ジョン・H・ロング「進化する魚型ロボットが僕らに教えてくれること」青土社 松浦俊輔訳
「いったい、生物学とロボットに何の関係があるんだい?」
――第1章 なぜロボットかKISS原理では、まず簡単なことをする。そして簡単なことが結局ものすごく複雑だということになる。
――第7章 進化トレッカー
【どんな本?】
魚ロボット、タドロ。洗面器に尻尾をつけたオモチャに見える。魚というより、たらい舟のミニチュアみたいだ。ジョン・H・ロング先生と研究室の学生たちは、これを水槽に浮かべ、明かりをつけたり消したりしてる。
一体、彼らは何をやってるんだ? 大学の生物学教授が、厳しい競争を経て入学した学生たちを集め、オモチャで水遊びか? 税金の無駄遣いじゃないの?
魚のロボットを作り、自らの仮説を検証する研究の過程を詳しく語り、現代の科学研究の具体例を示す事で、科学者が日頃何を考え何をやっているかを明かすと共に、どのように科学の実験が行われているかを語り、また現代のロボット技術の一例を示す、一般向けの少し変わった科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Darwin's Device - What Evolving Robots Can Teach Us About the History of Life and the Future of Technology, by John H. Long, 2012。日本語版は2012年8月29日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約280頁。9ポイント46字×18行×280頁=約231,840字、400字詰め原稿用紙で約580枚。普通の長編小説の分量。
文章は比較的にこなれている。一部に数式や力学の話、そしてソース・プログラムが出てくるが、大半は素人にもわかるように説明しているし、わからなかったら読み飛ばしてもいい。キーとなるのは、剛性(→Wikipedia)ぐらいだろう。それより重要なのは、生物学の進化の概念(→Wikipedia)。
中学卒業程度の理科と数学がわかればついていけるが、専門的な事柄を語るときは少し言葉遣いが堅くなるので、そこでビビるかどうかが評価の分かれ目。それと、動く物を自分で作った経験があればなおよし。ハードウェアでもソフトウェアでも、ミニ四駆でも構わない。
【構成は?】
前提から順々に語る形なので、素直に最初から読もう。
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【感想は?】
この本の主役タドロは、35頁に写真が出てくる。これを見る限り、小学生の男の子が喜びそうなオモチャだ。
洗面器に動く尻尾をつけたようなシロモノ。魚というよりタライ舟。魚ロボットと言っているが、水面に浮かんでるだけ。仕掛けも(最初の版は)とても単純。光センサーが一つ、動く尻尾が一つ。センサーが受けた光に応じて、尻尾を動かす。
なぜそんなケッタイなオモチャを作るのか。それがこの本の序盤のテーマだ。キモは、洗面器につけた尻尾。
ここで進化の話が出てくる。「脊椎骨(→Wikipedia)は脊索(→Wikipedia)から少なくとも三度進化したらしい」。そして三度とも、似たようなデザインになっている。どうやら柔らかい脊索より、硬い脊椎骨を持つほうが、生き延びて子孫を作るのに向いているらしい。じゃ、それを実験で確かめてみよう。
とはいえ、実際に生きている魚の脊椎骨を変えるのは難しい。そこでロボットを作り、脊椎骨=尻尾の硬さを色々と変えて生存競争をシミュレートし、一定の硬さに収斂するか確かめよう、となった。
ここで素直に実験結果を出すのが普通の科学解説書だが、本書は違う。なぜロボットか、どんな実験をするのか、それはどんな条件をつけどう計画したのか、こと細かく描いてゆく。これが本書の大きな特徴だ。
何のために、そんな事をする? それは、科学的な考え方・科学の方法を語るためだ。科学者は何をどう考え、どうやって問題の解を探すのか。その過程で、どんな問題があって、どう解決するのか。遊んでいるように見える実験の、本当の目的は何か。 それを語るのが、この本のテーマだ。
そう、「考え方」がテーマなのである。それを象徴するのが、「第3章 エヴァルボットの開発」の冒頭だ。ここでは、ロボット作成をエンジニアに頼んだ時のゴタゴタを描いている。エンジニアなら、ここで大笑いするだろう。
なにせロング先生、ロボットを作る仕事を頼む際、「何をするロボットなのか」がわかってないのだ。要求仕様がないのである。まっとうなエンジニアなら、そりゃ怒るだろう。
「時速○kmで泳ぐロボット」なら、作れる。「その際の電力消費量」を指定してもいい。「重さは□kgに抑えてくれ」オーケー、ただし予算が嵩みますよ。だが、作ってみて、それがどう動くのか確かめたいって、どういうこっちゃ。ナメとんのか、おどれ。
満たすべき条件、進むべき目標があれば、エンジニアはそこに向かって進める。だが、科学者は違う。「こんな条件の時にはどうなるのか」を調べるのが、科学者の仕事だ。科学者と工学者、一見似たような仕事だが、仕事の手順、または根本的な考え方が、実は正反対なのだ。
仕方なく研究室の学生たちを使ってタドロを作る事にしたロング先生、だかここでも様々な問題に突き当たる。尻尾の材質はどうするか。硬さはどう変えるか。そして、肝心の生存競争を、どうシュミレートするか。
かくして、タドロの仕様は刻々と変わってゆく。と共に、実験の手間もどんどん膨れ上がってゆく。何百回も尻尾の硬さを調整し、泳ぐ様をビデオに撮り、ビデオを見て食餌にありついた回数を数える。ベルトコンベアー工場で働く労働者のように、単調な繰り返しの実験が続く。
だがしかし。やっと出た結果は、仮説を裏切るものだった。わはは。
笑っちゃいけない。ロング先生も学生も、ガックリ落ち込んでいるのだ。だが、研究者に限らずエンジニアだって、似たような経験をしている。巧くいくと思った仕掛けが、大ハズレだった経験、ありませんか? 私は何度もあります。
仮説が間違っていたのか。実装で失敗したのか。実験方法がマズかったのか。計測でポカしたのか。今までの苦労はなんだったんだ。
など大小の挫折を何度も繰り返し、タドロ3はタドロ4へと改善されてゆく。このタドロ3のソース・プログラムも掲載しているが、実に単純なのに驚く。しかも、ソースの多くは型変換で、演算処理はほとんどない。にも関わらず、一見賢そうな動きを見せるから面白い。
という事で、「単純な条件反射でも賢そうな行動ができる」事を示した後に、脳の働きを経て、終盤ではロボットの軍事利用へと話が進んでゆく。ここで展開するロボット兵器の未来は、なまじ説得力があるだけに、実に背筋が凍るシロモノだ。首相官邸屋上でドローンが見つかり大騒ぎしている今、このシナリオには切実なリアリティがある。
生物学や力学を基礎に置きながらも、ロング先生の思索は「進化とは何か」「知能とは何か」「脳とは何か」「シミュレーションと実物実験の違い」などを寄り道しながら、ゆっくりと進んでゆく。半ば科学者のお仕事紹介、半ばエッセイ集のような、少し変わった一般向けの科学解説書。
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