ジェームズ・R・チャイルズ「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」草思社 高橋健次訳
最近の研究によれば、マシン事故による惨事は、ほとんどの場合、複数の失敗とミスが重なってようやく発生するということが明らかになった。たったひとつの災難、たった一つの原因だけでは、なかなか大惨事にはいたらない。大惨事は、貧弱なメンテナンス、意思疎通の悪さ、手抜きといった要因が組みあわされることによって発生する。そうしたゆがみは徐々に形成されてゆく。
――序章 より巨大に、より高エネルギーに大きな故障が発生した場合、実際にはその真因となる重大なミスはずっと以前に起きていて、本来は設計者や管理者――そうした人びとのつくりあげたシステムは、どこかで歯車が来るうと一般の人間に超人的行為を要求することがある――の責任だったのに、オペレーターや乗組員が非難される例があまりにも多い。
――第7章 人間の限界が起こした事故
【どんな本?】
スリーマイル島原子力発電所は、なぜ暴走したのか。スペースシャトルのチャレンジャーの爆発墜落は、止められなかったのか。インドのボパール殺虫剤工場の毒ガス漏出事故の被害は、なぜ大きくなったのか。オートマチック車の暴走事故が多いのは、どんな状況か。
人類が扱う機械やシステムは時代と共に巨大かつ複雑になり、また扱うエネルギーも大きくなってゆく。そのため、事故を起こした際の被害も桁違いに大きくなった。かといって、我々は今さら機械を捨てるのは無理だ。
テクノロジーと社会の関連を中心に扱うジャーナリストの著者が、過去に起きた大事故の経過とその原因を探り、事故に至るまでの関係者の動きと、事故が起きてからの人の行動を分析すると共に、常に危険と隣り合わせの職業に従事する人びとに取材し、事故を防ぐ方法を探る、現代のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は INVITING DISASTER : Lessons from the Edge of Technology, by James R. Chiles, 2001。日本語版は2006年10月26日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約418頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント45字×18行×418頁=約338,580字、400字詰め原稿用紙で約847枚。文庫本の長編小説なら、上下巻に分けてもいい分量。
日本語の文章は比較的にこなれている。内容も実はそれほど難しくないのだが、二つほど難がある。まず、複数の事例を並行して語る構成が多いため、落ち着いて読まないと混乱してしまう。せめて事例が切り替わる部分では、一行分の空白を開けるなどの工夫が欲しかった。また、「リム」や「ファンブレード」などのメカの部品を示す言葉が解説なしで出てくるのは、機械に詳しくない読者に不親切だろう。
全般的に、メカ好きなら中学生でも読める。そうでないなら、詳しい事故の内要は飛ばして読もう。この本の最も価値がある所は、機械に関する部分ではなく、それを扱い管理する人間に関する所なのだから。
【構成は?】
比較的に各章は独立している上に、重大なポイントは何回か繰り返して説明しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
事故を恐れる人全てにお勧めの本。ただし安全管理の専門家にとっては、食い足りないかも。
恐らく現在の日本人にとって、最も興味がある事故、すなわち福島の原発事故は扱っていない。が、原発推進であれ反対であれ、日本の原子力政策に興味があるなら、是非読むべきだ。
勤め先のQC活動などで安全管理を多少知っている人にとっては、常識的な事も幾つか出てくる。この記事の冒頭の引用がそうだ。大抵の大事故は、複数のミスが重なった時に起きる。大規模な機械や工場は、複数の安全装置がついている。または、複数の安全確保手順が決まっている。その全てをすり抜けたときに、事故が起きるのだ。
人は問題が起きた時、原因を一つ見つければ安心してしまう。これは間違いだ。大きな事故には、複数の原因があるのだ。その全てを解明し、対策を施さない限り、事故は再発する。ベテランのプログラマは身に染みている。「一つバグを見つけて安心してはいけない」。
他にも大切な事がある。事故が起きるのは、事故が起きやすい状態になっているからだ。状態には天候や時刻などの自然のものもあるが、人間的なものもある。厳しい締め切り・無茶な費用削減・教育の不備・現場の声が上層部に届かない組織体質などだ。
