結城充考「躯体上の翼」東京創元社
員(イン)は自分のIDに付されたパスワードを破るのに、およそ百年の時間を費やした。
法則性を考えることもなく、簡易情報処理言語(スクリプト)を使って、ただ文字と数字の組み合わせを小さな値から順に、少しずつ入力したせいだった。ひどく効率の悪い方法だったが、員は他にやり方を知らなかった。
【どんな本?】
SF色の強いミステリで活躍中の新鋭作家による、遠未来の異様な世界を舞台とした緊迫感溢れるスタイリッシュな長編アクションSF小説。
「大遷移」で大きく変容した世界。地には野生の炭素繊維躯体が生い茂り、巨木の森のように空たかく伸びている。共和国の航空船団は佐久間種苗の緑化露を撒き、炭素繊維を始末していたが、それは同時に炭素繊維躯体の森で生き延びていた人々も滅ぼしていた。
対狗衛仕として作られた員(イン)は、手に入れたIDで互聯網(ネット)を漁るうちに、cyと名乗る者と出会い、交流を深めてゆくが、二人の出会いは、やがて大きな事件へと発展し…
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014国内篇で16位にランクイン。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年11月29日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約234頁。9ポイント43字×19行×234頁=約191,178字、400字詰め原稿用紙で約478枚。長編小説としては標準的な長さ。
ズバリ、読みにくい。これは意図的なものだ。描かれる世界がとても異様であり、SF的なガジェットも続々と登場する上に、ハードボイルドな物語がハイテンポで展開する。独特の言葉遣いと切り詰めた文体は取っつきにくいが、この世界を描くには見事にフィットしている。SFの先端を行く作品であり、濃くてエッジなSFを読みたい人向け。
【どんな話?】
員(イン)は、人狗を狩る対狗衛仕として佐久間種苗に作られた。世界は天高く茂る炭素繊維躯体が覆い、地に届く光は減ってゆく。だが炭素繊維の森にも、細々と人が集団で暮していた。そんな集団の一つに接触した員は、佐久間種苗に報告書を提出する。だが、集団は疫病で滅びてしまう。原因は、船団が付近に投下した緑化露らしい。
【感想は?】
いびつに進んだテクノロジーが乱立する世界が、とっても魅力的。
世界設定としては、「大遷移」という大きな災厄が人類を襲った事が冒頭で明かされる。それ以降、技術は進歩するどころか、昔の技術を苦労して維持するのがやっと、という事らしい。特に情報記録媒体は失われる一方で、世界的に貴重品となっている。
反面、ナノテクやバイオ・テクノロジーは残っているようで、主人公の員(イン)も、戦闘を目的として人工的に作られた存在だ。
情報記憶媒体が貴重という設定は、冒頭から見事なアイデアとなって読者を惹きつける。員とcyが、互聯網(ネット)の監視を盗んでコミュニケーションを取る場面だ。最近の大容量ハードディスクに慣れた人にはピンとこないかも知れないが、昔はディスク容量を倍に増やしてくれるソフトがあって、これに似た手口も使っていた。
この手口のマニアックさもさることながら、一度に伝えられる文字数がたったの7文字と極めて少ないのも、物語作りとしては巧い仕掛け。伝えたい事柄を工夫して少ない文字数に切り詰めなきゃいけない、員とcyのもどかしさを伝えると同時に、漢字が多い字面が、この小説の独特のスタイルを成立させている。
たぶん、著者は昔、パソコン通信をやってたんじゃないかな。嵩む電話料金を気にしながら、遅いモデムと細い回線で、なるべく多くの情報を伝えようと工夫していた頃の、懐かしい感覚が蘇ってくる場面だ。
にも関わらず、物語世界そのものは、最近のSFのエッジな雰囲気バリバリなスタイリッシュな作品に仕上がっている。
やはり大きな仕掛けの一つが、炭素繊維躯体。誰が何のために作ったのかは全くわからないが、この世界では邪魔者でもあり、生活環境でもあり。
表紙の絵を見ると、高層ビルの骨組の鉄骨に似ている。特に説明はないが、暴走したナノテクの産物らしく、共和国はこれを歓迎していないようで、緑化露を撒いて駆逐しようとしている。が、共和国に属さず炭素繊維躯体の森で暮らす人々もいるらしい。文明レベルは狩猟採集生活っぽいが。
と、ハイテクとローテクが妙に混在しているのが、この世界の大きな魅力。
主人公の員も、この世界のテクノロジーのアンバランスさを体現している。正体不明の敵・人狗を狩るため、人工的に作られた存在である。戦闘用の生命体を人工的に作れるぐらいだから、バイオ・テクノロジーは大きく進歩しているらしいが、機械工学や冶金はそうでもないようで。
戦闘用の人工生命が主人公なだけに、中盤以降のお話は激しいバトル・アクションの連続となる。
ここで登場する敵役の「導仕」も、これまた実に憎たらしくできてる。私はスター・ウォーズの皇帝陛下を思い浮かべながら読んだ。戦闘に特化し、優れた戦闘能力と巧みな戦術を駆使する員。対する導仕は、航空船団全体を指揮し、冷酷ながらも合理的な作戦で、ジリジリと員を追い詰めて行く。
強大な権限を振りかざし、情け容赦なく部下を捨石にする冷血ぶりもいいし、どうでもいい事に癇癪を起こして八つ当たりする身勝手さもドス黒さを際立たせる。その肉体の禍々しさもあり、こういう人間の持つ悪を煮しめたような悪役が出てくると、お話はグッと盛り上がるんだよなあ。
終盤、バトルはあっと驚く逆転また逆転の連続で、娯楽アクションとしての緊張感は読者を掴んで離さない。
そんな緊張感溢れる物語の中で、心地よい安らぎを与えてくれる清(四四九九一)が可愛らしい。いいなあ、清(四四九九一)。私も欲しいなあ、このシリーズ。可愛くて便利でいじらしい。
語りはスタイリッシュで、ガジェットは盛りだくさん。お話は激しいアクション満載で、映像にしたらきっと映えるだろう。そして何より、世界設定が冷たい感触のグロテスクさに溢れていて、もっと浸っていたい気分にさせられるし、隠れた壮大な背景を暗示しているようで、長大なシリーズの一場面を切り取ったような印象がある。
なんとかして、シリーズにして刊行を続けて欲しいなあ。
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