サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ「スターリン 赤い皇帝と廷臣たち 上・下」白水社 染谷徹訳 1
「いいや、ちがう。お前はスターリンじゃない。私だってスターリンじゃない。スターリンというのはソヴィイエト権力そのものなんだ。新聞に載っているスターリン、肖像画に描かれているスターリン、それがスターリンなのだ。お前や私のような個人がスターリンなんじゃない」
――プロローグ 革命記念日の祝宴「同志テレホフ、聞くところによると、君は演説の名人だそうだが、どうやら、君が得意なのは創作のほうだということがはっきりした。飢饉などというとんでもない作り話をでっち上げるとは!」
――第6章 死体を満載した貨車
【どんな本?】
レーニンの後継者としてボリシェビキを受け継ぎ、トロツキーを追い落として共産主義の指導者となり、富農の追放や集団農場化によって大飢饉をひき起こし、将校の大粛清によって赤軍をガタガタにしながらも、第二次世界大戦ではヒトラーの戦力の大半を引き受け、戦後はアメリカと世界を二分する勢力の頂点となった、ヨシフ・スターリンことヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチ。
彼はどのようにボリシェビキの頂点に至ったのか。その地位に次々と襲い来る困難に、どのように対処したのか。ボリシェビキ内の権力闘争はどのようなもので、スターリンはそれをどう操ったのか。スターリンと周辺の者たちは、そのように政策を決め、どのように推進したのか。そして仲間が続々と処分されてゆく中で、なぜ廷臣たちは反撃しなかったのか。
20世紀後半の世界史の中で、最も大きな権力を維持したスターリンと、その忠臣たちの生活や権力闘争を、英国の歴史家が膨大な資料と精力的な取材により、主に1932年から1955年までを中心に再現する、本格的な歴史書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は STALIN : The Court of the Red Tsar, by Simon Sebag Montefore, 2003。日本語版は2010年2月10日第一刷発行。私が読んだのは2010年3月20日発行の第二刷。あまりの人気に急いで増刷したんだろうなあ。単行本ハードカバーで上下巻、本文約611頁+505頁=約1,116頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント45字×20行×(611頁+505頁)=約1,004,400字、400字詰め原稿用紙で約2,511枚。文庫本の小説なら5冊分ぐらいの巨大容量。
翻訳の文章は比較的にこなれている。ただし決して読みやすい本ではない。登場人物も膨大だし、20世紀のロシア・ソヴィエト史について、相応の知識がある人を読者に想定している。
【構成は?】
プロローグを除き、基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
ズバリ、上級者向け。決して読みやすい本ではない。とにかく解像度が高いのだ。
その高い解像度で、どこを描いているか、が重要。これは日本語版の副題が適切に内容を示している。「赤い皇帝と廷臣たち」、まさしくソレだ。著者の筆は常に、スターリンとその周辺人物を描く事に終始する。
例えばスターリン版の大躍進政策(→Wikipedia)である、1932年~1933年の大飢饉(→Wikipedia)について、その原因や経緯にはほとんど触れない。著者が注目するのは、飢饉の報告がどのようにスターリンに伝わったか、そしてスターリンが報告に対しどのように返答し対処したか、だ。
つまり、著者は、大飢饉について、読者は充分に知っていると想定した上で書いている。だから、その目的・原因・経緯・規模などをあらためて書く必要はない、それは紙面の無駄だ、そういう姿勢なのだ。
「スターリンを中心にした20世紀のロシア/ソヴィエト史」を期待していた私にとって、これはかなり厳しかった。そういう点では、デイビッド・ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」と似ている。
ただし。「ベスト&ブライテスト」が扱っているのは、はベトナム戦争だ。そのため、外交と軍事の政策決定プロセスが中心を占めている。対してこの本は、ソヴィエトの内政が中心となっている。つまり、スターリンの宮廷で繰り広げられる、ソヴィエト中枢部の権力抗争がこの本のテーマだろう。
などと敷居は高い本であるにも関わらず、決して退屈な本ではない。ロシアン・ジョークの世界が、冗談ではなく現実だったことを、何度も思い知らせてくれる。泣いていいのか笑っていいのか、複雑な気分になる所がアチコチに出てくる。バタバタと死んでゆく農民や兵士たち、それに対してクレムリンから出る指令は、ひたすら逮捕・監禁・拷問そして銃殺。
なぜそんな阿呆な事がまかり通ったのか。なぜそんな間抜けな真似しかできなかったのか。なぜそんな無能な者が権力の座に居座れたのか。それを、スターリンの視点で描く点に、この本の計り知れない価値がある。
という事で、次の記事に続く。
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