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2015年4月22日 (水)

ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 5

ハリド・イスランブリ「おれはファラオを殺した」
  ――第13章 イスラーム勢力の台頭

 ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 4 から続く。

【ムスリム同胞団の勃興】

 第四次中東戦争でアラブの地位を一気に引き上げたエジプト大統領アンワール・サダト。続く1979年3月にイスラエルと和平条約を締結、これによりエジプトはイスラエルの軍事的脅威より解放され、海外からの援助と投資を得ると同時に、再開したスエズ運河からは国庫に安定した収入を期待できるだろう。。

 しかし、地域最大の軍事力エジプトが脱落すれば、アラブはイスラエルと戦えない。これはアラブ諸国の反感を買い、エジプトは周辺国から関係を断絶され孤立してしまう。とは言うものの、オイルマネーで潤う湾岸国には出稼ぎに行っていたようで。

産油国で働くエジプト人労働者が送金した額は、1970年に1000万ドル、74年には1890万ドル、80年には20億ドルと増加し、この10年の間に200倍にも増えた。

 この経済的な関係は、アラブ諸国間の経済的な結びつきを強めて行く。

 だがイスラエルとの講和に対する反感はエジプト国民の一部も同じで、1981年10月6日にサダトは暗殺される。その時の暗殺者ハリド・イスランブリの台詞が、冒頭の引用だ。なんと、現代のエジプトでファラオは悪役だったのだ。少なくとも、過激なイスラーム主義者にとっては。

『コーラン』は『旧約聖書』と同様、エジプトのファラオたちにはたいへん批判的で、人間の作った法を神の戒律より重視する専制君主だとしている。『コーラン』にはファラオを非難している章句が79もある。

 つまり、ファラオとは、世俗的な独裁者を揶揄する表現らしい。とすると、現シリア大統領のバシャール・アサドも、そう言われてるんだろうか。いずれにせよ、独裁者の打倒を目論む勢力が、サイイド・クトゥブ'(→Wikipedia)を源流とする「ムスリム同胞団」などを中心に草の根で蔓延ってゆく。

 それに対し、徹底した摘発と残酷な刑罰で対応するエジプト警察。しかしムスリム同胞団はシリアなど周辺国へと浸透し…

【ムスリム同胞団の挫折】

 当事のムスリム同胞団は物騒ではあっても、アラブ諸国以外からは注目されなかった。それは彼らの目的が独裁者の打倒であって、欧米をどうこうしようとするものではないからだ。これがアルカイダとの大きな違いだ。が、それだけに、アラブ諸国の権力者にとっては煙たい存在となる。

 エジプトでは警察が対応したが、シリアでは軍が動く。バアス党のハーフィズ・アサド(→Wikipedia)が、レバノン内戦でマロン派キリスト教徒を支援するため介入するに及び、シリア国内で多数派を占めるスンナ派の反発は決起、1976年6月のアレッポ軍士官学校襲撃をきっかけに全面戦争が始まる。

 無関係の住民すら見境無く虐殺するアサドの弾圧は、1982年2月のハマの大虐殺(→Wikipedia)をひき起こす。

今日まで、1982年2月にどのくらいの人たちが死んだのかだれも知らない。ジャーナリストやアナリストは、死亡者数は一万から二万人と推定しているが、リーファアト・アサドは三万八千人を殺したと吹聴している。

 これによりシリアのムスリム同胞団は壊滅し、シリアは安定へと向かう。だがイスラーム主義者は他国に散り、別の戦略へと切り替え、9.11へと結実してゆく。今から思えば、この時の成功体験が、現バシャール・アサド政権の強硬な対応の動機になってるんだろうなあ。結果はだいぶ違うけど。

【ジハード】

 散った先の一つが、アフガニスタン。この辺は「倒壊する巨塔」ともだいぶカブるんだが、少し面白い記述がある。ソ連との戦いで、アフガニスタン人は個々の組織が連携せずバラバラに戦った。当初のアラブ義勇兵は、各自が希望する勢力に所属する形にしている。

