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2015年4月20日 (月)

ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 3

「オスマン帝国が改革と、宗教的所属に関係なく臣民の間の平等を満たし始めるにつれて、礼儀知らずのキリスト教徒が行き過ぎた平等の解釈をし、小さいものは大きいものに服従する必要はない、身分の低い者は高い者を尊敬する必要はないと考えるようになった。実際彼らは身分の卑しいキリスト教徒と高貴なムスリムは同等であると考えたのだ」
  ――第4章 改革の危機 より ミハイル・ミシャカの言葉

 ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 2 から続く。

【植民地化のはじまり】

 押し寄せるヨーロッパの対抗するため、オスマン帝国は改革を進めようとする。だが多民族国家ゆえか、多くの宗派が混在するシリア・レバノンでは大騒ぎになってしまう。それを象徴するのが、冒頭の引用だ。この本では、他にも幾つかアラブの気位の高さを示す言葉が出てくる。この無駄な気位の高さが、現代の中東の騒乱の大きな原因の一つだと思う。

 幸か不幸か、日本は聖徳太子の頃から中国に強い影響を受けてきた。江戸時代になっても、教養と言えば四書五経だった。もともと、他国から学ぶ事に抵抗を感じない国だったのだ。これが明治維新が巧くいった理由の一つだろう。学ぶ相手を、中国から西洋に変えただけだ。

 海を隔てているとはいえ、所詮は島国である。歴史も規模も大陸には敵わない。それを充分に自覚し、帝国の周辺国として巧く立ち回り、大国に飲まれず生き延びる術を心得ていたのだ。

 アラブには、コレができない。なんたって、かつてはイベリア半島まで席巻した帝国の末裔である。自分たちが一番優れていると思っている。だから、銃や砲などの小手先の技術は輸入しても、それを生み出す「科学」や、それを育てる「自由」や「平等」の概念は取り込めない。古い封建的な社会や風習がのさばり、自由競争による産業化が進まない。

 ナポレオンは軍事的に侵入した。19世紀にはいると、侵入の尖兵は投資家になる。アラブ側にしてみれば、産業化を進めて国力をつけたい。そのためには、鉄道などの社会基盤を整備せにゃならん。が、鉄道を敷くための金はない。そこで、利権を担保に外国の投資家に頼る。が、大半はベンチャー・ビジネスだ。失敗も多い。スエズ運河も大きな負債を残す。

その損失は、ヨーロッパの領事たちから自国民の投資が失敗したときの損失補填を求められるに及んで倍加した。

 英仏の資本家の出鱈目な投資の尻拭いを、アラブに押し付けたわけだ。やがて借金の利払いが国庫を圧迫し始め…って、ヴィクター・セバスチェンの「東欧革命」と同じパターンじゃないか。

【解放と植民地化】

  そしてついに1875年、オスマン帝国は破産する。これに1877年の露土戦争(→Wikipedia)が追い討ちをかけ、オスマン帝国はバルカン半島を失う。「領土の2/5と人口の1/5(その半分はムスリム)」である。

 オスマン帝国の弱体化は、アラブにとっては独立の格好の機会だ。これを象徴するのが、エジプトの騒動だろう。

 エジプトでは、軍がチュルケス(トルコ)系とエジプト系で対立している。英国の干渉でエジプト系の将兵が解雇されるに至り対立は表面化、副王イスマーイールの退位にまで発展する。先導したアフマド・ウラービーに、地主や都市部のエリートも同調し、「エジプト人のためのエジプト」という認識が生まれてくる。

 これを危険視したのが、新副王タウフィクと英仏だ。結局はイギリスが軍事介入・制圧し、エジプトは英国の支配化に入る。

 こんな感じに、各地の混乱に乗じて硬軟取り混ぜた手口で、英仏はオスマン帝国領を食い荒らして行く。

【第一次世界大戦】

 第一次世界大戦で、アラブはハッキリとオスマン帝国の敵となる。ドイツと組んだトルコに対し、アミール・ファイサルが率いるアラブの反乱(→Wikipedia)で大暴れする。ヒジャーズ(アラビア半島の西北部)からシリアに至る王国を夢見てパリ講和会議に出かけたファイサルだが…

「私はまもなく、欧米人はアラブ人についてはなはだしく無知で、彼らが得ている情報はすべて『千夜一夜物語』から得たものであることを実感した」「当然のことながら、彼らの無知のせいで、私は基本的な事実を説明するだけで多くの時間を使うことになった」

