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2015年5月18日 (月)

ドレス・レッシング「老首長の国 アフリカ小説集」作品社 青柳伸子訳

「ああ、奥さま、おんなじ子どもだっつうに、大人になれば、ひとりはご主人さまに、ひとりは使用人になるんでごぜえますねえ」
  ――呪術はお売りいたしません

 不思議でならないのだが、ほかの点では思慮分別のある人々がなぜ、荷造りして外国に行きさえすれば、事実上消えかけている商品である、この住む家が自由に手に入るなどと信じるようになるのだろう?
  ――ハイランド牛の棲む家

【どんな本?】

 2007年にノーベル文学賞を受賞したドレス・レッシング(→Wikipedia)の、比較的初期の作品を集めた中短編集。著者が幼年時代を過ごした南ローデシア(→Wikipedia、現ジンバブエ→Wikipedia)を舞台に、植民者であるイギリス系の白人の視点を通し、第一次世界大戦~第二次世界大戦ごろの農場の人々を描く作品が中心。

 副題の「アフリカ小説集」、正確には「南ローデシア小説集」が妥当だと私は思う。理由は簡単で、収録作の大半は、舞台が南ローデシアだから。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は This was the Old Chief's Country : Collected African Stories vol. 1, by Doris Lessing, 2003。ちょっと経緯がややこしいので、時系列順に整理しておく。

  1. 1951年 短編集 This was the Old Chief's Country 刊行。
  2. 不明 中短編集 Five 刊行。
  3. 1973年 ハードカバー Doris Lessing's Collected African Stories 刊行。1. に加え 2. から「ハイランド牛の棲む家」「エルドラド」「アリ塚」を加えたもの。
  4. 2003年 This was the Old Chief's Country : Collected African Stories vol. 1 刊行。3. のペーパーバック版。解説には明記していないが、この版で「空の出来事」も追加したようだ。

 日本語版は 4. を元にしたもの。2008年4月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約493頁に加え1964年版序文3頁+1973年版序文2頁+訳者解説13頁。9ポイント45字×21行×493頁=約465,885字、400字詰め原稿用紙で約1,165枚。文庫本の長編小説なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、当時の南ローデシア(現ジンバブエ)の20世紀の歴史を少し知っていると背景事情が分かりやすい。と言っても構える必要はない。解説で必要な事柄は一頁程度にまとめてあるので、それを読めば充分に作品は味わえる。

 作品集の並び順として、発表順に作品が並んでいるようだ。全般的に初期作品ほど小説としてヒネていて、注意深く読む必要があり、後ろに行くほど主題が分かりやすい。どうヒネているのか、というと。

 南ローデシアに植民した白人の目を通して語られる作品が中心だ。語り手は自分の目に写った事実を、自分の解釈で語っている。読む際は、語り手の解釈を鵜呑みにせず、第三者の視点で事実を再解釈しよう。当事の南ローデシアの歪な現実が少しずつ浮かび上がってくる。