 これが失望の原因となる。ソ連を追い出すと、今度はアフガニスタン人同士で戦い始めるのだ。義勇兵は共産主義者と戦うために来たのであって、ムスリムと戦うためじゃない。勝利の高揚と裏腹の失望、そして新しい組織と戦略の必要性を痛感しながら、彼らは帰国してゆく。

 もしかしたら、これがシリアで暴れてる山賊どもの原点なのかもしれない。

【冷戦終了】

多くのイスラーム主義者は、大国ソヴィエトの崩壊は無信仰者の共産主義の破綻の証拠であり、新しいイスラーム時代の到来を告げるさきがけであると解釈した。

 モノゴトを自分に都合よく解釈するのがヒトだ。我々は東欧とソ連の崩壊を、資本主義の勝利と見るが、イスラーム主義者は同じ事件を信仰の勝利と見る。ましてアグガニスタンで戦った者なら尚更だろう。そして、別の見地もある。シリア・イラク・リビア・アルジェリアなど、ソ連を後ろ盾とした国家だ。

チャウシェスクの死体の映像がアラブ世界に放送されると、いくつかのアラブの首都で深刻な社会的不安がかき立てられた。ルーマニアでそういったことが起こったのなら、バグダートやダマスカスで同じような事件が起こるのを防ぐにはどうしたらよいのか?

 防げませんでした、はい。

 そしてイラクのクウェート侵攻と、続く湾岸戦争である。原因はサダム・フセインが借金返済を迫られた末の逆ギレ。フセインは石油収入で返すつもりが、原油価格は値下がりする上に、クウェートは増産。なんで増産下のかというと、原因は二つ。

 ますクウェートは欧米の精油所に多額の投資をしていた。また欧州にQ8という給油所チェーンを展開していた。だから、石油価格が上がれば原油価格で儲け、下がれば販売価格で儲けが出る。いずれにせよ、流通量が増えれば儲けが増えるしくみを作り上げていたわけ。賢いなあ。

 冷戦終結はイスラエルにも影響を与える。ロシアからの移民が増えるに従い、新しい住宅地も必要になる。これはパレスチナ地域への入植活動を活発化させ、パレスチナ問題を更に悪化させてゆく。

 これらの動きは、アラブの権力者を板ばさみにする。唯一の超大国となったアメリカの機嫌を損ねれば、軍事・経済援助を打ち切られる。だがアメリカに追従すれば、国内の過激派が暴れるだろう。

今日のアラブ世界で自由かつ公正な選挙が行なわれれば、イスラーム主義者がきっと楽勝すると思う。
  ――はじめに

 なぜか。

チュニジア人やエジプト人のなかには、自分たちがイスラーム主義政党に投票したのは、宗教的信念からというよりも正直で腐敗していない政権を選びたかったからだと主張する人が多い。

 チュニジアの革命のきっかけとなったモハメド・ブアジンは26歳の青年だった。露天商として野菜を売り家族を養う彼は、地元の警官に袖の下を払わねば店を出せなかった。これじゃ警官じゃなくてしショバ代を取り立てるヤクザだ。ショバ代を払えなかった彼は警官に殴られた上に売り物を没収され、役場に異議申し立てに行くが、ここでも殴られ嘲笑される。

 ヤケになったモハメド青年は、知事公邸の前でシンナーをかぶり火をつけた。彼がきっかけで始まった市民運動は、各国に広がって行く。このデモのプラカードに掲げられたメッセージを、私は全面的に支持する。

「国民は政府を恐れてはいけない。政府が国民を恐れるべきだ」

【おわりに】

 書名は500年史ながら、頁の3/4は20世紀なので、実際にはアラブ現代史に近い内容だ。それでも冒頭の1/4は三国志さながらの疾風怒涛の歴史絵巻のド迫力で、以降の3/4は現代のアラブがいかにして成立したかの優れた解説となっている。

 ただ、本書は2013年の発行にも関わらず、エジプトでは再び軍が権力の座に返り咲き、シリアで暴れる山賊はイラクにまで進出するなど、情勢は既に新しいフェーズに入ってしまった。混沌としたアラブが激動し世界の注目を浴びる今、緻密な解像度でその成り立ちを描く本書は、現代アラブを読み解く格好の基礎となるだろう。

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