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2015年5月12日 (火)

ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール「パリは燃えているか? 上・下」早川書房 志摩隆訳 エピソード集

【占領下の生活】

●ナチス占領下のパリでは、自転車と馬車、そして木炭車が活躍した。
一部のタクシーは、車両の前半分を切り取り後部車両だけにした。
エンジンの変わりに自転車をつけ、自分で漕ぐのである。
中には、ツール・ド・フランス出場選手が引く車もあった。

●映画館も自転車を活用した。
ラジオ・シティ・ミュージック・ホールのゴーモン・パラスは計算する。
四人が20km/hの速さで6時間ペダルを踏めば、フィルムを二本上映できる電気を蓄えられるはずだ。

●そして観客のために、こんな広告を出した。
「自転車300台までは駐輪無料」

【新司令官着任】

●1944年8月はじめ、パリ司令官フォン・コルティッツはパレードを命じる。
パリ市民にドイツ軍の兵力を誇示するだめだ。
同14日、コルティッツの宿泊するオテル・ムーリス前では、押し問答が起きる。
警備担当のヴェルナー・ニックス曹長が、小柄な紳士を押し留めてたのだ。
彼は命令されていた。
「何者であれ、証明書を持たぬ者をホテルに入れてはならぬ」と。
残念ながら、小柄な紳士が持つ文書は、領収書だけだった。
その宛名は「ディートリッヒ・フォン・コルティッツ」だったのだが。

●これは軍曹のささやかな復讐でもあった。
軍曹は、命令で休暇を潰されていたのだ。
コルティッツの命じたパレードに参加せよ、よと。

【破壊工作】

●ヒトラーはパリを破壊せよと命じた。
その準備に派遣されたのは、ヴェルナー・エーベルナッハ大尉である。
パリの記念物やセーヌ河にかかる橋に爆薬を仕掛けるのが、大尉の任務だ。
ある橋の橋脚を調べた時、彼は嬉しい発見をする。
既に爆薬孔が開いていたのだ。
70年以上前のフフランスの法律のお陰である。
緊急の際にすぐ破壊できるようになっていたのだ。

【進撃準備】

●連合軍総司令官ドワイト・D・アイゼンハワーは、パリを迂回するつもりだった。
だがフランス第二装甲師団を率いるルクレールは、ドゴールの命に従いパリへと進む。
連合軍はルクレールを脅した。
「補給を止める」と。
ルクレールは、ちゃっかり準備していた。
四日前から燃料トラックや戦車は、燃料や弾薬を備蓄していたのだ。
また、戦車が損害を受けても報告しなかった。
破壊された戦車の分の燃料や弾薬をパクるためである。

【レジスタンス】

●レジスタンスの蜂起に伴い、コメディ・フランセーズ前にもバリケードができた。
砦の材料は舞台装置の大道具・小道具、守るのは役者やスタッフである。
いささか迫力に欠けると思った彼らは、工夫をこらす。
樽を並べたのである。
樽には、こう書いてあった。
「爆発物!要注意!」
これが功を奏したか、砦は一週間も維持できた。
ドイツ軍の戦車も近寄らなかったのだ。

●レジスタンスは一台だけだが戦車も持っていた。
ソムア戦車(→Wikipedia)である。
サントウアン近くの工場で掘り出したものだ。
ただし、砲弾は一つもなかった。

【進撃】

●最初にパリ攻略に向け前進したのは、ルクレール率いるフランス第二装甲師団である。
これにアメリカ第四歩兵師団が加わった。
ただし、第一軍司令官コートニー・ホッジスは、第四歩兵師団から砲兵二個大隊を削る。
張り切った砲兵が、パリに砲弾を撃ち込んではマズい。

【興行師】

●包囲下のパリにも、サーカスがあった。
スウェーデンの興行師ジャン・フーケが一発勝負をかけたのだ。
数日内にパリは解放されるだろう。
そして娯楽に飢えた市民は彼のサーカスに殺到するに違いない。
残念ながら、彼の目論みは外れる。
ドイツ軍の豹戦車の砲撃と無線誘導爆弾ゴリアテが、彼のサーカスをふっとばしてしまったのだ。
逃げ出した馬は、シャンゼリゼ通りで銃弾に倒れる。
その直後、通りの家から多くの市民が飛び出してきた。
そして皿と包丁を持った市民が、馬から肉を切り取っていった。

【誤報】

●1944年8月23日、パリ解放の第一報がイギリスに入る。
これを英国放送局やCBSが報じた。
ロンドンで、ニューヨークで、ブエノス・アイレスで、世界中がお祭り騒ぎに沸き立つ。
中継したのは、イギリスのジャーナリスト、チャーリー・コリンウッド。
残念ながら、この時、連合軍はまだパリに入っていない。つまり誤報である。
// 実際の入城は次の24日です
コリンウッドは予め自分のアナウンスを吹き込み、本国へ送っていた。
それが誤まって放送されてしまったのだ。