大抵の場合、大事故は起きる前に、いつ事故が起きても不思議じゃない状況になっている。石油掘削基地オーシャンレンジャー号の例では、救命スーツの不足・荒天時に救命ボートを下ろす訓練・バラスト制御用電源の共用・バラスト制御室の窓の閉め忘れ・危機管理訓練の不足・緊急時のマニュアルなど、多くの問題点を指摘している。
氷山と衝突して沈没したタイタニックの例も出てくる。原因の一つは、近くの船から受けた氷山の警告を無視した事だ。なぜ無視したか。電信オペレーターのジョン・フィリップスが忙殺されていたからだ。乗客の電報の処理にてんてこまいな上に、数時間無線装置が動かなくなり、未処理の電報が溜まっていた。そのため、氷山の警告をあとまわしにしたのだ。
それでも、船体のリベットが設計どおりの品質のものを使っていれば、氷山にぶつかっても大きな穴はあかなかった。大西洋横断のスピード競争に加わっていなければ、慎重に航海しただろう。おまけに救命ボートも足りず…
事故が起きる時、現場にいる人は切羽詰っている事が多い。先のジョン・フィリップスは、他の船からの警告に対し、こう答えている。「うるさい、黙れ。忙しいのがわからないのか」。溜まった仕事を消化するのに集中しすぎて、警告の意味すら考えられない状態になっていたのだ。これを、著者はこう言っている。
非常事態になると極度に集中する傾向は、認知ロック〔認知の固着〕と呼ばれることもある。その副作用のひとつとしては、産業事故の現場に居合わせた人びとが、事故の初期の段階での原因解釈にしがみつくあまり、あとからさまざまな証拠が出てきても解釈を変えない、ということがある。
うんうん、あるある。切羽詰ってる人に、横から口出ししても、大抵は怒鳴られるだけでロクな事にならないんだよな…などとヒトゴトのように思っちゃいるが。
ゲームで何回やっても難しいステージをクリアできずにアツくなってる時って、きっとこの〔認知の固着〕を起こしてるんだろうなあ、と思う。「ゲームは一日一時間」ってのは、ソレナリに理にかなってるのだ。コントローラーから離れて頭を冷やせば、〔認知の固着〕が解けるのだから。
大事故の怖い所は、他にもある。問題が起きたとき、既に普通の状況ではなくなっている、という事だ。先の石油掘削基地オーシャンレンジャーは、嵐のなかで危機に陥った。救命ボートはあったし、訓練もしていた…ただし、海が凪いでいる時に。おまけに、母船であるオーシャンレンジャーが、事故時には傾いていて、これがボートを下ろす邪魔になった。
事故を防ぐ手立てや、事故が起きたときの避難訓練などは、悪条件を想定しておかないと意味ないのである。
逆に、事故時に冷静に対応した例も出てくる。いきなり感心したのが、旅客機DC-10の尾部が吹っ飛んだ際の機長ブライス・マコーミックの対応。予め「こんなこともあろうかと」エンジンだけで姿勢制御する訓練をシミュレーターでしていたのも凄いが、この時の乗客アナウンスも半端じゃない機転の効き具合だ。
「機械的な問題が生じた」のでアメリカン航空は、旅行をつづける皆様のためにデトロイトで代替機を用意します
尾部が吹っ飛ぶという危機的な状況にありながら、「代替機を用意します」だ。「お客様はこの先も旅行を続けられますよ」と、乗客の気持ちを目先の危機から巧く逸らしている。ズルいとも言えるが、パニックを抑えるには効果的だろう。機長としての円熟した精神をうかがわせる。
が、しかし。現実には、事故を防いだケースでも、マコーミック機長のように分かりやすい事例は少ない。そもそも事故が起きないので、マスコミが報道する事もない。事故を防ぐ案や方法は、現場の作業員や技術者から出る場合が大半だ。往々にして、そういった提案は、上司に歓迎されない。アメリカン・モーターズの元会長ジェラルド・C・メイヤーズ曰く。
一般的にいって事業管理者は、不測の事態に対応するための計画を立てることを避ける。そんなのは敗北者や悲観主義者のすることだ。事業管理者は製品の成功と、たえまない市場拡大を画策することが自分の任務だと考えるのだ
そう、経営者はイケイケの管理職を好むのである。
現代のシステムは巨大化している。ブンブンと音を立てる機械ばかりではない。コンピュータも高速化・大容量化し、短時間に大量のデータを処理できるようになった。昔ならバグがあっても手計算でリカバリできただろうが、今じゃ無理だろう。あらゆる所に大規模なシステムが浸透した現在、この本は全ての人に関係のある内容となっている。
事故を恐れる全ての人に。原発問題に興味がある全ての人に。そして、組織を率いる全ての人に読んで欲しい。
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