 頭から呼んでもいいが、慣れない人は「リトル・テンビ」から読むといい。著者の手法がハッキリ出ているので、他の作品を読み解く補助線を与えてくれる。

【収録作】

 二つ目の / 以降がない作品は、1951年の短編集 This was the Old Chief's Country 収録。

1964年版序文/1973年版序文
老首長ムシュランガ / The Old Chief Mshlanga
 少女は、父親の農場で育った。広大な土地に小さな畑がポツポツあるだけで、その間にはまばらに草が生えた草地(ヴァルト)・溝(ガリー)・木立が点在している。農場には季節労働の黒人が沢山働いていて、家には召使がいた。14歳ぐらいの頃、ライフルを抱え犬を従えて歩いていたら、向うから三人の黒人が歩いてきて…
 最初に読んだ時は、いきなり宙に放り出されたような気がしたが、改めて読み返すと、猛烈に強烈なパンチを食らう作品。白人 vs 黒人 という構図で見れば他人事だが、よくある差別・被差別やいじめの構図も似たようなモンだよね、などと考え出すと眠れなくなるので要注意。
草原(ヴェルト)の日の出 / A Sunrise on the Veld
 早朝、四時半。ちかごろ少年は太陽が昇る前に起きだし、親に内緒で家の周囲を探索していた。今朝も犬を連れてライフルを持ち、朝露の中を歩いてゆく。その日、少年が耳を澄ますと、奇妙な声が聞こえ…
 レイ・ブラッドベリが南ローデシアの少年を描いたら、こんな感じになるのかも。少年が直面した出来事を描く作品だが、それ以上に、南ローデシアの広々としながらも変化に飛んだ風景が印象的。にしても、先の作品もこの作品も、子供がライフルを持ち歩くのが当たり前の環境ってのが凄い。
呪術はお売りいたしません / No Witchcraft for Sale
 ファークォール夫妻に、やっと子供ができた。名前はテディ。召使たちも喜び、祝福に訪れる現地人も多かった。初めて散髪した時、料理人のギデオンはテディの金色の髪を握り締め、リトル・イエロー・ヘッドと言ってから、テディはリトル・イエロー・ヘッドと呼ばれるようになった。そのテディの目に蛇が毒を吐きつけた時…
 冒頭、テディを可愛がるギデオンたちの姿は、とっても微笑ましい。それだけに、このオチはなんとも切ない。昔の物語ではあるけれど、たぶん今でも似たような事が起きているんだろうなあ。
二つ目の小屋 / The Second Hut
 元は正規兵だったカラザース少佐。今は人里はなれたアフリカの農場で、四部屋しかない丸太小屋に妻と住んでいる。二人の子供は寄宿学校に行った。不況の1931年、人づてを頼って雇った男はアフリカーナーで、ヴァン・ヘールデンといい、牛の扱いが巧みだった。
 当時の南ローデシアの「農民」の様子が少しだけわかる作品。この作品集に出てくる白人の多くはイギリス系だが、ここでは珍しくアフリカーナー(→Wikipedia)が出てくる。
厄介もの / The Nuisance
 その農場には井戸が二つあった。一つは新しい井戸で、うちの家族が使う。澄んだ美味しい水が出たが、七月には枯れてしまう。古井戸は3マイルも離れていて、囲い地の女たちは水汲みのついでに井戸端会議に花を咲かす。だが<やぶにらみ>という女は…
 つくづく、日本は水が豊かで恵まれている。水を得るためだけに4~5kmも歩かなくていいんだから。江戸の長屋を舞台とした小説でも、長屋に一つは井戸がある。なんて暢気に書いちゃいるが、この結末は色々と解釈できて…。父ちゃんは真相を知っているのかいないのか。
デ・ヴェット夫妻がクルーフ農場にやってくる / The De Wets Come to Kloof Grange
 ゲール少佐と夫人は、南ローデシアの農場に腰を据えて30年になる。四人の息子は海軍に入った。最近は経営も上々で、規模も大きくなった。そこで新しく雇った助手デ・ヴェットは、アフリカーナーで結婚していた。この農場に女が増える。巧くやっていけるだろうか、とゲール夫人は心配したが…
 再びイギリス系の白人夫妻とアフリカーナーの話。歴史的にイギリス系とアフリカーナーはボーア戦争(→Wikipedia)の遺恨がある。が、実は「犬も食わない話」なのかも。
リトル・テンビ / Tittle Tembi
 結婚前、ジェーン・マッククラスターは看護師だった。市立病院でも現地人病棟の主任看護師だった。ウイリーの農場に来てからも、診療所を開いて囲い地の現地人の面倒を見始める。食餌を改善し、寄生虫の予防を女たちに教えた。赤ん坊のリトル・テンビが担ぎこまれた時は、徹夜で看病した。
 この作品集に出てくる女性は退屈している人が多い中で、珍しく使命感を持ち忙しく働いているのがジェーン。やってる事は文句なしに善意の行為だし、全体的な利害だけを見れば実際に現地人の役に立っている。が、テンビの目で見ると…。
 作品集全体の中では、著者の創作姿勢やテーマがストレートにでていて、比較的にわかりやすい作品。この作品を冒頭に持ってくれば、著者のクセが飲み込めるので、作品集がだいぶ読み解きやすくなるだろうに、と思う。
ジョン爺さんの屋敷 / Old John's Place
 シンクレア夫妻の送別会には50名ほどが参加した。思ったとおり、町の魅力には逆らえなかったのだ。送別会は和やかに終わった。次にジョン爺さんの屋敷に来たのは、レーシー夫妻だ。馬を飼うらしい。レーシー夫人は、付近の人と違う。優雅で上品だ。
 レーシー夫妻の隣に住む、コープ家の娘13歳のケイトを通して見た、南ローデシアの農場主同士の交際を、新参のレーシー夫人を中心に描きつつ、ケイトとレイシー夫人のすれ違いを綴った作品。スレ違ってるのはわかるんだが、どうスレ違ってるのかが私には分からない。
レバード・ジョージ / Leopard' George
 ジョージ・チェスター、人呼んでレパード・ジョージ。狩りが好きで、特にレパードがいると聞けば、どこまでも追いかけて仕留める男。第一次世界大戦に従軍して生還し、父親の農場を離れフォー・ウィンズに腰を据えた。そこは荒れた土地だったが、計画的に土地を開き、近所とも巧く付き合おうとした。
 豹狩りに執念を燃やす変わり者、レパード・ジョージ誕生の物語。「一番近い隣人でも、15マイル先ですよ」なんて不動産屋の言葉が凄い。前作と違いオッサンが主人公なんで、この作品はなんとなくわかる。
七月の冬 / Winter in July
 夕食のテーブルにつく三人。穏やかな兄のトム、突っかかってくる弟のケニス、そしてトムの妻ジュリア。普段はベランダで食事を取るが、さすがに冬の三ヶ月は家の中にテーブルを入れる。ケニスは明日、50マイル離れた街に行くという。
 ジュリアの視点で語られる物語。若い頃の波乱に満ちたジュリアの人生は、著者の人生を投影してるのかな?
ハイランド牛の棲む家 / A Home for the Highland Cattle / 中短編集 Five 収録
 イギリスから南ローデシアにやってきたマリーナ。夫のフィリップは、政府お抱えの科学者だ。農業振興のため国中を飛び回っている。とりあえずの住まいとして、三ヶ月だけフラットを借りた。八軒の半一戸建てをくっつけた住宅で、裏庭は共用だ。居間にはハイランド牛の絵がある。
 ハイランド牛をGoogleで画像検索すると、立派な角のモコモコした牛が出てくる。作品は、フラットの新参者マリーナの目を通し、他のフラットの住人達や、使用人のチャーリーを描く。珍しく都会が舞台。
 チャーリーの故郷はニアサランド(→Wikipedia、現マラウイ→Wikipedia)。今でも極貧の国だ。チャーリーとテレサの運命は本書全体で共通しているテーマだが、フィリップとマリーナの視点の違いもありがち。かかわりたくないフィリップの気持ちが痛いほどわかってしまう。
エルドラド / Eldorado / 中短編集 Five 収録
 アレック・バーンズは、トウモロコシを選んだ。経験を積んだ隣人達はタバコを勧めたが。息子のポールは使用人に預け、マギーは自分の仕事をした。カレックは次々と土地を開墾し、トウモロコシを植えてゆく。だがトウモロコシ畑は年を経るにつれ育たなくなり…
 男って生き物のしょうもなさが、しみじみと伝わってくる話。ジェームズ爺さんが、枯れたいい味を出してる。対して生意気盛りのポールの気持ちもよく分かるし、常識で考えたらイカれきったアレックも、なんか理解できてしまう。こういう馬鹿が文明を進歩させてきたんです、たぶん。
アリ塚 / The Antheap / 中短編集 Five 収録
 マッキントッシュ氏はオーストラリアで一山あてて潰し、ニュージーランドで返り咲き、ここでも金を掘り始めた。雇tった技師のクラーク氏は結婚していて、奥さんはアニー、一人息子のトミーがいる。鉱山の騒音の中で育ったトミーは、囲い地の黒人の子ども達と仲良くなり…
 この作品集の中で、最もテーマが鮮明に出ていてわかりやすい作品。最初の「老首長ムシュランガ」と比べると、あざといぐらいにメッセージが明白だ。なんでこれを終盤に持ってきたんだろう?
空の出来事 / Events in the Skies / 1987年 グランタ誌掲載
 その黒人男性は、辺鄙な村で育った。一番近い町にも歩いて位置に近かる。数日おきに、小さな飛行機が上空に現れた。やがて学校に通い始めた。片道2時間、往復で8マイル歩いた。休みの日にはこっそり飛行場へ行き、飛行機が飛んでくるのを見守った。
 6頁の小品。距離を時間で測るというのは、一見原始的に思えるけど、起伏が激しかったり川や藪の障害物があったりする土地では、時間の方が実用的で合理的だったりする。とか感心していると、オチで彼方に放り出されるから油断ならない。
訳者解説