●これは、仕掛けられたデマだった。
ペテン師はフランス国内軍(レジスタンス)参謀本部のアンドレ・ヴェルノン大佐である。
目的は、連合軍の進路を変えること。
アイゼンハワーはパリを迂回しようとしていた。
だがパリでは既にレジスランスが蜂起している。
グズグズしていると、パリ市民がドイツ軍に虐殺されかねない。
そこで「パリは解放された」というデマを英国放送に流し、ルクレールの進軍を促したのである。

【解放】

●ルクレールの先遣隊がパリに入ったのは、1944年8月24日である。
ドイツ軍の占領中、教会の鐘は沈黙していた。
だが先遣隊の入城直後、パリ中の教会の鐘が鳴り響く。
国営ラジオのアナウンサー、ピエール・シェフィールが呼びかけたのだ。
「放送をお聞きの牧師さんたちは、力いっぱい鐘を鳴らしてください」と。

●ジャック・デスティエンヌは、フランス軍戦車<ラフォー>の砲手だ。
負傷して気絶し、救急車でサン=トワーヌ病院に担ぎこまれる。
救急車には、重症のドイツ軍士官も乗っていた。
車内で気づいたデスティエンヌは、いきなりドイツ士官の襲い掛かる。
そして縊り殺し、鉄十字章を毟りとった後、再び気を失った。
この因果が祟ってか、デスティエンヌは危うく死にかける。
病院では看護婦が彼のポケットの中の物を取り出し、財布と十字勲章を彼の胸に置いた。
十字勲章を見た医師は、彼がドイツ兵だと判断し、手当てを後回しにしたのだ。
彼の背中には手榴弾の破片が37個入っていた。

●解放に沸き立つパリ市民は、かつての圧制者への復讐に燃える。
目標はドイツ軍およびドイツ軍協力者である。
被害者の中にはマックス・ゴアとマドレーヌ・ゴアもいた。
二人はレジスタンスで、多くのユダヤ人や連合軍空軍の飛行士を匿っていた。
だが、狂乱騒ぎの中の流言で濡れ衣を着せられ、私刑に処されてしまったのである。

●米兵ジョージ・マッキンタイヤーは、シャンゼリゼ通りを歩いていた。
一人の司祭が彼に声をかける。
「癌で死にかけている老婦人がいる。
 彼女の最後の願いを叶えて欲しい。
 彼女は確かめたいのだ。
 連合軍は本当にパリに来ているんだ、自分は解放されたパリで死ぬのだ、
 だってアメリカ兵が目の前にいるのだから」と。
司祭に連れられアパルトマンを訪ねたマッキンタイヤーは、ベッドに寝た老婦人と面会する。
老婦人は、熱心に戦争の話を聞きたがった。
翌日、約束どおり再訪したマッキンタイヤーは、彼女に会えなかった。
既に亡くなっていたのだ。

●ブライス・ライアン軍曹は、フランス人夫婦に招待され、寝室を提供された。
真っ白なシーツに、上品なサテンの夏ブトンである。
軍曹は、自分の軍隊毛布に包まって寝た。
戦闘続きで泥だらけだったので、いささか気後れしたのだ。

●1944年8月26日土曜日、解放第一夜から目覚めたパリ。
ノートル=ダム寺院では、300名以上の米兵が早朝ミサに祈りを捧げる。
同じ日、ユダヤ教会堂でも、安息日の礼拝が行なわれた。
潜んで暮していたユダヤ教徒の市民は、参加したユダヤ教徒の米兵を歓迎する。
まさしく、米兵は死すべき運命からの救済者だったのだ。

●パリ陥落の報を受けたヒトラーは、命令を下す。
「V1号およびV2号の全発射基地から、パリへ攻撃を加えよ」と。
これを電話で受けたのは、B軍団参謀総長ハンス・シュパイデル将軍である。
この命令はイカれていると判断したシュパイデルは命令を無視した。
一週間後、シュパイデルはゲシュタポに逮捕されてしまう。

●パリに入城したドゴールは、連合軍総司令部に依頼する。
「急いで一万五千着の軍服を送れ」と。
パリでは、共産党系を初めとして様々な勢力のレジスタンスが跳梁跋扈している。
彼らに軍服を着せてしまえば、連合軍に組み込める。
そうすれば、自分の指揮下に組み込めるだろう。

●パリが解放されても、ドイツ軍は諦めなかった。
連合軍の制空権が及ばぬ夜、ドイツ空軍が夜間空襲をかけたのだ。
30分間の攻撃で、死者213名・負傷者914名の他、597戸の家屋が損傷する。
この時、パリの空はガラ空きだった。
連合軍の高射砲は一門もなかったのだ。

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