マイケル・ルイス「ライアーズ・ポーカー」ハヤカワ文庫NF 東江一紀訳
経済学は実践的な学問だ。就職の役に立つ。そして、それはなぜかといえば。経済が人生のすべてに優先するという信仰を持っていることのあかしになるからだ。
――2 カネのことは言うな一般的に言って、ソロモン内部でセールスマンに浴びせられる賞賛が大きければ大きいほど、あとで顧客がこうむる痛手も大きい。
――8 下等動物から人間への道
【どんな本?】
1985年。当時は債券取引で日の出の勢いの投資銀行ソロモン・ブラザース(→Wikipedia)に、著者は入社し、債券セールスマンとして辣腕を奮う。世界の経済情勢に通じるキレ者の高給取りが集う41階の債券トレーディング・ルーム、きっとクールなエリートが揃っているはず…と思ったが、そこは魑魅魍魎が闊歩する弱肉強食のジャングルだった。
鼻っぱしらが異様に強いトレーダーたちの奇想天外な生態、当事の投資銀行の商売のアコギな手口、ソロモン社内の意外な力関係、同業他社tの軋轢、アッサリと転職するアメリカのトレーダーの価値観など、金融業界の凄まじい内幕をブチまけると共に、モーゲージ債(→Wikipedia)やジャンクボンド(→Wikipedia)などの債券知識も少しだけ身につく金融ノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原初は LIAR'S POKER, by Michael Lewis, 1989。日本語版は2006年にパンローリング社より単行本で刊行。私が読んだのは2013年10月25日発行のハヤカワ文庫版。文庫本縦一段組みで本文約415頁に加え訳者あとがき3頁+ハヤカワ文庫版訳者あとがき2頁。9ポイント41字×18行×415頁=約306,270字、400字詰め原稿用紙で約766枚。長めの長編小説の分量。
一人称が「ぼく」だったりと、文章は親しみやすい。内容も特に難しくないが、金融の基礎は必要。具体的には、債券(→Wikipedia)と株式(→Wikipedia)の違いが分かる程度で充分だろう。
【構成は?】
お話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
|
|
【感想は?】
お金ってのは、ある所にはあるもんなんだなあ。そして、当時は景気が良かったんだなあ。
トロい私としては、そもそも債券取引で荒稼ぎ出来ること自体が驚きだった。債券と聞くと、私はまず国債と社債が思い浮かぶ。2015年5月現在の日本だと、いずれも利率は微々たるものだ。
例えば、この記事を書いている2015年5月現在の日本国債の利率は、固定5年で税引き前0.08%(→財務省個人向け国債発行条件)だ。100万円を投資しても、5年間で3187円しか儲からない(100万円×0.08%×5年間=4000円から利子所得税20.315%を引く)。それでも国債を買い手はいる。凄い時代だ。
この本の舞台であるソロモン・ブラザース、当時は債券取引でブイブイ言わしてた。社内でも、株式部門より債券部門が大きい顔をしてたというから驚きである。私の感覚だと、株式の方が投資としてはリスキーな気がするのだが、当時は債券市場が拡大していく時代だったのだ。
その例の一つが、モーゲージ債だ。不動産ローンを債券にしたもの。発想そのものは、比較的に健全だと私は思う。家が欲しくてカネを借りたい人がいる。一方で、カネを貸して利息が欲しい人がいる。この間の橋渡しをするのが、モーゲージ債だ。いや細かく言うと違うんだが、詳しく知りたい人は Wikipedia をどうぞ。
ただし不動産ローンには困った点が幾つかある。踏み倒される危険もあるが、この本で取り上げられるのは、繰上げ返済だ。20年でローンを組んだが、途中で収入が増えたので、早めに全額を返す場合だ。貸したカネが返ってくるんだから、常識で考えれば借り手・貸し手共に嬉しい状況である。
ところが、債券取引で稼ぎたい人には、ちと困る。向う20年は利息を受け取れるはずが、いきなり利子収入がなくなるので、債券の価値がなくなってしまう。こういった繰上げ返済のリスクを巧いこと調整して、ランク付けしたのが金融商品としちゃ賢いところ。
カネが世の中に回れば景気はよくなる。そしてカネを回すのが金融業の仕事である。カネを回す仕組みを作ったんだから、資本主義国家の金融企業としては称賛されてしかるべきだろう。
ところが、これで終わらないのが現代の金融業界だ。ソロモン・ブラザースは、債券の売り買いの手数料で儲けている。客(投資家)が債券を買って満期まで素直に持っていたら、儲からない。盛んに売り買いしてもらわないと困るのだ。この本に出てくる投資家の方もアクティブな人が多くて、債券の売り買いの差額で儲けようとするヤマ師ばかりだったりする。
この投資家が動かす金額も凄まじい額で。いやほんと、お金ってのはある所にはあるもんです。と、動く金額が大きい分、利鞘も大きくなり、また手数料も大きくなるという理屈。
ただし、世の中は美味しい話だけじゃない。利鞘が大きいって事は、値下がりのリスクも大きいという事。問題は、誰がリスクを引き受けるか。そう、もちろん、リスクは投資家が引き受ける。売った債券の値が上がろうが下がろうが、売り買いするだけでソロモンは手数料が儲かる。美味しい商売です。
そういう商売やってるだけに、中の人も荒んでて。ルーウィー・ラニエーリ率いるモーゲージ債部門は、まるきしアニマル・ハウス。ビシッとスーツを着こなしたエリートなんてのとは全く違い、ジョン・ベルーシが集団で荒れ狂ってるような狂態の描写が延々と続く。
なまじ金融に詳しい者が揃っているだけに、自社の経理内容も詳しいし、自分の価値もよく分かっている。後半から終盤にかけては、同僚たちが次々とソロモンを去ってゆく話が増えてくる。同業他社にヘッドハントされる者、昇給やボーナスの査定を勘定する者、取締役の言葉の裏を読もうとする者。
このあたりの割り切りのクールさは、さすがアメリカと言うか。債券トレーダーや債券セールスマンだけに、自社の経営状況もシビアに見つめていて、創立75周年の記念品を評する先輩ダッシュの目は冷徹だ。
ウォール街で繰り広げられるドタバタ・コメディとして読んでも楽しいし、ちょっとした出世のコツもわかる。ただし、債券取引の知恵を学ぼうとすると、一見役立ちそうなことが書いてあるだけに、痛い目を見るかもしれない。その辺は 10cc の Wall Street Shuffle(→Youtube)でも聞きながら、豆知識程度に読み流そう。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:ノンフィクション」カテゴリの記事
- サイモン・マッカシー=ジョーンズ「悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」インターシフト プレシ南日子訳(2024.08.25)
- マシュー・ウィリアムズ「憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき」河出書房新社 中里京子訳(2024.05.31)
- クリフ・クアン/ロバート・ファブリカント「『ユーザーフレンドリー』全史 世界と人間を変えてきた『使いやすいモノ』の法則」双葉社 尼丁千津子訳(2024.04.22)
- デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳(2023.12.01)
- 「アメリカ政治学教程」農文協(2023.10.23)
コメント