 が、結果は、レバノンとシリアをフランスが、エジプトとトランス・ヨルダンとイラクを英国が抑えることになる。英仏共に、第一次世界大戦で大量の将兵を消耗したのに、どこにそんな余力があったんだが。

 なお、イラクはファイサルが王位につく。その前、王座承認の国民選挙の前、英国はファイサルをドサ回りに出す。

イラク全土の町や部族を訪ねて回る大がかりな旅を企画した。ファイサルは国中を旅してイラクの多様なコミュニティの人々と顔を合わせ、彼らの忠誠心を獲得し、だれに聞いてもその役割をうまく果たしたという。

 このファイサルの姿は、「知恵の七柱」で、遠征中に野営地に地元部族の有力者を招き、彼らの歴史に耳を傾けるファイサルの姿と重なって見える。

 トランス・ヨルダンはその兄アブドゥッラーが王として納まり、名家ハーシム家は今もヨルダンに君臨している。はいいが、彼らの本拠地ヒジャーズはサウード家に奪われてしまう。ヨルダンとサウジアラビアには、そういう確執があるんだなあ。

【第二次世界大戦、そしてイスラエル】

 ヨーロッパで台頭するファシズムは、アラブにも浸透してゆく。ファシズムってのは極端なナショナリズムでもあり、ナショナリズムが芽生え始めたアラブじゃウケがいいんだろう。オマケにナチズムは反ユダヤだ。イスラエルを敵視するアラブ人には、甚だ気持ちよかろう。

 ロシアのポグロム(→Wikipedia)やナチのホロコーストから逃れたユダヤ人たちは、次々と土地を買い上げ住み着いてゆく。今まで小作人として生きてきたアラブ人を追い出して。これがアラブ人の反感を高めて行く。

私はここに、多少の疑問がある。なぜ非難の矛先が、金を受け取って小作人を見捨てた不在地主に向かわない?

 そんな民間の声を代表するのが、エルサレムの最高法官ハッジ・アミン・フサイニ(→Wikipedia)である。第二次世界大戦中はナチス・ドイツに亡命し、ヨーロッパからもアラブ各国からも胡散臭く見られていた。やはりドイツ亡命経験のあるファウズィ・カウクジも、非正規軍ALA(アラブ解放軍)を率い、イスラエルを潰そうと動き始める。

 ところが、アラブ各国の正規軍は、というと。

 まず、トランス・ヨルダンのアブドゥッラー国王。国連の分割決議案を、唯一支持したのが彼。ヨルダン川西岸を併合したいのだ。ハッジ・アミンはこれが気に食わない。エジプトのファルーク王とは強烈すぎるライバル意識がある。シリアは、アブドゥッラーがシリアを飲み込もうとしている、と思い込んでいる。ハーシム家とサウード家には根強い反目がある。

【第一次中東戦争】

 ってな状態で始まった第一次中東戦争は、イスラエルの勝利で終わる。ここで、戦力分析が日本語版 Wikipedia とはだいぶ違っている。アラブ側が兵力では劣勢だった、とあるのだ。

レバノン、シリア、イラク、トランスヨルダン、エジプトのアラブ五カ国が五月十五日に参戦したときの兵力総数は25,000人に満たなかったのに対し、イスラエル防衛軍(新国家の軍隊はこう呼ばれた)は35,000人にのぼった。

 日本語版 Wikipedia じゃ「アラブ側兵力は15万人」となっている。当事の公式発表と、後の調査で判明した事との違いや、開戦時と終戦時の違いなどはあるんだろうけど、うーん。

 いずれにせよ、この戦争は多くのパレスチナ難民を生み出し、またアラブ各国で鬱積した不満は諸国の政変をひき起こす。

 このあたり、かなりゴチャゴチャしちゃいるが、この本では物語的に綴っているので、読んでいる最中はスンナリと頭の中に入ってくる。後から聞かれたら答えられないけど←をい

【おわりに】

 やっと上巻が終わった。下巻は更に混沌の度を増し、また緊張感も高まってゆく。この本を読む限り、あの辺は第一次世界大戦以来、ずっと紛争続きだったような印象を受ける。今でこそシリア内戦がスポットを浴びているが、昔からそうだったんだなあ、などと変に感心しながら、次の記事へと続く。

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