に通い始めた。片道2時間、往復で8マイル歩いた。休みの日にはこっそり飛行場へ行き、飛行機が飛んでくるのを見守った。
- 6頁の小品。距離を時間で測るというのは、一見原始的に思えるけど、起伏が激しかったり川や藪の障害物があったりする土地では、時間の方が実用的で合理的だったりする。とか感心していると、オチで彼方に放り出されるから油断ならない。
- 訳者解説
【全体の感想】
作品集としてまとまると、現地の風景の印象が強く残る。全般的に広い農場を舞台とした作品が多い。ご近所といっても数km離れているのが当たり前という、なかなかワイルドな世界だ。乾季には土が吹き飛んでしまう乾いて脆弱な土地。一見、無駄に広がる草地(ヴェルト)。米が中心の日本では、滅多に見られない風景だ。
ただ、登場人物の感覚だと「お隣まで数マイル」なんだが、人間がいないわけじゃない。ちゃんと使用人は近くの囲い地に住んでいるんだが、人間としては勘定していないだけ。そういう感覚で国を作っていたわけだ。
そう考えると、やっぱり副題は「南ローデシア小説集」として欲しかったなあ、と思う。あくまで「植民者のイギリス系白人の目で見た南ローデシア」の作品であって、アフリカ大陸全体を扱っているわけではないのだから。ジンバブエにしても幾つかの民族がいる筈なのに、作品中ではみんなまとめて黒人・現地人だ。
「植民者のイギリス系白人の目で見た南ローデシア」はそう見えるんだろうし、それはそれで誠実だと思うが、ソレがアフリカだ、と言うのはちと乱暴じゃなかろうか。
文句ばっかり言っているようだが、それは作品のインパクトが強烈で、気持ちを大きく揺さぶられるからだ。とにかく何か言わないと気がすまない、そんな気分になってくる。なまじ文体が落ち着いているだけに、余計に効果が大きい。クールな衣に猛毒を仕込んだ、困った作品集だった。
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