鵜飼保雄「トウモロコシの世界史 神となった作物の9000年」悠書館
トウモロコシはイネ、コムギとともに三大作物といわれる。世界の栽培面積や生産量ではイネ、コムギを超えている。にもかかわらず、トウモロコシはイネやコムギにくらべて地味な印象を与える。それは現在、多くの国々で人間の食べ物としてより、家畜飼料や工業用原料として消費されることが多いからであろう。
――はじめに
【どんな本?】
映画館でお馴染みのポップコーン、匂いが香ばしい焼きトウモロコシ、メキシコ料理のタコスなどでお馴染みのトウモロコシ。また、フィールドオブ・ドリームスなどのアメリカ映画では、背の高いトウモロコシが延々と連なる畑の風景が、田舎を示すアイコンとなっている。
私たち日本人はトウモロコシといえば焼きトウモロコシのスイートコーンを思い浮かべるが、実際には様々な品種があり、その多くは家畜の飼料用であり、実に加え茎や葉も使われている。
この奇妙な穀物を、ヒトはいつ・どこで見つけ、どう栽培し、どう利用してきたのか。その原種は何か。どんな経路で世界に広がり、どんな品種が好まれたのか。誰が何を目指しどのように品種改良し、どんな品種を作ったのか。イネやコムギと比べ、どんな特徴があるのか。
育種学の第一人者が、トウモロコシの歴史と性質と現在の生産・利用状況を、一般の読者に向けわかりやすく解説する、歴史・地理・科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2015年2月15日初版第1刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約357頁。9ポイント48字×19行×357頁=約325,584字、400字詰め原稿用紙で約814枚。長編小説なら長めの分量。
日本人の著作だけあって、文章はこなれている。ガチガチの専門家が書いた本のわりに、内容も拍子抜けするほどわかりやすい。ひっかかりそうなのは、染色体の倍数体(→Wikipedia)ぐらいか。植物の栽培の話なので、当たり前だが畑仕事や庭仕事に詳しいほど楽しめる。また、全般的に南北アメリカ大陸を舞台とした場面が多いので、地形が分かる地図があると便利。
【構成は?】
まずトウモロコシの基礎知識から始まり、原初の歴史から現代へと進む形なので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
焼きトウモロコシとポップコーンが違う品種だとは知らなかった。
焼きトウモロコシはスイートコーン=甘み種、ポップコーンはポップコーン=爆裂種。違う品種なのだ。お菓子かと思ったら、「アメリカ大陸の古代社会で最も古くから食用とされてきた」「ポップコーンこそトウモロコシの原型」だとか。
トウモロコシはみんな甘いのかと思ったら、それも違う。大半のトウモロコシはデンプンが多い。これが突然変異の劣勢遺伝で、蔗糖を多く含む品種ができた。これがスイートコーン。ただし初期の品種は「収穫後にわずか30分で甘みが減る」。トウモロコシは、糖をデンプンに合成しちゃうのだ。…ってことは、収穫直後の新鮮なトウモロコシほど甘いのか!
まあいい。問題は、劣勢だって点。しかもトウモロコシは基本的に自家受粉しない、つまり他の穂の花粉から受粉するんで、他の品種の花粉を貰っちゃうと、甘みが消えちゃう。デリケートなんだなあ。
などと美味しそうな話も多いが、中心は歴史の話で、しかも舞台の多くは南北アメリカ大陸。これはトウモロコシの起源がメキシコのバルサス川周辺だからで、そこから南北へ広がっていったらしい。だからメキシコじゃタコスを食べるのか。元が低緯度地方の植物なので、いろいろと苦労しながら高緯度地方へと広がって行く。
ここで出てくる耕作法が、畑と水田のいいとこ取りみたいで賢い。アステカのチナンパは、「ヘクタールあたり2.4~4トンンに達し、アジアの水田耕作にも匹敵した」し、ボリビアのティナワク王国のスカコラスは「近年の実験結果では、ジャガイモをスカコラスで栽培すると、化学肥料や農薬を利用する近代農法によるよりも多収になった」。すげえ。
いずれも理屈は似てる。畑を水路で囲むのだ。チナンパは「浅い湖沼の区画を木杭などで囲」い、中に水辺の草や水底の泥を積んで畑にする。肥えたいい土になるだろうなあ。そして区画の周辺、木杭の側には木を植えて補強する。おまけに周囲の湖沼の水路が養分を運んでくる。
スカコラスは、礫の上に表土を被せた畑で、周囲を水路が囲う。こっちはトウモロコシじゃなくてジャガイモだが、水路は温度調整の役目も果たす。「昼間の太陽光を吸収して気温上昇をやわらげ、夜間に放熱」するのだ。しかも、水路に「堆積した物はくみ上げて肥料とされ」「水路には魚が放たれていた」。なんと賢い。