【全体の感想】

 作品集としてまとまると、現地の風景の印象が強く残る。全般的に広い農場を舞台とした作品が多い。ご近所といっても数km離れているのが当たり前という、なかなかワイルドな世界だ。乾季には土が吹き飛んでしまう乾いて脆弱な土地。一見、無駄に広がる草地(ヴェルト)。米が中心の日本では、滅多に見られない風景だ。

 ただ、登場人物の感覚だと「お隣まで数マイル」なんだが、人間がいないわけじゃない。ちゃんと使用人は近くの囲い地に住んでいるんだが、人間としては勘定していないだけ。そういう感覚で国を作っていたわけだ。

 そう考えると、やっぱり副題は「南ローデシア小説集」として欲しかったなあ、と思う。あくまで「植民者のイギリス系白人の目で見た南ローデシア」の作品であって、アフリカ大陸全体を扱っているわけではないのだから。ジンバブエにしても幾つかの民族がいる筈なのに、作品中ではみんなまとめて黒人・現地人だ。

 「植民者のイギリス系白人の目で見た南ローデシア」はそう見えるんだろうし、それはそれで誠実だと思うが、ソレがアフリカだ、と言うのはちと乱暴じゃなかろうか。

 文句ばっかり言っているようだが、それは作品のインパクトが強烈で、気持ちを大きく揺さぶられるからだ。とにかく何か言わないと気がすまない、そんな気分になってくる。なまじ文体が落ち着いているだけに、余計に効果が大きい。クールな衣に猛毒を仕込んだ、困った作品集だった。

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