佐藤洋一郎「イネの歴史」京都大学学術出版会
インディカ米というと多くの人が細長い米粒を連想する。反対にジャポニカの米は丸いと思われている。だがこれは、コメをめぐる誤解の中でもさいたるものである。インディカとジャポニカを種子の形で見分けることjは事実上できない。世界には、丸い米粒のインディカがいくらでもあるし、反対に細長い粒をもったジャポニカもある。
――第3章 インディカのおこりと伝播 インディカの米
【どんな本?】
イネの栽培は、いつどこで始まったのか。世界にはどんなイネがあり、どんな気候の地域で、どう栽培され、どう食べられているのか。それぞれのイネは、何がどう違うのか。インディカとジャポニカは、いつどこで分かれ、どう違ってきたのか。
植物遺伝学者である著者が、中国・タイ・ラオス・インド・カンボジア・ブータン・フランスなど世界各国を巡って現地の栽培の様子を見聞きし、また各地の野生種の群生を調べるなどのフィールドワークを重ねると共に、DNA解析や遺跡から抽出したプラントオパール(→Wikipedia)の分析などのハイテクも駆使し、世界のイネの分布や歴史を探ってゆく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2008年10月15日初版第1刷発行。私が読んだのは2008年11月25日発行の初版第2刷。単行本ソフトカバー、縦一段組みで本文約234頁。9.5ポイント45字×16行×234頁=約168,480字、400字詰め原稿用紙で約422枚。文庫本の長編小説ならやや短めの分量だが、写真や図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は8割程度。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。理科が得意なら、中学生でも読みこなせるだろう。ひっかかりそうなのは、長日性/短日性など光周性(→Wikipedia)関係と、劣勢遺伝子/優勢遺伝子の違い程度のレベル。光周性というと難しそうだが、アサガオに袋を被せて早咲きにする技のアレ。日光が当たる時間が短くなるとアサガオが「秋だ」と勘違いして花を咲かせる、みたいな。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているが、できれば頭から順番に読んだ方がいい。
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【感想は?】
私は毎日コメの飯を食べているが、実はイネについてほとんど分かってない事を思い知った。
「はじめに」の最初の頁から、二回も驚かされる。まず、昔と今の収穫時期の違い。「天智天皇(→Wikipedia、626年~672年)ころの稲刈りは朝露が下りるほどに秋深まってから」「今や稲刈りは秋の彼岸前の、まだ暑い時期の作業」と、ぐっと収穫時期が早くなっている。台風などの被害を避けるため、早く収穫できるように品種改良したんだろうなあ。
もう一つは、「刈ったあとの切り株を見ると、その切り口からは緑色をした幼な葉がいっぱい出て」とある。なんと、イネは多年草だった。そんな事も私は知らなかった。てっきり一年草だとばかり。
現実には、大半のイネは日本の寒い冬を越せない。だから、事実上は一年ごとに世代が変わる。でも、野生種だと冬を越せるものもあるとか。というか、野良イネなんてのもあるのか。いや日本じゃほとんどないらしいけど。
冒頭の引用も、驚いたことの一つ。1993年の米騒動(→Wikipedia)で「インディカは細長くてパサパサ」という印象があったが、大間違い。ジャポニカでパサパサのもあって、「代表的なものは米国、とくにミシシッピ川流域の米」とある。東海岸でもコメを作ってたのか。ばかりか、インディカでもモチ米はあるのだ。ちなみにタイ米の美味しい食べ方は…
タイ中央平原の屋台では、コメは茹でこぼして調理する。そう、彼らにとってコメの調理は、マカロニやパスタ同様、多量の水で茹でることである。(略)
茹で上がったコメはざるにあけ、手早く水をきってできあがりとなる。
まるきしソパかうどんだ。
タイが出てきたように、著者は世界中を飛び回り、アチコチのイネの栽培法を調べてくる。イネの栽培方法が地域により全く違うのも面白いが、行くところも凄い。いきなり第1章で「98年、ミャンマー西部を旅したとき」ときた。軍事政権がカタついて軍事クーデターがあった年だ(→Wikipedia)。学術調査とはいえ、よく入れたなあ。
他にも地雷がボコボコ埋まってるカンボジア、キナ臭い新疆ウイグル地区、中央アジアのウズベキスタン、そして神秘のブータンとシッキムである。バックパッカーが聞いたらヨダレが止まらない地域ばかりだ。
このブータンのコメに好みが、日本と正反対なのが面白い。まず白いコメはダメ。野性イネと同じ赤米が好まれるのだ。次に背が高いこと。化学肥料を多く使える日本では、倒れにくいチビが好まれるが、あまり肥料を使えないブータンでは、背が高いほうが都合がいいのだ。そして最後に、脱粒性がよいこと。
脱粒性があると、実った実が田にこぼれてしまう。機械で脱穀する日本じゃ脱粒性がない方がいいが、ブータンじゃ人が足で踏んで脱穀する。脱粒性が悪いと、巧く脱穀できないのだ。田にこぼれちゃうのは、まあしょうがない。他にも、ブータン独自の事情があって。
それは水が冷たいこと。ヒマラヤの高度7000mの氷河から落ちてくる水なので、気温30℃の「夏でもその水は手をきる冷たさ」だとか。そりゃ大変だわ。ちなみにシッキムだと、ウシが踏んで脱穀するとか。
栽培方法も、地域でそれぞれ、日本じゃ田植えをするが、そんな事をするのは「朝鮮半島と中国の一部」で、大半は「種子を直接本田に播きつける」。かと思えば、インドネシアの一部じゃ二度も田植えをするとか。かと思えば、タイの浮稲(→コトバンク)なんてのもある。
同じタイの東北部には、天水の水田があったり。でも5年に一度ぐらいは日照りで収穫皆無だとか。これがラオスとの国境あたりだと、なんと田んぼの中に木が立ってる。何のためなのか、「いまだ納得のゆく答えが返ってきたためしいがない」。きっと何か意味があるんだろうなあ。
台湾のコメ事情もびっくり。二期作が多いんだが…
第一期作は冬に種子を播いて夏に収穫するタイプ、第二期作は夏に種子を播いて冬に収穫するタイプであった。そして、第一期作用の品種はほとんどのものはインディカで、かつ日長反応をまったく示さない品種が使われていた。なお、台湾では第二期作用の品種はジャポニカで、しかも日本からわたった稲が「蓬莱米」という名前で知られていた。
同じイネの二期作といっても、品種が違うのだ。というか、植物には品種により日長性/短日性があって、水を必要とする時期があって、相応しい気温があって…と考えると、気候の違う他の地域の作物を移植するってのは、かなり大変なことなんだなあ、などとしみじみ考えてしまう。
おおらかだと感心したのが、新疆ウイグル地区。こっちはコムギなんだが、畑の中にエンバクが混じってる。野良エンバクが勝手に畑の中に入り込んでるんだが、「別段邪魔になるわけでもないので放置」。エンバクの大半は勝手に脱粒するが、収穫時は一緒に刈り取るんで、小麦に少しエンバクが混じるけど、そのまま製粉してパンにしちゃう。ちょっとだけだから、たいした違いはねえじゃん、ってこと。小うるさい日本じゃ考えられん。
他にも葉緑素にも遺伝子があるとか、一年草は多年草より移動能力が優れているとか、栽培種の祖先はインディカとジャポニカは違うんじゃないかとか、ジャポニカはストレスに強いとか、単位面積当たりの収穫量は日本よりオーストラリアのほうが優れているとか、意外な話が満載。薄い本だが、中身は濃くて楽しい本だった。
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