もしかして礫を土台にしてるのは、塩害を防ぐためだろうか?いずれにせよ、水が豊かな地域で利水技術が充分に発達してる必要があるし、造成にかなり手間がかかるんで、社会が大規模に組織化されていた事がうかがえる。
これが北米に渡り、やはり農耕に使われる。北米の先住民も、実は農耕してたのだ。例えばイロコイ連邦だと、「部族によっては三年分の貯えがあった」。が、逆に、西洋人の到来で狩猟に戻っちゃった例もある。シャイアン族だ。ウマを手に入れたシャイアン族、バイソン狩りに専念して「農耕に従事することは稀になった」。
というわけで、映画や西部劇で見る北米先住民の姿は、元々の姿とだいぶ違っている事がわかる。
このトウモロコシが、旧大陸に受け入れられていく過程も楽しい。そもそも名前が混乱してる。日本じゃトウ-モロコシと、まるで中国産みたいだ。ヨーロッパじゃトルココムギと呼ばれ、トルコではエジプトコムギと呼び、エジプトではシリアコムギ。ばかりでなく…
フランス東部のヴォージュではローマコムギ、南東部のプロヴァンスではギニアコーン、イタリア中部のトスカーナではシチリアコーン、スペインの国境地帯ピレネーではスペインコーンなどである。
ちなみに corn、アメリカとイギリスじゃ意味は違う。「イングランドではコムギ、スコットランドではエンバク」「米国ではトウモロコシ」。トウモロコシの呼び名は「英国ではメイズ(maize)、フランスではマイス(Mais)、ドイツではマイス(Mais)」。Water Boys に Corn Circles(→Youtube)って曲があるけど、ありゃ小麦畑のミステリー・サークルの事だったのか。
終盤では、19世紀以降の北米での品種改良の話が中心となる。基本的に他殖性のトウモロコシ、自殖を繰り返すと貧弱になる。だもんで、イネみたく純系を作るのが難しい。ところが純系(に近い)もの同士を掛け合わせると、一気にパワフルになる。いわゆるハイブリッド、雑種強勢だ。これにも様々な工夫があって…
と工夫の甲斐あって、1930年代あたりまでヘクタールあたり1.6トンぐらいだった収穫量が、2000年には8~9トンに跳ね上がってる。この急激な生産性の上昇を見て感激したのが1959年に訪米したフルシチョフだが、当事のソ連じゃルイセンコ(→Wikipedia)が幅を利かせ…。政治が科学に口出しすると、ロクな事にならないという見本だね。
終盤では、遺伝子組み換え作物の話も出てくる。著者の姿勢は、「どんな影響があるかわからないんだから、慎重にいこうよ」という態度。その裏づけとして、製品化されてから判明した不具合の具体例を幾つか挙げている。これがなかなか説得力があって。
農作物は工業製品と違い、露天で栽培する。だもんで、どうしても昆虫や土中の細菌に触れてしまう。その昆虫は鳥が食うし、周辺の水系にも影響を与える。花粉は他の畑に飛んでいくし、遺伝子の水平移動もある。工場じゃないんだから完全な隔離はできないし、昆虫→鳥みたいな二次・三次的に伝播・影響が広がっていく。
それ全部を検証して「安全です」なんて言うのは無茶だよね、だから慎重にいこうよ、というわけ。「どんな影響があるかわからない」ってのがミソで、わからない事を「わからない」とハッキリ言っちゃう人は、誠実だと私は思う。専門家として祭り上げられると、なかなか「わからない」って言えないんです、はい。
贅沢を言うと、トウモロコシが畜産、特にウシに与えた影響も加えて欲しかった。牧草から濃厚飼料への移行は畜産に大きな違いをもたらしたと思う。ただ、この本が扱うべき内容か、と考えると、ちと違うかも。
241頁の「19世紀末におけるアフリカ諸国のおける摂取カロリー中のトウモロコシが占める割合」を見ると、マラウイ・ザンビア・ジンバブエ・レソト・南アフリカで45~59%を占めてて、今でもマラウイじゃ自給自足でトウモロコシを食べてる(→Wikipediaのマラウイの経済)。とすると、アフリカじゃ国家の浮沈に直結する作物なんだなあ。
様々なトウモロコシの品種、南北アメリカ大陸での様々な栽培方法、他の国々での色々な受け入れ方などの歴史的な話も楽しいし、19世紀以降の品種改良の話も科学読み物として面白い。一級の専門家が書いた本のわりに、意外と内容も噛み砕いていて、難しい知識がなくても読みこなせる。難点は、焼きトウモロコシを食べたくなる事かな。
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