リチャード・バック「かもめのジョナサン 完全版」新潮社 五木寛之創訳
「あんたのいる21世紀は、権威と儀式に取り囲まれてさ、革紐で自由を扼殺しようとしている。あんたの世界は安全にはなるかもしれないけど、自由には決してならない。わかるかい?」
――完成版への序文噂というやつは、誰かを悪魔にしちまうか神様にまつりあげてしまうかのどちらかだ。
【どんな本?】
1970年に発行され、当事の若者たちの間で静かに流行り出し、やがて大ベストセラーとなった小説「かもめのジョナサン」。だが、ベストセラーには、埋もれていた最終章 Part Four があった。44年ぶりに発掘した最終章を追加し、完全版として21世紀に蘇った空飛ぶ寓話。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Jonathan Livingston Seagull - The New Complete Edition, by Richard Bach, 1970, 2014。ちょい経緯がややこしいんで、時系列順に書こう。
- 1970年 アメリカで初版発行。
- 1974年6月 日本語版が新潮社より単行本で発行。
- 1977年5月30日 日本語版が新潮文庫より文庫本で発行。
- 2014年 アメリカで完全版を発行。
- 2014年6月30日 日本語版の完全版が新潮社より単行本で発行。
単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約137頁+著者による「完成版への序文」4頁+訳者による「ゾーンからのメッセージ」5頁+訳者による1974年版あとがき「ひとつの謎として 『かもめのジョナサン』をめぐる感想」7頁。9.5ポイント40字×16行×137頁=約87,680字、400字詰め原稿用紙で約220枚だが、写真の頁が多いので、実質的な文字数は6割ぐらいだろう。小説としては長めの短編~短めの中編ぐらいの分量。
ベストセラー作家五木寛之が「自由に日本語の物語として書き上げた」と語るだけあって、文章は抜群に読みやすい。内容もわかりやすいので、小学生の高学年なら読みこなせるだろう。難しい漢字にはルビを振ってあるし。飛行機の曲芸飛行について知っていると、更に楽しめる。
【どんな話?】
岸から少し離れた沖合い。漁船が、撒餌を撒いている。撒餌を横から失敬するために、カモメたちは押し合いへし合いしている。
そこから少し離れた所に、ジョナサン・リヴィングストンがいた。海上30m。両足を下におろし、くちばしを持ちあげ、翼を無理にひねる。そうすると、止まっているかのように遅い速さで飛べるのだ。ジョナサンは、もう少し翼をひねろうとして…失速し、海に落ちた。カモメのくせに海に落ちるなんて、恥さらしもいいところだ。
他にもジョナサンは馬鹿な真似ばかりしている。海面スレスレに飛ぶ。両脚を胴体につけたまま着水する。垂直急降下を試みた時は、猛速度で海面に突っ込み気を失った。
両親はジョナサンを心配する。やがてジョナサンの奇行は群れでも話題になり…
【感想は?】
「好きで好きでたまらない事があるなら、トコトンやってみようよ、きっと別の世界が見えてくるよ」、そういうお話。
著者のリチャード・バック、とにかく飛行機が好きな人なのだ。彼の作品には、いつだって飛行機が出てくる。例外はこの「かもめのジョナサン」ぐらい。飛行機は出てこないけど、主人公はカモメ。つまり飛ぶのが大好きなのだ。
物語はジョナサンが超低速飛行を試みる場面で始まる。迎え角を大きく取り、翼を曲げて航空機で言うキャンバー(→Wikipedia)を増やそうと試みている。次は低空飛行で地面効果(→Wikipedia)を実感する場面。夜間飛行をマスターし、高速飛行に挑戦するあたりは、航空機ファンならニヤニヤしてしまうだろう。
やがて物語は、ナニやら哲学的なコトガラを語り始める。天国とは何か、カモメとは何か、飛ぶとは何か。
というと気取ったニューエイジっぽい事を語っているように思えるし、実際そういう部分もある。だが、実は、そんなに小難しい事を語っているわけじゃないのだ…たぶん。
というのも。回答は、次作「イリュージョン」の解説にある。ここでは、元帝国海軍の零戦乗りで、テストパイロットでもある本田氏が語っている。「飛行機乗りは、様々な知識と訓練を経て、一人前になってゆく。ジョナサンは、そのことをカモメになぞらえて書いてあるなあ、と思いました」
そういう事なのである。これは、飛行技術を極めようとする者の物語なのだ。
とはいえ、世の中にパイロットは多くない。たいていの人は飛行機の操縦なんか知らない。でも、この物語を気持ちよく読める人は多いと思う。
別に飛行機の操縦じゃなくてもいいのだ。プログラミングでも、楽器の演奏でも、部下の管理でも。なんでもいい、何か一つの事に打ち込んで、四六時中その事ばかり考えて、少しでも自分の腕を磨きたくて、たゆまず訓練しているなら。どうすりゃもっと上手にできるのか、他にどんな方法があるのか、もっと巧い工夫はないものか。
そうやって、自分の芸に打ち込んでいくと、実は世の中も違って見えてきたりする。
こういう考え方は、昔から日本にある。いわゆる「道」だ。タオじゃない。「剣道」「柔道」「書道」「華道」などだ。いずれも、具体的な技術を学び身につけることで、精神修行も兼ねよう、そういう考え方だ。
ジョナサンがやっているのは、そういう事なのである。ただ、彼は精神修行なんか考えてなかった。ひたすら飛ぶことを追求して、様々な技術を学んだだけだ。その結果として、考え方も世界の見方も変わってしまった。
このテーマは、完全版で追加された最終章で明らかとなってゆく。この最終章は、様々な解釈ができる。私が最初に思い浮かべたのは、カトリックとプロテスタントの抗争である。聖者がいて、使途がいて、変な方向に祭り上げられてしまい、集団の方針が捻じ曲がってしまう。
という風にも読めるけど、実はこの「かもめのジョナサン」という小説の評価そのものを示しているのかも。
当時は様々な評価がされた。ヒッピーたちにウケた事もあるし、「きみの心の目で見るのだ」なんてゼンっぽい台詞もある。実際、キリスト教徒がテキトーにゼンを解釈したっぽい部分もある。
が、改めて旧作の最終部分を読み返すと、完全版で追加された Part Four と同じテーマを語っている事がわかる。
この作品は愛だの啓示だのとニューエイジっぽい解釈もされた。著者のリチャード・バックは空軍でパイロットをしながら哲学を学んだという、一風変わった人だ。だから、「人生とは何か」みたいな事を語るときもある。でも、彼が一番好きなのは飛ぶことと学ぶことで、それはPart One からハッキリでている。
Part Two では、小難しい題材について悩んでいたジョナサンが、新しい技術を見て悩みを忘れ夢中になる場面がある。結局のところ、形而上的な哲学は苦手で、具体的な技術を通じてモノを考えるのだ、著者もジョナサンも。
当時、この本は若者にウケた。でも、むしろ、仕事である程度の経験を積んだ人こそ、この本を楽しく読めるんじゃないかと思う。
何でもいい、何か一つの事をやり続けて、その道でソレナリの腕を身につけた人。たとえ生活のためであっても、無我夢中でやってきて、気がついたら「○○なら××さんに頼め」みたいな信頼を勝ち得てしまった人。そんな人なら、終盤の展開は苦笑いしてしまうだろう。
文章は読みやすいし、量も少ない。特に難しい前提知識も要らない。読んだら少しだけ気分がよくなる、そんな物語だ。
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